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2011年2月19日土曜日

フィルムは生きている - 手塚治虫

手塚治虫について書きたいならこの言葉から始めなければならない。
手塚さんの特集だそうですが、悼む大合唱はたくさんあるだろうから、それに声を揃えて一緒に大合唱する気は、ぼくはないです。

要するに、手塚さんを神様だと言っている連中に比べてずっと深く、関わっているんだと思います。関わなきゃいけない相手で、尊敬して神棚に置いておく相手ではなかった。手塚さんにとっては、全然相手にならないものだったかもしれないけど。やはりこの職業をやっていく時に、あの人は神さまだと言って聖域にしておいて仕事することはできませんでした。

まずぼくが手塚さんの影響を強くうけたという事実がある。小中学生の頃のぼくは、まんがの中では彼の作品が一番好きでした。昭和20年代、単行本時代(最初のアトムの頃)の彼のまんがが持っていた悲劇性は、子ども心にもゾクゾクするほと怖くて、魅力がありました。ロックもアトムも基本的に悲劇性を下敷きにしていたでしょう。アトムは後期になって変わってゆくけど・・・

それから、18才を過ぎて自分でまんがを描かなくてはいけないと思った時に、自分にしみ込んでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすが、ということが大変な重荷になりました。

ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたものが手塚さんに似ていると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。どうも、二男に生まれたせいだと思うしかないけど、長男の真似をしてはいけないと思っていた。それに、手塚さんに似ていると自分でも認めざるを得なかった時、箪笥の引き出しに一杯にためてあったらくがきを全部燃やしたりした。全部燃やして、さあ新しく出発だと心に決めて、基礎的な勉強をしなくてはとスケッチやデッサンを始めました。でもそんなに簡単に抜けだせるはずもなくて・・・

本当に抜けだせたのは、東映動画に入ってからですね。23、4才です。東映動画に入ったら一つの別の流れがあったから、その中で自分なりの方向をアニメーターとして作っていけばいいとわかった。アニメーターとしてというのは、キャラクターを自分の持ち物にすることではなくて、それをどうやって動かすかとかどうやって演技を表現するかという、動きを追求することの方が自分にとって問題になっていったから、いつの間にか絵が誰に似ているかということはどうでも良くなっていきました。

それに、影響といえばぼくはまず日動(日本動画社)時代から東映動画へと流れてきた一種の伝統のようなものの影響下にあると思うし、他にも当時のまんがの白土三平の考え方に影響を受けたり、そういうことは無数にありました。小学生の頃も、福島鉄次という『砂漠の魔王』を描いた人には、一時手塚さんよりも激しくマイっていましたから。


ぼくが、いったいどこで手塚さんへの通過儀礼をしたかというと、彼の初期のアニメを何本かみた時です。

漂流している男のところに滴が一本たれ落ちる『しずく』('65.9)や『人魚』('64.9)という作品では、それらが持っている安っぽいペシミズムとは、質的に違うと思って、あるいはアトムの頃はぼくが幼かったために安っぽいペシミズムにも悲劇性を感じてゾクゾクしただけなのかもしれない。その辺はもう確かめようがありませんが。要するに、残骸がそこにあった。いくつかある小さな引き出しの中で昔使ったものを開けてみて、ああこういうのもありましたよ、と出してきて作品に仕立てたなという印象しかなかったんです。

それより以前も、『ある街角の物語』('62.11)という、虫プロが最初に総力を挙げてつくったというアニメーションで、バレリーナとヴァイオリニストか何かの男女二人のポスターが、空襲の中で軍靴に踏みにじられ散りぢりになりながら蛾のように火の中でくるくると舞っていくという映像があって、それをみた時にぼくは背筋が寒くなって非常に嫌な感じを覚えました。

意識的に終末の美を描いて、それで感動させようという手塚治虫の"神の手"を感じました。それは『しずく』や『人魚』へと一連につながるものです。

昭和20年代の作品ではイマジネーションだったものが、いつの間にか手管になってしまった。

これは先輩から聞いた話ですが、『西遊記』の制作に手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。

ぼくの手塚治虫論は、そこまでで終わりです。

そのあと、アニメーションに対して彼がやった事は何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。いちいちそれを言葉に挙げていうのはしんどいから言いませんが、『展覧会の絵』('66.11)も、何だこの映画と思ってみていた。『クレオパトラ』('70.9)も、ラストで「ローマよ帰れ」と言うあたりに、嫌みを感じました。それまでさんざん濡れ場ばかり一所懸命やっていて、何が最後に「ローマよ帰れ」だと思って、その辺に手塚さんの虚栄心の破綻を感じたんです。

