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2013年2月25日月曜日

日本の選挙、北朝鮮の核開発、中国の台頭、アジアのこれからとイデオロギーとその空隙について

日本の政権闘争とはばらまく先を変える戦いであり、極めて内政的、もう少し言えば鎖国的である。税の再配布を極めて完全に公正にする方法はない。だから政治は苦悩の割り切りである。誰かに笑ってもらう為には誰かに泣いてもらう。誰を泣かすかを決めるゲームに過ぎない。だから順番に泣こうじゃないか、というのが民主主義であろう。フェアとはそういう事だ。

民主主義では投票が唯一の権利だ。その権利を失えば民主主義ではない。自発的に行使しない、棄権する、無視するのは、権利の放棄であるから民主主義から追放されたに等しい。民主主義では放棄する自由は与えられているが、その権利を担保するのは国家である。基本的人権も財産権も労働基本権も身分権も革命権もそれは国家が担保する。国家を失えば権利は雲消する。権利を他から蹂躙されないように国家は存続する必要がある。では誰が国家を守護するのか。守る主体が王であれば王政でろうし、国民であれば民主主義であろう。投票をしないのは数の 0 と同じである。どんな数に 0 を掛けても 0 である。投票しない者が何人集まろうと 0 である。民主主義は 0 の意見は汲み取らない。棄権とは権利を道端に放置したのと同じだ。いつか誰かに盗まれるかも知れないのに。

アメリカがふたつの政党で政策の違いを争うのは解かり易い。だが日本の政党には対立軸がない。これはイデオロギーの有無から来ていると思われる。政治は未来に起きる事を投票によって今決める行為だから、未来の行動を先に購入するのと同じだ。しかし未来は変わりうるから今の時点で未来を決める事はできない。だから未来の約束は信用ならない。今の約束が未来に破られると言う事を民主党が示したとも言える。だから未来の行動を約束してはならなかったのだ。彼等はイデオロギーか、もしくは原理を示すべきだったのだ。具体的な政策は未来の変化を担保しない。未来が変わっても原理は変わらない。民主党の大敗は政策で勝ち取った時に既に約束されていた。彼らのしたことは真っ当だったと思う。政策を示し、スケジュールを示した。ただ変化を、変化する時の原理を語らなかった。語らないのではなく、それがなかったと批判されても甘受するしかあるまい。

原理とは真っ直ぐにしか走れない車のエンジンである。だからハンドルがいる。原理しか持たぬのは愚かしいが、原理を持たぬ事も愚かしい。エンジンのない車、操舵機のない車、ブレーキのない車、どれも愚かしい。

正しいから実現されるべきというの正しいのだろうか。'べき'と言うならそれは他人への強制に他ならないのだが。

自分の正しさを信じるのは構わない。だが其れはこれから何かを掘り出す場所に過ぎない。その正体は掘り出してみなければ分からない。正しさとは掘り出す場所を示しているだけだ。そこから何が掘り出されるかは分からない。人はどうして自分の正しさを人に強要するのか。なぜ堀った穴に誰かを落とすのか。それはその上に立つ王になりたいからではないか。


江戸時代は安定した毎日を繰り返し生きた時代だ。天候や病に翻弄されるながらも世界は永劫に続くと信じた時代だ。親から子へ受け継がれることを疑った人などいやしなかった。それが明治になって何かが変わった。国民は熱狂した。科学はついに永劫という思想を剥ぎ取った。我々はこうして海外から持ち込まれた何かに罹患したのだ。

我々は敏感にも世界の中で自分達の存在が絶対に必要と思われていない事をどこかで知っている。同様に我々もどこかで世界を必要としていない。信長が見た世界とは征服する対象であった。秀吉が受け継いだものも同じであった。我々はそれ以外に世界というものを知らない。

我々が知るべきなのは外国とは何かという思想である。これが明治以降から続く課題である。それは幾度の戦争を経た今も変っていない。我々に必要なのは外国とは何であるかという定義。その延長に西欧とアジアがある。地球という星がある。そこに人が住む。我々はその中で戦争に勝ち、負けたが、勝つ時もあれば負ける時もあるのは必定だ。どの時代であれ完全な勝利などない。重要なのはそこから跳ね返し先に進む力があるかどうかだ。


北朝鮮が核実験を行った。これはバラク・オバマ大統領の一般教書演説に向けた計画的な行動らしい。アメリカへのメッセージであると言う。アメリカと中国が対立している状況にあって、朝鮮半島は地政学的にも重要と思われる。

もし韓国が朝鮮半島を統一した場合、大韓民国は一時的とは言え核保有国になる。このアドバンテージを手放さないというオプションは韓国が持つ。対米関係や核不拡散の観点から見れば廃棄する可能性が高いが、保有を継続するという決断をするとしたらどれはどういう時か、日本はどう動くかを検討しておく事は無駄ではない。

しかしその前に北朝鮮の消滅というシナリオについて考えておく事も重要と思われる。そのシナリオを中国が許すかどうかだ。北朝鮮は中国にとって重要な軍事的緩衝地帯に位置する。北朝鮮がなくなれば国境のすぐ隣りに米軍がくる。これは中国からすれば受け入れ難い状況であろう。それを許す訳にはいかない。そうならぬように中国は決して北朝鮮を見放さなぬし、コントロールするだろう。

毛沢東の「唇亡歯寒(唇なくば歯が寒い)」である。

北朝鮮は東アジアにおける最重要緩衝地帯にある。北朝鮮を失う事は緊張の高まりに直結する。それを彼等も知っているとすれば、その状況を利用して外交を組み立てるに決っている。だがそれは彼らの不幸でもある。各国は北朝鮮が裕福になり過ぎる事も、消滅する事も許さない。生かさぬよう殺さぬようとはこういう事か。彼等はその中に均衡する点を探し国家の独立を勝ち取っている。その為には国民を豊かにしたいという考えも許されない。核兵器というカードはその対価だ。それ程までに彼らの手持ちのカードは少ない。


かつて金もなく石油もなくまともな兵器もなく勝ち目もなく竹やりで爆撃機を落とそうとした国民がいた。もしその頃、核を持っていたなら、彼らは何ら躊躇せずそれを使ったであろう。滅ぶなら諸共と道連れを選んだかも知れない。北朝鮮が核兵器を使う相手としてもっとも選びやすいのは日本である事をもっと自覚していい。彼等が同じ民族の南朝鮮や宗主国である中国や巨大なアメリカに使うとは思えない。しかし相手が日本ならば。


尖閣諸島の問題で中国との関係が先鋭化している。沖縄の重要度はますます高まる。沖縄は日本、アメリカ、中国の思惑が交叉する地点だ。鳩山由紀夫の失政から沖縄県は態度を硬化した。彼等はそれを No で返した。これはかつての社会党が選らんだ方法だ。要求を受け入れよ、叶わぬならば何にも応じない。詰まり現状を維持せよという主張だ。それで全ての人が説得できる。それをお互いに分かり合った上で演じているわけだ。

鳩山由紀夫という最も無能な政治家と対話した事がひとつの不幸であった。だが沖縄は自分達に最も歩み寄った政治家に石を投げ追い返したとも言える。見返りよりも追い返す方を選んだ。沖縄は彼にシュプレヒコールをぶつけた。それは暗黙ながらも現状を Yes としたのだ。

