stylesheet

2012年4月27日金曜日

宮崎さん家の親子喧嘩 - ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎 駿×宮崎吾朗~

観客は君のファンタジーになんかこれっぽちも興味ないから。

どっちかつうとちみの親父。

観客が見たいのはそっちの方であってね。

もしちみのが見たいとしたら、そりゃ親子喧嘩さ。

それが出来るのはこの世界、広しと雖もたった二人の息子しかいないんだよ、

その特権を使わずにおいて、何がファンタジーだよ。

そんなものは野ぶたにでも呉れちまいな。

べーつに親父を超えろなんて馬鹿な事をする必要なんかこれっぽちもない。

親子喧嘩だ、ちょうどいい相手だろ?

お前の親父だもの。

というか、アニメ界にいる殆どは、

あんたの親父には喧嘩というか、

挑んで、ぶち当たって、砕け散った奴らばかりなんだぜ。

ちみも小さい頃こう言ってたんだよ。

「とーちゃん、この辺には死体ばっかが転がってるよ」

「すごいねーとーちゃん、これ全部とーちゃんがやったんだね」

それが分かってないだろ、それが分かった上で親子喧嘩する特権を使えっつうの。

七光りじゃねぇ、それが出来る奴がこの世に二人しかいないんだから、お前がやるしかないつーの。

あのね、世の中にはお前なんか俺と立場を変われよーー、俺の方がもっと上手くやってみせるからよーー

と思っている奴がごまんといるんだよ。

なーにが、コークリコ坂から、だよ。

あの漫画の面白さをお前さんらに伝えきれるものか。

スタッフに少しくらいいいのが揃ってても難しいな。

お前の親父ね。

あの地震の時の叫びは凄かったな。

今こそ仕事を止めちゃいけない、こういう時だから描かなければならない。

絶対やんなきゃだめですよ仕事は
もう一回会議やって欲しいですね
来られるやつは来いって
家の事情があるやつは申し出ろってそれでいいじゃないですか
だけど生産現場は離れちゃダメだよ
ちょっと釈然としませんね全然

みんな来られたのになんで会社休みにするの

誰が混乱するんだ
誰が混乱するって言ったんだ
何が混乱するんだ

休んでしまった方が混乱だよそりゃ

封切りは変えられないんだから守るために頑張ってんだから多少無理してもやるべし

生産点を放棄しちゃいけないですよ
生産点は映画を作っている現場ですから
こういう時こそ神話を作んなきゃいけないんですよ
多少揺れても作画してたって

それでもね、お前とは年も近い。

もし親父に挑む、喧嘩してくるつーのなら、俺はお前の側に付くよ。

例え負けるとしてもな。

そっちの方が面白いもの。

宮崎駿、ちょうどいい相手じゃねぇか。

2012年4月26日木曜日

分数の割り算はなぜひっくり返して掛けるのか - 6 割る 4 分の 1

関連記事

割り算 In this Site

考え方

3÷4 と 4÷3 の答えは違う。違う理由は、演算子(÷)の前後で作用が変わるから。この違いは足し算や掛け算にはない。引き算にはある。

前後を入れ替えて結果が異なるのには、入れ替えられない理由がある。割られる数と割る数の意味が違うという事でもある。それは基準となるものがあって動かせないという事でもある。

足し算、掛け算にするとその意味が消えて入れ替えられるようになるというお話。

要約

分数だけでなく全ての割り算はひっくり返して掛けることができる。

3 ÷ 4 の場合。
  • 3 を 4 等分した時の値を求める。
  • 123 ?3
  • 3 の中に 4 が幾つあるかの値を求める。
  • 4 を基準(1とする)とした時の 3 の値を求める。
  • 1234?1
1 ÷ 4 は 1 を 4 等分したもの。そこで 3 ÷ 4 は 3 * 1 ÷ 4 と書ける。どちらも同じ。3 × (1÷4)。

本文

6 ÷ (1/4) 。 6 を 4 分の 1 で割るとはどういうことか。これを答えを求める手順ではなく概念で説明しようとするとなかなか難しい。

まず林檎を 6 つ用意する(リンゴでなくても可)。

まずは掛け算で考える

6 を 4 倍するというのはどちらかというと簡単な考え方で 6 を 1 つのグループとして 4 倍する感じ。6 人で班を作ったら 4 班できました。全員で何人いるでしょう、という問題に置き換えることが出来る。


6 * 4 = 24

整数同士の割り算を考える

6 を 4 で割るというのも分かりやすい。6 ÷ 4 とは、6 を一つのグループとしてこれを 4 つに分ける。例えば 6 人を 4 人に分けるとする。まぁ、4 人の食人族に捕まったと思えばいい。すると 4 人に一人づつ分けて、2 人が余った。


6 ÷ 4 = 1 余り 2

割り算を引き算で考えてみる

割り算は引き算でも求められる。
6 ÷ 4 なら、6 - 4 = 1 余り 2

6 から 4 を引けば、1 回引けて 2 つ余る。これで 4 人の食人族は 一人ずつを家に持ち帰ろれる。所で余った二人をどうしようか。

一人が閃いた。二人を 4 つにバラしちゃえばいいんだよ、と。



分数の登場

これが分数の登場にある。数式で表現すれば次のような式だ。これは一人当たりの取り分を意味する。
6 ÷ 4 = 6/4 = 3/2 = 1 (1/2)

さてこの 2 分の 1 とは何であろうか?この値が余りの 2 から生み出された数字である事は間違いはない。この 2 は余り 2 から来たもので、 4 を引いたら 2 が余った。その 2 を更に 4 つに分けたら (1/2) になったという話になる。これは別の考え方をすれば、4 の (1/2) にあたる数は 2 という意味でもある。
2 ÷ 4 = (1/2)

所で 1 (1/2) という数字だけを見ると最初にあった 4 という数字は消えてなくなっている。1 (1/2) からだけではどうしても元の数である 4 は求める事ができない。1 (1/2) * 4 として初めて (1/2) は 2 を元にして求められた値だと理解できる。

これは次のように言い変える事ができる。ここに半分の体がある (1/2)。これが何人 (2) をばらばらにした結果の半分 (1/2) かは分からない。しかし、半分の体を数えれて(4)個あれば、何人がバラバラにされたのが分かる(2人)。


閑話休題、さあこの 2 人を 4 つにバラしちまおう。
2 ÷ 4 = 2/4 = 1/2

こうして 4 人はそのまま連れていかれ、残りの二人は半分づつに切られて彼らの家族のもとへと持って帰られたのだ。
6 ÷ 4 = 1 (1/2)

こうしてみると、割り算を引き算で表現するやり方ではそれ以上引けなくなった時にその先を考えるのがちょっと難しい。その点で割り算ならば分数や小数点の形で求められるので考えやすい。

分数の掛け算

さて分数の割り算の前に 6 * (4 分の 1) について考えてみる。



6 を一つのグループとして 4 分の 1 倍にする。4 分の 1 倍にするとは、4 つに分けたそのうちの一つ分という意味になる。掛け算の話なのに、なぜか「分ける」という言葉が出てきた。掛け算なのに割り算なのだろうか。



実は 6 * (4 分の 1)は、6 ÷ 4 に等しい。または 6 * 0.25 と書くこともできる。掛け算と割り算は実は同じと考えられそうだ。特に分数のある掛け算は、割り算でもあるようだ。ところで、どのような数字でも分数で表現することができる。5 なら (5/1) だし、7 なら (7/1) お好みによれば (14/2) でもいい。

すると、掛け算はすべて分数の掛け算と考えて良さそうに思える。

文法の発見
掛け算はすべて分数の形で書くことができる。

分数の割り算

さて 6 ÷ ( 4 分の 1 ) である。

式としては分数の割り算だからこういう形になるのに不思議はない。だがこれがどういう概念かが不思議だ。1/4 倍にするは理解できても、1/4 で割るは説明しにくい。

6 人が 4 人の食人族に捕まりました、そこで 4 分の 1 に別けようとしています。どうすればいいですか?6 を ( 4 分の 1 ) で割るためにはどういうオペレーションをすればいいだろうか。

分数についてもういちど考える

1 ÷ 4 は 1 を 4 つに分ける事だった。では ( 1 ÷ 4 ) で 1 を割ってみようと考えるのに不思議はない。でも、それはどういう事がしたいのだろうか。


これを式にすれば
1 ÷ ( 1 ÷ 4 ) = 1 ÷ (1/4)

1 を 4 で割るとは 4 つに分ける事であった。では 4 分の 1 で分けるとは?結局、割り算の意味を考えるとは分数の意味を考えるのと同じだ。分数とは何だろうかと考るのに等しい。

