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2011年12月27日火曜日

巨大翼竜は飛べたのか - 佐藤克文

知識を伝えるだけであれば Power Point で10枚もあれば足りる。
数枚の論文でもこと足りる。

それとは逆にテレビでは詰まらない結論に辿り付くまでの長い間
どうやって人をテレビの前に留めくかの技術の蓄積に長ける。

さてほんの数行で書くことができる結論を
一冊の新書という本にする理由は何だろう。

論理を理解しようとする脅迫観念は強い。
だが論理だけを知りたければ本ではなく
論文を読むべきだろう。

論文は長い時間をかけて生れた一つの文章だ。
それも多くの言語、文化、時代を通じて人々に読まれてきたものだ。
それは小説や詩とまったく変わらない一つの形式だ。

だから論文にはひとつの構造がある。

今の教育では論文に触れるのは大学からであろうが、
小学生、中学生のうちから著名な論文に触れておくのは
有益だろうと思う。

理解するのが教育ではない。
見た事がある、聞いたことがある、
それで十分なものも多くある。
論文も誰もが触れておくべき国語の代表的な形式なのだ。

論文という形式は科学と密接な結び付きを持つが
科学だけの専売特許というわけでもない。

それはともあれ長い間に試行錯誤された形式であるから
その形式には意味も理由も権威もある。

wikipediaによれば論文はIMRADの形式をとるとある。

Introduction(序)
Method(方法)
Result(結果)
And
Discussion(まとめ)

それは再現可能な方法を記載し、データから考察し、そこから結論を記述する。

論文は、結論までに一つの道が通ってなければならず
それ以外の道を丁寧に検証したうえで潰しておくものだろう。
思考の分岐点となる所を洗い出すのが論理とも言えるだろう。

言葉にはそれぞれの表現形式がある。

誰もがそれぞれの表現形式を選ぶ。
目の前の問題や気持ちを伝えるために書こうとする。
生活のためだったり趣味だったり仕事のために。

いや逆だ、そこで選ばれた表現形式に書いた人の思いがある。
そこについてはどれほど深読みしても読み過ぎる事はない。

書いても書いても読んでもらえなかったり
書いた内容もきれいさっぱり忘れられたりしたら作者はがっかりするだろうが、
もし読んで楽しいと言ってもらえればそれは嬉しいことだ。
ましてや二回以上読んでもらえるのであればこの上ない喜びだ。

所でそれは作者の都合であって、それは読者の読む楽しみとは何の関係もない。

有意な知識を得るだけが読書の楽しみではない。
知識を得る以外の目的で読んでも読書というのは面白いはずだ。

本書には翼竜の結論に達するまでの長い間を現代の知識に振り回される。
そこが面白くなかったらとてもタイトルに偽りありなのだが
現代での研究が面白いものだからタイトルのことなど途中で忘れてしまう。

そして現代について十分な経験を積んだうえで著者の本論を聞けば
そこで得心がいくわけである。

巨大翼竜は飛べたのか、作者にその話を聞くためには、
ペンギン、ウミガメ、マンボウ、ヒメウ、ミズナギドリ、アホウドリ
様々な場所へ行き、様々な考察を聞き、作者の後を追い、追体験をしなければならない。

専門家ではないから数式や基本知識を知らなくても構いはしない。
別に採点されるわけでもなく親戚のおじさんくらいに思っていればよい。
作者と一緒にしばらく歩き回っていれば
だいたい彼の言いたいことやその根拠となる考え方は分かってくる。

専門家でなければ理解できない知識はあろうが、
専門家でなければ分からない体験というものは存在しない。

見よう見まねでいつの間にか覚えるのが教育の基本であろうが、
作者の後をおって一緒に歩いていればなんとなく分かってくるものがある。
それが経験というものだろう。

一緒にフィールドに飛び出て歩く必要がなければ
このような新書を書く必要はなかったはずだ。

ただ論文を書けばよい。
勿論、彼とともに実際に野山を歩き回った人には
その論文の内容も、そこで言いたい事もその考え方も良く理解できるだろう。
同様の研究者であれば考えに違いはあろうがそれが見当が付く。

しかしその体験がない人には論文では足りないかも知れない。
だからこの新書は読者を連れて一緒に研究現場を見てもらうように書かれている。

同じ物を見て、同じように疑問を持ち、同じように苦労し、考えてもらうために。
それを体験をするために。

そういう意味では本書は現生動物の行動学の学者が、
古生物学者を連れて自分の研究現場に行く物語なのだ。

ほらこれらの鳥を見てみてよ、
彼らはこういう飛び方をしているんだよ。
古生の翼竜だってそれと違うわけないじゃない。

そうでない我々はそのおこぼれに預かるというわけ。

2011年12月19日月曜日

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー - 押井守

responsibilityはラテン語のrispondereから来た言葉であり、もともとは応答するの意であった。

この応答とは自分の行為を他人に説明することであり、他人からの質問に答えることだろう。
時には詰問され、これに答えることがresponsibilityを果たしたことになる。

そこには自由主義の思想と深い関係があるような気がする。
自由に行動することを許す、それを担保するものが、
その自由な行動について他人に説明することであるとする。

後から説明できることが自由な行動の条件であり
もし説明できないのなら自由な行動は許さない。

自由を勝ち取るとは説明する事、
内容などはどうでもよろしい、説明している事を示さねばならぬ。

犯罪者が病理的理由にその行動の理由を説明できないのなら罰せない、はこの原則に由来する。
精神鑑定が必要なのはこの根幹を調べる必要があるからだ。
それを説明できない者は自由を拘束する、これがresponsibilityの考え方だろうか。

責任を問うとは、説明することに尽きる。
問われた事に責任者は答える義務がある。
そこで答えないのはresponsibilityがないと見做される。

responsibilityを責任と訳したのは西周らしい。

しかしこの考え方では日本語の責任を説明することが出来ない。

責任は古くからある言葉で
【責】は棘のある枝で貝(貨幣)を返せと責め立てる様から生れた字である。
【任】は人が荷物を背負う様子から生れた。

語源通りに解釈すれば苦役を自ら背負うくらいの意味でよいだろう。

責任とは茨を背負い歩く事であった。
それほどの艱難が明治にはあった、
それらを自ら背負い、それにより責めを負う事に成ろうとも背負おうとした人々がいた。
彼らの持っている人間の資質をresponsibilityと訳した。

武士が腹を切ったのは責任を取る為ではない。
この世でやるべき事が無くなったから腹を切った。
切腹は美学に過ぎぬ、おさらばするという決意に責任という概念はない。

いつの間にか腹を切るとは美学から他の目的に変わってしまった。
死んで詫びるという意味に切り替わってしまった。
詰まり相手を納得させることになってしまった。

我々が使う説明とは、説明する行為ではなく、相手を納得させることにある。
いくら説明を繰り返しても相手が納得しない。
そんな時、相手から出る言葉がある。
「責任と取れ」

これは我々が自由主義の責任に生きる者ではない証左であろう。

責任という言葉は次のように使われる。
「責任を与う」
「責任を持つ」
「責任を任す」
「責任の有無」

これらの言葉に共通することは、
責任のもともとの意味が何かが起きてから語られるものではなく
何かを始める前に語られるべきものである、という事だ。

何かを始める前に責任を与える、持つ、任す。
そうであれば、責任とは何かを始める前に発生し
その何かが終わった時点では消滅するのだ。

僕達はこの"責任"という言葉を知ら無過ぎる、
恐らく、戦後の混乱も戦後の欠落も全てこの言葉に集約させていい。

僕たちは先の戦争の"責任"という問題を抱えて未だに出口のない暗闇で迷い続けている。

責任とは何であるか、今でも僕達はその語源の通り棘のある枝を自ら背負い自問を続けている。
これは茨の冠とは違う何かなのだ。

責任と取れという言葉が存在する時、そこには誰にも何も出来ない状況が生まれている。
前にも進めず後ろにも戻れない、それは、戦争の責任と全く同じ構造をして僕達の前に立ちはだかっている。

そうではないのだ。

元来、責任とは取るものではない、執るものである。

責任は未来にしかない。
過去に対して取るべきは説明だ。

だが、僕達はこの言葉を未来に対して使っている。
戻す事のできない命やこの世界について。

失った命を戻すことは出来ない。
責任を取れ。
汚染された大地を前にして。
責任と取れ。

これは神に求める言葉だ。
人は神ではない。
ならば彼らは神への信仰を口にしたことになる。

彼らは怒りという感情を前にしてこういうのである。
責任を取れ。
どうしようもないこの怒りをどうしてくれるのか。
責任を取れ。

この責任を取れと言う言葉は神でなければ即ち腹を切れという意味なのだ。
それは自らの責任を取って死ねという要求に過ぎない。
死ねと言わずに責任と取れという時この言葉の根底に醜さや汚らしさがある。
それに気付かず相手に詰め寄る者は無垢な信仰の所有者だろう。

これは死にゆくものに語る言葉ではない。
生き残る者らが怒りを鎮めるために必要な生贄を希求しているのだ。

責任と取れとは、即ち神を希求する言葉だ。
その根源にあるのは神への助けだ。

我々の時代にも影を落とすあの戦争への怒りは
神によって鎮めるしかない。
説明によるresponsibilityでは解決できないのだ。

だが戦後、我々の世界に神はいない。

責任と取れとは、神のいない世界で敵の神を滅ぼすために語る言葉だ。

彼らは目の前で神を殺して見せよと要求している。
哀しみを慰めるものは、同じ哀しみだけだと考えている。
復讐の連鎖は過去から今の世界へとあちこちにある。

何故にお互いを許しあえないのか。
この世界から神が消えてしまったからではないのか?

信仰のない世界で我々はどうやって許し合えばいいのだろう。
それとも相手の神が滅びるまで責任を問い続けるしかないのだろうか。

誰かの神を殺して見せることは後戻りのできない世界を作り出す。
それを許す神を持たずしてどうして人はお互いを許しあえるだろうか。

夢の世界からこの現実に戻るためにはラッパが鳴り響く必要があった。
ラッパが鳴り響き、世界が瓦解を始める。

哀しみや憎しみが待ち受ける神のいない世界に戻るためには一つの約束が必要だった。

責任とってね

アタルは夢から覚め、鐘が鳴る。

ほんまあの人らと付き合うのは並大抵のことやおまへんで

これは演出家自身のセリフであることに気付く。

そして映画はオープニングを迎える。

観客は席を立ち、映画館を出る。

そこから本当の物語が始まる。

この映画はそれぞれの人のプロローグだったのだ。

2011年12月7日水曜日

南野陽子

私の中のヴァージニア
20年前に好きだった。
既に通り過ぎたはずの流行歌に今さらまた聞き浸っている。
昔と変わるはずのない音なのにそれでも昔のようには聞こえてこない。

これは僕の方が勝手に変わっているのであって
実在の彼女と何か関係があるはずもない。

昔は恋だと思っていた。
でもそれが今では恋の歌には聞こえない。

そこには恋という一つの出来事と対峙している一人の少女がいる。
恋が全てという人生ではない、恋に出会い戸惑う、悲しみ、その想いを歌う。
そういう女の声だ。

彼女は恋という幻想を演じきれなかった歌手だ。
恋の詩を歌うその背景にある姿まで透かせて見せてしまう。

恋の歌に留まらずそれを歌うスタジオの景色までも思い浮かべさせてしまう。
それは幻想であるにはあまりに近く女性の姿を幻燈する。


花びらの季節(ころ)
これは恋ではない、存在そのものだ。
確かにそれはそこに存在している、
それがどこにもない実態だとしても存在している。

写真の中の彼女のように、
今ここにはいないどこかに消えてしまってもそこにあるもの。

声はそれを如実に出現させる。
恋など歌の表層に過ぎない。
この歌にある懐かしさやどことなく悲しい響きは恋の寂しさではない。

これは人が生まれ落ちたこの地球の悲しさそのものだ。
それは誰もが生れ、生き、そして朽ちてゆくそういう生命のように聞こえる。

それを昔は言霊というのではなかったか。
言葉の魂ではない、楽曲に乗り移り聞こえてくる声に宿った存在感だ。


宝石だと思う~ノエルの丘で~
流行歌というのは、時代とともに消えてゆくのかも知れない。
それでも歌はいつも存在している。

歌謡曲には他の楽曲にはない特有の難しさがある。
その難しさとは歌い手が歌を選ぶ権利を持っていない事だ。
歌手に歌を選ぶ自由はない。

歌が歌手を選ぶ。

曲に選ばれた人でなければ何の価値も持たない。
歌唱力も音楽性も知識も愛情も情熱も何もかも関係なく。
音楽への力も願いも思いも愛さえも全てを拒絶して歌謡曲は存在している。

自分にある全てをぶつけてみようが歌に拒否されたらおしまい。
弱々しかろうが音楽の才能に乏しかろうが音楽への信仰がなくても
曲が微笑みさえすればその者に全てを与える。

選ばれた者には全ての力を与える、それが歌謡曲というものだ。
どのようなオペラ歌手であっても歌謡曲を歌う事は難しい。
曲に選ばれるという点ではどのようなアリアよりも難しい。

歌謡曲とは一つの神託だからだ。


カナリア/秋のIndication
何も歌っても恋の詩になるのが歌謡曲だと思っていた。
しかし彼女の歌はそういう風には聞こえてこない。

恋の歌を歌っている時でもその声が届く先にあるものは
なんというか人間らしい何かだ。
それを優しさとでも言おうか、生きて匂ってくるような女の姿とでも言おうか。

人生とか生き方というような大仰なものでもない。
激しい恋というほどに刹那でもない。

歩いている風景や風のささやきほどに近く
息遣いや表情ほどに親しい。

直ぐそばにいて生きているそんな感じがその吐息から聞こえてくる。
これは録音された音というよりも写し取られた彼女の存在に聞こえる。

彼女はコートを着て北風に吹かれている。
歩きながらそんな景色が目の前にあるかのように聞こえてくる。


フィルムの向こう側
それにしても何故これ程までに流行歌は郷愁を誘うのだろうか。
歌謡曲にあるほろ苦さはどういう音楽の力によるのだろう。

若いときにしか分からない切なさがある。
年を取ってみなければ感じない郷愁がある。

音楽はそれぞれの人に違うものを奏でる。
流行歌は聞く人に違う景色を見せている。

歌は時代を切り取り空、海、春、星を描く。
空気、色、景色、思い出を記憶の隅から映し出す。

ある時代の言葉が歌として声を震わす。
それはある者には街の景色を見せ、
ある者には海の景色を見させ、
また別のある者には帰るべき人の姿を見せる。

そしてその声が消えた時、
誰もがそこにあったものが何かを忘れてしまう。


シンデレラ城への長い道のり
音楽は世界を救いはしない。
人々を孤独にさせてゆく。

イヤホンで世界と隔離し孤独な音の部屋に閉じ込める。
そこで人は何かを忘れ音楽に揺られている。

音楽と対面しているとき僕達は何を見ているのだろうか。
郷愁とは失ってしまった記憶だろうか。
切なさとはこれから来るはずの透明な予感だろうか。

その悲しみは彼女の声と共にやってくる。
その声は彼女の心だと思う。

懐かしいその声はどこかで聞いた誰かの声だ。
子供のようでいて母のようでいて
恋人のようでいて友人のようである。

彼女の声に心を見たのは自分だろう。
それは自分の心に届いた彼女の姿であり
自分の心が描いた彼女の姿でもある。

彼女の足取りは未来へと続く。
音楽は未来に向かってしか流れない。
懐かしさに佇んでいる人を歌は未来へと押し流してゆく。


うつむきかげん
歌を聞けば彼女の体のラインから
その肌の色までが見えてくるような気がする。

そういう実体感というものがあって
これが幻覚であったとしても
この生々しいさはどうだろう。

こういう想像力を喚起するのが彼女の声の魅力だ。
他の何も必要としない彼女の力だ。

声が全ての存在のような歌手だ。
音階に乗せた声だけで他は何もいらない。


リバイバル・シネマに気をつけて
彼女は女ではある。
だが恋や愛などは苦手だろう。
実生活での話をしているのではない。

彼女の歌に恋や愛の表現はどこにもない。
あるのは歌詞にだけであってそういう表現ではない。

彼女が好きという言葉を言うとき
それはエロスよりもアガペーやフィリアに近い。

女としての色恋の感情よりも自然を描写する艶めかしさを感じる。
女の感情よりも女性の心という方により近い。


砂に埋めたSECRET
歌を一つの形にするために多くの人が携わっている。
彼女の声を取り巻く幾つもの楽器やコーラス。

それらを編曲した萩田光雄について僕は詳しく知らない。
それでも彼がこれらの歌の魅力を構築する中心にいた事は間違いない。

幾人もの作詞家や作曲家、演奏者に支えられた上に彼女の声が乗る。
それらは彼女の声を支える舞台装置のように存在する。

この編曲家についてはもっと語られるべきだが
それが奏でる音楽の彩りと心地よさや世界観その上に彼女の声が乗る。

それが一つの歌謡曲として僕の耳に届く。
僕の耳はその楽曲の上で流れる彼女の声から何かを受け取っている。

彼女の声だけではこれほどまでにこの歌を好きにならなかった。
それは間違いないことだ。


すみれになったメモリー
あの頃これらの歌を聞いていた僕は
そこに何かを見ていた。

あの頃に見ていたものが
今も僕の手には入らぬままでいるのか。
だから今でもこの歌を聞いているのか。

僕の心を打ったそれは何であったのか。
この曲を聴く以外の手段で僕はそれを手にすることができるのか。

僕はこれらの曲を聞きながら
手にしたいものがあったはずだ。

音楽で見つけたものを
他の場所でも手に入れようとしたはずだ。

興奮や恋心は音楽だけが表現できるのではない。
だが、未だにこれらの曲の上以外では見つけられないでいる。

この郷愁や懐かしさ嬉しさというものは
音楽以外のどこにもなかったのではないか。

そうだ、音楽を聴きながら欲しいと思っていたものは
その当時から今に至るまで一度として手に入ることはなかった。

音楽は奏でられ人を誘い
そして消えて行ってしまった。
残酷なままに。

音楽でしか手に入らない世界が存在するのか。


White Wall
消えて行ってしまったものの先に何かがあったか。
その先に行ってみてもまた過ぎ去っていく。
ずっと手に入らない何かが奏でられては消えてゆく。

聞こえていた声は今も変わらない。
僕は変わっていないという幻想を抱えたまま
あの日が蘇る。

あれはいつの日の川だったか、海だったか。
空の星だったか。

そう変わらない。
この空を覆う雲が流れて行ってしまっても。
空が空であり続けるように。

波が一つとして同じ形をしていなくとも
海が海であり続けるように。

音楽は昔も今も同じ音を繰り返しながら
今も僕の掌からこぼれ落ちてゆく。

それでも少しだけ立ち止まって
後ろを振り返るようにこの曲が流れている。


曲がり角蜃気楼
声は魂となって通り過ぎてゆく。
肉体をどこかに置いてしまったまま。

南野陽子という少女が
歌を失って既に久しい。

きっと彼女も掌からこぼれた何かを見つけようとしたのだろう。
彼女は歌は失ったかもしれぬが
その声までも失ったわけではないだろう。

場末のような劇場でその声が響く。
その声の響きはきっとシナリオとも演出とも関係なく
彼女の存在そのものを乗せて届いているはずだ。

曲がり角で彼女は新しい道を決めた。
後ろを振り返ることもなく。
僕達に幾つかの歌を残していって。


思いのままに
見た事もない風景を見せてくれる。
それは記憶の中に残る風景を原画にして
新しいキャンバスに描き出されているようだ。

春景色や砂浜の匂い。
図書館の薄明かり、雨の降る歩道。
これらから感じる懐かしさというものがある。

だがそういう空想は弱いものだ。
意味のない音そのものに感じる彼女の存在のほうがずっと強い。
その風景の中に彼女の姿がなければなんの価値があるだろう。

この歌にある悲しみは少女ではいられない未来図だ。
歌はそのままの姿で残るのに歌う本人は未来へと押し流されてゆく。

恐らくこの懐かしさに初恋は無関係ではいられない。
懐かしさとは遠くに過ぎた初恋を思い出そうとしているのかも知れない。

僕は何か大切なことを思い出そうとしているのかも知れない。
だがそれは思い出すには余りに遠い。

こぼれて行ったものは初恋であるとか美しい女性の姿であるとか
忘れていた手紙、記憶を呼び返す心に生み出された風景。
記憶とは常に今作られているのだという事を知る。

僕はこの懐かしさとは決別の事だと思う。
今を生きるから思い出が生まれる。
それはまさに音楽が今ここで流れているという事に等しい。

初恋の水の流るる面影はここにありて遠きにもあり


星降る夜のシンフォニー
まるで小説や詩のような響きを持つ曲がある。

恋でもなく愛でもなく、ましてや人でもなく、
ただ女の声が流れる。

慈しむでもなく憐れむでもなく、ましてや思いやるわけでもなく
ただ満天の星のような景色がその声の向こうに見える。

意味があるわけでも言葉になるわけでもなく、ましてや感動があるわけでもなく
ただ発せられた調べに合わせた女の声が聞こえてくる。

何故だろう、
この曲から夜空の星空が見えるのは。
その星を見る少女が歌うのが見えるのは。

何故だろう、
この歌が遠い過去にあった星の姿には見えず
星達が遠い未来に向けて発したメッセージに聞こえるのは。

何故だろう、
この曲が僕に与えてくれるものは
力強く輝く星が光る今まで見た事のない空であるとは。

2011年11月15日火曜日

ふりつもる深雪にたへていろかへぬ松ぞをゝしき人もかくあれ - 昭和天皇

四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ

明治天皇が歌われたその海が突然に浜に押し寄せ辺り一面を流し去った。

そこには何もない。

多くの町を車を家をそして人を流し去った。

原子炉の水さえも奪い去っていった。

雪の降る日であった。

そして、この歌がある。

ふりつもる深雪にたへていろかへぬ松ぞをゝしき人もかくあれ

まるで津波の後に残ったたった一本の松のようではないか。

これからまた冬が来る。

雪の中に松が立っている姿を多くの人が目にするだろう。

これから冬を迎えるにあたって雪の降る前にこの歌を思い出した。

この歌が歌われた日から半世紀も経ち、

それでもこの歌は昨日歌われたかのように感じられる。

降り積もる真っ白にぞ陽の光りさし松の青葉に雪解けの水

今年の冬も雪は降るだろう。

昭和天皇、昭和21年歌会始御製

2011年10月27日木曜日

倭は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし - 倭建命

古事記の伝える所によれば、これは倭建命が亡くなる前に自分の故郷を思い詠まれた歌(思国歌)という事です。

倭(やまと)はもともと今の奈良あたりを指す言葉だったようです。その後に勢力が拡大するに従い「やまと」が指す地域は拡大していきました。その勢力を拡大する立役者の一人である倭建命が奈良という地域を指す言葉として使ったのか、それとも自分たちが拡大している国の名「やまと」を指してこの言葉を使ったのか面白い所です。

