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2018年2月9日金曜日

著作権法

第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

短くすると

第一条 著作者等の権利の保護を図り、文化の発展に寄与する。

要するに

インターネットは著作権をどう変えるか?

考えるに

著作権という考えの根底にあるのは、フォスターのような作曲家に貧困な末路を迎えさせてはならない、という自然な気持ちであろう。それは当時の人にとっても損失であるし、後世の人にとっても損失である。

楽譜を書き写したり複写するのにもお金はかかる。その費用を本として請求するのは当然である。一方で、創作物は山奥で拾われた石とほとんど同じように自然物に近い。一回払えば、それでおしまいで済ませたい。本を売る人は紙という物を売る。そこに正当な対価を求めるのは当然である。

創作者を不当に扱う環境では創作活動が育たないのは当然である。故に、著作権は経済からの要請である。この権利は、流通の中で原作者に正当な対価を戻す話しである。本を売るとはこれまでは紙を売ることと同義であった。紙が売れるなら、本当は印字する必要はない。紙に印字するのは本を売るという点でいえば、最低限必要なものでさえない。ただ真っ白な紙では売れなくて困るから仕方なく印刷するのである。それがこれまでのビジネスであった。

創作は、市場の中で人間の間を波のように拡散してゆく。数万年前は石器が伝播した。仏教はアジアの果てまで木簡を媒体に辿り着いた。情報が物を通じて人間の間で伝播していった。重要なのは少しずつ改良、改悪されながら変化しながら伝わった点だ。著作権はこの働きを抑制する。

自然な性向から言って、印刷技術の発明が、人間の世界を変えたのは間違いない。それまでの手書きから印刷に変わる。それだけなら、質的に何ら変わっていないのであるが、物量が十分に満ちれば質的に世界を変えるのである。

技術は交換を拡大する方向で発展してきた。インターネットの登場が時間的にも空間的にも拡散を加速する。地球の反対側に手紙を送る速度は、ほとんど光の速度である。

インターネットの特徴
  • 情報をコピーするコストが非常に小さい
  • 拡散に優れている
  • コピーしたものは完全に同じである
  • 伝播の追跡が可能
  • どちらが先に出現したかをトレースしやすい
  • 情報の消えにくい世界
  • 不正も悪意もある世界

電信、電話、テレビと異なり、インターネットの情報伝達では情報は消えない。残しやすい。音や映像が一過性のものとしては消えなくなった。情報が消えにくい点が、新しいビジネスを強いる。新しい技術の登場が従来の著作権とは違った考えを要求する。著作権は著作者の当然の権利であり巨大な利権である。この従来のビジネスモデルを、そのままインターネットの世界に適用すると軋轢が発生した。

作品には拡散しようとする力がある。著作権はこれを抑制しようとする働きがある。このバランスが崩れればその市場は衰退するだろう。それに取って代わるものが出現すれば、速やかに市場から駆逐されるだろう。インターネットは、それを示唆しているように思われる。従来の音楽がCDという物質を売るビジネスであるなら、インターネット上の音楽は目にも見えない、手にも取れないデータを売る。物の売り買いではなくなった。

インターネットは、拡散しやすく、剽窃しにくい。更にインターネットを支配する価値観が、拡散する力を支持する。この新しいプラットフォームでは「転載・改変」を禁止する事は難しい。著作権が経済からの要請によって発生した権利であるならば、経済的な要請が変われば、その姿を変えるのが自然だ。法の理念さえ遵守できるならば、著作権の在り方はどれだけ変わっても問題ない。そこは金銭の問題ではない。

  • 著作物が拡散しようとする力
  • 著作者への正当な利益の還元

このふたつのバランスによって著作権は成立する。拡散する力が強すぎれば、利益の還元ができない。利益の還元を強くすれば拡散は衰える。

二次創作から、剽窃、盗作、無断配布、海賊版まで含めて、これらの拡散には宣伝の側面がある。インターネットで拡散されることが宣伝、広告になる。作品を好きな者が二次創作を活発にすると作品の世界観が拡大する。そういう働きを無視するなら市場は縮小するだろう。

著作権はビジネスである。故に権利の正当性と利益の最大化は時に矛盾する。どこまでが正当なのか、どこからを不当とするかは理念によってもビジネスによっても結論は得られない。よって著作権は得られる利益と市場の継続性のトレードオフで成立する。音楽の衰退は、著作権への取り組みが原因であろう。インターネットが強いる変革を無視したのだ。

市場が淘汰されないように、著作権も変わる必要がある。現在では SNS が創作活動の中心の場である。その大きさは巨大化しており、既存の市場を圧倒するのは時間の問題であろう。そこで著作権はどのように変わるか。

少なくとも、コンピュータによる新しい仕組みは必要だ。それを支えるのは仮想通貨と類似の技術であろう。作品の拡大を最大限にしつつも、著作権をトレースする仕組みが取り込まれ、改竄にも強く、履歴もキャッチする。コピーや二次創作を認めつつ、必要な対価を確保する新しい仕組みが誕生するだろう。

現金が最大の障壁になる。それを乗り越えるためには仮想通貨、電子通貨が必要だ。今後の著作権は、インターネット上の通貨とリンクしてゆく。そして電子通貨が汎用になれば、経済の最も重要なユニットのひとつである国家が変革を迫られないわけがない。それが今世紀中に起きることである。

どこで読んだか、誰の言葉であったかも思い出せないが、どこかの音楽家の言葉であったと思う。

著作権の重要さは理解しているが、私の本心としては、いつか私の作品から私の名前が消え、作品だけが残り、いつもどこかで誰かに口ずさまれている。そうなることを望んでいる。

印象に残ります。