緊張の行く先で日本は中国と交戦するのだろうか。偶発的に戦闘が発生する可能性はある、それが戦争にまで拡大する可能性もないとは言えない。起きにくいとは起きないの意味ではない。では両者は何を目的として尖閣諸島の問題を先鋭化しているのか。

日本に脅威を与えれば、日本が軍事化し、暴走するのは明らかである。ならば中国は日本の軍事化を望んでいると言えるか。彼等が日本の軍事化を目的として行動するとは考えにくい。ならこれは中国の内政問題ではないか。彼等も何かを抑え込まなければならない。そのために緊張を必要とする。ならばこれはお互いの内政問題の対立だ。相手の顔などを見ていないのであるから、状況は極めて危ういと言える。さて、外国とはお互いにとって何であろうか。

日本はかつて中国と戦争をした。日中戦争の遠因はロシアの南下であったが、それで中国を相手にした理由にはならない。アジアはどの時代も中国を中心として動く。冷戦という米ソの長い対立で忘れているかも知れないがアジアの中心はいつも中国であった。

冷戦の終了はイデオロギーの終わりでもあった。その次の新しい価値観が必要であったが何も生まれなかった。経済というものが世界をひとつにするかに見えたが、それは世界を破滅させかねた。イデオロギーとは集合する力であったか。イデオロギーとは利益で結びつく人々の別の顔に過ぎないか。イデオロギーは利益の前には無力だ。利益の前でイデオロギーは姿を変える。イデオロギーは常に正しそうなものであり、正しいものではない。どちらかに歩むときそれを決めるものだ。ならイデオロギーもまた信仰の対象であり、それは宗教から生れ出たのかも知れない。


帝国主義の時代、日本にとってロシア南下が最大の課題であり、西南戦争でさえ、対ロシアを巡る政策の対立であった。日露戦争の勝利後もその課題は消えなかった。この問題が決着するのはアメリカと同盟を結んだ時だ。そのために日本はアメリカと戦争したとも言える。アメリカが共産主義と全面対決した時、日本はアメリカと対ロシア軍事同盟する事でロシアに対抗した。これで問題は解決したように見える。我々が長く悩んだ問題をアメリカが解決した様に見える。本当に脅威は消滅したのか、それとも単なる休眠であるか。

長い時代、日本はアジアの野蛮国であった。そして敗戦国になった。その刹那の輝きが落とした影もまた暗い。僕たちは忘れているが、どうやら日本的な厭らしさというものを太平洋のあちこちに落としたのである。

感謝よりも憎しみの方が強く残るものである。強者は決して弱者を敗者とは呼ばない。我々は勝者のつもりでいる。だから敗者が理解できない。我々はアメリカに負けたのであってアジアの敗者に負けたのではないと今も思っているらしい。そんな我々を外国がどう見ているか知らないでいる。我々には明治後期の日本人が朝鮮や中国人を軽蔑したような厭らしさがある。それも西洋から入ってきたと思われる。

我々が終わったと思っている戦争が、まだ終わっていない人がいる。そこに残ったものは言葉や態度では洗い落とせない。いまもアジアを取り巻いているのは屈辱だ。もしかしたら中国や韓国は、もういちど日本とやらせろ、次は負けない、という想いがあるのかも知れない。西洋の台頭に対抗するアジアという構図はまだ終わってないように思われる。

アジアで最後に勝ったのは日本である。中国も、韓国も勝ったとは思っていまい。それが深層に流れるアジアの状況であろう。この三国はどういう形であれ西洋の植民地化を切り抜けた国々である。


おそらく戦争はまだ終わっていない。最初の対立があり、同盟があり、戦争があり、この流れは続いている。戦争が終わったからと言って、そこで途切れるような流れではない。国内だけを考えていたらそれが分からない。この流れの中心をアジアに置くべきである。そうアヘン戦争以来、日本では馬関戦争以来、西洋が持ち込んだアジアの混乱は、中国の台頭によりやっとアジアらしさを見せ始めたのである。ようやく、イギリスが来る以前の状況に立ち返れるのである。

これから。

いまもアジアで起きている事は、西洋と東洋の対立と言えるかも知れない。それは価値観の融合の過程ではないか。西洋的なものとは、帝国主義後の人種差別に顕著に表れる。彼等は見た目や形の違いに気付き、それを乗り越えようとする。東洋は、人種の違いというものがない。日本には人種の違いはない。が同じ顔をしていても生まれで差別する。この国を単一民族国家と思ったり多民族国家を目指すのも、これは実に西洋的な考えかと思う。東洋は民族の違いに価値を置かない。我々は日本という共同体を作るのに見た目にはとらわれない。もともと雑種の集まりであり既に多様な民族の混血なのだ。だから見た目や形では区別をしない。東洋的なものは、見た目や形ではない違いに注視するようだ。

この国には単一民族も多民族もない。日本人として参加する条件は何であるか。日本以外を外国と呼ぶのならその違いは何か。何が彼我を分けているのか。出生に重きを置き族や氏の繋がりを重視するが、渡来人という呼び名で参加している人もいたし、同族でも対立するのであるから、それは決定的な価値観ではなかった。

近代以降のアジアには東洋と西洋の慣習の違いからくる対決が起きた。それを早く西洋に切り替えた日本とまごついた支那、朝鮮との戦いでもあった。だから最初に日本が有利になったのは自明である。ルールを知らないものを土俵にあげて、西洋のルールで一方的に勝った負けたとやったのだからそれは恐らく東洋的な公平さではない。

勿論、厳しい見方をすればあの状況で能天気だった方が悪いのである。それを仕方がないというのは西洋的価値観であろう。一方で東洋の価値観に照らせば、それは悪質なのだろう。一言でいえば礼を失している。我々は戦争の謝罪を今も求められているのではない。西洋的なやり方に対して東洋的な礼を求められている。東洋的に解り合いたい、というのがその根本ではないのか。

これは日本にとって明治維新以来続いた大掃除のやっと辿り着いた最終幕と理解する。我々がこの百年に費やしてきたものは、極めて重要な事であり、それを世界が必要としたのだ。西洋的なものをどう取り込むかは、何も東洋だけに限らない、やがてアフリカの人達にも必要となる事だ。それは西洋に塗り替える事ではなく西洋と統合すべきものだ。つまり、西洋もまた西洋的なものをもう一度受け入れなければならない時期が来ると言う事である。更に乱暴に言えばそれを科学的なもの、単一価値的なものと歴史的なもの、多様価値的なものと呼べるかも知れない。

この東洋でそれをまっさきにやる。そう思えば、中国、韓国、日本の対立、東南アジアとの関係、アジアで争う理由は明らかではないか。これは各国の存続や自衛や利権の為の争いではない、遠く、この世界を統べる新しい思想が生まれる最初の一歩になるのだと信じたい。

