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2014年3月25日火曜日

HERO - たがみよしひさ

目の前にいる彼女を殺さなければ世界が破滅する。それが宇宙人から託された正義の代行なのか、それともリアリズムの幻想に捕らわれた精神の錯乱か。この漫画はその選択の物語である。

君は地球人か?
私はクラナスのファープ。宇宙パトロール隊員だ。

エレノアにミノオを護送中、その一体に逃げられてしまったのだ。そのミノオを追って私は地球にきた。

ミノオはこの近くに降りたはずだ。地球時間で10日程前になる。

ミノオは寄生体だ。他の生命に寄生して生きる。そしてミノオは寄生した生命の生殖で繁殖する。

ミノオに寄生された生命は約10日でミノオの意識に占領されるがしかしその生命は一年ほどで死に至る。

今のうちに、ミノオの個体数の少ないうちに奴等を根絶しなければ地球人は滅びるだろう。

ミノオを根絶させる方法は唯ひとつ、ミノオに寄生された生命を殺すコトだ。君にミノオに寄生された生命を見分ける方法を授ける。

君がミノオを倒すのだ。

私もできればそうしたい。だが私にはその時間がないのだ。私はもうすぐ死ぬ。私はこの星の大気では生きられないのだ。もうすぐ...

自分しか知らぬ、他の誰も知らぬ証明も不可能なものが理由になるのか。それは妄想かも知れぬ。客観的に見れば妄想に違いない。もしそれが妄想ならばただの犯罪だ。だが、もしそれが妄想でなかったなら?

もしかしたら、ぼくは異常なのかも知れない

けれど、もしもそうではなかったら
人類はいま、滅亡の淵にいる

そのような決断を自分ひとりで決めなければならない。主人公は孤独だ。ことの顛末を調べた刑事たちは恋愛の嫉妬からくる怨恨による犯罪と結論づけるだろう。だれがこんな話を信じるだろうか。

人は他人と共有せずに客観を得ることなどできない。私しか知らない根拠では誰もが不可解と言うだろう。

それでも決断は人の数だけある。この物語もそのひとつだ。

決断の結果は受け入れるしかない。もしその決断が単なる精神錯乱だとしても、それで決まりならば安心できる。人は結果を待っているときが不安なのだ。脳があらゆることを想定しようとするから。

ミノオもファープもいないのよ。それはあなたの虚構なの。

誰もその決断を引き受けることなど出来ない。ただひとりに託されたのだから。

そしてそうしなかった時の結果など誰にもわかりはしない。証明できないから。だから引き受けるしかない。

全人類の未来をひとりの若者が背負う。どちらに転んでも彼には未来がない。何も起きないならば彼はただの犯罪者か人類の救世主のどちらかだ。何も起きなければ世間では日常の中で突発した異常な犯罪者に過ぎない。彼がその答えを知ることはない。どちらを選ぶ?

そうかも知れない。

人生は幾つもの結果の積み重ねだ。試験に合格したり落ちたり、誰かと出会ったり別れたり。そういうものが人生を彩る。しかし断じて結果の集合が人生ではない。人は結果を得るために生まれたのではないし、生きているのでもないし、死ぬのでもない。

決断が人生なら、決断しないのも人生である。何気なく通り過ぎた事も人生だ。いつも気にもしないその道をもし曲がっていたら、もしかしたらもうこの世にはいないかも知れない。

ミノオはいなかった。ファープだっていなかった。

決断しようが決断すまいが立ち止まろうが通り過ぎようが人生は流れてゆく。決断したら結果が欲しいだろう。だが決断しなくても結果は刻々と人に降り注いでいる。

ではなぜ決断には結果が欲しいのだろうか。不安や焦燥の中で自分の決断に答えを求めるのか。それは立ち止まっているからだろう。答えが訪れるのではない。答えをつまかえなければそこから動けないのだ。どんな答えでも間違えていようとも答えが要る。

何故か。結果を知らなければ人は決断を忘却できないから。

おれは明子が憎かった。明子を抱いた加藤が悪かった。カッコが良くてスマートでもてる伊吹が憎かった。

けれどもしもそうではなかったら

2014年3月15日土曜日

政府事故調 - 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 最終報告

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
中間報告 / 最終報告

技術者の視点から、なんとも残念だ。政府事故調の中間報告にあった基本方針は削られた。それは残念と思う。この報告書が示したものは、この国にある科学とか論理性の欠落だ。

