stylesheet

2024年3月2日土曜日

日本国憲法 補記

国連憲章前文

われら連合国の人民は、
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること

並びに、このために、

寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。

短くすると

連合国の人民は、
戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権に関する信念を確認し、正義と条約を確立し、大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上を促進する

このために

寛容、善良な隣人と平和に生活し、国際平和を維持するために、武力を用いないことを原則とし、すべての人民の経済及び社会的発達を達成するために、努力を結集する。

各自の政府は、代表者を通じて、国際連合憲章に同意し、国際連合という国際機構を設ける。


戦争

ウクライナの戦争や、パレスチナ・イスラエルの惨劇を見れば、どのような経験をしようが、人類が戦争を無くせないのは疑いようがない。これは基本的人権と人間の尊厳に関する信念では対抗しえない事を意味している。

どのような正義であろうと、この原則は覆せない。何故なら戦争は最終的に正義と正義の衝突だからだ。王政、民主主義、社会主義、どのような統治体制も関係ない。だから正義の概念は政治の中心には存在しないと結論できる。

人類が希求する平和の概念は寛容さや善良さに基づく。しかしそれでは平和は実現できないだろう。なぜなら暴力は問題を最も簡単に解決する方法である。この自然由来の原則に対して、人類が見出し、唯一対抗可能なものは、金だけである。

金も暴力に近いが、平和は金で買える。場合がある。また金は暴力を抑止しうる。場合がある。何故なら暴力の現実的実体は金で雇用可能だからだ。

と同時に金は暴力を呼び込む。なぜなら金は力の源泉となる。ならば金、または富、または資産、資源を略奪するのに依然として暴力は有力な手段である。

太古から富の蓄積は世界で同時多発的に発生した。だがその蓄積が永続した例はなく、必ず新しい力を呼び込み、侵略によって略奪され、富は再び分配される。

経済

故に戦争は経済に還元できると思われる。戦争が経済を支配するのではない。経済が戦争を支配している。よって戦争をしなくても経済を完全に数値化できるならば、戦争の結果はやる前から判明する。それは戦争を抑止する力となりうる。

だが、その可能性が100%でない以上、人間は賭けに出る。その希望がある限り戦争を完全に防止する事は難しい。

それでも経済の観点から見れば、短期的な戦争ならば経済の影響は小さく、長期的になるほど経済的趨勢に従う。

暴力は0以上の数値だが、金にはマイナス値がある。その点で金の使い勝手の方がよい。なお命は1以上の数になる。戦争は補給を途絶えさえない方が勝利する。戦争は暴力と金と命の合算になる。

ソビエト軍は一千万の命を投入してドイツを追い返した。ドイツ軍は五百万の命で力尽きた。恐らく命はまだあったのに。それは民間人の死亡者数から明らかである。すると、その前に何かが不足した。

戦争を起こさない方法も、戦争を止める方法も打ち勝つ以外の方法を我々は知らない。活動が限界に達するまで放置するしかないのか。基本的人権の侵害や自由の略奪を放置するしかないのか。人間は生まれながらにして生きる権利を持つ。

基本的人権

この権利は奪えないが、その心身、精神に対しては満たされず、奪われる状況が発生する。それは犯罪である。これが我々が見出した恐らく唯一の真理である。

この宇宙の広さを想えば、地球の神と同程度の神なら幾らでも見つかるであろう。我々は宇宙に進出する事でしか古い服を脱げないのではないか。

互いに正義を突き合わせば、互いに侵害し略奪が始まる。この問題に解決はなく、永久もなく、終点も不明である。しかし、それに向かう事は無意味ではない。今は進むしかない。その結論にジェノサイドしか残らないとしても。

基本的人権に戦争を止める力はない。物理ではないのだから力ではない。では無力か。基本的人権によって人は諦めなくていい。諦めない理由になる。

どんな理不尽に対しても、それを受け入れなくていい理由である。基本的人権に反している事は抗う理由として成立する。勿論、それで争いが終わる事はない。新しい殺し合いを始める理由になるかも知れない。

その結果が核拡散へと繋がればおめでとう、この宇宙から愚かな猿が駆除される。それでも、諦めなくていい理由である。屈服しなくていい理由を人類は基本的人権の中にしか見つけていない。