ちなみに英語では少数・分数を次のように表現する。
数字読み方
3.14three point one four
3.05three point oh(zero) five
1/4a quarter(one fourth)
2/3two thirds
41/5forty one over(by) five

英語では 41 は 5 を over している、または by している。日本語では 5 分の 41 は 5 つに分けたものを 41 倍するという感じがする。
41/5 = 41 * (1/5)

41 by 5 と英語で言う場合、これを後ろから意味を取れば、5 による 41 と訳せる。これをもう少し考えるならば、 5 を基準とした時の 41 の大きさとも理解できる。

分数を次のように考えてみる。5/4 の場合。
イ.(1/4) を 5 倍にした数。
ロ.4 が 5 の中に何個あるかの数。
ハ.4 を 1 という基準にしたときの 5 の数。



分数の割り算の意味

分数について考えながら、一度分数の割り算に戻る。6 ÷ (1/4) を前にある三通りで言い換えてみる。
イ.( 4 分の 1 ) を 6 倍にした数。
ロ.( 4 分の 1 ) が 6 の中に何個あるかの数。
ハ.( 4 分の 1 ) を 1 という基準にしたときの 6 の数。

それぞれは、
イ.ある数を何倍かにしたもの。
ロ.ある数が何個あるかを調べたもの。
ハ.ある数を基準としたときの大きさ。

文法の再発見

割り算とは、
後ろの数(割る方の数)が前の数を何個に分けられるかを求める事。
後ろの数(割る方の数)が前の数の中に何個あるかを求める事。
後ろの数(割る方の数)を1とした時の前の数の大きさの比率を求める事。

例えば、1 ÷ 4 は次のように考えられる。
  1. 1 を 4 つに別けると何個になるか
  2. 1 は 4 の何個分であるか
  3. 1 の中に 4 は何個あるか
答えは、1 を 4 つに分けると1/4 (0.25) 個になる。また 1 は 4 の 1/4 (0.25) 個分である、また 1 の中に 4 は 1/4 個分ある。



6 ÷ (1/4) はどういう事か。6 の中に 1/4 は何個あるか、を問うている事になる。食人族は考えた、一人を 4 等分して 4 家族に分け与えるとしたら、6 人だと何家族分あるんだろうか、と。



分数の登場により割り算を"分ける" と考えるだけでは超えにくい壁が出現する。掛け算は、頭の数が、何倍になるかと理解するだけでよい。掛け算の場合、順序を逆にしても答えは同じになる。しかし、割り算は、後ろの数にも意味がある。幾つかの考え方があって、前の数を〇〇する、という考え方だけでは意味不明に陥る。その時には後ろの数を基準として考えてみる。頭の数は後ろの数の何倍であるか?を求めるのが割り算である、というように。
6 のなかに (1/4) は何個あるか?

4 * 2 = 84 を 2 倍すると幾つになるか?
4 / 2 = 24 は 2 を何倍すると得られる数か?

ひっくり返して掛ける理由

6 ÷ ( 4 分の 1 ) は ( 4 分の 1 ) を基準としたときに 6 はその何倍であるかと考えてもいい。
1 に ( 4 分の 1 ) は 4 つあるので、4 を 6 倍したもの(6 * 1 ÷ (1/4))が答え。

これで後ろの数をひっくり返して掛ければ答えが出ると言う解き方と同じになった。 割り算は (1÷)の部分が省略されていると考える。分数の掛け算を書くのが面倒くさいので÷という記号を使っている、と考える。

1 ÷ 4 は 4 を引っ繰り返して 1 * (1/4) に等しい。
1 ÷ (1/4) は 1/4 を引っ繰り返して 1*4 に等しい。
両辺に同じ数字を掛けて求める。

y = 6÷(1/4)

両辺に同じ値を掛けても等号は変わらないので(1/4)を掛ける。
y*(1/4) = 6÷(1/4)*(1/4) = 6

両辺に4を掛ける。
y*(1/4)*4 = 6 * 4
y*1 = 6 * 4

6を6×1にしてから求める。

y = 6÷(1/4) = 6*1÷(1/4)

1÷(1/4) は 1 の中に 1/4 が 4 つあるので。
y = 6 * 4

後ろの数を基準とする割り算は、順序を逆に出来ない。
1 ÷ 4 = (1/4)4 ÷ 1 = 4答えが違う
1 * 4 = 44 * 1 = 4同じ答え

割り算は引き算に似ている。
1 - 5 = -45 - 1 = 4答えが違う
1 + 5 = 65 + 1 = 6同じ答え

+ * は順不同であるが - ÷ は順序に意味がある。ただし、- ÷ は、以下のように変換して順不同の形に出来る。

引き算の場合は、符号をもった足し算にする。
1 - 5 = -45 - 1 = 4答えが違う
1 + (-5) = -4(-5) + 1 = -4同じ答え

割り算はひとつの分数にして掛け算の形にする。
3 ÷ 4 = (3/4)4 ÷ 3 = (4/3)答えが違う
3 * (1/4) = (3/4)(1/4) * 3 = (3/4)同じ答え

なぜ割り算はひっくり返して掛けるかと言えば、そうすれば答えが出てくるからではなく、ひっくり返して掛け算にすれば順不同に出来るからという方が正しいのかも知れない。

逆に、こういう言い方が出来るかも知れない。これらの数式は、数字という集合に対して、ひっくり返しても掛けても結果が変わらないと取り決めたから成立している。もしひっくり返したら答えが変わる数字の集合があればこの考え方は通用しない。

割り算を引き算で求め切れるか

しかし、ひっくり返して求めるなど邪道の極み、中央突破をしたい、王道を行きたい人もいるだろう。そういう人は引き算で計算して答えを求めるのがいい。

6 ÷ ( 4 分の 1 ) は 4 分の 1 を単位としたときの個数を求める事なので引き算する。

6 という数字を ( 4 分の 1 ) づつ引いて行く。6 - ( 4 分の 1) ⇒ 5 ( 4 分の 3 ) - ( 4 分の 1) ⇒ 5 ( 4 分の 2 ) - ( 4 分の 1 )・・・これが 0 になるまで繰り返す。その時の回数が求めるべき答えとなる。

余りが出た時は、その余りが基準の何個分であるかを計算する。
2 ÷ ( 4 分の 3 ) の場合。
2 - ( 4 分の 3 ) ⇒ 1 ( 4 分の 1 ) - ( 4 分の 3 ) ⇒ ( 4 分の 2) ⇒ ( 2 分の 1)

( 2 分の 1 ) は ( 4 分の 3 ) の何個分であるか? (1/2)÷(3/4) を計算する (2/3) 。しかしこれを引き算で求めるのは引いて 0 にする方法がないので難しい。

割り算を引き算で計算するのはとても大変である。しかも数が小さくなって引けなくなるとその先の計算が出来なくなる。これと比べれば割り算を掛け算にして計算するのはとても簡単だ。引き算からは分数は生まれないからである。
2 ÷ (3/4) = 2 * (4/3) = 8/3 = 2 (2/3)

ひっくり返して掛ける理由 その2

数字には次の性質がある。
  • 同じ数で割れば答えは1。(5÷5=1)
  • 逆数を掛ければ答えは1。(5☓1/5=1)
  • 1を掛けても答えは変わらない。(5*1=5)

分数の割り算を1にするように式を変形する。

6 ÷ ( 4 分の 1 )

( 4 分の 1 ) を ( 4 分の 1 ) で割るように式を変形する。

6 ☓ □ ☓ ( 4 分の 1 ) ÷ ( 4 分の 1 )

すると、( 4 分の 1 ) ÷ ( 4 分の 1 ) は 1 になるので、

6 ☓ □ ☓ 1 = 6 ☓ □

□の中に入る数字は

□ ☓ ( 4 分の 1 ) = 1

の性質を持てばいい。

つまり□には逆数を入れればいい。

( 4 分の 1 ) の逆数は 4 なので □ は 4。

6 ÷ ( 4 分の 1 ) =
6 ☓ 4 ☓ ( 4 分の 1 ) ÷ ( 4 分の 1 ) =
6 ☓ 4 ☓ 1 =
24

閑話休題

ちなみに割り算は 0 で割れない。

6 ÷ 0 は 6 * (0/0) だから 0 ではないか、という話はある。では 6 個のリンゴがある。これを 0 人で分けると一人何個か。6 は 0 の何倍であるか、6 に 0 が何個あるかを求めてみよう。

つまり、0 に何を掛けたら 6 になるかを求めるのである。

無限という数でさえ 0 を掛けたら 0 になる。未だに求められていない π でさえ 0 を掛けたら 0 になる。これは凄い事のような気がする。これが 0 の特殊性であって何を掛けようとも 0 という時点で他の数とは違う性質を持っている。0 に何を掛けても 6 にはならない。そんな数字はない。だから数学では 0 除算は禁止している。

では 0 * ? = 6 の解をマジックナンバーを創設して解決してみたらどうなるんだろう。虚数 (imaginary number) があるくらいだからやってみよう。

0 * 6m = 6 とする。すると、0 = 6 ÷ 6m になる。

さらに、6 ÷ 0 = 6 ÷ ( 6 ÷ 6m ) となり

6 * (6m/6) = 6m

ところで 0 はどんな値でも取りうるので ( 6 ÷ 6m ) = (7 ÷ 7m ) となる。すると、6 ÷ 0 = 6 ÷ ( 7 ÷ 7m ) となり 6 * ( 7m / 7 ) = 42m / 7 = 6m で成立する。

はて ( 6 ÷ 7m ) はどんな数字になるのだろう?

