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2011年7月22日金曜日

四十而不惑 - 孔子

巻一爲政第二之四
子曰吾十有五而志于学 (子曰くわれ十有五にして学に志す)
三十而立 (三十にして立つ)
四十而不惑 (四十にして惑わず)
五十而知天命 (五十にして天命を知る)
六十而耳順 (六十にして耳に順う)
七十而従心所欲 (七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず)
不踰矩

不惑とは迷いがないという意味に用いられる。
40才にもなれば分別を持つようになった、
迷いなく決断できるようになったという解釈である。

もうフラフラとはしないよ、
40にもなれば自分の進むべき道を決心した。
という解釈でも悪くない。
この場合は決心した事に重きを置き、迷いがない事の比喩にはしない。

さて、これは天命を知る前に惑わなくなった人の言葉である。
孔子が不惑という時、それはまだ天命知る前であった。
これは不惑を迷わないと言うよりも大切な事のように思われる。

僕たちが自分の年を不惑と自嘲する時、そこには幾ばくかの真実が誰の心にも生れているように思われる。

不惑と言うその心の動きは自然と理想像を結ぶ。
心に浮かぶ理想とする存在が、それを君子と名付けるならば其れもありなん。

しかし、それと比較してみるだけが心の動きではないだろう。
自分が不惑となった時、それなりの経験を積んで生きてきた、
それでも不惑なぞ分からない、という思いがある。

この分からなさこそが重要だ。

年を経らないと分からない事がある。
それは、実際にその年になってみないと分からない事だ。
若い時には決して分からぬ事だ、知る必要もない。

人にはいろいろな成長の仕方がある。
飛行機に例えるならば、それは高度を上げることだ。

若いときに高く高く上昇したその先でグライダーのように滑空する、
その高度を維持したまま水平飛行をする、
ロケットのように更に上昇を続ける。
それは人それぞれだ。

誰もかれもがロケットであろうはずもないし、それが大切な事ではない。
自分がどのタイプに成りたいかよりも、
どのように飛ぶかを知っておくのに40はそう悪い頃ではない。

色々な生き方があって、他の飛行機に目をやり、色々と感じる事もある。

不惑、というのは、そうやって、他の人の飛び方を眺める事ができる頃かも知れない。
そして、自分の飛び方と人の飛び方を比べて、自分の飛び方に惑う事もなくなった。

迷いが無くなった、と言っているのではない。
不惑とはそれを受け入れる事ができるようになった、というに過ぎぬ。
そして、それはその年になるまでは分からないという事だ。

孔子は、40になれば不惑となる、と言ったのではない。
40になるまでは、不惑というものに気づけなかったなぁ、と言っているのではないか。

それだけの年を経なければ見えてこないものがある、という告白ではないか。

40になる前にもっと若くして逝ってしまった命がある。
彼は不惑というものを知らずに逝ってしまった。

だとしても生きている私もまた40では天命を知らぬ。
人には生きている限りは見えないものがある。

不惑、命とは年を経るという事で分からぬことだらけだ、それに惑わず、それで十分ではないか。

2011年7月18日月曜日

コクリコ坂から - 高橋千鶴・佐山哲郎 / 宮崎駿・宮崎吾朗

この漫画は津和野にある町から外れた山奥の古い家で読んだ。100年を超えそうな煤まみれの大黒柱と煤けた天井を見上げながら読んだ。

コンクリートで出来た学校に通う学生だった。その風景からどれだけの時間が過ぎ去っていただろう。

ある日、再販されている本書を見つけた時は驚いた。この漫画が再販されるとは思ってもいなかったしその理由も分からなかった。
それでもそんな世間の都合など関係なく再会とは嬉しいものだ。久しぶりに読んだ「コクリコ坂から」は、面白さも少しも失われてはいなかった。僕にはそのように感じられた。

