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2021年8月29日日曜日

黒目の進化論

前提条件

人が白目を持つのは、進化の過程で視線で意思疎通を図る事が生存性に有利だからとされている。これは我々ヒト科の意思伝達が進化上有利に働いた事を意味する。だから白目は集団で狩猟をしてきた事の証左であろうし、恐らく昼間に近距離で集団行動をしてきたと考えるのが妥当と思える。

しかし白目の存在が単に狩猟にのみ有利だったと考えるのは早計であろう。狩猟で有利ならば性淘汰にも関係するはずである。狩猟の上手な個体が人気を博するのは当然であろうから。

狩猟での意思伝達だけを考えるなら、その機能は黒目の大きさは大きければよいというものではない。適度なサイズの方が認識し易いはずである。

小さすぎれば遠距離で情報が消失し、大きすぎれば近距離で情報の精度が落ちる(読み取る側にとって見ている範囲が大雑把になり正確さに欠ける)。距離と精度のトレードオフとして黒目の大きさはある範囲に落ち着くと考えられる。

人間の歴史はずうっと意思伝達の歴史であったと言っても過言ではない。ヒトは常に情報を交換する生き物であった。

手旗、狼煙、郵便、電報、電話、FAX、そしてインターネット。徒歩から馬車、蒸気機関から内燃機関、ジェットエンジン、ロケットへ。搭載量と速度の均衡点で成立する。

白目の存在は、人類の歴史のその最初の頃に情報伝達が深く関係していた事を示唆する。


白目の進化論

人間の脳に顔に反応する部位があるように、そのモジュールの一つに目に反応する部位があるのは確かと思われる。

目を識別する目的は顔の向きを決定する為だろう。どちらを顔は向いているか、それに対して視線はどこにあるか。これを瞬時に低コストで判定する事が重要だったと思われる。だから脳の中にわざわざそのための専用回路を構築した。それが脳の進化の方向であったろう。

相手の視線がどちらを向いているかは重要な情報だったに違いない。獲物はどちらに居るのか、敵はどちらに関心を持っているのか、誰が狙われているかは生存における切実な当面では唯一の問題である。

正面を向いているかどうかは黒目に対する白目の割合で判断する。眼球は視線の方向に対して顔の向きとは別に動く事ができるから、顔の向きと黒目の位置から視線の方向を決定する。

我々は余程の事情がない限り、注意するものを正面で捉える。顔の向きで大まかな方向を決定し黒目から更に絞り込むという多段階の判断をしていると考える。

多くの動物が白目を隠した進化圧を考えると、自分の視線を他の個体が認識できる事は、他者の生存性を高める事はあっても自分の生存性を高めるとは思えない。情報が漏れる事は通常は生存上不利になるのである。

それでも人間の白目は残った、または発達させる事が出来た。近種のチンパンジーでさえ白目は黒く塗っている事を思えば、人が瞼をアーモンド形にし白目を獲得し続けたのは視界を拡げる事で生存性を高めた事よりも性淘汰の圧力の方が強かったと思う方が近似と思う。よって進化上はかなり早い段階で獲得した形質ではないかと思う訳である。

オラウンタンの子供にははっきりとした白目がある。それが可愛らしさと感じるし、意思表示の明白さとも思える。それは母子における意思疎通として有効なのだろう。すると人間の白目はネオテニーとも考えらえる。


錯覚の進化論

もし黒目が性淘汰に影響するなら、それは機能だけでは選択されない事になる。つまり、現在の我々が感じる黒目の大きい方が魅力的と考える性質の根拠になる。

漫画の目がなぜ縦に大きくなったか。答えは簡単で横幅を変えるには顔の幅を変えないといけない。だがそれは物理的に不可能だから残るのは縦方向だけである。

幸いに頬は単色であるからなくても認識上は困らない。実際、子供が大人の顔になるのは頬が延びるだけと言っても過言ではない。

当然であるが眼球がそこに格納できるかどうかを考えるのは脳の仕事ではない。脳はあくまで表面的な情報に関して合理性があれば十分である。確実に確からしい情報はそれしかないからそれを手段とする進化をずうっと続けてきた。