Wheel と呼ばれる零除算を可能とする代数系がある。環論(Ring Theory)と関係するらしいが、これだって算数からの遠い延長にある。

2012年4月25日水曜日

1 から 100 までの和

足し算

僕は普通の子供だったから「1から100までの和を求めなさい」の問題を出されても 1+2+3+4+5+6…98+99+100 と頭から順に足したと思う。途中で面倒臭くなって、もしかしたら 1,11,21,31…2,12,22,32… と何かの纏まりを使って工夫できないかと考えた人も居ただろう。




1から9の合計


まず 1 から 9 までの合計が 45 になることを確かめてみる。これは 1+2+3+4+5+6+7+8+9 の事。

沢山の足し算をする時は、切りのいい数で計算する方が簡単。足し算は順序を変えても答えが同じだから。
1+2+3+4+5+6+7+8+9 =
3  +3+9  +6+15 +9 =
6    +9  +21   +9 =
6    +9  +30      =
15       +30      = 45

10 から 99 の合計(10の位だけ合計する)

さて次は 10 から 99 の合計を求める。

まずは10の位だけを合計したい。10+20+…+80+90 は 450。これは1から9の合計の10倍と同じ。式にしたら10*(1+2+…+8+9)=10*45=450。

この固まりが 1 から 100 の間に 10個ある。10個というのは 10(20、30…80、90)の段、11(21、31…81、91)の段、12(22、32…82、92)の段…18(28、38…88、98)の段、19(29、39…89、99)の段、という事。その合計は 450*10=4500。これが十の位の合計。

10~99までの合計。
合計
1010+20+30+40+50+60+70+80+90450
1110+20+30+40+50+60+70+80+90+1+1+1+1+1+1+1+1+1450+0
1210+20+30+40+50+60+70+80+90+2+2+2+2+2+2+2+2+2450+?
1310+20+30+40+50+60+70+80+90+3+3+3+3+3+3+3+3+3450+?
1410+20+30+40+50+60+70+80+90+4+4+4+4+4+4+4+4+4450+?
1510+20+30+40+50+60+70+80+90+5+5+5+5+5+5+5+5+5450+?
1610+20+30+40+50+60+70+80+90+6+6+6+6+6+6+6+6+6450+?
1710+20+30+40+50+60+70+80+90+7+7+7+7+7+7+7+7+7450+?
1810+20+30+40+50+60+70+80+90+8+8+8+8+8+8+8+8+8450+?
1910+20+30+40+50+60+70+80+90+9+9+9+9+9+9+9+9+9450+?
合計450*10+?4500+?

10 から 99 の合計(1の位だけ合計する)

次に一の位を合計する。上の図を縦に見れば1~9が並んでいるのが分かる。これは1が9個、2が9個…8が9個、9が9個あると言えるね。

これを式にすると次の感じ。
(9*1)+(9*2)+(9*3)+…+(9*7)+(9*8)+(9*9)

これは9の段の掛け算の合計(9+18+27…+63+72+81)と同じだよ。

(2が9個)は(1が9個)の 2倍、3は(1が9個)の 3倍。だから、次の感じになる。
(9*1)+(9*2)+(9*3)+…+(9*7)+(9*8)+(9*9) =
(9*1)*1+(9*1)*2+(9*1)*3+…+(9*1)*7+(9*1)*8+(9*1)*9 =
(9*1)(1+2+3+…+7+8+9)

(1~9)が縦に並んでいるのを見れば、それが9個あるから 9*(1+2…8+9)と考えてもいいね。

1 から 9 の合計は 45。その10倍が450、それから45を引く。
9*(1+2…8+9) =
10*(1+2…8+9)―(1+2…8+9) =
10*45-45 =
450-45 =
405

十の位の合計は 4500、一の位の合計は 405。
4500 + 405 = 4905

こうして 10 から 99 までの合計が求められました。

1 から 100 の合計


その他
合計
0-90+1+2+3+4+5+6+7+8+945
100100

10から99の合計にその他を合計すれば1から100までの合計が求まります。
4905 + 45 + 100 =
4950 + 100 =
5050

将棋盤で考える

これを足し算の式じゃなくて、正方形の面積として考えてもいいはず。正方形に対角線を引いて半分のマス目を数える。これは正方形を半分にしたのと同じ。

9*9の正方形と言えば将棋盤。だから1 から 9 の合計は将棋盤のマス目を数えてもいい。



9*9 の正方形の面積は81。その半分は 81÷2=40.5。これに 9 の半分の 4.5 を足せば 45。これは対角線を引いたら半分だけはみ出すマスがあるので、このはみ出した部分を足したもの。

これを式にすれば(9 * 9 ÷ 2)+(9 ÷ 2)。これをnの一般式にすると(n*n÷2)+(n÷2)になる。
(n÷2) を仮に y と置けば
n*(n÷2)+(n÷2) =
n*y+y =
n*y+1*y =
(n+1)*y

y を元に戻せば
(n+1)*(n÷2) =
(1+n)n/2

この式が正しい事はブレーズ・パスカル(1623 - 1662)が10歳の時に証明したそうだ。この式は総和Σ(i=1, n) i の公式でもある。




ガウスの解法

さてこの問題をヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス (1777 - 1855) は次のように解いた。1 から 100 までの和を求めるのに順番通りに計算する必要はない。そこで次のような2つのペアを作った。

00
1100101
299101
398101
497101
......101
4754101
4853101
4952101
5051101

101 が 50個ある。
101 * 50 = 5050

将棋盤を次のように使ったのと同じ。



これは合計を100になるようによっとずらしても使える。
0100100
199100
298100
397100
496100
......100
4753100
4852100
4951100
5050

これなら49個の100と残りの100と50がある。
4900+100+50 =
5000+50 =
5050。



計算に必要な時間

さて 1 から 100 までを計算するのに 一回の和を求めるのに 1 秒かかる計算機があるとする。一つの計算から次の計算に移るmまでの時間を0とした時、この計算機が答えを出すのは必要なのは何秒であろうか。

これは 1 から 100 までの足し算の式から + のマークの個数を数えればよい。1 から 99 の数字の右側に + のマークがあり 100 の右側にはないので + マークの個数は 99個ある。よって 99回の計算をするので 99秒後に答えが出る。
0 + 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 + 8 + 9 = 45, +の数は (n-1), この場合は9個。

この +マークを演算子と呼ぶ。これが 一回の計算を意味する。一回の計算とは、数に対する1回の操作と考えてよい。

では複数台の計算機を使えば最短で何秒で答えが出るだろうか。
1回目
一回の演算で和を作るには二つの数が必要。1 から 100 の数を(1と2)、(3と4)と50個のまとまりを作る。これを計算機を使って和を求める。
2回目
これで 50個の和が求まったので次にまた2つずつの組み合わせを作り 25 個の計算機で計算する。
3回目
また二つずつの組み合わせを作り 12個の計算機で計算する。このとき1つだけ計算できない数が余る(25 は奇数で 2 で割り切れないから余りがある)。
4回目
12個の数を計算して 6個。
5回目
6個の数を計算して 3個。
6回目
3個の計算結果にさっきの余りの一つを加えて 4 つの数にして計算して 二個。
7回目
2個を計算して 1 つの和が求まる。

50個の計算機を使えば 7 秒後に答えが求まる。並列に計算すれば速くなる。これは ÷2 を繰り返しているのと同じ。

12345678910
11121314151617181920
21222324252627282930
31323334353637383940
41424344454647484950
51525354555657585960
61626364656667686970
71727374757677787980
81828384858687888990
919293949596979899100

