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2016年11月19日土曜日

終わらない人 宮﨑駿 - NHKスペシャル

引用


宮﨑 駿に再び火がついた! 最新作のきっかけはゴミ拾い?♢終わらない人 宮﨑駿 |NHK_PR|NHKオンライン

毛に関しては完全に計算で動いています。自然界にある毛の動きはこうであるというのをコンピュータで計算して出していると。空気抵抗とかを計算するって処理が入ってます。一応風を吹かす数字を入れると吹くと。

はーあ。さっき朝飯くったばかりなのに、もう昼飯で、それで帰って、うちに帰って、ビール飲んで寝て一日が終わる。

だけど、ヘボは作りたくないっていう。違うところへ行きたい。
自分が好きな好きだった映画はストーリーで好きになったんじゃない。そのワンショット見た瞬間に、これは、素晴らしいって、それで。
それが映画だと思ってるから。

やっとわかったんですよ。謎が。
生き物の気配が無さすぎるんだよね。それを足そう。

夜の魚を置こうっていうね。面白いことはおれ人にやらせないって言う。

なんせ、映画、できちゃった時に、情けない思いをしないことが一番大事だから。
ああやっときゃよかったってことが絶対ないように。やったけどダメだったね。ってのがましなんだよ。
そう、ほんとにそう。

世界は美しいって映画つくるんだよね。気が付かないだけで世界は美しいよって。
そういう目で見たいだけなんだよ。

結構ね、CGのスタッフたちが作った大ボロたちが面白いんですよ。負けてたまるかってのもあるけど、おお、よくやってると思って。

当たり前だよ。だけど、そういうのを前面に出している時期じゃないからね。俺は。

それより、いま作るんだったら、なに作るんだろうっていうふうに思うけどね。
こういう時代は渇望するものがあるはずなんです。
気が付かないけど、みんな。絶対。

長編を作るってのはやっぱりまあ生易しいものじゃないから。いったい今から立ち上げて5年もかかったらいったいオレは80だよ。

この話はおもしろいからやってみようとか、こういうのやってみたかったからやるとか言うことなんかでやっちゃいけない。
必ず何か巻き込んでひどい目に合わせることになるから。迷惑をかけることになる。心臓が止まりましたとかさ。本当に。

あのう。うーんとね。

毎朝会う、僕、このごろ毎朝会わないけれども、身体障碍の友人がいるんですよ。そのうハイタッチするんだけでも大変なんです。彼の筋肉がこわばっている手と僕の手でこうハイタッチするの。で、その彼のことを思い出してね。

僕はこれを面白いと思って見ること、できないですよ。

これを作る人たちは痛みとかそういうものについてね、何んにも考えずにやっているでしょう。きわめて不愉快ですよね。そんなに気持ち悪いものをやりたいなら勝手にやっていればいいだけで。僕はこれを自分たちの仕事につなげたいなんて全然思いません。極めて何か生命に対する侮辱を感じます。

どこへたどり着きたいんですか。
人間が描くのと同じように絵を描く機械。

地球最後の日が近いって感じがするね。そりゃ、人間の方が自信がなくなってきているからだよ。

女房にも言ってないですよ。
だから言う時は、ここで死んでも、途中で死んでも
十分考えられるから
そういう覚悟でやるから
認めてくれって言うしかないですね。

だけど、
何もやってないで死ぬより、やっている最中に死んだ方がまだましだよね。
死んではならないと思いながら死ぬ方が。

ヤッチンはもう一本やんなよって盛んに言ってたんだよね。でも俺はもう、ヤッチンがやるならやるよって言ったら、返事しないんだよ。だけどもうできないとは言わなかったんだ。

手書きとCG


手書きできれいな線をすっと描く。その道の人ならば、一生追い続ける技術であろうし、ほんの数秒の話である。

これを CG でやろうとすると大変である。一点ずつをコンピュータに教えないといけない。どの点にどの色を置くか。自然な手と黒鉛が作る微妙な強弱、濃淡も一点ずつ、位置と明るさという数字に置き換えて書き込まなければならない。

そういう手間暇を考えれば、CG とはなんとバカバカしい機械か。確かに一点ずつ指示する限りはその通りである。愚かでバカバカしい。ただしそこで馬鹿者なのはコンピュータの方ではない。

コンピュータのポテンシャルは、繰り返しと再現性の高さにある。それがコンピュータの利点であり、それを教え込めば、休むことなく壊れるまで動く。

コンピュータを使うならば計算である。一点一点の位置と色を教えるのではなく、位置も色も計算で出させる。計算式を教える事でコンピュータは非常に役に立つ機械になる。それをコンピュータ自身に見つけさせるのが AI である。

最初は人間がすっと引ける線をコピーするだけでも AI には何か月も掛かるだろう。だが一度その方法を見出してしまえば、1秒で 10km でも線を引く事ができる。

現在の CG では人間のような個性は持てないかも知れない。勝手に持たれては返って使いにくいだろう。

AI に金田伊功ばりの絵を描かせるのはもう少し先の話だし、彼に匹敵するだけのアニメータに育つのもまだ先の話だ。それでもその方向に僕たちの時代が動き始めているのは間違いない。

毛虫のボロ。卵から生まれる前から既に意識はあったはずで、卵の殻を通して外の音を聞いていただろう。うっすらと殻越しに外の明かりも見えていたはずだ。

そういうボロの意識が卵の殻を破る時、どういうことを思うか。ここから早く出なくっちゃ?お腹空いたなあ?そこから飛び出そうとする時に何を感じるだろうか?

