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2013年1月30日水曜日

無人迎撃戦闘機の開発

多くの映画であれ兵器であれ無人機よりも有人機の方が優れているように描かれる。しかし現実は無人機の方が遥かに可能性があり、強力で、応用も広がると思われる。無人航空機は既に軍で採用され運用が始まっている。日本でも純国産の戦闘機の開発が目標となっているが、恐らく無人機の開発にとって変わられるであろう。以下はその妄想である。


(無人航空機 より)

渡り鳥が編隊飛行するのには理由がある (らしい)。それは、捕食者からの防御、風圧の低減、浮力の向上、休息などである。交代して先頭を務める事により単独よりも群れて編隊する方が全員に有利に働く。個別の和よりも群れで和する方が大きい訳だ。先頭が切り裂いた風の流れは、後方の揚力を補助する。これはスリップストリームと同様の働きをする。この効果を航空機にも応用しようという研究がある。国際線の旅客機を編隊を作って飛ばす研究である。これが実用化されれば燃費の向上が見込まれる。

しかし鳥と飛行機では決定的な違いがある。鳥は飛行中に交尾できるが、飛行機が交尾したらクラッシュである。鳥は相手とぶつかっても涼しい顔だし 10cm の距離からの急激な方向転換も楽々だ。鳥の飛行を現在の有人機で真似るのは危険だ。夜間飛行でジェット機が編隊組んで飛んでゆくのは壮観な眺めになりそうだけど、次々と落ちていくのもまた壮絶だろう。

では自ら相手にぶつかる飛行機が存在してはいけないか。

航空機が搭載している部品の中で最も脆弱なのは人間という部品である。それでもこの部品が欠かせないのは人間でなければ出来ない事があるからだ。それは判断するという能力であろう。任務の複雑さに対して多くの点で人間を積んでおく方が安全係数が高い。とは言え無人機でも十分に活動できる任務もある。人間を積んで相手にぶつかるのは狂気の沙汰であるが無人機であればなくはない。この飛行機がミサイルとどう違うのかは問わないで欲しい。それは何度も繰り返し語られる話しなのだ。


(これ以上のものは有人では無理である。F104 より)

こうして我が国で設計開発されたのが無人迎撃戦闘機「桃花」である。人間の搭乗がないのでサイズを小さくできる、生命維持装置が不要になる、急旋回や加速時の重力加速度にパイロットの安全を配慮しないで済む、飛行姿勢が自由で背面飛行という考え方が不要、振動や温度はメカニカルの保護だけでよい、などメカニカルの向上に注力し開発された。墜落時の安全配慮も機体サイズの縮小化や自爆、分解機構を組み込む事で確保している。有人機よりも無人機の方に有利な点は数多くあるのだ。


(良く知られる代表的な無人航空機。三鷹の森 ジブリ美術館 - 常設展示など より)

全長 120cm 、最高速度マッハ 3 、飛行時間 2 時間半。地上誘導で操縦する事も予めプログラミングしておき自律航行する事も可能である。有人機にはない急加速、急旋回で高い運動性を持ち、飛行姿勢の自由度も高く、どちらの面を上にしても飛行できる。

本機はレーダー、赤外線カメラを搭載し、誘導基地に情報データを送る。機体先端は強固な繊維強化プラスチックのカバーで覆われている。これは敵機と衝突しても機体が破損しないようにする為である。主翼は可動式で、衝突時に閉翼する。また最大に開翼した状態でグライダーとして滑空する事もできる。主翼の後方には上下に大きく開くフラップがあり、これで急減速や急旋回を行う。上昇性能と良好な運動性を持って敵機に衝突し大破させるのである。

機体内部にはミサイルの収容も可能で機体先端部を置き換えれば、対空、対艦、対潜、偵察など多様な任務で運用できる。これは本機体が無人航空機パッケージのプラットフォームとして設計されたからである。機体の小ささから陸軍や海軍でも簡易に運搬、運用できるため、陸軍歩兵部隊に配備され護衛艦にも搭載されている。目的別に多用なバリエーションが製造されており、陸、海、空軍に展開されている。

2013年1月29日火曜日

如何せん如何せんと曰はざれば、吾れ如何ともすることなきのみ - 孔子

巻八衛霊公第十五之十六
子曰 (子曰く)
不曰如之何如之何者 (如何せん如何せんと曰はざれば)
吾末如之何也已矣 (吾れ如何ともすることなきのみ)

(訳)
困った、まったく困ってしまったと言葉にしてくれなければ
その者が困っていると言う事に気付けないし
その者が何に困っているかさえ分からないから
自分が頼りにされていたとしても其れに気付けなくて
気付いた時には全て手遅れになってしまっていたよ。