一時彼が「これからはリミテッドのアニメーションだ。三コマがいい三コマがいい」とさかんに言っていましたが、リミテッドアニメーションは三コマという意味ではないですし、その後言を翻して「やっぱりフルアニメーションだ」とあちこちで喋るに至って、フルアニメーションの意味を知らずに言っているんだと思ってみていました。同じようにロートスコープをあわてて買いこんだ時にも、もうぼくらは失笑しただけです。

自分が義太夫を習っているからと、店子を集めてムリやり聴かせる長屋の大家の落語がありますけど、手塚さんのアニメーションはそれと同じものでした。

昭和38年に彼は、一本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以来アニメの製作費が常に低いという弊害が生まれました。

それ自体は不幸なはじまりではあったけれど、日本が経済成長を遂げていく過程でテレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけで。

ただ、あの時彼がやらなければあと2、3年遅れたかもしれない。そしたら、ぼくはもう少し腰を据えて昔のやり方の長編アニメーションの現場でやることができたと思うんです。

それも、今ではどうでもいいことですけれど。


全体論としての手塚治虫をぼくは"ストーリィまんがを始めて、今日自分たちが仕事でやる上での流れを作った人"としてきちんと評価しているつもりです。

だから、公的な場所や文章では『手塚治虫』と彼のことを書いていました。ライバルではなく先達ですから。『伊藤博文』と書くのと同じで過去の歴史として書いた。とにかく、そういう評価は間違っていないつもりです。

だけどアニメーションに関しては(これだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますが)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです。

何故そういう不幸なことがおこったかと言えば、手塚さんの初期のまんがをみればわかるように、彼の出発がディズニーだったからだと思います。日本には彼の教師となる人はいなかった。初期のものなどほとんど全くの模写なんです。そこにストーリィ性を持ち込んだ。持ち込んだけど、世界そのものはディズニーにものすごく影響されたまま作られ続けた。結局、おじいさんを超えることはできないという劣等感が彼の中にずっと残っていたんだと思います。だから『ファンタジア』を越えなきゃいけないとか『ピノキオ』を越えなきゃいけないとか、そういう強迫観念からずっと逃げられなかったとしか思えない、ぼくなりに解釈すれば。

趣味としてみればわかるんです。お金持ちが趣味でやったんだと思えば・・・

亡くなったと聞いて、天皇崩御の時より『昭和』という時代が終わったんだと感じました。

彼は猛烈な活動力を持っている人だったから、人の3倍位やってきたと思う。60才で死んでも180才分生きたんですよ。

天寿をまっとうされたんだと思います。

於 吉祥寺・スタジオジブリ 3/17

宮崎駿・特別インターヴュー

COMIC BOX Vol.61 1989.5 p108-109
手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と決別した。
特集ぼくらの手塚治虫先生(Good by, Mr.Tezuka Grate thanks for your comic works)より

これを思い返す度に思い出す別の言葉がある。

親愛なる宮崎駿様。

ここで僕は貴方の『未来少年コナン』の太陽塔脱出のシーンを想い起こします。

太陽塔によじ登り閉じ込められたラナを救出したものの包囲され行き場を失ったコナン。戻ることもならず眼下には千尋の谷の如き絶望がなだれ落ち、まさに絶体絶命の危機です。

この状況で貴方は二人を救出する為に何をしたか?

ラナを抱えつつ軽やかにとび降りるコナン(!)

このおよそ信じ難い方法を、それにひきつづくカットの巧みなつくりによって強引に納得させてしまった時、僕はまず茫然となり次に笑い転げ、最後に猛烈に悩みました。この解決方法で貴方は二人をまんまと救出し、しかもそのことの奇異さをむしろ親しみとしてコナンというキャラクターの上に定着させることに成功しています。まさに一石二鳥。

前略 宮崎駿様 <漫画映画について>

1984/3/6
すべての映画はアニメになる 押井守 P11より

こうして連綿と続いてきた作家たちの幾つもの傍流が大河となる。

若い時には憎しみを感じるくらいに鼓舞しなければ立っていられなかった相手が、いつかは遠くへ行き、その人の歳を超えてみなければ分からない事もあると知る頃、人はもう一度、その人と対面している。

