子曰 (子曰く)
爲政以徳 (政を為すに徳を以てすれば)
譬如北辰居其所 (たとえば北辰の其の所に居て)
而衆星共之 (しかも衆星のこれにむかうが如し)
孔子の時代に現在のような宇宙観があった訳ではないだろうが、天体に何かしらの規則や法則がある事は知っていたであろう。故に天の法則が乱れる時(異変が起きれば)はその影響を人間も受けるであろうしそれが社会に影響を及ぼすと考えるのは妥当な推論であろう。今の天文学では天変地異は法則の乱れではなくガンマ線バーストや超新星爆発などの現象として起こる。
天空には、北辰、つまり北極星が天の中心にあり、その周りを星々が回っていると言う事は当時の人々も知っていたわけである。徳によって政が治まる、と考えた事よりも、徳によって政が治まるのにはそういう法則がある、と捉えた方に注視する。今なら経済学や社会科学の研究であろう。
徳、というものが数式に出来るかは知らないが、孔子の慧眼は、物理法則と同じように徳というものを捕えていた所であろう。
徳が法則であれば誰もが手にする事ができる。もし法則でないならば、何によって得られるかは誰にも分からない。人によってどうしても得られないと言うのなら、徳とはそういう性質のものであろうか。だから徳を北極星に例えたのではないか。徳が大切なのではない。政を為す上で法則がある。それが徳である。
法則に適うかどうかが重要である。故にその法則を見出す事が重要である。故に、自分が信じた法則が疑いようもなく正しいとしても、未来に渡ってもずうっと正しいと考えたであろうか。孔子がそう思っていたか否か。
孰れにしろ「北辰の其の所に居て」という言葉からは宇宙服を着て星の上に立つ孔子の姿が思い浮かぶ。彼の思想は今も残り、未来も残る。人類が宇宙を生活の場にしても、やはり宇宙服を着て、北辰(を巡る惑星の)の上に立つ孔子の姿が思い浮かばれるであろう。
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