悩みを持たない者がいるだろうか。

単に内向的だからという理由だけで教えてやれないなどと言う事があるだろうか。

相手の態度の問題にしてそれで自分には責任がないなどと言って安心できるものだろうか。

私はどうすれば誰かの悩みに気付く事が出来ただろうか。

今から思い返せば彼が静かに助けを求めていた事にハッと気付く。

あの時に、一言、困っているんだ、と言ってくれれば、自分のような人間にでも気付く事ができたであろうに。

なぜ自分はそれに気付けなかったのか、その日から悩む日々が続いている。

そして自問する、なぜ、如何せん、如何せんと口にしてくれなかったのかと。

自分に弱みを見せる事がそんなにも辛い事だったのか、そんなにも恥ずかしい事だったのか。


助けて欲しいと言えない人がいる。

どうしても、助けてくれとは言えない人がいる。

彼はただ笑っているだけである。

しかし、彼も、どうしよう、どうしようと自問を繰り返していたはずだ。

この誰にも語りかけていない言葉が、もし自分の耳に届いていたのなら。


人が人を助けたいと思うのは自然な気持ちだろう。

しかし、人を助けたい気持ちと人に助けてられたい気持ちはまったく異なる。

聞かれて答えるのでは遅い、助けを求められてから助けるのでは足りぬ。

人を助ける事は誰にでも出来るが、助けられる者になるのは周りの人次第である。

助けてくれは聞こえて来なくても、助けようかという言葉は誰の耳にも届くのである。


だから相手を自分の事のように思い測るのだ、

この人間の最大の能力をもってしても聞き逃してしまう。

ああ、私は例え私に助けを求めてくれなくとも、せめて、如何せんとつぶやく声を決して聞き逃さないようにしたい。

それさえ私の耳に届きさえすれば、私としては全力でなんとかしてみようと今はそう思っているのだ。

2013年1月28日月曜日

我々は殺人罪方程式を手中にできるか

罰則というものは古くウル・ナンム法典まで遡る事ができ、その成立は更に昔であろう。根源的には群れる動物には共通の規則があるように思われる。罰則は群れを成立させる力のひとつであろう。人間以外の動物でも制裁は上位にある者の特権である。

罪とは何にか、罰とは何か。これを考えたければドストエフスキーが必読かもしれないが、ともあれ罰則は社会と個人だけの関係に止まらない。罰は神と人間の間にもある。罰則は人間の社会だけでなく神との間にも存在する、言い換えれば神の概念が無ければ罰というものは生じないのではないか。

(罪とは何にか、罰とは何か)

社会は自殺とも関係する。自殺は罪悪感からではなく孤立感から起きる。自殺は疎外された証拠でもある。淋しさは人を殺すと言ったのはキルケゴールであったか。自殺してしまえば社会から報復されずに済むのである。こうして自殺さえ社会との繋がりのひとつであると分かるのである。自殺とは報復や孤独からの逃亡であり集団と今の形で繋がっていたいという最後の抵抗ではないか。決して許されないであろう、だから疎外される、そして孤立する、それには耐えられない、このアノミーが自殺の原因であるか。

(絶望が死に至る)

罪も罰も神も自殺も社会との関係として捕える事ができる。それらは人間が生み出した自然な概念ではないか。社会との対立、社会からの報復、社会以外の別存在、社会との固定化、という様な関係の表出として見做しても良いのである。


刑事法では量刑は慎重に定められなければならない。我々の知る最も古い量刑はハンムラビ法典であろう。この有名な報復の原則を定めた法典はその名ほどには人々にその意が知られていない。

目には目で、歯には歯で

この法典は報復のやりすぎを制限するために定められた。更には報復よりも損害の補償を推奨する。理不尽な犯罪に対しては人間には復讐する権利がある。これをを認めない法体系などありえない。しかしその前に立ち止まり考えてみて欲しい、それがこの法典を作った人達の真に訴えたい所であろう。

同じ程度の刑罰を受けさせるか、同等と見做せる金銭により賠償させるのか二つの道がある。出来るならば穏当な決着にして欲しい。しかしどちらも復讐には違いない。許すとは忘れる事ではないし、復讐を諦めたものでもない。許すとは復讐の別の形だ。それは私はお前を忘れるけれどお前は私を忘れるな、という脅迫だ。

誰だって重たいコートをずっとは着ていられない。そしてどんな事でも次第に忘れてゆく。だが社会的な自分が忘れるなと脅迫する、だから個人として許す形がある。復讐を野蛮と言うのでは考えが足りないし人間への考察も浅いのである。