あの日のまま人物は今も生きている、悩み、明るく、そして生き生きとしている。

原作の再販が映画の宣伝であったと気付くのはそれから暫く経ってからだ。


ある日見たそのポスターには似ても似つかぬ海の姿があった。それが誰の手になるものかはなるほど見当はつく。

そうではあるが、このポスターには初めて見るかのような違和感があった。魅力あふれる絵であるが、これまで見た彼の絵となるほど違う感じがする。

こういう絵を書く人だったけ。青の時代、というべき印象のこの絵にはちょっと馴染みがなく新しい。


僕はこの何より企画書を読んだときに腹が立った。自分の大切なマンガを不発だの失敗作呼ばわりされたからだが何に怒りを感じたか本当の所、僕には分かっていない。

1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である

結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。

彼は、オリジナリティ溢れる作家だが原作付きの作品も多い。だが、それは発想を得た事に対する感謝としての原作であって原作を映画化する気などさらさらとありゃしない。

しかし、それでもこの企画書には、なんと陳腐で手垢に汚れ、他人の書で自分を語る如きの愚か。なんという世俗的で、商業主義で、自分の世代を語るためだけのノスタルジアか。怒りに任せて悪態をつくのなら何とでも書けるものだ。

無機的なコンクリート校舎が既にいくらでもあった時代だが、絵を描くにはつまらない。

そうだ、僕は、この企画書に、僕達の時代を踏みにじる土足のようなものを感じたのだ。そのつまらない校舎で育った僕達がここに居る。

ここには青春などない、断じて。老人がただ、昔を懐かしむ、埃の積もった本棚に見つけた古く汚れた文庫を手にし、懐かしさを覚え、そして、幾ばくかの想像力を掻き立てられただけではないか。

思い出語り、たぶん、それ以上の域を出ない。

この漫画にあるのはどこにでもあるその時代、時代の青春だ。大人の世情など関係なく、世の中に敏感で、多感で、将来を憂え、それでも女の子を大事にしたいと願う、普通の青春だ。

そして、青春などくだらない、つまらない、興味もない。青春の中にある人は、本気でそう思っている、そういう漫画ではなかったか。

明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。

彼は知らないのか、全ての高校生は大衆を蔑視している。多感な高校生の頃に周りの大人が全てアホに見えないようでどうするのだ。その程度の知性でどうやって将来を生きて行けようか。中学、高校生とはそういう時期だ。

社会に出るとは、そこから理由を見つけてゆく道程に他ならない。

脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。

脇役がギャグのための引き立て役に見えるのか、マンネリズムは漫画の王道ではないのか。自分の見たい物を見、自分の聞きたいセリフを聞きたいだけではないか。商業的な成功が作品の成功とは言ってはいけない。この作品は一つの完結をきちんと結んでいる。

失敗作と言われるが、この漫画には何かを人の心に残す力がある。30年も経ってからアニメ映画になるほどの力がある。少なくともこの漫画が忘れられずに映画にした程の人がひとりいるのだ。

そうだ、無機的なコンクリートでは詰まらないかも知れない。だが、そんな校舎に詰まった青春がどれほどのものか知っているか?きらきらと光るその風景を自分好みに書き換えて誰の青春だろうか

詰まらなく見えるコンクリート校舎であっても、いや、それでも映える、彼や彼女とはそういう風に見えるものだろう。

この映画の絵には、コクリコ坂の雰囲気は全くない。こうの史代の『この世界の片隅に』を描くのに近い。あのポスターを見たときの違和感は、この少女は「コクリコ坂」の海ではなく、すずにこそ近い。そう思ったのだった。


少女マンガは映画になり得るか。

これは心象風景は映画になるうるかという自問であろうか。

結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

なぜポスターの絵が海ではなくすずに見えてしまったのか。今これを書いていて、成程これは恋した女の子の顔の積もりだったのか、とふと勝手な合点がいった。

だが、彼に恋した少女の顔など描けたっけ。

まぁ描けやしまい。

恋愛を描きたいのなら「きりひと賛歌」でも原作として大人の恋愛にでも挑戦すればいいのに。其れで有ったとしても見ててご覧、絶対に恋愛映画にはならぬ。


1963年という年は何故だ。彼のノスタルジイか何かがそこにある。そこが分岐点と映った彼の何かがある。その後の時代を否定したい何かしらの苛立ちがある。

そこにあるのは、彼自身の秘密であって他者を寄せ付けるものではない。ただ僕たちは彼の秘密への彼自身の冒険をスクリーンの上で否応なく見ることになる。映画とは其れ程までに自分自身の秘密が投影されてしまうものだろうから。