この仮説を掲げて人類は自由を行使する。何を思ってもよい。思想信条の自由。犯罪でも殺戮でも思う自由が人間にはある。アメリカの国父たちはこれを掲げた。

自由

自由が可能性を拡げる唯一の方法である。民主主義が困難に乗り上げた時、それを解消する方法は人々の中からしか生まれない。それを生み出すためには思想の自由が欠かせない。そうして沢山の準備しておく。新しい考えが生まれる土壌だけは絶対に譲れない。

考える自由は無制限でなければならない。何を思う事も許される。だからそれを発言する事、行動する事には制限がある。そこに無制限の自由はない。ただ極力自由である事を求める。

どうすれば戦争から対話へ導けるか。刀でもなく1gの金属片でもなく、空気の振動で人を動かすにはどうすればよいか。ギリシャ文明の人たちは言語の力を発見する。言論の可能性を追求した。だが彼/彼女らも戦争を嫌った訳ではない。彼らの武力は現在で見ればはるかに小さい。核と比べれば遥かに無邪気に見える。

では人類は暴力の大きさによってしか自らの行為を抑制できないのか。だが、宇宙の存在が力はほぼ無制限である事を我々に教える。たかが地球さえ破壊できない程度の核兵器で我々は止められるのか。

塩が塩を呼ぶように、未来を見ればより巨大な暴力が見える。なぜ恐怖で踏み留まれると無邪気に信じられるか。広島型の原子爆弾が戦術核兵器程度の小型核と呼ばれる時代に。


第1章 目的及び原則

第1条
国際連合の目的は、次のとおりである。

1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。

3.経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。

短くすると

第1条
国際連合の目的。

1.国際の平和及び安全を維持するために、脅威の除去と侵略行為、平和の破壊の鎮圧のため有効な集団的措置、事態の調整を平和的手段によって実現する。

2.人民の友好関係を発展させる。

3.経済的、社会的、文化的、人道的国際問題を解決、並びに差別なくすために人権及び自由を尊重する。

これらの達成に当って諸国の行動の中心となる。

核拡散

プーチン・ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルによるパレスチナ人ジェノサイドによって、どういう結果になろうと核拡散が始まると思われる。核を持つ事の有利さを世界に知らしめた。世界各国は認識を刷新した。核保有国による支援でさえ当てにならないならば、自衛の核保有は止められない。

その結果として起きる事。世界の50以上を超える国が核を保有する、その結果として、核保有国同士の紛争が発生する、その結果として、局地戦で核が使用される。それが核使用のハードルを下げる。各地で核兵器を使用した勃発する。

そのような状況においてテロリストの手に核が渡らない理由がない。それは必ずニューヨークで爆発する。アメリカは必ず報復する。テロリストを生み出した国に対して核が使用される。それも一国を滅ぼす程の強力な核である。そうなった時に誰にアメリカを止められるだろう。そういう未来をロシア人が開いた。人類絶滅の責任はロシア人にある。

AI農場

国家がいちど動き始めれば市民の意志では止められない。投票によって選んだ政権は次の選挙が来るまで止められない。だから戦争はすべて短期戦を目指す。だから攻められた側は長期戦を目指す。

一度動き始めた政府を止める手段を市民は持たない。なぜなら国家は官僚制度が動かすからだ。戦争を始めるのは容易い、だが止め方は誰も知らない。この戦争の特徴は官僚制度の特徴と完全に一致する。

官僚は計画を実行する主体であるから、キャンセルする仕組みを持たない。中止したければ新しい計画を実行する必要がある。だが反目する計画を並行させて動かす事は難しい。なぜなら不利益を最小にしようとするから。損切りを適切に決意できるリーダーは稀だから。

人間が人間を統治する事は現実的に不可能である。歴史はそれを確かめる為にあった。だから解答はひとつ。我々はAIを牧場主とする家畜となるべきである。国家運営を人工知能に託し経済活動の調和を図らせ世界を等しく分配させる。我々はAIに従う。

この新しい共産主義の時代において、人間のあらゆる活動はAI以下の成果しか残せまい。あらゆる分野で人間はAIが手抜きしない限り対抗できない。人間による経済の独占も国家の独裁も子供の反抗に過ぎない。強烈な人間の努力も希求もAIの前では小さな成果でしかない。

では人は何のために生きるか。我々生命が宇宙に進むためであろう。それを果たさないならば、この星は人類の存在を許容しない。存在する理由がない。AIもそう判断するだろう。