「まほろば」という言葉の響きには「まぼろし」という言葉に似ているためか望郷の感があります。実際の意味は「素晴らしい場所」となっていますが、やまとはまぼろしのように素晴らしい国、くらいのニュアンスの方が古典に馴染みのない自分にはしっくりときます。

「たたなづく」というのは「幾重にも重なっている」の意味ですが、「たた」と連続する音や、「づく」から「続く」という語感を感じれば「連なる」という感じがしてきます。

「青垣」は四方を山が取り囲んだ感じが垣(根)のよう見えることを連想したものであり、昔は緑を青と呼んでいた事を知ればなんとなくわかります。しかし、今の私達には「青」という色は山の緑よりも空の青さのイメージが親しくなっています。

ですから、「青垣」という言葉には、周りを取り囲んだ山の連なりと、その背景にある青空という感じがしてきます。入道雲が立ち込める夏の日のイメージもあるし、初夏の青々とした山、からっとした空、という感じもあります。

「山ごもれる」は「隠れる」という字を当てるようですが、この意味は僕には良く分かりません。意味は分かりませんが、前の句から続ければ、山を身近に迫る感じを受けます。

四方を山に囲まれているということで歌は奈良を歌ったものとする解釈ですが、日本においては殆どの地域は山に囲まれているものです。

彼が最後に見た風景にもまた山があったろうと思うのです。

夕暮れでしょうか、山にかかる夕陽、草を揺らす風、揺れていたのは薄であったかも知れません。

そうであれば奈良の歌と特定する必要はどこにもないでしょう。


やまとしうるはし。「やまと」の後に続く「し」は、強調の意味なのでしょうが、「大和路」と当て字にすることもできるでしょう。

やまとへの路はうるはし。なんとなくですが「麗しい」とは違う感じがあります。うるはしには、清涼な感じのする、清々しさ、の語感があります。

どちらかと言えば、「うるはし」には涙のような感じさえあるでしょう。自分が最後に見ているだろう風景から故郷の風景を思い浮かべ国の行く末を案じているのかも知れません。

この「うるはし」は、涙が滲ませている風景、と感じてもいいと思います。「うるうるする」と似た語感を「うるはし」には感じてもいいのではないでしょうか。

すると、この歌は以下のようになります。


私がいるこの国の未来が今やまぼろしを見るかのようにはっきりと感じられる。

青々とした山々、青い空、美しい所。

あの山々よ、私の故郷よ、

この道の先にあるはずの私の懐かしきやまと。


それぞれの人がそれぞれのやまとをまほろばとする。

それを願い倭建命は亡くなったのかもしれません。

今からおよそ1900年前に。

夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

まさか、彼もこんな勝手な解釈をされるなど思ってもみなかったでしょうね。


この国を まほろばと呼びし きみのすえ うるわしやまと ねがいしきみなり

2011年10月5日水曜日

曰未知生焉知死 - 孔子

巻六先進第十一之一二
季路問事鬼神 (季路[きろ]、鬼神につかえんことを問う)
子曰未能事人 (子曰わく、未だ人につかうること能わず)
焉能事鬼 (焉んぞ能く鬼につかえん)
曰敢問死 (曰わく、敢えて死を問う)
曰未知生 (曰わく、未だ生を知らず)
焉知死 (焉んぞ死を知らん)

僕たちの死生観にこの言葉は強く影響している。

しかしこの言葉は死生観を語るでもなくただ分からないと述べるに過ぎない。なのに僕たちの死生観の基本的な部分になってしまっているように思われる。

ここでは死は恐怖や忌避する対象ではなく、ただ知らぬものでしかない。それどころか死についての問いに生の問いが返る。この言葉によって死は一瞬にして目の前から消え去る。

生きているものは死をどう受け止めるだろうか。それは小さな命から自分に至るまで地球上の生物がみなあらがえぬ生を紡ぐもの全ての行き先にある一つの落とし穴だ。

世界を見渡せば虫たちはその穴に気付くことなく飛んでいる。その行く先を知らずに火に入る如し飛ぶ虫は悲しい。だがそれで人間が悲しくないという事にはならない。

荘氏斉物論
不知 (知らず)
周之夢為胡蝶与 (周の夢に胡蝶と為れるか)
胡蝶之夢為周与 (胡蝶の夢に周と為れるかを)

どの生き物も死を避けるのは自然だ。捕食者から狩人から自然の偶然から。そこでは生が死の状況と対決する。命のぶつかり合いが燃焼する。

それでもいつの日にか命は死から逃れられない。それは生と死の対立でさえない。命はその順番を待っている。

死はその先で落ちてみるまで分からない。死は生きる延長に訪れる。

いつか必ず訪れるのであれば、問えども問わずとも何も変わらない。それでも敢えて問う季路の気持ちを想像してみる。

鬼への問いが人に帰結したのなら、人の死という出来事ではどうであろうか。

鬼であれ、死であれ人の外の世界については語らぬ。それに至る道は人のあり方にしかない、と孔子は答える。その言葉は常に今と未来を指し示す。

この大震災が大事故が死生観を形作る。
畢竟其死生観也、唯一其決美感也

僕たちには、美意識以外の何もない。

死生観とは死に方を決めるものではない。それは生き方を決めるものだ。未だ知らぬ死が生を侵させぬようにするためのものだ。

生きることさえ分からぬその先に死があるとして、それについて思い煩っても仕方がない、と言っているのではない。

その先にある死について考えるには生きる事についての考えが足らぬと言っているのだ。死について分かった気になって生きることを決めても仕方がない。生きる事が分かれば死が分かるとは言っていない。

生きる事さえ分からぬ自分に、死について答えることは出来ない、と言う。では生きる事が分かれば死についても分かるというのか。それについて孔子は一言も語ってはおらぬ。

それでも生を知らぬものが何故死を知りえようかと言われ、納得する自分がいる。

そこにある謎は答えを得る事にあるのではなく、その答えを探している点にある。分からぬものを分からぬままにしておけないと謎を探す神話が確かあった。それは太古の冒険譚、叙事詩、神話、形ある物語として語り継がれている。

死とはそれが訪れる瞬間まで生あるものの謎であろう。それが分かるとは限らぬが、それが存在しないわけではない。探してはみるが答えが見つかるとは限らない。

巻二里仁第四之八
子曰 (子曰く)
朝聞道 (朝に道を聞かば)
夕死可矣 (夕に死すとも可なり)

あしたを誕生と例えれば、ゆうべは人生の終わりだ。生れて、死ぬ、その間に人の道を聞くことが出来たなら十分だ、と解する。

そしてなぜここに"聞く"とあるのか、道とは聞くものではなく、見つけるべきものではないか、実行すべきものではないか。まさしく、聞くことなど出来ぬ事を彼はよく知っていたのだ。

多くの神話において、物語において、宗教において死は重要なテーマである。しかし、それでも死を問いかけるものなど一つもない。死は常に生に対する一つの出来事であった。

これは概念でも思想でもない。死を受け入れるとは正しく考えようとする心の働きそのものではないか。神を畏れ、死を恐れるのも心であれば、それについて考えるのも心だろう。

20世紀になって心と脳の関係に迷いを感じ出したこの星の小さな知性は利己的な遺伝子の乗り物に過ぎないこの体と、精巧に進化した脳が作りあげた働きとしての心という抽象的な概念に翻弄されている。自ら作り上げた砂上の楼閣に埋もれて息が出来ないかのようだ。

遺伝子の機械に過ぎない個人に於いて、心はただの化学反応に過ぎぬ。それはそうであろう、心を生み出したメカニズムは有機体の化学反応だ。あなたが自分自身と感じるその心は蛋白質の固まりに過ぎない。

我々が所詮はただの化学反応に過ぎないとは近来の考え方だが昔の人もまた、所詮はむくろに過ぎないと感じていたはずだ。太古の人の死生観が未だに色褪せないのは同じ事を感じているからだ。

我々の体が元素で構成されている以上、心もまたその構成された何かであるというのは疑いようがない。

ある化学反応が涙を流させたという事について、心がどのように働きそれを受け止めるたのかを将来は化学式で表記できるかも知れぬ。

涙は化学反応の結果に過ぎぬ。その反応はなんらかの刺激が起こしたに違いない。ならば刺激に対して涙を流す回路が我々の中にあるのは間違いない。

それは、違いない。

我々はそうなるように作られている。そう作られたことは何かの悲劇であるか。

人生とは快楽という餌を食わされるだけの家畜に過ぎぬ、心は餌を旨いと感じる脳の幻想に過ぎぬ。それでも、遺伝子であれ、脳であれ、死を前にして自分を救い出せるものは心の働きだけではないか。

死も知らぬ、生も知らぬ、そう呟く心の動きに、遺伝子の道具であろうが、幻想に過ぎぬ人生であろうが、私達の心の働きだけは、それを受け止める働きを持っている。

死を知らぬ、と答えたのではない、生きることさえ分からぬ、と語ったのだ。

そこにあるのは、死というものは人が行き着く先ではない、という明確な意思だ。

死を知ることは生きることを知ることにはならぬ、しかしもし生を知ることが出来れば、死を知ることは出来るかも知れぬ。ただ、我々は生を知ることさえ叶わぬ。

自分自身の中にある化学反応を知ることは、生きることを知ることにはならぬ。もしあらゆる知識で人間を人工的に作ったとして、それで人間を知ったことになるだろうか。

それなら既に地球がやっている。答えを地球が知っているであろうか。答えてくれるだろうか。

僕たちがどういう風に作られているか、どういう反応をしているか、たった一つのパンさえ意識して消化し吸収し体に配分する事も出来ないこの体だ。なのになぜ脳の化学反応が心の構造である事を特別な思いで感じ入ってしまうのだろう。

僕は今日の食事の美味しい理由さえ知らないでいるのに。

食べ物を消化して吸収して排出する働きは心の働きよりも原始的なものだと思っていやしまいか。心にメカニズムがあることは、食事にもメカニズムがあるのとまったく同じ事だ。どのようなメカニズムで動いているかと、それがどのように働くかは別の話しではないか。

メカニズムは構造だが働きには実際にそこに流れているデータがある。構造を知る事とどのようなデータが流れているかは関連する話だが、その二つには何の繋がりもない。

構造を知ることは構造を模倣したり修理するにしか役に立たない。データがどう働くかは構造からは推測しかできない。つまりデータが生み出すものを我々は目にするまで知ることはない。

データが主体になったとき、その関係性、多様性、影響、組み合わせ、順序、この複雑さと比べればメカニズムはあまりにも単純だ。構造は一つで足りるかも知れぬが、データは莫大だ。

誰もがほとんど違わない構造にありながら、人を見よ、なぜこうも違うことを考え、想い、決断しているか。なんとも多くの生き方と人生があるではないか。

我々は心の構造の単純さで、メカニズムによって、働きも同じように単純ではないか憂いているのだろう。だが、心の働きは自分自身にとって多様にも一様にもできる数少ないオプションではないか。

そうであればそれは豊かな文化を生み出す土壌でもあるし、同じようにこの世界を滅ぼすものであっても不思議はない。生も死も超えたところにある心の動きというものは、僕たちが引き受けた一つの運命であろう。誰もそれに抗えない。

誰にもどうしようもないものばかりを身に背負って僕たちは生まれてきた。死もそのひとつに過ぎないが、生ばかりは、これと違う。

心は僕たち自身に親しいが、これこそが受け入れるべき運命そのものだ。心だけが抱えて生きてゆける唯一のものだ、その死の間際まで。

生きることだけが運命のただ一つの条件だ。運命とは予め決まっている道筋などでは断じてない、死ぬ運命など三文芝居のセンチメンタルに過ぎぬ。

生きる事だけが運命であり、それはいつかどこかで途切れてしまう。それを心は運命と自分自身に語りかけるが、それは心が死を一切受け入れぬ働きに過ぎぬ。

死が訪れる瞬間も心は生きようとする。それは死の瞬間まで体が生きようとするのと同じだ。心も体も死を知らぬ、何故なら生きたまま死を迎えるからだ。

もし死後の世界があるなら心は不死だろう、未知死というべきか。私、死んだの?なんてあの世で語れればいいがそれは生きている人間が言うセリフだ。

どう作られていようが、生きる事とは別の問題だ。例え自分が遺伝子の乗り物として作られていようとも、生きている間はこちらのものだ。

未だ生きることを知らぬ、何故死を知ろうか。

どちらも分かりゃしない、その上で足掻いてみないか。

2011年9月19日月曜日

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや - 親鸞

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。

しかるを世の人つねにいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、
あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。

善人においてさえ往生できるのだ、悪人に出来ないわけがない。

善人が往生するのは得心できる。
しかし悪人も往生するとは納得いかない。

いはんや悪人をや

まるで悪人こそ当然そうなると言っているようだ。
これを何度読んでもするりと得心できまい。
だからと言って悪人になろうと発起するわけでもない。

いや善人こそが往生する、ならば悪人である必要はない。

自分はたぶん善人だよな、悪人というほどじゃあるまい。
どっちかにしろってなら善人だろ、なら往生する組だ。

これが一応の感想なるものだろう。

だから、その意味する所に思い至れない。

自分を善人と捉えるものは、この言葉には納得がいかない。

では悪人ならばどうか。
救っていただけるのであればありがたい。
でもどうして救っていただけるのです。

そう問い返すしかできないだろう。

悪人においても、やはりこの意味する所が分からない。

往生とは何か。
それを仏の御心と仮定してみる。

すると往生するのは、善人や悪人という主体がするものではなく、
仏がそれを行うからそうなるのとわかる。

何故なら誰もどう往生するかは分かっていない。
よってどちらであれ従うしかないはずである。
何に従うかと言えば、それは仏にであって、ただ仏がその御心で決めたものに従う。

往生する主体は善人や悪人であっても往生というものは我々の手の内にはない。

さすれば、こうなる。

善人なほもて仏により往生をとぐ、いはんや仏において悪人をや。

いはんや

この言葉は、悪人に係っているのではない。
仏に係っている言葉なのだ。

何故か。

仏は全ての人の救済を願っているに決まっているからだ。
善人だけを救うに仏などいらぬはずだ。

全ての人が等しく罪人であるように、全ての人もまた悪人とも言える。
いや、そういう解釈を取らぬとも、悪の道に染まり、仏の教えに背いたものを見捨てることを良しとしない。

私が生涯をかけて信じるにたる仏は悪人さえも往生させたいと願う存在である。
少なくとも、そうでない仏に心を惑わされる必要があるだろうか。

全てを救うと言われた以上それを信じる、他力、本願であろうが、仏様の前では全てが詳らかなはずだ。

善人でさえ救いたいと願う仏様であります、何故に仏様が悪人をほっておかれるでありましょうか。

2011年9月7日水曜日

閑さや岩にしみ入る蝉の声 - 松尾芭蕉

しずけさや岩にしみ入る蝉の声

参道を登りきり木々に囲まれたひっそりとした木陰の中を歩く。手水舎に流れる水は透明でせせらぎは穏やかだ。静けさが人を襲う。

ただ静かであり、蝉の鳴く声だけが聞こえてくる。その音は切り裂くように人を通り抜け林の中に消えてゆく。

蝉が鳴けばうるさく感じるものだ。だが、静けさと蝉の音は矛盾しない。

何故それは矛盾しないのか。

境内にはとても遠き昔からそこにあったかのような岩がある。この岩に染み入るのは果たして蝉の声なのか。岩に染み込んでいるのは私自身の心ではないだろうか。

私が岩に染み込んでみれば、私の心には蝉の声はすれども、岩のように静かな心持ちでいる。

遠い昔から蝉の声を聞いていて今日も聞いている。明日もその次の日も聞き秋の初めまで鳴き続けるだろう。この蝉たちも夏の終わりにはどこかに消えてゆく。

そんな彼らの鳴き声は次第に音としては消えてゆき、鳴き声として響くだけになる。風が吹き抜けるように蝉の声が周りの木々を揺らす。

私は岩と同じようにただ静かにここにる。

その心持ちを静けさ、と呼ぶ。

参拝に向かえば風が吹く。汗ばんだ顔をひんやりとし木々の匂いが立つ。私は参拝し何を拝もうとしているのだろうか。

この静かな心持ちをありのままの姿であれば良いような気がする。

蝉の鳴く林に消えてゆく落つる汗

2011年8月29日月曜日

巧言令色鮮矣仁 - 孔子

巻一学而第一之三
巧言令色鮮矣仁(巧言令色、鮮なし仁)

不思議な言葉である。鮮なし仁とは、ほとんどない、少ないと訳される。

言葉を巧みに操り人の顔色を見て行動する人のほとんどには仁がない。

つまり太鼓持ちなどろくな奴じゃねぇと言っているわけだ。

これはおべんちゃらを使って出世する人を見ての一言のように思われる。

自分と比べて口のうまい奴がどんどんと取り立てられる。それをみて、そういう奴のほとんどには仁がないよ、と嘆息されたのだ。

つまりは、負け惜しみだ。

それでもこの言葉で大切なのは、鮮矣という所だ。

仁がないのではない、仁が少ない、または、たまには仁を持っている人がいる、そういう意味なのだ。

仁がない、と言い切れない所が面白いのであって、巧言令色であっても仁を持つ人もいるだろう。または巧言令色であっても少しばかしの仁は持っているものだ。

仁が有りや無しやの二つに一つなのか、量として多い少ないものかによって、ここの解釈は微妙に変わったりするのだが、ここはあまり重要な話ではない。

仁という言葉を使ってはいるが、要は憎まれ口なので、ろくでもない奴くらいの意味で十分。

巧言令色、なんら卑下することはない。

(訳)
嫌な事があって、お前みたいに巧言で令色なだけで出世した奴なんかにゃ仁なんてねぇーんだよ。そうは言ってみたものの、いや待てよ、そうとは限らんな、なかには仁があるやつもいるかも知んない。少なし仁。

そんな孔子の思いが溢れ出てくるような、そんな言葉ではありませんか。

2011年8月24日水曜日

有朋自遠方来 - 孔子

巻一学而第一之一
子曰 (子曰く)
学而時習之 (学びて時にこれを習う)
不亦説乎 (またよろこばしからずや)
有朋自遠方来 (朋あり遠方より来る)
不亦楽乎 (亦楽しからずや)
人不知而不慍 (人知らずしていきどおらず)
不亦君子乎 (亦君子ならずや)

(訳)
既に学んでいて知っているつもりのものが、
ある日、はっとして新しい意味が分かったりして、
もう一度それについて深く学べたと知る事は嬉しくないかい。

古い書物を読んでいて、本の中の人が昔からの友達のように感じられて、
彼らと会話を交わすことは楽しいことなんだよ。

そういう経験があるので、誰も認めてくれなくても
私はちっとも寂しくなんかないやい。

2011年7月22日金曜日

四十而不惑 - 孔子

巻一爲政第二之四
子曰吾十有五而志于学 (子曰くわれ十有五にして学に志す)
三十而立 (三十にして立つ)
四十而不惑 (四十にして惑わず)
五十而知天命 (五十にして天命を知る)
六十而耳順 (六十にして耳に順う)
七十而従心所欲 (七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず)
不踰矩

不惑とは迷いがないという意味に用いられる。
40才にもなれば分別を持つようになった、
迷いなく決断できるようになったという解釈である。

もうフラフラとはしないよ、
40にもなれば自分の進むべき道を決心した。
という解釈でも悪くない。
この場合は決心した事に重きを置き、迷いがない事の比喩にはしない。

さて、これは天命を知る前に惑わなくなった人の言葉である。
孔子が不惑という時、それはまだ天命知る前であった。
これは不惑を迷わないと言うよりも大切な事のように思われる。

僕たちが自分の年を不惑と自嘲する時、そこには幾ばくかの真実が誰の心にも生れているように思われる。

不惑と言うその心の動きは自然と理想像を結ぶ。
心に浮かぶ理想とする存在が、それを君子と名付けるならば其れもありなん。

しかし、それと比較してみるだけが心の動きではないだろう。
自分が不惑となった時、それなりの経験を積んで生きてきた、
それでも不惑なぞ分からない、という思いがある。

この分からなさこそが重要だ。

年を経らないと分からない事がある。
それは、実際にその年になってみないと分からない事だ。
若い時には決して分からぬ事だ、知る必要もない。

人にはいろいろな成長の仕方がある。
飛行機に例えるならば、それは高度を上げることだ。

若いときに高く高く上昇したその先でグライダーのように滑空する、
その高度を維持したまま水平飛行をする、
ロケットのように更に上昇を続ける。
それは人それぞれだ。

誰もかれもがロケットであろうはずもないし、それが大切な事ではない。
自分がどのタイプに成りたいかよりも、
どのように飛ぶかを知っておくのに40はそう悪い頃ではない。

色々な生き方があって、他の飛行機に目をやり、色々と感じる事もある。

不惑、というのは、そうやって、他の人の飛び方を眺める事ができる頃かも知れない。
そして、自分の飛び方と人の飛び方を比べて、自分の飛び方に惑う事もなくなった。

迷いが無くなった、と言っているのではない。
不惑とはそれを受け入れる事ができるようになった、というに過ぎぬ。
そして、それはその年になるまでは分からないという事だ。

