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2013年9月25日水曜日

ルパン三世 カリオストロの城 - 宮崎駿

プロットチャートというものがある。プロットの雛形を定義しておき、そこに具体例を記入してゆく事でひとつの物語を作成するものである。テンプレート、パターンという考えで作られている。

物語、または映画は、音楽とよく比例される。これは時間芸術という表面的な時間が流れる側面の類似だけでなく、テーマと展開、音楽ならば和音やメロディが展開されひとつの音楽をなし、物語なら登場人物や事件が展開してひとつの映画となるように構造上の類似を持つからである。

基本的なプロットチャートは以下のものである。ここではルパン三世 カリオストロの城を具体例として展開する。ルパン三世 カリオストロの城は物語を作る人の教科書である。このプロットチャートも正しくはカリオストロの城から抽出したものである。

プロットチャートはフラクタル構造である。全体の構造と各場面の構造が同様なのである。プロットチャートの階層構造もその次で示す。小さなプロットチャートを並べ(加算)たり、順序を入れ替えたり、省略したり、ふたつを同時進行(スレッド化)させるなど応用と工夫により物語は構成されている。

プロット類似説明
1背景風景、景色時代、地域、地理
2人物顔、身体、制服男か女か若いか年寄りか。
3状態仕事、能力、地位、立場、階級、組織いま何をしているのか。考えているのか、戦っているのか、歩いているのか。
4事件、事故、問題、疑問、秘密異変、トラブル、問題、悩みが起きる。
5窮地不利益、失敗、敗北、ピンチ、絶体絶命将来が分からない状態に陥る。
6脱出逃走、撤退、脱出、救助、交換何かを交換、提供する事で窮地から脱する。
7再起対策、新生、特訓、出発再起を図るために行動を起こす。
8対決対峙、決闘、決戦、告白再び問題と相見える。
9解決勝利、敗北、和解問題に決着を見る。
10結末後日譚エピローグ。残った伏線の解決など。

プロットは物語の推移を示すが、不足しているものもある。観客の視点、キャラクターのセリフ、細部などである。当然ながら細部を埋めていくうちに全体のプロットが変更される事もある。このようなチャートを実際に作るかどうかは別として、必ず頭の中にこういうものがあって、それを使って仕事をするはずである。プログラムのフローチャートや頭の中の碁盤などと同様である。

プロットカリオストロの城
1背景ルパンがゴート札と出会いカリオストロ公国に入る
2人物ルパン、クラリス、伯爵
3状態クラリスを助けようとする
4伯爵がなぜクラリスと婚約しようとしているのか、ゴート札の秘密、指輪の謎
5窮地ゴート札の秘密を掴むもルパンが撃たれる
6脱出指輪とクラリスを奪われるかわりに脱出に成功する
7再起ルパンとクラリスの関係を告白
8対決大司教に化けてクラリスと指輪を救出
9解決指輪の謎を解き、伯爵は時計台にて死亡する
10結末なんて気持ちのいい連中だろう

細部にも同じ構造が成立する。

例えば冒頭シーン。
プロット国営カジノ
1背景現代社会
2人物ルパン、次元
3状態国営カジノから大金を盗む
4ルパンが急に黙り込む
5窮地お金が偽札と気付く
6脱出お金を全部捨てる
7対策
8対峙
9解決タイトル
10結末

例えば物語の前半。
プロットルパンが撃たれるまで
1背景カリオストロ公国に入る
2人物ルパン、次元
3状態クラリスの逃走に出くわす
4追っている連中の強さ
5窮地クラリスを助け出すが気絶する
6脱出指輪を受け取るがクラリスを奪われる
2人物影に急襲される
3状態カリオストロ城に潜入する
4クラリスがどこに捕らわれているのか
5窮地クラリスに指輪を返すが地下に落とされる
6脱出クラリスに渡した指輪は偽物
3状態城の地下
4ゴート札の秘密と地下の関係
5窮地地下からどうやって脱出するか
6脱出指輪を奪い返しに来られるのを逆襲
3状態偽札工場
4
5窮地工場に火をつけ混乱を起こす
3状態オートジャイロ
4
5窮地クラリスの救出に向かう