まことに日本と言う国は、良い時期に極めて困難を引き受ける命運の中にいる。この恵まれた体験を面白いと思わない人には本懐がない。

2013年2月19日火曜日

取扱説明書 - 二足歩行陸戦車両

陸軍に正式採用された二足歩行を可能とする汎用陸戦車両の取扱説明書より一部抜粋したものを記す。

特徴
本機体は二足歩行で移動する事ができる汎用陸戦車両です。全長 15m あり、二足歩行による移動が可能です。多彩な兵装オプションの組み合わせとレーダー、赤外線など多様な観測機器を装備し、優れたコンピュータシステムにより半自動化した戦略、戦術レベルでの戦闘支援を行います。最前線における陸上基地として、ある時は偵察車両として、またある時は拠点防御の要塞としてご活用ください。

兵装の概略
機体の頭頂部に 20mm 対空機関砲を搭載します。胴体部には 6 基のパイロンがあり、ミサイルやロケット弾を装着する事ができます。機体の両腕 (アーム部) にも脱着可能な兵装や観測機器を取り付ける事ができます。両腕のアームは最大で 21m の高さまで伸長します。

観測機器の概略
頭部に高性能レーダーを搭載し、胴体部に大型コンピュータを設置しています。優れた情報収集能力、通信能力を戦場に投入するに留まらず、高い走破性能と快適な居住空間を提供し、動く前線基地として司令部の皆様を強力にサポートします。特に市街地での戦闘に威力を発揮します。

移動に関する注意事項
この機体の姿勢制御、歩行、走行は自動化されています。階段の昇降、壁の乗り越え、匍匐、ジャンプ等の基本動作は地形に応じてコンピュータが自動制御します。コンピュータはカメラ画像やセンサーから入力されたデータを解析し高低差を算出し、その地形に応じた移動方法を適切に行動データベースから選択します。操縦者は車と同じように方向と速度を指示するだけで機体を移動させることができます。

コンピュータには様々なセーフティモードが組み込まれています。これらのモードを変えると移動の安全性は低下します。自動モードの場合は、移動できない地形や危険な地形が出現した場合に機体を自動停止し操縦者に警告を発します。その後の手動による指示があるまで機体は停止したまま待機します。手動モードの場合は、警告は発しますが待機しません。そのため操縦者が安全を確認する必要があります。滑落事故の多くが手動モードで発生していますので、警告の発生には十分注意が必要です。

戦場における注意事項
本体の高さは 15m あります。これは 4 階建てのビルと同じ高さになります。機体が起立した状態では遠くからでも目立ちます。そのために敵に発見されやすく危険性も高くなります。必要な時以外は機体を垂直に立てない様に注意してください。本機体は破壊された市街地や山岳地帯など高いビル、家屋、山によって機体を隠す事ができる地域での戦闘を前提として設計しています[要求仕様 13.5.6]。見晴らしのいい平原や砂漠、海岸線などには投入しないようご注意ください。

故障かなと思ったら
本機体は優れた姿勢制御コンピュータを組み込んでいますが、二足歩行は複雑で壊れやすいハードウェアです。脚部の長さは 6 m程度ですが、各種兵装が装填された上体を含めると 40t の重量を支えているため、40km 移動する度に基本整備 A [整備マニュアル A-3] を実施してください。また重装甲装備の場合は 10km 毎の基本整備 B [整備マニュアル B-3] を強く推奨します。脚部が正常に動作しない場合は、整備マニュアル L-1 から M-32 まで確認してください。故障が頻繁に発生する場合は、想定強度を越えている可能性があります。その場合は、二足歩行 [SX-ACS-6] から車輪走行 [SX-ACS-2] タイプへの機種変更もご検討ください。

2013年2月16日土曜日

眼にて言ふ - 宮沢賢治

青空文庫、疾中 - 宮沢賢治
青空文庫、教祖の文学、小林秀雄論 - 坂口安吾

眼にて言ふ

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず
血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう

もう清明が近いので
もみぢの嫩芽 (わかめ) と毛のやうな
花に秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな

あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄 なかばからだをはなれたのですかな

ただどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです


透明な、血が流れ、
空へと消えてゆく様です。

もうダメでせうという声が
ザァーザァーという音を立てて聞こえます。

鼓動はもう僕のものじゃありません。
深い空色の場所へと明るく輝く水が落ちてゆくのですから
きっとこの世界は空と水があればいいんです。

僕の温かさが世界に帰ってゆくのです。

2013年2月11日月曜日

鉄人 28 号 異譚 -あらすじ-

もうひとつの 28 号機があったことは一般的には知られていない。それはわずか数人の記憶にだけ残るものである。

終戦間近、鉄人 28 号と設計を同じくする同型機が存在した。それらは最後の決戦兵器として製造された機体でありもうひとつの 28 号である。急ぎ組み立てられたその機体は沖縄戦に投入された。開発者たちはその機体を、鉄人乙兵器と呼んでいた。戦後、金田正太郎により操縦されたものは、鉄人 28 号の完全体 (鉄人甲型) である。

乙型は実戦への投入が急がれたため幾つもの点で甲型と比べて未完成である。それでも基本設計が同じであるため当時としては桁外れな性能を発揮した。乙型は空を飛ぶ事もできないし無線操縦も出来なかった。そのため操縦装置は有線で鉄人の機体内部に取り付けられていた。操縦者は鉄人に乗り込んで指示を出さなければならない。当時、既に多くの若者が特攻兵器で空に海に陸に散って行っていた。鉄人の中から外を眺めていたパイロットは散ってゆく戦闘機を眺めながら、それでも自分の任務を遂行したのである。

鉄人甲型は戦後の日本で警視庁の管轄のもと治安のために活躍し鉄人 28 号として広く膾炙するのであるが、乙型については、政府の公文書はもちろん、CHQ の資料からも知る事は出来ない。その存在を知るのはわずか数名の日本政府高官と GHQ 幹部たちであった。そして日本が戦後の平和な時代に繁栄を築くにつれ忘れられ、そしてそれを知るものも死んでいったのである。

この物語は、当時、鉄人の整備兵をし彼等とともに戦地で苦楽を共にした人から聞いたものを基にしている。彼は、戦後は浮浪者としてひっそりと過ごし、そして死んでいった。


1945 年 3 月 26 日から始まった沖縄戦で鉄人乙型の投入は予定より遅れた。当初の予定では海軍による大和特攻作戦で沖縄に運搬するはずであったが鉄人の完成が遅れたため海軍は単独での突入を決意した。歴史が示す通りそれは早い段階でアメリカの知る所となり沖縄に遥か遠い海の上で大和は撃沈された。

日本陸海軍は鉄人の沖縄上陸の困難さを思い知ったが、鉄人が完成した 5 月、鉄人は遂に海軍の潜水艦に搭載され秘密裏に沖縄上陸を目指す事になったのである。沖縄では既に首里も陥落し鉄人による起死回生も危ぶむ声もあった。しかし甲型の完成のためには沖縄戦の完了を遅らせたい大本営からの強い要請があったのである。

5 月 12 日、鉄人を積んだイ号潜水艦は静かに日本を出発した。しかし沖縄本島に辿り着く前にアメリカの駆逐艦に発見されてしまう。よく戦ったが、ついに沖縄上陸を果たせず潜水艦は沈没するのである。鉄人も沈みゆく艦と運命を共にするかと思われたが、船員たちの決死の行動により、鉄人は隊潜水艦の腹を切り裂き、脱出に成功したのである。潜水艦の残骸を後にし鉄人は海中を歩きながら遂に沖縄に辿り着くのであった。