足し算とトーナメント

さて、足し算を 二つずつ足してゆくのは何かに似ていると思いませんか。二つの数が 一つになる、二つのものが 一つになる、二つのものから 一つだけが選ばれる。

野球やオリンピック、サッカー、囲碁などのトーナメント方式による勝ち上がり方はこの足し算と同じ構造を持っていそうだよ。

100人の選手やチームがトーナメントで戦うと、優勝者が決まる迄に何試合が必要か。これは対戦会場を幾つ用意すればよいかとか、対戦が終わるまでに何日掛かるか、を解くのと同じ問題だね。

100名のうち、優勝者を1名とすれば、残りの 99名は負ける。99名が負けるためには負けるための試合が必要。つまり 99の試合が必要。

99の試合をするためには、99の会場が必要だし、一日一試合だけなら99日が必要。

一人が一日に一回の試合ならば、平行して試合をしていい。この場合、トーナメントは何日必要か、また何会場を用意すればよいか。これは最後に1以下になるまで 100を2で割って行けばよい。途中で割り切れない数(奇数)が出るので端数があったら切り上げる。

1) 100 / 2 = 50
2) 50 / 2 = 25
3) 25 / 2 = 12.5 = 13
4) 13 / 2 = 6.5 = 7
5) 7 / 2 = 3.5 = 4
6) 4 / 2 = 2
7) 2 / 2 = 1

1になるまで2で割る問題は、逆に言えば 100を超えるまで 2を掛けても同じはず。これは 2の何乗が 100を超えるかという問題になる。2、4、8、16、32、64、128、256…


2の7乗が128だから 7日目で優勝者が決まる。

では 65 人から 128 人が参加するトーナメントは必ず 7 日で終わるか。これを最小と最大で確かめてみよう。
1) 65 / 2 = 32 余り1
2) 32 / 2 = 16
3) 16 / 2 = 8
4) 8 / 2 = 4
5) 4 / 2 = 2
6) 2 / 2 = 1 だだし余りが1あるので
7) 2 / 2 = 1

1) 128 / 2 = 64
2) 64 / 2 = 32
3) 32 / 2 = 16
4) 16 / 2 = 8
5) 8 / 2 = 4
6) 4 / 2 = 2
7) 2 / 2 = 1

129 人だと最初の段階で 一 人余ってその人との戦いがどこかで挟まれるのでもう 一日多くなる計算だ。

では、最初に 50部屋も用意できないよと言う場合はどうすればよいか。用意できる部屋数を 20とすると 一部屋で 二人が対戦するのだから 一度に 40人が試合を行う。すると 100人が 40人になるまでは 20部屋を使ってゆく。

1) 100 - 20 = 80
2) 80 - 20 = 60
3) 60 - 20 = 40
4) 40 / 2 = 20
5) 20 / 2 = 10
6) 10 / 2 = 5
7) 5 / 2 = 2 ...1
8) 2 / 2 = 1 (+1)
9) 2 / 2 = 1

よって優勝者が出るまでに 9日間を必要とする。

数の和は、面積を求めたりトーナメントを計算したりするのと、よく似ているというお話でした。

2012年4月24日火曜日

ハンバーガーが好きだ

諸君私はハンバーガーが好きだ。
諸君私はハンバーガーが好きだ。
諸君私はハンバーガーが大好きだ

マックが好きだ モスが好きだ
ドムドムが好きだ ファーストキッチンが好きだ
バーガーキングが好きだ ベッカーズが好きだ
ロッテリアが好きだ クアアイナが好きだ
ハラカラが好きだ

新宿で 渋谷で
池袋で 田町で
新橋で 木場で
川崎で 横浜で
喜志で 本通で

この地上で食されるありとあらゆるハンバーガーが大好きだ

頭を並べた肉牛への一斉打撃が轟音と共に屠畜場で鳴り響くのが好きだ
空中高く放り上げられた枝肉が背割りでばらばらになった時など心がおどる

作業員の操るナイフの88mm刃が肉牛を解体するのが好きだ
悲鳴を上げあらがって列から飛び出してきた肉牛を電撃でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

後肢をそろえた肉牛の縦列がフックで吊り上げられるのが好きだ
恐怖状態の新人が既に息絶えた肉牛から何度も何度も皮を剥いでいる様など感動すら覚える

極上の牛肉達がレールの上を流れていく様などはもうたまらない
黙々と検査員達が肉のサンプルを採取するとともに
金切り声を上げるレールの下でばたばたと解体されるのも最高だ

美味しそうな丸枝肉が雑多なナイフで次々とブロック肉になってきたのを
10tトラックに乗せて都市区画ごとの市場に出荷された時など絶頂すら覚える

マックに並ぶガキ達に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に作ったはずだったパティがお腹一杯と言われて女子供が捨てている様はとてもとても悲しいものだ

米豪の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
米豪の輸入圧力に追いまわされ国産農家が地べたを這い回るのは屈辱の極みだ

諸君私はハンバーガーを
地獄のようなハンバーガーを望んでいる

諸君私に付き従うハンバーガー愛好者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なるハンバーガーを望むか?

情け容赦のないトマトのハンバーガーを望むか?
贅沢三昧の限りを尽くしダイエットの敵となる様なハンバーガーを望むか?

ハンバーガー!!
チーズハンバーガー!!
フィレオフィッシュバーガー!!

よろしい
ならばマックだ

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとするマックシェイクだ
だがこの暗い闇の底で2時間もの間空腹に耐え続けて来た我々に
ただのハンバーガーではもはや足りない!

ビックマックを!!一心不乱のメガマックを!!

我らはわずかにワンコイン500円を握るケチな貧乏人にすぎない
だが諸君はマックでチキンナゲットを注文する一騎当千の古強兵だと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総額600円と40円のビックマックセットとなる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさえ思い出させよう

連中にマック24時間の営業を思い出させてやる
連中に肉牛達の死の目前の音を思い出させてやる

天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事情がある事を思い出させてやる

一個100円のハンバーガーで 世界を食べ尽くしてやる

「いらっしゃいませ」
「ビックマックひとつ、ポテトMサイズ」
「マックシェイクはよろしかったですか」
「よろしかったです」

第二次ビッグアメリカン作戦状況を開始せよ
征くぞ諸君

(HELLGING Vol.4 平野耕太より、一部改)

2012年4月18日水曜日

梁塵秘抄 - 後白河法皇

梁塵秘抄(りょうじんひしょう)は、後白河法皇が編んだ歌謡集。ただの遊び、という言葉を聞いたら、そのせいだろうか、遊びをせんとやと不図に思い出したので訳してみた。

遊(あそ)びをせんとや生(うま)れけむ、戯(たわむ)れせんとや生れけん、
遊(あそ)ぶ子供(こども)の声(こえ)きけば、我(わ)が身(み)さえこそ動(ゆる)がるれ。

(訳)
今日も誰かと遊んでる、今日も誰かに戯むれる。
近所で遊ぶ子供のようには、もう遊べないかなぁ。

仏(ほとけ)は常(つね)に在(い)せども現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人(ひと)の音(おと)せぬ暁(あかつき)にほのかに夢(ゆめ)に見(み)え給(たま)ふ

(訳)
仏様がいるといってもこの世で見る事ができないのはかなしい。
それでも夢に時々現れてくださるので信じることが出来るよ。

恋(こひ)しとよ君(きみ)恋(こい)しとよ床(ゆか)しとよ
逢(あ)はばや見(み)ばや見(み)ばや見(み)えばや

(訳)
恋しい君、いっしょに過ごしたいよ。
逢いたいな、姿を見たいな、姿が見えたら、全てを見せるよ。

2012年4月14日土曜日

海辺の昼下がり - 珪藻類のおしゃべり

「石油つくるのに二億年かかったよなぁ~」
「石炭は、三億年だぜ」

「それをたった200年で使いきりやがって」
「ほんとだよな、それで月に行ったくらいだかんな」

「ちょっと、いまいちじゃね?」
「うん、いまいちだね」

「でも、ここ50年くらいはけっこう良い感じだと思うがな」
「おりゃ、最初に火薬が爆発したのを見たときにゃ、500年もすりゃ宇宙に行けるかと思ったがなぁ」

「ああ、ありゃ、すごかったな」
「しかし、そのあとは期待ほどじゃなかったね」
「だね、よくなったのはここ最近だもんね」

「あの飛行機ばんばん飛ばしてた頃だよね。船と飛行機ぶつけたりして、ありゃ何かの実験だったんかな」
「わかんね、でも日の玉が光ったのは太陽みたいだって聞いたことあるな」
「あの後から良くなってきたから、あれが何か大切なんだって考えるのが妥当」

「あいつら好き勝手なことばかりするよな」
「ま、宇宙に行けるんなら、仲間が少々いなくなっても我慢するがな」
「そういえば、一番遠くにいったやつは太陽系を飛び出したらしいよ」

