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2014年4月23日水曜日

キカイダーの孤独、ハカイダーの哀しみ - 石ノ森章太郎

キカイダーの孤独、ハカイダーの哀しみ。これさえ描ければ作品は成立する。キカイダーが孤独なのは、ただ一人、人間の心を持たないから。ハカイダーが哀しいのは、ただ一人、人間の姿ではないから。この対比が本作品の面白さではないか。

だがキカイダーは難しい。アンドロイドにはリアリティがでない。どうテクノロジーのバランスを取っても、近未来に自律型のロボットが登場するとは思えない。更には心を持つ、持たないで悩む機械ならばその存在に説得力がなければ感情移入はできまい。

アンドロイドで有名な存在にはスタートレックのデータがある。だがあれは近未来ではない。心を持つロボットにはアトムがある。キカイダーはアトムが持っていた人間らしい心へのアンチテーゼとも言える。機械がそんなに簡単に心を持てるものだろうか、そしてもし機械が心を持てるのならば、良心のない人間の心を機械と置き換えてしまえないだろうか。

良心回路はキカイダーのテーマを内包するが、この回路の存在が物語からリアリティを失わせる。その存在が物語を破綻させそうである。今の時代ならばただ命令を聞く心を持たないロボットの方がドラマになる。ターミネーターのように。

心を持たないロボットがどうやって良心を持つのだろうか。自分の行為に疑問を持つのが良心なら、どうやってアンドロイドは自分自身を疑えるのだろうか。疑うにはふたつ以上の基準がいる。

人間にも生まれつき良心を持たない人がいるかも知れない。なんらかの脳の障害から良心がないように見える人が生まれても不思議はない。ヒトラーの蛮行は良心があったろうか。それともヒットラーにはヒットラーの良心があったのだろうか。

シンドラーや杉原千畝が取った行動こそ良心であろう。しかし戦後に彼らを貧困に追いやった人たちはどうであろうか。もちろん彼らにも良心はあった。ただ彼らに対しては発動しなかったようである。

キカイダーをやるなら良心という心の問題で立ち止まらなければならない。

だからキカイダーをやるなら、良心を持たない人間が登場しなければ意味がない。その人間と対比して、良心を回路として持つキカイダーと良心を捨ててしまったハカイダーが対比される。

そうするためには良心回路と呼ばれるものを法律や道徳がプログラミングされ、そこから答えを出す、という形に置き換えた方が話しは簡単になるかも知れない。そこでキカイダーは法に従って行動をする。しかし実際にはそれが人間の良心と間で齟齬が生まれる。キカイダーにはその違いが認識できない、という様な描き方をする

いずれにしろ、キカイダーでもハカイダーでもない。良心の在り方を象徴するふたりの存在が必要になるであろう。

例えば、国家や企業の力が巨大になり、富めるものと貧しいものとの格差が大きくなった近未来。その貧困の中にひとりの天使と呼ばれる良心を象徴する人間が居る。それと敵対する悪魔と呼ばれる良心を全く持っていない凶悪な犯罪者がいる。彼らはどうしてそういう人間に生まれたのか、それは謎のままである。生まれながらであるか、育った環境によるものか。

ここで天使と呼ばれる人間を守護するのがキカイダー、悪魔の手下として天使をつけ狙うのがハカイダーとなる。ハカイダーの頭部は赤い液体で満たされている方が今風かも知れない。その頭部が破壊され赤い液体が噴き出す場面、吹き出す血液を補う為に人間に襲い掛かり、捕えた人間の心臓にチューブを差し込み、血液を奪い取る場面、これが中盤のクライマックスである。

一方のキカイダーは機械である。人間との受け答えもプログラミングされたものである。そのキカイダーは、第一義として法令を順守するようにプログラミングされている。その次のプライオリティで天使の言葉を実行するようにプログラミングされている。そのために悲劇が起きてしまう。

それを受けて嘆き悲しむ天使、その言葉を聞いて、キカイダーに良心回路と呼ばれる新しい仕組みを組み込もうと発想するエンジニア。その新しい回路の仕組みとは?悩む、そうか、悩むアルゴリズムを組み込めばいいんだ。悩むためにはふたつのものがいる。ふたつの間で揺れ動き、その上で決断する、または決断をしない仕組みだ。

天使と悪魔はなぜ戦うのか、それぞれが勝利した時に人間の社会はどう変わってゆくのか、ふたりの戦いを通して未来の行方を描く。

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