沖縄まで海中を歩いて移動した鉄人は、米艦隊が取り囲む海中から砂浜に上陸した。なみいるアメリカ陸軍を踏み潰し、砲撃してくる米戦艦隊に対して単騎蛮勇の活躍で何隻もの戦艦、空母、輸送艦を撃沈。全ての軍艦の攻撃の的になるともそれを跳ね返し、空母に飛び移っては、艦上のグラマンやドーントレスを投げ飛ばした。

しかし、全てのアメリカ陸海軍を撃滅する事はかなわず、その盤石な装甲も次第に破壊され始める。ついには燃料が残り少なくなり、止む負えず鉄人は退却した。撤退した鉄人は日本陸軍第 32 軍に合流する。そこで燃料を補給しつつ何度かの抗戦を試みるのだが、次第に燃料も尽きてゆき、勝敗も決定的になった。遂には最高司令官牛島満中将から呼び出され、鉄人は最後の燃料を積み、日本への脱出を厳命された。

仲間たちを見捨てて逃げる訳にはいかないとパイロットは強く主張したが、本土決戦において乙型が必要になるとの説得を受け、第 32 軍の壊滅を待ち沖縄脱出を決行する。脱出に同行した八原博通大佐が鉄人を逃がすために身代わりとなって捕虜になってしまう。本人は死ぬまでそれを語らなかった。

しかし本土に戻った鉄人に次の戦いはなかった。終戦である。甲型もこの時点では完成していなかった。戦後 GHQ からの追求を逃れ、アメリカに収容される事もなかった。どうやって GHQ の手を逃れ、隠しおおせたのかは謎である。マッカーサーと吉田茂との間で密約が交わされたらしい。

その後の乙型の運命は過酷であった。彼らの戦いはそこで終わらなかった。GHQ はソビエトの南下を食い止めるため極理に鉄人乙型を召集し中国大陸に送りつけたのである。アメリカと戦うために生き残った鉄人はアメリカの為に戦う事になったのだ。結局、それが朝鮮戦争の遠因となるのであるが、ソビエト南下を食い止め、奉天にてソビエト軍基地の破壊を決行したのである。この作戦の成功によりロシアは数年の立て直しを必要とする事になった。その間に GHQ は日本を建て直し、朝鮮半島で起こるであろう戦争への準備に成功したのである。

乙型の最後を知る者はいない。最後は補給も絶たれ、残った燃料で雪山へと消えて行ったと言う。GHQ や政府関係者も最後は彼等の存在は闇に葬るつもりがあったようである。パイロットはその事に気付いており整備士に別れを告げひとり鉄人に乗り込んだ。生きている事が発覚すれば殺されるかもしれない、刑務所や精神病院に隔離される可能性もある、と恐れた整備士はひっそりと日本に戻り、浮浪者として自由に生き抜いたのであった。

森やすじと酒を酌み交わした事もあったそうである。


甲型の活躍はみなにも広く知られる処であるが、その最期を知る者は少ない。その人は金田正太郎少年と一度だけ会った事があるそうだ。その時の彼は、戦いに疲れ、連日の戦いの中、ヒロポンを打ちながら鉄人を操っていたそうである。金田少年の健康を気遣ったのであるが、彼は何か執念に取りつかれたように戦うことを止めようとしなかったそうである。鉄人を開発した敷島博士は何かを忘れたいかのように研究に没頭し、ついには精神を病んでしまった。金田少年に父親代わりの愛情を注いだ大塚所長は、しかし国からの冷酷な要請と病んでゆく金田少年との間で板挟みとなり遂には自殺してしまう。戦後の混乱期を精一杯生きた彼等であったがその運命は辛く悲しいものであった。

しかし、彼等の悲しみの血の涙の上に今の繁栄がある事を忘れてはならない。

2013年2月9日土曜日

2013 センター試験国語 - 小林秀雄 「鐔」

センター試験で問われるのは小林秀雄の考え方などでは当然ない。文章の構造を紐解き、関係性を把握する事だ。別の言い方をするなら、書かれた言葉を幾つかの塊(フレーズ)に分解して、図式化する事だ。内容などアーでもベーでも関係ないのである。

読み易さとか分かり難さと言うものはある。だが国語のテストとは意見のトレースではないし反論でもない。もちろん作者の考えを予め知っておいた方が、分かり易くなる面はある。こう考えるからこうなるであろう、と推測がし易い。それは数学であれ、科学であれ、あるいは日常生活のどこであれ当たり前の話だ。

鍔 (鐔、つば) というものを、ふとした機会から注意して見始めたのは、ここ数年の事だから、未だに合点のいかぬ節もあり、鍔に関する本を読んでみても、人の話しを聞いてみても、いろいろ説があり、不明な点が多いのだが。

無論、刀剣とともに古いわけだが、普通、私達が鍔を見て、好き嫌いを言っているのは、室町時代以後の制作品である。何と言っても、応仁の大乱というものは、史上の大事件なのであり、これを境として日本人の鍔というものの見方も考え方も、まるで変って了った。所謂鍔なるものは、この大乱の産物と言ってよいのである。私は鍔を弄ってみて、始めて、この事実に、はっきり気付いた。政令は無きに等しく、上下貴賤の差別なく、同僚親族とても油断が出来ず、毎日が、ただ強い者勝ちの刃傷沙汰に明け暮れるというような時世が到来すれば、主人も従者に太刀を持たせて安心しているわけにもいくまい。いや、太刀を帯取にさげ佩いているようでは、急場の間には合わぬという事になる。やかましい太刀の拵 (こしら) えなどは、もはや問題ではない。乱世が、太刀を打刀 (うちがたな) に変えた。打刀という言葉が曖昧なら、特権階級の標格たる太刀が、実用本位の兇器に変じたと言っていい。こんな次第になる以前、鍔は太刀の拵え全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、拵え無用の打刀となってみても、実用上、鍔という拵えだけは省けない。当然、実用本位の堅牢な鉄鍔の制作が要求され、先ず刀匠や甲冑師が、この要求を満たすのである。彼等が打った素朴な板鍔は、荒地にばらまかれた種のようなものだ。

誰も、乱世を進んで求めはしない。誰も、身に降りかかる乱世に、乱心を以て処する事は出来ない。人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形にでも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鍔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鍔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鍔の姿を追って行くと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。


信家作と言われる或る鍔に、こんな文句が彫られている。「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもはぬ」。現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、稚拙な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。これは文句ではない。鉄鍔の表情なので、眺めていれば、鍛えた人の顔も、使った人の顔も見えて来る。観念は消えて了うのだ。感じられて来るものは、まるで、それは、荒地に芽を出した植物が、やがて一見妙な花をつけ、実を結んだ、その花の実の尤もな心根のようなものである。