「おれの知り合いが飛び乗ったよ、あれに」
「まじ?いつ?」

「発射直後。煙がもうもうとなるのに乗って飛び込んだんだって」
「おおお!それはすごい、すごいぞ、それは。我々の生命圏を広げているんだ!」

「あいつ希望に燃えてたけど、新しい星にたどりつけれるかな?」
「祈るしかないね、5000万年くらいかな」

「最近のは地球のまわりをくるくる回るだけだね」
「ま、そうは言わないでやってくれ」
「月に基地作る話もあるらしいし、期待しようぜ」

「そういやこのまえ7年ぶりに帰ってきたやつ、いなかったけ」
「あ、いたね。落下した所にそのまま住み着いて旅行記書いてるって聞いたな」
「あれは、あれで、快挙じゃね?」

「そーか?あいつらってかなりの期待外れだぜ」
「うん、かなり馬鹿」

「でも、あいつらしかロケット作れねぇし」
「おれたち、この星から飛び出せるのかな?」

「とりあえず、俺たちがどんだけ頑張っても生き物単体では宇宙にはいけんからな」
「うん、空飛ぶのがやっとだったもんな」
「いくら冷凍した後に復活できる体っても、飛び出せないことにはな」
「あいつは、この星が飛び散った時の緊急時用さ、俺らのプチ宇宙船だ」

「そう考えると、なんとか人間には宇宙へいく手段を作ってもらわんとな」
「あと50億年」
「それまでに宇宙に出れなきゃ、死ぬしかないもんな」

「38億年生きてきたからもう半分きてるな」
「人間でいうとこの40歳ってとこだな」
「あんまり時間があるってわけじゃないな」

「とりあえず、どーする?」
「もう少し待ってみようぜ」
「だな、それで宇宙に行けるようになればもうけもんだしな」

「駄目ならやりなおせばいいさ」
「だが、もう一回5億年待つのもちょっとなぁ」
「ちょっと時間がないかもしれんな」
「とりあえず、1000年くらいでどうだ?」

「だな、それくらいでできなきゃ、あいつらにゃ無理だな」
「そんときは、腸内にいる仲間に連絡してやっちまおう」
「だな」

「じゃ、とりあえず日向ぼっこしながら待ってようか」
「んだんだ」

2012年4月12日木曜日

つ、爪が〜 - メカニカルキーボード SKB-MK2BK

うちのキーボードクンは、SANWA SUPPLYのメカニカルキーボード。

シュゴーン、シュガーン、シュシューと蒸気を今にも吐き出しそうな石炭系。

非常に頑丈です。しかし、このキーボードクンが繋がる先は、くっそみてぇなWindowsクン。

夜中に漢字カナ変換をちまちまちまちまとやっていると・・・どうも変換の切り替えに失敗してイライライライライライライライラ 。夜なべをして募ってくるのはイライラだけですわ。

英語、でと思うと日本語が出たり、日本語、と思って打てばアルファベットだったり。

イライライライライライライライライライライライライライラ、イラッ!

最後にゃ怒髪天、天を突く、ですよ。怒髪天という怖い神様が怒りの余り、その髪の毛で天空を天元突破、須臾殲滅!このクズがぁっ!瞬く間に大魔神の憑依です(正しくは怒髪天を衝く)。

思いっきりキーボードを叩いたら、ちょうど指と爪の間にキーボードの角が当たって、殲滅されたのはこちらでした。爪の間から血が滴ってきます。

痛い、ああ、痛い、指が。

しかしキーボードはまるで何もなかったかのように平然と佇んでいます。

まるで安寧の悟りを得た阿弥陀如来のようです。

が、頑丈だな、お前は。

2012年4月11日水曜日

囲碁棋聖戦(ソドムとゴモラ編) - 読売新聞社

そこで主(総務省)は仰せられた。

「読売新聞と朝日新聞の記事は非常に醜く、また彼らの罪はきわめて重い。 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らの記事が実際にクズだらけであるかを読んでみよう。わたしは知りたいのだ。」

囲碁ファンは近づいて申し上げた。

「あなたはほんとうに、新聞社を滅ぼし尽くされるのですか。」

「もしや、その記事の中に五十の囲碁の記事があるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にある五十の囲碁の記事のために、その新聞をお赦しにはならないのですか。

囲碁の記事とそれ以外の悪い記事とをいっしょにし、そのため、囲碁の記事とそれ以外の悪い記事とは同じであるとあなたが言うはずはありません。

とてもありえないことです。

新聞の認可をお持ちのおなたは、公義を行なうべきではありませんか。」

主は答えられた。

「もし読売新聞で、わたしが五十の囲碁の記事を見つけたら、その記事のために、その新聞全部を赦そう。」

囲碁ファンは答えて言った。

「私はちりや灰の大衆のひとりに過ぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。

もしや五十の囲碁の記事に五つだけ不足しているかもしれません。

その五つのために、あなたは新聞社の全部を滅ぼされるでしょうか。」

主は仰せられた。

「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五の囲碁の記事を見つけたら。」

そこで、再び尋ねて申し上げた。

「もしやそこに四十の記事が見つかるかもしれません。」

すると仰せられた。

「滅ぼすまい。その四十の記事のために。」

また彼は言った。

「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。

もしやそこに三十の囲碁の記事が見つかるやもしれません。」

主は仰せられた。

「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十の囲碁の記事を見つけたら。」

彼は言った。

「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。

もしやそこに二十の囲碁の記事が見つかるかもしれません。」

すると仰せられた。

「滅ぼすまい。その二十の記事のために。」

彼はまた言った。

「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。

もしやそこに十の囲碁の記事が見つかるかもしれません。」

すると主は仰せられた。

「滅ぼすまい。その十の記事のために。」

その翌日、主が読売新聞を読んだら、囲碁観戦記事は一つしかなかった。

総務省は読売新聞の免許を剥奪し、棋聖戦は潰えた。

宇宙戦艦 - ネルガル

ネルガル級宇宙戦艦第一番艦 「ネルガル」

2065年に就航した世界初の宇宙戦艦。

全面を二重のプリズム装甲により覆われており、プリズム装甲はビームを屈折反射し直撃のダメージを分散する。本艦では全体の86%がプリズム装甲に覆われていた。この装甲の内側には複合装甲が施されている。

装甲の内部には被曝から船員を防御するための銅板があり、その内側には5縦列からなる水貯蔵タンクを配置している。貯蔵された水は、対放射線装甲、ロケット燃料、生活用水として使われた。

動力炉は、二基の小型原子炉があり、この原子炉で発電を行う。発電された電気で水を電気分解し水素、酸素を生成、ロケットエンジンの燃料として使われた。姿勢制御用ノズルは、前後に3基づつ、胴体部に9基。

通常航海は、ソーラーセイルによって行う。地球重力を使ったスイングバイとソーラーセイルによる航行によって地球から月まで3日間で到達可能である(71時間49分)。

探索装置として全天空レーダと可視光望遠鏡、赤外線望遠鏡を保有する。各望遠鏡 (ステレオスコープ) は、1秒で全天空を撮影しメインコンピュータにより瞬時に処理され、光の入射角により相手との距離を算出する。観測精度を高めるために本船の両端8mの位置に配置され、シュモクザメの眼ように取り付けられている。この探索装置は戦闘時には本体近傍に格納するため、戦闘時の遠距離測定精度は落ちる。

兵装は、防御用ミサイル発射口を6門、防御レーザー発射口を2門を装備する。攻撃用に前面部にレーザを4問、ミサイル発射口を1門を装備する。

戦闘形態では、ソーラーセイルおよび望遠鏡は船体に格納され、ロケットノズルだけで俊敏な軌道変更が可能である。

本船には当初、探索用小型ポッドを3機装備していたが、赤外線望遠鏡の能力が向上したことにより廃止された。

戦闘可能時間は、満水時で15時間であり(その後23時間に延長)、これは搭載している水の貯蔵量によるものである。

本艦は、世界で初めて正式に就航した宇宙戦艦であり、実験艦として数々の試験、改装が行われた。就航時から1年2ヶ月の間は僚艦もなく、宇宙でただ一隻の宇宙戦艦であった。2066年7月に僚艦「アルラツ」がテスト航海中に爆発事故を起こしたが、この時は乗員救助に向かい全搭乗員38名を無事に救助している。