孔子は、40になれば不惑となる、と言ったのではない。
40になるまでは、不惑というものに気づけなかったなぁ、と言っているのではないか。

それだけの年を経なければ見えてこないものがある、という告白ではないか。

40になる前にもっと若くして逝ってしまった命がある。
彼は不惑というものを知らずに逝ってしまった。

だとしても生きている私もまた40では天命を知らぬ。
人には生きている限りは見えないものがある。

不惑、命とは年を経るという事で分からぬことだらけだ、それに惑わず、それで十分ではないか。

2011年7月18日月曜日

コクリコ坂から - 高橋千鶴・佐山哲郎 / 宮崎駿・宮崎吾朗

この漫画は津和野にある町から外れた山奥の古い家で読んだ。100年を超えそうな煤まみれの大黒柱と煤けた天井を見上げながら読んだ。

コンクリートで出来た学校に通う学生だった。その風景からどれだけの時間が過ぎ去っていただろう。

ある日、再販されている本書を見つけた時は驚いた。この漫画が再販されるとは思ってもいなかったしその理由も分からなかった。
それでもそんな世間の都合など関係なく再会とは嬉しいものだ。久しぶりに読んだ「コクリコ坂から」は、面白さも少しも失われてはいなかった。僕にはそのように感じられた。

あの日のまま人物は今も生きている、悩み、明るく、そして生き生きとしている。

原作の再販が映画の宣伝であったと気付くのはそれから暫く経ってからだ。


ある日見たそのポスターには似ても似つかぬ海の姿があった。それが誰の手になるものかはなるほど見当はつく。

そうではあるが、このポスターには初めて見るかのような違和感があった。魅力あふれる絵であるが、これまで見た彼の絵となるほど違う感じがする。

こういう絵を書く人だったけ。青の時代、というべき印象のこの絵にはちょっと馴染みがなく新しい。


僕はこの何より企画書を読んだときに腹が立った。自分の大切なマンガを不発だの失敗作呼ばわりされたからだが何に怒りを感じたか本当の所、僕には分かっていない。

1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である

結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。

彼は、オリジナリティ溢れる作家だが原作付きの作品も多い。だが、それは発想を得た事に対する感謝としての原作であって原作を映画化する気などさらさらとありゃしない。

しかし、それでもこの企画書には、なんと陳腐で手垢に汚れ、他人の書で自分を語る如きの愚か。なんという世俗的で、商業主義で、自分の世代を語るためだけのノスタルジアか。怒りに任せて悪態をつくのなら何とでも書けるものだ。

無機的なコンクリート校舎が既にいくらでもあった時代だが、絵を描くにはつまらない。

そうだ、僕は、この企画書に、僕達の時代を踏みにじる土足のようなものを感じたのだ。そのつまらない校舎で育った僕達がここに居る。

ここには青春などない、断じて。老人がただ、昔を懐かしむ、埃の積もった本棚に見つけた古く汚れた文庫を手にし、懐かしさを覚え、そして、幾ばくかの想像力を掻き立てられただけではないか。

思い出語り、たぶん、それ以上の域を出ない。

この漫画にあるのはどこにでもあるその時代、時代の青春だ。大人の世情など関係なく、世の中に敏感で、多感で、将来を憂え、それでも女の子を大事にしたいと願う、普通の青春だ。

そして、青春などくだらない、つまらない、興味もない。青春の中にある人は、本気でそう思っている、そういう漫画ではなかったか。

明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。

彼は知らないのか、全ての高校生は大衆を蔑視している。多感な高校生の頃に周りの大人が全てアホに見えないようでどうするのだ。その程度の知性でどうやって将来を生きて行けようか。中学、高校生とはそういう時期だ。

社会に出るとは、そこから理由を見つけてゆく道程に他ならない。

脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。

脇役がギャグのための引き立て役に見えるのか、マンネリズムは漫画の王道ではないのか。自分の見たい物を見、自分の聞きたいセリフを聞きたいだけではないか。商業的な成功が作品の成功とは言ってはいけない。この作品は一つの完結をきちんと結んでいる。

失敗作と言われるが、この漫画には何かを人の心に残す力がある。30年も経ってからアニメ映画になるほどの力がある。少なくともこの漫画が忘れられずに映画にした程の人がひとりいるのだ。

そうだ、無機的なコンクリートでは詰まらないかも知れない。だが、そんな校舎に詰まった青春がどれほどのものか知っているか?きらきらと光るその風景を自分好みに書き換えて誰の青春だろうか

詰まらなく見えるコンクリート校舎であっても、いや、それでも映える、彼や彼女とはそういう風に見えるものだろう。

この映画の絵には、コクリコ坂の雰囲気は全くない。こうの史代の『この世界の片隅に』を描くのに近い。あのポスターを見たときの違和感は、この少女は「コクリコ坂」の海ではなく、すずにこそ近い。そう思ったのだった。


少女マンガは映画になり得るか。

これは心象風景は映画になるうるかという自問であろうか。

結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

なぜポスターの絵が海ではなくすずに見えてしまったのか。今これを書いていて、成程これは恋した女の子の顔の積もりだったのか、とふと勝手な合点がいった。

だが、彼に恋した少女の顔など描けたっけ。

まぁ描けやしまい。

恋愛を描きたいのなら「きりひと賛歌」でも原作として大人の恋愛にでも挑戦すればいいのに。其れで有ったとしても見ててご覧、絶対に恋愛映画にはならぬ。


1963年という年は何故だ。彼のノスタルジイか何かがそこにある。そこが分岐点と映った彼の何かがある。その後の時代を否定したい何かしらの苛立ちがある。

そこにあるのは、彼自身の秘密であって他者を寄せ付けるものではない。ただ僕たちは彼の秘密への彼自身の冒険をスクリーンの上で否応なく見ることになる。映画とは其れ程までに自分自身の秘密が投影されてしまうものだろうから。

果たして、宮崎吾朗監督は、この親父様の冒険をどう思い描いただろうか。

1980年をこの漫画と共に生きた世代は其れをどう思うだろう。僕が気に入らないのは、僕たちの時代を否定したかのような時代設定だ。

僕はそこは一歩も下がらずに立ち止まるべき場所と思われる。これは、思想や考え方の違いではない。自分が生きた時間の主張だ。

原作で変えてはならないものなど何もない。だが時間には時間の風景というものがある。1960年生まれと1940年生まれでは青春時代の風景が違う、空の色も、夕日の色も。例えそれらが写真に写せば同じであっても、それは違わねばならぬのだ。だが高橋千鶴の魅力的な少女はなんともどうでもいいジャガイモにされてしまった。

そうか、彼は1980年代の高校生を知らないのではないか。息子が生きた彼の高校時代をどういう目で見ていたのだろうか。その青春の風景には興味を持てなかったのだろうか。

何故、宮崎吾朗監督は自分の青春時代を親父に明け渡してしまったのか。これこそがこの作品の最大の争点たるテーマではないか。

世界で、宮崎駿と親子喧嘩できるのはたった二人しかいない。その幸運を特権を捨て去ってしまう理由が僕には分からない。お前が本気で駿と喧嘩する気なら、俺はお前の側につく。

だが・・・


彼の眼に映るもの、会社を辞めて帰ってきたと家族に語ったのは高校生の頃か。それからコナンに注力しナウシカを書き始める頃に出会ったであろう「コクリコ坂から」は、彼にどのような景色を残したのだろう。

其々に其々の違った風景を残す、それが少女マンガというものかも知れない。

「コクリコ坂から」は、宮崎駿の旅かもしれない。それは彼の幻想であろう、詰まり彼の時代の心象風景であろう。

彼は未だ、何のマンガも(小説も)映画としたことはない。全てがオリジナルに過ぎない。

原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
マンガ的に展開する必要はない。

原作者にも漫画家の手にも余った作品かも知れない。だが自分なら上手くできると思う辺りが少年漫画の主人公のようで如何にもカッコよいではないか。

手塚治虫が宮崎駿という駿才の決別を受けたように、彼もまた決別される立場にある。

これは先輩から聞いた話ですが、『西遊記』の制作に手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。

作者は作品の全てに理由を必要とするか、自分の感情を信じてそれを発表する。自分の嗜好を嘔吐するのに理由がいる人もいる、いらない人もいる。それは社会の中でやはり嗜好として先ずは受け入れられる。

このお別れの理由は、良くわかる気がする。理由もなく殺す事に明らかに唖然としている、その気持ちは分かる気がする。

だが、手塚治虫の気持ちもわかる、理由など分からない、だが、僕の感情はこちらがよいと主張している、そういう自分の無意識下までを含めての作品の創作というのも分からないではない。

歳を経ると理由付けだけでは選べない事も出てくるものだ。つまり、嗜好というのが個人的理由に過ぎぬとも大きな顔をし始める。その事が悪いのではなく、自分の好みというのは個人的な事柄に過ぎぬ。

僕にはこの企画書が、彼を乗り越えねばならぬ、と決意するに十分な理由を持っていると思う。その高く聳える山であろうとも、トライすべき相手であることを示している。これは、彼からの挑戦状であると同時に、彼自身だ。長い間、作品を生み続けた彼の想いが詰まっている。それを全て読み取るのはおそらく無理だ。彼にしか分からぬ思いが、幾つもの文章に、そして行間に詰まっている。

それを全て理解し和解するなど無理だ、それではただの劣化コピーだ。

だから、これは彼にトライし踏破するための道標だと、そう信じておく方がいい。きっと、あなたも彼と同じ歳になった頃には、これと似たような文章を書いている。そして若者から誤解され、同じように挑まれるに違いない。

先の時代が偉大であるという理由だけで自分たちの時間を踏みつぶさせては堪らない。誰にも変えようも譲れようもない時間というものがある。

挑むとは戦う、だけではない、彼のように、また、「お別れできる」と思う事、一つの区切りをつけることもそうだ。どちらでもいい。

「信じられるかい、手塚治虫は60歳で逝ったんだぜ。」


企画のための覚書 「コクリコ坂から」について
「港の見える丘」 企画 宮崎駿

1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)。高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したともいえるだろう。
結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。
少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。
今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。
「コクリコ坂から」は、人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。
「となりのトトロ」は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である。今日からは57年前の世界となる。
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。
新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
女系家族の長女である主人公の海(うみ)は高校二年、父を海で亡くし仕事を持つ母親をたすけて、下宿人もふくめ6人の大世帯の面倒を見ている。対する少年達は新聞部の部長と生徒会の会長。ふたりは世間と大人に対して油断ならない身がまえをしている。ちょっと不良っぽくふるまい、海に素直なアプローチなんぞしない。硬派なのである。
原作は、かけマージャンの後始末とか、生徒手帖が担保とか、雑誌の枠ギリギリに話を現代っぽくしようとしているが、そんな無理は映画ですることはない。筋は変更可能である。学園紛争についても、火つけ役になってしまった自分達の責任を各々がはっきりケジメをつける。熱狂して暴走することはしない。何故なら彼等には、各々他人には言わない目標があり、その事において真摯だからである。
少年達が遠くを見つめているように、海もまた帰らぬ父を待って遠い水平線を見つめている。
横浜港を見下ろす丘の上の、古い屋敷の庭に毎日信号旗をあげつづけている海。
「U・W」旗――(安全な航行を祈る)である。
丘の下をよく通るタグボートのマストに返礼の旗があがる。忙しい一日が始まる朝の日課のようになっている。
ある朝、タグボートからちがう信号が上る。
「UWMER」そして返礼のペナント一旒(いちりゅう)。誰か自分の名前を知っている人が、あのタグボートに乗っている。MERはメール、フランス語で海のことである。海はおどろくが、たちまち朝の家事の大さわぎにまき込まれていく。
父の操るタグボートに便乗していた少年は、海が毎日、信号旗をあげていることを知っていた。
(ちょっとダブりますが)
舞台は、いまは姿を消した三島型の貨物船や、漁船、はしけ、ひき船が往来する海を見下ろす丘の上、まだ開発の手はのびていない。祖父の代まで病院だった建物に、和間の居住部分がくっついている。学校も一考を要する。無機的なコンクリート校舎が既にいくらでもあった時代だが、絵を描くにはつまらない。登校路は、まだ舗装されていない道も残り、オート三輪やらひっかしいだトラックが砂埃(すなぼこり)をあげている。が、ひとたび町へおりると、工事だらけの道路はひしめく車で渋滞し、木製の電柱やら無秩序な看板がひしめき、工場地帯のエントツからは盛大に黒煙、白煙、赤やらみどり(本当だった)の煙が吐き出されている。大公害時代の幕がきっておとされ、一方で細民窟が存在する猛烈な経済成長期にある。横浜の一隅を舞台にすることで下界の有様がふたりの直面する世間となる。その世界を俊と海が道行をする。そこが最後のクライマックスだ。
出生の秘密については、いかにもマンネリな安直なモチーフなので慎重なとりあつかいが必要である。いかにして秘密を知ったか、その時ふたりはどう反応するか。
ふたりはまっすぐに進む。心中もしない、恋もあきらめない。真実を知ろうと、ふたりは自分の脚でたしかめに行く。簡単ではない。そして戦争と戦後の混乱期の中で、ふたりの親達がどう出会い、愛し生きたかを知っていくのだ。昔の船乗り仲間や、特攻隊の戦友達も力になってくれるだろう。彼等は最大の敬意をふたりに払うだろう。
終章でふたりは父達の旧友の(俊の養父でもある)タグボートで帰途につく。海はその時はじめて、海の上から自分の住む古い洋館と、ひるがえる旗を見る。待ちつづけていた父と共に今こそ帰るのだ。そのかたわらにりりしい少年が立っている。



原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
マンガ的に展開する必要はない。あちこちに散りばめられたコミック風のオチも切りすてる。時間の流れ、空間の描写にリアリティーを(クソていねいという意味ではない)。脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。二枚目じゃなくていい。原作の生徒会会長なんか“ど”がつくマンネリだ。少女の学校友達にも存在感を。ひきたて役にしてはいけない。海の祖母も母も、下宿人達も、それぞれクセはあるが共感できる人々にしたい。
観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。

2011年7月10日日曜日

宇宙兄弟 - 小山宙哉

毎週の連載の中で、常に感動を提供するこの漫画には驚愕さえ憶える。どうやら感動というものは意識して作り出す事ができるらしい。

これは物語を生み出す事と同意の事だ。この感動の背後にあるものを見つめてみたい。

僕たちは、そこに作者の手練を見る事が出来るだろう。

それは宇宙へ行くのにも匹敵する冒険だ。

感動する。

この感動の正体とは何であろうか。感動の正体が分かろうはずもないがそこにメカニズムもテクニックも存在する。その上でこの感動が生み出すものと、生み出すもとの関係はどの様に成っているだろうか。

感動という心の動きをトレースした所で、そこには構図が生まれるだけだろう。その分析だけでは作者の秘密に迫ったとは言えない。

構成もセリフも計算尽くの上で、作者は分かり切ったその作業の上に、何かを積み上げているはずだからだ。

それでもその構図を見る事は作者の創作に迫る最初の足がかりにはなると思われる。その奥にあるものを見つめるために取り敢えず目の前の壁を登ってみるのは決して無駄とは思われない。

そしたらみんなの意識に宇宙が降りて来てもっと宇宙が近くなる(3,p.174)

みんなっジャンケンで決めようか(5,p.14)

我々天文学者には遥か遠くまで行く力はありませんが"遥か遠くを見る力"なら我々に勝るものはいません(12,p.143)

セリフが思い出させる、シーンを。その一つ一つのコマ割りは忘れても、あの空気のようなものが蘇る。

これらの言葉が感動の正体であり、其れと共に思い出されるシーンの力だ。そしてこれらは小さくとも困難と対峙し、それを乗り越えた瞬間の言葉だ。

なんという言葉の力であろうか。ここにあるのは、過去を手繰り寄せ、今を創造した瞬間の言葉であるように思われる。

この漫画の本質は、切り拓く、なのである。


毎週連載される商業誌では、小さな盛り上がりを繰り返しながら翌週へと続く。それは小さな波を繰り返しながら、より大きな波を作り出す作業だ。

一話一話に完了があり、これまでの読者を飽きさせない、その上でこれからの読者を逃さない、そういう話が繰り返されてゆく。

読者はこの流れに身を任すしかないのだが、いつも何か足りないパーツがあり、それを埋めるまでは目を離せない。

話しは複数のテーマが重なり時間軸に合わせて縦走する。この重厚さは、登場する人物の重なりと比例し、複数のキャラクターが作品内で成立していなければ取り得ない手法だ。

これらのstoryの中で、この話はどうなるのか、に翻弄され読者は自力で泳ぐ術を失う。波に飲み込まれるかのような力のまま、引きづり込まれる。

それは巨大な重力に捉えられ落下し続ける衛星にも似ている。そこでは、考えることも出来ずその落下に身を任せているかのようだ。

物語を追い駆けている時は、こうなればいいとか、こういう話もあるかなとか、これはおかしいよという様な矛盾が湧く事もなく、ただ身を任せるだけの状態にいる。

読み終わって、初めて思いのままに色々な感想が浮かぶ。この感想にこそ、感動に繋がる本道がある。

この流れの中に自分を携え、その成り行きをトレースする。その今起きている事に身を任せながらも、その目的は先ずは撃ち取る事にある。

まるで猟犬のように、獲物を追い駆けているのかも知れない。どこに逃げ込もうとも、追いつめて、必ず読み込んでやる、そういう感情に近いかも知れない。

作者は、哀れな逃げるだけの獲物だ。どれほどに逃げ切ろうとも、いずれハンターに撃たれる運命にある。
それでも、その逃げる途中で何度も痛い目に合わせる。裏切り、更に先を行き、スピードを上げる、そのくせ、待っていたりする。

良く出来た作品は、悪戯好きの妖精が猟犬を揶揄(からか)っているかの様だ。木の根っこに突っ込んで鳴き面の前でクスクスと笑っているのかも知れない。

猟犬である我々が、その行き着く先を知らずに、何の考えが思い浮かべようか。単に身を任せているのではない、その行きつく先を予感と共に歩んでいるのだ、作者と。

漫画にはセリフで心理を現すものと、絵で心理を読み足らせるものも二種類がある。どちらにせよ、巧みに隠しておいた心理をどこかで明確に読み取らせる手法だ。

人の半歩先を進むのが一番共感を得られる、一歩では進み過ぎだと言われる。だが実際は違う、人が読み解けるように隠しておくのが一番共感を得られるのだ。

何処に置くかではない、どうやって隠しておくか、だ。子供が遊ぶときによくやっている。

見つけた時に、喜びがキラキラとするだろう。

これらの演出はそうやって喜怒哀楽を初めとする複雑で多彩で謎の多い感情に訴える。なかでも特に強力な感情は感動である。

何故、感情に訴えるのか、それが最もシンプルでブレないものだからだ。

感情は全ての終点であり、そして、始点である。優れた漫画は、必ず人を揺さぶり、感情の面で人をスタート地点に立たせる。その感動で満足していては不十分で、味わい、読み返し、また読み返し、そして発見する、そうやって考えてゆく。

感動をもって、決して、到着点で終わらせてはならない。

感動が何故に生まれるだろうか。それは誰にも分からぬだろうが、私達は感動するように作られている事は確かだ。

それに加えて感動を生み出すために絶対に必要な事がある。それは過去だ。

過去に何が起きていたのか、二人の関係や歴史、感情が描かれていなければならぬ。どうであれ過去への理解がない所に感動は生れない。

であれば、演出とはそのほとんどが過去を散りばめる事と言い換えてもよい。

演出よりも何よりも、言葉そのものが過去である。常に、我々に理解された言葉とは、既に過去であるし、過去を指している。

例えそれが未来について語っていようとも、言葉として定着してしまえば、それは未だ来ていないだけの、来たるべき過去に過ぎない。

だが、時々、それが過去に定着しない言葉が生れる。それが感動を生み出しているのかも知れない。感動とは過去と未来を繋げる今に存在しているのかも知れない。

実は、言葉もまた、時間芸術なのかも知れない。

それは意志というもの、込められた思い、願い、強さ、弱さ、諸々、それが読者も含めた人々に伝播する時に起きる何等かの感情かも知れない。

言葉は読者を裏切らなければならないし、同じく理解されなければならない。

過去は裏切らなければならないし、未来を共有しなければならない。

未来は裏切らなければならないし、過去に対しては誠実でなければならない。

過去がある、未来がある、そして今がある、それが物語の構造というものだろうか。

物語が何故に感情で出来ているのか、感情こそが最も正直だからだ。そして感情こそが最も正しく過去を理解するものだからだ。

演出とは正に今に続く過去を探す工程であり、物語とは、過去から帰ってくる行為だ。

だから、感動するだけのものは、今に留まる限り、今という過去を生きる者に過ぎない。

感動という過去をしっかりと見つめて見る。そこにある過去は、決して作者の過去ではない、自分自身の過去だ、その過去からの一番の正直な感情は、一番直な感想を心に浮かび上がらせる。

その感想こそが、自分の過去そのものであり、真っ直ぐではなく、歪んでいたり折れていたり変態である自分の、それを含めた過去からの全てのメッセージだ。

それは理性なんかでは捕え切る事など不可能な巨大な蓄積であるのに、それがたった一つの直な感情となって現れる。

だから、この感情の声に耳を傾けるべきなのだ。それは未来へと届けられたくて体の奥底から噴出した自分の過去全てだ。感情は常に自分の過去全てを背負って発せられる未来への明かりだ。

無様かもしれぬ、醜い姿かもしれぬ、化け物と呼ばれるかも知れぬ、それが今の自分の姿である。感情とは、その怪物の怒号かもしれぬ。

その姿を鏡に当てて見る事は出来ない。その姿を見たければ物語で比べてみるのがいい。

自分の好きな物語の感動はその作者と繋がる。それは読者のみんなとも繋がる。全員が自分のすぐ近くにあり、似たものであるはずだ。

作者は、こうしてただ、自分の感動を吐き出している。それが、どれだけの感動を生むか、倦まれるか、など分かりもしない。

読んでみようじゃないか、漫画の中を生きる彼らを。印刷された過去の中から、言葉の力で今を生きているではないか。彼らには、宇宙へと行こうとも行くまいとも未来があるように思われるではないか。

