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2019年9月16日月曜日

設計思想からみるモビルスーツの発展史

宇宙戦争前史

なぜ我々は戦争をするのか。多く資源獲得のためである。

諸君もご存じの通り、アースノイドとスペースノイドの闘争は、最終的には思想でも理念でもなく、ただ資源の獲得を目的とする戦争であった。地球の資源は幾つかのコロニーを建設した時点で採算性妥当なものはほぼ枯渇しており、安価な発掘場所を月に求めた。宙航船の発展によりアステロイドベルトから火星までを資源開発の対象とし、急成長する宇宙住環境、すわなちコロニー建設という特需を支えた。

幾つかの小惑星は数年から数十年という月日を費やし月や地球の軌道に持ち込まれ、巨大な宇宙鉱山として利用された。その頃、政治の中心は地上であったが、開発の拠点は宇宙に移っていた。自然と宇宙開発の技術発展は宇宙を中心に展開されるようになった。その利権の多くを地上が維持し続ける事は歴史の必然として不可能であった。最初に僅かな自治権を求めた時、地球はそれを拒否した。この時、スペースノイドがと呼ばれる人たちが誕生した。スペースノイドとアースノイドの対立はここから始まった。

それをどのように解釈するにせよ、根本にあるのは経済戦争であった。かつて、農業中心の帝国主義と工業中心の資本主義が戦争を経て決着をつけたように、宇宙開発におけるスペースノイドとアースノイドの対立は、最終的に独立戦争という形を取ったのは自然である。アメリカの独立宣言を参考にして、スペースノイドが独立宣言書を書いたのは至極当然の帰結であった。

何人かの政治家たちは、自分たちが宇宙に独立国家を持つ事の正当性を思想として完成させようとした。曰く、地球を汚染し続ける事は生物種としての自殺である、曰く、生物は常に自分たちの生活圏を切り開いてきた、宇宙に進出するのは進化上、当然の帰結である、曰く、スペースノイドによるスペースノイドのための自治権。地球は彼らにとって帰るべき場所ではなくなっていた。

如何なる主張が行われようと、地球から見れば、宇宙に資源を握られる事は生命線を握られるのと同じであった。多くの企業がまだ地球に本社を置いていたから、収益は地上に持ち帰らなければならない。人々は、地球が勝利すると信じたもの、宇宙に新しい活路を見いだしたものたちで二分される事になった。いつか戦争は勃発する、だが今ではない。当時のスペースノイドは碌な戦力を保有していない。両者は戦争に向けての準備に突入した。

戦争への経緯

地球政府は、急遽、宇宙軍の整備を拡充する。宇宙コロニーは海洋における島国と同じだから、貿易の収支を徹底的に監視した。オービッツレーン(orbit lane)を遮断し交易船を臨検すれば立ち行かなくなるのは明白であった。貿易を徹底的に監視し、兵器開発につながるものを、持たせない、持ち込ませない、研究させない、という方針に基づき経済制裁を強化しながら厳重に取り締まった。

スペースノイドにとっての数年は秘密裡に戦争準備を行う苦労の積み重ねであった。何人もの技術者が地球に連れ去られ、時に拷問さえ受けたが、遂に口を割ったものはいなかった。彼らは議論した、地球勢力の戦力が整う前に戦争を仕掛けるか、十分な戦争準備が出来るまで耐え忍ぶかを。

彼らの技術は主に資源開発のためのものであった。小惑星を運搬する航宙船、宇宙鉱山で使用する採掘用の重機、採掘資源を運搬する輸送船、作業員を収容する宇宙施設、いわば採掘用の設備ばかりであった。だからこれらを転用するしかなかった。運搬船を空母に、重機を作戦機に、輸出船を補給艦に、収容施設を整備基地に、採掘技術の向上を表向きの理由として、秘密裡に軍用へと転用していった。

核融合炉の燃料となる水素、小回りのできる小型機器、これらの開発を進めれば、宇宙空間での戦闘は互角以上にできると思われた。しかし、宇宙空間での戦闘に勝利できても地上を制圧する事はどう考えても困難であった。そもそも地上に宇宙から大量に軍隊を投入する方法がなかった。

もしアースノイドが地球に戻って奪回作戦の準備にじっくりと取り組まれると、地上の工業力は宇宙の工業力を凌駕している。宇宙空間だけの戦闘だけなら短期的な勝利は期待できても、長期戦がどうなるかは読み切れなかった。

地上から宇宙への輸送を阻むにしても、すべての軌道を制宙圏に納めるような戦力は持ってなかった。およそ打ち上げてくるものをすべて堕とすだけでは足りず、最終的には地上の打ち上げ施設を破壊しておく必要がある。可能なら制圧したい。この戦略が提示された時、議員のひとりが嘆いた、我々はまだ地球の重力から逃れられぬのか。またあそこへ引き戻されるのか、と。

制宙圏という思想

戦争の勝敗は、常に最終的に補給が続いた方が勝利する。その点だけがスペースノイドの勝機である。地上にある資源と宇宙にある資源を比較されば宇宙の方が圧倒的に多い。だからこの戦争は資源をどれほど確保できるかの競争になる。制圧する鉱山の数と質が戦争の雌雄を決定する。

これらの戦争の原理に基づけば、宇宙軍が如何なる行動原理を持つべきかも決定する。そして、具体的には、鉱山、採掘資源、港湾などを維持し続ける事、そのためには工業施設、輸送航路、人的資源、経済活動、文化的活動、を破壊工作から守り続ける事、そして地球に対しては、宇宙に圧倒的な戦力を保有させない事、これを達成するためには、すべてを動員して戦術的優位性を確保し続けなければならない。

宇宙空間にある全てのものは、軌道上を動くため、地上とは異なる考え方が必要である。軌道上に障害物を置けば簡単に破壊したり機能を停止させることができる。デブリをばら撒けば戦略的価値を変える事ができる。しかし軌道全体は広すぎるので、そのすべてを防衛するのは物理的に不可能である。自然と防御範囲は、空間ではなく、重要施設を軌道上で強力に防護する考え方に至る。

つまり、要塞化を推し進める事になる。要塞化は質量が巨大であればあるほど有利である。そして要塞の軌道に対して、その軌道の先にあるものを排除するための宇宙艦隊を配置する。これが宇宙における軍事活動の基本戦略となった。

宇宙空間での破壊行動は基本的に同一軌道上での衝突に頼るしかない。巨大な質量を持つものを破壊することは困難である。要塞を破壊するために、数十m級の小惑星を当てる戦術が採用されたが、監視網をすり抜けるのは難しく、スペースノイドたちは小惑星の扱い方をよく知っていた。

また、それによって発生する大量のデブリは、実質的に空間を汚染し、敵味方を問わず莫大な被害を与えた。宇宙戦闘では如何にデブリの発生を抑えるかが研究される。数か月前の残骸と衝突して沈没する艦船もあった。戦闘中の両艦隊が一年以上前のデブリ群と衝突して全滅した事例もある。

軽量ドローンによる空域確保戦術(Generation.1)

モビルスーツを軍事用兵器に最初に転用し正式採用したのがジオンであることは周知の話であるが、最初のモビルスーツを設計したのがアナハイム社であるかは議論が分かれる。

先も述べたように元々は鉱山開発の作業用として開発された発掘用機体がモビルスーツの原型である。これを軍用に転用する事はもちろん計画としてあったのだが、どの時点から作業機械からモビルスーツと呼ばれるようになったかは諸説ある。どのように戦場で活用するかは誰も知らなかった。当初は艦隊補給を迅速に行うための装備品のひとつとして配置する予定であった。この機体はまだモビルスーツではない。

当初、戦闘用に戦場に投入されたのは小型の衛星群である。衛星に攻撃武器を搭載し、ある程度の移動能力を加えたものであり、これらは宇宙ドローン、または攻撃ドローンと呼ばれる。宇宙ドローンを戦場区域まで運搬し、戦場で放出し任務を遂行、戦闘後にこれを回収する。これが最初の宇宙艦隊の戦い方であり、そのための母艦(実態は単なる輸送艦)を就航させた。輸送艦には 4~6m の攻撃ドローンを、時に有人の場合もある、20~30 機搭載した。

戦場に散布された戦闘ドローンは、光学測定を用いて敵を識別、破壊するように設計されていた。これに対抗するために迎撃ドローンも直ぐに開発された。敵を破壊する技術は、基本的には小さな質量のものを高速化にして物理的に衝突させるものであったが、外れた場合に何時までも飛ぶのは望ましくなかった。また破壊した後のデブリの発生も望ましくなかった。

そのため、当初、攻撃に用いられるものは全て減速、停止するような機構が組み込まれた。宇宙空間では自律した衝突型のミサイル(爆発はしない)が最初に用いられた。これを迎撃するためいレーザー砲の開発が急がれた。その実用化とともに、次第にドローンは重装甲となってゆく。質量が増大する傾向が避けられなくなった。

敵のドローンを破壊する目的は、攻撃を継続させないためであり、そのためには破壊するのは十分条件ではない。つまり活動を停止させればいいのだから、破壊する必要はない、という考え方が主流となって、ドローン同士が破壊しあう戦闘が増えていった。戦場ではドローンで互いに潰しあい、次第に敵艦船を破壊することは難しくなってゆく。

このような戦闘形態は同性能の衛星を保有するなら衛星の数が多い方が勝利する。数の差を埋めるためには性能で圧倒するしかない。しかし、同じ設計思想である以上、圧倒的な性能差を見いだす事は技術的には難しい。この視点に立つとき、技術的革新よりも戦術のパラダイムシフトこそが求められていた事は容易に理解されるであろう。

戦艦の出現とドローンの衰退(Generation.2)

ジオンは、この状況を打開するために、輸送艦を主攻撃目的に変える戦術を編み出した。対輸送艦用の攻撃兵器、すなわち本格的な宇宙戦艦の投入である。宇宙ドローンからの攻撃に耐える重装甲、迅速な移動を可能とする大推力、そして、遠距離攻撃を可能とする強力なレーザー砲を搭載したのである。

レーザー砲は主に熱線となって一部分を焼くだけなので、デブリの発生は抑制された。電子回路の一部でも破壊できれば敵艦船は停止する。これをドローン空母を破壊するための切り札と戦場に投入した。

この戦略は非常に有効であったため、空母は装甲を強化され、防御設備も増大化されてゆく。第一次強化型空母は、主に装甲を強化したものであるが、それだけで敵艦からの攻撃に対抗できるものではなかった。攻撃力を強化した宇宙ドローンも開発されたが、自立型衛星では戦艦を破壊するには威力が不足した。

攻撃力の非力さを痛感した連邦軍は、宇宙艦隊の主力を宇宙ドローンから戦艦へと切り替えた。敵に対抗しうる装甲と推進力、そして強力なレーサー砲による攻撃。宇宙ドローンも搭載戒能であったが、それは次第に偵察に特化される用途へと変わってゆく。こうして戦艦による戦隊群が創設され、これらが宇宙艦隊の主力となった。

キャノン砲の多数配置、ハリネズミのような戦力強化(Generation.3)

連邦軍における戦艦隊の画期性は、戦艦の強化方法にある。ガンキャノンの開発コンセプトは戦艦の砲塔数を安価に増大するためのものであった。戦艦は巨大なエネルギージェネレータ装置として、小型のガンキャノンにエネルギーを供出する。戦艦に装着したガンキャノンは、単純に砲塔の数を増加する。特に、中型砲、小型砲は、作戦の用途に合わせて搭載するガンキャノンのタイプを変えるだけでよい。戦艦にはそんなに多くの砲塔を搭載しなくて済んだ。これは整備の上でも効果が高かった。戦艦は巨大砲だけを搭載し、攻撃、防御用の中型、小型砲はガンキャノンとの組み合わせで実現させた。

運用時にはひとつの戦艦に多数のガンキャノンを取り付ける。戦艦は、まるで砲塔のハリネズミのようになった。戦艦の外装に20~30機のモビルスーツを取り付ける事で攻撃力を効率的に強化する事ができる。特に配置の自由度が高く評価された。様々なオプションを組み合わせる事で柔軟に艦船の特徴を柔軟に変える事ができた、攻撃型、防空用、偵察型などのガンキャノンが開発され、戦艦を拡張するオプションとして重宝された。

時にガンキャノンは「こんなものはモビルスーツではない」と言われたことがある。これは、その後のモビルスーツの革命的革新を我々が知っているからであって、それ以前においては、これほど画期的な装備はなかったのである。実際に、この戦術は連邦軍をよく支え、戦争の趨勢を変えうるものであった。

ガンキャノンは当初、戦艦に搭載する動く砲塔として、オプショナルな性能が、よく様々な運用に答えた。戦場毎に自由自在に防御線を形成し、マニピュレータを利用した任意の兵装も可能であり、作戦目的や状況に合わせて対空、対艦などの自由なアタッチメント、運用性の高さが多くの戦闘艦指揮官から賞賛されたのである。

ガンキャノンの開発は、戦艦群に対する純粋な強化策として高い効果を上げた。ここにおいて、ジオンは更なる戦術のパラダイムシフトを必要とした。強化された戦艦同士の撃ち合いでは数に劣るジオンに不利であった。数の面でも質の面でもジオンには次の新しい戦術、それを可能とする機体の開発が急務であった。

強襲型兵器の投入(Generation.3)

この頃、モビルスーツの新しい可能性にどこよりも情熱を傾け執拗に模索し追い求めていたのはアナハイム社である。それは単なる機体の開発には留まらない。新しい戦略、斬新な戦術、そして古びない戦闘スタイルを生み出そうと苦労していた。この頃のアナハイム社ほど先進的であった連中は私は知らない。ジオン軍のみならず、連邦軍にさえ、ただの一人としてこの新しい波の到来を予感できたものはいない。この天才的な事業が宇宙にあるこの小さな企業の中で生まれたのは、今世紀の奇跡のひとつとして賞賛されよう。

数による圧倒という難題に対して、彼らは幾つかの提案を行ったが、決定稿となったのが宇宙強襲型モビルスーツ「ザク」のプロトタイプ試作である。

宇宙強襲はこれまでにない新しい戦術であった。強力な装甲を施した戦艦に対して、超近接した上で破壊する。従来の攻撃ドローンでは不可能だったことがなぜ可能なのか。彼らはどういう仕様を機体に求めたのか。

遠距離攻撃を主体とする戦艦群、それを補完する艦隊支援型モビルスーツ「ガンキャノン」に対する、対抗策は、モビルスーツによる戦艦への超近接攻撃であった。それを可能とするためには、従来とは全く事なる敏捷性、長大な航続距離、戦艦の装甲を打ち抜ける強力な兵装、敵レーダー網、電磁波監視を掻い潜るステルス性、そして多数の専用パイロットを短期間で育成する教育システム、これらをすべてをパッケージングしてアナハイム社は売り込んできた。

これはまるで特攻隊ではないか、兵の命を無駄に失わせるだけだ、という批判が起きたのは当然であった。それに対してアナハイム社は答えた。まずは見てください。その上での意見なら拝聴いたします。

軍指揮官、設備課、兵備課、補給課、彼らの前でデモンストレーションを行ったモビルスーツはそれまでとは全く異質の動きをした。デモでは、蝶を捕まえるように宇宙ドローンを手で捕まえた。そしてそっと離した。宇宙ドローンがどれだけ狙ってもレーザーを当てる事が出来なかった。ザクの搭載された自動軌道システムは、宇宙ドローンの計算を先取りするかのように巧みに軌道を変えて移動した。しかもそれだけ細かな姿勢制御をしながら、宇宙ドローンのエネルギーが尽きてもまだ半分以上もエネルギーが残っていた。

これは革新なんかじゃない、進化である。そう答えた武官もいた。誰も異論はなかった。挟む必要はなかった。成功するか失敗するかは分からない。だが、この機体を戦場に投入してみたい。誰もがそう思った。

戦場に投入されたザクは一日にして制宙圏を確保した。連邦の戦艦は破壊されすぎた。投入されたモビルスーツ 32機。連邦軍の被害総数は 14隻、撃沈4、大破3、中破2、小破5。一方のジオン軍は、撃墜されたモビルスーツ 1 機。しかも味方からの誤射によるものである。

ザクの登場に圧倒された連邦軍は、急遽、ガンキャノンに対ザク用の武装を搭載しようとした。だが、ガンキャノンは遠距離砲撃用にカスタマイズされたスペックの機体である。近接するザクの速度にはとても対抗できなかった。これは単にコンピュータの処理能力が劣っていただけではない。ソフトウェアがザクをとらえて撃とうとしても、ハードウェアの機構的な速度がザクの動きに追従できなかった。

ガンキャノンはこの欠点を改修すべく何度も何度も速度向上型を戦場に投入したが、初期設計の限界を超える事はできなかった。遠距離攻撃用に要求されたスペックの機体は、そぅ簡単に近接戦闘用に置換できるものではない。速度よりも装甲の厚さを重視して設計された機体であった。装甲を取り外し、モーターを強力なものに置き換えても、光学センサーの反応速度など改修点が何万も指摘された。その全てを変更してゆくことは正しい対応とは言えなかった。

強襲型を上回る高速という対抗策(Generation.4)

ザクに対抗するためには、同様の強襲型モビルスーツが必要である。こう結論するのは誰にでも可能であった。でも、どうやって?新しく設計する方針を出すのは簡単である。だが、どうやって、誰が、それを実現するのだろうか。ガンキャノンを基礎設計にしながらも、大幅に新規設計が必要となる。新素材による装甲の軽量化、駆動機構の全面刷新、戦術コンピュータ導入による自動化推進、そして強力なビーム兵器を搭載する機体。それを短期間で実現しなければならない。

どうしてもザクの設計資料が必要であった。または実機を拿捕する必要があった。それを参考にすることなしに、短期間に対抗する機体を開発するのは不可能である。連邦軍は何度もスパイを送り込み、技術的資料を盗もうとしたが、いずれも失敗に終わった。戦争の趨勢を決定する機密がそう簡単に手に入るはずがなかった。

幸運にも一機のザクの鹵獲に成功する。その幸運は機体に搭載された情報保持のための焼却システムが動作しなかったためである。この機体に対して連邦はあらゆる技術者を集めて分析、解析を行った。その中に一人のリバースエンジニアリングの天才がいた。彼/彼女?が連邦軍の起死回生、乾坤一擲を実現させる。

この技術者は短期間の間にザクの機構を次々と解き明かしていった。この人物についての情報は、現在でも連邦軍の最重要機密であり、今も非公開のままである。設計者として著名な人物はよく知られているが、実際はもっと秘密裡にされた技術者がいるのである。一説には元はアナハイムにいた技術者であるという噂もあるが、真実は闇の中である。

この技術者が提供する技術的基盤の上に、連邦軍は極めて短期間に新しい機体を設計、製造する事に成功した。ガンキャノンの改造強襲型はこの技術者が設計したと言われている。従来型のガンキャノンを改修する形で新設計の基軸を共通化、汎用化した上で、ジム型プロトタイプの設計へ流用したのである。

連邦のモビルスーツはレーザー砲を線状に射出できる(ビーム砲)点でエネルギーの消費量が大きかったが、破壊力もザクのそれを凌駕していた。これが実現できたのは、従来とは異なる新しい艦船、つまりモビルスーツにエネルギー供給することを目的とした補給型空母の開発が並行して完成したからである。ガンキャノンで培ったエネルギー供給システムが基礎技術となり、搭載したモビルスーツを修理し、補給性に優れ、戦場で長くメンテナンスを維持できる補給艦と強襲揚陸艦の特徴をハイブリッドし併せ持つ艦船が誕生した。

ビーム兵器を扱える点でこの新しい機体はザクよりも先進的であった。ザクのレーザー兵器は、点状に射出するものであったから、破壊力の点では劣った。これはエネルギー消費量を減らすための仕組みであるのだが、この機構が採用されたのは強力なエネルギー供給システムが艦船に搭載できなかったこと、ザク自身のエネルギーパックの容量の問題である。強力なエネルギージェネレーターを搭載する艦船が用意できなかった。その理由の一因として、ザクは投入時までの最重要課題が時間的短縮にあり、このような艦船のプライオリティが開発時に下げられていたためである。

軽快で強力なビーム兵器を搭載したモビルスーツは、よくザクに対抗した。短期間での戦場投入には初期不良も多く、多くの兵士がザクの餌食ともなったが、次第にそれらも改善されてゆくにつれて、ジオンの上層部も驚愕していった。これで戦争の趨勢は分からなくなった。機密保持はどうなっていたか、秘密裡に人材が誘拐、亡命していないかが調査された。この時のレポートは紛失しており所在不明のままである。

停戦

ジオンも連邦もその後に幾つものバリエーション溢れる機体を投入してゆくが、異なるコンセプトの違う機体は遂に登場しなかった。その後のモデルはすべて、強襲型モビルスーツの亜流、傍流、支流、本流である。ジオンがビーム砲を搭載する機体を戦場に投入できたのは戦争も終結間際になってである。その頃には連邦もジオンもビーム兵器を搭載した簡易で安価な機体を次々と戦場に投入していった。

両軍の拮抗状態が崩れるのは、終戦のほぼ半年前の事である。その頃は、私も中央政府にいたので、状況については多少なりとも知っている。特に、私の兄弟たちが軍中央部に所属していたので、政治的背景も軍情報にも触れる事ができた。

この頃のジオンには、主に継戦派、講和派、停戦派の3派があった。講和派と停戦派の違いは、戦後に関するものであった。講和派は独立派とも呼ばれ、独立を講和の条件にしたい。停戦派は条件付きの自治のままで良しとする考えで、戦争を終結する事を優先し、そのためには条件を緩和しても構わないという考えであった。

もともとスペースノイドの独立国家と言っても、所詮は宇宙鉱山を開発する企業ギルドの集まりに過ぎない。その有力者たちが、自分たちの資本を投資して国家という枠組みを作り上げたものである。その本質は、自分たちの企業活動に対する不満の噴出であった。なんの危険も分かち合う事なく、税や権利を理不尽に要求される事に対する不満であった。

最初はテロリストと呼ばれ、次に動乱者と呼ばれ、反逆者とさえ呼ばれた。それでも、スペースノイドは着々と力を付けていった。我々が曲りなりとも国家という形を持ちえたのは、とても沢山の先人たちの苦労と矜持とスペースノイドという思想に支えられていたからである。

さて、終戦間近における、ジオンの最大の切り札は、25年もの歳月をかけて月軌道へ運搬していた大鉱物惑星「レハ・ヴァム」の移送完了にあった。どの派も連邦への切り札という認識で一致していた。

継戦派は当然ながら戦争を継続するための資源として、講和派、停戦派は、終戦のために、地球政府に差し出すつもりでいた。

結局、戦争の趨勢を決定したのはモビルスーツの優劣ではなかった。最後の半年で戦局が動いたのは、ジオンにおける政治的内紛のため、軍の動きが著しく停滞したためである。ある時期から新しい大規模な侵攻作戦はすべて延期された。これが連邦に時間的猶予を与えたために、強力な再侵攻を招く結果となった。

良く知られた話であるが、この頃、ジオンでクーデターが起きた。これは数日で鎮圧されたのが、この出来事がジオンの指導者たち与えた驚愕は深かった。事態は深刻である。次にクーデターが起きた時にこれが鎮圧できるとは限らない。この出来事を切っ掛けに、ジオン内部は講和派に集約していくことになる。もちろん、ここでは話せない裏工作は幾らでもあるのだがね。

結局、戦争の帰結はスペースノイドが望んだ形では終わらなかったが、講和によってスペースノイドは独立を達成する事ができた。その後の戦後の混乱と不況で、長く経済の立て直しには苦労しているのだが、宇宙にある資源の量を考えれば、いずれは安定した宇宙開発に戻ることは疑いようがない。地球は既に開発し尽くされており、新しいフロンティアは宇宙にしかない。そして、我々スペースノイドが宇宙へ進出する中心にあり、それに相応しい地位を得る事になるだろう。

さて、ジオンの戦後史については次回とし本日の講義はここまでとする。質問のあるものは、適当に私を捕まえてくれたまえ。

以上。

2019年9月7日土曜日

「進化」の用法研究

進化は生命の世代間における変化であり次世代に伝えられる形質の変異である。例え変化がなくとも進化という圧力は常に受け続けてきたのであるから、同じ40億年という時間を生きても、藍藻、古細菌、珪藻などのように当初の設計を大きく変えていない種も、ヒトのように大きく変化した種も様々ある。進化は環境への適用であるから、そこには生存という淘汰がある。数億年の繁栄の後に滅びた種もあれば、数千万年前に誕生した種もある。淘汰は生きている個体にとっては辛い現実であるが、戦略としては実に良く出来たトライ&エラーのシステムである。

進化は、世代間の変化の呼称であるから、良いも悪いもない。適者生存の言葉通り、生き残るためには、様々な変化をする方がいい。がらがらと振ってみては現実の環境に放り出す。それで生き残るか、滅びるか、はたまた形を変えてゆくかはやってみればいい。もし少しでも太陽活動が違っていれば、全く異なる結果になっていても何も不思議はない。試してみなれけば分からない、当然の話し。

形質の消滅は退化と呼ばれるが、別に落ちぶれたのでも、後退でも劣化でもない。過去に戻ったわけでもない。ただ環境に適用した結果であり、不要だから失われた。生物は不要な形質にエネルギーを投入する非効率を嫌う。個体毎に少しずつ形質を変えて、その結果の生存率を計測する。もし生存率に影響がないなら、少ないエネルギーで構成できる方が有利である。それ以外の場所にエネルギーを投入できるのだから。この余裕がある分だけ生存率は高くなる方へ傾くはずである。

進化は、だから、個体の運不運さえも内包している。個体の形質とは何も関係ない、偶々いた場所、時間、行動が、生存を支配する場合がある。生き延びた理由は、ただそこに居なかったから。そんな経験さえも進化は取り込む。形質の有利さだけが生き延びた理由ではない。それでも、その生き延びた形質が伝わってゆく。だから本質として生きているものは絶対に圧倒的に統計的にも運がいい。

急激な変化に対応するなど、個々の形質だけでは適わないはずである。何度かの絶滅期を生き延びた種と滅びた種の間には、はっきりとした理由がある。だからといって、それが形質だけの問題とは限らない。住んでいた場所の違いが決定的だったりもする。

進化という言葉の拡大。
  • 進化 - evolution
  • 革命 - revolution
  • 改革 - reform
  • 改良 - improvement
  • 開発 - development
  • 成長 - growth
  • 進歩 - progress
  • 鍛錬 - training
  • 変化 - change
  • 誕生 - birth

生物学的な意味を超えて、個人、組織、商品、思想などにも使われる。この流れが、日本国内だけなのか、世界的な潮流なのかは知らない。スカイラインの究極の進化形。iPhone がこの先どんな進化をするのか。この市場は日々進化している。進化した代表チーム。国家の進化を見据えて。宇宙の進化。

進化という言葉の持つニュアンスが、それ以外と一線を画す。進化という言葉に込められた特別な何かがある。一体、それは何か。

車は改良されモデルチェンジしてゆく。スポーツ選手は鍛練して成長してゆく。プログラムは開発されバージョンアップしてゆく。進化には、進歩、成長、改革などの語感が全て含まれいるように見える。そしてどれと置き換えても構わない。成長という言葉は進化という言葉で置き換えられる。その逆はなさそうである。なぜ進化なのか。そのように使える事は、決して使う理由ではないはずである。

