stylesheet

2015年4月30日木曜日

アンゴルモア 元寇合戦記 - たかぎ七彦

「なまずランプ」がモーニングで連載されていた記憶はある。だけれど同じ作者とは思わなかった。

基本、負け戦は撤退戦である。いきなりの逃走劇になるか持久戦の後に撤退するかは状況による。持久戦の基本は時間稼ぎだから、時間を作る目的と方法と期限が設けられる。つまり計画。この計画に対して、実際がどうなるか、ここで面白くなる。

この物語では、最初に援軍の到着が示される。当面はそれまで如何に生き残るかが物語の中心になる。もちろん、援軍が遅延したり到着しない展開もある。そうなったら登場人物はどうするか、作者はどうなるのか。

まさか玉砕?脱出劇なら希望が持てるけれど。玉砕も持久戦の一種だから何かあるかも知れないけれど、意味も目的も失った持久戦なんか読みたくない。こうした塩梅で、撤退戦は先行き不明で大概が面白い。作者の掌で転がるのみである。

  • 皇国の守護神 - 伊藤悠
  • 軍靴のバルツァー - 中島三千恒
  • 雑想ノート 妄想ノート - 宮崎駿
  • キングダム - 原泰久
  • 火の鳥(乱世編) - 手塚治虫
  • 銀河英雄伝説 - 田中芳樹
  • 彷徨える艦隊 - ジャック・キャンベル
  • 敗走記 - しまたけひと

撤退戦はテーマが明確だし、目的もはっきりしている。犠牲も説得力を得やすい。緊張感が長く続くので題材としても優良である。生きる死ぬが必ずあって読者をキリキリさせる。犠牲は不可避、普通に考えれば主人公が死んでも文句は言えない。言えないから、そういう展開になっても読者は離れてゆかない。

撤退戦は絶望的な立場に主人公を追い込む。運だけでは生き残れない。物語の面白さには真実が要る。どんな人も虚偽や嘘では感動できない。必ず一握りの真実がある。

事象や物語がどれだけ嘘だらけでも、真実さえ潜んでいれば本物だ。

物語には約束事がある。社会の良識や常識、歴史が育んだもの。「それ」を分かった上で、「だから」敢えてこうする、「そして」こう切り返す。観客は架空を楽しみ、即興性、当意即妙、機転に驚く。そういう瞬発力に翻弄されたい。

2015年4月19日日曜日

仮面ライダー - 石ノ森章太郎

石ノ森章太郎が描くヒーローを哀しみが支えている。その哀しみは正義も悪も関係なく。

キカイダーの孤独、ハカイダーの哀しみ。これさえ描ければ作品は成立する。キカイダーが孤独なのは、ただ一人、人間の心を持たないから。ハカイダーが哀しいのは、ただ一人、人間の姿ではないから。この対比が本作品の面白さではないか。

仮面ライダーも同様、物語には悲しさの通奏低音が流れている。その哀しみとは何だろう。

自分の意に反して戦闘用の人造人間に改造された哀しみである。仮面ライダーのモデルはバッタである。カフカの変身ではないが、果たして虫になることは人間のどのような悲しみだろうか。輪廻転生で虫に生まれ変わることは人間のどのような悲しみであろうか。

ショッカーの技術者たちはバッタを研究し尽くしてその能力を仮面ライダーに移植した。バッタのジャンプ力がライダーキックの破壊力を生み出す。この必殺技が授けられた仮面ライダーは本来は従順なショッカーの戦闘マシーンとして世界征服の一翼を担うはずであった。

ショッカーの改造人間は戦闘に不要な機能、器官は捨てたと考えるのが妥当である。例えば消化器官は必要最低限でよい。バッタであるなら雑草からエネルギーを取り出せば十分である。

味覚など必要ない。本郷猛が食すのはサラダでさえない。そのあたりに生えている草ばかりだ。ごはんや肉を食べても味はしないし、消化する能力もない。仮面ライダーが強力なあごを持つのは、ススキや樹皮などを噛み砕いてエネルギーを効率よく取り出すためだ。