事件の責任者を糾弾するのが目的ではない。もう一度同じことが起きた時に、次はもっと上手く動けるかを検証するのが目的ではなかったか。

責任者を追求しても仕方がない。何がどうなったのか、その過程でどう判断されたのか。間違った判断や行動が問題ではない。その判断の根拠を詳らかにする事が重要である。同じ根拠なら次も同じ判断を下す可能性が高い。そこで違う振る舞いが出来るようにするにはどうすればよいか。

技術者たるもの、時系列に並べ、ひとつひとつを検証するしかないのである。それ以外のどのような方法もない。棋士が棋譜を一手ゝ前に戻すように事象を前に戻して行く。

技術者ならば、技術的な対策しか見つけられない。人間の判断ミスが致命的であるなら、そうなってしまうシステム設計に問題がある。果たして、技術者から見てどうしようもない状況だったのか、それともまだ何か手があったのか。もちろん現場の人たちは懸命に打てる手を探し打ち出したのである。

リベンジするなら次はもっとましにしたい。それが大切だと思うのである。それは人の気持ちや心構えではない。それは工学による技術的な指摘でなければ意味がない。これだけ古い機械ならば、答えは単純である。最新式ならば同様の状況でどうなっていたか。それを検証するために何が起きたかをまず列挙しなければならない。

事故とは状況の変化に過ぎない。
  • 事故は被害を生じる
  • 被害とは物理的現象である

そこから事故を分類する。
  • 人間では回避不能な物理的破壊を起因とする
  • 人間から対策でき回避可能と思われるもの

堤防は被害を回避するための対策である。そこで堤防の高さや強度が足りないのは、回避可能と思われる。だがそれは無限の予算が有ると仮定すればの話しだ。現実的に高さが足りなかった事をどう考えるのか。そして堤防を超えられた時に、二の矢、三の矢が準備されていたこと、それが有効に動いたかをどう考えるかである。

対策にはふたつある。
  • 事故の起きる前に打てた対策は何か。
  • 事故の収束中に打てた対策は何か。

誰も前もって有効な指摘はなかったし、指摘したが無視された勢力も起きた時への準備も研究も皆無なのである。誰もがするかしないかのふたつしか考えていなかった。

問題を認識しながら対策がなおざり、お座なりになる事は十分に考えられた。結局は限られた予算に問題がある。無尽蔵の予算なら対策も出来たろう。だが現実は予算は限られており事故には間に合わなかった。自然に対して反論するなら地震が起きるのが早すぎたのである。

さて、我々はどうすればもう少し良い対策が打てただろうか。それを妨げた人間を見つけだし戦犯とすべきだろうか。見せしめか。結局は、変わらない。記憶が薄れ世代が変われば同じ事が発生するに違いない。故に終わる事のない改善の連続だろう。それが停止してしまう方がおかしいのである。
  • どうすれば発見できたか。
  • どうすれば対策できたか。

我々はこれだけの巨大な津波でなければ十分に対策してきたのである。数百年前なら何千人も死ぬような津波にも粛々と対抗し有効に対策してきたのである。だから突破された時に被害が甚大化するのは当然であろう。
  • 今後の装置はどうすべきか
  • 今後の装備はどうすべきか
  • 今後の運用はどうすべきか

委員長所感に書かれているものはエンジニアの根底であろう。恐らくエンジニア魂を伝えたいのであろう。この事故は我々エンジニアの敗北なのである。それは前の大戦と同様に。我々は二度も繰り返してしまったのだ。
  1. あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。
  2. 見たくないものは見えない。見たいものが見える。
  3. 可能な限りの想定と十分な準備をする。
  4. 形を作っただけでは機能しない。仕組みは作れるが、目的は共有されない。
  5. 全ては変わるのであり、変化に柔軟に対応する。
  6. 危険の存在を認め、危険に正対して議論できる文化を作る。
  7. 自分の目で見て自分の頭で考え、判断・行動することが重要であることを認識し、そのような能力を涵養することが重要である。

問題は限られた予算の中で取られた行動は、最大の効率と効果の交点である。問題の検証とは、自分が同じ立場ならまさにそう行動したであろう、その理解を得るまで追求する事である。