そういう技術的な問題は別にすれば、なぜ大きくする方向に進んだかが問題になる。一般的にそれは可愛いからだ。目が大きい方が魅力的である。

これは恐らく脳の情報処理でも可なり自動化された(本能、野性の)部分に依拠する。だからこの魅力に抗うのは難しい。標準偏差をとれば綺麗な結果が得られるはずである。


黒目の戦略

ではなぜ黒目の大きい方が魅力的なのか。

黒目が小さい場合、これは視線の先を鋭敏に差し占めす。それは知られたくない情報も公開する。これは正直と言う事である。道徳はそれを美徳とするが、人間の暗い部分まで公開するのは望ましくないだろう。人には隠さなければならないものが沢山ある。

正直であるとは、自分が逃げる方向を前もって語っているのと同じだ。自分が狙っている方向を予め宣言してから狩るようなものだ。よって相手がそれを信じれば簡単にペテンにかけれるのである。正直である美徳は相手を騙す時の必要条件である。人間は馬鹿ではないから正直そうに見える人間は逆に怪しいと考える。そうなるのに数百年もかからない。

では黒目が大きければそうはならないか。これは大きさに比例して次第に視野が拡大してゆく。一点という精度が落ちある範囲という風に曖昧になってゆく。黒目が大きいほど視線が明敏でなくなる。

視線は二点が交差する場所であるから、出発点が点であるほど精度が良い。出発点が曖昧になれば、視線はその先で点ではなく円の交差する反意になる。この範囲でしか捉えられなくなる。

よってある程度の大きさの黒目を持つ事は、本人が意識する視線を完全には捉えさせないという現象を起こす。自分が見ているものを相手も認識するとは限らない。それは推測する事しかできない。それを確認する手段はない。

ヒトの黒目のサイズは子供も大人もだいたい同じである。進化によって物理的なひとつの均衡点を得た訳である。


性淘汰の戦略

しかし脳が実際に感じる黒目の大きさは物理的なサイズではない。印象として黒目が小さい人、大きい人、小さい時、大きい時という捉え方をしている筈である。

例えば誰かがこちらをじっと見ている時は大きな黒目を感じるはずである。それが何度か続けば恋に落ちる事も容易い。若い程そうなるはずである。

男子はは女子は俺を見ていたと豪語するものである。それを聞いた友人は相槌を打ちながら、いいや彼女が見ていたのは俺だと内心ほくそ笑むものである。こんなありきたりの現象は毎日のように起きている訳である。コンサートに行けば自分を見たと失神する男子女子が発生する。

これが意味するのは、視線が錯覚を起こしているという事で、つまり、視線が一点にないのである方向に含まれていれば誰もが自分を見ていると感じる事が出来る訳である。

人間のカレントな意識は普通ひとつしかない。多重人格者でも一度に発動できるのは一つの人格である。余程のマルチタスキングを備えていない限り、視線は一箇所にしか集中できない。それはどの人間でも同じ。昆虫のような複眼なら別かも知れないが、人間の視線はそれしか出来ない。

所がそれは本人の都合であって、その視線に晒される側の都合ではない。

恐らく人間の脳は黒目が正面に居る時に最も黒目が大きくなると判断している。そして笑顔になれば更に黒目の割合が大きくなると認識している。

つまり、黒目が大きいならば真正面から笑っているに違いないのである。脳はそのように情報処理する。更に付け加えるならば、人間は白目によって年齢を把握しているように感じる。

若い個体ほど白目が強い印象がある。黒目が大きいのは白目が強調する結果だし、瞼の大きさと比例する。つまり加齢した個体は瞼が小さくなる。若い個体の黒目の方がよく揺れるように感じるのも瞼が大きい分白目が強く強調するから明敏に感覚できるのではないだろうか。よって凝視は年齢のいった個体の特徴とも考えられる気がする。