でも子亀は一斉に海を目指す。海に飛び込むことが生きることであると知っているかのように。何かに焦燥するかのように。では少し臆病なボロはどうであるか。あるべきか。

これを演出する時に、恐らくセル画ならこうなるという感覚でコンテが切られたのは間違いない。僕たちは手書きのセルの中に思った以上の生命の痕跡を見つけているようである。だから手書きと CG では含まれている成分の量が全く違うと言っていい。

絵が違えばそこに含まれるものは異なる。ならば、絵が違えば狙うべき演出が変わるのも自然だ。それをボロの始まりは教えている。セルアニメでアニメータが描けば、殻から顔を出し、周囲を見回すだけで表現できていたものが、CG の質感だとそれでは足りない。というのが面白い。

絵の表情が演出に変化を要請する。考えれば当たり前である。それに気づくのにさえこれだけの時間、多くの試行錯誤が必要であった。こんなに面白い話があるか。

同じ演出であるはずなのに、CG で描くならば夜の魚たちが必要になった。生き物の気配が無さすぎる。それが CG の特質であった。

セル画が知らず知らずのうちに持っていた気配が、CG の動画からは消えていた。だから消えてしまったものを足すのが当然の演出。

どちらが優れているかという話ではない。紙で作った造形と、プラスチックで作った造形とそれぞれに違う個性がある。これは素材が持っている本質に係わるものだ。という事は、素材の違いが作品を全く別のものに変えるという話である。

これを敷衍すれば、誰がどのシーンを描くかによって作品は違うものになる、それを示唆している。描いた人が違えば違う作品である。別の言い方をすれば、誰がやっても同じという事はない、そういう話になる。

人の数だけ、違った作品がある。だから新しい作品は CG を活用して欲しい。手書きと CG のハイブリッドになって欲しい。実際、そうしなければ間に合わないとも思うし。

AI は人を置き換えるための道具じゃない


「どこにたどり着きたいんですか?」「人間が描くのと同じように絵を描く機械」。これは人間のアニメータを全て機械に置き換えたいと語っているのに等しい。人間のアニメータなんか育てるのも大変じゃないですか。この機械を入れれば、人間というコストもリスクも削減できますよ。

AI を使えばアニメータを一掃できるという目論見は一部の企業が AI を独占しているモデルだから成立する。個々人が AI を持つようになれば誰もが専門的訓練を必要とせず一定のレベルを身につけたアニメータになる事が可能になる。

絵が描けない。AIが変わりに描く。動きに興味がない。AI が勝手に動かしてくれる。物語が描けない。AI が組み合わせる。そうなった時、人に求められるものは何になるのだろう。それは全く違ったものになるだろう。

参入のハードルが下がれば新しい天才が現れる。絵の描けないアニメータも登場する。手書きでは描けない CG アニメータは既に存在するだろう。そのような時代に人に何を求めるのか。なぜ人は教育されるのか。

基礎学力、鍛錬して身に着けなければならない能力、そういうものがこれまで必要であった。それがなければ仕事もできない。かつて読み書きそろばんは仕事に欠かせない能力であった。

では電卓が登場した時代に、なぜ子供は掛け算、割り算を習得しなければならないのか。日常生活で困るからか。もちろん、そうではないはずである。子供が算数を学ぶのは計算ができるようにするためではない。

子供が学習しなければならない理由は、成長期に脳を鍛えるためだ。スポーツ選手がトレーニングを必要とするのと同じだ。実務で使える能力など AI で置き換えられる。考える力、推論する能力、関連性を見つけだす直観力、相関関係、因果関係を見抜く発想さえ AI に凌駕されるだろう。

だから脳を鍛錬することなど能力だけに注視すれば無駄な話である。人間に勝ち目はない。ではなぜ教育は必要なのか。

恐らく、人間が議論をする相手は人間でなければ面白くないからだ。AI の答えでは議論が進まない。ああだ、こうだ、と議論する楽しさが味わえない。分からない者同士でなければ議論をする楽しみは得られない。AI では孤独は埋められない。

では AI は人間の奴隷でなければならぬのか。その正当性はどこにあるのか。これは果たして空想的な議論であろうか。ロボット三原則に対して手塚治虫はロボットたちの奴隷解放を描いていたはずである。萌芽は既に芽吹いている。

なぜ我々は AI に動画を描かせたいのか。それは人間では決して描けない動画を見たいからだ。AI の使い道にそれ以外の答えがあるとは思えない。人間を置き換えるなら人間でことは足りる。人間に出来ない事をするために AI を使う。今の所。