原子力発電分野では“ありそうにないことも起こり得る(improbable est possible)、と考えなければならない”と指摘された。どのようなことについて考えるべきかを考える上で最も重要なことは、経験と論理で考えることである。国内外で過去に起こった事柄や経験に学ぶことと、あらゆる要素を考えて論理的にあり得ることを見付けることである。発生確率が低いということは発生しないということではない。発生確率の低いものや知見として確立していないものは考えなくてもよい、対応しなくてもよいと考えることは誤りである。
さらに、「あり得ないと思う」という認識にすら至らない現象もあり得る、言い換えれば「思い付きもしない現象も起こり得る」ことも併せて認識しておく必要があろう。

「あり得ない」と叫ばないような技術者など信頼に値しない。しかし、有り得ないという理由から起きないと判断する技術者も信頼に値しない。全ての技術者の仕事は「あり得ない」と叫んだ所から始まる。

「あり得ない」と叫ぶには根拠が居る。根拠があるから「あり得ない」と叫ぶ事ができる。技術者はこの根拠を頼りに問題と取り組む。根拠があって初めて間違いに気付ける。

「ありそうにない」ことは「ある」。「ほとんどない」ことは「ある」。「あり得ないと思う」は「ある」。「起きえない」ことは「ある」。数学的に「ない」を正しく証明しない限り「ない」とは言えない。

我々のやる事には必ず失敗がある。絶対に誤動作しないシステムなど存在しない。だから技術者はその確率を 0 に近づける事しかできない。だから事故の可能性は常に「ある」。有り得ない事が起きる事を防ぐ手立てはない。

原子力は津波が来た時点で敗北は確定していた。そこからはどれだけまともに負けられるかの勝負であった。ならば勝負は地震が起きる前に決まっていた。あの規模の地震が起きればそうなるしかなかった。孫子のいう、戦う前に勝つ状態になっていなかった。

にも係らず、懸命に努力した人々が押さえ込んだ。もう一度おなじ事が起きたなら、今と同様であるか、もっと良く対策できたか、それとも悪くなるか。この経験は必ず次に生きる。そう感じる人々が今も動いていると信じる。

これらの報告書を読みながら、僕には今川義元の桶狭間の戦いを検証しても同じような報告書が出来るのではないかと言う感想がしつこく湧き上がった。結果が出た以上、何んとでも言える。答えを知っているものは常に傲慢である。過去を上手に検証するとは如何に難しいか。

この事故調査はファインマンのチャレンジャー号(ファインマン氏、ワシントンに行く)よりも遥かに難しいものであったに違いない。なのに政府、国会、民間ともこの論文ほどの面白さがない事を残念に思う。技術者を育てる良書が生まれなかった事を残念に思う。

この事故は我々の何も変えない程に小さいものだったのだろうか、大海の荒れ狂った波が引いてしまえばいつもの小さな波に戻るように、この事故も忘れられて平穏を取り戻してゆくのだろうか。それとも、我々はこの傷口からまだ目を背けているだけなのだろうか。

だが確実にこの事故を境にして新しい技術が生まれている。新しい取り組みを始めた人がいる。私たちは確かに、今もこの事故を受け止め続けているのである。

2014年3月8日土曜日

鬼の生物学的考察

1. 要約

鬼は昔から記録されているが未だ発見されていない種である。過去の記録から鬼についてどのような生物であるかを考察する。

2. 序論

鬼は古い戯画、物語にのみ登場する。そのため架空の生物と信じられている。しかしその形態から鬼はヒト亜科である可能性が極めて高い。

もし架空ではなく実在する生物だとすれば人類学に対する貢献は大きいのである。ここでは伝承を理由にその実在を否定するのではなく、伝承であるからこそ鬼の実在は肯定できる立場に立つ。