黒目が大きくなればなるほど、その視界に含まれる範囲は比例して大きくなる。カラーコンタクトが流行するのも視線を巨大化する効果を狙っている筈である。そして副次的にある一点への視線を隠蔽する。サングラスに感じる独特の感覚も同じ延長線上にあろう。


深淵

どのような人であれ自分が見られていると感じる事には一定の多幸感がある。たった一度の視線で何人もを虜にするのは魚釣りでオキアミを投げ込んだの同じ。

黒目が大きいと感じる時、相手はこちらを見ている。きっと笑っているに違いない。そう感じるからこそ視線を返す。

モンスターと戦うなら君自身がモンスターにならないようにしたまえ。君が深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗き込んでいる。 善悪の彼岸

深淵が大きい程、本当の視線は知りえない。深淵が自分を覗いていると感じたならばその深淵は君自身の鏡である。そう感じたのは君だ。

深淵が君を覗き込んでいなくとも、君は間違いなく深淵を覗き込んでいる。例えモンスターが君を見ていなくとも、君は見られていると感じてしまったのだ。

愛する人が君を見ている時、君は必ず愛する人を見ている。なぜならその視線が例え君を向いていなくとも、君はその視線を自分に向けられていると認識してしまったからである。もう逃れられない。


斜視の効能

斜視が独特の雰囲気も醸すのもこの視線のアルゴリズムに当て嵌らないからだろう。視線の不思議さに混乱する方が先に立つ。所が、気付かない程度の弱い斜視だとこれが別の現象になる。

女優には僅かな斜視の人が多いと言われる。厳密に言えば生物学的に完全である人がいるはずがない。程度の差こそあれバランスは崩れているはずである。

重要な事はその魔法が当人の意志とは関係なく起きるという事で、視線が少しずれる不思議さは強い印象を与える。そこで改めて正面から見つめれば更に強い印象を残す。波状攻撃を続ければ敵の陥落はちょろいぞ。

人間の情報処理

錯覚のある所に脳あり。

マーク・チャンギージーのヒトの目、驚異の進化によれば、人間は肌の色を具体的に説明できないそうである。何故なら目にとって肌の色は基準となる色だからだそうである。基準を他の人に説明するのは難しい。なぜなら説明とは常に基準を設けてそことの違いで語るからだ。だから人間の目には肌色の違いは分からないそうである。

なぜ目が肌色を基準にしているかと言えば、血流の多寡を知る為だという。これは肌色を基準として相手の感情を読み取る為だという。その為に目の情報処理は発達したという訳だ。これは説得力がある。

我々は人の肌の色は違うと思って生きている。所が目が区別している肌の色を波長で見ると殆ど変わらない。S,M,Lの錐状体は肌が反射する光の波長から最大の情報を引き出すような方向で進化してきた。我々の目は肌色の違いを区別するためにあるのではない。それを知ってもまだヒトは肌の色の差別を止めない。

人類は無意識に多くの思い込みを背負っている。脳が進化の過程で作り上げた思い込みもあれば、長い文化、歴史、経験に根付くものもある。その幾つかは確実に進化上有利だった行動様式である。

生物学的な偶然が人々の運命を決定する歴史が何度もあった。時に肌の色が奴隷を生み海を超えさせた。それは今も続いている。宗教も科学もそれに抗うが人は改めない。知識では人は変われない。笑って捨ててしまうだろうから。

ゴルフ場の受付で見つめられた。実際は見つめてはいない。上手に黒く塗られた目の周囲は自然と黒の比率を大きくする。脳にはそれが黒目が大きいと認識される。脳にはこのような勘違いをそのままにする仕組みが備え付けられている。それがヒト科の繁栄に寄与してきた。だからこの感覚は脳が仕組んだゲームスタートなのである。

iris: pupil: eyelid: