弱肉強食
弱肉強食は唐の時代の送浮屠文暢師序に由来する。韓愈(768-824)が野生を表現するための言葉(弱之肉,強之食)で、野生で生きるなら毎日誰かに食われる事を心配し、今日の食べ物の心配も欠かせない。それと比べて人間社会はそういう不安を減らしてきた。人間社会との対比としての野生状態を示した言葉になる。
食物連鎖について深く思索した言葉ではない。どちらかと言えば、野生で生きる事の不安を強調するために自然の一部を切り取った言葉である。
韓愈の関心は人間の社会にあった。当時でさえ弱を草食、強を肉食の意味では使っていない。それを草食動物、肉食動物に当て嵌めるたのが現在の状況である。
肉を食うのが強くて、草を食うのが弱いと誤解するのは何故だろう。食性の違いを強い弱いにする理由、恐らく野生の王国での捕食シーンを見て、命を奪っている=強いという式が浮かんだ。もちろん、そこに植物の命は含まない。子供の手でも手折れるから。微生物も含まない。目には見えないから。
命を奪うとは、乃ち痛みを感じるという事でもある。そこで痛みを与える側、痛みを受ける側に分けられる。そこに強い価値観を割り当てた。相手を自在に扱える事を強いという言葉で読んだ。
その背景にあるのは自分は食べられる側になりたくないという恐怖心だろう。その本能的な拒絶が弱肉強食という概念に取り込まれた。
弱い立場になりたくない、というのが社会的な圧力からきたのは確かだろう。その正当性を自然の中に見出す事で良心的な呵責を失くす事ができる。それで弱い立場に対して良心の痛みなく搾取し無視し無関心でいる事ができる。
人間は相手の命を奪うという命題に対して自然の中にその理由を見出した。自然が許しているのだから自分たちも許されると。
なぜ肉食が強いかと言えば、微生物は小さくて見えないからだ。微生物の肉食は腐敗と呼び区別している。病原菌の増殖で命を失っても弱肉強食とは呼ばない。病死と呼ぶ。
草を食べるのは命を奪っているようには見えない。ある程度の大きさの命を奪うという行為でなければ認識できない。それは肉食動物か、人間の戦争でしか確認できない事象である。
人間はそうやって極悪な事にも理由を必要とする。弱肉強食はその理由にしやすい。
食物連鎖
強いものが食べ、弱いものが食べられるという構図は食物連鎖の実体からはかけ離れている。弱いから食べられるのではない。強いから食べるのでもない。食べる相手を捕食できる能力を持っている。その能力を強いと形容した。肉食動物に狩りをする能力があるのは自然である。そうなるように進化してきたのだから。強くなるためでも負けない為でもない。ただ飢えない為に。
食性は外部からエネルギーを取り込む手段であり、その違いはそれぞれの生命の進化の結果に過ぎない。その食性で維持できれば生存するし維持できなければ途絶える。または別の種に進化する。
野生では小鹿を慈しむライオンが観察される事もある。一様な単純化に当てはまるほど自然は脆弱でも強固でもない。エラーは進化の土壌だ。
植物は太陽光を使い糖を生成する。草食動物は植物の細胞からエネルギーを取り込む。肉食動物は動物の細胞からエネルギーを取り込む。
食性の違いはそれぞれであるけれど、どの動植物も、採餌に適切な消化器官を持つ。歯の形もそれに合うように進化している。捕食に相応しい能力をもってそれぞれの生命は誕生する。
植物は移動しない代わりに細胞壁が頑丈である。これを消化するのは肉食動物には出来ない。これは目に見えない機能だから気づくには学習が必要だ。
動物は移動する。その変わりにその細胞は消化しやすい。食性にあった採餌でなければ生物は必要なエネルギーを取り込めない。
強さ
鳥類で最も繁栄しているのは鶏と言われる。ただしそのほぼ全ては食用となりケンタッキーの店舗に並ぶ。それは人間が強いからか。鶏が弱いからか。それとも人間が賢いからか。鶏が愚かだからか?牧畜・農耕は、自在に他の生物をコントロールしているように見える。それは人間の発見した方法論であるが、それは人間がこの星の生物界の頂点に立っているから可能なのではない。人間にはその手段があった。それを進化の過程で獲得していた。
それはそれぞれの食性とも関係ない。捕獲し育て食用にする。その為に必要なのは柵を作る事だ。あと所有の概念が共有される事だ。
どちらかと言えば所有の概念がある事が他の動物との違いだろう。なら強いとは所有権を主張する事ではないのか。それを他の動物が理解しないとしても何も不思議はない。所有と強さを混在する方が余程に愚かだ。
肉食
肉食は動物を選ばない。だから誕生したばかりの肉食動物は他の肉食動物の獲物である。老化してもまた捕食の対象である。怪我や病気でも捕食の対象になる。
肉食動物だからといって常に捕食する側ではいられない。捕食が常に成功するとは限らない。
肉食は大変である。だから数が少ない。それは別に選ばれたからでも能力があるからでもない。その動物が住む環境で維持可能な数量を超えないだけの事だ。選民思想の人は恐らくここでも勘違いできる。選ばれたから数が少ないのだと。
草食動物は肉食動物よりも数が多い。植物は草食動物より数が多い。微生物の数は更に多い。食物連鎖のピラミッドは下層ほど数が多くなる。なぜなら多い順の積んでいったものだからだ。