若き日の考えを変えるつもりはないけれど、その頃の自分でもない事も知っている。

後から来る幾つもの幾人もの若者たちが登ってゆく山だ。その山を見上げては、溜息をつき、驚嘆し、悪態し、感心し、落胆し、冷笑し、歩くだろう。

だが、彼が漫画を歴史にした人なのだ。

勿論、乱暴な言い方だ、間違っているかもしれない。それよりも前の時代、同時代に後の時代にも漫画家と呼ばれる優れて歴史に残る人がいる事も承知している。

まぁ結論など出る訳もない、このままゆっくりと悩むこととする。

2011年2月12日土曜日

戦闘メカザブングル - 富野由悠季

戦闘メカザブングルの本質には、良く泣くこと、気持ちいい泣きっぷりの健全さがある。

三日の掟は、物分かりがいい象徴であって、物忘れがいい事の象徴である。
三日逃げ切ればそれでよしとするあっけらかんとした世界で、
それを拒絶し過去に縛られる主人公アモスが仲間を巻き込みながら先の世界へと進んでゆく物語だ。

西部劇の風と荒涼とした大地で文明から逃れられないイノセントと
自分たちの謎を解き明かし生き方を決めていったシビリアンとを対決として描き切っている。

過去を忘れていないイノセントと対立する構図を通して、
文明とは、何時しか自分達の生き方さえ決められなくするのではないか、文明とは呪縛ではないか、
そんなテーマを予感させる構図となっている。

と思ったら大間違い。

嫌な事は嫌といい、主張しては大泣きする。
それだけの気持ちのいい話。

それが、この世界観と明るさ。

未来があるからみんなが明るいわけではない。
今を思いっきり泣き、笑い、悩み、動き、腹を立てる。

未来が明るい展望だから明るいなんて詰まらない。
不安と明るさの同居があるから、泣き、笑い、悩み、動き、腹を立てる。

何故、ここまでこの作品は明るく描けたのだろう。

セリフは観客を意識していた、つまり、作中に文化の香りとしての演劇が登場したが
彼ら自身、演者なのである。勿論、ふざけていたのだろう、スタッフが。

スタッフの悪乗りを通用させて、何をしようとしていたのだろうか。

視聴者の笑いを誘わなければ狙えない世界観があったはずなのだ。

視聴者が良く笑うから、作中でよく泣ける。
誰かを泣かすために泣くのではない、ただ泣くのだ、

悲しみを分かってくれとは言わない、
ただその悲しみの時間を待ってて欲しい。

この作品では人の死ぬシーンは極めて少ないが、
作中では簡単に死ぬし殺す。
三日の掟とは、命の軽さの象徴でもある。

それは何かのアンチテーゼになっているのか。

物語の都合で殺されるくらいなら、いっそ軽く死んでやる。
そういう世界観はあるまいか。

三日の掟とは、実はアニメーションのキャラクター達の使い捨ての象徴ではないか。

当時のスタッフがそう考えていたかどうかではない。
この世界をよく見渡してみれば、そう言う事もできないか、それを本質と言えないか。

それをキャラクター達は拒絶した、俺達は使い捨てされない、俺達の世界で好きにする。
イノセントはスタッフの象徴でさえあった。

であれば、主役達よりも前にサブキャラ達が既にイノセントと対立していた理由も分かりやすい。
彼らこそ、最もよく使い捨てされていたのだ。

そうやって、キャラクターが極めて作品から独立して存在する。
まるでイノセントのように、ストーリーを成立させるために作り出されたキャラクターではなく、
住む世界があり、キャラクターが生き、そこにわずかばかりのストーリーを重ねたのだ。
スタッフが作中からストーリーになりそうな出来ごとを見つけ出し繋ぎ合せたかのような作品だ。

ザブングルグラフィティが継ぎ接ぎだらけなのもそのためか。

彼らは渡された脚本の上でストーリー通りに演じることを嫌った。
嫌な事は嫌だ、と答えた。
彼らに与えられた世界は受け入れても、それ以上は嫌だと言った。

感動させる話?泣ける話?怒りの話?
そんなものは嫌だといい、俺達が感動した時に、勝手に感動してろ、
泣いた時にもらい泣け、怒っている時に、一緒に怒ればいいじゃないか、そういう話だ。

