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2014年4月23日水曜日

江田憲司くん江

始めに申しあげておきますが、わたくしは「結いの党」などというどこの馬の骨かも知れぬ、烏合の衆など、全く眼中にないのであります。

恐らく彼らもこれまであった無策で無能で定年までの年金欲しさに議員になった烏合の衆であります。彼らが目指しているものは政治ではありません。彼らは守銭奴であります。自分を高く売り込みたい、議員辞職後にテレビのコメンテータの席が欲しい、そういう輩であります。

みなさま、私たち新垣結衣の党の面々を見てください。彼らは私たちと全く異なるものであります。彼らの主張をよく読んでください。それは、どこかで聞いた、どこかで見た、いつか通ってきた同じ道なのであります。

民主党の大敗は、おそらくこの国にとっての幸いであります。あの失敗があり、二度目の失敗があり、そしてやっと三度目の成功を手にすることができるのであります。

では民主党の失敗とは何か。彼らは二大政党という体制を目指したのであります。その指向や良し。Aがダメな時にBというバックアップを用意すると言うのは大変に合理的な主張であります。バックアップの重要性、二の矢三の矢の重要性は、先の福島第一原子力発電所の事故からもみなさまよく知っておられる話しでありましょう。

しかし彼らは失敗ました。なぜですか。それは違いを見せようとしたからであります。彼らは政策だの理念だの違いで戦おうとした。そして勝った。そしてそのままずっこけた。

この進みに進んだ国家において今さら争うべき違いなどないのであります。彼らは勘違いしているのであります。違いがあるから別れるべきだ。違うのであります。別離したから違ってくるのであります。話しは逆なのであります。

これは何も政策の話しでない。これは進化論が示す真実であります。別の種になったから違う場所に生息するのではないのであります。違う場所に生息するから別の種に変わったのであります。

では同じならひとつで十分であるか。それは違います。選択可能な二つが有る事は大変に重要な事であります。

そうであるべき最大の理由は、癒着の分断、利権の切断であります。全く同じ主張をするふたつの勢力がある。目指す所もほとんど同じだけれども、利権と癒着は異なるのであります。癒着が強くなってきたら、Aを停止しBを動かす。切り替える、それだけで馴れ合いをリセットできるのであります。これは汚れたTシャツを洗濯機に入れるのと同じであります。その後に着る服が違わなければならぬ謂れはない。

それが二大勢力の重要な点であります。この重要さはふたつあるという構造の畢竟でありまして、重要な事はこの構造を持たなければ生み出せられない効果という点にあります。これが関係者に対して有効に働くのです。相手をないがしろにしたり、情報を隠蔽したり、ごまかしを出来なくする仕組みなのあります。

今日のボスが明日には没落する、今日の乞食が明日のボスになるかも知れぬ。そうなれば乞食相手に露骨な嫌がらせは出来ないはずであります。誰がボスになるか分からなければ自らを島流しにするような振る舞いは慎むものであります。

違い、色の違い、理念、方針、そういうものは40年後にはっきりとすればよいのであります。気の長い話ですが、今の子供達が老人になっている頃にあれば十分であります。

これが政権交代、権力闘争というものでありましょう。

さて、われら新垣結衣の党であります。わが党は今後、発展的解消もありえます。踏み台になっても一向に構わないのであります。そりゃ新垣結衣に踏まれるならば、男子の本懐、これ以上の喜びはないのであります。

キカイダーの孤独、ハカイダーの哀しみ - 石ノ森章太郎

キカイダーの孤独、ハカイダーの哀しみ。これさえ描ければ作品は成立する。キカイダーが孤独なのは、ただ一人、人間の心を持たないから。ハカイダーが哀しいのは、ただ一人、人間の姿ではないから。この対比が本作品の面白さではないか。

だがキカイダーは難しい。アンドロイドにはリアリティがでない。どうテクノロジーのバランスを取っても、近未来に自律型のロボットが登場するとは思えない。更には心を持つ、持たないで悩む機械ならばその存在に説得力がなければ感情移入はできまい。

アンドロイドで有名な存在にはスタートレックのデータがある。だがあれは近未来ではない。心を持つロボットにはアトムがある。キカイダーはアトムが持っていた人間らしい心へのアンチテーゼとも言える。機械がそんなに簡単に心を持てるものだろうか、そしてもし機械が心を持てるのならば、良心のない人間の心を機械と置き換えてしまえないだろうか。

良心回路はキカイダーのテーマを内包するが、この回路の存在が物語からリアリティを失わせる。その存在が物語を破綻させそうである。今の時代ならばただ命令を聞く心を持たないロボットの方がドラマになる。ターミネーターのように。

心を持たないロボットがどうやって良心を持つのだろうか。自分の行為に疑問を持つのが良心なら、どうやってアンドロイドは自分自身を疑えるのだろうか。疑うにはふたつ以上の基準がいる。