ここにあるのは近い未来に本当に起きて欲しい作者の願望だ。こうあって欲しい、宇宙とはこういう世界であって欲しい、それに読者がそれぞれの自分の姿を登場人物の中に見つけ出す。

巧みに隠された秘密とは、自分自身の新しい姿だ。

僕にはそう思われる。

2011年6月13日月曜日

原子炉の暴走―臨界事故で何が起きたか - 石川 迪夫

まず起きない、とは起きるという意味だ。それを起きない、と勘違いしては見損じる。そんな経験が2011年の3月に起きた。

自動車保険なら多くの人が対人無制限をつけるのに、原子炉は何故そのような保険に加入しなかったのか。そのオプションは高すぎたのだろうか。しかし事故が起きてしまえばその支払はべらぼうなものになった。

今から20億年前アフリカのオクロには天然の原子炉があった。この天然原子炉は数十万年に渡り核分裂を続けたのだがそれは30分間は連鎖反応し2時間30分は休止するものであった。

この自然状態での臨界はウラン鉱に地下水が流れ込む事で起きた。水が中性子減速材となりウランから発生した中性子を減速させ連鎖反応を起こす。連鎖反応による熱で地下水が沸騰し蒸発すると減速材としての効果が薄まり臨界は停止する。そこにまた新しく地下水が流れ込み臨界状態になる。これを核分裂物質が無くなるまで繰り返したのである。

現在、福島の地にある原子炉の核燃料は崩壊熱を出し続けている。これは臨界とは違う話だがこれも自然の現象である。

津波であれ、原子炉の破壊であれ、それは全て物理学的な力に過ぎない。どれも奇跡ではないし、悪魔の力でもない。単なる物理的な法則のまま振る舞う現象の一つだ。だから僕たちは科学的に、工学的にその力を知ることができる。

悪魔ではないし神の名で追い払えるものでもない。神の奇跡があるなら別だが、それは神父の仕事であろうし、僕たちに出来るのはその物理的な振る舞いや仕組みを知るよう務めるだけだ。祈りながらでも。

そしてそれを知るために本書がある。

僕が読んだ第二版では今回の福島第一原子力発電所の事故については語られていない。出てこないわけでもないのだが、それは1978年の事故についての記録である。第三版が出るならば2011年に福島で起きた事故が追記される事だろう。

チェルノブイリ事故の詳細と火災発生の推理が著述された本書を読めば、福島はその発生過程も事故推移もチェルノブイリと全く違うことがわかる。

詳細は専門家の検証は待たねばならないが、福島第一原子力発電所の事故は臨界事故ではなく冷却材喪失事故である。

臨界は制御棒やボロンの投入により速やかに回避された。だが崩壊熱の冷却に失敗し温度上昇が被覆管を溶解、気化した金属が水と反応し水素を発生させた。水素が圧力容器、格納容器本体か、配管からか、またはベントにより外に漏れだし爆発に至る、これが推測されているシナリオだ。

臨界が危険なのではない。それによって発生する熱が危険なのだ。それは金属を溶かし、水素を発生させ、水を沸騰する。体積の急激な膨張により周りを破壊する、爆発だ。

構造物の破壊は放射性物質の拡散、封じ込めの失敗を意味する。だから爆発は食い止めなければならない。

チェルノブイリでは黒鉛が延焼することで被害が拡大した。福島第一発電所ではベントと水素爆発で被害が拡大した。だがベントしていなかったなら格納容器本体が破壊され更に被害は拡大していた、かも知れない。

原因や発生のメカニズムがどう違おうとも汚染が起きたことは変わりはない。

原子力事故とは何であろうか、発生した事故とどう向き合えばいいのだろうか。人を一人も殺すことなく、目には見えず匂いもしない味もしない。それなのに人々を戦争に駆り立てるかのような圧迫を与える。

この事故は間違いなく戦争なのだ。

本書は、甚大な被害と影響を与える原子力事故とは何であろうか、に一つの回答を示すものである。事故にはメカニズムがある、それを詳しく、一般に広く伝えようとするものである。

本書に述べられた事故の幾つかの挿話はそこに人の存在を常に示唆している。人に誤りがあったり、勘違いがあったりする。

だが、1942年12月、世界初の原子炉CP-1がフェルミによって臨界して以来、原子炉についての研究を人類が一切して来なかったわけではない。

今回の事故が突然起きたわけでもない。長いとは言えないまでも30年、40年を懸けて安全について研究してきた歴史がある。臨界は危険であるという考えは、臨界を人為的に起こし反応度事故を研究する炉NSRRの存在を知れば考え直さなければならない。

安全な臨界と危険な臨界があることをまずは知ろうではないか。

その上で、我々が溶解熱について未だ研究の途上にあった事に思い至ろう。僕たちは反応度事故によってではなく溶解熱による事故により無様な姿を晒している。

冷やすだけだよ、と舐め切っていたのかもしれない。それは原子炉の研究としても後回しだった。燃料をお風呂につけておくだけの話しだから、それは運用設計の問題である、と誰もが甘く見ていたのかもしれない。

人間は、人間のために原子炉を作った。しかし、そこで起きる連鎖反応は人間のために起きているのではない。薄く散り積もった人間の倫理で物理現象を語ってはならない。実際に起きているのがどれだけの事故だろうが、それに対して過去の経験を知っておく事は決して無駄ではない。

炉心に反応度が残っている限り、原子炉は反応度の補償を行うために必死の努力を続けている。燃料温度を高めボイドを発生して反応度補償を行いつづけるわけであるが、その最後の手段が炉心の破壊という連鎖反応を自ら壊すことで、反応を停める。暴走出力による原子炉の破壊とは、人間でいえば罪を詫びての切腹である。稿を進めながら原子炉とはかくも健気なものであるかと、つくづく思わずにはいられない。(p.338)

この告白は、著者の原子力への愛情である、と僕の陳腐な言葉になる。僕は、こんな言葉は言いたくないと思いながらこれを書いているのだが、それは作者も同じだろう。

陳腐な言葉で済ますには惚れ込んでいるはずなのだ。そんな言葉で俺の思いが言い表せるか、著者の道程が書かれたそんな本である。


我々は未知のものには社会全体で恐怖を感じる。これは個人の恐怖では断じてない。

ある日起きたら、目の前の人が次々と倒れだす、そんな恐怖を思い描く。自分の目の前で倒れてゆく恐怖。

今回の事故はテロリストでもいない限り爆発させようとした人は一人もおらぬ。それさえ得心しておけば、あの爆発は色々な手段を講じ、しかも考えうるその時の最善を講じた末の結果であると結論付けていい。

あれだけの地震に揺れられ、津波を喰らい、電力を喪失し、水素爆発し、それでもまだ冷却する手段が残っている事に僕は感動さえ覚える。 姿形はボロボロだが、機能は決して消失していない。

エンジン出力低下、しかし航行に支障なし。

ボロボロに傷つきながらも、まだ最後の防波堤として核分裂生成物の拡散を防いでいる。あの原子炉建屋の姿は、感動的だ、とさえ言っていい。

それでもあの事故は愚かなものであったろうか。先の戦争が愚かなように。

ああいう姿にならずとも済んだはずではないか、そんな気持ちが止めきれずにいるのであれば、僕たちはその愚かさの正体を見つけ出す努力を続けないといけない。

二度も、愚かだから、という理由で済ますわけにはいかない。何故起きたのか、どうすれば良かったのか、何が出来たのか 次はどうすればいいのか。

次は同じ愚かさに陥らないために、我々は今、何をしなければならないのか。

一つだけはっきりしている。まずは知ろう、状況を正しく知ろう。
学べば同じ失敗は繰り返さずに済むはずだ。

だが、それでも僕は信じている。愚かさを学んだ賢人であっても、似たような失敗は必ずする、と。

愚かさとはもともと人間が持っている属性の一つではないか。 他人が愚かに見える事は自分が賢い事の証明ではない。穴に落ちた者を笑う者が、もっと深い穴に落ちないはずがない。

では、我々はどうすればよかったのか、これからどうするのか。

今よりももっといい未来はきっとあったはずだと信じるのはいい。 それなのに、どうしてその未来は我々の手の中に来なかったの?

先の戦争をしなかったら、どうなっていただろう。 原子力発電所を建造しなかったら、どうだったろう。 今更言っても詮無い事だ。

それでも愚かさだけでは終わってはいけない何かがある、そこには。

我々はあの戦争をした、それがどうかしたか、 我々は、この事故を起こした、それでどうした。 ここまでなら、今でも言える。でもその先の言葉は?

僕たちがどうしようもない物理の力に流され、どうすることもできない放射性物質に汚染されている。これに科学的に合理性のある対処が必要なのは疑いようがない。

それでも、これらの物理的な力の問題は最後は心の受け止め方という問題に変化する。我々はその災害を心の問題として捉え直す以外にケリの付け方はない。人間は、如何なる種類の物理的な災害であれ、心の問題として決着を付けなければ生きられない生き物ではないか。

古来、多くの災害や戦乱の中にあった人間が心の問題に目が向いたのは間違いだろう。その中で、死という問題が浮上するのは自然な流れだと思われる。

古来、いくつもの天災が起き、人々は無力を感じてきたはずである。

時により すぐれば民の なげきなり 八大竜王 あめやめ給へ

この自然のどうしようもない事、人の世に起きるどうしようもない事。これらに対して、人の心はどういうあり方をするのか。

南無阿弥陀仏と念仏すれば救われる、という思想は、いずれ人の力でどうしようもないものであれば、ただ念仏する、その心のありようだけが仏に通ずるという意味であろう。
念仏の中に、傷ついた心も傷つけた行いも全てが含まれる。念仏を唱えれば救われると信じる心でなければ、仏の姿なぞ見えない。そうでない仏になぞ用はない。

宗教はそれを生んだ地理や自然に育まれる。

だが我々は過去の人と同じように感じることはもうできない。科学知識は、単純な祈りや念仏の無意味さを表面的かもしれないが教えてしまった。

降り積もる放射性物質に対して、人が祈るだけで終わる訳がない。しかし、科学知識が有ろうが無かろうが自然の力はまたもや人を圧倒した。神もまた人を圧倒し懺悔をさせ、閻魔大王も人を圧倒し罪の申し開きをさせる。どれもみな同じ構造ではないか。

圧倒された力の中で誰かを動かせられるわけでもなく、自然を御せるわけでもなく、それでも我々がこれと向かい合うためには、何が必要か。

我々はあの戦争でさえ祈りが通じなかった、と未だに思ってはいまいか。戦後に語られる全ての話しは負けたから成立している。その成立する条件を当時の人々が知らないはずもなかった。最後は祈るように、それを変えようと命を投げ出していったのではないか。

ただ、祈り念仏を唱えるだけではどうしようもなかったのである。太古であれば、我々の神が負けたのだと、そう思ったかもしれない話だ。

倶利伽羅剣を科学に持ち替えているだけなら何も新しくない。その神が打ち破られる日まで祈り続けるのか。

如何に地上の王となっても35億年後にはアンドロメダ銀河に飲み込まれる。銀河の神がアンドロメダの神の前に膝を屈する日まで祈り続けるのか。

そうではない、我々は十分に科学を学んだうえで、この心の持ち方に光を注ぐ新しい何かが我々の中から生まれてこなければならない。

畢竟、我々に試されているのは、この国の、社会の、私達の、そして私の死生観なのだ。

今の私達には圧倒的なまでに死生観が足りない。江戸時代にはあったであろうその死生観は、たぶん、あの建屋のようになっている。

人はなぜ生まれ、そしてどこへ行くのか。こんな疑問を感じてしまう程に、この時代の死生観は脆弱だ。

今、甚大な放射能汚染が起きている事は哀しみである。しかしそれは本当に我々が忌避し憎むべき敵なのだろうか。

それを生み出したのは人類ではない。 この宇宙である。

かくあるべくして存在している原子が、そう振舞うのであれば、 それは原子の意思であろう。

今、福島で東北で日本中で経験していることは、 みんなを鍛え、それぞれの未来を明るくすると思われる。

漁が中断された海には魚が溢れ、避難区域には、人の手の入らない自然の森が生れ、苦しい生活のなかで多くの人にアイデアが溢れる。

名もなき人々と世間から呼ばれている「名を知らぬ人達」が 懸命になっている事から僕も少しでも学びたいと思う。

忸怩たる思いで彼らを見ている人も多い、 指導者を変えてしまえ、俺の方がもっとうまくやれると言う声も聞く。

昨日の彼らは教科書通りの成功などは出来ていないかも知れない。 だが、今日を悩み通し、明日はきっと上手くやり遂げる。

ここで何も学べないようであれば、僕たちは何のイノベーションも生み出せない。

"昨日のアイツ"じゃ今日の対局のあの猛追はなかった
そしてその逆転の手"今日のアイツ"は気付けなかったけど
"明日のアイツ"はきっと気づく

2011年5月31日火曜日

大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも - 源実朝

大海の 磯もとどろに よする波 われてくだけて さけて散るかも

この歌を見たのは、小林秀雄の実朝であった。

まるで一枚の水墨画のようでもあるし、一瞬の静止もしない映像のようでもある。

映画であればまた別の表現もあったろうかと思うが、この歌を越える映画がありえただろうかと訝る。

この鮮明さは一体何であろうか。

消える、
波が消えるとは決して言わない。何故、消えるとは言わないのか。言わないのに、なぜ、波は消えてゆくのか。

大きさが次第に小さくなる様。それは映像なら拡大であろうか、視野は縮小し細部にフォーカスする。

ここに物語を重ねる事も出来るし、彼の死生観を重ねる事も出来る。だが、そう出来るからそれが面白いとも言えない。勿論、この 1000 年も前に消えた人物の真実であるわけでもないし、真実はそのような形で存在するものでもない。

ただ、この歌は語り継がれてきたのだろう。それぞれの人の思いやその時々の海として。

そこになんらの真実も必要とはしない。歌の強さとは、真実であることにはない。感情でさえ人の気持ちではないのかも知れぬ。

これは大変に静かな歌なのである。

この静けさが人を無言にする。

初めに人は言葉を失う。説明することや合理性を分からせることに無力を感じ、絶望の淵に至る時に。昨日までの日常が失われてしまったはずなのに、微細に見れば同じである時に。例えば、大震災後の混乱の日のような時に。

テレビのアナウンサーが語った瓦礫に照る朝日が昨日よりも一層美しいとはそういう事だ。
夜が明け瓦礫の町に昇る日に照らし輝き光り見るかも

そういう時にそれでも言葉が紡がれるとしたらそれは歌だ。ただ海を見ていたから生まれたとするにはあまりに多くを語る。それなのに、この歌は何もかもを説明を拒絶している。ただ海を見ていた時の歌の姿そのままだ。

わかるだろう、そう言われているかのようだ。そしてどんなわかられ方をしたとしても、
黙って微笑っているかのような、そんな姿が思い浮かぶ。

歌人は、鎌倉右大臣、源実朝、第3代征夷大将軍。

2011年5月22日日曜日

原発安全革命 - 古川和男

高校の頃、社会科の先生からレポートの宿題が出た。
その課題は将来の発電というものであり、将来を予測し、その理由を書くものだった。

そこに僕は太陽光発電70%、核融合発電30%と書いて提出した。
その頃は、火力発電による大気汚染、水力発電による環境破壊が耐え難いものだったのだ。

その先生は、このレポートをユニークと呼んでくれた。

それからどれくらいの時間が経過したか。

2011年に起きた大震災と福島第一原子力発電所の事故は、僕たちに変革を求めている。


人々は原子力発電所事故の被害の質に絶望を感じている。
区域の広さ、時間の長さ、そして、破壊された原子炉を安定化させるまでの困難さ。

放射性物質のやっかいな性質に思いあぐねている。

政府の対応や東京電力を罵倒だけするマスコミ、
現地労働者に十分な賃金を払わない企業、
土地から立場から逃げ出すジャーナリスト、
そこにあるのは混乱なのだ。

何故なら、原子力発電所事故は混乱だからだ。
混乱が次々と移ってゆく様は連鎖反応のようだ。

そこで一歩耐え、二歩耐え、混乱を無くそうとする人を僕は胆力があると見る。
これだけの事故であればこそ、右往左往しない人間を評価する。


現在の原子力発電所の問題には、事故の被害とは別にして
放射性廃棄物の問題があり、これについては地層処分して長期間安定的に保存する、
つまり、半減期を経て安定するまで隔離する事が知られている。

この隔離"すべき"を出来ないのが現在の事故の状況であって、
今すべきことは少しでも隔離し拡散させないことにある。
多く爆発事象を恐れるのもひとえにこの点に寄っている。


さて、本書は2001年には発行された『「原発」革命』の増補である。
増補された理由は明らかであって、福島第一発電所の事故のためである。
帯には、以下のようにある。

全く発想の違う「液体」「トリウム」「小型」
この原発なら福島もチェルノブイリも起きなかった!
福島やチェルノブイリで起きたような事故を、原理的に起こさない原発がある、というのだ。
その原理の要点は、燃料形態を固体から液体に代え、燃料をウランからトリウムに代え、炉を小型化するということ。

本書の核心は一つだけである。

エネルギーの十分な供給は世界をより良い方向へと導くはずだ。
そういう信念がある。

少なくとも「エネルギー不足で人が飢え、殺し合い、地球が砂漠化してゆくりはよい」と信じたい。(p.233)

そうであるが故、筆者は原子力発電の可能性を捨てない。

「違うんだよ、地震が来ても、津波で破壊されても安全な原子力発電所はあるんだよ」と大声を上げている。

その背後には、原子力発電以外で現在のエネルギー需要を賄える方法はない、という現実がある。
本書でも核分裂によるエネルギー生成は、その次を担うであろう太陽光発電への過渡的技術として位置付けている。

太陽光パネルが主役になる前の過渡的技術、
藻によるバイオ石油が主流になる前の過渡的技術。

それでもそれらには福島の事故があったからと言えども、主役を担うだけの力が、まだない。


では、安全な原子力とは何だ、この問いに著者は、「トリウム熔融塩炉」を提唱する。

熔融塩とは、食塩の事ではなくて、酸とアルカリとが化学的に中和しあって生ずる化合物が液体状にあることを言う。
トリウムは、原子番号90、記号Thで表される物質で、これが核分裂の元になる。

トリウム232に中性子を吸収させると、ベータ崩壊を繰り返し、ウラン233となる。
この生成されたウラン233は核分裂性を持っており中性子を吸収しては分裂してゆく。
これが繰り返し起きることを連鎖反応と呼び、これが持続する状況を臨界と呼ぶ。

臨界するためには、分裂した時に飛び出した中性子が再び核分裂する元素に吸収される必要がある。

飛び出した中性子の速度が速いのだが、このままでは他の元素と当たる可能性は低い。
逆に速度が低速になると、他の元素と当たりやすくなる。

なぜ減速させると反応が進むかというと、それが反応断面積というものらしいのだが、
僕らは、速度の速い中性子は一直線に進むが、速度が遅いとフラフラと蛇行すると見做しておけばよい。
これはイメージに過ぎないが、蛇行する方がよく当たりそうな気がするでしょう。

そこで中性子の速度を落としてよく当たるようにするために使うものを減速材と呼ぶ。
黒鉛や水が減速材である。

一方で、この中性子を吸収し核分裂をしないようにする物質がある。
この物質が大量にあると中性子が奪い取られて連鎖反応は続かなくなる。
これが制御棒であり、冷却水に加えられたホウ素である。
勿論、減速材を取り除いても連鎖反応は停止する。

飛び出した中性子を減速させるかさせないか、奪い取ってしまうかで連鎖反応は抑制されている。
例えば一つの核分裂から飛び出した二つの中性子の全てが核分裂に使われれば次は4つの中性子が飛び出す。
これを繰り返すと2,4,8,16と次々と反応が進むので、一瞬で急激な温度上昇を生む。
これが周りの液体や気体を一瞬に膨張させるのが核爆発である。

何故、核分裂が熱を生み出すかと言えば、飛び出した粒子が他の元素との間で摩擦するからである。


この熱で水蒸気タービンを回すのが発電になる。

現在の軽水炉では、固形燃料を燃やし、それで水を沸騰させ蒸気タービンを回す。
石炭ストーブみたいなもんだ。

それとは異なる熔融塩炉では、液体の中で連鎖反応が起こり、その熱で水を沸騰させる。
まぁ、オイルヒーターみたいなものか。

僕は専門家ではないから全く分からないのだが、燃やすべき燃料を固形化するか
熔融塩に溶かして液状で使うかには決定的に違うという話しである。

固形燃料ではメルトダウン(固形燃料の溶融)が起こり非常に危険な状態があるが
もともと熔融塩に溶けているトリウム熔融塩炉ではメルトダウンという現象は起きないように思われる。

この辺りは専門家の色々な話を聞かなければ分からないし、
実験炉を作り検証を重ねて改良を加えてゆくべき話だ。


では、何故、この「トリウム熔融塩炉」が今のこの時代に期待できるか、と言うと
この原子炉では、プルトニウムなど放射性廃棄物を燃焼させ
安定した物質に処理できるというのである。

地層処分するしかないと思われていた廃棄物を原子炉内で処理できるというのは、これは新しい可能性ではないか。
人類が生き残っているかどうかも分からない10万年先までの禍根が、
少なくとも人類が生きているであろう数百年の間で処理できる可能性を秘めているのだ。

実験炉をまず、福島で発生した放射性物質を除去し処理する目的で開発してもいいのではないか。
その中で安全性を高め、そして発電所として建設してゆけば良い。

我々は10万年後にこの地上で生きている生命体に迷惑をかけてはいけない。
そうであれば、この原子炉の価値は、放射性廃棄物を生み出す原子炉を遥かに超えている。


安全であるという理由で、都市近郊に発電所を建設できるかという問題がある。
そこに必要なのは科学的説得ではないし、安心という空気でもない。

今起きている福島の事故が閉ざしたものは、多くの人の対話なのだ。
核は、もう嫌だ、という悲しみと、だが、電気はどうするのだ、という不安の対話は絶望的な断崖を挟む。

本書は、そこに新しい橋を架ける可能性がある、
橋はなくとも別の道を探さないかと二人が歩きださせる可能性がある。

この事故で起きた不安も混乱であっても、多くの人の気持ちは立ち直ろうとしている。
その上に、科学的な提言が一つの希望を与えてくれるかもしれない。

科学が希望を語るとは19世紀の時代か、
よく出来た科学は、詐欺にも使える、
そんな懸念はもっともである。

確かに本書には幾つかの語られていない事もあるし
厳密さに欠ける話もある。
例えば、僕が苦笑した文章には次のものがある。

また、容器の外側は外気による酸化腐食にも耐えなければならないが、これにはニッケルが主体でモリブデン・クロームを加えたハステロイ-Nと称するよい耐熱合金が開発され、十分な耐腐食データが得られている。日系二世のイノウエ博士が基礎を作った。(p.151)

日系二世のイノウエ博士って誰デスカ?