果たして、宮崎吾朗監督は、この親父様の冒険をどう思い描いただろうか。

1980年をこの漫画と共に生きた世代は其れをどう思うだろう。僕が気に入らないのは、僕たちの時代を否定したかのような時代設定だ。

僕はそこは一歩も下がらずに立ち止まるべき場所と思われる。これは、思想や考え方の違いではない。自分が生きた時間の主張だ。

原作で変えてはならないものなど何もない。だが時間には時間の風景というものがある。1960年生まれと1940年生まれでは青春時代の風景が違う、空の色も、夕日の色も。例えそれらが写真に写せば同じであっても、それは違わねばならぬのだ。だが高橋千鶴の魅力的な少女はなんともどうでもいいジャガイモにされてしまった。

そうか、彼は1980年代の高校生を知らないのではないか。息子が生きた彼の高校時代をどういう目で見ていたのだろうか。その青春の風景には興味を持てなかったのだろうか。

何故、宮崎吾朗監督は自分の青春時代を親父に明け渡してしまったのか。これこそがこの作品の最大の争点たるテーマではないか。

世界で、宮崎駿と親子喧嘩できるのはたった二人しかいない。その幸運を特権を捨て去ってしまう理由が僕には分からない。お前が本気で駿と喧嘩する気なら、俺はお前の側につく。

だが・・・


彼の眼に映るもの、会社を辞めて帰ってきたと家族に語ったのは高校生の頃か。それからコナンに注力しナウシカを書き始める頃に出会ったであろう「コクリコ坂から」は、彼にどのような景色を残したのだろう。

其々に其々の違った風景を残す、それが少女マンガというものかも知れない。

「コクリコ坂から」は、宮崎駿の旅かもしれない。それは彼の幻想であろう、詰まり彼の時代の心象風景であろう。

彼は未だ、何のマンガも(小説も)映画としたことはない。全てがオリジナルに過ぎない。

原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
マンガ的に展開する必要はない。

原作者にも漫画家の手にも余った作品かも知れない。だが自分なら上手くできると思う辺りが少年漫画の主人公のようで如何にもカッコよいではないか。

手塚治虫が宮崎駿という駿才の決別を受けたように、彼もまた決別される立場にある。

これは先輩から聞いた話ですが、『西遊記』の制作に手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。

作者は作品の全てに理由を必要とするか、自分の感情を信じてそれを発表する。自分の嗜好を嘔吐するのに理由がいる人もいる、いらない人もいる。それは社会の中でやはり嗜好として先ずは受け入れられる。

このお別れの理由は、良くわかる気がする。理由もなく殺す事に明らかに唖然としている、その気持ちは分かる気がする。

だが、手塚治虫の気持ちもわかる、理由など分からない、だが、僕の感情はこちらがよいと主張している、そういう自分の無意識下までを含めての作品の創作というのも分からないではない。

歳を経ると理由付けだけでは選べない事も出てくるものだ。つまり、嗜好というのが個人的理由に過ぎぬとも大きな顔をし始める。その事が悪いのではなく、自分の好みというのは個人的な事柄に過ぎぬ。

僕にはこの企画書が、彼を乗り越えねばならぬ、と決意するに十分な理由を持っていると思う。その高く聳える山であろうとも、トライすべき相手であることを示している。これは、彼からの挑戦状であると同時に、彼自身だ。長い間、作品を生み続けた彼の想いが詰まっている。それを全て読み取るのはおそらく無理だ。彼にしか分からぬ思いが、幾つもの文章に、そして行間に詰まっている。

それを全て理解し和解するなど無理だ、それではただの劣化コピーだ。

だから、これは彼にトライし踏破するための道標だと、そう信じておく方がいい。きっと、あなたも彼と同じ歳になった頃には、これと似たような文章を書いている。そして若者から誤解され、同じように挑まれるに違いない。