鍔好きの間で、古いところでは信家と相場が決まっている。相場が決まっているという事は、何んとなく面白くない事で、私も、初めは、鍔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。信家、金家については、はっきりした事は何も解っていないようだ。銘の切り方から、信家、金家には何代かが、何人かがあったと考えられるから、室町末期頃、先ず甲府で信家風の鍔が作られ、伏見で金家風の鍔が作られ始めたというくらいの事しか言えないらしい。それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。

井戸茶碗の身元は不詳だが、茶碗は井戸という言葉はある。同じ意味合いで、信家のこれはと思うものは、鍔は信家といい度げな顔をしている。井戸もそうだが、信家も、これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるのか、と質問して止まないようである。それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏 (リズム) のようなものだ。信家は、武田信玄の鍔師で、信という字は信玄から貰った、と言われている。多分、伝説だろう。だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。伝説は、何時頃生まれたのだろう。「甲陽軍鑑」の大流行につられて生まれたのかも知れない。「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで、幾つでも偽書が現れるほど、武田信玄や高坂弾正の思い出という本物は、生き生きとして、当時の人々の心に在った事を想えば、別段面白くもない話である。何時の間にか伝説を生み出していた鍔の魅力と伝説であって事実ではないという実証とは、何んの関係もない。こんな解り切った事に、歴史家は、案外迂闊なものなのだ。魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。

信家の鍔にぶら下がっているのは、瓢箪で、金家の方の図柄は「野晒し」で、大変異なったもののようだが、両方に共通した何か一種明るい感じがあるのが面白い。髑髏は鉢巻をした蛸鮹 (たこ) のようで、「あら楽や」と歌っても、別段構わぬような風がある。

この時代の鍔の模様には、されこうべのほかに五輪塔やら経文やらが多く見られるが、これを仏教思想の影響というような簡単な言葉で片付けてみても、どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。戦国武士達には、仏教は高い宗教思想でもなければ、難しい形而上学でもなかったであろう。仏教は葬式の為にあるもの、と思っている今日の私達には、彼らの日常生活に糧を与えていた仏教など考え難い。又、考えている限り、空漠たる問題だろう。だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。

何時だったか、田辺尚男氏に会って、平家琵琶の話しになった時、平家琵琶ではないが、ひとつ非常に古い琵琶を聞かせてあげよう、と言われた。今でも、九州の或る処には、説教琵琶というものが遺っているそうで、地鎮の祭などで、琵琶を弾じながら、経文を誦する。それを、氏の音楽講座で、何日何時に放送するから、聞きなさい、と言われた。私は、伊豆の或る宿屋で、夜、ひとり、放送を聞いた。琵琶は数分で終わって了ったが、非常な感動を受けた。文句は解らないが、経文の単調なバスの主調に、絶えず琵琶の伴奏が鳴っているのだが、それは、勇壮と言ってもいいほど、男らしく明るく気持ちのよいものであった。これなら解る、と私は感じた。こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない、と感じた。仏教を宗教だとか思想だとか呼んでいたのでは、容易に解って来ないものがある。室町期は時宗の最盛時期であった。不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。彼等は戦うものの最期を見届け、これをその生国の人々に伝え、お礼などを売りつけて、生計を立てていたかも知れない。そういう時に、あのような琵琶の音がしたかも知れない。金家の「野晒し」にも、そんな音が聞こえるようである。


鉄鍔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鍔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鍔は、もう私の興味を惹かない。鍔の面白さは、鍔という生地の顔が化粧をし始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鍔に行く道はない。

鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鍔を透鍔 (すかしつば) と言うが、この透というものが鍔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鍔の基本的な装飾たる事を止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、何時の間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地鉄を鍛えている人が、そんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は、実用と手を握っている。透かしの美しさは、鍔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鍔の装飾は、大地を奪われ、空疎な自由に転落する。名人芸も、これを救うには足りぬ。


先日、伊那にいる知人から、高遠城址の桜を見に来ないかと誘われた。実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。高遠には、茅野から杖突峠を越えて行く道がある。峠の下に諏訪神社の上社がある。雪を残した八ヶ岳の方から、冷たい風が吹いて、神社は森閑としていた。境内の満開の桜も見る人はなかった。私は、高遠の桜の事や、あそこでは信玄の子供が討ち死にしたから、信玄の事など考えていたが、ふと神殿の後ろの森を見上げた。若芽を点々と出した大木の梢が、青空に網の目のように拡がっていた。その上を、白い鳥の群れが舞っていたが、枝には、近付いて見れば大壺ほどもあるかと思われる鳥の巣が、幾つも幾つもあるのに気付いた。なるほど、これは桜より余程見事だ、と見上げていたが、私には何の鳥やらわからない。社務所に、巫女姿の娘さんが顔を出したので、聞いてみたら、白鷺と五位鷺だと答えた。樹は何の樹だと訊ねたら、あれはただの樹だ、と言って大笑いした。私は飽かず眺めた。そのうちに、白鷺だか五位鷺だが知らないが、一羽が、かなり低く下りて来て、頭上を舞った。両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は伸びて、堅い空気の層を割る。私は鶴丸透かしの発生に立会う想いがした。

(小林秀雄「鐔」による)

図式化は要約や中心となる単語を抜き出す。それがどのように流れるかを追跡する。文章同士の関係性は、肯定、否定、だけで十分だ。流れを押さえながら、こうだからこうなるという展開を理解する。ではやってみよう。

文章の段落ごとに単語を抽出する。

段落 1
  • (鍔)
これから鍔について語るが自分は詳しくないと断っている。これから語る事は全くの個人的な想いであり経験であると読者にお断りをしているわけである。当然ながら間違いや勘違いがあっても仕方ないという免責の通告もここに兼ねている。勿論、そう書くのは自分の書く内容に不安を覚えているからではなく、恐らく、これから鍔については書くんだけど、鍔の専門的な話なんて書かないし書けねぇなあ、という事は内容はきっと鍔の話しから他の話しに移るに決まっていて、またそうでなくちゃ面白くない、どういう話題に移って行くかは書いて見ないと分からないが、そういう次第でこれから書くのは鍔から始まるお話ではあるが鍔だけのお話ではない、というような事を思いながら書き出したと思われる。

段落 2
  • (鍔)は(室町以後)
  • (応仁の大乱)によって(太刀)から(打刀)に変わった
  • それが(実用本位の堅牢な鉄鍔)を生んだ
  • (荒地にばらまかれた種)
これは導入部であり鍔の歴史と状況をかいつまんで説明している。応仁の大乱によってまず刀が変った。それに併せて鍔も変わった。どう変わったかは上に示す通りであるが、その変わったもの (見方も考え方も) (荒地にばらまかれた種) であると指摘する。種という比喩によって鍔は変わったのだが、それが次に芽を出し花を咲かせるかも知れないと続けたい事が分かる。賢明な人は撒かれた種が芽を出すとは限らない事もこの文章から読み取ってよいのである。この時点では種がどうなったかまでは語っていない。それでもこの種がどうなるかがこれからの展開の主題であると読み取るのは間違いではない。ではそれが彼の言いたい結論であるかと問えば、それは違うのであるが。