人間にも生まれつき良心を持たない人がいるかも知れない。なんらかの脳の障害から良心がないように見える人が生まれても不思議はない。ヒトラーの蛮行は良心があったろうか。それともヒットラーにはヒットラーの良心があったのだろうか。

シンドラーや杉原千畝が取った行動こそ良心であろう。しかし戦後に彼らを貧困に追いやった人たちはどうであろうか。もちろん彼らにも良心はあった。ただ彼らに対しては発動しなかったようである。

キカイダーをやるなら良心という心の問題で立ち止まらなければならない。

だからキカイダーをやるなら、良心を持たない人間が登場しなければ意味がない。その人間と対比して、良心を回路として持つキカイダーと良心を捨ててしまったハカイダーが対比される。

そうするためには良心回路と呼ばれるものを法律や道徳がプログラミングされ、そこから答えを出す、という形に置き換えた方が話しは簡単になるかも知れない。そこでキカイダーは法に従って行動をする。しかし実際にはそれが人間の良心と間で齟齬が生まれる。キカイダーにはその違いが認識できない、という様な描き方をする

いずれにしろ、キカイダーでもハカイダーでもない。良心の在り方を象徴するふたりの存在が必要になるであろう。

例えば、国家や企業の力が巨大になり、富めるものと貧しいものとの格差が大きくなった近未来。その貧困の中にひとりの天使と呼ばれる良心を象徴する人間が居る。それと敵対する悪魔と呼ばれる良心を全く持っていない凶悪な犯罪者がいる。彼らはどうしてそういう人間に生まれたのか、それは謎のままである。生まれながらであるか、育った環境によるものか。

ここで天使と呼ばれる人間を守護するのがキカイダー、悪魔の手下として天使をつけ狙うのがハカイダーとなる。ハカイダーの頭部は赤い液体で満たされている方が今風かも知れない。その頭部が破壊され赤い液体が噴き出す場面、吹き出す血液を補う為に人間に襲い掛かり、捕えた人間の心臓にチューブを差し込み、血液を奪い取る場面、これが中盤のクライマックスである。

一方のキカイダーは機械である。人間との受け答えもプログラミングされたものである。そのキカイダーは、第一義として法令を順守するようにプログラミングされている。その次のプライオリティで天使の言葉を実行するようにプログラミングされている。そのために悲劇が起きてしまう。

それを受けて嘆き悲しむ天使、その言葉を聞いて、キカイダーに良心回路と呼ばれる新しい仕組みを組み込もうと発想するエンジニア。その新しい回路の仕組みとは?悩む、そうか、悩むアルゴリズムを組み込めばいいんだ。悩むためにはふたつのものがいる。ふたつの間で揺れ動き、その上で決断する、または決断をしない仕組みだ。

天使と悪魔はなぜ戦うのか、それぞれが勝利した時に人間の社会はどう変わってゆくのか、ふたりの戦いを通して未来の行方を描く。

2014年4月18日金曜日

政を為すに徳を以てすれば - 孔子

巻一爲政第二之一
子曰 (子曰く)
爲政以徳 (政を為すに徳を以てすれば)
譬如北辰居其所 (たとえば北辰の其の所に居て)
而衆星共之 (しかも衆星のこれにむかうが如し)

孔子の時代に現在のような宇宙観があった訳ではないだろうが、天体に何かしらの規則や法則がある事は知っていたであろう。故に天の法則が乱れる時(異変が起きれば)はその影響を人間も受けるであろうしそれが社会に影響を及ぼすと考えるのは妥当な推論であろう。今の天文学では天変地異は法則の乱れではなくガンマ線バーストや超新星爆発などの現象として起こる。

天空には、北辰、つまり北極星が天の中心にあり、その周りを星々が回っていると言う事は当時の人々も知っていたわけである。徳によって政が治まる、と考えた事よりも、徳によって政が治まるのにはそういう法則がある、と捉えた方に注視する。今なら経済学や社会科学の研究であろう。

徳、というものが数式に出来るかは知らないが、孔子の慧眼は、物理法則と同じように徳というものを捕えていた所であろう。

徳が法則であれば誰もが手にする事ができる。もし法則でないならば、何によって得られるかは誰にも分からない。人によってどうしても得られないと言うのなら、徳とはそういう性質のものであろうか。だから徳を北極星に例えたのではないか。徳が大切なのではない。政を為す上で法則がある。それが徳である。

法則に適うかどうかが重要である。故にその法則を見出す事が重要である。故に、自分が信じた法則が疑いようもなく正しいとしても、未来に渡ってもずうっと正しいと考えたであろうか。孔子がそう思っていたか否か。

孰れにしろ「北辰の其の所に居て」という言葉からは宇宙服を着て星の上に立つ孔子の姿が思い浮かぶ。彼の思想は今も残り、未来も残る。人類が宇宙を生活の場にしても、やはり宇宙服を着て、北辰(を巡る惑星の)の上に立つ孔子の姿が思い浮かばれるであろう。