この作品は、ザンボット3、ガンダム、イデオン、ダンバインらとは違う。

何が違うかと言えば、地球が違う。
この作品には、この世界の延長線上にある地球がない。

そして、彼らは自分たちが生きられる世界をスタッフに要求した稀有な存在だ。
彼らはスタッフと裏取引をし、その世界で生きていった。

そうしなければ、このキャラクター達が生きていける世界にはならなかった。
演出に従って動き、本物であるかのように振る舞う演技なんざまっぴらだ、
その世界に生き、キャラクタ―がそのまま生きている、演じろというなら大根芝居でも見せるさ、

アニメーションの世界で物語の外に生きるキャラクターを創造したのではないか。

例えば、オープニングやエンディングの哀しげな風、ブルースが口ずさむ。
これは彼らの本心なのかもしれない。

スタッフがそこを離れ、その世界に残されたままになっても、今も彼らはゾラの大地に住んでいる。

この作品を見ているとチルの存在の大きさに気付く。
彼女の世界観は、作品の存在と大きく重なり合うのだ。
ストーリーと何も関係することなく、一番純粋な喜び、泣き、笑う存在。

このキャラクターがいることが作品に一つの世界を与えている。
この作品はチルのために存在し、その他はみな脇役だ。

だからといって、この子供が中心ではない、主役だが脇にいる。
脇役が中心にいる、そういう世界。

ザブングルとは作られたストーリーではない、一つの存在する世界だ。
どんな困難も局面も、それをどうするかはキャラクター達の好きにする。

これは、ザブングルというドキュメンタリーではなかったか。

2011年2月4日金曜日

ガリア戦記 - カエサル

知り尽くした材料を以ってする感傷と空想とを交えぬ営々たる労働、これは又大詩人の仕事の原理でもある。「ガリア戦記」という創作余談が、詩の様に僕を動かすのも不思議はない。サンダルの音が聞こえる、時間が飛び去る。

と、こう小林秀雄は締めくくった。

ジュリアス・シーザーが元老院に提出した報告書であるガリア戦記は、遠い過去の話ではある。

最初を読み始めるのに、少しばかりの躊躇を感じる。

遠い異国の街が昔の名前で紹介され、聞いた事もない人の名が羅列され、景色が描かれ、風俗が紹介される。

そんな昔の話を読んでなんの得でもあろうか、と思えば本は開けない。

だが、見た事もなければ、訪れる事もないであろう遠い過去の話に、綿密に調べる暇もなく物語に投げ出されてみる。

本には誰かを導く甘い書き出しというものはない。

本に入り込むには、先ずは読む側が歩いて飛びこまなければならない。

すると、見た事もない蛮族の服装はどうであったろうか、ローマ軍の騎兵はどんな馬に乗っていただろうか。

ガリアの地から海を渡った船はどのような木造船であったろうか。

ガリアは遠い将来フランスと呼ばれ、海を渡った先には女王陛下が御座します。

この遠く離れた過去の出来ごとに、僕の小さな想像力は出鱈目な装飾を施す。

恐らく正しくもない服を着せ、馬に乗せ、歩兵に槍を持たせる。

そのように装飾された彼らは何の感情もないように敵を殺し、味方も死ぬ。

装飾は僕がしたが、敵を殺したのは、当時の人々だ。

そう書いてある。

その他のものは皆味方の騎兵が追撃して殺した。(I-53)

死とはなんであるか、そんな身近になった思いが浮かぶ間もないように、騎兵は逃げる敵を殺す。

それにしてもローマ軍の強さは圧倒的でさえあって、どうも兵力の差を考えるとカエサルが戦争が上手いというよりも、ガリアの人たちが戦争下手なんじゃあるまいか、と素人ながらに思えてくる。