我が国に古くからある自然な情を考えれば我々には仇討を禁止する理由がない。我が国の刑法は仇討の代理である。例え法律上は違うと言えどもそうでなくては心情が通らぬ。明治時代に仇討を禁止したのは反乱を禁止したのと同じ理由に過ぎない。武を武士から取り上げ国に帰属させたのと同様に、この権利も国に預けさせただけである。だから敵討ちを禁止した事はあっても、これを捨て去った事は一度もないはずだ。

(三日の掟破り)

しかし人の理りとしてただの殺人と唾棄すべき殺人とでは量刑が変わるのは当然の要求である。ではどのように変えるべきなのか、昔なら当人の気の済むまでと言えた復讐劇も、民主主義の世の中では公平でなければならぬ。だから量刑には一票の格差と同じ様に算出式があるはずなのだ。

殺人には重みがあると言う事は、人命は地球よりも重いとか誰れの命も平等であると言うよりもよっぽど深刻だ。目の前で起きた事件をどう裁くかは目の前の実務である。命の重さも平等さもそれと比べればずっと空想的で考え込む余地が残っている。

殺人も単位を決めるべきだと思う。ひとりが誰かひとりを殺すのを 1K とする。しかしそれだけでは 1K には与えた恐怖や苦痛が含まれていない。そこで 1K となる基準の殺人を決める。それに人数や苦痛などを代入する事でどの程度の殺人であるかを数量化するのである。仮りに 1 秒で 1 人を苦痛なく殺す事を 1K と定義する。

1K = 1 人数 × 1 秒 × 1 苦痛 - 情状酌量

これを殺人罪方程式と呼ぶ。

この式を使い例えば 4 人の少年が面白半分で重りつけて少年を水死させた事例を取り上げてみよう。彼らに何を求刑するのが妥当であろうか。なおこれは重罪なので少年法は適用しない。

4 人で 1 人を殺した場合は、何人を殺した事になるかを求める必要がある。1 人で 1 人を殺したのと 4 人で 1 人を殺したのが同じ罰則は有り得ない。そしてそれで補正された人数でなければ殺人罪方程式に代入できない。

そこで複数人での殺害には殺人の濃度という考え方をする。1 人が 1 人を殺害した場合は濃度が 1 である。1 人で 4 人を殺せば濃度は 4 である。 4 人で 1 人を殺した場合は殺人濃度は 1 ÷ 4 で 0.25 となる。では殺人罪方程式には 0.25 人と代入すべきであるか。大勢で殺す方が得であるというのは承服できない。さて 0.25 人を殺す事は現実には不可能である。だから殺した人数をひとりの人間の数にまで変換する。そうして作成されたのが次の殺人濃度方程式である。

殺した人数 ÷ 殺人に関係した人数 × 殺人の濃度 = 1 (殺人濃度が 1 より小さい場合)

これが補正の殺人濃度方程式である。 0.25 を 1 にするために 4 を掛けなければならない。この 4 という数字が殺人濃度であり、このまま殺した人数と見做す。4 人で 1 人を殺したという事は、実際は 1/4 の労力で 1 人を殺した事である。0.25 の労力で 1 人を殺したのだから、通常の人が 1 人を殺す労力を使えば 4 人殺したと同等を見做せる。つまり 4 人で 1 人を殺すとは 1 人で 4 人を殺すのと同じ凶悪さだ。

この事例では水死だから殺人に要した時間は 5 分である。苦痛も激しいので仮に 10 とする。殺人罪方程式に代入し 4 人 × 300 秒 × 10 苦痛 = 12000 K となる。この殺人は 12000 人殺したのと同等と裁くべきである。これは死刑を求刑すべき犯罪である。

もしこれについて殺す気がなかったと被告が主張するのであれば、被告らは次の二点を説明しなくてはならない。ひとつ、重りをつけて人を池に落としたらどうなるかを知らなかった理由。ふたつ、10 歳を超えてもそれが理解できなかった理由。そしてこれら二つの理由と矛盾せずそれでも一般の高校に入学できた理由を合理的に説明しなければならない。それが出来ないならば、嘘を言っているか、知能と知性の両方に欠陥があると社会は見做さなければならない。何れにしろ殺人でないなら被告らの社会復帰は決して許されない。それは人と噛んだ犬や人里に下りてきた熊と同じようなものだ。彼らは修復不可能な動物である。人の姿をしているだけで犬や熊と違う扱いをするのは理不尽である。

このような凶悪な事件は、しかし歴史を辿れば幾らでも見つかる。奴隷や身分制度のある時代では惨い経験もたくさんあるだろう。遊びで人を殺すなど 18 世紀に西洋人がオーストラリアでやっていた事である。人間の本性としては実は不思議でもなんでもない事件かも知れない。それが現在の社会の中で起きた。 1 億人もいればそういう事を仕出かす奴がひとりやふたりがいても不思議はない。