地球のエネルギーのほとんど全ては太陽に依存している。
その太陽とは核融合であり、早い話が原子力発電所(核融合炉)みたいなものだ。

そういった環境にありながら、地上では太陽光発電パネルは是で原子力発電は非であるというのも
どうも単純過ぎる話なのだ。

我々が手にしているエネルギーで最も強力なものは核分裂によるエネルギーである。
これを手にした以上、手放すはずがない。

鉄器を手に入れた人類が一度でも青銅器に戻った歴史があったろうか。

そして、手放せないのであれば我々は探してみなければならない。

昔、人類が夢みた太陽の火を。

この事故で廃版されたいた本書が増補新版された事には十分な意味があるのである。

2011年4月15日金曜日

数学的思考の技術 - 小島寛之

高校の頃、僕の数学の点数は4点か6点だった。
そんな僕が数学の本に向かって何かを言うこともない。

本書は、不確実性に関する数学からのアプローチである。
そこは魅力的な話題や命題が満ち溢れている。

しかし、それでもこの本については幾つか納得できない所がある。
劣等生の落第生であるからこそ思う所がある。

問題.1

本書は、次のような例え話で始まる。
先生と生徒を例にとり、テストを実施する事について次のように述べる。

学生が勉強する前には「テストをする」のが最善であるが、勉強したあかつきには不要となる。(P.17)
もちろんこの場合、生徒が勉強したにもかかわらずテストを実施する、という無駄なコストが必要になるが、それは戦略的な関係の構造がもたらす非効率性だから仕方がない。(P.19)

この人は何を言っているのだろう、テストをするのが無駄なコストだと思うような先生に
自分の子供を預けたい親がいるわけないし、生徒が勉強したかどうかを確かめるのがテストだろう。
勉強しようがしまいがテストはしなければならない。

この前提にあるものは、自分の答えを言いたいがために巧みに作られた設問に過ぎないのだ。
それはまるで、数学の文章題のような。

問題文を読んで数式が組み立てられる人にはこの本は楽しいだろう。
だが、問題文を読んでもチンプンカンプンの人を念頭に置いてこの本は数式を排除したのではなかったのか。

数式はないが、全て数学の文章題なら、それは数学のテストという点では何ら変わっていない。

例えば、毎日テストしている先生がいた。そのおかげで生徒たちの成績も優秀な状態にある。
しかし毎日テストするのは先生にとっても大変な作業であるし、少し減らしたいと考えた、
どうすればいいだろうか?

これならば、誰にでも理解できるし、数学などなくとも答えが可能だ。
毎日じゃなくて三日おきとか毎週に一回とかにすればいいじゃない、これが一般的な答えじゃないか。

相手が持っている正解を答える(当てる)のが数学のテストであるなら、
そんなものをお金を払ってまで受けよう(買おう)とは思わない。

答えが間違っていようとも回答したり考えてみたりできるような会話(読書)がしたいのではないか。

しかし、ここには、そんなことは求められていない。
答えへと導かれるためには、前提条件として現実的ではない問題を受け入れるしかない。
太郎君は花子さんの家に分速10mの速度で向かいました(...そんな奴いるのか)。

これが問題としてあるならば意味している事を理解は出来る。
もし、これがテスト問題ではない、というのならこれは空想だ。

テスト問題としてなら成立する、テスト問題としてしか成立しない文章というのは存在する。
そこには意図はあるが何かを伝えたい存在としての文章ではない。

数式を使わずに数学を分かり合うというのはかくも難しい。

動学的不整合性(time inconsistency)を理解するための問題なら
もっと適切であるべきだ。

最初の戦略が、状況の推移によっては最適ではなくなる事を示す良い問題。
例えば・・・

と、問題を考えて続けている。
一ヶ月もの時が経ってしまった。

それでも問題を適切に例示し、かつ、理解にしうる問題を見つけ出せないでいる。

平和主義者が力を持つ状況から生まれる世界大戦、ナチスの台頭は例題になるのか。
そんなことまで考えてみたがそれを示すうまい問題とはならなかった。

つまりこれを問題文としようとする事が無理なのだ。
それは説明すればいい、
その具体的な解りやすい例、誰も知っている、というものもあるだろう。
だが、それを文章にするのは以外と難しい。

水を堰き止めようとしたらその両側から溢れ出すように、
子供に勉強させようとしたら反感を買いヤル気が失せるように、
囲碁で責める石とは反対側に打ち込むように、
政府の政策が不評を買うように、
これらの失敗は目論見の失敗であろう。

その根底には人間に対する見方があるだろうか。
自然に対する理解の不足があるだろうか。
これは人間の心理と行動に関する複雑さを示しているだろうか。

ただそういうことがある、ということを知る。


問題.2

このような経緯をたどって、ケインズ的な財政政策は市民からも経済学者からも時代に問題視されるようになっていった。とりわけ乗数理論は、その後の研究から、実証的にも理論的にもほぼ完全に否定されることとなった。そして、このような批判の集積こそが、今回の経済危機での大きな政策転換を促す原動力となったのである。(P.126)

数学において、一厘の欠陥があればその証明は失敗と見做される。
数学者であるならば、ほぼ完全に否定される、とは、否定されていない事に等しい。
否定されきっていない理論で世界がどう動こうがそれはニュース以上の意味はないはずだ。
信じて動くのは構わないが、そこには数学はないはずだ。

ほとんど起きない、とは起きる事なのか、起きない事なのか。
ほぼ完全に否定された、とは否定されたのか、否定されていないのか。

完全に証明されていない事柄を信じて何かを決定することはどれくらいの合理性があるのだろうか。

ブラジルの方であたらしい鉱山が発見されたそうですよ、ほら、あなたも投資しないと損しますよ。
こういう不定の事実を示し、その次に断言するような構造を詐欺と呼ぶ。

では作者は詐欺師なのかと問えば、それは違う。
本書がそうであるように、これは本当は経済学の本なのだ。

それが何故、数学の形を取ろうとしているのか、そこには数学にしたかった理由があるのだろう。
しかし、作者もそのことを書いていない、本当は経済に関する本が書きたかったのだ、とは。

正直な告白がないものを詐欺師と呼ぶか、否。しかし、それは信じるには足りぬ。


問題.3

「すべての種類の貝において、ある貝は左巻きである」というような文は、どんな国の言葉に翻訳されても、意味が損なわれることはないだろう。そして、「しかるに、今この浜辺で拾った貝が左巻きであることは、けして不思議なことではない」とつなげても、どんな国の人もそれを額面通りに理解ができるに違いない。(P.232)

作者は、この文章をどんな国の人でも理解できると書いた。
たぶん、そうなんだろう、日本人以外は。
なんと醜い文章ではないか、なんと、多くの制約だけに従った文章だろう。
論理文を読みたがっている読者が何人いるんだろうか。

海辺の貝には左巻きも右巻きもある。
だから、今この浜辺で拾った貝が左巻きである事に僕が驚いたとしたら、君は不思議に思うだろう。

これなら自然な文章だろう、だが、

すべての種類の貝において、ある貝は左巻きである。
しかるに、今この浜辺で拾った貝が左巻きであることは、けして不思議なことではない。(P.232)

論理文とは、正しいかもしれないが、自然な言語ではない、
言語はそれさえも受け入れるだけの幅を持っているだろうが
それを読むものがそれを受け入れるかは別の話だ。

本書で出てくる幾つもの例題は、問題を提起するためのものではない、
答えを知っているものには理解が容易く、
答えの見当もつかない者にはさっぱりわからない、
それはある種の試験で出題される問題文と同じ構造しかしていない。

答えを導くのに都合のいい例題が取り上げられる、しかし
それは、数学のテストでお馴染みの正確かもしれないが、意味がさっぱりわからない例の文章だ。

問題が読めないならお断りというなら、最初から数式を使えばよかったのだ。
それではっきりと自分の信ずる経済論を解説すれば良かったのではないか。

それが読める人を頭のいい人と呼ぶのかも知れないが、そうではない。
それは約束事を知っているか、知らないかだけの話であって
知っていることは、有能である証明とはならないのだ。

何故なら、それを証明した人が頭のいい人であって、証明を知っている人は単なる秀才だ。

数学的な考え方で話を進めたいと思っていたのなら、
もっとやり方はあったはずではないか。

なぜ数式を見るのは絶対に嫌だ、という人にちゃんと読んでもらわなかったのか。

仲間内の人に喜んでもらいたいのなら、数式を使えば良かった。
数式を使わずに読んでもらいたいと願うなら、例題をもっと工夫すべきであった。

本書は矛盾している、だから証明に失敗している。

まるで数式は出ないからと遊びに行ってみたが、
単にやっぱり算数のテストだったかのようながっかり感がする。

数学嫌いは数式嫌いではないかもしれぬ、あの訳分からない日本語が嫌いなのではないか。

数式は物事を簡単にするために出来上がったものであって難しくするためのものではない。
であれば、簡単であるはずの数式を使わないで自然言語で表現するというのは極めて難しい道理なのだ。

数式を使わないほうが読者が集まると思っているなら甘いし
数式を使わない野心があったのなら失敗したと言わざるを得ない。

この著者はゲルググ・カントールを教えてくれた僕の好きな著者の一人である。
人間を見る視線は、信用できるはずである。

経済学者とは、人間を見る視線の深さを競う学問である。
薄っぺらの人間には薄くしか語れぬ学問だと信じる。

もし、数学が彼を足を引っ張るのであれば、
その数学的なるものを捨て去り経済学の世界へ飛び立てばいい。

僕にはそういう風にこの本を受けた。
最初の目論見は外れ、恐らく本書を書く上でのルールの設定に失敗したのだと、思われる。

2011年4月10日日曜日

活字に飢えた所へ送りたい10の本

誰もその心に刻まれた思いを忘れることはど出来やしない。
昨日までの景色は、今日の景色ではない。
昨日読んだ本は、全く違う本として姿を現す。
昨日と同じ空のはずなのに、今日はもう違う空としか映らない。

そうやって、頁を開くとき、そこに声が聞こえてこないだろうか。
それは幻想だろうか、僕は違うと思う。

シャーロックホームズ最後の挨拶 - Sir Arthur Conan Doyle
19世紀末、よき人類の一つの叡智。
宇宙人と出会った時に真っ先に紹介したい人物だと思う。
僕は最後の挨拶の最後にある
東風が吹くね、ワトソン君
There's an east wind coming, Watson.
という台詞が本当に好きだ。

罪と罰 - ドストエフスキー
ロシアが誇るドストエフスキーの傑作推理小説。
これが最高傑作の一つということは知っているがまだ読んだことはない。
それでも、これが活字に飢えた精神にどれだけの安らぎを与えるか、ということを想像してみる。

火の鳥 - 手塚治虫
傷ついた心を理解することは出来ないと思う。
だが、供に歩むことは出来る。
ここにある物語には数多の歩みがあり今を生きる未来がある。

ヒカルの碁 - ほったゆみ, 小畑健
囲碁は人間の可能性のゲームだ。
それを通して、過去から未来を繋ぐ今の物語が散りばめられている。
この物語は、未来に生まる幾つもの物語の原点でさえある。

風の谷のナウシカ - 宮崎駿
汚れた大地に暮らす未来の人々。
ここには、遠い先を見つめる人々が地を這う物語がある。
ここには、作者が空を見上げて辿り着いた一つの結晶がある。
それは腐海の奥底で人知れずキラキラと光り砕ける結晶に同じだ。

雨ニモ負ケズ - 宮澤賢治
東北の詩人。
決して人が言うほどに善良な人間ではないが故に
彼の心に惑う暗闇はこれほどまでの輝きを放つのではないか。

アポロ13号 奇跡の生還 - Henry S.F.,Jr. Cooper, 立花隆
既にこの本は絶版のようである。
何故だろう、と不思議に思う。
困難の中をNASAのスタッフがどうやって切り抜けたかは、国難の中でも語り継がれていい。

こだまでしょうか - 金子みすず
テレビのCMで多くの人の心に膾炙された詩。
それと供にあれを朗読した人の力を忘れちゃいけない。

銀河英雄伝説 - 田中芳樹
空を見上げ、その先の宇宙(そら)に想いを馳せ、天駆ける人を見た時に、そこに物語が生まれる。
その一つの結実だと思う。
あなたの想い人は、空の人となったか、それは宇宙を駆けてやいないか。

坂之上の雲 - 司馬 遼太郎
歴史に題材を取った傑作小説。
そして、僕たちが昔の人を知っているのは、彼が語ってくれたから。
語ることの意味を疑っちゃいけないよ。


一番大切なものは、それはあなたが書く手紙。
それが一番読みたいに決まってます。

2011年3月1日火曜日

迷惑な進化 - Sharon Moalem, Jonathan Prince, 矢野 真千子

はじめに

右も左も知らない人の本を買う時は中身を少し読んでから決める。それで幾つもの失敗もしたが、本書は成功した運のいい部類だ。本書は、クリントンのスピーチライターも手を貸した上に日本語訳もいい。そしておじいさんの奇妙な病気の話で一挙に吸い込まれる。

読んでいけば分かることだが、本書は十分には科学的とは言えない検証不足のお話や、噂、願望、推測、伝説のような話もごっちゃまぜで語られている。全て信じるには値しないが、今の自分が持っている概念や価値観がお寺の鐘のように揺り動かされ、ゴーン、ゴーンと鳴り響くのはこういう本を読む楽しみだろう。

そして、未来の人は、こういう話が当たり前になってもうこの話では楽しめないだろうが、また、その時代、時代の別の話で鐘が鳴り響くことだろう。


血中の鉄分は多いほうがいい? - IRONING IT OUT

血中に鉄分が貯まりやすい体質の人がいて、そのような人にとっては瀉血は効果的な治療法であるという個所を読んで、なぜモーツアルトが瀉血をしていたかが得心できた。当時の治療法には、こういう歴史もあったわけかと。また、そういう体質の人が何故ヨーロッパに多いのか、それはペストと関係する。何故、ペストと鉄分なのか。

今の人は、誰にでも彼にでも効果ある治療法じゃないと言うかもしれないけれど、今日病院でもらってきたその薬が瀉血とどれだけ違うものかなんて今の我々にはわかっちゃいない。

四〇年後にかならず死ぬと決まっている薬をあなたが飲むとしたら、その理由はなんだろう。答えはひとつ。それはあなたが明日死ぬのを止めてくれる薬だからだ。(CAHPTER 1 P24)


糖尿病は氷河期の生き残り? - A SPOONFUL OF SUGAR HELPS THE TEMPERATURE GO DOWN

例えば肥満体質の人は氷河期には有利であったろう、という事はこれといった教育など受けなくとも想像できる。食料の少ない(であろう)氷河期に効率よくエネルギーを蓄積できるのは生き延びるのに有利な能力だろう、と。しかし、糖尿病の成りやすさも関係するとは思い至らなかった。それは単にエネルギーを貯め込むだけではなく寒さから身を守る能力でもあるのだという。

そして新しい病気や捕食者、新しい氷河期などがあらわれて、個体集団を全滅させるほどの突然の環境変異が起きたとき、自然淘汰は生き延びるチャンスを高めてくれる形質に一も二もなく飛びつく。 (CHAPTER 2 P71)


コレステロールは日光浴で減る? - THE CHOLESTEROL ALSO RISES

皮膚の色は、太陽光線との折り合いから決まったと言う話は知っている。これはビタミンDの生成と関係しているという話だ。で、ビタミンDの原料はコレステロールだから、肌の色とコレステロールは関係している、という話。

で更には日光はビタミンDを作る為には必要だが、ビタミンB9を壊してしまう矛盾。ビタミンDのためには日光が欲しいのに、ビタミンB9のためには欲しくない。住んでいる場所で日光の強さは、強かったり弱かったり。これに体はどういう回答を用意したか。

アフリカ系アメリカ人に高血圧の発症率が高い理由を、僕たちの恥ずべき歴史の一時代に見出したものがある(CHAPTER 3 P89)


ソラマメ中毒はなぜ起きる? - HEY, BUD, CAN YOU DO ME A FAVA?

毒の定義をさておけば、食べられる植物も食べられない植物も大量の化学物質を生成している。その幾つかは食べられてくないからだ。

そしてソラマメ中毒症になる遺伝子変異をもつ人は世界に四億人以上いる。つまりその人たちは、ソラマメ中毒症よりも致死的な何かにたいして有利な点をもっているということになる。(CHAPTER 4 P116)


僕たちはウィルスにあやつられている? - OF MICROBES AND MEN

人間は自分の意志で動いていると信じている。だが、ハリガネムシがカマキリを操り水辺まで連れていく宿主操作の話を聞いたことがあれば、人間の意志も当てになるか、と訝るのも悪くない。

夜の蝶に引き寄せられて今日も街に繰り出すのだって、自分の意志と言えるのか怪しいものだ。

分泌された酸で「火傷」を負った人間は、冷たい水を浴びたくなる。メジナ虫は水を感知するやいなや、白い液体を吐き出す。(CHAPTER 5 P124)


僕達は日々少しずつ進化している? - JUMP INTO THE GENE POOL

DNAをパソコンに例えれば、それはOSのCD-ROMに例えることができる、と思っていた。しかし、実際は、ジャンピング遺伝子と呼ばれる仕組みがあり、環境の変化で組み換えが起きる事が確認されているそうである。

これは、どうやらDNAとは、CD-ROMに焼かれたソフトウェアというよりもそれ自身がプログラミング言語であると言えそうだ。しかも、状況によりコードの組み合わせを自発的に変えることができると言うのだ。

システムに興味のあるエンジニアであれば、遺伝と免疫というメカニズムは、ひとつのお手本になりうることに異存はないだろう。

世界で動いているコンピュータの全てのコード量を算出する事は難しいが、例えば、グローバルIPアドレス×LAN内のコンピュータ数×コード量で概算できなくもない。

まぁそれで億とか兆になるんだろうが、そこで動いている様々なコードは全て数百個の基本的な命令の組み合わせに過ぎない。その命令セットの組み合わせでそれを超える遥かに多様なサービスを実現していることに似ているのだ。


親がジャンクフード好きだと子どもが太る? - METHYL MADNESS: ROAD TO THE FINAL PHENOTYPE

コンピュータのソフトウェアが外部から指定されるパラメータによって振る舞いを変える仕組みがあるように遺伝子にもそのような仕組みがある。それをメチル化と呼ぶそうだ。

それは生まれた時にもONかOFFの値を取っているが、生きながら時にはONとなり、時にはOFFとなるのだ。

もしかしたら、生命は遺伝子の乗り物に過ぎないのかもしれない。しかし、車が故障して走らなくなれば困るのは遺伝子であると仮定すれば、それはその時点で全面的に生命の側に屈服する。自分が次世代に繋がるためには全力で今の乗り物である生命に仕える執事とならざるを得ない。

遺伝子の持つメカニズムは、その触りを知るだけでも生命を限りなく今を生かそうとする姿勢に溢れている。

遺伝子があることと、その遺伝子が機能することは別なのだ。(CHAPTER 7 P189)


あなたとiPodは壊れるようにできている - THAT'S LIFE: WHY YOU AND YOUR iPod MUST DIE

癌は恐ろしくてメカニズムのとち狂った病気だが、これと同じメカニズムが発生の時には必要だと聞いた事がある。氷河期には有利であった形質が、現代では病気のリスクとなるのと同じように、我々の体は、ある時には必要であったり重要であったものが、ある時には致命的になる。長所は即ち欠点である、という言葉が思い浮かぶ。

死がプログラミングされた終着点であるかは分からないが、ほとんどの生命体が死に至るには理由がある。だが、それはおそらく遺伝子の都合であり、自分がもらった遺伝子は最後まで生命を生かそうとするのだろう。その限界が物理的な要請か、メカニズムからの限界かはわからないが、それでもいつかは死に至る。適うならば新しい命がそれまでの全ての過去を背負って次を継いでゆくのだろう。

前提となっているのがすべて狩りをする男にとっての有利な進化だなんて、こんな説は間違っているに決まっている。(CHAPTER 8 P235)

原題: SURVIVAL OF THE SICKEST

2011年2月19日土曜日

フィルムは生きている - 手塚治虫

手塚治虫について書きたいならこの言葉から始めなければならない。
手塚さんの特集だそうですが、悼む大合唱はたくさんあるだろうから、それに声を揃えて一緒に大合唱する気は、ぼくはないです。

要するに、手塚さんを神様だと言っている連中に比べてずっと深く、関わっているんだと思います。関わなきゃいけない相手で、尊敬して神棚に置いておく相手ではなかった。手塚さんにとっては、全然相手にならないものだったかもしれないけど。やはりこの職業をやっていく時に、あの人は神さまだと言って聖域にしておいて仕事することはできませんでした。

まずぼくが手塚さんの影響を強くうけたという事実がある。小中学生の頃のぼくは、まんがの中では彼の作品が一番好きでした。昭和20年代、単行本時代(最初のアトムの頃)の彼のまんがが持っていた悲劇性は、子ども心にもゾクゾクするほと怖くて、魅力がありました。ロックもアトムも基本的に悲劇性を下敷きにしていたでしょう。アトムは後期になって変わってゆくけど・・・

