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2019年8月26日月曜日

食べるのに吸引する理由

君はヤツメウナギの生まれ変わりかね?と聞きたくなるようにずずずと吸いながら食べる人はどこにでもいる。無顎類であるならば吸うしかないのは理解できる。

それでも歯を持たない赤ちゃんでさえ吸うばかりではない。碁石を手で運び、口の中に入れるというのは、基本的な食餌行動であろう。

一般的に啜るという食べ方は、日本では麺類で行われる。なぜ麺類を啜るかと言えば、みそ汁と比べれば明瞭だ。みそ汁はお椀に口を付ける事ができるから、別に啜らなくても、流し込む事ができる。

所が、麺類のどんぶりは大きく重く熱いため、持ち上げて口を付けるのは難しい。どんぶりを置いたまま口を付けるには、一般的にテーブルやカウンターの高さから大人がやるのは難しい。小さな子供なら距離的に可能だから、そういう食べ方をしているのも見られる。

西洋の人は啜る習慣がないと言われるが、それはもちろん、箸を使わないからで、麺類の多くはフォークを使う。フォークが発明される前は手で食べていたというが、その場合も、手を持ち高く上げて、上から口の中に入れるようにして食べていたそうである。

フォークを使う場合もくるくる巻いて口に入れる。フォークであれ、スプーンであれ、口を下に向ける必要がないようにして食べるのが基本だ。手で食べる習慣の地域でも手で口に持ってゆく。それを吸うようにして食べてはいない。いずれも啜る必要はない。

ゆりやんレトリィバァがシェイクを飲むようにすれば啜れると知りたガールで紹介していたが、ストローは確かに真空を利用した摂取方法(圧力差を利用した)で理屈は合っている。なるほど、シェイクの最後で起きるズズズとする音は啜る音と似ている。

吸うのは圧力差を利用しているので、音が発生するのは自然と思われる。なぜ圧力差があると音が発生するのか。おならの例からも明白なように、圧力の違う空間が接すれば、そこに発生した圧力差(境界面)で空気の流れが発生する。この流れが音の発生源である。

流れが発生すれば波が生まれる。流れている所には、電磁気力による摩擦(クーロン力)があり、それぞれの原子、分子に速度差が生じる。この速度差が発生源となって、振動が生まれ、振動は波となり、この縦波を音と呼ぶ。

一般的に空間が膨張するのは、同一の空間内にある原子、分子の活動が周囲から与えられたエネルギーによって活発になるからだ。もし断熱状態(エネルギーを与えていないのに)で空間を膨張させた場合、原子、分子の活動が活発な状態でなければならないのに、エネルギーは足りない。そのため温度は下がる、温度が下がれば周囲からエネルギーが流れ込んでくる。これが断熱冷却と呼ばれる冷蔵庫の原理である。

逆に、断熱状態で空間を圧縮すれば、同じ運動量でも相対的に活発に見えるはずである。100m走のつもりで走っているのに急にゴールが10mになれば5往復できる計算になる。大気圏に突入したザクの装甲では大気が圧縮され高温となり、その温度に耐えられないため融解する。

注意:この辺りはそんなに間違ってはないとは思うが、正確ではないかも知れない。

さて、ここで注意すべきは、ズルズルと啜る、ズボと吸い込んで食べる条件として、口を下に向けて開く必要があるという事だ。この形でなければ啜るのは難しいはずである。なぜなら下から上に物を上げるには垂直であるのが合理的だからである。

もし斜めだと吸い上げる道程において口の周りを汚す可能性が高い。熱いものだとやけどするかも知れない。真上から吸い上げるから、そういう被害を最小にする事ができる。

一般的に箸を使って経口する場合、箸を使って口の中に入れる、または口の前まで持ってきて齧るという食べ方をする。この場合、吸う必要がないので口の中に入れるまで音は発生しない。