しかし社会の要請はこの理解不能さを誰か説明してくれんかという声である。これをどう理解すればよいのか。我々は彼らを粛々と縛り首にしたり、斬首にする時代には生きていない。そうした社会が実際にあったかも疑わしいが。

どの時代でも信じられぬという事件は起きるのである。それをそれぞれの時代がその時代の価値観に従って正義や秩序の元で裁いてきた。それとどう相対すればいいかを決めるような強固な思想などどの時代にもありはしない。それでもこの判決はどうもおかしいと誰もが思っているのなら、それは社会の綻びでもあるのだろう。これを許しては社会は崩壊しかねないと予感する。それは規範の崩壊であろう。我々もそういう時代に居る。社会には罰則がある、だが規範の公平性、つまり正義が失われたら社会は失われないか。

我々は殺人罪方程式を手中に収める事は出来る。しかしそれで何も考えずに人を裁けるようになると考えるのは間違いだ。公式で判決を出せるならばコンピュータに任せておけばいい。しかしコンピュータは問わない。疑問に思わなければ間違う事はない。人であれば常に問い続ける事ができる。人を裁く時に 100 回は同じ判決だとしても 101 回目は違う判決が出るかも知れない。コンピュータなら 101 回目も同じ判決だ。どうもおかしい。これでいいのかと問う事だけが罰則を持つ我々の意味ではなかろうか。

2013年1月25日金曜日

エル・グレコ展 - ~ 2013年4月7日 東京都美術館

エル・グレコは本名をドメニコス・テオトコプーロスというギリシャ人である。その後半生をスペインのトレドで過ごした。1541 年に生まれ 1614 年にトレドの地で死んだ。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第一章-ii にリンク)

誰かの評価で良いのであればエル・グレコはマニエリスムの巨匠であり、パブロ・ピカソが再発見し、印象派の技法の先駆的な画家である。20世紀初頭に児島虎次郎がパリで購入した『受胎告知』は日本が保有する奇蹟とさえ云われる。そういう逸話で十分に満足できるならそれも良い。

しかし恐らくそんな事は絵を見る上で何の役にも立たぬ。画家が持っていたであろうキリスト教への信仰も何ら関係せぬ。目の前の色彩に佇むだけで幸せになれるのだ。およそ描かれたものがキリストであれ聖人であれ伯爵であれ鳩であれ、意味ない。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第二章 にリンク)

嵐のような雲の流れ、炎のゆらめきと評した筆致、マントを色彩する発色、目線の動きがキャンバスの中に散りばめられ、停止した時間の中であるにも係らず、見るものが眺める様、顔の動きに応じて構図も変わってゆく。

パッと見ればグレコの赤が印象的だ。しかし眺めていると気付く。黄色を下地にして、赤は対比するために配置されている。グレコが書きたかったのは本当は青ではないか、と。黄赤青の対比が面白くて途中からマントを見るだけで楽しくなってきた。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第三章 にリンク)

この画家の絵を見ていると僕には漫画かアニメーションが思い浮かぶ。動きがあって色彩の単純さがあって物語があってデフォルメがある。天使が何人もいるが頭だけを描いているのにはおかしみを感じる。顔を描きその下に羽根を付け加え、ほらこれでもう天使に見えるだろう、と笑っているかのようだ。

カメラの視点というものは一つ場所の固定されている。これが絵になると顔が動き異なる幾つもの視線が一枚の絵の中に同居できる。映像がパンで表現するものを一枚の絵の中に表現する。エルグレコではそれは縦に伸び下から上へと動く顔の流れをも含むのではないか。

マントの皺の省略の仕方がまたいい。まるで、ああ面倒臭いと言いながら描いている様が目の前に浮かぶようだ。もしこの画家が今の時代に居たら。きっと漫画家であり映像作家であり画家であったろうと想像が逞しくなる。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第四章 にリンク)

筆致の楽しさ。それが印刷では分からない。本物を見るべきなのは、まさに私と絵の間にグレコが立ち筆が流れている幻想を想像できる所にある。ここをどう描いたのだろうか、という興味とは、画家が蘇る事の言い換えだ。

展覧会において、グレコは地の底から蘇り、絵の前に立ち、筆を振るっているはずなのである。それが画家と出会うという事なのかも知れない。

だからこの機会を逃すべきではない。

もちろん、長い人生であれば再び見える事はあるだろう。しかしそのためには世界のあちこちに足を運ばなければならない。

もうひとつ。エルグレコの描く鳩は上手くない、どちらかと言えば下手。JR 上野駅で駅弁を楽しみに、鳩を見に行くのは悪くない時間の過ごし方だと思う。

東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
2013年1月19日 ~ 4月7日
月曜日休館(2月11日は開、12日閉)
9:30~17:30(金曜 20:00)