それから、18才を過ぎて自分でまんがを描かなくてはいけないと思った時に、自分にしみ込んでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすが、ということが大変な重荷になりました。

ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたものが手塚さんに似ていると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。どうも、二男に生まれたせいだと思うしかないけど、長男の真似をしてはいけないと思っていた。それに、手塚さんに似ていると自分でも認めざるを得なかった時、箪笥の引き出しに一杯にためてあったらくがきを全部燃やしたりした。全部燃やして、さあ新しく出発だと心に決めて、基礎的な勉強をしなくてはとスケッチやデッサンを始めました。でもそんなに簡単に抜けだせるはずもなくて・・・

本当に抜けだせたのは、東映動画に入ってからですね。23、4才です。東映動画に入ったら一つの別の流れがあったから、その中で自分なりの方向をアニメーターとして作っていけばいいとわかった。アニメーターとしてというのは、キャラクターを自分の持ち物にすることではなくて、それをどうやって動かすかとかどうやって演技を表現するかという、動きを追求することの方が自分にとって問題になっていったから、いつの間にか絵が誰に似ているかということはどうでも良くなっていきました。

それに、影響といえばぼくはまず日動(日本動画社)時代から東映動画へと流れてきた一種の伝統のようなものの影響下にあると思うし、他にも当時のまんがの白土三平の考え方に影響を受けたり、そういうことは無数にありました。小学生の頃も、福島鉄次という『砂漠の魔王』を描いた人には、一時手塚さんよりも激しくマイっていましたから。


ぼくが、いったいどこで手塚さんへの通過儀礼をしたかというと、彼の初期のアニメを何本かみた時です。

漂流している男のところに滴が一本たれ落ちる『しずく』('65.9)や『人魚』('64.9)という作品では、それらが持っている安っぽいペシミズムとは、質的に違うと思って、あるいはアトムの頃はぼくが幼かったために安っぽいペシミズムにも悲劇性を感じてゾクゾクしただけなのかもしれない。その辺はもう確かめようがありませんが。要するに、残骸がそこにあった。いくつかある小さな引き出しの中で昔使ったものを開けてみて、ああこういうのもありましたよ、と出してきて作品に仕立てたなという印象しかなかったんです。

それより以前も、『ある街角の物語』('62.11)という、虫プロが最初に総力を挙げてつくったというアニメーションで、バレリーナとヴァイオリニストか何かの男女二人のポスターが、空襲の中で軍靴に踏みにじられ散りぢりになりながら蛾のように火の中でくるくると舞っていくという映像があって、それをみた時にぼくは背筋が寒くなって非常に嫌な感じを覚えました。

意識的に終末の美を描いて、それで感動させようという手塚治虫の"神の手"を感じました。それは『しずく』や『人魚』へと一連につながるものです。

昭和20年代の作品ではイマジネーションだったものが、いつの間にか手管になってしまった。

これは先輩から聞いた話ですが、『西遊記』の制作に手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。

ぼくの手塚治虫論は、そこまでで終わりです。

そのあと、アニメーションに対して彼がやった事は何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。いちいちそれを言葉に挙げていうのはしんどいから言いませんが、『展覧会の絵』('66.11)も、何だこの映画と思ってみていた。『クレオパトラ』('70.9)も、ラストで「ローマよ帰れ」と言うあたりに、嫌みを感じました。それまでさんざん濡れ場ばかり一所懸命やっていて、何が最後に「ローマよ帰れ」だと思って、その辺に手塚さんの虚栄心の破綻を感じたんです。

一時彼が「これからはリミテッドのアニメーションだ。三コマがいい三コマがいい」とさかんに言っていましたが、リミテッドアニメーションは三コマという意味ではないですし、その後言を翻して「やっぱりフルアニメーションだ」とあちこちで喋るに至って、フルアニメーションの意味を知らずに言っているんだと思ってみていました。同じようにロートスコープをあわてて買いこんだ時にも、もうぼくらは失笑しただけです。

自分が義太夫を習っているからと、店子を集めてムリやり聴かせる長屋の大家の落語がありますけど、手塚さんのアニメーションはそれと同じものでした。

昭和38年に彼は、一本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以来アニメの製作費が常に低いという弊害が生まれました。

それ自体は不幸なはじまりではあったけれど、日本が経済成長を遂げていく過程でテレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけで。

ただ、あの時彼がやらなければあと2、3年遅れたかもしれない。そしたら、ぼくはもう少し腰を据えて昔のやり方の長編アニメーションの現場でやることができたと思うんです。

それも、今ではどうでもいいことですけれど。


全体論としての手塚治虫をぼくは"ストーリィまんがを始めて、今日自分たちが仕事でやる上での流れを作った人"としてきちんと評価しているつもりです。

だから、公的な場所や文章では『手塚治虫』と彼のことを書いていました。ライバルではなく先達ですから。『伊藤博文』と書くのと同じで過去の歴史として書いた。とにかく、そういう評価は間違っていないつもりです。

だけどアニメーションに関しては(これだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますが)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです。

何故そういう不幸なことがおこったかと言えば、手塚さんの初期のまんがをみればわかるように、彼の出発がディズニーだったからだと思います。日本には彼の教師となる人はいなかった。初期のものなどほとんど全くの模写なんです。そこにストーリィ性を持ち込んだ。持ち込んだけど、世界そのものはディズニーにものすごく影響されたまま作られ続けた。結局、おじいさんを超えることはできないという劣等感が彼の中にずっと残っていたんだと思います。だから『ファンタジア』を越えなきゃいけないとか『ピノキオ』を越えなきゃいけないとか、そういう強迫観念からずっと逃げられなかったとしか思えない、ぼくなりに解釈すれば。

趣味としてみればわかるんです。お金持ちが趣味でやったんだと思えば・・・

亡くなったと聞いて、天皇崩御の時より『昭和』という時代が終わったんだと感じました。

彼は猛烈な活動力を持っている人だったから、人の3倍位やってきたと思う。60才で死んでも180才分生きたんですよ。

天寿をまっとうされたんだと思います。

於 吉祥寺・スタジオジブリ 3/17

宮崎駿・特別インターヴュー

COMIC BOX Vol.61 1989.5 p108-109
手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と決別した。
特集ぼくらの手塚治虫先生(Good by, Mr.Tezuka Grate thanks for your comic works)より

これを思い返す度に思い出す別の言葉がある。

親愛なる宮崎駿様。

ここで僕は貴方の『未来少年コナン』の太陽塔脱出のシーンを想い起こします。

太陽塔によじ登り閉じ込められたラナを救出したものの包囲され行き場を失ったコナン。戻ることもならず眼下には千尋の谷の如き絶望がなだれ落ち、まさに絶体絶命の危機です。

この状況で貴方は二人を救出する為に何をしたか?

ラナを抱えつつ軽やかにとび降りるコナン(!)

このおよそ信じ難い方法を、それにひきつづくカットの巧みなつくりによって強引に納得させてしまった時、僕はまず茫然となり次に笑い転げ、最後に猛烈に悩みました。この解決方法で貴方は二人をまんまと救出し、しかもそのことの奇異さをむしろ親しみとしてコナンというキャラクターの上に定着させることに成功しています。まさに一石二鳥。

前略 宮崎駿様 <漫画映画について>

1984/3/6
すべての映画はアニメになる 押井守 P11より

こうして連綿と続いてきた作家たちの幾つもの傍流が大河となる。

若い時には憎しみを感じるくらいに鼓舞しなければ立っていられなかった相手が、いつかは遠くへ行き、その人の歳を超えてみなければ分からない事もあると知る頃、人はもう一度、その人と対面している。

若き日の考えを変えるつもりはないけれど、その頃の自分でもない事も知っている。

後から来る幾つもの幾人もの若者たちが登ってゆく山だ。その山を見上げては、溜息をつき、驚嘆し、悪態し、感心し、落胆し、冷笑し、歩くだろう。

だが、彼が漫画を歴史にした人なのだ。

勿論、乱暴な言い方だ、間違っているかもしれない。それよりも前の時代、同時代に後の時代にも漫画家と呼ばれる優れて歴史に残る人がいる事も承知している。

まぁ結論など出る訳もない、このままゆっくりと悩むこととする。

2011年2月12日土曜日

戦闘メカザブングル - 富野由悠季

戦闘メカザブングルの本質には、良く泣くこと、気持ちいい泣きっぷりの健全さがある。

三日の掟は、物分かりがいい象徴であって、物忘れがいい事の象徴である。
三日逃げ切ればそれでよしとするあっけらかんとした世界で、
それを拒絶し過去に縛られる主人公アモスが仲間を巻き込みながら先の世界へと進んでゆく物語だ。

西部劇の風と荒涼とした大地で文明から逃れられないイノセントと
自分たちの謎を解き明かし生き方を決めていったシビリアンとを対決として描き切っている。

過去を忘れていないイノセントと対立する構図を通して、
文明とは、何時しか自分達の生き方さえ決められなくするのではないか、文明とは呪縛ではないか、
そんなテーマを予感させる構図となっている。

と思ったら大間違い。

嫌な事は嫌といい、主張しては大泣きする。
それだけの気持ちのいい話。

それが、この世界観と明るさ。

未来があるからみんなが明るいわけではない。
今を思いっきり泣き、笑い、悩み、動き、腹を立てる。

未来が明るい展望だから明るいなんて詰まらない。
不安と明るさの同居があるから、泣き、笑い、悩み、動き、腹を立てる。

何故、ここまでこの作品は明るく描けたのだろう。

セリフは観客を意識していた、つまり、作中に文化の香りとしての演劇が登場したが
彼ら自身、演者なのである。勿論、ふざけていたのだろう、スタッフが。

スタッフの悪乗りを通用させて、何をしようとしていたのだろうか。

視聴者の笑いを誘わなければ狙えない世界観があったはずなのだ。

視聴者が良く笑うから、作中でよく泣ける。
誰かを泣かすために泣くのではない、ただ泣くのだ、

悲しみを分かってくれとは言わない、
ただその悲しみの時間を待ってて欲しい。

この作品では人の死ぬシーンは極めて少ないが、
作中では簡単に死ぬし殺す。
三日の掟とは、命の軽さの象徴でもある。

それは何かのアンチテーゼになっているのか。

物語の都合で殺されるくらいなら、いっそ軽く死んでやる。
そういう世界観はあるまいか。

三日の掟とは、実はアニメーションのキャラクター達の使い捨ての象徴ではないか。

当時のスタッフがそう考えていたかどうかではない。
この世界をよく見渡してみれば、そう言う事もできないか、それを本質と言えないか。

それをキャラクター達は拒絶した、俺達は使い捨てされない、俺達の世界で好きにする。
イノセントはスタッフの象徴でさえあった。

であれば、主役達よりも前にサブキャラ達が既にイノセントと対立していた理由も分かりやすい。
彼らこそ、最もよく使い捨てされていたのだ。

そうやって、キャラクターが極めて作品から独立して存在する。
まるでイノセントのように、ストーリーを成立させるために作り出されたキャラクターではなく、
住む世界があり、キャラクターが生き、そこにわずかばかりのストーリーを重ねたのだ。
スタッフが作中からストーリーになりそうな出来ごとを見つけ出し繋ぎ合せたかのような作品だ。

ザブングルグラフィティが継ぎ接ぎだらけなのもそのためか。

彼らは渡された脚本の上でストーリー通りに演じることを嫌った。
嫌な事は嫌だ、と答えた。
彼らに与えられた世界は受け入れても、それ以上は嫌だと言った。

感動させる話?泣ける話?怒りの話?
そんなものは嫌だといい、俺達が感動した時に、勝手に感動してろ、
泣いた時にもらい泣け、怒っている時に、一緒に怒ればいいじゃないか、そういう話だ。

この作品は、ザンボット3、ガンダム、イデオン、ダンバインらとは違う。

何が違うかと言えば、地球が違う。
この作品には、この世界の延長線上にある地球がない。

そして、彼らは自分たちが生きられる世界をスタッフに要求した稀有な存在だ。
彼らはスタッフと裏取引をし、その世界で生きていった。

そうしなければ、このキャラクター達が生きていける世界にはならなかった。
演出に従って動き、本物であるかのように振る舞う演技なんざまっぴらだ、
その世界に生き、キャラクタ―がそのまま生きている、演じろというなら大根芝居でも見せるさ、

アニメーションの世界で物語の外に生きるキャラクターを創造したのではないか。

例えば、オープニングやエンディングの哀しげな風、ブルースが口ずさむ。
これは彼らの本心なのかもしれない。

スタッフがそこを離れ、その世界に残されたままになっても、今も彼らはゾラの大地に住んでいる。

この作品を見ているとチルの存在の大きさに気付く。
彼女の世界観は、作品の存在と大きく重なり合うのだ。
ストーリーと何も関係することなく、一番純粋な喜び、泣き、笑う存在。

このキャラクターがいることが作品に一つの世界を与えている。
この作品はチルのために存在し、その他はみな脇役だ。

だからといって、この子供が中心ではない、主役だが脇にいる。
脇役が中心にいる、そういう世界。

ザブングルとは作られたストーリーではない、一つの存在する世界だ。
どんな困難も局面も、それをどうするかはキャラクター達の好きにする。

これは、ザブングルというドキュメンタリーではなかったか。

2011年2月4日金曜日

ガリア戦記 - カエサル

知り尽くした材料を以ってする感傷と空想とを交えぬ営々たる労働、これは又大詩人の仕事の原理でもある。「ガリア戦記」という創作余談が、詩の様に僕を動かすのも不思議はない。サンダルの音が聞こえる、時間が飛び去る。

と、こう小林秀雄は締めくくった。

ジュリアス・シーザーが元老院に提出した報告書であるガリア戦記は、遠い過去の話ではある。

最初を読み始めるのに、少しばかりの躊躇を感じる。

遠い異国の街が昔の名前で紹介され、聞いた事もない人の名が羅列され、景色が描かれ、風俗が紹介される。

そんな昔の話を読んでなんの得でもあろうか、と思えば本は開けない。

だが、見た事もなければ、訪れる事もないであろう遠い過去の話に、綿密に調べる暇もなく物語に投げ出されてみる。

本には誰かを導く甘い書き出しというものはない。

本に入り込むには、先ずは読む側が歩いて飛びこまなければならない。

すると、見た事もない蛮族の服装はどうであったろうか、ローマ軍の騎兵はどんな馬に乗っていただろうか。

ガリアの地から海を渡った船はどのような木造船であったろうか。

ガリアは遠い将来フランスと呼ばれ、海を渡った先には女王陛下が御座します。

この遠く離れた過去の出来ごとに、僕の小さな想像力は出鱈目な装飾を施す。

恐らく正しくもない服を着せ、馬に乗せ、歩兵に槍を持たせる。

そのように装飾された彼らは何の感情もないように敵を殺し、味方も死ぬ。

装飾は僕がしたが、敵を殺したのは、当時の人々だ。

そう書いてある。

その他のものは皆味方の騎兵が追撃して殺した。(I-53)

死とはなんであるか、そんな身近になった思いが浮かぶ間もないように、騎兵は逃げる敵を殺す。

それにしてもローマ軍の強さは圧倒的でさえあって、どうも兵力の差を考えるとカエサルが戦争が上手いというよりも、ガリアの人たちが戦争下手なんじゃあるまいか、と素人ながらに思えてくる。

どうやらカエサルが負けることはなさそうだ、と途中で思い始め、何故、ローマだけがこうも強いのか、何が違うのか、と不思議な感じがしてくる。

この物語の中心にあるのはカエサルだが、カエサルだけの物語ではない、これはローマの物語でありガリアの記録であり、ヨーロッパの昔話だ。

それは楽しむというより読む事を味わうようなものだ。誰にも覆しようのない歴史でも物語でもない世界で時々一兵卒となり槍を振り回すのだ。

この物語には誰れ一人として迷いがない、敵、味方ともに戦況にさえ悩んでいない、自分たちの生き方に、世界に、人生に、裏切りにさえ迷わない。

人の思いだの思想に揺れ動く、心理だの感情に煩わされる事のないこの記録が、今の作家の手で描かれたらどうなるだろうと思う。

現代に生きる我々には、もしかしたらこの物語の世界は、想像するだけの世界かもしれない。

だが、当時の姿から変わらないこの戦記を前にすれば、自分の想像力はせいぜい、彼らの着る服を装飾し振りおろす刀の形を思い浮かべる程度のものでしかない。

振り下ろすその腕やその寛容といったものは、本書の中で、もう変えようがない姿で定着している。

だから、映画のように、アニメのように、漫画であるかのように、ラジオのように想像は自由だ、どんな想像をしても決して打ちひしがれる事のない強さはこの作品自身が持っている。

それは一遍のレリーフのようだ、と、そう言いたかったのだろう。

逆に言えば、想像する力だけが(想像であれ、空想であれ構わない)本書に飛び込むために必要な唯一つの僕達の力だ。

2011年2月3日木曜日

アニカ・ソレンスタム54プレゼンツ

諸君私はゴルフが好きだ。
諸君私はゴルフが好きだ。
諸君私はゴルフが大好きだ

ティショットが好きだ セカンドショットが好きだ
アプローチが好きだ パットが好きだ
バンカーショットが好きだ レイアップが好きだ
ランニングアプローチが好きだ チップショットが好きだ
トラブルショットが好きだ

グリーンで ティーグラウンドで
フェアウェイで ラフで
バンカーで ウォーターハザードで
ブッシュで アウト オブ バウンズで
クラブハウスで レストランで

この地上で行われるありとあらゆるゴルフ行動が大好きだ

ティーグランドからのドライバーで轟音と共にボールを吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられたボールが林の方向に消えていった時など心がおどる

私の操る4番ウッドがボールを空高く打ち出すのが好きだ
悲鳴を上げて振り回すウッドから飛び出してきたボールがグリーン近くに落ちた時など胸がすくような気持ちだった

ボールを打ちこんだ5番アイアンが芝生を蹂躙するのが好きだ
芝生から薄く取られたターフが既に取られたターフの跡に落ちる様など感動すら覚える

敗北主義のプレイヤー達にパーですと宣言してグリーンを去っていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶボギーやダボ達が私の振り下ろしたパターとともに
金切り声を上げるカップインの音に力尽き倒れるのも最高だ

冬枯れのラフからウェッジでカップに健気に寄せてきたのを
私のチップインバーディで相手の心ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

バンカーに滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだったスコアが蹂躙され打数が増えていく様はとてもとても悲しいものだ

パターを外して絶望に押し潰されて自滅するのが好きだ
傾斜や芝目に追いまわされ折り返しを何回も外すのは屈辱の極みだ

諸君私はゴルフを
地獄のようなゴルフを望んでいる

諸君私とコースを周るゴルフの戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なるゴルフを望むか?

情け容赦のない糞の様なこのコースを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な天候を望むか?

ゴルフ(golf)!!
ゴルフ(golf)!!
ゴルフ(golf)!!

よろしい
ならばもうワンハーフだ

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとするゴルフクラブだ
だがこの暗い緑の芝で18ホールもの間耐え続けて来た我々に
ただのゴルフではもはや足りない!

賭けゴルフを!!一心不乱の賭けゴルフを!!