2068年6月、小惑星破壊に成功。

2069年4月、3隻からなる宇宙艦隊となり、2071年まで艦隊旗艦を務めた。

2073年12月、輸送艦隊行方不明事件で捜索活動に従事。

2077年9月、第一艦隊から第二艦隊に編制。

本艦は最後まで実戦を経験することなく2082年に練習艦に編成された。

2087年8月26日、航海途中に原子炉事故により自沈。生存者は全搭乗員33名中29名であった。

全長58m、直径32mの円柱型をした宇宙戦艦である。

崖の上のポニョ - 宮崎駿

この映画に死の世界だの母親だのを重ねるのはヨセ。

ある地方に出張に行って、そこの女の子に
うかつに好き、って言ったら

ありゃ、あれれれれ、東京まで来ちまったよ。

こりゃ大変なことになっちまった。

という、宮崎駿の実体験が元になったドラマだぜ、きっと。

で、結局、宗介はちゃんとポニョを受け入れたんだけど、
駿は、彼女を鈴木敏夫プロデューサーの愛人にして事なきを得たんじゃないですかね。

その汚れちまった悲しみを映画にしたんだと思いますよ、僕は。

所で、ポニョを狂言でやったらきっと素敵だと思うんだ。

原罪のお話し

キリシタンってのは、生まれながらに原罪を負ってるとかいうけど

そんなの誰だって、もう十分に罰は受けているよな~

毎日毎日、うんこしなきゃいけないんだもん。

これ以上、試練を受けなきゃいけないなんて、大変な宗教だ。

もうね、疲れた。

毎日毎日プリプリと。

そういうのが好きって人もいるんだけど

それは結局の所、神への信仰心なわけでしょ。

神から罰を受けることで神の存在を証明しているわけだし

少なくとも自分は神との繋がりを実感できるわけだもの。

仏教でもさ、悟りを開いた所でうんこがなくなる訳でもなし。

もう、あらゆる生命の基本だからね、うんこってのは。

ほんと大変だよ、うんこするってのは。

んじゃ、今から行ってくる。

2012年4月10日火曜日

魔法使いのお話

魔法が使えなくなった魔王がいました。

この魔王は、昔は絶大な力をもっており、他の王様や民を支配しておりました。

いったん、魔法が切れても、誰もそれに気づいていない事をよいことに

ずっと、影響力をもとうとあちこちに顔を出しています。

みんなは、恐れおののき、未だに彼の怒りを恐れています。

たしかに、魔法使いが復活してしまうとこの世は破滅となりましょう。

けっして、あのことを誰にも悟られてはなりません。

なぜなら、魔法使いは、過去の記憶に訴えるしかないからです。

かつての部下たちは、そのことには気づいていません。

しかし、魔王はそれをすでに知っています。

ねずみが鳴くまでに、全ての仕事を終わらせようと焦っています。

Stillness. The voice of a cicada sinking into rocks.

Quietness.
Around the rocks to be the world,
The crying of the cicadas disappear.

2012年4月5日木曜日

政府事故調 - 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告
http://icanps.go.jp/post-1.html

これは2011年に日本語で書かれた文書のうちでは最も重要な一つだろう。少なくとも作成者たちにはそういうつもりで書いたであろうし、読めばそう感じる。

これはもう一つの文学だ。いっそ小説にしてくれればいいのに。そういう感想が浮かぶ。

3.当委員会の基本方針

基本方針、ポリシーは困った時に必要となる。その存在が自分自身の矛盾と対話し検証する視点となってくれるから。

事故当初に重要な役割を果たした非常用復水器。これを巡っての混乱とお話は報告書としても読み物としても第一級のものだし示唆に富む。

報告の混乱と言えば坂の上の雲での乃木第三軍の報告の挿話を思い出す。

戦争における報告の重要さは、太古から今も変わらない。情報は錯綜、誤報、混乱する。情報は常に等しく不確かである。

それを時間軸で並べ検証を重ね情報の取捨選択を繰り返す。捨てたものを拾い、拾ったものをまた捨て、その繰り返しで組み立ててゆく。

それが言わばストーリーだ。ある時には存在しない情報を仮定のもとで作り上げてみる。時には矛盾する情報を突き合せて合理的な判断はどうであるを探る。

先日、出鱈目なストーリーを作り上げた検察官の裁判が行われた。その被害に合ったのが政治家だったのがまだ救いである。無辜の国民であればその罰は一人の命程度では償えぬ。

それが原子力発電所事故で起きれば被害の程は尋常では済まない。スリーマイル島もチェルノブイリも事故の切っ掛けはストーリーの読み違えだった。

報告は混乱に比例して混乱するものだから軍隊での報告は一つの参考になるだろう。だが僕はそれを知らない。

報告は、する側よりもされる側の方がより多くの難しさを持っている。聞く方が欲するものを普段から発信していなければ書く方だって何を書けばよいか分からない。

事実が分からない中での報告の書き方で誤解を与えにくい、要領を得る、取捨選択が行える、後から思い出せる、そういった書き言葉のあり方については常に考えておいて損はない。報告書とはどうあるべきかをもっと考えておく必要がある。

本当の混乱の渦中では報告は悲鳴で上がってくる。 文章などに残らない、それが更に混乱に拍車をかける。


Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処

このレポートには、「合理的」、「推認」、「考え」、「判断」の語句が頻繁に出てくる。 当時の状況で合理的な判断であるなら今から見ればそれが誤りであっても責めることは出来ない。 この一点において彼らは検証を重ねている。それは自分がその立場にあってその責めは妥当かと問う事に等しい。僕はこの立場を完全に支持する。

もう一度同じ事を繰り返した時にそれは回避できたか、それとももう一度同じ事をやってもやはり同じ結果に終わるかは大切な視点であろう。

ヒアリングから時系列に事象を並べながら一つ一つ検証する。その判断はその時の状況から見て合理的であるか、その考え方は後からみても妥当と考えうるか。

結果ではない、その時々の合理性こそが勝負の分かれ目であり、今から問われなければならない。

時系列に並んでいるので、このレポートはそのまま24のドラマになる。しかしこの報告書は紙のレポートの電子化に過ぎない。

そのため建屋がどうなっているのか、それぞれの位置関係はどうなっているのか、もっと理解しやすい電子文書にしつらえる事は可能ではなかったか。読み物とすればそこまでの理解は必要ないが、報告書として見るならば電子媒体としてもっと工夫した資料が用意できると思う。

例えば、建屋を3Dで見せ、時系列的に誰がどこからどこに移動したのか、その時、誰はどこにいたのか、その場の放射線量はどの程度の汚染だったのか。これらをアニメーションにして見せる事は可能である。歩いた経路、位置、時間帯などを時系列順に並べ静止した図面ではなくコンピュータによるシミュレーションにする事は可能であろう。

2012年4月4日水曜日

民間事故調 - 福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書 之2

最初に手にとって数行を読んてみた。まるで日本書紀のようではないか、と感じた。

この事故については日本書紀のような記録と古事記のような物語の二つが用意されるべきだと考えている。政府、国会、民間、それに個々の研究者によって日本書紀が揃う事は疑いようがない。だれが古事記の稗田阿礼となるや。

購入して読んでいく内に、これは東京電力を陸軍にするつもりではないか、と感じた。このような感想は文章のちょっとした箇所で垣間見れる表現に対して敏感に湧いてくるものである。

事故は、政府も東京電力も福島第一発電所でさえも誰も正確な情報など持っていなかった。それ所ではない、最前線で作業する人達でさえ何が起きているかを知り得ていない。岡目八目と言うが遠くから見ている者も何が起きているかまるで分かってはいなかった。

この様な状況に生きている間に立ち会えるなどそうそうはない。と思ってみたりもしたがそんな事もないか。生きていればそんな事、大きい小さいの違いはあれども出会ってばかりだ。

本質的に言うなら人は何時でも正確な情報など持ち得ない、それは原理的な迄に。普段の状況ではそれで致命的にならないだけでより過酷な状況ではそれが命取りになる、シビアアクシデントと呼ばれる訳である。

誰もが自分に出来ない事を人に要求してはならない。というのは正しいとは言えないが、出来ぬことを要求するのであれば、見返りが必要だ。自分がその場に居たとして、当事者よりももっと上手くやれたのだろうか、と問うてみる。自分なら出来た、と言える正直ものは幸いだ、馬鹿ではないから。

当事者には振り返って後悔をする権利がある。長い間、思い返しては身震いするような後悔というものを幾つも持っていないようならそれは嘘だろう。正直であれば、誰も自分に責任がない、とは言えない。しかし、責任を負うて生きてゆける程に誰も強くはない。誰もが自然に記憶を作り出してしまう、それを非難出来る者などどこにもいやしない。

その上で、責任も罰も問わない、次に繋げるために語ってくれ、と言ったのが政府事故調である。この報告書の「Ⅰ はじめに」は大変に良く出来た文章であって一つの名文ではないか、とさえ思う。