先の時代が偉大であるという理由だけで自分たちの時間を踏みつぶさせては堪らない。誰にも変えようも譲れようもない時間というものがある。

挑むとは戦う、だけではない、彼のように、また、「お別れできる」と思う事、一つの区切りをつけることもそうだ。どちらでもいい。

「信じられるかい、手塚治虫は60歳で逝ったんだぜ。」


企画のための覚書 「コクリコ坂から」について
「港の見える丘」 企画 宮崎駿

1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)。高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したともいえるだろう。
結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。
少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。
今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。
「コクリコ坂から」は、人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。
「となりのトトロ」は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である。今日からは57年前の世界となる。
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。
新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
女系家族の長女である主人公の海(うみ)は高校二年、父を海で亡くし仕事を持つ母親をたすけて、下宿人もふくめ6人の大世帯の面倒を見ている。対する少年達は新聞部の部長と生徒会の会長。ふたりは世間と大人に対して油断ならない身がまえをしている。ちょっと不良っぽくふるまい、海に素直なアプローチなんぞしない。硬派なのである。
原作は、かけマージャンの後始末とか、生徒手帖が担保とか、雑誌の枠ギリギリに話を現代っぽくしようとしているが、そんな無理は映画ですることはない。筋は変更可能である。学園紛争についても、火つけ役になってしまった自分達の責任を各々がはっきりケジメをつける。熱狂して暴走することはしない。何故なら彼等には、各々他人には言わない目標があり、その事において真摯だからである。
少年達が遠くを見つめているように、海もまた帰らぬ父を待って遠い水平線を見つめている。
横浜港を見下ろす丘の上の、古い屋敷の庭に毎日信号旗をあげつづけている海。
「U・W」旗――(安全な航行を祈る)である。
丘の下をよく通るタグボートのマストに返礼の旗があがる。忙しい一日が始まる朝の日課のようになっている。
ある朝、タグボートからちがう信号が上る。
「UWMER」そして返礼のペナント一旒(いちりゅう)。誰か自分の名前を知っている人が、あのタグボートに乗っている。MERはメール、フランス語で海のことである。海はおどろくが、たちまち朝の家事の大さわぎにまき込まれていく。
父の操るタグボートに便乗していた少年は、海が毎日、信号旗をあげていることを知っていた。
(ちょっとダブりますが)
舞台は、いまは姿を消した三島型の貨物船や、漁船、はしけ、ひき船が往来する海を見下ろす丘の上、まだ開発の手はのびていない。祖父の代まで病院だった建物に、和間の居住部分がくっついている。学校も一考を要する。無機的なコンクリート校舎が既にいくらでもあった時代だが、絵を描くにはつまらない。登校路は、まだ舗装されていない道も残り、オート三輪やらひっかしいだトラックが砂埃(すなぼこり)をあげている。が、ひとたび町へおりると、工事だらけの道路はひしめく車で渋滞し、木製の電柱やら無秩序な看板がひしめき、工場地帯のエントツからは盛大に黒煙、白煙、赤やらみどり(本当だった)の煙が吐き出されている。大公害時代の幕がきっておとされ、一方で細民窟が存在する猛烈な経済成長期にある。横浜の一隅を舞台にすることで下界の有様がふたりの直面する世間となる。その世界を俊と海が道行をする。そこが最後のクライマックスだ。
出生の秘密については、いかにもマンネリな安直なモチーフなので慎重なとりあつかいが必要である。いかにして秘密を知ったか、その時ふたりはどう反応するか。
ふたりはまっすぐに進む。心中もしない、恋もあきらめない。真実を知ろうと、ふたりは自分の脚でたしかめに行く。簡単ではない。そして戦争と戦後の混乱期の中で、ふたりの親達がどう出会い、愛し生きたかを知っていくのだ。昔の船乗り仲間や、特攻隊の戦友達も力になってくれるだろう。彼等は最大の敬意をふたりに払うだろう。
終章でふたりは父達の旧友の(俊の養父でもある)タグボートで帰途につく。海はその時はじめて、海の上から自分の住む古い洋館と、ひるがえる旗を見る。待ちつづけていた父と共に今こそ帰るのだ。そのかたわらにりりしい少年が立っている。



原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
マンガ的に展開する必要はない。あちこちに散りばめられたコミック風のオチも切りすてる。時間の流れ、空間の描写にリアリティーを(クソていねいという意味ではない)。脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。二枚目じゃなくていい。原作の生徒会会長なんか“ど”がつくマンネリだ。少女の学校友達にも存在感を。ひきたて役にしてはいけない。海の祖母も母も、下宿人達も、それぞれクセはあるが共感できる人々にしたい。
観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。

