stylesheet

2021年3月21日日曜日

掛け算と足し算

関連記事

割り算 In this Site

掛け算と足し算

掛け算は足し算。足し算を沢山書くのが面倒くさい時に掛け算が生まれたと考える。

\(2+2+2+2+2+2+2+2+2\) は \(2\times9\) と記述できる。

でも掛け算はそれだけじゃない。四角形の面積(小さな四角形の足し算)も円の面積(沢山の三角形の足し算)も掛け算で求める。これらの掛け算は足し算でも理解できる。


掛け算の不思議

不思議なのは足し算に出来ない掛け算がある事。例えば、掛けたら1になる数、逆数。逆数を掛けるのをどういう足し算にすればいいか。

例えば \(3\times\frac{1}{3}=1\)。3 に何を足したら 1 になるか。

例えば、0 の掛け算。\(3\times0=0\) はどのような足し算になるのか。1回も足さないのなら 3 のままのはずではないのか。

これらの掛け算はどのような足し算にすればいいのだろうか。足し算に出来ない掛け算があるなら、掛け算を足し算で理解する方法は万能ではない事になる。この解離をどのように受け止めればいいのだろう。

\(\frac{1}{3}\)の不思議

\(1+1+1=1\times3=3\) は足し算。\(\frac{1}{3}\times3=\frac{1}{3}+\frac{1}{3}+\frac{1}{3}=1\) も足し算。

だけど \(3\times\frac{1}{3}=1\) はどんな足し算になる?この式が足し算にできないのは \(\frac{1}{3}\) を掛けているから。何故?

足し算のイメージ

\(\frac{1}{3}\times3=1\) は 3回の足し算をイメージできるのに \(3\times\frac{1}{3}=1\) は \(\frac{1}{3}\)回の足し算をイメージできない。5 を掛けるなら 5 回の足し算。なのに \(\frac{1}{3}\) の掛け算は何回の足し算か分からない。

恐らく足し算は整数回でしか足せないから。\(\frac{1}{3}\) 回を足したければ足す回数を整数回にするような調整が必要そう。

\(2\times3=2+2+2=6\)
\(3\times2=3+3=6\)
\(1\times6=1+1+1+1+1+1=6\)

掛け算のイメージ

ピッチャーがボールを投げている。一回、二回と投げる。これが足し算のイメージ。足し算は数えるのイメージだから整数回。

途中で投げるのを止めたらどうなるだろう。野球ならノーカウントかボーク。ピッチング動作を細かく分解したら、数で言えば0~1の間の小数になる。

それを四捨五入して 1回と数えるのが野球のルール。ピッチングを投げたか投げてないかではっきりさせる。これはテニスやバトミントンのサーブ、ゴルフのスイングも同じ。

\(\frac{1}{3}\)を掛けるとは、ピッチングを \(\frac{1}{3}\) の所で止めたのと同じ。

たけど、それは \(\frac{1}{3}\) を足すのとは違う。\(\frac{1}{3}\) の途中で止めるのと \(\frac{1}{3}\) を足すのは違う。

すると、この不思議は掛け算の不思議ではなくて、足し算の不思議になる。足し算は、足すという操作を整数回行う。掛け算は、掛けるという操作を複数回行う。この違いが、不思議を生み出す。

足し算の1

足し算は 1回足す操作。足し算を何回繰り返しても、ふたつの数の桁数はそれ以上は小さくならない。1を何回足しても、または引いても 0.1 という数は出現しない。

これは足し算が数を操作すると言うより、操作の回数を数えるのと同じだからだ。一回足すとは、1回の操作と同じ。最初は 0回。それに 1 を足すと 操作が 1つ加算される。だから 1を 5回足すのと 5を 1回足すのは同じ。

この回数が整数回なら掛け算は足し算で表現できる。\(3\times5\) は 3 を 5回足すのと同じ。5は操作の回数と同じ。


掛け算の1

\(\frac{1}{3}\) を足すのと \(\frac{1}{3}\) を掛けるのは何が違うのか。

掛け算は数を大きくしたり小さくしたりする。1をある数で割ると 0.1 が出現する。これが足し算には出来ない。

足し算は個数を数える。掛け算はある数を伸長する。そういう操作のイメージの違いがある。

四角形の面積を求める掛け算は、基本となる四角形を伸長するのと全く同じ事を意味する。ならば、なぜ足し算は伸長に使えない、または使い難いのか。

掛け算は決して足し算を簡単に書けるようにしたものではない。これらは異なる操作。掛け算が足し算で表現できるのはたまたま互換性を満たしたから。


掛ける数

では掛け算で 2倍にするのと 3倍にするのは違う操作か、という気がしてくる。なら掛ける数と掛けられる数はどう違うものなのか。違うと言われれば違う気もする。

しかし、掛け算の順序の違いは長方形の縦横をどちら向きで見るかと等しい。長方形を回転させると \(縦\times横\) は次々に変わる。これは縦横は見ている人を基準に決められるものだからである。幾ら回転させても図形は全く同じはずである。視点を変えると違って見えるものがある。違って見えて同じものもある、同じに見えて違うものがある。

まとめ

なぜ掛け算に掛けられる数と掛ける数があるのか。それは人間が一辺にひとつ以上の数を書けないからだ。ふたつの数字を同時に書く事ができないのは掛け算の都合ではない。人間の都合である。

人間だから、ふたつの数があれば必ずどちらかを先に書くしか出来ない。すると掛けられる数と掛ける数は自然に発生する。でもそれは掛け算の本質ではないはずだ。単なる人間の都合だから。

この世界には逃げなくてはいけない時と、逃げなくてもいい時がある。そして、算数は逃げなくていいもののひとつだ。算数は分かるようになるまでずうっと僕たちのすぐ横に立ち止まって待ってくれている。