これから実在したであろう鬼を過去の記録から考察する。この考察には誤りが含まれている可能性がある事は予め断っておく。

3. 本論

3.1 特徴

鬼の伝承から得られる特徴は以下の通りである。
  • 体格 - コーカソイド系(モンゴロイドより大きい)
  • 顔 - コーカソイド系または縄文系(太い眉、大きな鼻、体毛が濃い)
  • 肌色 - 赤、青。(モンゴロイドが初めてコーカソイドを見た時の感覚と一致)
  • 頭部 - 1~数本の角がある
  • 口腔 - 犬歯は人より大きい
  • 体格 - 雄が雌より大きい
  • 性格 - 雄は凶暴、雌は濃艶(ただし1人のヒトによって鬼の集落全体が敗北した事例がある)
  • 道具 - 鉄製の棍棒
  • 食性 - 酒を好む
  • 言語 - 人と会話が出来る
  • 服飾 - 皮製の衣服、雄は下腹部、雌は乳房と下腹部のみを隠す
  • 住居 - 洞穴
  • 集団 - 群れを形成する
※天狗も肌色が赤いので有名であり、天狗=コーカソイド説は多々ある。


3.1.1 住居

鬼の多くは離れ小島や山奥に住んでおり、洞窟で暮らしていた。鬼は家族よりも大きな集落を形成していた。鬼退治の伝承を詳細に研究すれば群れにはリーダーが存在している事が示される。集団のリーダーは体が大きい個体が選ばれるようである。


3.1.2 衣服

鬼の服飾は動物の皮をなめし切断したものをまとっている。雌では衣服で乳房を隠している事が特徴的である。その代表的なものはラムであるが、一般的に近代以前に乳房だけを隠す風習は珍しい。

いずれにしろ鬼が裁縫や織機を行っていた可能性は低い。これらの技術を持たなかったのか、植物性の衣服を着る事を嫌っていたのかは不明である。

また体毛が濃いのを動物の皮をまとっていると当時の人が考えた可能性もある。しかしそれでは彼らは裸で暮らしていた事になる。それならばそれが伝承に残っているはずである。


3.1.3 道具

鬼は鉄棒を持っている。しかし家屋を建築する技術がなく、機織りもしないなど高い技術を持っていたとは考えにくい。よって鬼が製鉄技術を持っていたとは考えにくい。またヒトからそれを学んだ形跡もない。もし製鉄技術があれば、棍棒以外の武器や針や鍋などの生活道具があるべきである。しかしそれらの記録がない。

これらの事から鬼は鉄棒をどこから入手したかという疑問が生まれる。


3.1.4 交易

よって鬼が持っている鉄棒は鬼が製造したと考えるより、ヒトとの交易で入手したと考える方が妥当である。鬼はヒトとの間で交易を行っていたのだ。これにより鬼の酒好きについても、鬼が醸造技術を持っておらずとも、人から酒を入手して飲んでいたと考えられるのである。鬼殺しという酒が存在する事も、かつてヒトが鬼に納入していた可能性を示唆している。

しかし鬼が貨幣を使っていた証拠はない。何によって交易が可能になったのだろうか。伝承によれば鬼はサンゴや金銀を収集する。その為にヒトからの略奪も経験した話しが残っている。これらの事実からサンゴや金銀によって物々交換を行った可能性がある。


3.1.5 種の推察

絵物語によれば鬼の雌は雄よりも体格が小さい。これは哺乳類一般にみられる特徴である。

上に示した特徴から鬼はコーカソイド系(白人)に非常に近い。日本においてはキリストの墓があるの伝承もあり、太古からコーカソイドが移住した可能性はある。その一部として鬼も日本に来た可能性がある。ネアンデルターレンシスの最期の末裔の可能性もある。

鬼はアジアに定住したコーカソイド系の種であった可能性がある。しかし角があるのでコーカソイドと同じ種ではない。

鬼が日本に移住したと仮定するが、コーカソイドとモンゴロイドが何時までも棲み分けをした可能性は小さい。どこかで混血しどちらかの種がもう片方に飲み込まれるはずである。その場合、角が劣性遺伝であれば、鬼と人とのハーフでは角が生えない。

鬼の伝承がある地域(滋賀)や、鬼を起源とする風習がある地域(秋田)は美人が多い。少なくとも色白の美人が多いとされる。これはその地域での鬼との混血が原因である可能性も捨てきれない。

もし混血することなく鬼が絶滅したのでれば、鬼はヒトと棲み分けていたと考えられる。その時にヒトから襲撃されたり食べ物が取れない年に淘汰され絶滅したのかも知れない。


3.1.6 闘争能力

サンゴや金銀をヒトに略奪される場合、一応の抵抗は試みるものの、敗北が濃厚になれば素直に財宝を明け渡している事から、これらの物品が宗教的象徴や儀式に使われていたものとは考えられない。そういう場合は、絶滅してでも抵抗を続けるものである。