段落 3
  • (乱世)にも(止むにやまれぬ心)がある
  • それが(兇器)の一部を(鍔)という姿に変えてゆく
  • (不断に静かに鳴っているもう一つの音)
鍔というものが機能本位の部品ではない、と言いたいのであるが、この転調は少々強引ではある。機能美というものもあるから、そういう美しさを鍔が持つに至ったと言えば済む話である。しかし、人は、鍔という (兇器) の中にも (平常心を、秩序を、文化) を捜せねば生きていけぬと主調する。なぜか機能と関係のないものが鍔に潜む事を知っているからだ。装飾と言うものが、この (下剋上) の中にも鍔の中に見て取れる。それは機能美ではもう済まぬから (装飾) とわざわざ呼ばざるを得ないのである。鍔を見ていると、乱世の中で生きていた血と殺戮とは全く違った何かがそこにある、と感づいた。それを音として捉えたのは、先ほど登場した (種) とはまた違う例えである。

段落 4
  • (信家)
  • (あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもわぬ)
  • (観念)ではなく(眺めていれば)
  • (鍛えた人の顔も)(使った人の顔も)(見えて来る)
  • (荒地に芽を出した植物)の結実
そうやって感じられるものが (花の実の心根) であると言う。撒かれた (種) がここに咲き結実した。もう少し植物に例えるかと思ったら、そうではないようである。と言う事は植物の例えはあまり上手くないと感じたのかも知れない。さて、鍔を眺めていれば感じられると書いてある。ただ眺めていたのでは足りない。人の顔が見えて来るように感じなければそれは感じられないと言っている。(言葉だけを辿って) みれば、この (稚拙な歌) は次のような意味、もちろん多彩な解釈が可能なのだが、になるであろうか。

人が殺されても何んら感じることなく、だから私が殺されても誰も何も感じる必要はない、それは何とも楽な生き方ではないか。

あら楽や人が人とも思はねば人を人とも思はざりけり (元政)

他人が人扱いしないのであれば、私も人をそう扱う、なんとも楽な話だ。

どうであれ、その後に、そんな訳あるか、と続くのであるが、そういう無情を嘆くより、それを刻んだ人の顔を思い浮べる方がいい。もし目が合ったならきっと笑うのではないか、と語っているのだ。

段落 5
  • (信家、金家)
この段落は鍔について何も知らない人からすれば、信家、金家の名を知るだけである。鍔の世界には鉄壁な二人がいて、それも単なる世評ではなくどうもどう見た処でこの結論には変わりはなさそうと言う述懐を聞かされる。(贋作) も多いと断るのは迂闊に購買しようとする人を牽制するためだろうか、だが真贋 (この題名の別の作品がある) について述べる気はない。この段落は主題をこれから進める為の気分転換としての役割を果たす。さあ必要な知識は信家と金家の名前とその凄さだけであると。

段落 6
  • (井戸茶碗)
  • (これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるのか)
  • (確定した形というより)
  • (轆轤や槌や鑿の運動)
  • (「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで)
  • (武田信玄や高坂弾正の思い出という本物)がある
鍔の魅力を言葉で語ろうとする。鍔とは形の面白さではないのだ。鍔を眺めていれば、そこに今ある運動そのものが見えて来るのだと語っている。人を惹きつける謎はいっこうに解かれないがそういうものがある。そこに魅力がある事は疑いようがない。

だから (別段面白くもない話) になるのだ。何がと言えばその少し前にあるそれを (想えば) 面白くないのだ。その想う事とは (生き生きと) した思い出である。思い出と比べれば面白くない。何がと言えば「甲陽軍鑑」が偽書と断じるような事である。偽書であるかどうかにはまた別の面白さもあろうが、伝説をそう断じてそれでお終いにするのは面白くない、と言っているのだ。(事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ)。そこで指す事実には「陽軍鑑」を偽書にまでした人々の心が抜け落ちているではないか。偽書や伝説がある以上、そこにそういう心が在った事は紛れもない事実だ。この事実をなぜ無視してしまうのか。それを (迂闊) と呼んでいるのだ。

段落 7
  • (信家)の(瓢箪)
  • (金家)の(「野晒し」)
  • 明るい感じ
落語好きの弁によればこれはもう井戸の茶碗と併せて落語の題目に引っ掛けているらしい。解る人だけくすっと笑えばいい程度の冗談であろう。戦国から江戸期までの造形にはなんとも言われるユーモアが溢れていてそういう類いの事を語っているのだと思うが、楽しい感じがするのは解る気がするのである。

段落 8
  • (仏教思想の影響)、(知識の遊戯)、(宗教思想)、(形而上学)ではなかった
  • (日常品にほどこされた)(仏教的主題を持った装飾)
  • (彼等の感受性)
図柄や模様から知識で理解しようとしてもそれは違うと語っている。彼らの仏教と我々の仏教は既に違う。その違っている仏教が分かるだろうかと、もう一歩踏み込んでもいいくらいである。(考えている限り、空爆) とは彼等と同じ仏教の考えを理解したところで、得心などできやすまい。それよりも鍔を見て感じられるその彼等の感受性と時を共にする方がいいと言うのである。しかし、それで分かる、とは決して言いきっていない事に注意を要する。

段落 9
  • (平家琵琶)(説教琵琶)(これなら解る)
  • (仏教を宗教)(思想と呼んでいたのでは)(解って来ない)
  • (時宗)
  • (そんな音が聞こえるようである)
音と言えば、前の段落の (不断に静かに鳴っているもう一つの音) と無関係の訳がない。この時代にあった独特のものと鍔や琵琶を通して出会う経験をしている事が理解できるはずである。そういうものを通して自分が得た (感受性) を語ろうとしているに違いない。

段 10
  • (鉄鍔)(平和が来て)(金工家が腕を競う)(私の興味を惹かない)
  • (鍔の面白さ)(鍔という生地の顔)(化粧)
平和の訪れが産み出した鍔は小林の興味を惹かない。彼は工芸や装飾を見ているのではない。どういう状況にでも装飾をせずには居られなかった人の心というものを想い、それが形になったものだけから、その心に戻れると書いている。だから (化粧から鍔に行く道はない) と言う。化粧からはそういう心が見つからないのだと言う。

(人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形にでも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ) と語る小林が、ではなぜ平和な時代の鍔を (そうなった鍔は、もう私の興味を惹かない) と言うのか。化粧にもそういうものが入り込むはずである。どの時代のどのような所にも人の心が結晶化するはずではないか。どこにでも入り込むという以上、応仁の乱以前も大平の世であろうと入り込んでいるはずである。そこには見つからないのか、見つけられないのか、知っていても通り過ぎるのか、読者に解るわけもない。だが小林は別段で (まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいる) と一言付け加えている。そういう次第である。

段 11
  • (透かし鍔)(最初の化粧)
  • (ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りた)のだが
  • (装飾)(実用)(手を握っている)
  • (地金という素材の確かさ)
(装飾) は作る人か使う人かは解らぬが自然と鍔の中に生まれたのだと言う。その自然さは (水をやれば) (芽を出したであろう) とも例える事ができる。そうして生まれた装飾がでは鍔の実用性を落としているかと言えばそんな事はない。美しい装飾のある鍔は、実用性においても確かなものだと言う。装飾さえも機能美のひとつであると言って構うまい。だから戦がなくなり、機能が求められなくなると、装飾もまた (空疎) になったのだ。鍔を鍔たらしめるには、確かに鍔を機能として成立させるものが必要であった。鍔というエンジニアリングと結びつかないアートは (空疎) だと言う。

