デジャヴ
デジャヴは予感の的中は、極めて内証的なそして宗教的な体験であり、そこに見たものが、予感として、運命や啓示に変換されるのだろう。
脳に蓄積された記憶は、幾つかの軸を持って保管されていると思われる。映像や匂いや感触などの感覚が記憶として蓄積される。それを様々な記憶と結びつけてひとつのイメージに統合する。時間は人間の五感とは直結しない記憶である。という事は時間軸を形成する別の仕組みがあり、それを感覚の情報にマーキングすると考えられる。
何より、時間軸とは経験の順序の事であり、この順序は地層のように脳の中に補完されるが、地層と違い又は同様に、地層が動く様に、記憶の曖昧さや時間の経過によって順序が組み変わったりする。
昔を忘れるのはよくある体験だ。出来事の順序が逆転するのも珍しくはない。記憶は再構築されるものである。それは遺伝子のコピーミスとも似ているだろう。遺伝子はコピーの度に再構築される。そこでコピーミスが起きるから癌になるし進化もする。
という事は記憶を睡眠の度に再統合するのは生命を維持してゆく上で欠かせない作業であるし、作り変える以上、都合のよい記憶というものがなければ人間は生きる事も難しいという事だろう。ならば、恐らくAIもまた。
みみず
感覚器から得られたものを記憶として蓄積するのは古い世代の生物が既に獲得している能力であろう。最も簡単な機構は0,1 の二値であろう。それらは感覚器の感度、精度と密接と考えられる。ミミズは太陽の方向を知覚する。そして明るいは乃ち干からびるである。光の強さを何段階かで知覚し暗い方へと移動可能であるだろう。また匂いにも敏感と考えられる。水の豊かな土の方へ移動できるのは相当に生存性を上げると考えられるからである。
また雨の日にみみずが地上に出るのは、その時が長距離移動をするのに有利だからと考えられる。彼彼女の構造では、地上を這う方が高速長距離移動に都合がよい。しかし、雨の日以外では、干からびる可能性が高い。故に、選んでその時に決行する。
何のために。それは今の場所から別の場所へ、恐らくフェロモンなどを体表で近くし、そこへ向かうのだと考えられる。同じ畑に居るだけでは、遺伝子のシャッフルが起きにくくなる。
新しい配偶を探して移動する事は雌雄体の生物には必須の本能である。それを雨の日の夜に決行する、それはプログラムというよりミミズにとっての天啓であろうと思われるのである。
進化論
最初期の生命では好ましい好ましくないの二値と関連付けて感覚を維持していたのだろう。次第に大容量にしてゆく事で生存率とも結びつく。しかしこの星で最も反映している生物種は昆虫たちなので、記憶力の高さが進化上有利であったとは考えられない。また、記憶の容器は純粋に大きさという制約がある。
高度な記憶力は放棄し、小型化する事で大量発生する方向に進んだ生物種と、大型化する事で神経系を発達させる方向に進んだ生物種がいるのだと考えられる。どちらにも正解はない。ただ戦略が異なるだけである。
記憶が出来る事、層の次に初めて時間と関連付けできる、記憶は最初は感覚とそれが生まれる条件との関連付けだったと思われる。その次に蓄積した順序を地層のように保持しておけば、その地層はそのまま時間軸として利用できる事に気づく。
ソート
この記憶の順序を頼りに記憶を取り出す事は果たして有利であろうか。いつかなどどちらでもいい、なのか、それとも、いつ起きたかが重要であるのか。時間順にソートする能力は記憶の後に獲得された能力だろう。そこに時間軸を組み合わせられるという事はそれだけでもある程度以上のスペックが要求される。記憶と時間軸は最初から並べて覚えていた訳ではない。複数の感覚があり、それを組み合わせて記憶する。感覚器が一つだけなら記憶する必要はないだろう。単純にその値と行動を決め打ちにしておけばいい。
複数の感覚を組み合わせる場合でも、相当に決め打ちで足りそうである。しかし自然環境だけではなく捕食者の出現が凡そ決め打ちだけでは不足を感じる。直前まで判断を保留する必要性が生じる。
つまり記憶は持続させる事、記憶の変化点を時系列で取り出す事。
その為には記憶には時間を示す何らかのマークを付けておく必要がある。そのマーカーを頼りに記憶をソートする。そうして記憶があれば、雪の風景であるなら冬に決まっている。
積雪の量や人の顔から何時かも分かる。海の匂いがするなら夏だろう。どの夏か、何時頃の夏か。記憶と記憶を結び付ければ時間のない風景が時間で結べる。そもそも記憶に時間などない。
記憶を時間軸で並べるのは記憶とは別の能力である。記憶はインプット、時間はアウトプットだからだ。だから狂いも生じる。
記憶
だから既視感とは記憶の混線と考えるのが妥当だ。今目にしたものが、何年も前の記憶と結びつく事と考えられる。ソートで一番新しい所に出現すべきレコードが、どういう理由からか、古い時間の所で発見される。記憶の並べ替えは意識が取り出す。今目の前の記憶が数年前の記憶と認識されれば、脳は混乱する、今のタイムスタンプの記憶が古い地層の中で発見されたからだ。古い古墳の中から現在の時計が見つかったようなものだ。
既視感は、それを見た瞬間に、これは知っている、既知の記憶だと言う感情が沸き起こる。もう体験しているという自覚がある。そしてどこで経験したんだっけと自問する。これを自分は知っている、それはどこで見たんだっけ。
それは誰かに決められた人生をその通りに来たという自覚かも知れない。誰かが以前にこれが起きると教えてくれていた。それが今目の前に現れた。
「自分はこうなる事を以前から知っていた。」
既視感を起こすメカニズムは脳の中にあるにしても、それで全ての既視感が説明できるとは限らない。そのデジャヴが神から与えられた神託ではないとどうして言い切れるか。
自覚
どうして起きるかよりも、この体験が人に何をもたらすかという見方も出来る。ある不思議な体験が、ある者にとっては重要な人生の分岐点となる。ある者はそれで恋に落ち、ある者はそこに神を見る。そのデジャヴを仕向けたのが神だとすれば。不思議な偶然がいっぺんに起きた。それは珍しい数学的統計なのか、それとも誰かの故意であるか?
斯様に人は常に "もしかしたら" と第三の道を用意する生き物と考える事ができる。この能力は常に人に生き延びる可能性を増やす。別のオプションがあるという事が、人を変な方向に進める事もあれば、最期まで諦めない性質を与える事もある。
そうして宗教にのめり込むかもしれないし、研究に没頭するかもしれない。そういう脳の働きからデジャブも生まれるのだとしたらそれは必要なコストと考える事も出来る。遺伝子が単一な構造から幾種もの生物の多様性を実現して見せたように、生物学的に同じ諸元の人間が、様々な思考と思想を生み出している。
デジャブはデジャブとしてしか脳は認識しない。それが脳の方法論と考える。
(2013/06/13 15:52)