しかしそれは下等の意味ではないし階級の意味でもない。原理的に肉食動物は草食動物の数を超えられない。よって数の調整機能は肉食動物にも働いている筈だ。つまり増えすぎた肉食動物はどこかで餓死している。
牙
殺して肉を食べる行為が強く見えるから牙が強さの象徴に見える。すると牙が大きいほど強いと感じるのも仕方がない。沢山の牙が生えているのも強く感じたりする。悪魔の歯列が沢山の牙である理由である。巨大な犬歯を持つサーベルタイガーやティラコスミルスが大型哺乳類に合わせた進化をした。巨大な犬歯で相手の動脈を切断する。大型哺乳類を捕食するにはそれが最も効率的だったのだろう。
氷河期が終わり哺乳類が小型化すると捕食方法が変わった。現在の肉食動物は、相手の首に噛みつき窒息させる方法を採用している。その方が効率が良いのだろう。サーベルタイガーは絶滅した。
弱いから肉になるのではない、強いから捕食するのでもない。弱いから植物しか食べられないのではない。強いから肉を食べるのでもない。どの個体にも餓死の危険はある。捕食される可能性もある。
肉食動物は強いのではない。草食動物は弱いのでもない。どちらも捕食されるまでは生き抜いている。そして多くの動物は草食肉食関係なく最後は捕食され死亡する。
適者生存に従うなら捕食に成功した個体が生き残る。繁殖に成功した種が繁栄する。それを毎年のように繰り返している。
肉食動物にとっては数の多い草食動物を選ぶ方が、数の少ない肉食動物を捕食するよりも生き残る可能性が高い。だから多くの肉食動物は草食動物を捕食する方向で進化する。それは決して肉食動物を捕食しないという意味ではない。
肉食動物も常に捕食される危険性があるし、それ以上に常に餓死する危険性がある。狩りの時に脚を挫けばそうなるし、歩いている時に棘が刺さればそうなる。傷が化膿すれば狩りができない。捕食できなくなれば、がりがりに痩せたライオンが出来上がる。これが全ての肉食動物の最後の姿である。
草食動物も怪我や病気になれば逃げられない。肉食動物も弱っている個体から優先的に捕食する。逃げる力に優れている個体はそう簡単には捕まらない。草食動物は草を食べるから飢え死にする心配はない、とは限らない。アフリカでは季節ごとに草を求めて大移動をする。それが出来る体力がなければ途中で死ぬだろうし、渡河で流されて死ぬ個体もいる。
イルカやクジラは老いると泳げなくなり最後は溺れ死ぬらしい。
エネルギーの循環
生命はエネルギーの循環にも例えられるだろう。それは自然現象(生物を自然現象に含まない場合)よりも早く大量に循環できる仕組みとも言える。供給するエネルギー量を超えて生命は生存できない。地球に降り注ぐ太陽エネルギーがその上限になる。草食動物は草原にある草の総量を超えて増える事はできない。肉食動物は獲物の数に制限される。
どの動物も定期的にエネルギーを摂取しないと生きて行けない。そのエネルギーは生存中はずっと必要だから、継続的に供給できる環境がなければ死んでしまう。春夏秋冬のそれぞれでそれが維持できないと生き残れない。
肉食の利点は一回で得られるエネルギー量が多い点にある。その代わり相手も逃げるので捕食は困難である。草食の利点は草は動かないから捕食が簡易である。難点は細胞壁を破壊するコスト。それぞれが淘汰圧を跳ね返すように食性を獲得してきた。生き残っている生物はどれも進化しながら種を繋いできた。
老いと群れ
群れを作る動物は何故老いるのか。捕食者は弱い個体を優先的に狙う。故に子供が最初のターゲットになる。そして子供ばかりが捕食されれば、その群れは遠からず絶滅する。すると、群れは子供を守る方向の淘汰圧を受ける。その為には子供以外の個体が捕食される必要がある。老いはこれに対する回答のひとつだろう。
老いて肉体的に弱くなり足が遅くなる仕組みがあれば、捕食者はそれを狙う。脳の機能が弱り、逃げない個体がいれば、捕食者はそれを狙う。老いる事で捕食しやすい個体が増えればその群れはそれだけ子供が生き残る可能性が高くなる。
もし老いても能力が落ちない個体ばかりの群れなら、その結果として、子供が優先的に捕食される。老いた個体が生き残り、若い世代が死に絶えてゆく。
数世代先には絶滅するだろう。そういう方向の進化は絶滅に直結する。そして淘汰される。だから群れを作る動物では、老いる必要があるし子供より老体が先に捕食されるように進化が進むと考えられる。
ならば、同じ子供が捕食されるにしても、雌よりも雄が優先的に捕食される方が生き残り易いのではないか。そういう淘汰圧があるなら、比率として雄の方が好奇心が旺盛で、一人でも遠出する個体が多いなどの傾向の違いを説明できる。そういう淘汰圧が子供のうちの雌雄での性格差を説明する可能性がある。
とはいえ、雄雌の差は固定化されないし環境の変化に敏感に反応し変わってゆきそうである。固定の強さが異なる気がする。生き残るべき相手は捕食者だけではない。様々な可能性を模索する中で、雌雄別なく好奇心旺盛な個体が一定割合に生まれる方がいい。同時に臆病な個体も一定数で生まれる方が期待ができる。進化は曖昧さの中に活路を見出す。固定化しない事が進化の戦略と思える。
なぜ人は老いるのか、老いない個体の群れは子供から先に捕食されるので遠からず絶滅するから。