段 12
  • (両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は伸びて、堅い空気の層を割る。)
鷺の飛ぶ姿を見た。その鷺がどういう了見で (低く下りてきた) かなどどうでもいい。巣を守るためかもご乱心かも知る必要がない。ただその飛ぶ姿が美しかったのである。という事をこの一文で表現しているのである。この鷺の表現が全てであって、この自然の中に見える美しさというものがなくて、装飾や模様への着想が生まれるものではないと深く確信している。ああ、こういう姿を見た時に、きっと鶴丸透という図案が思い付かれたのだ。どんな乱世の中にあったとしても昔の人もまた今の自分と同じように鳥の姿に心を震わしたのだ。でなければあんな文様を思い付くはずがない。

植物と音を両輪として鍔を巡る話しをここまで展開してきた。鍔の装飾のその心性にあるものは植物が自然と咲く力と同じであった。その背景には連綿と続く流れがある。流れとは川や音楽の例えだ。最後に森の中で鷺を見る。聳え立つ樹は芽吹いた植物の姿であり (固い空気を割る) 音がはっきりと聞こえていたのである。そのふたつが結び付いて鶴丸透かしという形が成った。それはとても静寂な光景である。

さてこの作品を出題者はどう考えたであろうか。数多くの受験生がいる。その一部でいいから、この問題文で小林の文章に触れ、面白いと思ってくれないか。そう思っていてくれたら嬉しい。現役で合格しようが、一浪しようが、出題者にとってはなんら困る事はない。ならば、この人の作品を一度、じっくりと読んでみてくれないか。受験生には迷惑な話だがセンター試験はそれをする絶好の機会であった。

問題文は作者との対話では決してない。これは出題者との対話だ。回答として提示される 5 択の文章を書いたのは作家ではない。出題者が書いたものだ。そこには、その人の全てが入り込む。詰まらない人間性までが入り込むのである。誓ってもいいが、この出題者だって小林秀雄の何かが全部解っているわけではないのである。と言うか絶対に分かっちゃいない。テスト問題のような人間味の少ない文章の中に、この出題者のどんな人間性が見つかるだろうか、それをこれから試してみようと思う。小林秀雄好きであったら嬉しいな。

「日本人の鍔と見方も考え方も、まるで変って了った」を説明している文章。
  1. 鍔は応仁の大乱以前には[富や権力を象徴する刀剣の拵えの一部]だったが、それ以後は命をかけた[実戦のための有用性]と、乱世においても[自分を見失わずしたたかに生き抜くための精神性]とが求められるようになったということ。
  2. 鍔は応仁の大乱以前は[特権階級の富や権力を象徴する日用品]としての美しさが重視されていたが、それ以後は[身分を問わず使用]されるようになり、平俗な[装飾品としての手ごろさ]が求められるようになったということ。
  3. 鍔は応仁の大乱以前には実際に[使われる可能性の少ない刀剣の一部]としてあったが、それ以後は乱世を生き抜くために[必要な武器となった]ことで、[手軽で生産性の高い簡素な形]が鍔に求められるようになったということ。
  4. 鍔は応仁の大乱以前には[権威と品格とを表現する装具]であったが、それ以後、[専門の鍔工の登場]によって[強度が向上してくる]と、乱世において[生命の安全を保証してくれるかのような安心感]が求められるようになったということ。
  5. 鍔は応仁の大乱以前には刀剣の拵えの一部に過ぎないと[軽視されていた]が、乱世に於いては[武器全体の評価を決定づけるもの]として注目され、戦いの場で[士気を鼓舞する]ような[丈夫で力強い作り]が求められるようになったということ。

まず解答欄の文章を分割して図式化する。試験とは出題者の文章を丹念に読み解く事だ。文中にある [] がキーワードになる。それぞれが本文のどこと対応するかを確認する。ここで注意すべきは本文とどう対応するかであり、自分の考えや作家の考えも関係ないのである。注目すべきは文中にその記述が出現するかである。[] で括った部分が本文のどこかの文章と一致するかまたは一致しないはずである。それを捜しだしてみよう。

問題文該当箇所
1.富や権力を象徴する刀剣の拵えの一部特権階級の標格たる太刀が
実戦のための有用性実用本位の堅牢な鉄鍔の制作が要求され
自分を見失わず直接的な記載はない
したたかに生き抜く所謂「下剋上」の産物
ための精神性直接的な記載はない
2.特権階級の富や権力を象徴する日用品日用品の記述なし
身分を問わず使用所謂「下剋上」の産物
装飾品としての手ごろさ手ごろさの記述なし
3.使われる可能性の少ない刀剣の一部急場の間には合わぬ
必要な武器となった実用本位の兇器に変じた
手軽で生産性の高い直接的な記載はない
簡素な形彼等が打った素朴な板鍔?
装飾の有無や簡素と違うのか?
4.権威と品格とを表現する装具特権階級の標格たる太刀が
専門の鍔工の登場専門の鍔工が現れ
強度が向上してくる実用本位の堅牢な鉄鍔
生命の安全を保証してくれるかのような安心感安心感の記述なし
5.軽視されていた特権階級の標格と矛盾
武器全体の評価を決定づけるもの評価を決定の記述なし
士気を鼓舞する士気の記述なし
丈夫で力強い作り実用本位の堅牢な鉄鍔

実の処、予備校が示す正解は 1 である。考え方という限りは精神性について述べているべきであるというのがその論拠である。もちろん東進予備校の教師陣も(この選択肢の書き方にはやや疑問を感じる)と記載する。この選択肢を厳密に読み解けば正解はない。だが問題文には「もっとも適当なものを選べ」とある。正しいものを選べではない。「もっとも適当」という場合、全ての間違いの中からもっともマシなものを選べという意味になる。つまり政治の選挙と同じなのである。

それでも (自分を見失わず) というのは捉え方が難しく (したたか) や (精神性) も解釈が幾らでも出る。最大限の拡大解釈をもって強いて言えば間違いではないという観点から選択する必要がある。憲法 9 条問題とも通じる話かって言いたくなる。

番号応仁の乱以前変ったもの
1.刀剣の一部精神性が求められる
2.日用品手ごろさが求められる
3.刀剣の一部生産性と簡素な形が求められる
4.装具安心感が求められる
5.軽視士気の鼓舞が求められる

無駄を削ぎ落しても 1 か 3 でやはり迷う。鍔に求めたものは生産性や形かそれとも精神性であるかという選択である。例えば iPhone という携帯電話は世界の見方や考え方を変えたものであるが、それは何等かの精神性を求めた訳ではない。Jobs とその仲間たちがワクワクしながら考え抜いたエンジニアリングの結晶である事に間違いはないが、それがどういう精神性を求めたのであろうか。形を求める事は精神性を含まないと思うのだろうか。だが出題者は恐らく、生産性や形よりも、精神性の方が見方や考え方に近いと感じているようである。生産性よりも精神性の方が上等な言葉と思っているならば、答えは 1 である。

「どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。」にある筆者の考え。
  1. 仏教を戦国武士達の日常生活の糧となっていた思想と見做すのは軽率というほかなく、彼等と仏教との関係を現代人が正しく理解するには、説教琵琶のような、当時滲透していた[芸能に携わるのが最も良い手段]であるという考え。
  2. この時代の鍔にほどこされた五輪塔や経文の意匠は、戦国武士達にとって仏教が、ふだん現代人の感じているような暗く堅苦しいものではなく、むしろ[知的遊びに富む]ものであることを示すのではないかという考え。
  3. 戦国武士達に仏教がどのように浸透していたかを正しく理解するには、[文献から仏教思想を学ぶ]ことに加えて、例えば説教琵琶を分析して[当時の人々の感性を明らかにする]ような方法を重視すべきだという考え。
  4. この時代の鍔の文様に五輪塔や経文が多く用いられているからといって、[鍔工や戦国武士達が仏教思想を理解していた]とするのは、例えば仏教を葬式のためにあると決めつけるのと同じくらい[浅はかな見方]ではないかという考え。
  5. 戦国武士達に日用品と仏教との関係を現代人がとらえるには、それを観念的に理解するのではなく、説教琵琶のような、当時の生活を反映した文化にじかに触れる事で、[その頃の人々の心を実感する]ことが必要であるという考え。

ミサイルから回避するために軍用機はフレアやチャフを発射する事がある。こういった選択肢も必要な言葉の周りに欺瞞装置で固めているものである。削りに削ってゆくと、どうしてもこれ以上は削れない部分が残る。それ以外は捨て去るのがよい。と言う事はこれらの文章を書いた人は初めから削り取られるための日本語を書いていると言う事になる。例えば(当時の生活を反映した文化にじかに触れる事)という文章も厳密に読めば正しくはない。本文にある(こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない)が、当時の生活を反映した文化という言い回しと合致する保証がどこにもないのである。これらは表現で惑わし悩むように作られた日本語であり、消し去る以外の対応はない。意味不明だがなんとなくこうか、という様な自己解釈をしてはいけない。斜線で消し去ってしまう以外にない日本語である。解答は 5 。

「もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。」はどういうことを例えているか。
  1. 実用的な鍔を作るためには鉄が最も確かな素材であったので、いくつもの流派が出現することによって文様透の形状は様々に変化していっても、[常に鉄のみがその地金であり続けた]ことを例えている。
  2. 刀剣は実戦で使用できるようにするために鍔の強度と軽さとを追求していく過程で、鉄という素材の質に見合った透がおのずと産み出され、日常的な物をかたどる[美しい文様が出現]したことを例えている。
  3. 乱世において武器として活用することができる刀剣の一部として鉄を鍛えていくうちに、長い伝統を反映して必然的に自然の美を表現するようになり、それが[美しい文様の始原となった]ことを例えている。
  4. 「下剋上」の時代において地金を鍛える技術が進歩し、鍔の素材に巧緻な装飾を施すことができるようになったため、[生命力をより力強く表現した文様]が彫られるようになっていったことを例えている。
  5. 鍔が実用品として多く生産されるようになるにしたがって、刀匠や甲冑師といった人々の技量も上がり、日常的な物の形を[写実的な文様]として固い地金に彫り抜くことが可能になったことを例えている。

(鉄のみが地金であり続けた)、(文様の始原)、(生命力)、(写実的) は記載がないので消去。解答は 2。

「私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。」の理由。
  1. 戦乱の悲劇が繰り返された土地の雰囲気を色濃くとどめる神社で、巣を守り続けてきた鳥の姿に、この世の無情を感じ、繊細な鶴をかたどった鶴丸透が[当時の人々の心を象徴する文様]として生まれたことが想像できたから。
  2. 桜が咲き誇る神社の大樹に棲む鳥がいくつも巣をかけているさまを見て、武士達も太刀で身を守るだけでなく、鍔に鶴の文様を抜いた鶴丸透かを彫るなどの工夫をこらし、[優雅な文化を作ろう]としていたと感じられたから。
  3. 神社の森で巣を守る鳥が警戒しながら飛び回る姿を見ているうちに、生命を守ろうとしている生き物の本能に触発された金工家達が、翼を広げた鶴の対照的な形象の文様を彫る[鶴丸透の構想を得た]ことに思い及んだから。
  4. 参拝者もない神社の満開の桜が咲く華やかな時期に、大樹を根城とする一羽の鳥が巣を固く守る様子を見て、討死にした信玄の子供の不幸な境遇が連想され、鶴をかたどる鶴丸透に込められた[親の強い願い]に思い至ったから。
  5. 満開の桜を見る者もいない神社でひたむきに巣を守って舞う鳥に出会い、生きるために常に緊張し続けるその姿態が力感ある美を体現していることに感銘を受け、鶴の文様を抜いた[鶴丸透の出現を重ね見る]思いがしたから。

番号何をどうした
1.象徴する文様を想像した
2.優雅な文化を感じた
3.構想を得たと思い及んだ
4.親の強い願いを思い至った
5.鶴丸透の出現を見る思いがした

3 か 5 で迷うが (金工家達) の記述がやや怪しい。(鍔工)であれば適切であったかも知れない。(生命を守ろうとしている)の記載が本文中にないから 3 は間違いだという解説もあるが、それなら 5 の (生きるために常に緊張し続けるその姿態) も記載はない。決め手としては (思い至った) と (重ね見る思いがした) の違いであろうか。思い至るとは考えがまとまる意味であり、思いがしたのは心の中で湧き上がったものであろう。文中の表現は感嘆と読み取るべきで、理解、解ったではない。と言う様に設問者の思惑を見る思いがしたわけである。解答は 5。


これらの問題を見て分かったのだが、この試験の出題者には美しい言葉も簡潔な言葉も書く気はさらさらない。ここには空疎な事務仕事のような言葉しかなかった。大変に残念なことだがこの出題者は小林に対して何一つも思い入れがない。国語便覧で得たもの以上の知識も経験も体験もない。ただサイコロで題材を決め、問題文を書いてみせた。おそらく設問作りのプロであろう。プロと言う呼び方が悪ければそのルーティンワークをする人である。機械のように決められた入力に決まったアウトプットを出力する。この出題者は設問をただの構造としか見ていない。設問の方にこそ言葉のあからさまな構造が潜んでいたのである。それでも第一問のように選択肢に世界観やものの見方が現れる。自分の底の浅さをさらけ出す恐怖である。

これは騙し合いのゲームであるか。ゲームとに優れる者が有利であるか。何故そこまでするかと言えば、誰も彼もを一列に順序良く並べたいからだ。これを作った出題者も当然ながら受験生を振るいに掛け、順番に並べる事に注力している。そうしないとこの国の官僚採用システムが機能しないのだ。採用年度までに並び替えておく必要がある。多くの大学や企業がこの並び替えシステムを利用する。その必要性は認めるし代替案もないが、出題者の日本語は、文を装飾する事で意味を紛らわせ、化粧の一切を捨て去って初めて意味が見えてくる、また受験生にそう強いるものであって、装飾について語る本文の緊張感と比べると、遥か遠くにある日本語である。