キャラクターの造成
キャラクター説明
1主役主人公。話しの中心を占める。ルパン
2ヒロイン女性の主人公。クライス
3敵役敵対する、対立する。カリオストロ伯爵
4仲間主人公の窮地を救う。次元、五右衛門
5ライバル敵と味方の中間に存在する。銭形、不二子
6ガイド/コンパスリアリティを統べる者。
物語の世界観、常識を成立させる。
銭形、次元

キャラクターの中でも注意すべきが物語にリアリティを与える存在である。リアリティは物語を成立させる肝である。物語は虚構であり、観客は物語の導入部から虚構の中に入り込み、何時しか虚構である事を忘れるのである。その忘れるために必要となるのが物語の中へ連れ込む役割をするナビゲータである。物語に観客がのめり込む事ができるのは導線となるそれらのキャラクターが常に観客の側に寄り添っているからである。

虚構の世界においてリアリティの基準となるモノ、その世界の常識を体現するモノが存在する。そのキャラクターが当たり前と受け止めるものを観客も当たり前と受け止め、彼/彼女が驚く所を同様に驚く。その世界における正常と異常の基準となり、判断基準になり、虚構の中のリアリティを指し示すコンパスの役割を担うガイドとしての存在、その世界のスタンダードとなるナビゲータがいる。

ルパン三世でその役割を担うのは次元と銭形である。次元がいるからルパンという人間の虚構はリアリティに変換される。そして泥棒という立場にリアリティを与えるのは銭形である。個人としてのリアリティと社会におけるリアリティのふたつを与えている。このふたりが当たり前に振る舞うことによって観客はルパンのリアリティを疑いもしないわけである。

どのような現実であろうが、虚構であろうが、リアリティを与える人、モノ、組織、が存在する。その人物が登場した瞬間に世界はリアリティとなり、観客をスクリーンの中に誘うのである。ピーターパンだけではただの虚構だが、ウェンディに見えるものは観客にも見えるのである。

マジンガーZのリアリティは兜十蔵であり、その役割を弓教授が継ぐ。このマッドサイエンティストにリアリティがあれば物語はリアリティに変ずる。宇宙戦艦ヤマトのリアリティは冥王星沖海戦である。あの海戦がリアリティならば物語は成立する。ダンバインのリアリティは、最初はバイストンウェルを走る HONDA GOLDWING が支えた。その先でマーベルが中心となって担った。

これらのキャラクターが虚構の世界の案内役だ。観客が味わう違和感や疑問に回答する役割を担う。彼が、彼女が、受け入れているのならそういう世界なんだと観客に納得させる仕事を担っているのである。


物語の思想性
物語は往々にして作者のメッセージを持つ。それは着想であったり作者の見たシーン、始まりであり終わりにくるべきもの、それを見たから物語を思い立ち、それを観客に見せる事で終焉するという、物語の動機そのもの。

それはプロットチャートが語るものではない。だが人間たるもの、優れた音楽家は野辺の石ころでさえ楽器に変えるであろう、風の音でさえ音楽たらしめるであろう。作家たるもの、どのような物語にでも想いを投じられない訳がない。

それは言葉で語れない。言葉に出来るなら人は言葉で残す。そうできないから音楽も絵画も映画も漫画も小説も詩も存在する。

さて映画のラストである。

なんと気持のいい連中だろう

何が気持ちのいい連中なのか、それが言葉で説明できないのである。

2013年9月9日月曜日

分数の掛け算は足し算にできるか?

掛け算は足し算にできると習った気がする。いや逆か?足し算は掛け算に出来るだったか。

5 * 3 の場合

例えば 5 と 3 を掛けるは、5 を 3 回たす事と言える。

5 * 3 = 5 + 5 + 5 = 15

1/5 * 3 の場合

分数でも同様だ。

1/5 * 3 = 1/5 + 1/5 + 1/5 = 3/5

1/5 * 2/3 の場合

では分数同士の掛け算はどういう足し算だろうか?