エゴイズム

人類のエゴイズムは人間を超えて遥かに強力である。この星に生命が生まれてから一回も顧みられなかった本能に直結していると思われる。この星の生命進化にもし欠陥があるのであれば、銀河裁判所に告訴された時に、宇宙弁護団はやはりこの星の進化のいびつさを弁護の中核に置くだろう。

このような形の進化をしてきた生命体であるから、この戦争は仕方がない事なのかも知れない。誕生してからずうっと資源を奪い合い均衡してきた。そこではあらゆる行動が認められ残る事に価値を置いた。それが進化の帰結であるという環境がこの星であった。それでも太陽のエネルギーが降り注ぐこの星は宇宙空間の孤独とも冷たさからも逃れる事ができた。

生き延びる事を原理に進化を進めた。群れを持つ生命では老いが発生する。もし老いがなく老齢ほど強い進化をしたならば、群れが捕食者に襲われた時には弱い個体、つまり子供から狙われる。よってそのような群れは早々に絶滅する。

老い

老いた個体が発生する事で、子供が生き残る可能性が増える。そのような群れが生き延びてきた。だから人間も老いる。そのような進化圧があった。孔子たちが孝の価値を再定義したのはこの進化圧に対する異議であろうか。

そして老人たちが強い社会ほど戦争を始めるのである。その点が21世紀の戦争の特徴であろうか。そういう者たちが自分の死と引き換えには世界を道連れにする事しか考えない。自分の野心が叶わないなら供に破滅する選択を厭わない。老いた個体がそう決心する。子供を犠牲にしても自分が生き残りたい本能の個体である。

個でなくとも種が残ればよい。これが進化のひとつの方向ではないか。人間は今を生きている。この星の生命は滅ぼす事を躊躇しない方向で進化を続けてきた。生存を自然環境に託し、少なくとも全ての生命は他の種の存在に無頓着であるし絶滅を気にする様子もない。まるで命よりも物質の循環こそが正義であると主張するかのようだ。

泥水をすする進化をしてきた魚をどういった罪で罰する事ができるだろうか。

最後の条文

どんな憲法にも暗黙のうちに書かれている最後の条文がある。

如何なる三権分立も完全ではない。どう運用しようが抜け穴はある。よって、人間にとってこれを維持し続ける事は難しい。少しでも油断すれば綻びが生じ簡単に停止する。

任命された裁判官は大統領の犬であろう。だがと考えてみる。では誰が任命すれば公正と言えるのか。凡そ誰が任命しようが人間がやる事である以上、完全な答えはない。

それを律するのが最終的には人間しかない。もし暴力で脅されれば。家族を人質に取られたら。大金で説得されたら。それに抗う事は人間には難しい。その国の最高権力者が本気で司法に介入してきたなら。これを防ぐ手段はない。そのような者を選んだ国民からしてこの国を統べる方法はこれ以上は存在しない。

行政も立法も司法も人間の欲望で動く。何も心配する必要はない。それらは自然とその国が持つ均衡点へ至る。理想的な人間像、君子という理想、名君という価値、道徳、倫理など以外に人を律するものがない。

憲法は裁判官に良心を求めた。それしかなかったからである。紙に書かれた言葉に強制力などありはしない。無視しても何ら罰則もない。それでも良心を、としか書けなかった。

裁判所が民主主義の砦であろう。政府がその気になれば、軍隊がその気になれば、司法は瞬時に吹き飛ぶ。それでも抗う者には銃弾を、少し良心的な政府なら軟禁を。裁判官の多くはそうなる前に自ら放棄する。

憲法は求める。それが精一杯で、通り過ぎてゆく歴史に呼び掛けるしか出来ない。政府の忠実な番犬となった司法を元に戻す事は可能か。その方法は憲法のどこにも書かれていない。司法は国家の命数と等しく、共に栄え共に滅ぶ。

その国の理想も良心も長所も短所も嫌悪も全て含む、その国を代表する民族的到達点のひとつ。その組織で駄目なら諦めていい。そのような民族なら滅びた方がいい。

無力と分かっていてもそれに委ねるしかない。憲法の条文は全ての行間でその自覚を説く。人の心に託すしかない原始性から逃れられない。だから民主主義は簡単に滅びる。その上で、駄目なら滅びよと書く。あらゆる憲法の最後の条文はこの言葉で結ばれている。