我らはわずかに4人のパーティにすぎない
だが諸君は一騎当千のゴルファーだと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総数4人のゴルフパーティとなる
我々を凍てつく寒さのホールへと追いやる冬のゴルフの魅力を思い起こそう
髪の毛をつかんでゴルフの魅力を思い出させよう

連中にゴルフの味を思い出させてやる
連中に我々のスコアの悲惨さを思い出させてやる

天と地のはざまには奴らのゴルフでは思いもよらないスコアがある事を思い出させてやる

100打にも及ぶ失敗だらけのショットで芝を刈り尽くしてやる

「ドライバー発動開始」
「4番ウッド始動」
「最後のアプローチよりグリーンへ」
「目標5番ホール、カップ上空!!」

第二次ホウライ攻略作戦状況を開始せよ
征くぞ諸君

(HELLGING Vol.4 平野耕太)

ウッドが一番簡単なクラブだって?
アニカのような天才の言うことはアマチュアにゃ理解できんわ。

2011年1月17日月曜日

Microsoft Office Home and Business 2010 - Microsoft

電子ブックは、活字の電子版ではない。だが、文字が発見され、活字が発明された延長にある。
始めの手出しとして写真を取り入れてきたが、この先がもっとある。

電子図書は、本の焼き直しじゃない。
そこには動く魅力がある。

例えばOfficeソフトにはマクロやスクリプトを搭載することで紙媒体と違うコンピュータらしさがある。
検索する機能についても紙より断然にいい。
でも不満はある。

例えば、ある項目にマウスをかざすと、詳細な案内のウィンドウを開くとか、
システム設計書であれば、動作のアニメーションが記述できるとか
そういう電子書籍としての振る舞いがそろそろ採用されてもいいと思う。

今のOfficeソフトは、どうこういっても、最終成果物は印刷という思想で作られている。
決して紙に移せないものこそを電子書籍と呼ぶのが相応しいのに。

文章での説明がまだまだ必要なドキュメントなんだけど
そろそろ、一読は一見に如かず、よろしく、色々な動作ができるようになって欲しい。

例えば・・・

1.用語にマウスを置いたら詳細な説明が出る、音が出る、図解がでる。
複数のウィンドウが開いて説明を開始する、google検索を行う。
もちろん、印刷時には、展開した形で表示できてもいい。

2.図やフローチャートは、アニメーションする。
パラメータ毎に動く経路が動画として見れる。
写真だけでなく、動画も貼り付けられる。

3.ドキュメント内検索の結果はGoogleやBingのような一覧で表示できる。

4.付箋を貼りつけられたり、赤線を自由に引けるようにする。
それが目次に反映できればいい。
また、関連するサイトの内容をドキュメントへ展開できるようにする。

5.ある行にマウスを置くと、関連する行や語句が自動で色付けされる。
関連するほうへ飛んでもいいし、下の方へ行くもいい。

6.別のドキュメントの一部を高速に参照できる。
サブウィンドウだったり、IFRAMEだったりに表示して。


これらの動きあるドキュメントの本質は、シミュレーションの魅力だろう。

例えば、学校の教科書。

◆算数
5+4と紙の本にはある。
これが電子図書なら、クリックしたら5つのリンゴと4つのミカンが出て来て、
一列にそれが並ぶ、一つ一つを数えるという動作をしてくれたら
子供の理解も深まる、かもしれぬ。

◆数学
微分方程式がある。
クリックしたらグラフに書いたり、パラメータを変えてみたり、
さらに微分をしてみたり、積分したりといろいろ弄くれる。

ニュートンがどういう理由で微分を欲したのか、天体の観測などと合わせて
どうして必要か、どう使うかをシミュレートできればいい。

◆社会
地理はgoogle mapと連携するし、現地の人とお話できるかもしれない。
歴史では主な合戦を時系列でアニメ―ションに表現することも可能だ。

◆理科
生物の細胞分裂をコマ送りでみれたり、ある場所に色をつけどうなるかを試す。
細胞分裂をDNAの動きでみることもできる。
人体の解剖図だって生きている時の動きを見たいし、
そこが細菌に犯されたり血管が敗れたらどうなるかも見てみたい。
これぞThe シミュレートではないか。

◆国語
言葉は実は電子出版の恩恵をあまり受けないだろう。完成しすぎているように思われる。
読んでくれても特殊な場合を除いてあまり嬉しくない。
動画を見たり聞いたりするよりも読む方が早いからだ。
ただ、タレントや女優の読本ならありえるかもしれない。

◆英語
発音してくれたり、重要な言いまわしは映画や音楽のシーンを再生して耳を慣らすなどいろいろあるはず。

◆音楽
例えばクラシックならある楽器だけをミュートして聞いてみるとか。

◆技術書
実はこれが電子書籍の恩恵を一番受けるんじゃないかな。

例えば、プログラムの例題があるとする。
本ならばソースコードだけだが、電子ブックなら一行づつ実行してどうなるかを追いかけることができる。
ソースを自分なりにアレンジする事も可能だ。

バグのあるデバッグするための例題があっても技術書として楽しい。

もちろん、フローチャートを書いたらパラメータをいろいろ指定してエミュレートして欲しいし
図解の動画、例えば、建築物なら地震での揺れをエミュレートするとか、風洞実験などができればうれしいだろう。

自由に色を塗り、自分なりの理解を深めたり、関係する場所をリンクし、一つをクリックすれば
リンクされた場所が全て同じ色で発色するというのもいい。

試してみれる事、パラメータを変えれる事。一部を抜き出す事、改変できる事。
その上でどうなるかを試す事。

シュミレーションってのは何度も試せることだと思う。

こういうのが可能なはずだから、電子書籍の今後は期待できる、と思う。

利用者のUIとしてはiPhone,iPadが提案された。
あとは製造者側のUIが課題として残されているわけである。

Officeソフトも電子書籍もまだひよっこなんだ。

HELLSING - 平野耕太

諸君私は戦争が好きだ、から始まるこのフレーズによって
諸君という言葉を平野耕太は所有してしまった。

これ以降、諸君という言葉を使うものは、平野耕太から借りるしかなく、全てはHELLSINGのパロディに過ぎない。

この平坦なストーリーの漫画の中で輝くこのスピーチは、ほとんど絶後でさえある。
一つの日本語を所有するなど、今まで誰にできただろうか。

それほどまでに、この漫画のこのセリフは完璧だ。
まるで一遍の詩だ。

そうだ、HELLSINGは詩集と呼ぶべきなのだ。

呪われた我らの旗を
ドイツ第三帝国海軍大西洋艦隊
旗艦アドラーこれより作戦行動に入る・・・

諸君私は戦争が好きだ。
諸君私は戦争が好きだ。
諸君私は戦争が大好きだ

殲滅戦が好きだ 電撃戦が好きだ
打撃戦が好きだ 防衛戦が好きだ
包囲戦が好きだ 突破戦が好きだ
退却戦が好きだ 掃討戦が好きだ
撤退戦が好きだ

平原で 街道で
塹壕で 草原で
凍土で 砂漠で
会場で 空中で
泥中で 湿原で

この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ

戦列を並べた砲兵の一斉発射が轟音と共に敵陣を吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられた敵兵が効力射でばらばらになった時など心がおどる

戦車兵の操るティーゲルの88mmが敵戦車を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかる戦車から飛び出してきた敵兵をMGでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

銃剣先をそろえた歩兵の横隊が敵の戦列を蹂躙するのが好きだ
恐怖状態の新兵が既に息絶えた敵兵を何度も何度も刺突している様など感動すら覚える

敗北主義の逃亡兵達を街灯上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ虜兵達が私の振り下ろした手の平とともに
金切り声を上げるシュマイザーにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ

哀れな抵抗者(レジスタンス)達が雑多な小火器で健気にも立ち上がってきたのを
80cm列車砲(ドーラ)の4.8t榴爆弾が都市区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

露助の機甲師団に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだった村々が蹂躙され女子供が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ

英米の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
英米攻撃機(ヤーボ)に追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ

諸君私は戦争を
地獄のような戦争を望んでいる

諸君私に付き従う大隊戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる戦争を望むか?

情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?

戦争(クリーク)!!
戦争(クリーク)!!
戦争(クリーク)!!

よろしい
ならば戦争(クリーク)だ

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間耐え続けて来た我々に
ただの戦争ではもはや足りない!

大戦争を!!一心不乱の大戦争を!!

我らはわずかに一個大隊千人に満たぬ敗残兵にすぎない
だが諸君は一騎当千の古強兵だと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の軍集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさえ思い出させよう

連中に恐怖の味を思い出させてやる
連中に我々の軍靴の音を思い出させてやる

天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事がある事を思い出させてやる

一千人の吸血鬼の戦闘団(カンプグルツペ)で 世界を燃やし尽くしてやる

「前フラッペン発動開始」
「旗艦デクス・ウキス・マキーネ始動」
「最後の大隊大隊指揮官より全空中艦隊へ」
「目標英国本土ロンドン首都上空!!」

第二次セーレヴェー(あしか)作戦状況を開始せよ
征くぞ諸君


このセリフ以降、この漫画には死人しか出てこない。
ケチャップを潰したかのように血が流れ、
一巻一殺よろしく、次々と登場人物が屠殺されてゆく。

それでもストーリーから目を離せないのは、決して面白いからでも
感動しているからでもない、始まった戦争から逃れられないだけなのだ。

そして、そこに居ても正気を保てるのは、この漫画の世界に依存する。

この漫画に登場する人物は、観念の集合のように見え
その証拠に一切ウンコをする気配のない人間しか登場しない。

人形劇と呼んでも良い。
だが、この登場人物たちがうんこをする人間であったりしたら
きっとこの物語は正視に耐えられない、恐らく、わずかな人を除き。

逆に、そこだけが、この物語を正気たらしめる、唯一つの立地点のように思われる。
この詩が成立するためには、この漫画が必要なのだ。


誰も、もう諸君と言う言葉を自由に使うことはできない。
幾つかの先人の言葉にだけ、元の意味を残している言葉がある。
それはあの大虐殺の中で生き残ったわずかな人のようでさえある。

それはまた、同じく不死のようだ。

生徒諸君
ヤマトの諸君
諸君にラピュタの力を見せてやろうと思ってね
検察諸君、私を止めてみたまえ

僕の思いつく限りでは、生き残ったのはこれだけだ。

2011年1月11日火曜日

ちはやふる 11 - 末次由紀

漫画の中には音がある。
音楽とは違う。

それは呼吸している気配であったり、歩く音だったりするが、
自然の音として普段の生活の中でも気付くことの少ない音だったりする。

漫画の中で音の表現は昔から幾つもの作家が幾通りもの方法で実現してきた。

擬音であったり音符であったり。声(セリフ)であったり。心の内であったり。
ただの一本の流れる様な線に音符を重ねて音楽となることもあった。

映画に類似されることもある漫画では、音は重要な要素であった。
ただ映画と違い、紙から音が出る事はなかった。

だから音の表現というのは案外に漫画の独特の表現であるのかもしれない。
絵画やイラストにそういうものがある印象は薄い。

音には、漫画の主題(背景)としての音楽があったり、碁石の音があったり、
ロケットの打ち上げや、笛の音や、雨音や、
海を泳いでいる音や、銃や、宇宙の音など様々である。
声が出せない人が話すセリフもある。

セリフは漫画の中の重要な音であるが、これは吹きだしの中にある。
吹きだしの中で読まれるものとして置かれている音であり、多くは声である。

そして吹きだしの外にも声がある。

ざわめき、声援、群衆、応援、人の声の擬音。

かるたという世界が主題のちはやふるは、
歌詠みの発声をセリフではない音として存在させている。
かるたを読んでいるいるとき、読手の声だけが響き、他の人は呼吸だけになる。

この漫画からは、その呼吸の音さえ聞こえてきそうだ。

この作者がどれほど丹念に登場人物を描いているか、
色々なコマの端々から想像するのが好きだ。

それは登場する人物、端役の人物を含めて、彼ら彼女達が
ちゃんと息をしているように描かれている事からわかる。
端役の人物にさえ、人生が将来が見えてくるようだ。

この作者がどれだけフェアであろうとするか、
それはセリフの端々から感じる。

男女の別なく
体格の別なく
年齢の別なく
知性と
体力の別なく
読まれた瞬間に
千年まえとつながる
そんな競技
いくつもない

稲妻が見えて暫くしてから落雷が響くように、
音として聞こえてから言葉になるまでのわずかな時間がある。
そんなわずかな音さえも聞こえてくるような気がする。

漫画の底には無音があるはずなのに。
だが、音は聞こえてくる、僕達の耳に届かないだけで
多くの音が、声が漫画の中から生まれてくる。

一コマでも、表紙でも見てみればいい、みんな何かを伝えようと声を出しているじゃないか、
息を吸って吐いて、踏ん張っているじゃないか。

それが全てのコマの全ての人がみんながみんなしているじゃないか。
だたの一人として息をしない人はいない、音を立てない人はいない。

生きているのであれば。

静けさの中にさえ、存在が音として聞こえてくる。

この作者は、届かない声を、聞こえない音を、僕達に届けとばかりに
ガラスの向こう側から懸命になって叫び続けているのかもしれない。

そこにあるのはただの声ではない、誰もが他人へと、誰かへとかける声だ。
誰かのために考える声だ、誰ひとりとして自分のためだけの声など発していない。

考えるだけの声ではない、思うだけの声でもない、
自分に語ることなく、この漫画の全ての登場する人物は、みな
他の人へと声をかける。

それは、自分の人生に向きあい行動することに等しいように思われる。


あさぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

2011年1月8日土曜日

サブプライムローン破綻の真相

サブプライムローンの破綻を受け、今後、CDSも破綻することが懸念されている。これは経済状況を悪化させ、大不況に多くの国が苦しんでいるのだが、これがアメリカの陰謀であるという話が世間でまことしやかに囁かれている。

そんな馬鹿なと思う読者もいるだろうが、実は、これが真実であるのだ。実際、霞が関では、この話自体は当たり前の事として受け取められており、その先をどうしてゆくのかという話に話題はシフトしている。

この破綻劇に隠されたアメリカの真の目的、戦略、そして世界へのメッセージは果たして何であろうか?

アメリカは京都議定書を離脱したことからも分かるように地球温暖化活動にあまり熱心ではない。これは政府が石油産業や自動車産業など経済界からの反発を恐れてのことだ、と従来は言われてきた。

しかし、NASAを有し地球を全方位から観測するアメリカ。ノーベル賞受賞者が一番多い国、アメリカ。大学では世界トップ10をイギリスと分け合うアメリカ。この大国アメリカが果たして本当に地球温暖化という危機に気付いていないことがあろうか、いいやない。

そのアメリカが本気で地球温暖化対策を画策してみたのが、2001年の事であった。副大統領のゴア氏は、実はエージェントとして世界中を飛び回り、各国政府と話をし、この問題についての各国政府の本心を調べていたのだ。

だが、この時は、世界にアメリカと真のパートナーシップを組んでくれる相手を見つけることができなかった。アメリカと供に温暖化対策について本気で取り組む国がいなかったのだ。

ヨーロッパは地球温暖化対策をビジネスとしてしか考えていなかった。CO2という第二のチューリップ(の球根)で新しい商売をしようとしていただけであった。

中国やインドなどBRICS諸国は、この問題に全く興味を持っていなかった。

日本は、アメリカがやれと言えばやるだろうが、自発的にやる気など全くなかった。

アメリカは、アメリカ単独でこの地球的規模の問題に取り組まなければならないことに気付いたのだ。実に2005年、春の事である。そこで全世界を巻き込んで温暖化対策するために、アメリカが取った方法が経済活動を低下させる、というものである。

経済活動が低下すれば、地球温暖化対策になるというわけだ。不況になれば、工場は潰れたり、操業時間が短くなるからCO2の排出量は減り、車の利用も減少する。

石油の値段を上昇させるというアイデアもあったが、詳細なシミュレートの結果、思ったよりもCO2排出量が減らない事が分かった。TOYOTAの車の燃費が良すぎたからである。

そこで、アメリカは最後の手段に打って出る事にした。例え、自国の経済が壊滅状態になろうとも、地球温暖化対策を行なう。自国で一番強い金融産業を潰し、世界を大不況にする。

それがサブプライムローンの破綻である。これで10年近く、地球は世界規模で産業活動は停滞するであろうし、その分だけ地球温暖化を遅らせ歯止めする。

恐るべしアメリカ、
これがサブプライムローン破綻の真の理由である。

時の行者 - 横山光輝

2008/10/05

次の選挙は関ヶ原であると、民主党。

民主党の小沢党首は、先の党大会後の記者会見で
次の選挙で民主党が過半数を得て政権与党になった場合、
天皇家に征夷大将軍を任命するよう要請すると語った。

もし征夷大将軍になれば、先の徳川慶喜以来、王政復古の大号令で廃止されてから141年ぶりの復活となる。

この談話を受けて鳩山幹事長は、小沢さんが清和源氏の家系になるものかを至急確認しなければなりません、と語った。
また、政権政党でなくなった場合は、征夷大将軍はお返しする、大政奉還である、とも語った。

一方、自民党の麻生総裁は、家系が源氏でないため、征夷大将軍になれないのがはっきりしている。
そのため、選挙前に摂政・関白となることを画策する方針を固めた。

関白となれば、二条斉敬以来、これも140年ぶりの復活となる。

ヒカルの碁 - ほった ゆみ, 小畑 健

囲碁ってのは本当に面白いもので
解説者が面白ければ、わからなくても十分に楽しめる。

自分が打っててよくあるのが、
自分の陣地だと思っているところに相手が石を打ってくること。

えー、まさか、ここ、もう、俺の領土だよ、
そりゃ、無理だろうよ、って思えば、相手にしないわけです。

しかし、その自信がなければ、なんらかのお返事となる手をを打つ必要もあります。
俺の領土だって言ってるだろ、ビシッ!

勿論、相手にしなくとも十分自分の陣地である場合もあります。

しかし、そんな場合でも相手が一枚上手だったり、見損じがあったりすると。。。

え、まさか、おっとと、むむむ、、、、あ!手遅れだ、取られた、
もうどうしようもないと、相手にすっかりやられてしまう場合もあります。


思えば、中国も韓国も同じアジアの国であります。
ましてや、囲碁では強力なライバル同士。

ヨーロッパのやり方、くそくらえ、アジアにはアジアの歴史がある如く。

今日も我が国の領土に石を打ち込んできます。

当然のことながら、よく見極めた上で、応じるのか、手抜きするのか、
最善の手を打つのが碁打ちの心得というものであります。

”待った”なぞ厳禁であります。

序盤に打たれた死んだはずの石が生き返る、
囲碁ではよくある風景であります。

何年も前に打たれたあの石、どうやらまだ死んだ石とは見ていないようです。

もう一言加えれば、勝ち負けはどうあれ、
終わったらありがとうございました、礼で終わるのがマナーというものです。

囲碁の経験なくして政治を語る勿れ。

2011年1月7日金曜日

僕ではわからぬ太平洋戦争 序

1.方策
明治維新(1868.10)から73年。
日清戦争(1894.7)から45年。
日露戦争(1904.2)から37年。
第一次世界大戦(1914.6)から27年。
第二次世界大戦(1939.9)から2年。

太平洋戦争(1941.12)は始まった。

この戦争は、戦後の日本を決定づける重大な影響を与えるが
その目的も経緯も未だにはっきりとしていない。

あるものは軍部の独裁をいい、
またあるものは国民の熱狂をいい
またまたあるものはアメリカとの交渉をいう。

戦後の日本の歩みがいかなるものであれ
戦争に負けた事が問題の本質なのだ。
なのに何故アメリカと戦争したのか?
何故負ける戦争をしたのか?
これの答えが欲しい気がする。

ただし次のような結論にはしないようにしたい。

・個人のせいにしない
誰かがいなかったら歴史が変わったという事はない。
今のあなたが誰かのかわりになっても歴史は変わらない。

・無能ではない
全ての人が自分の仕事を最大限に頑張った、頑張りすぎた。
一生懸命頑張ったから戦争になったのだ。
誰かが怠慢だったり無能であったからあのような歴史になったわけではない。

・戦争中の事は考えない
戦争をどう頑張っても恐らく勝つ術はない。
どんな兵器を手にしたとしても歴史は変わらない。


2.あらすじ
日本が戦争へと至る道すじを簡単に書いてみる。

江戸時代までさかのぼるべき話だとは思うが
ここは日露戦争以後とする。

日露戦争の勝利(1905.9)は、当面のロシア南下という不安を一掃した。
そして、この勝利は、中国大陸に足を踏み入れる第一歩となった。

中国の混乱は、西洋列強による進出から始まったもので
アヘン戦争(1860)から既に50年近く中国は混乱し続けていた。
ここに日本も足を踏み入れたのだ。

孫文による中華民国の建国(1912.1)と清の滅亡(1912.2)から
国民党(1919.10)や中国共産党(1921.7)を生んだ。

またソビエト連邦(1917)の発生は、ロシア南下という不安を生じ満州が注目された。
日本にとって満州地区の安定は、国防上も、経済上も重要視された。

ついに、中国大陸での排日運動の激化は関東軍による満州事変(1931.9)を起こす。
この地域の安定を求めた関東軍が独断でこの地域を鎮圧したのである。

この事変の首謀者である関東軍参謀の石原莞爾、板垣征四郎らを厳しく処分しておけば、
その後の関東軍の暴走はなかったかも知れない。
陸軍の暴走が止まらないの理由の一つは身内に甘い態度であろう。
基本的に優しすぎる奴らの集まりだったのだ。
結局関東軍では梅津美治郎が粛正するまで暴走は終わらなかった。

満州国境での排日運動の激化は次に支那事変(1937.7)を起こす。
この事変は日本の予想に反して長期間化し、
その解決のためには南京までの進出が必要と判断した陸軍は
松井石根をして南京まで兵を進めた。

しかし、この成果によっても日本政府は中国政府と和平できず
この事変は結局敗戦(1945.8)まで続く。

一方で20世紀は、国際同盟がありパリ不戦条約(1928.8)を締結する世紀であった。
この条約は自衛戦争以外の戦争は認めないものである。
これは、戦争する場合は、国際社会を納得させなければならない、という事だ。

この条約によって、戦争のあり方は大きく変わった。

昭和金融恐慌(1927.3)の発生後、大恐慌(1929.10)がアメリカで発生する。
この影響で日本でも昭和恐慌(1930.1)が起きる。
日本は、高橋是清により円安と輸出への注力によって回復しようとするが、
大恐慌は、世界的なブロック経済圏を作ることになった。

日本のブロック経済圏は満州であり、
中国大陸への進出を目指したアメリカは、中国への支援を行なっていた。
支那事変は、中国へ進出しようとしたアメリカと日本の戦争でもあった。

国内では、25歳以上の男子による普通選挙(1928.03)が実現した。
515事件(1932)、226事件(1936)などの国内は混乱を極め、
三国同盟(1940.9)の締結、大政翼賛会(1940.10)の結成など政府も混乱していた。
軍部大臣現役武官制(1900,1936)の復活が内閣を弱くしたという話もある。

そして、山縣有朋(1922)、松方正義(1924)に続き
最後の元老、西園寺公望(1940)が亡くなった。

日本の課題は、支那事変の終結であったが、これに有力な方法を見いだせず
また方法はあっても軍部を抑える事は困難を極めた。

この支那事変が太平洋戦争の直接のきっかけとなる。

アメリカは、支那事変の経緯から日本に対する圧力を深めた。
特に石油の禁輸は軍部の首を直接絞めたに等しい。

昭和16年は日本がアメリカとの戦争を仕掛けることができる最後の年であった。
これ以降では、石油の欠乏と彼我の軍事力の乖離により戦争は絶対に不可能となる。
最後のチャンスにかけて戦ってみるか、頭を下げるかの選択であった。

早い話が競馬の最終レースに電車賃を突っ込むかどうかの分かれ目だったのである。

アメリカは、この時点まで中国は勿論だがヨーロッパでさえ戦争に参加していない。
最後までアメリカ側から戦争を始める事は無かったのである。

大日本帝国は、戦争計画も和平交渉のあてもないまま
なりふり構わずに戦争へと突入していった。


3.問題
開国以来のロシアの脅威、
中国への進出とアメリカとの対立、
大恐慌と国内政治の混乱、
これらが大きな背景だろうか。

他の列強と同じように中国の地に派兵し、満州国を建国し、
支那事変を終結するために、南京を攻め
支那事変を終結するために、アメリカとの戦争に踏み込んだ。

何故、戦争に負けたのか?
アメリカと戦ったからである。
当時の日本はアメリカ以外の国となら十分に戦争する事が可能な国であった。

戦争で負けないためには、
アメリカと戦争しなければ良かったはずである。
アメリカから戦争を始めることはないのだから、
日本から開戦さえしなければ戦争にはならなかった。

ひたすらに交渉すればよかった。
その結果、満州国も含め中国から撤退することになったかも知れない。
その時、どうなったと日本は見ていたのか?
それは本当に妥協できない事だったのか?
しかし、それは誰にもできなかった。

大日本帝国は、元老があって初めて機能したのではないか。
そんな風に思えてくる。

元老が消滅した時に、それに代わる制度が必要だったのではないか?
それが消滅したために破綻したのではないか?