1/5 * 2/3 = ????? = 2/15

分数の掛け算の意味は何だろうか。2/3 を掛けるのは、2/3 を足すという意味ではない。2/3 回たすの足し算はどんな形の足し算になるのだろうか。

5*1 の場合

5 * 1 の掛け算は 5 を 1 回たすことである。1 回たすとは 5 を足すことではない。0 を足すことである。5 + 5 は 5 * 2 である。

5 * 1 = 5 + 0 = 5

5 * 0 の場合

5 * 0 の掛け算はどういう足し算になるだろうか。

5 * 0 = ????? = 0

5 * 0 の掛け算は次の足し算と結果が等しい。

5 * 0 = 5 - 5 = 0

1/5 * -2 の場合

0 を掛けるとは、5 を引くことである。つまり 0 より小さい数の掛け算は引き算になる。

1/5 * -2 = (1/5 - 1/5) - 1/5 - 1/5 = 0 - 1/5 - 1/5 = -(2/5)

掛し算と足し算の関係

5 * -25 * -15 * 05 * 15 * 25 * 3
5-5-5-55-5-55-55+05+55+5+5
3回ひく2回ひく1回ひく1回たす2回たす3回たす
掛け算は 0 の位置に、足し算は 1 の位置に 0 が出現している。こうしてみると1未満になった所、0と1の間、から引き算に変わっているようだ。

引き算と足し算の関係

なお、引き算は次の足し算に出来る。
(1/5) + (-1/5) + (-1/5) + (-1/5) + (-1/5)

足し算の形にする利点は前後をひっくり返しても答えが同じ点が挙げられる。引き算の 5-3=2 と 3-5=-2 は違う答えだが、5+(-3) と (-3)+5 は同じ答えである。

分数の掛け算

分数の掛け算に戻る。

例えば 1/5 * 1/3 は 3 回足したら元の数になる数と言える。

1/5 * 1/3 = x とした時、x + x + x = 1/5 となる値である。

この x を足し算で求めるにはどうすればよいだろうか。掛ける数とは足す回数を示す。だから 2/3 とは 2/3 回だけ足すことである。それをイメージすることは難しい。だが 2/3 回だけ足すなら、どこかに 2 と 3 が出現する足し算のはずである。そして 1/5 * 2/3 は 次の足し算で記述できる。

1/5 * 2/3 = (1 + 1) / (5 + 5 + 5) = 2 / 15 = 2/15

分数の掛け算は分母と分子をそれぞれで足し算にする。これは整数の掛け算も同様だ。

5 * 3 = 5/1 * 3/1 = (5 + 5 + 5) / (1 + 0) = 15/1 = 15

分数の分母と分子

分数の分母と分子は別々で扱うのである。なぜ分母と分子は別々に掛けて良いのだろうか。

それは (1/5) * (2/3) のような掛け算と割り算は、頭から順序良く計算しても結果が同じだからだ。
(1/5) * (2/3) = 1 / 5 * 2 / 3 = (1 * 2 / 5) / 3 = 2 / (5 * 3) = 2 / 15

これが計算順序を変えると一致しない。
1 / (5 * 2) / 3 = 1 / 10 / 3 = 1/10 / 3 = 1 / 30 = 1 / 30

A/B という形は、ひとつの分数であり、割り算であり、掛け算でもある。2/3 を掛けるとは、2 を掛けてから 3 で割ると考えてよい。これは 2 を掛けてから 1/3 を掛けると同じである。つまり、全てが掛け算の形になる。

1/5 * 2/3 = 1 * (1/5) * 2 * (1/3) = 1*2 / 5*3 = (1+1) / (5+5+5) = 2/15

分数とは

分数とは、掛け算、割り算が混合しても頭から計算すればよいように記述された形と言える。

(A/B) = A / B = A * (1/B)

これは A / B * C / D を AC / BD としても良いことを示す。これで割り算を掛け算に変換できた。これらの操作は掛け算の順序は任意に自由に入れ替えても良いから出来ることだ。

AC / BD = (A * C) / (B * D) = A * C * (1/BD) = A * C * (1/B) * (1/D) = A/B * C/D

割り算 24 / 12 は 24 / 12 = (4*3*2) / (4*3) = (4*3) * 2 / (4*3) = (4*3) * 2 * (1/(4*3)) = (4*3)/(4*3) * 2 = 2 のように掛け算に変換できる。

これらのことから分数とは、掛け算の中に上手に割り算を隠す方法のひとつと理解できる。

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割り算 In this Site

2013年9月3日火曜日

方丈記 - 鴨長明

あはれさを時代のスタイルとみ、これを人の連綿と続く力強さとして私訳す。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかき卑しき人の住まひは、代々をへてつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

あしたに死し、ゆふべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。又知らず、仮りの宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじと住みかと、無常をあらそひ去るさま、いはば朝顏の露にことならず。

或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。

川は絶えることなく流れる。その水は同じではないけど。よどみのうたかたは、消えては生れ同じものはふたつとない。これは僕たち人間の姿だ。人もその生き方も同じものはふたつとしてない。

摩天楼の都会の中にビルが聳え立つ。ステータスを高めようと競い合う人がいる。いつの時代も裕福な人も貧乏な人もいる。その移り変わりは激しく、貧乏な人が金持ちになったり、金持ちが没落したり、そんなの驚くに当たらない。街は移り変わってゆく。移り変わっても街はそこにある。人も街もともに移り変わる。昨日いた人が今日は消え、昨日いなかった人が今日はここにいる。

人が死に、生まれるのは自然の習わしであって、まるで川のうたかたのようだ。生きている意味など誰も知らない。自分がどこから来て、どこへ行くのかなど。宇宙から見ればこの星で起きていることなど一瞬の出来事だろう。そんな世界で、誰かのために頭を悩まし、映画を作り、ほんの少しの笑顔に生きる。まるで朝顔についた露のようだ。

露は消え、花だけが残るかも知れない。花が枯れ、露だけが残るかも知れない。そんなあはれではかない存在に見える。しかし。例え夕べには消えさるとしても、生まれ、生き、誰かと繋がり、誰かを支えている。それを連綿と人は続けてきた。川のように。川は今日も流れている。

およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋を送れる間に、世の不思議を見ることややたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きて静かならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で来たりていぬゐに至る。

はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよが程に、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病(舞?)人を宿せる仮屋より出で来けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇を広げたるが如くすゑひろになりぬ。

遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら炎を地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつつ移り行く。

その中の人うつつ心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。

七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六焼けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ辺際を知らず。人の営みみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶を費やし心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。

40 年以上も生きていれば、いろいろな事に遭遇する。安元 3 年 4 月 28 日には、風が激しく吹いて不安の続く夜があった。20 時ごろに都のたつみの方角から出火し、いぬいまで燃え広がった。

ついには、朱雀門、大極殿、大学寮、民部省まで燃えてしまい、一晩のうちに塵灰へと変わり果てた。火元は、樋口富の小路にある病院かららしいが詳しくは知らない。吹きすさぶ風でとにかく広がって、扇形に末広で広がった。

遠くにある家も煙に巻き込まれ、近くにある家には炎が地面を這って襲ってきた。空には火の粉が舞い上がり、火の光りが煙に映り紅色に町を染めた。風が強く炎が千切られて、飛ぶようにして町に降って行った。

火事に巻き込まれた人は、ほんと生きた心地はしなかったろう。煙に巻かれて倒れた人もいるだろう。炎から逃れられず焼かれた人もいただろう。あるいは、命は助かったけれども全財産を焼かれた人もいるだろう。

美術品も文化財も記念品も全部が灰燼に帰した。どれだけの損失になったんだろう。公家の家も例外ではなく16は焼け落ちた。ましてやそれ以外の民の家はゆうに及ばず、都の三分の2は焼け落ちたそうだ。男女で死者は数千人以上、牛馬も際限なく死んだ。

人が生きていればこういう事故はいつ起きても不思議はない。そんな世界で明日は灰になる身ながら愚かしくも世俗の価値に一喜一憂して生きるのはバカらしく見えるかも知れない。それでも。僕たちはそこに家を作り、バカバカしく飾り立て、また心を悩ませて生きてゆく。こうして人々の手により力強く復興してゆくのだ。