みんなと食事しても食べている振りをするだけである。味はなく美味しさも感じない。消化されることなくそのままの形で排出される。そして誰も居なくなってからひとりでススキの葉を取り込むのである。

聴力は強化され、人が歩くと骨の動く音が聞こえ、食事をした人が消化している音も聞こえる。視力は紫外線まで見える。人の動きも止まったようにも見え、肌に住むダニまでもはっきりと見える。

嗅覚も強化され通りすがりの人が前の晩に誰に抱かれたかも分かる。生殖器は切除された。しかし脳が人間のままであるから性欲は残っている。どうやってそれを満足させれば良いのか。

体の機能欠損や脳障害を抱えている障害者はたくさんいる。新しい技術がそういう人たちにとって新しい補装具となり助ける、一部の機能では一般の体を遥かに凌駕してゆくだろう。

人造人間と同じ姿になって苦しんでいる人が居る。人間が人間の体であることは幸せなことだ。しかし不幸にしてそれを失っても生きることを止めるわけにもいかぬ。対峙するしかない。すると仮面ライダーの悲しみは障害者の悲しみなのだろうか。

義手、義足がコンピュータを搭載し改良を続ければ、パラリンピック(この呼称が近い将来は廃止されるだろう)の記録がオリンピックを抜き去ることは確実だ。ならば仮面ライダーの悲しみとはふつうの人と違う体を持つことの悲しさとは言うべきではない。ならば彼の孤独や悲しみはどこにあるのか。

ショッカーの技術者たちは強化人間を作るだけでは不完全と考えた。怪人をショッカーに従順な戦闘マシーンとしておくには、自分で考え行動する事が邪魔になる。強力な怪人たちはシビリアンコントロールされなければならない。

強化人間を幾ら揃えてもばらばらであれば戦闘力にならない。裏切りや逃走するようでは危険である。自分の正義に基づいて行動されては困る。戦闘集団に優秀な士官は欠かせぬ、しかし命令は絶対なのである。それを誰に担わすのか。

ショッカーには思想もなければ宗教もない。しかし多くの科学者に最先端の研究所を与え、医学論文こそ発表しないが研究内容はノーベル医学賞ものである。国際的な犯罪組織として世界中の警察組織を相手に対等以上に対立している。非合法で世界中に支部を持ち莫大な経済力がそれを支える。それが可能なのは世界的な麻薬カルテルくらいではないか。

巨大な麻薬組織は経済的な力を背景として地域と密接し自治を行う。ショッカーも同様だろう。彼らが目指すものは世界征服ではない。自分達のビジネスがやりやすい環境を世界に作り上げるべく、麻薬が流通しやすい世界に変えたいのだ。打倒すべきは国家の法規制あり、それを打ち砕くためなら政府さえ相手にする、そういう非合法の企業体なのだろう。

ショッカーの戦闘員は自分達の地域から雇用する、彼らに改造人間を配して敵対する麻薬カルテルを破壊したり根拠地を焼き払う、ショッカーはそうやってのし上がってきたに違いない。そんな彼らがなぜ日本をターゲットにするのか。麻薬組織と対峙する世界的な警察機構が日本にあると設定すれば説得力が増す。本部近くでスパイ活動を円滑にするために陽動として事件を起こすのである。

いずれにしろ改造人間は志願者ではなかろう。有望な身体能力を持つ者を誘拐してきたのだ。恐らく適合する人間が必要なのだ。彼らをショッカーに従順な怪人にするには脳の改造が必要であった。

仮面ライダーは他の人からは哀しみに見える障害を引き受け生きている、その姿を見せる物語だ。当人がそこにどのような心理的葛藤を抱えているのか、どうやってそれと乗り越えたのか、それは語られていない。