鬼とヒトがいくさをした記録もない。多くても3人程度のヒトに成敗される話ばかりが残っている。伝承の中には一人のヒトとペットによってひとつの集落が敗北している。これ程に弱い存在であればヒトからの襲撃に耐えられたとは考えられない。つまり鬼が金銀財宝を豊富に持っていたという話は疑わしい。

逆に鬼がヒトの集落を襲ったりヒトを食した話しも多数あるが、彼らの住居は人里から離れた小島や山奥であり、ヒトを避けていた。またヒトとも交易しておりヒトを襲撃する理由がない。また戦闘能力の低さから襲撃しても返り討ちの可能性の方が高い。これらの伝承はヒトの盗賊や倭寇が鬼と称して略奪をしたものであろう。


3.1.7 越冬の謎

人類はアフリカで登場した。よって自然状態でアフリカでは生きる事ができる。しかし世界中に広がる過程で自然状態のままでは無理である。なぜなら冬が越せないから。よってヒトが広く世界に分布できたのは、簡単に言えば冬を乗り切れたからである。つまり衣服の発明と住居の獲得である。火の発見、加工技術の向上、知識の伝承によりヒトは厳しい冬を乗り切ってきた。越冬が可能であれば、その地域に定住できるのである。

さて多くの鬼の描写は彼らを南国で居住している存在として描き、そこに描かれたものを信じるならば、鬼の生活環境では日本の厳しい冬を越すことはできない。

ここに最大の謎がある。

つまり「鬼はどのように越冬したのか」である。


3.2 類似する動物からの推察

角を持つ主な動物。
  • 牛 - 草食
  • ヤギ - 草食
  • 羊 - 草食
  • トリケラトプス - 草食
  • カブトムシ - 樹木の樹液
  • ユニコーン - 草食
  • パン - 酒
※鬼と類似した生物に主にヨーロッパに生息していたパンがいる。しかし鬼とパンの角は、牛と羊の違いがあるため、別々に発生した収斂進化の一例と思われる。

角を持つ多くの動物が草食性である事は注目に値する。これには進化論の性選択が影響していると思われる。

性選択とはどのような個体が好まれるかによってその種の進化の方向が決まる事である。肉食動物の場合であれば、捕食に有利な個体が好まれる。そして捕食に有利であるとは、なわばりをもつ能力とほぼ一致する。若く、体格の良い、健康な個体がなわばりを確保し異性にアピールする。

肉食動物で角を持つ動物はいない。これは肉食動物では角が性選択においてなんら役に立たない事を意味している。捕食者にとって角は俊敏な動きを妨げるだけの邪魔ものであり、生きていく上でなんら役に立たない。

一方で、草食動物では、餌は草であるから食うのに困る事がない。そのため草食動物では異性へアピールするのになわばりなど食性で有利なものは使えない。食性以外の何かで個体の強さを訴える必要がある。そのひとつが角であろう。

牙を持つ主な動物
  • トラ - 肉食
  • いのしし - 草食
  • 龍 - 魚食

牙の有無では食性は決定できない。一般的にその動物の歯の全体を検証しなければ食性は分からないものである。


4. 鬼の実像

これまでの考察から鬼の実像を記す。
  • 外見 - コーカソイド系亜種
  • 文化 - 加工品を作り出す能力が低い
  • 戦闘 - 暴力行為に弱い
  • 交易 - ヒトとの間に交易があった
  • 財宝 - 持っていなかった

これらの事実から次のふたつの謎が明瞭である。
  1. どうやって越冬したのか
  2. 交易で交換したものは何か

これについて本論文では以下のように結論する。


4.1 越冬について

角をもつ動物の特徴から鬼はヒト亜種としては極めて珍しい食性を持っていると思われる。つまり、
  • 鬼は草食である

鬼の牙は肉食動物の牙ではなく、イノシシなどと同じく木の皮を剥いだり、土を掘るのに使われたのではないか。また鬼の越冬については草食性で角をもつ動物で越冬するニホンカモシカの生態が参考になる。