どうやらカエサルが負けることはなさそうだ、と途中で思い始め、何故、ローマだけがこうも強いのか、何が違うのか、と不思議な感じがしてくる。

この物語の中心にあるのはカエサルだが、カエサルだけの物語ではない、これはローマの物語でありガリアの記録であり、ヨーロッパの昔話だ。

それは楽しむというより読む事を味わうようなものだ。誰にも覆しようのない歴史でも物語でもない世界で時々一兵卒となり槍を振り回すのだ。

この物語には誰れ一人として迷いがない、敵、味方ともに戦況にさえ悩んでいない、自分たちの生き方に、世界に、人生に、裏切りにさえ迷わない。

人の思いだの思想に揺れ動く、心理だの感情に煩わされる事のないこの記録が、今の作家の手で描かれたらどうなるだろうと思う。

現代に生きる我々には、もしかしたらこの物語の世界は、想像するだけの世界かもしれない。

だが、当時の姿から変わらないこの戦記を前にすれば、自分の想像力はせいぜい、彼らの着る服を装飾し振りおろす刀の形を思い浮かべる程度のものでしかない。

振り下ろすその腕やその寛容といったものは、本書の中で、もう変えようがない姿で定着している。

だから、映画のように、アニメのように、漫画であるかのように、ラジオのように想像は自由だ、どんな想像をしても決して打ちひしがれる事のない強さはこの作品自身が持っている。

それは一遍のレリーフのようだ、と、そう言いたかったのだろう。

逆に言えば、想像する力だけが(想像であれ、空想であれ構わない)本書に飛び込むために必要な唯一つの僕達の力だ。

2011年2月3日木曜日

アニカ・ソレンスタム54プレゼンツ

諸君私はゴルフが好きだ。
諸君私はゴルフが好きだ。
諸君私はゴルフが大好きだ

ティショットが好きだ セカンドショットが好きだ
アプローチが好きだ パットが好きだ
バンカーショットが好きだ レイアップが好きだ
ランニングアプローチが好きだ チップショットが好きだ
トラブルショットが好きだ

グリーンで ティーグラウンドで
フェアウェイで ラフで
バンカーで ウォーターハザードで
ブッシュで アウト オブ バウンズで
クラブハウスで レストランで

この地上で行われるありとあらゆるゴルフ行動が大好きだ

ティーグランドからのドライバーで轟音と共にボールを吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられたボールが林の方向に消えていった時など心がおどる

私の操る4番ウッドがボールを空高く打ち出すのが好きだ
悲鳴を上げて振り回すウッドから飛び出してきたボールがグリーン近くに落ちた時など胸がすくような気持ちだった

ボールを打ちこんだ5番アイアンが芝生を蹂躙するのが好きだ
芝生から薄く取られたターフが既に取られたターフの跡に落ちる様など感動すら覚える

敗北主義のプレイヤー達にパーですと宣言してグリーンを去っていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶボギーやダボ達が私の振り下ろしたパターとともに
金切り声を上げるカップインの音に力尽き倒れるのも最高だ

冬枯れのラフからウェッジでカップに健気に寄せてきたのを
私のチップインバーディで相手の心ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

バンカーに滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだったスコアが蹂躙され打数が増えていく様はとてもとても悲しいものだ

パターを外して絶望に押し潰されて自滅するのが好きだ
傾斜や芝目に追いまわされ折り返しを何回も外すのは屈辱の極みだ

諸君私はゴルフを
地獄のようなゴルフを望んでいる

諸君私とコースを周るゴルフの戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なるゴルフを望むか?

情け容赦のない糞の様なこのコースを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な天候を望むか?

ゴルフ(golf)!!
ゴルフ(golf)!!
ゴルフ(golf)!!

よろしい
ならばもうワンハーフだ

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとするゴルフクラブだ
だがこの暗い緑の芝で18ホールもの間耐え続けて来た我々に
ただのゴルフではもはや足りない!

賭けゴルフを!!一心不乱の賭けゴルフを!!

我らはわずかに4人のパーティにすぎない
だが諸君は一騎当千のゴルファーだと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総数4人のゴルフパーティとなる
我々を凍てつく寒さのホールへと追いやる冬のゴルフの魅力を思い起こそう
髪の毛をつかんでゴルフの魅力を思い出させよう

連中にゴルフの味を思い出させてやる
連中に我々のスコアの悲惨さを思い出させてやる

天と地のはざまには奴らのゴルフでは思いもよらないスコアがある事を思い出させてやる

100打にも及ぶ失敗だらけのショットで芝を刈り尽くしてやる

「ドライバー発動開始」
「4番ウッド始動」
「最後のアプローチよりグリーンへ」
「目標5番ホール、カップ上空!!」

第二次ホウライ攻略作戦状況を開始せよ
征くぞ諸君

(HELLGING Vol.4 平野耕太)

ウッドが一番簡単なクラブだって?
アニカのような天才の言うことはアマチュアにゃ理解できんわ。