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2016年3月6日日曜日

沖田十三の撤退

序論


物資の補給が滞らない限り、戦闘に負けることはあっても、戦争に負けることはない。これが政治の鉄則である。

ところが、戦場を拡大する者は、補給とは相談せずにそれを決めるものだし、更に悪いことに、戦場が拡大しつつあるのか、それとも縮小しつつあるのか、それを見極めることも出来ない。進撃するのは簡単だが、そこから撤退には名人芸を必要とすると言うのに。

撤退が必要なのは何も戦争だけではない。政治も同様である。我が国の官僚に撤退戦が指揮できる人材は殆どおるまい。下手をすれば撤退という選択が欠落しているかも知れない。

組織は肥大化すれども縮退は難しい。ここに今の日本の問題を見据えても間違いではあるまい。だから今からでもよくよく撤退について研究するのが肝心であろう。

時に西暦2199年、地球は今、最期の時を迎えようとしていた。

撤退を恥だと考える風潮がこの国にはある。それでいて必要になった時には、個々人の能力に頼りきってしまう。この国にも長所があり欠点もある。もうじきこの国が始まって以来の大規模な撤退戦が到来しようとしている。倒壊してゆく国土の中でどう撤退戦を展開するか。

撤退しよう。

この決断にこそ沖田十三の全てが宿っている。

このままでは自滅するだけだ。撤退する。

合理的に考えるならば撤退などありえない。予定された退却を撤退とは呼ばない。作戦行動中において、撤退とは、合理的な行動の末に起きた不可解である。撤退するという事は計画にない何かが起きたのである。それを修正することも回避することもできぬ事態。予期もせぬ、想定もしなかった何か。

ならば、計画にもともと欠陥があったのか、それとも人間の想定を遥かに超えた何かが起きたと言うのか。

未来というのは元来想定しない事が起きるものである。常にそういう側面を見せてきたし、これからも変わらない。戦争という混乱の中に否応なく見つかる。その避けられぬものをどう呼ぼうが、運命、悲劇?、それは躊躇することなく目の前をノックする。

だから撤退戦には人間の合理性の全てが詰め込まれる。壊滅の中にこそ人間の真実が宿る。追い詰められ、蹂躙される時に、それでも冷静に立ち向かう姿に。総崩れすることもなく壊走するでもなく、粛々と撤退する姿はどれほど屠られようと美しい。

2199 のリアリティ


なぜ1974年版は冥王星沖で戦闘を繰り広げたか。ここに合理的な作戦がなければ、物語はリアリティを失う。そう考えた作家たちが新しい意味を与え構築したのが「メ号作戦」である。

2199 では第一艦隊は囮であることが強調されている。囮であるならば、作戦目的は戦闘の勝利にではなく、敵の目を欺くことにある。敵がそうと知りつつも、こちらの動きを無視できないように陽動する。

作戦目的が戦闘の勝利ではないのだから、目的を達成したら作戦は終了する。あとは戦場を離脱するだけで良い。つまり 2199 のそれは撤退ではなく、最初から計画された後退行動である。

引けば押すは戦場の常であり、追撃戦を仕掛ければ壊滅する公算は高い。だから退却は困難である。が、どれほど困難であっても、あらかじめ想定できる後退ならば、緻密に用意周到に組んでおく事は可能である。

第一艦隊は現時刻を以って作戦を終了。撤退する。全艦に撤退命令。

戦線を離脱する。面舵一杯。

そういう新しい解釈のもと「イワトヒラク」というメッセージをもって作戦の終了を全艦に告げ、退却が開始された。1974 版と 2199 版の最大の違いは、この決断が戦況を見て決定した撤退であるか、あらかじめ計画された退却戦であるかだと思う。

よって、古代守の命令違反も、撤退を拒否したというより、殿軍への志願としての意味合いを強く描いている。指揮系統において命令無視などありえない。だが、彼は独自の判断から残ることが必要だと考えた。恐らく既に退却戦を支えるだけの兵力は残っていなかったのである。それは上村彦之丞の独断専行に近い。沖田もそれが分かったから了承するのだ。

2199 版の艦隊決戦は絵は美しいが演出は稚拙だ。彼我の間にこれだけの圧倒的な差がある時に単縦陣で突撃するだろうか。敵の直撃はこちらを貫通するが、敵の装甲はこれを跳ね返す。この差を埋めるには、相手の直撃をかわして近接するしかない。第二次世界大戦に日本陸軍がシャーマン戦車に突撃した例やドイツV号戦車を相手にしたシャーマンのような話だ(飛行機も要請したらしいが)。

いずれにしろ、マリアナの七面鳥撃ちよろしく地球艦隊は沈んでゆく。新兵ばかりではあるまいし、これでは兵が可哀相である。当たれば爆発、掠れば誘爆、避けても衝突と、もう軍を引きなさい、これ以上は兵の犬死ですと懇願したくなる状態である。丁字戦法で撃ちまくられた最初の10分とは訳が違うのである。

なぜこのような無策に見える突撃しかなかったのか。時間稼ぎが一日だけなら、もっと違った方法もあったろう。会敵してからまるで無策に突入するだけでは勝てないのは自明ではなかったか。防御にも攻撃にも何らかの工夫があってしかるべきじゃないか。過去には冥王星まで押し返した実績があるだけに、まったく一方的では理屈が立たない。

基本的に銀河間航行が可能な船と惑星間飛行の船では、出せる速度が違う。そのため、敵はいつでも任意の時点で好きなところで攻撃することも引くこともできる。この時、速度の差は決定的だ。しかし惑星系内において、黄道面では速度を出し過ぎることは小惑星などに当たる可能性が高くなる。そのため、出せる速度に上限がある。その速度であれば、惑星間航行しかできない船でも十分に対抗しうる。しかし障害物が少ない黄道面以外の部分を迂回することが敵は可能である。

ガミラスがそういう作戦を取らなかったのは、彼らの技術でも、惑星系内用の船と、銀河間航行用の船は別のものを使っていると推測される。銀河間を航行するためのシステムは惑星間の航行には役立たないから、戦闘にも邪魔になるだけである。コストなどを考えれば、惑星系戦闘艦と恒星間戦闘艦には違いがある方が道理だ。例えるならば琵琶湖で海戦をするなら大和より駆逐艦の方が有利ではないかという話だ。

ガミラスは銀河航行用の貨物船に搭載して戦闘艦を輸送していると考えれば、ガミラスの艦船と言えども、太陽系内の戦闘で使用できる物量には限りがあるし、速度面でのアドバンテージもないと理解できる。これがなければ地球がガミラスと5年以上も対抗しうるのは不可能だ。

バンザイ突撃は自殺するための作戦だから許容されるのであって、囮がこれだけ殲滅されてはとても許容できない。特攻というのは心理的効果を除けば、時間稼ぎにもならない。もっと早く撃滅されている可能性もあった。そうしたら囮の役割さえ果たせないではないか。舩坂弘を期待するような突撃ではお粗末なのである。

敗北すると言えども時間稼ぎを上手くやった戦史はたくさんある。硫黄島の斗いもそういう方針だったと聞く。それと比べれば単純な突撃に過ぎないか。単縦陣が本当に最適な戦術であったのか。これには議論が必要と思える。

先行した雪風には索敵以外の目的があったと考えるのは妥当だろう(なぜなら索敵には失敗している)。そこで考えられるのは先行した部隊が後方から挟撃するという作戦案である。第一艦隊が交戦中のガミラスに後方から攻撃を掛ける。

挟撃がうまく行けばもっと戦果は期待できたかも知れない。だが、映像を見る限り、挟撃は失敗したようだ。多くの艦が挟撃の前に沈められたのであろう。つまり、挟撃は失敗しても敵を他の空間に分散させることには成功したのだ。

敵を引き付けるために一度も砲撃することなく沈んだ艦がある。犬死かもしれぬが意味はあった。時間が進む。もしかしたら幾つかの艦は無人だったかも知れない。レイテ沖の西村艦隊も小沢機動部隊も全く酷い被害状況であったが、地球艦隊のそれと比べたらましだ。

多くの犠牲を払ったが作戦は成功したのだ。ここは引くのだ。

僕は冥王星沖海戦の作戦から推敲を始めなければならない。

シナリオ


冥王星沖海戦では、色々な作戦目的が考えられるし、多くの人が独自の考察を進めている。陽動であれ、決戦であれ、そこには会敵する理由が必要だ。

ひとつ考えられるのは冥王星にはガミラスの基地があり、これを叩くというものがひとつ。しかし、旅順要塞の攻防を見てもわかる通り、艦船で要塞を破壊はできぬのが相場だ。本気で叩きたければ、隠密に行動するか、惑星でも落下させる方がいい。敵基地を叩くのに艦隊を派遣するのには少し無理がある。

また地球艦隊の劣勢では一回の戦闘で仮に勝利したとしても制海権を確保、維持することは不可能である。よって、戦闘の勝利を目的とするのでは合理的な説明ができない。

では、地球艦隊を殲滅されてまで冥王星近海に出撃する理由は何か。ここに単純な海戦では無理だが、ヤマト計画を勘案すれば、別の意図が見えてくる。2199 でもこれを大前提に解釈を構築した(一年前にコンタクトしていたという設定を加えている)。

ただし1974 版ではイスカンダルとのコンタクトはこの海戦時に偶然もたらされる。よってアマテラスのための囮作戦は使えない。

では何のために彼らは出撃したかという一点が重要になる。1974 年版でもヤマトの建造はイスカンダルとのコンタクト以前から進められていたと考えるのが妥当である。では何を目的とした艦であったか。

当時の地球にはまだ恒星間航行はない。そのため人類脱出計画を策定したところで、太陽系さえ超えられない。恒星間飛行ができない地球の技術力では、移住計画など意味はないのである。そんな絵空事に賭けるくらいならガミラスと講和し奴隷化されてでも生き延びる方が現実的だ(2199版では幾つもの種族がそういう選択をしている)。

では何のための艦であるか。その基本スペックは、それまでの艦船、例えば M-21741 式宇宙戦艦も遥かに凌駕している。ヤマトの主砲は最初から一撃でガミラス艦を撃破しているが、これが波動エンジンによって初めて可能になったとは思わない。この新しい艦は、旧来の戦艦と比べても初めから画期的であり、つまり、波動エンジンを搭載する以前からヤマトは、ガミラスに対抗しうる兵器であったという事だ。

この考えを進めるならば、たった一隻とはいえ、ヤマトはもともと迎撃用の戦闘艦として設計、建造されたのではないか。そのスペックは一隻でガミラス艦隊にも対抗できるだけの能力を有する。兵力、装甲、運動能力、全ての点で際立った能力を持つ戦闘艦。

そのような艦船を建造するにあたっては、何人もの技術者の苦労があったであろう。それら優秀な技術者を率いる天才的な設計技師が居たはずである。彼らの物語が、ヤマトの底流にある。彼らの物語はまた別の場所で話されるべきであるが、彼らはアンドロメダの設計もしたに違いないのである。ヤマトの還りを待ちながら。

そのような戦艦が建造中であり、その完成までの時間をどうしても確保しなければならなかった。どれだけの被害を被ろうとも、それが最後の希望であった。これが沖田十三が地球艦隊を率いて冥王星まで航海した理由だと思われる。

となれば、確保すべき時間は一日などではない。もっと多く、数ヶ月は必要である。

2199 はあくまで短期(一日~数日)の陽動作戦として描いていたが、1974 の冥王星沖海戦は何ヶ月もの長きに渡って繰り広げられた作戦の最期の突撃であったと解釈する。

最期に残った僅かな艦隊で突撃を挑む。1974 年版はその最後の数時間だけを切り取っていたと理解する。そこに至るまでのもっと多くの海戦は省略されていると解釈する。

この大規模な作戦は、地球上のあらゆる艦船が掻き集められて、数ヶ月の長きに渡って、土星、天王星、海王星、冥王星、その一帯で幾つもの戦闘を繰り広げたのである。冥王星沖海戦はその大作戦の最期の決戦と解釈する方がしっくりくる。

だからあの冥王星沖海戦を単なる海戦と考えるべきではない。あれは恐らく第三次冥王星沖海戦なのである。

何ヶ月にも渡って地球に帰ることもなく戦いぬいた男たちの作戦


地球艦隊は残存兵力のすべてを集結させて出撃した。その数、142隻。地球の戦える全ての艦である。いくつかの修理中の艦もあとから合流することになっていた。司令長官は沖田十三。歴戦の勇士であり、この作戦を指揮できる将軍は彼以外は考えられなかった。

最初の大規模な海戦は土星沖海戦である。この海戦は艦の状態も良く、大勝利に終わる。12隻のガミラス艦を破壊し、彼らを退却させることに成功した。その後も数回の海戦を挑み、ガミラス艦隊を天王星まで退却させることに成功する。それは木星を失ってから初めての勝利であった。作戦の当初は、健全な艦船が多く、ガミラス艦隊ともほぼ互角の戦果を上げることができたのであった。

第一次海王星リング海戦においても、敵とほぼ互角に戦うも、地球艦隊の損傷も増え、12隻の艦船を修理のために後方に帰還させた。

時間の経過とともに艦、人の疲労は限界に達しようとしていた。だが彼らに休息の時はない。出来る限りの工夫をしながら、地球艦隊は、ガミラスとの小規模な戦いを繰り返す。

しかし、遂に第二次天王星沖海戦で地球艦隊は決定的ともいえる敗北を喫する。沈没24、大破8、中破6隻という大敗によって、その戦闘能力を著しく損なっう。

沖田はここで作戦方針を切り替えた。正面からの決戦を避け、大規模な奇襲によってガミラス艦隊と対峙した。しかし、ガミラスも警戒網を強め、後方で待機するようになる。その変わりに遊星爆弾を増やし、地球の住環境を悪化させることになる。

ヤマト進水の報を得たのは、修理中の艦船が復帰した時の事であった。長く辛い闘いも、ようやく終わりが見え始めた。ガミラス艦隊が積極的な動きを見せないため、地球艦隊はしばらく大規模な海戦をせずに済んだ。この状態が続けばヤマトに次の希望を託すことができる。

沖田はヤマトの指揮を執るのは自分ではない事を知っていたし、この作戦を最期に前線からは引くつもりであった。彼もまた体力的にも限界が来つつあったのである。

沖田は、健全な艦船を再編成して、冥王星沖まで深く侵入することを決断する。これが最期の決戦であることも、また、最期の組織的な抵抗であることも沖田は分かっていた。

それでも冥王星の奥深くまで侵入するのにはふたつの意図があった。ひとつは機雷群を設置して、ガミラス艦隊の動きを封じること。もうひとつは、地球艦隊に冥王星奥深くに進出する意図があることを示すること。これによってガミラス艦隊を冥王星沖に封じ込めたかったのである。

沖田は戦闘艦がまだ残っているように印象付けるため、数を絞って編成した。これが地球の最期の主力であるとは悟らせないように、ガミラスからは、機雷を設置するために深く侵入した特別編成の艦隊に見えるよう工夫したのである。それを3セット作り、異なる進路でガミラス勢力圏に侵入させた。

戦う意志があることを示す。それで数週間は稼げるはずである。これが沖田の意図であった。数週間もあればヤマトが戦線に投入される。

沖田は比較的健全で足の速い艦を選び編成を行う。傷ついたり鈍重な艦船は地球に戻した。健全とは言っても、それらの艦船のスペックは設計値を遥かに下まわっていた。主砲のエネルギー量も規定限度を既に32%も下回っていた。これでは敵の装甲を撃ち抜けない。それは分かっていたのである。まるでバルチック艦隊が日本海に到着した時点かのように、地球艦隊も長い戦闘の間に蓄積した疲労によって性能低下は著しかったのである。

それでもそれは彼らの誇りであった。最後の時間稼ぎを行うために最も最深縁に侵入する。地球はまだ戦う意志を失っていないことを示すために。長征40億。敵の索敵をかわしながら深く侵入した所で遂に敵と邂逅する。

沖田は挟撃作戦を立案した。沖田らが敵をおびき出して、別の突入部隊が冥王星の影から突撃して撃つという作戦である。しかし、この挟撃作戦は実現しなかった。

敵と対峙した時、艦隊は惨めなまでに一方的にやられた。幾ら撃ち込んでも敵の装甲を貫通できない。ミサイルの性能も劣化していた。敵を破壊するにはあまりに不良品が増えていたのである。それでも敵と対峙する。彼らの燃料を浪費させ、補給のために一度基地に戻らせる。

沖田が撤退を決めたのは、ひとつには、挟撃作戦が成立しなかったからである。他の侵入した部隊も最善を尽くしたが間に合わなかった。沖田は作戦の成功を最期のぎりぎりまで期待したが遂に撤退を決断する。彼には優秀な兵士たちを地球に連れて帰る責務もあった。戦闘には負けたが目的は達した。沖田の誤算は古代が敵陣に突入したことであった。

我々の艦隊はあと何隻残っているか。
はい、本艦の他、ミサイル艦が一隻だけです。
誰の艦だ。
護衛隊長古代の艦であります。
そうか、もうこれまでだな。
撤退しよう。
艦長、逃げるんですか。
このままでは自滅するだけだ。
撤退する。
古代、わしに続け。

沖田は古代守をこの艦隊から外したかった。彼はヤマト士官候補であり、この海戦で死なせたくなかったのである。しかし、古代はそれを承服しなかった。あくまで沖田についてゆくことを主張した。それは大艦隊を率いる者としては軽率であったかも知れぬと思った。だが、沖田は息子のような古代守に根負けしたのである。

ここで撤退したら死んでいったものに顔向けできません。
いいか、古代、ここで今全滅してしまっては、地球を守るために戦うものがいなくなってしまうんだ。
沖田さん、あなたが守ればいい。
明日のために今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ。
沖田さん、男だったら、戦って戦い抜いてひとつでも多くの敵をやっつけて死ぬべきじゃないんですか。

沖田の艦を見た外から見た古代はこのままでは無事に退却できないことを知る。沖田は自分が残るべきではなかったか、とさえ考えた。だが、沖田の艦は損害が激しく、沖田艦が殿を務めても意味はなかった。なぜ古代が自分を逃がすために突入したかを沖田は地球に帰還してから艦の損傷を見て知ったのである。

沖田さんの艦だ。酷くやられている。

長期にわたる苦しい戦闘を繰り広げたことで、最終的には壊滅したが、おかげでヤマトの工期は間に合った。この艦ならば、太陽系からガミラスを駆逐できる。そう信じて戦った男たちがいたのである。

やつらにはこの艦では勝てない。

このセリフは艦船への自虐などではない。彼は自分の艦が十分に戦ったことを知っていた。長く戦い、善戦はしたが勝ち切るまではできなかった疲労した愛艦。そこに込められた誇りなのである。そしてヤマトが出撃することを知っていたのである。

ヤマトの大改装


偶然であるが地球艦隊が壊滅した日に地球人はイスカンダルからのカプセルを受け取る。このカプセルには地球の方針を大転換せねばならぬメッセージが刻まれていた。技術陣はその実現性を検討する。その報告を受けて、ヤマトはガミラス迎撃戦艦から銀河間航海用の宇宙船へ改装することが決定された。

問題はイスカンダルのメッセージを受けて波動エンジンを完成させるまでの期間である。地球上のあらゆる資源を投入して完成したヤマトであるが、更なる大改修である。素材の開発から最短でも3年はかかるのではないか。マンハッタン計画みたいなものである。

人類にそれだけの猶予はない。それが数ヶ月程度で済んだのは、イスカンダルからのメッセージには設計図だけではなく、地球が保有する資源、技術、工作機械を使って実現する方法が事細かに指示されていたからに違いない。そうでなくては当時の人々にあれだけの大改修を短期間で行うことは不可能であったろう。カプセルの指示書を頼りに技術者たちは、ヤマトをイスカンダルまでの航行を可能とする宇宙船に作り替えたのである。武装強化も出来る限りして。

この予期せぬ大改修によって別の新しい問題が浮上する。それは、この大改修をする間、どうやってガミラスに抵抗するかである。ヤマトが出撃する時期から逆算して地球艦隊は時間稼ぎを行った。その結果、壊滅したのである。

既に現存する地球艦隊ではこれ以上の抵抗は不可能である。ヤマトの大改修中にガミラスの侵攻を受ければ、地球は上陸され、占領されてしまう。改修する前にヤマトは破壊されてしまうだろう。

そこにヤマトの隠されたアナザーストーリーがある。ヤマト計画を見れば、それと並行して複数の艦船が建造されたことは間違いない。ヤマトと同程度の能力を持つ二番艦である。

その建造計画はヤマトの数か月後に進水する予定であった。この船を使おう。そう司令部が決断するのに時間は掛からなかった。

まだ未完成であった艦をヤマトの改修が終わるまでの期間、飛ばす。武装と航行能力さえあればそれで充分である。設計上は未完成でも地球艦隊の全てを相手にしても戦えるだけの能力はもっているはずである。エンジン出力を補うために、沖田艦のエンジンをひっぺはがし、補助エンジンとして直接取り付けるような突貫工事の末、僅か13日でこの船は宇宙に飛び立って行った。

ヤマトの改修が終わるまでガミラス艦隊を冥王星付近に留めておくために。艦の艤装は7割も完成していなかった。9門あるべき主砲は、6門しか搭載されなかった。副砲は正式のものではなく、旧式艦のものを搭載した。機銃の数も十分ではない。それでも強力な武装とブラックタイガー隊を搭載して、砲撃戦だけでなく航空戦も実戦した。練りに練ってきた新機軸の戦略を実戦で試した。

この艦の能力は未完成とはいえ極めて強力であった。しかも人材が優れていた。もともとヤマトに乗り込む予定のものたちである。厳しい訓練を積んだ最高の軍人たちであった。何度も単艦でガミラス艦隊と渡り合い、ゲリラ戦を繰り返す。未完成な戦艦を整備するために軍人ではない技術者たちも多くが乗り込んでいた。

誰もが生き残れるとは思っていなかった。補給も満足に得られない状況で、エネルギーを使い果たしては、火星まで戻り僅かの補給を受けては冥王星に向かって戻っていった。

この新しい艦の出現によってガミラスの首脳部はヤマトの存在に気付くのである。地球に同型艦がもあると気付いたガミラスは危険を承知で頻繁に偵察機を飛ばした。そしてついにヤマトの位置を割り出すのである。

何度も戦闘を繰り返しては、貴重な実戦データを地球に送る。その教訓がヤマトにフィードバックされてゆく。この艦なくしてヤマトの完成度は得られなかっであろう。

だがヤマトが飛び立つまで地球を守り抜いたこの艦のことを記憶しているものは少ない。乗り込んだ多くのものは死傷した。艦は最後にガミラスの集中砲火を受けて退却する。木星まで来たときその重力に捕まり、カリストに向かって沈降していったのである。

生き残った多くの者は、宇宙線傷が激しくヤマトに乗り込むことは出来なかった。当初、ヤマトの指揮を執る予定であった提督も戦死した。だから病気を抱えていた沖田がヤマトの艦長を引き受けることになったのである。ヤマトに最初に乗るべき士官の多くも搭乗はできなかった。それほど激しい戦闘を強いられたのである。沖田は自分の責務を受け入れた。死んでいった者たちの変わりに自分が立つしかない。

わしはゆくよ。14万8千光年の旅はわしの命を奪うことになるかもしれない。しかしイスカンダルへの旅は命を賭けるだけの値打ちがあるとわしは思う。

それが生き残ったものの務めだ。