それが健全であれば別の道を取り得た野かも知れぬ。

元老が果たした役割は何であったのか?
それにとって変わる制度が生まれなかったのは何故か?

何かが欠陥だったのではないか?、
その欠陥は例えば江戸幕府ではどういう形で補完されていたか?
現在では、その欠陥は十分に補われているのか?

これへの回答を求める。


4.まとめ
明治維新から日本は西洋を参考にして国の制度を整えた。
しかし元老という制度が消失し
それに変わる制度を生み出せなかったために
支那事変を巡る問題でアメリカとの交渉に失敗し、
石油の禁輸をされたため
アメリカに勝てる可能性がある昭和16年に開戦した。
しかし、その時点で勝てる可能性は小さく、
その小ささをひっくりかえすこともできず
敗戦へと至る困難な坂を下ることになった。

2011年1月6日木曜日

生声CD付き [対訳] オバマ大統領就任演説

201x年未来
○○党が政権与党となった今夜、党首である○○○○さんの演説です。
***************

日本のみなさん、こんばんは。

日本は、あらゆることが可能な国です。
それを未だに疑う人がいるなら、今夜がその人たちへの答えです。
神武天皇の夢がこの時代にまだ生き続けているかを疑い、
この国の民主主義の力を未だに疑う人がいるなら、
今晩こそがその人たちへの答えです。

(略)

老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。
民主党員も自民党員も、
アイヌ人もおきなんちゅも、縄文も弥生人も帰化した人も、
ゲイもストレートも、
障害者も障害のない人たちも。
日本人はみんなして、答えを出しました。
日本は今夜、世界中にメッセージを発したのです。
私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、
単なる県と道と府と都の集まりだったこともないと。

(略)

私たちの前には、長い道のりが待ち受けています。
目の前の斜面は急です。
目指すところに、1年ではたどりつかないかもしれない。
内閣総理大臣として1期を丸ごと使っても無理かもしれない。
しかし日本よ、私たちは絶対にたどり着きます。
今夜ほどその期待を強くしたことはありません。

みなさんに約束します。
私たちは、ひとつの国民として、必ずたどり着きます。

これから先、挫折もあればフライングもあるでしょう。
私がこれから内閣総理大臣として下す全ての決定やすべての政策に
賛成できない人は、たくさんいるでしょう。
そして政府がすべての問題を解決できるわけではないと、私たちは承知しています。

けれども私たちがどういう挑戦に直面しているのか、
私はいつも必ずみなさんに正直に話します。
私は必ず、皆さんの声に耳を傾けます。
意見が食い違うときは、特にじっくりと。
そして何よりも私は皆さんに、この国の再建に参加するようお願いします。
国を建て直すとき、日本では過去2668年間、いつも必ず同じようにやってきた。
ごつごつになったタコだらけの手で、
石を一つ一つ積み上げ、ひのきの板を一枚一枚積み上げてきたのです。

(略)

そして私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。
今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、
私には、皆さんの声も聞こえています。
私は、皆さんの助けが必要なのです。
私はみなさんの内閣総理大臣にも、なるつもりです

(略)

この国から遠く離れたところで今夜を見つめているみなさん。
外国の議会や宮殿で見ているみなさん、
忘れ去られた世界の片隅でひとつのラジオの周りに身を寄せ合っているみなさん、
私たちの物語はそれぞれ異なります。
けれども私たちはみな、ひとつの運命を共有しているのです。
日本のリーダーシップはもうすぐ、新たな夜明けを迎えます。

(略)

Yes we can。

日本よ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。
こんなにもたくさんのことを見てきました。
しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。
だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。
もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。
もしも私の娘たちが幸運にも、金さん、銀さんと同じくらい長く生きられたとしたら。
娘たちは何を見るのでしょう? 
私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?

(略)

Yes we can。

ありがとう。仏様の祝福を。そして仏様が日本を祝福しますように。

機動警察パトレイバー the Movie - 押井 守

「もういい!止めたまえ!!!」

臨時閣議の場において、センゴクの発言はさえぎられた。

「聞けば、このビデオは、謹慎中の海保隊員が、臨時で雇われたハッカー共に編集したものと同じそうだが?」

「君はこのビデオで、内閣の信頼が上がると本気で考えてるのかね。」

「専門家の報告によれば、海外の串を幾つも通しておけば犯人の特定は実質的に困難とのことです。一度、たれ流したものを取り返すことも当然不可能です。

あの 6 分の映像を公開した後に全てを公開するはめに陥ったら、国民を欺こうとした、情報操作した、売国だ、と政府は批判され、野党は鳴動、ネットに林立する百数十に上る掲示板に非難の咆哮が上がり、首都圏 8000 のツイッタラーが暴走を起こす。

その結果がどうなるか、申し上げる必要もないと思います。パソコン並びに携帯はもとより、地下千メートルのジオフロント作業区、さらには一部の原発の炉心部でもyoutubeは閲覧可能であります。」

全員が無言の中、カンが口を開いた。

「センゴク君。日本の世論は、流出ビデオが出たら情報管理さえまともにできないと言うぞ。仮に君の主張するビデオが公開されたとして、事実上、国民支持率は下がると見て良いのではないかな?」

「国民の支持率は、新聞社の協力を得て取得中とはいえまだ不明であります。6 分の映像を公開したところで支持率が上がる可能性は薄いと専門家の意見も一致しています。

この場合、一度でもこの事件を耳にしたことがある人は、全ての映像を希求していると考えるのが妥当です。」

「6 分の映像を流すか、内閣をなぎ倒すか、このまま無言を続けるか、それとも・・・四者択一、決断をお願いします。」

センゴクの言葉を受け、カンが次のように結論した。

「本日未明より海保の映像が確認されるまでの期間、国内における尖閣に関する会見はこれを全面的に禁止する。記者クラブ、海保、警察も同期間は報道を禁止する。米国、ノルウェー、並びに隣接する各国にも趣旨説明を行って協力を求める。以上だ。」

カンの発言が終わり、全員が退室しようとした。
そこにセンゴクがカンを引き留めた。

「首相、質問があります。ハッカーがしでかしたことでしたら、それが何であれ責任がどうこうという問題にはならないと思いますが?なんせハッカーのすることですから。」

センゴク、ニヤリ、

「・・・・・。無論だ。ハッカーなら致し方ない。」

カンは数秒考えてから、そう答えた。

「センゴク、部署へ戻ります。」

臨時閣議は解散した。


「どういう事です?」

帰りのエレベーターの中で、一部始終を見ていた内閣官房副長官補が質問する。

「言ってたでしょう?ハッカーなら仕方ないって。やっちゃった後で内閣支持率が上がればヨシ。できなければハッカーによる事故とおとぼけを決め込む。バレたらバレたで俺に詰め腹を切らせるって事。カンもワルですねー。」

「カンさんも可哀相に・・・」

「可哀相なのはこっちですよ。失敗すれば私達が犯罪者です。やっぱり止めておきます?」

「いえ。国が堂々と公開すれば問題になります。流出で済むなら、やった方が良いです。」

「官僚ってのはそうこなくっちゃ。じゃあ決まりですね。」

「しばらく戻りませんから、マエハラさんの指示で動いておいてくださいね。」

「了解。」

そこに外務副大臣がが駆けてくる。

「ねえ、何が始まるの?」

彼は一拍置いて、こう答えた。

「海保のビデオを流出させるのさ。」

ハーバード白熱教室 - マイケル・サンデル

その理由は私たちは日々、これらの質問に対する答えを生きているからだ。
(We live some answer to these questions every day.)

尖閣諸島白熱教室

ここに君たちに一つの質問をしよう。

ある事件の映像を海上保安庁の職員が公開した。これは、政府が公開する前にその職員がリークしたものだ。

問題はこうだ。

彼は彼の正義に従って公開した。
だが、この行為は道徳的に許されることなのか?という事だ。

つまり、正義と道徳は一致しないことがあった場合、我々はどちらをとるべきだろうか。
という問題に突き詰めることができる。

はい、その君。
「私は正義を貫くべきだと思います。今回、政府の中国に対する弱腰に不満を持つ人は多いです。その政府が非公開としたとき、これを咎める事は、正義になります。」

「この行為を正義であるとする理由は彼自身が言っているとおり、これを見る権利が国民にはある、ということです。情報公開をうたって政権を取ったのにこれを隠すことに正義があるとは思えません。」

政府には非公開にする理由があったとは考えられないだろうか?
例えば中国との外交問題が更にこじれることを避けたいとか、経済制裁する理由を相手に与えることになるとか。

「私は、経済静止を受けようとも政府がそんな弱腰であることが許せません。」

しかし、君たちが選んだ政府だよ?

「私はその政党には投票していません。」

(笑)

では反対意見は、後ろの君。

「私は、公務員が政府のやり方に不満を持つのは構いませんが、不満であるからと勝手に公開することは、テロやクーデターにも匹敵する行為だと思います。」

「このような公務員としての道徳に違反した行為を正義の名の下に許してしまえば国として成立できなくなるのではないかと危惧します。」

「今回の彼の行為を正義と認めても構いませんが、このような反道徳的行為が続けば、次、その次と政府に反感を持つものが勝手に動いていくことを認めることになります。」

「次に政府に対して行動するものが、本当に正義の名に値するかは誰にもわかりません。」

「私たちの国には正義の名のもとに、クーデターを起こそうとした歴史があります。」

「彼の行為は道徳的に問題であるというのだね。」

「ええ、政府が非公開、または、保留中の事項をその組織の下のものが勝手に公開しては組織が成り立ちません、仕事に対する道徳としてみれば問題だと思います。」

これに対する反論は?

「515 事件は確かに反乱ですが、それを言えば明治維新だって時の政府への反乱です。反乱であることが必ずしも道徳的にも間違っているとは言えないと思いますけど。」

はい、君。

「民主主義のもとでは政権交代という形で変革をすればいいのであって、それ以外の反乱を認めるべきではないと思います。」

なるほど、難しい問題だね、そこの君。

「昔、吉田松陰という人が当時の規則を破り、アメリカに密航しようとした事がありました。当時は死罪となるような事件です。しかし、その法律を破ってまで渡米しようとした松陰の魂は、その後の倒幕の流れを作りました。」

「例えば法を破ってでも正義のために行動することを咎める事は出来ないと思います。結局、松陰は死罪になりました。同じように罰を受けるかもしれませんが。」

反論はあるかね。
「はい。先の大戦において、関東軍が中央政府の方針を無視して満州国を築きました。このときの首謀者、石原莞爾を始め、暴走する軍部に対して厳しい処罰をしてきませんでした。これが、結局戦争にまで続くことになります。政府に従するもの、厳罰しなくては、第二第三の造反者を生みだすだけです。」

つまり、君たちが言いたいのは、彼を処罰すべきかどうか、という事かな。

それでは、正義と道徳のどちらを優先すべきか、正義とは道徳に基づく行為なのか、それとも、この二つは異なる側面を持つものなのか?

更には今回の行為は正義なのか、正義ではないのか、道徳的であったか、そうではない行為なのか、

正義とは何に基づく行為であり、
道徳とは何に基づく行動なのだろうか?

そういう話と、彼への処分とは違う話だと思われるのだが、どうだろうか。

はい、そこの君、君の意見は?

台風のフー子 - 藤子・F・不二雄

日本は我々がまず2島を引き渡した後、すべての島を渡すと思っていたが、
これらの島(=四島)がロシア領であるとの立場を取っている

ドラえもん、ロシアが僕の北方領土を返してくれないよー。

のび太くん、鈴木宗男を収監するからじゃないか、自業自得だよ。
ロシア君の友達にあんなことしちゃダメだよ。

えー、だってあいつ利権持ってるんだもん。

やれやれ、のび太くん、ロシアもこれから中国と対抗するために、
北方領土の重要性に気付いたんじゃないのかな~、無理だよ。

だって、だって、あれ、僕の島だよ~

そんなこといっても、アメリカ君とのケンカに負けたのがいけないんだよ、
僕があれだけ止めたのにケンカなんかしちゃてさ。

だからって、そのどさくさで僕の島を取ってかなくてもいいじゃないかー
なんとかしてよ、ドラえもん~

無理だよー、そんな便利な道具なんてないよ

仲良くしたら返してくれるかなぁ

何言ってんだよ、のび太くん、
バブルのとき、あんだけおごってあげても返してくれなかったでしょう。
そん時だって、返す、返すと口約束だけだったでしょう。
今回、ロシア君の本音を言ってくれたのはとっても良い事なんだよ。

えー、じゃ返す、返すと言ってたのは、なんだったのさー

今までは子供扱い、これからは大人扱いってことさー

それって、良い事なの?

さぁ、子供ならケツの毛まで抜かれることはないと聞くけどね・・・

ドラえもーーん、なんか道具出して、今すぐ、ハリーアーーーーップ!

仕方ないなぁ、のび太くん、
タラララッタラー
あれ、3つ出てきちゃった。

3つもあるの、それ使わせてー

はい、一つ目、核兵器。

・・・・

はい、二つ目、造幣局

お金で買うの?ハイパーインフレしない・・・

はい、三つめ、核廃棄物

これで海を汚染してこいと・・・

ド、ドラえもん・・・って、ド右翼だったの?


のび太くん、ほんとは自分で考えないといけないんだよ。
返してもらえる条件を調べて、そのタイミングを待たないと。
圧倒的不利だけど、相手の本音がちゃんと聞けたんだから
これはロシア君に感謝してもいいんだよ。

のび太くんがジャイアンに勝ったケンカあるでしょう。
あれと同じで最後まで諦めない方が勝つ事もあるんだから。

うん、わかったよ、ドラえもん。
でも、取り返す道具に外務省がなかったけど、何か深い意味あるの?

2011年1月2日日曜日

半分のコップの水

コップに半分の水が入っている。

これをどう思うかという話。

ちょっと調べてみたけれど、これを最初に言った人の話は見つけられなかった。渋谷昌三という人の本に書かれているようだが、この人が初めなのかな。

さて、これ、答えを知らない人にはなんのこっちゃの問題文である。

どう思うかって、普段から人はコップには水が入っていないものと思っている。だから、ああ、半分まで水の入ったコップですね、なんで一杯まで水を入れないんですか、とか、なんで水を入れてあるんですか、と言うほかはない。そこから思う事はそりゃ色々だ。あ、おじいさんに薬飲ますのを忘れた、とか、あ、洗濯しなきゃ、とか、水よりもコーラが飲みたいとかね。

で、よく言われてるのがこちらの話。

「まだ、半分も水がある」

「もう、半分しか水がない」

どっちと思う?

半分の水への感じ方で楽観的か悲観的かがわかる、というお話。

砂漠を想像しよう。近くにオアシスなぞなさそうだ。あとどれだけ水が残っているんだ、水筒の中を見てみたら、

ああ、まだ半分も水があると楽観した人はポジティブ、半分しかないと悲観した人はネガティブだよね。というカラクリ。

なるほど、で終わるだけの話なんだが、この話しには続きがある。

まだ半分も水がある、と思った人は、この言葉の後に次のように続く。

ああ、俺が思っていたよりも水は多い。

もう半分しかない、という人は、ああ、俺が思っていたよりも水は少ない。

半分もあると思う人は、それを知るまでもうほとんどない、と思っていたはずだ。

あそことあそこで飲んだ、どう考えてもこれっぽちしかないはず。そうずうっと悲観していたからこそ、予想に反して多く残っていることに安堵した。悲観的に考えやすい人、実際よりも悪い方向に考える性向の人であればこそ、ああ、よかった、と真実を知ったときに楽観する。まだ、あれくらいあるさ、ほとんど残ってるさ、と楽観してきた人であれば、え、こんだけか!と悲観してしまうものじゃないか。

いずれにしろ、それまで自分が立ててきた予測と実際の乖離があったときの言葉には、それまで自分がどう思っていたかという心理が出る。

だけどもここで重要なのは予測と実際に大きな乖離があったと言う事だ。そりゃ無能じゃね?砂漠で命に係わる水の量さえ把握できない無能者だ。死にたいのかとしか言い様がない。

うん、想定通り、こんなもんだよな、という人だっているだろう?

こういったセリフは銀行の通帳残高を見たときにも、よく使ったりするよね。

君は楽観的?悲観的?それとも・・・

私訳 - 村山談話

原題は「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
平成7年の談話、1995年、戦争から50年が経過しました。

今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
身内に犠牲者がおられる方もまだ多く存命されております。その悲しみが50年の時を経てもまだ癒えない事を思えば、いいえ、決して癒えないのだと私たちに語り掛けるのであれば、あの戦争が残したものは決して小さくなどありません。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
東京のあの焼け野原で起きた無数の蛍の墓を乗り越え、広島のはだしのゲンを生き残びた人々が、何人もの口をつぐんだ方、時流に乗った方、失望した方、多くのものを流し去り忘れ去って時代は疾走しています。平和や繁栄の定義などできるものではありません。誰かひとりが悲しむならそれでも平和と言えるのでしょうか。全ての人の平和、全ての人の繁栄など得られないのではないか。それでも、おおむね、私たちはそれなりの平和と、それなりの繁栄の中に居ます。

このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
戦後の我々を蔑むことはありません。私たちの今は、決して他の何ものからか唾棄されるようなものではありません。敗戦からの復興は私たちの誇りたりえます。

ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。
私たちは自分達だけで今の繁栄を築いたのではありません。戦後の食糧支援、中国での残留孤児。見知らぬ多くの暖かい人たちに助けられて来たのです。知らないだけであって感謝すべき人が居るのです。あなたの目の前にいる人は、その人のお孫さんかも知れません。確かに恨んでいる方も多くいるでしょう、しかし感謝すべき人々がいるのです。

また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
かつての敵国と解決していない問題が残っているとは言えども、それを武力によらぬ友好関係の中で解決できる幸福を喜ばすにはいられません。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
豊かであるゆえに、私たちは平和ボケであったり、海の向こうで起きている不幸から無関心でいがちです。

私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
無関心でいないためには、まず私たちは過去の失敗を二度と繰り返さないだけの自分達を律しなければなりません。あの悲惨で無謀で馬鹿げた戦いを二度としないこと、それが出来なければ、どうして他の国々と意見を交換し、問題を解決などしていけるでしょうか。

とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
私たちは、先の大戦を経済問題の解決策としての海外侵略を行いました。内政問題の延長上に外交がある。だからといって、内政問題の解決のために国外の領土を蹂躙する稚拙な経済政策が、アメリカと敵対した愚鈍な外交政策が、クーデターを恐れるあまり軍部の独走を御し得なかった国策が、放置されてよいはずがありません。アジアにおける信頼回復は日本が解決すべき不可欠な課題と考えます。

政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。
そのためにはおおいに歴史を研究する必要があります。問題が単なる行政上の瑕疵で済むとは思えません。おおいに研究し自覚し次にどうすればよいかを知らなければなりません。良きも悪きも知り尽くす覚悟がいるでしょう。それは私たち日本人の文化そのものにある欠点を炙り出すかも知れません。

また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
戦後処理はまだ終わっていません。何よりも私たち自身が、どうすれば良かったか、何が問題であったのかを答えられずにいるのですから。彼らの不信には耳を傾ける必要があるでしょう。”誠実に”私たちは答えを見つけ彼らの疑念に答える日までその声は無視できません。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
私たちは日本だけの世界に住んでいるのではありません。世界各国が様々な問題を抱えながらも共存する地球という星の上に居ます。既に人類のテクノロジーは誰かが誤れば人類の滅亡も可能になっているのです。未来をどう切り開くかは深刻な問題なのです。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
あの戦争への道を歩み負けてしまった過去、国家の滅亡の淵まで行ってしまった危機。私たちは戦争に負けてしまった。負ける戦争をしてしまう愚かさ。その結果、多大の損害と苦痛を与えてしまったその贖罪。もし次にもう一度やれば、次は地球ごと滅亡するかも知れない。

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
あの戦争の誤ちとはアメリカと戦争するから負けてしまったのです。負ける戦争をし、ぐずぐずと講和できなくて、多大の損害を被ったのです。戦争に負けたために、多大な苦痛を国内外に与えてしまったのです。負けたお詫びなど誰が聞くでしょう。戦争に負けるとは、それほど大きな問題です。痛切に反省するとすれば、二度と負ける戦争はしません、次は絶対に勝ちます、となるでしょう。

また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
しかし、負けたから今の日本があるのです。もしあの戦争に勝っていれば、民主主義も、自由主義もない、帝国主義的、全体主義的な軍事国家から脱却など叶わなかったのは間違いありません。自ら方向転換できない硬直した国家が20世紀の繁栄を享受できるとは思えません。国家を問わず民族を問わず全ての犠牲者の上に、今の日本があります。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
我々は独善的であったから先の戦争に負けたのでしょう。敗戦で得た民主主義という価値観はまだ私たちのものに成り切ってはいないでしょう。明治の世に借り物の帝国主義の上で暴走を自ら食い止められなかった過ちを、次は民主主義という借り物の上で起こすかも知れません。私たちはこの西洋が生んだ民主主義という思想とよく対峙し、検証し、その真価をよく知る必要があります。

同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
同時に私たちがこの星の上で核兵器で滅びてしまう愚かな生命体として宇宙の歴史に名を刻まぬための努力も続けなければなりません。

これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
本当にそれが亡くなられた方々の御心に沿う事かは分かりません。しかし、例えそれが自己陶酔に過ぎなくとも私はそう信じてやるのです。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。
よるはしんにしくはなし。信義に頼るとは、他の方々と共に歩むという意味です。

この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
私は他の国々と共にこの星で生きてゆく、それは支配するのでも支配されるのでもなく、互いに歩むものです。どこへ?それは次の世代に託せばよい。私はそう思います。

野中広務が著書に書いた、青い空を見上げた記述が、忘れられない。