その悲しみをただおやっさんだけが知っていたと思われる。おやっさんの陽気さの奥にある何かを誰もが感じていたに違いない。おやっさんは仮面ライダーに少しでも人間的な喜びや快感を取り戻してもらおうと色々な研究をしていたのではないか。

この人間性の問題にショッカーの科学者たちも気付いていたに違いない。その解決方法として何も感じないよう脳に改造を行った。脳の改造をされた怪人たちは命令を受けていない時はただ部屋の中に座って微動だにしない。ただ待っている。命令を受けるまで。そうすることが人間的な苦しみから解放する方法だとショッカーの科学者たちは考えた。脳を無感覚にすることもひとつの人道性だと考えた。

仮面ライダーには誰にも明かせぬ秘密があった。それを抱えて生きてゆく悲しみ。それを知るのはおやっさんただひとり。

それが苦しくとも、その苦しみとともに生きてゆくほうがよい。仮面ライダーはそういう物語ではないか。

2015年4月10日金曜日

ミランダ警告

アメリカのクライムサスペンスでは欠かせない Miranda Rights

1963 年に逮捕された Ernesto Miranda さんの裁判を巡って Phoenix Police の捜査に瑕疵があったと Miranda v. Arizona で争われた、こんな手続きじゃ正当な裁判なんてできるわけないよ、と公選弁護人である Alvin Moore さんが訴え、その場では overruled されたものの負けてなるものかと Arizona Supreme Court に上訴して勝ち取った、そういう話しなら被告に有利な結論にするしかないよ、とがっつり有罪なのに検察が告訴を取り下げざるえなくなった事で設けられた被告の権利かつ原告の権利。

Miranda warning
  1. あなたには黙秘権があります。
  2. あなたの発言は法廷で不利な証拠として使われる可能性があります。
  3. あなたには弁護士を要求する権利があります。
  4. 弁護士費用がない場合は、公選弁護人を用意される権利があります。
You have the right to remain silent.
あなたには黙っていていい権利があります。

Anything you say can and will be used against you in a court of law.
なんであれ、あなたの言った事は、あなたに対して不利になる可能性があるし、
裁判ではそのように使われます。

You have the right to have an attorney present during questioning.
あなたは正当な権利を有します。それは、尋問の間に弁護士を有するものです。

If you cannot afford an attorney,
もしあなたに弁護士を雇う余裕がないのであれば、

one will be provided for you at interrogation time and in court.
取り調べ時や裁判で困らないよう弁護士を付けてもらえます。

You Have the Right to Remain Silent, EO (repost)
 

The Six rules 
Evidence must have been gathered.
証拠は集められたものでなければならない。

The evidence must be testimonial.
証拠は証明可能でなければならない。

The evidence must have been obtained while the suspect was in custody.
証拠は容疑者を拘束している間に入手したものを含まなければならない。

The evidence must have been the product of interrogation.
証拠は尋問の結果でなければならない。

The interrogation must have been conducted by state-agents.
尋問は捜査官によって行わなければならない。

The evidence must be offered by the state during a criminal prosecution.
証拠は起訴の間に検察から提供されなければならない。

2015年4月7日火曜日

恋の処方箋

それは驚きから始まる。

相手を見た瞬間に驚きが心を打つ。もしこの一瞬に予感を感じなかったならそれは恋ではない。

はっとするような美しさ、声、仕草、眼差し、そのひとつひとつが予感を確信に変えてゆく。まるで潮が満ちて月明かりが海底を照らすようにはっきりと心の中で形になってゆく。心臓は鼓動を速め血流が早くなる。もう相手以外の何も考えられない。

気付くともう戻れない。意識の前に恋は始まっている。体は既に準備を終えている。私は最後に知る。恋に落ちましたと。

驚きから始まりどれだけの時間が必要だろう。体の中で生理物質や伝達物質が最大最速で放出されている。心がドキドキする時にはもう引き込まれている。

人間には、自分を守るための、他人との必要な距離がある。話せることなら何でも話せる友人から気を使い話す間柄もある。

恋はそういう全てを突破する。もっとも遠い所から、あっという間に近くに居る。如何なる運命も必然も必要ない。それ以外は考えられない、ただひとつの、ゆいいつの関係性が生まれる。