2011年7月10日日曜日

宇宙兄弟 - 小山宙哉

毎週の連載の中で、常に感動を提供するこの漫画には驚愕さえ憶える。どうやら感動というものは意識して作り出す事ができるらしい。

これは物語を生み出す事と同意の事だ。この感動の背後にあるものを見つめてみたい。

僕たちは、そこに作者の手練を見る事が出来るだろう。

それは宇宙へ行くのにも匹敵する冒険だ。

感動する。

この感動の正体とは何であろうか。感動の正体が分かろうはずもないがそこにメカニズムもテクニックも存在する。その上でこの感動が生み出すものと、生み出すもとの関係はどの様に成っているだろうか。

感動という心の動きをトレースした所で、そこには構図が生まれるだけだろう。その分析だけでは作者の秘密に迫ったとは言えない。

構成もセリフも計算尽くの上で、作者は分かり切ったその作業の上に、何かを積み上げているはずだからだ。

それでもその構図を見る事は作者の創作に迫る最初の足がかりにはなると思われる。その奥にあるものを見つめるために取り敢えず目の前の壁を登ってみるのは決して無駄とは思われない。

そしたらみんなの意識に宇宙が降りて来てもっと宇宙が近くなる(3,p.174)

みんなっジャンケンで決めようか(5,p.14)

我々天文学者には遥か遠くまで行く力はありませんが"遥か遠くを見る力"なら我々に勝るものはいません(12,p.143)

セリフが思い出させる、シーンを。その一つ一つのコマ割りは忘れても、あの空気のようなものが蘇る。

これらの言葉が感動の正体であり、其れと共に思い出されるシーンの力だ。そしてこれらは小さくとも困難と対峙し、それを乗り越えた瞬間の言葉だ。

なんという言葉の力であろうか。ここにあるのは、過去を手繰り寄せ、今を創造した瞬間の言葉であるように思われる。

この漫画の本質は、切り拓く、なのである。


毎週連載される商業誌では、小さな盛り上がりを繰り返しながら翌週へと続く。それは小さな波を繰り返しながら、より大きな波を作り出す作業だ。

一話一話に完了があり、これまでの読者を飽きさせない、その上でこれからの読者を逃さない、そういう話が繰り返されてゆく。

読者はこの流れに身を任すしかないのだが、いつも何か足りないパーツがあり、それを埋めるまでは目を離せない。

話しは複数のテーマが重なり時間軸に合わせて縦走する。この重厚さは、登場する人物の重なりと比例し、複数のキャラクターが作品内で成立していなければ取り得ない手法だ。

これらのstoryの中で、この話はどうなるのか、に翻弄され読者は自力で泳ぐ術を失う。波に飲み込まれるかのような力のまま、引きづり込まれる。

それは巨大な重力に捉えられ落下し続ける衛星にも似ている。そこでは、考えることも出来ずその落下に身を任せているかのようだ。

物語を追い駆けている時は、こうなればいいとか、こういう話もあるかなとか、これはおかしいよという様な矛盾が湧く事もなく、ただ身を任せるだけの状態にいる。

読み終わって、初めて思いのままに色々な感想が浮かぶ。この感想にこそ、感動に繋がる本道がある。

この流れの中に自分を携え、その成り行きをトレースする。その今起きている事に身を任せながらも、その目的は先ずは撃ち取る事にある。

まるで猟犬のように、獲物を追い駆けているのかも知れない。どこに逃げ込もうとも、追いつめて、必ず読み込んでやる、そういう感情に近いかも知れない。

作者は、哀れな逃げるだけの獲物だ。どれほどに逃げ切ろうとも、いずれハンターに撃たれる運命にある。
それでも、その逃げる途中で何度も痛い目に合わせる。裏切り、更に先を行き、スピードを上げる、そのくせ、待っていたりする。