お椀を手に持たない人は吸う可能性が高くなる。お椀の上に口を持ってこなければならず、自然と下を向きやすくなるからだ。食物が下に長い形状になると、これは啜るしかないのだが、啜れない人は、何度か歯で支えて口の中に入れる必要がある。西洋ではそういう状況を起こさないようにするためにナイフがある。

お椀に口を付けて食べる場合は、箸で食べ物を口の前まで食器の面に沿わせて持ってきて吸う。特に、食器をテーブルに置いたまま口を付けて食べる場合はそうなる。食器の外縁は大抵が上を向いているからだ。

箸は食器内を移動させるために使用される。日本ではこの食べ方は犬食いと呼ばれ、手がない犬なら仕方がないとしても一般的には好まれない。もちろん、怪我をしている場合や障害を持っている場合はその限りではない。

地上には重力があるため、下にあるものを上にあげるには、位置エネルギーを大きくするしかない。箸やフォークなどはこういう仕事をするための道具であるが、最終的に口の中に食物を入れるためには、横から入れるか、下から入れるしかなく、下から入れるためには吸い込む必要がある。

人間の食べ方というのは生命の根源的な行為であるにも係わらず、思想や哲学ではないにも関わらず、道徳や性格と何も関係しないはずなのに、何か人間性を露にする部分がある。食べ方が人となりと直結したりする。何故かは知らないが、何か情けなかったり、何か悲しかったり、何か嬉しくなったりする。

ある日、オムライスを吸うように食べている人がいた。通常はスプーンを使って食べるはずで、吸う必要はない。だがその人は吸っていた。どうやって?だが試してみたらスプーンでも吸う場合があることが判明する。乗せた高さが口の高さを超える場合、吸うように食べる事が分かった。人間というシステムは、予想を裏切るものである。

2019年8月12日月曜日

割り算を考える

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割り算とは

5÷2
二つに分けると考えるから解らなくなる。分けて二つにすると考えれば少しは見通しがいい。

分ける事(操作)が重要なのではない。結果として二つになればいいのである。もちろん、割り算には、明記されていない暗黙の約束事がある。分けられた二つは同じ大きさでなければならない。

ケーキの割り算

ケーキをイメージすれば半分に分ける(÷2)は簡単だ。


でも(1/2)で割りなさいはどうイメージすればいいのだろう。それはケーキをどうすることになるだろうか。

ケーキをふたつに割った場合、個数は2つに増えた。これは当たり前に思える。だけど、ケーキの体積や重さは、半分(1/2)に減っている。これも当然と思える。
  1. 個数⇒2つ
  2. 重さ、体積、長さ⇒半分(1/2)

1÷2=1/2の意味

1つのケーキを2つにした時の答えは 1÷2=1/2 になる。この 1/2=0.5 は、何を意味しているのだろうか。真っ先に思うのは半分になったという事である。だから、これは個数ではない。個数を数えればちゃんと2つあるからだ。

ケーキの重さや体積は半分になっている。だからこれは重さの事だろうか?

でも10個のケーキを2人で分けたら 10÷2=5 でひとり辺り5個ずつになる。半分にしたら 5 個になった。これはケーキの個数のように思える。どうして 1/2 で割った時は個数にならないんだろう?

ケーキを数える時、1つ、2つと数えるのは正しい。半分に分けたケーキに、もうひとつケーキを持ってこよう。すると数えたら3つある。だからケーキは3つあると言ってもいい。

このどれを貰っても嬉しい?大きさが違うから、どれでもいい訳じゃない。

ケーキをもっと沢山に細かくちぎって100個とか200個にしても、それを1個と呼んでもいいだろうか?大きさの違うケーキをぜんぶ一個と数えてもいいもんだろうか。

だけど、お店にいけば、形も大きさも色も違うケーキが並んでいる。切られて売られているケーキもある。どのケーキも一個は一個だ。半分(1/2)のケーキと1つのケーキを、どちらでも1個と数えられる。でも、どちらも一個だから平等だねと言われて小さい方を貰ったら嫌な気がするだろう?半分のケーキと1個のケーキは違う。何が?