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の報告書
http://icanps.go.jp/
http://icanps.go.jp/post-1.html
http://icanps.go.jp/111226Honbun1Shou.pdf

坂之上の雲に次のような台詞がある(巻5、頁126)。

そういう砲牆づくりは、いくさが終わってからやれ。いまはいくさの最中だ。

最終的に報告書というものは常にそういう類いのものだ。考えられる限りを網羅し、それぞれを点検する、提言する。事故対応に問題があるのと同じように、報告書にも問題は残る。過酷事故の対応には問題が見つかったが検証報告は完璧である、は有り得ない。

基本的には、事故を起こした当事者達に批判的であろうとする。この理由は平明で批判的でなければ馴れ合ってしまう恐れがあるからだ。誰かを庇い、同情し、恣意的に見方を変えてしまうことを怖れる。

それを実現するための方法には幾つかある。最も効果的な方法の一つが、敵対する勢力に調査させるものだ。この方法は強力なバイアスと公正さで疑問の残る方法だが一つの指標になる長所がある。敵対する勢力からの批判をも網羅した報告書であれば、視点に欠けた所が少ないと言う事だ。少なくとも今回の事故の報告書では原子力発電所に反対する人達の疑問点や意見を網羅しておく事が肝要であると考える。

政府事故調は、当事者の責任を追及しないと言うスタンスを取った。この事故調査は、独立した第三者、民間という視線で見るという方法を取る。この視線の肝要な点は、政府からも東京電力からもバイアスが掛からない事を立場として宣言している事だ。

であるからこの報告書が正しい、という話しではない。報告書はこうして己れの立場を説明し公正さを説明しようと試みている。これらの報告書は当然、これから稼働しようとする原子力発電所のストレステストにも影響を与えるべきである。

少なくとも、他の原子力発電所では以下の点をクリアする必要がある。

東日本大震災と同程度の地震と津波を受けた場合に発電所の被害はどの程度と予想されるか。その結果、福島第一発電所よりも被害の激しい場所は再開を再考する必要があると考えて良いだろう。

次に外部電源の喪失、ディーゼル発電機の故障、非常用復水器(IC)の停止。この状況から復旧する手段が何通り用意されているか。それぞれはどのような状況まで使用可能であるか。これがなく、またロバストネスが弱い場合は再考が必要であろう。

更に緊急時のベントが必要となった場合、どの程度の放射能汚染が想定されるか。福島第一発電所も放射性物質を取り除いた上でのベントをする機構が備わっていた。しかし今回はそれが使えない状況でのベントを行ったために被害は尋常なく広がった。これと同じ事が起きないためにフィルターなどの設置が必要であろう。

このような疑問に対してコストや現実性に関する議論がいる。勿論、地震や戦争がもたらすもっと破壊力の甚大なケースも想定される。どこまでを考慮しどこからを捨てるのか、どのような破壊の時に更に激しい被害が生じるのか、研究と対処が必要であろう。

しかし、大量のエネルギーを消費する国家において原子力の利用は避けては通れない課題である。また我々は将来、宇宙へと行く。その時に原子力は依然として有望なエネルギー源である。研究を途絶えさせてる事が我々にとって必ずしも良い事とは思えない。

敗戦が戦争を放棄させたように、事故が原子力を放棄させるのか。それが正しい結論であると言い切る自信は僕にはない。逆に歩みを止めるなという思いの方が強い。しかしそれが原子力に取って代わる新しいエネルギー供給の技術開発が停滞してよい理由にはならない。石油が枯渇しないとしても我々は天然の石油への依存からは脱却する方向に進むべきだ。

風力、太陽光、太陽熱、地熱、マントル、海流、波力、潮力、振動、あらゆる運動や熱源が代替として研究されている。炭化水素を生成する藻(石油を作る藻)の発見、実用化、などこの事故は確実に我々の背中を押している。もし後押しされても動き始めないとしたらこの災害で亡くなった方々はどうやって成仏すればよいのか。

新しく踏み始めるその一歩はそのまま念仏でもあるのだ。
大地を踏みしめるその足音はそのまま祈りの言葉でもあるのだ。

所詮は蒸気でタービンを回す機械である。薪であろうが、原子力であろうがやっている事に変わりはない。こういう問題について考える切っ掛けをこの事故は与えてくれたし、これらの事故調査報告書があるから、我々も色々と思いつき考える事が出来る。


勝負は戦う前についている、とは孫子の言葉であったか。同様に、この災害は起きる前に勝負はついていた。あの施設ではどうあっても斯くの如し。

それでも消防車のポンプから給水するラインを設置した後でこの事故が起きたのは幸いであったろう。もしそれが設置される前にこの地震が発生していたらと考えてみるのは無駄ではない。

起きる前の有罪がある、起きてからの有罪がある。
それを十分に検証する態度は全くに正しい。

菅直人の長所は同時に短所でもある、と言うような事は分かりきった事ではないか。ここは長所であった、ここは欠点であるから改めなければならない、とする。こんな平易過ぎる結論があろうか。それは一人の人間を人間であってはならない、と言うのに等しい。

後から見れば、欠点は幾らでもある、それは次に向けて見直すべきだ。そう、それはいくさが終わってからやればいい。

個人の問題をどれだけ追及しようが此れ程の大規模事故ではたかが知れている。一人で何かができるような状況は既に超えている。誰もが濁流に飲み込まれてそこで足掻いていたのだと思う。

我々のシステムは欠点を持つ、それは過酷事故で表出する。個人で背負いきれないから組織がそれに対する。詰まる所、この事故について調べるというのは、我々の組織について考える事と同じだ。我々の組織は、この事故とどう向き合ったか、だけではない。事故の起きる前から組織としてどう向き合っていたか。

では日本の組織とはどのような性質を持つものであろうか。それを検証するには、アメリカやヨーロッパと比較してみるのがいいだろう。

例えば、アメリカやヨーロッパは個人主義であって家族と暮らしたい、看病したい、リタイアする、と言った理由で会社を辞める。日本では考えられない話だ、日本は組織で動くから大きく違うというイメージがある。

しかしこの見方は全く逆であるように思われる。日本は元来が組織的ではなく、多くが個人に依存して出来ている。組織的と言うのは、人を部品のように置き換え可能であるものを言う。そのための仕組みが出来ている体制を組織と言う。ヨーロッパやアメリカでは、これがしっかりと出来ている。マニュアル化、手順書、連絡等のルールを決め、それを徹底して標準化する。

何故、標準化しそれを皆で徹底するのか。個人に依存しないためである、誰かが辞めた瞬間に何も分からなくなる事を怖れるが故である。標準化を徹底すれば、それを知る者であれば、置き換え可能である。有能、無能の差など標準化の前では小さな差に過ぎない。

一方で日本の組織はそうではない。人間は置き換え可能ではない、何も知らない所から育て、経験させ、成長し、一人前になる頃には本人の個性と相まって、もう置き換え可能な人材では無くなっている。日本の会社は共同体であると言うが、逆に言えば、それ故に組織的ではないのである。個人の違いに非常に敏感であり、置き換える気もない。共同体であるが故にそこから抜け出すのも困難であり、それは組織的とは言わぬ。

ヨーロッパが組織的であるなら、個人的な繋がりで組織を作ってきたのが日本である。そのどちらがよいか、ではない、日本は古来から個人を中心に動いてきた、と言う事だ。これらの違いが言語によるものなのか、歴史によるものなのか、宗教によるものなのか。

アメリカの大統領は4年できっぱりと止め残りの人生は自伝を書いたり講演で暮らす。日本では総理大臣を止めた後も政治家であり続ける。これは民族性の違いであろうか、勿論、そこには組織の違いが影響しているのだ。本来、組織に於ける地位や階級は実効力の為にある。ある目的を成すために地位を与える。

そこで力を発揮するために彼の下には階層構造の人間のピラミッドが生成される。彼はどのような人をどこに当て嵌めるかを自分の権限で行う。組織が円滑に動くためにも嫉妬は恐ろしいものだ。無茶は出来ないが自分に与えられたジョブをこなせないと考えるなら大鉈も振るう。そういう事を加味しながら人を配置してゆく。

世界には様々な利点と欠点を持つ組織がある。もし同様の事故がアメリカで起きれば、ヨーロッパで起きれば、中国で起きれば、中東で起きれば。そういう事を考える事も、もう必要な時であろうし、そのためのシナリオが一つ生れたんだ。

爆発したチェルノブイリ原子力発電所と爆発しなかった福島第一原子力発電所で少なくとも二つの異なる発電方式で起きる事故のシナリオを持つに至った。これは世界中でシミュレーションされるべきもので、報告書はそのための重要な資料となる。