それでも恋には幾つかの段階がある。それは時間的溶融とでも呼ぶべきもので、空間的、時間的、社会的な共有を通して進む。

偶然の出会いだけでは恋にはならない。どれほどハッとする出会いでも通り過ぎるだけではその先はない。空間を共有するだけでは足りない。同じ時間を共有しなければならない。その時間が長くなるほどそれが恋になる可能性が高くなる。

時間の共有だけでは立ち枯れてしまう。その次に社会的な繋がりが必要になる。社会的な繋がりとは、別れた後にもういちど出会う可能性の事だ。

空間を共有したことの驚き、時間を共有したことによる予感、社会的な繋がりによる確信。出会い、再会を予感し、再会が実現する。その時に恋が確実なものとして始まる。

恋と愛は明らかに違う。恋は肉体的なものだ。精神よりもずっと生命的なものに根差している。恋ほど私という存在を意識させるものはない。それは自己を認識してもらいたい強い渇望だ。

その欲望を満たすためなら死んでも構わない。恋とはそういうものだ。それは、最高のパフォーマンスをすることが相手から高い確率で認識を貰えるという自己顕示欲と承認欲求が一致する戦略を採用しているからだ。

では自己認識を求める相手はどういう人(物、観念、創作物)であるか。そこに自分の中の何かの投影がある。

恋には必ず条件がある。その相手でなければならぬ、それがすでに条件である。なぜその相手でなければならぬのか。それは説明できぬだろう。なぜ好きなのか。その理由は見つからないだろう。理由があろうはずがない。なぜなら対象は自分の中にある。自分を好きなのに理由を見つける必要があるだろうか。

恋は個人的な肉体的な所から始まる社会との接点である。それは相手との関係のなかに自分への認知を求め、それが自己の社会とのつながりを確立させる。人間とはセックスを通して社会に参加する動物だ。セックスには社会と自分の関係性が射影される。

人にある様々な性癖はどれも社会との関係性から説明できる。如何な異常性癖も社会との関係性からの異常であり、社会からの禁止や抑圧に対する反応として解釈できる。

なぜその相手なのか。まずは肉体的な魅力がある。抱いた時に感じられる筋肉や骨の感じが恋の理由になる。抱き心地がいい大きさはそれだけで恋の理由になる。

更に社会的通念もある。健康とされる容姿であったり、地位、ステータスが恋の理由になる。こんな相手といる自分という存在を認知したとき、それが社会的な自分の立場となり、それが恋の理由になる。

頽廃が社会的な罪悪感を心に生じさせる。その罪悪感を乗り越えることで社会との結びつきが強化される。その認識が恋の理由になることもある。

社会との様々な関係性が、DNA の本能の上に複雑に絡みあう。なぜ魅かれるのかは誰にも分からない。なぜかくあるか、それも分からない。

自分がどう動くかではなく相手がどう動くか。こうであればいい。こうして欲しい、こうなったら嬉しい。相手に願望するしかない。それは神への祈りにも似ている。自分以外の誰かに選択権があるという状況に置かれた人間はどう向き合うべきか。恋が私を裏切るなら、神も裏切るはずである。恋を失っても生きねばならぬなら、神を失っても生きねばならぬはずである。

僕は遠い過去に戻った。仏壇のある奥の部屋で真っ暗な天井を見上げながら思い返していた何か。遠い過去に見たラ・ブーム。そして気付いた。

僕はあの時からずっとソフィーマルソーを追いかけていたのだ。あの日に僕の中に生まれた何か。僕はずうっと恋の中にソフィーマルソーを探していた。それはソフィーという実在する人間とは何も関係ない。何かに対面した、その何か。

ソフィーに、あの日に見たヴィックの姿に。