大きさ、重さ?長さ?

1つのケーキと呼ぶには、何か約束事があるんじゃないか。明記されていないけど、何か暗黙の約束事が…

ひとつとは何?

ケーキには沢山の種類がある。そのどれもひとつのケーキだ。大きなケーキも小さなケーキもひとつのケーキだ。カステラみたいに切られて売られているものもある。

ひとつのちゃんとした形って何だろう?

1つのケーキを半分にしたものも1つのケーキと呼ぶことはできる。ふたりで分けた半分づつのケーキはちゃんと1つずつ、ふたりにだから2つある。

半分にしたら大きさは半分になった。重さも半分、面積も半分、個数は二つ。だからこの半分のケーキが1になったという事。

だったら、割り算とは何が1かを求める計算じゃないかな?

分数の割り算とは

分数の割り算は、1/2に分けるとはどういう意味と考えるんじゃなくて、分けて 1/2 になればいいと考える。結果として、それが(1/2)になればいい。5÷2なら5が2になればいい。5÷(1/2)なら5が(1/2)になればいい。

そうした時の答えが割り算の求める答えという事になる。

掛け算と割り算

掛け算は繰り返しとなる足し算を簡単に書くための工夫だし、割り算は、掛け算のある部分を求める式の変形。そのように式は理解できる。びっくりする事に、面積を求める掛け算も、よく見れば足し算の繰り返しになる。
足し算を簡単に書く
5 + 5 + 5 + 5 = 5 * 4 = 20
5 * ? = 20 
これが割り算の基本形

5*2 の掛け算は 1 ではなく 2 を 1 とした時の 5 の値と考えてもいい。5*(1/2) とは(1/2)を 1 とした時の 5 の値と考えてもいい。つまり、掛け算と割り算は、通常は1という基準の数を別の数に変えた時に、元の値は幾つに変換されるかという計算と考えていい。

掛け算も割り算も基準の数を変えた時の値を求める計算。ただ、求めた数がどちらの基準に合わせるかが違う。
5 × 2 とは基準の値が2としたら、1が基準の世界で5はどんな数になるか?
5 ÷ 2 とは基準の値が2だとしたら、2が基準の世界で5はどんな数になるか?

全部同じ大きさだけど、数え方が違ってくる。

演算基準の値求められた数
足し算
引き算
掛け算掛ける数基準1の世界での大きさ
割り算割る数基準の世界での大きさ

1とは何か?基準となる数とは?

数には元となる数がある。それを組み合わせる事で他の数を求める事ができる。最初は1だけを定義すればいい。その値に足してゆけば新しい数になる。すると1+1=2、1+1+1=2+1=3...とどこまでも数が増えてゆく。

この1は唯一の基準か。またはこの数しか基準となってはいけないか?

割り算は基準となる数を求める事だ。基準となる数とは1である。

5÷(1/2)は、1/2を基準とする世界でが5はどのような数に変わるかを求める事である。基準となる数が変わっても数の大きさは変わらない。所が面白い事に、これには別の解釈も可能で、5 が (1/2) となる世界では、基準となる値は何か?でも通用する。

5÷(1/2)=10 (1/2)が基準の世界では、5は10になる。
5÷(1/2)=10 5が(1/2)となるような世界では、基準となる数は10である。

結局、割り算を考えるとは、1とは何かを考える事になった。

割り算の使い道

何を求めたくて割り算を使うのだろうか。

割り算は掛け算よりもずっと使い道が多い。比例も割り算だし、等分するのも、包含を求めるのも割り算だ。掛け算が何かを何倍かするとだけ覚えておけばよいのと比べると、割り算には沢山の使い道がある。用途の多さは、万能性の強さでもある。

ケーキを等分することも、塩水の濃度を求めることも、比率を求めるのも、パーセントを求めるのも、割り算。