組織としてどうであれば、このように酷い事にはならなかった、と議論してみるのも悪くない。だが、それは恐らく次の If には使えないと思う。我々の社会も組織もその If で動きが変わる程には幻想的ではない。どのような動きにも合理性と効率性があり、そこに対して我々は私達の組織として対応してきた。

アメリカでは考えられない、それもそうだ、だがアメリカでも、日本では考えられない様な失敗を幾つもしているのである。お互いに相手の失敗を見て笑うのは良い事だ。だが、相手の失敗を我々は繰り返さない、と言う事は相手が夢想だにもしない失敗を我々はする、という事でもあるのだ。

人をどうやってコントロールしてゆくかは組織としての在り方に影響を与える。我々の社会は、組織は、災害の前で敗北を喫した。勿論、何もしていなかったわけではない。建設から40年も経過した原子炉に対して安全性は建設当時と比べようもなく遥かに高くなっている。たゆまず改修してきた経緯が存在するのだ。

堤防に対する見直しも始まっていた。それについて議論し始めたその矢先に大地震が起きた。自然は我々の歩みを待ってはくれなかったのである。もっと早く動いていたら、という悔いは残る。速く動けなかったのは、我々の組織の在り方の問題であろうか。

そこが上手く分からない、振り返れば転機は幾つもあったはずだろう。そこを素通りしてしまった。それは僕達が愚かだったからか、組織の構造が抱える欠陥であったか、人材が不足していたからか、他の国ならこうはならなかったのか。

過去に学ぶとは案外と難しい。今なら簡単に指摘できるような事が当時は誰の耳にも届かなかった。未来を見せて説明すれば誰もが納得する事に、当時は誰も疑いを持たなかった。

それは、今も変わらず同じだろう、と言う確信だけはある。我々の前にあるものは、目にはっきりと見えているようで、実は暗闇の中らしい。

さて、僕は菅直人が総理で良かったと思っている。と言うか起きた事は一度きりである、取り返しはつかない、と言う事をまざまざと味わっている。

目が覚めたらあの時に戻っていてほしい、今さら、もしあの時に、と言ってどうにかなるようなら、幾らでも反省すればいい。だが、どれだけ見つめようとも時間は巻き戻らない、それが得心できれば反省などに何の意味があるだろう。

ただ落ちた木切れを拾い集め、家を建て直して行くしかないのではないか。想う所もある、悔しい所もある、合点がいかない所もある、どうしても知っておかなければならない事がある。

そのためにこの報告書がある。

それをそれぞれの人が追及するために存在する数多の報告書の一つがこれである。

民間事故調 - 福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

新聞で取り上げられて有名になった一文がある。これについては当の発言者がツイートを行っているし、それとセットで読むべきものであり、新聞だけを読むべきではないと思うからここに纏めておく。

「必要なバッテリーの大きさは?縦横何m?重さは?ということはヘリコプターで運べるのか?」
などと電話で担当者に質問し、居並ぶ秘書官らを前に自身で熱心にメモをとっていた。
こうした状況に、同席者の一人は
「首相がそんな細かいことを聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」
と述べている。

以下がこの発言者である下村健一内閣審議官のつぶやきである。
http://twitter.com/ken1shimomura
こちらでも纏められている。
http://togetter.com/li/267562

2012/3/4
【原発・民間事故調報告書/1】
400頁以上の大部、日々少しずつ精読中。
3章「官邸の対応」、4章「リスクコミュニケーション」、
付属資料「最悪シナリオ」の部分を中心に、コメントしていきたい。
目的はただ一つ、微力ながらも《本当に有効な再発防止策》に近づく為。立ち会った者の責任。

【民間事故調/2】
まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。
必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。

【民間事故調/3】
私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。
そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。


【民間事故調/4】
実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。
「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。

【民間事故調/5】
それが、3・11当日の総理執務室の現実。確かに、こういう張り詰めた時の菅さんの口調は、慣れていない者を委縮させる。
それは30年前の初対面の頃から感じていた問題。しかし、「だって怖かったんだもん…」という幼稚園のような言い訳が、国家の危機の最中に通用していいのか?

【民間事故調/6】
この部分、他の証言も総合して、報告書はこうまとめている。
「菅首相の強い自己主張は、危機対応において物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を委縮させるなど心理的抑制効果という負の面の両方の影響があった。」 この評価、私も同感。《以下明日以降》

2012/3/5
【民間事故調/7】
報告書P.77「官邸が電源車を用意手配したにも関わらず、11日夜から12日にかけて電源車に繋ぐコードが無い等の報告があり…」⇒これ、私も見ていた通り。
この文から2つの事が判る。つまり、総理室詰めの技術陣は電源車の手配にも即応できず(だから「官邸」が手配)、更に…

【民間事故調/8】
「電源車が現場に到着したら、電気を原発側に送るコードが要る」ことにも前もって1人も気付かなかった。
この後も、こうしたトホホは信じ難いほど続く。当時の私のノートの走り書きより:「うつむいて黙り込むだけ、解決策や再発防止姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者」

【民間事故調/9】
一方でノートにはこんな殴り書きも。
「Kに冷却水が必要」…Kとは菅さんのこと。危機が刻々募る中、技術陣の無様さに、次第に総理のテンションが高じていったのも事実。あそこは優しく彼らの硬直を解いてあげるのがリーダーの務め。…私がその立場でも、それができた自信は無いが。

【民間事故調/10】
自分だけ冷静だったように振り返るのはフェアじゃないから、正直に言う。
私自身、あの時は人生最大の緊張状態にいた。眼を合わせない専門家さんに、「頼むから、1つの作業が始まったら、次に何を備えなきゃいけないか、先回りして考えて下さい!」と懇願したのを覚えている。

2012/3/7
【民間事故調/11】
当時の激動の渦中で、私を含む当事者は皆《自分が体験したアングル》だけであの時の出来事を一面的に認識し、それが真相だと銘々に信じている。しかし、仮に1人も嘘をついていなくても、その証言は至る所で食い違う。我々は誰もが、全貌が見えぬ相手と闘う蟻でしかなかったのだ。

【民間事故調/12】
だから、色々な立ち位置にいた“蟻”達の証言を後で総合し全体像をつかむことは、《何があったのか》を知り再発防止策を作る上で、決定的に重要だ。私が事故調のヒアリングに全面協力したのも、今こうしてツイートで補完しているのも、そういう理由から。続いて報告書P.79⇒

【民間事故調/13】
震災翌朝。福島の現場では、東電本店との電話で「吉田所長が首相の突然の訪問予定に…『私が総理の対応をしてどうなるんですか』と激しいやり取りをしていた。」これは、来る菅への怒りか?(世間の見方) “総理対応はそっちの役割だろう”と本店を怒ってたのか?(私の見方)

【民間事故調/14】
なぜ私が後者の見方をするかと言えば、それが当時官邸にいての実感だったから。
目の前にいる面々にいくら訊いても情報も判断も出て来ないなら、直接現場に行くしかない。で、実際、菅・班目氏らと現場に行って感服した。吉田所長は、総理を迎える態勢など、何も取っていなかった。

【民間事故調/15】
この視察は儀式ではなく、状況把握作業だ。
どうか本末転倒な歓迎準備になど人手を割いていませんように、と案じながら到着してみると、歓迎の人垣の代わりに建物内で総理を迎えたのは、毛布にくるまって廊下にゴロゴロ転がる疲れ切った人の群れだった。我々は、その隙間を進んだ。

【民間事故調/16】
間近な最前線での闘いから時間交代で戻って来て、ぐったり仮眠しているその人達は、10cm横を今総理が歩いていることなど、全く気付いていなかった。その《総理扱いの放置ぶり》に、「ああ、これなら作業のお邪魔は最小限で済んでいる」と私は安堵した。そして会議室へ。

2012/3/9
【民間事故調/17】
報告書P.79◆福島の会議室で東電副社長が、ベントできぬ理由を「電力が無くて電動弁が開けられないと説明すると、(菅首相は)『そんな言い訳を聞くために来たんじゃない』と怒鳴った」…確かに、Whyに答えたら“言い訳するな”と叱られた、というのは理不尽にも見えるが⇒

【民間事故調/18】
やはりあの場面は、「電力が無くて電動弁が開きません」オワリ、じゃなくて「だから次は○○という方法を試みます」と続けるのが、責任ある者の答だろう。あの緊迫の数日、前者のような、次の一手の提示を伴わない単なる「出来ません」発言を、どれだけ技術系から聞かされたか…

福島原発事故独立検証委員会を読むなら、下村健一内閣審議官の発言を読んでからにした方がいい。