そこには進化だけがもつ独特の響きがある。我々の時代性と言ってもいい。我々は「進化」という考え方を当たり前に受け入れた最初期の世代だ。人間は神が創造しずうっと同じ姿であった。長く人間はそう考えてきたのに、猿に似た動物から進化し、それが今の我々であり、将来には、絶滅しなければ、違う種に変わっていると認識した初めての大衆である。

そんな考えが当たり前になれば、個人が成長しようが進歩しようが、文化がどれだけ続こうが、所詮それは現生人類だけの話である。進化と比べれば、時間間隔があまりにも短い。歴史の幅が小さい。いつか我々が人類以外の種に変わっても進化なら止まることはない。

この時間間隔の違いが、他のあらゆる言葉を駆逐しつつある。それが進化という言葉に潜在するイメージだろう。付け加えるならば、我々はまだ進化は素晴らしい、珪藻類、ヒト以外のあらゆる種の名前で構わないが、それよりも進化した人類はずっと優れているという古い考えを持っている。

この優れているという思想が進化という現象と実に相性がよい。だから優生学というような悲劇を人間は経験したのだが、このような考えはじきに淘汰されるだろう。珪藻類も同じ時間をかけ、同じように進化してきた、という考えがメジャーになれば。進化は優れているものを決めるシステムではないという考えが常識になれば。

ステージアップ、レベルアップ、上位方向への「異なる種への」生まれ変わり、Re-Birth、Re-Incarnation、どれも進化でなければならない。個体の成長程度であってたまるか。そういう幻想が今の我々の中にはある。

これまでの自分とは違う自分がどこかにいるはずである。かつては覚醒とか悟りと言っていたのではないか。平安時代の人は自分探しの旅に出る変わりに出家した。農村から飛び出して武士を目指した人たちも、自分探しの旅と言ってよかろう。

昨日の自分と今日の自分が同じ自分でいられるのは、脳が時間を流れとして認識し、昨日の記憶と今日の記憶が連続するように編集できるからだ。そのどこにも欠落がないと自己認識できるからだ。

だが、進化を求める自分が昨日の自分と同じでは困る。今日の自分は昨日の自分よりも優れていないのは嫌だ。進化がもつ優れた形質という考え方がそんな自分の願望とぴったりくる。優れているのは現在の環境に単に適応したからではない。それ以上の意味がある。今の生活に慣れただけではないか?いや今の自分が新しく進化したからだよ。

別に自分の居場所を探す旅なら、今の若者を待つまでもない。ギルガメシュだってそういう旅をしたのだ。自分を探す旅なら、見つかればそこで終わり。旅はずっと続く方がいい。自分から自分が逃げるのは容易い。

だから、自分探しで見つけた自分は進化し続ける自分だった。そうでなくちゃ困る。これが成長だと大人になったら止まってしまう。その後に始まるのは老化だ。これは実によくない。

進化だけが止まらない。進化だけが先に続く。進化だけが時間を超える船、そんな切望がこの言葉の中にある。そういうニュアンスは、従来ならば神だった。科学によって神が退けられたから、変わりに進化という言葉を使っている。

この先も続いてゆきたい、そういう願いをかつては神に祈った。祈る変わりに進化というシステムに託す。正月に美味しいこぶを食べる(子孫繁栄を願う風習)のと根っこにあるものはそう変わらない。

優れていなくてもいい、五体満足ならば。この五体満足に進化は含むのか。進化など、していようがしていまいが構わない。我々には、新しい種を迎え入れる準備が必要なのではないか。生まれてきた赤ん坊が、人以外の種である可能性もある。我々はその新しい種となる子を育てる事ができるだろうか。もし新しい種でないとしても育てられる種であろうか。托卵された子でも必死で育てるホオジロのように。