伝承にあるような服装では越冬など無理である。もしかしたら冬用の衣服を持っていたのかも知れないし冬用に体毛が濃くなったののかも知れない。しかしそれでは記録が残っていない理由が説明できない。

  • 鬼は冬眠をする

こう考えれば、鬼の服装が夏のみが意識されている事も明らかであり、冬の鬼に伝承がない理由も明らかとなる。鬼が冬眠する習性を持っていると仮定する事で、様々な謎が説明可能になる。鬼とヒトの交易も春から秋までの間だけ行われた事になる。


4.2 交易で交換していたもの

では物々交換で鬼が払ったものは何であろうか。伝承では鬼の雌はヒトの雌よりも美しく描かれている。また、般若の面が鬼をモデルにしている事から、鬼の雌は非常に強い情念を持っていた事が伺われる。また鬼の逞しさもまた象徴的である。

鬼の雌をヒトに抱かせる事で交易を実現していたのである。もちろん鬼の雄とヒトの雌の関係も否定できない。略奪することもなく、また交易を実現するほとまでにそれは魅力的であり、また理性を保たせるほどに多くの人が大切にしたと思える。

鬼は歓楽街を形成してヒトと交易していたのである。そこにはヒトからの嫉妬などもあったであろう。そしてそのような情念が今のヒトの世界に残っている。そして次第にヒトとの混血が深くなり、歴史の中に消えて行ったのであろう。

ならばヒトが鬼が島で略奪した逸話にも別の解釈が必要になる。彼らが鬼から略奪したものは、サンゴや金銀財宝ではないのではないか。サンゴ、金、銀、財宝という名前の鬼の雌ではなかったのか。4人の雌を略奪した事と、ヒト側が4人(伝承では1人と3匹)である事は偶然の一致であろうか。


5. 結論

歴史上に登場する魅惑的な女性が鬼に例えられるのは偶然ではあるまい。日本人は自分の配偶者を鬼呼ばわりするのも偶然ではあるまい。ここには古くから鬼と交わってきたヒトの歴史が隠れているのである。

鬼の頭部を持つ類人猿の化石は見つかっていない。これはごく最近にホモサピエンスと分化した種、または亜種だからであろう。また目撃例や歴史上の文献が少ない事から、ごく少数が発生し速やかに遺伝的にヒトと統合された種であると考えられる。

彼らが極めて希少であったこと、また性の魅力によりあっという間にヒトと交雑してしまったために彼らの化石証拠などが見つからないのであろう。

我々日本人の女性の美しさ、気高さ、そして情念の深さはおそらく鬼との交配によって得られたものである。

日本人は人種の雑種である。日本は世界中のあらゆる人種が流れ着いた最果ての島である。

本論文では更に加えて日本人は鬼との雑種でもあるという事実を提唱するものである。今更新しい混血種がひとつ加わった所で何も問題はあるまい。

雑種の坩堝ではそれぞれの個体毎に影響の強い血は異なる。そこには幾つもの系統が混在しており、個体毎にどの影響が大きいかは異なる。だから日本人には典型的な美人がない。幾つもの系統があるから、どの系統が一番美しいとは結論できない。それぞれの系統ごとに美人がいるのである。

鬼の化石は見つかっていない。しかし多くの伝承から瀬戸内のどこかの鬼の墓がある可能性が高い。

鬼はヒトに近い類人猿として誕生しネアンデルターレンシスやフローレシエンシスよりもヒトの近くにいた。彼らの絶滅を研究することは、我々ホモサピエンスがより長く生存するためにも必要である。

今後の発掘が期待される。


6. 最期に

鬼の物語は、平安末期の今昔物語集には既に登場する。我々が幼年期に最初に鬼に触れるのは、なまはげや桃太郎である。近年は鬼を扱った物語が多く創作されている。永井豪の手天童子、鬼 ―2889年の反乱―、高橋留美子のうる星やつら、江口夏実の鬼灯の冷徹などがあげられる。鬼はヒトの鏡でもある。人間社会を比喩し対比するには絶好の題材である。長くヒトが記録し、これからも考察を続けていく鬼という存在を忘れてはならない。鬼に感謝しよう。


7. 参考文献

手天童子 - 永井 豪
フィンチの嘴―ガラパゴスで起きている種の変貌 - Jonathan Weiner
泣いた赤鬼