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2013年1月29日火曜日

如何せん如何せんと曰はざれば、吾れ如何ともすることなきのみ - 孔子

巻八衛霊公第十五之十六
子曰 (子曰く)
不曰如之何如之何者 (如何せん如何せんと曰はざれば)
吾末如之何也已矣 (吾れ如何ともすることなきのみ)

(訳)
困った、まったく困ってしまったと言葉にしてくれなければ
その者が困っていると言う事に気付けないし
その者が何に困っているかさえ分からないから
自分が頼りにされていたとしても其れに気付けなくて
気付いた時には全て手遅れになってしまっていたよ。


悩みを持たない者がいるだろうか。

単に内向的だからという理由だけで教えてやれないなどと言う事があるだろうか。

相手の態度の問題にしてそれで自分には責任がないなどと言って安心できるものだろうか。

私はどうすれば誰かの悩みに気付く事が出来ただろうか。

今から思い返せば彼が静かに助けを求めていた事にハッと気付く。

あの時に、一言、困っているんだ、と言ってくれれば、自分のような人間にでも気付く事ができたであろうに。

なぜ自分はそれに気付けなかったのか、その日から悩む日々が続いている。

そして自問する、なぜ、如何せん、如何せんと口にしてくれなかったのかと。

自分に弱みを見せる事がそんなにも辛い事だったのか、そんなにも恥ずかしい事だったのか。


助けて欲しいと言えない人がいる。

どうしても、助けてくれとは言えない人がいる。

彼はただ笑っているだけである。

しかし、彼も、どうしよう、どうしようと自問を繰り返していたはずだ。

この誰にも語りかけていない言葉が、もし自分の耳に届いていたのなら。


人が人を助けたいと思うのは自然な気持ちだろう。

しかし、人を助けたい気持ちと人に助けてられたい気持ちはまったく異なる。

聞かれて答えるのでは遅い、助けを求められてから助けるのでは足りぬ。

人を助ける事は誰にでも出来るが、助けられる者になるのは周りの人次第である。

助けてくれは聞こえて来なくても、助けようかという言葉は誰の耳にも届くのである。


だから相手を自分の事のように思い測るのだ、

この人間の最大の能力をもってしても聞き逃してしまう。

ああ、私は例え私に助けを求めてくれなくとも、せめて、如何せんとつぶやく声を決して聞き逃さないようにしたい。

それさえ私の耳に届きさえすれば、私としては全力でなんとかしてみようと今はそう思っているのだ。

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