良く出来た作品は、悪戯好きの妖精が猟犬を揶揄(からか)っているかの様だ。木の根っこに突っ込んで鳴き面の前でクスクスと笑っているのかも知れない。

猟犬である我々が、その行き着く先を知らずに、何の考えが思い浮かべようか。単に身を任せているのではない、その行きつく先を予感と共に歩んでいるのだ、作者と。

漫画にはセリフで心理を現すものと、絵で心理を読み足らせるものも二種類がある。どちらにせよ、巧みに隠しておいた心理をどこかで明確に読み取らせる手法だ。

人の半歩先を進むのが一番共感を得られる、一歩では進み過ぎだと言われる。だが実際は違う、人が読み解けるように隠しておくのが一番共感を得られるのだ。

何処に置くかではない、どうやって隠しておくか、だ。子供が遊ぶときによくやっている。

見つけた時に、喜びがキラキラとするだろう。

これらの演出はそうやって喜怒哀楽を初めとする複雑で多彩で謎の多い感情に訴える。なかでも特に強力な感情は感動である。

何故、感情に訴えるのか、それが最もシンプルでブレないものだからだ。

感情は全ての終点であり、そして、始点である。優れた漫画は、必ず人を揺さぶり、感情の面で人をスタート地点に立たせる。その感動で満足していては不十分で、味わい、読み返し、また読み返し、そして発見する、そうやって考えてゆく。

感動をもって、決して、到着点で終わらせてはならない。

感動が何故に生まれるだろうか。それは誰にも分からぬだろうが、私達は感動するように作られている事は確かだ。

それに加えて感動を生み出すために絶対に必要な事がある。それは過去だ。

過去に何が起きていたのか、二人の関係や歴史、感情が描かれていなければならぬ。どうであれ過去への理解がない所に感動は生れない。

であれば、演出とはそのほとんどが過去を散りばめる事と言い換えてもよい。

演出よりも何よりも、言葉そのものが過去である。常に、我々に理解された言葉とは、既に過去であるし、過去を指している。

例えそれが未来について語っていようとも、言葉として定着してしまえば、それは未だ来ていないだけの、来たるべき過去に過ぎない。

だが、時々、それが過去に定着しない言葉が生れる。それが感動を生み出しているのかも知れない。感動とは過去と未来を繋げる今に存在しているのかも知れない。

実は、言葉もまた、時間芸術なのかも知れない。

それは意志というもの、込められた思い、願い、強さ、弱さ、諸々、それが読者も含めた人々に伝播する時に起きる何等かの感情かも知れない。

言葉は読者を裏切らなければならないし、同じく理解されなければならない。

過去は裏切らなければならないし、未来を共有しなければならない。

未来は裏切らなければならないし、過去に対しては誠実でなければならない。

過去がある、未来がある、そして今がある、それが物語の構造というものだろうか。

物語が何故に感情で出来ているのか、感情こそが最も正直だからだ。そして感情こそが最も正しく過去を理解するものだからだ。

演出とは正に今に続く過去を探す工程であり、物語とは、過去から帰ってくる行為だ。

だから、感動するだけのものは、今に留まる限り、今という過去を生きる者に過ぎない。

感動という過去をしっかりと見つめて見る。そこにある過去は、決して作者の過去ではない、自分自身の過去だ、その過去からの一番の正直な感情は、一番直な感想を心に浮かび上がらせる。

その感想こそが、自分の過去そのものであり、真っ直ぐではなく、歪んでいたり折れていたり変態である自分の、それを含めた過去からの全てのメッセージだ。

それは理性なんかでは捕え切る事など不可能な巨大な蓄積であるのに、それがたった一つの直な感情となって現れる。

だから、この感情の声に耳を傾けるべきなのだ。それは未来へと届けられたくて体の奥底から噴出した自分の過去全てだ。感情は常に自分の過去全てを背負って発せられる未来への明かりだ。

無様かもしれぬ、醜い姿かもしれぬ、化け物と呼ばれるかも知れぬ、それが今の自分の姿である。感情とは、その怪物の怒号かもしれぬ。

その姿を鏡に当てて見る事は出来ない。その姿を見たければ物語で比べてみるのがいい。

自分の好きな物語の感動はその作者と繋がる。それは読者のみんなとも繋がる。全員が自分のすぐ近くにあり、似たものであるはずだ。

作者は、こうしてただ、自分の感動を吐き出している。それが、どれだけの感動を生むか、倦まれるか、など分かりもしない。

読んでみようじゃないか、漫画の中を生きる彼らを。印刷された過去の中から、言葉の力で今を生きているではないか。彼らには、宇宙へと行こうとも行くまいとも未来があるように思われるではないか。

ここにあるのは近い未来に本当に起きて欲しい作者の願望だ。こうあって欲しい、宇宙とはこういう世界であって欲しい、それに読者がそれぞれの自分の姿を登場人物の中に見つけ出す。

巧みに隠された秘密とは、自分自身の新しい姿だ。

僕にはそう思われる。