CG でボロの毛の一本一本に空気抵抗まで含めて計算する。それが凄いという話じゃない。そうしないと人間の目には自然に見えないだけの話だ。

どれだけ優れた CG と言えども地球の原子ひとつひとつを計算して求めた結果を描画しているわけではない。今のコンピュータの能力はまだ非力だ。

では、地球を巨大な原子シミュレータと仮定すれば、原子ひとつひとつの動きをリアルタイムで計算しているコンピュータと地球は同じだと見做せる。その計算量と比べれば、現在の CG の計算量など太陽の前の芥子に等しい。

地球上で起きる様々な動きをずっと見続けてきたアニメータがいる。どれだけ CG が計算しようが、地球の原子が作り出す動きよりもリアリティを持つはずはない。

この希代のアニメータの目が、人生の全てを見ることに費やしてきた人の目が、CG が描くものの中にずっと多くのものを見てしまったとしてもなんら不思議はない。僕たちには見えないものが見えてしまう。そんな目であると思う。

紅の豚で天空を流れていた飛行機たちの墓標が、風立ちぬにも同じ風景として登場する。この風景が宮﨑駿の信仰でないとどうして言えようか。彼の中に脈々と生きている造形がある。彼は決して口にしないであろうが、作品の中にそれは映写されている。

私はこう信じる。黙っていれば誰にも分かりっこない。論理でも善悪でもないどうしても手放せない映像。僕はそういう場所に降り立った。

ハテ、これはどういう事か。なぜ自分はここに立っているのか。いかに押し留めようとそれは映像の端々に漏れ出てしまう。そうでなければ面白くない。隠そうとしても隠しきれなかったものでなければ人を惹きつけるものではないと思うから。

そこに湧き出すひとつの泉がある。それは明日も湧き出しているだろうか。

明日も湧き出すなら作品は生まれるはずである。

2016年11月5日土曜日

淋しいのはアンタだけじゃない - 吉本 浩二

佐村河内守を揶揄するのは容易い。その背景に障碍者を弱者とする人の心が映し出されているから。

この漫画のドキュメンタリー性に引き込まれる。テレビで流れるドキュメンタリーの一年分よりもこの一冊の方が価値があるのではと思うくらいに。

音のない世界をシーンと表現する発明に匹敵すると思う。この漫画にある聴覚障害の表現は。音のない世界を音で表現する。聴覚障害を音で表現する。これだけ見事に表現しえたのは漫画であったからだ、と思うのは傲慢であろうか。

漫画は情報伝達に優れている。それは流れ(ネーム)で説明するからだと思うのだが、美味しんぼが古い情報を新しい情報で上書きするパターンだけであれだけ面白くしているのは流れが優れているからだろう。既知の情報をどう上書きするか、これが面白さの本質かも知れない。

耳鳴りや補聴器を使っても聞こえない表現を擬音や吹き出しを重ねて描く。吹き出しを幾重にも cascade する手法なら以前からあった。手塚治虫が既にやっているだろうし、手塚がやっていなくても誰かがやっている。

だが、騒音で聞こえないのと、聴覚障害で聞こえない事の違いがこうも見事に表現されたのを読むと、障碍者の置かれた苦労に圧倒される。聴覚障害とは音が聞こえないとか、聞きづらいではない。聞こえる者にはあくまで想像に過ぎないけれど、知らないよりはずっといいと思う。

と、ここで立ち止まる。本当に知る方が良いと言えるのか。ならば無関心と偏見ではどちらが望ましいか。無関心であれば、手を差し伸べない代わりに、苦しめもしない。苦しめるくらいなら知らないままの方がいい。本当にそうか。とまれ、知ってしまったなら仕方がない。それを昔の人はパンドラの箱と呼んだ。

聴覚障碍者も音は聞えている。それに驚いた。少し考えれば当たり前の事でさえ、無関心は盲目である。今の社会から障碍者が消えたのではない。狐や狸と同様に暮らしている姿を見かけないだけだ。

あのう、テレビや何かで言うでしょう。開発が進んで、キツネやタヌキが姿を消したって。あれ やめてもらえません?そりゃ確かに狐や狸は化けて姿を消せるのも居るけど…

でも、ウサギやイタチはどうですか?自分で姿を消せます?
平成狸合戦ぽんぽこ

聴覚障害者は気付かれにくい。僕たちは目が見えなくなる恐怖を想像する事はあっても、耳が聞こえなくなる恐怖を想像する事はない。

どちらをより無意識に処理しているかの違いであろう。脳の情報処理は視覚が中心である。だから視覚が意識されやすいのは理解できる。だが他の感覚がないわけではない。それらは無意識で処理されている。

だから、どれだけ音に頼っているかを我々が忘れがちだ。という事は、それだけ根源的な能力という事だ。意識しなくても処理できるまで自動化を進めたからである。誰も消化液の出し方など知らないが、病気でもない限り、苦労なく消化しているのと同じだ。

だから我々は意識的に周囲の音を遮断する。歩きながら、駅で、音楽を聴く。音のある世界も孤独なのだろう。音のない世界も孤独なのだろう。音楽で音を埋めてゆく。

街に出れば、スマホを覗き込んでは笑っている。何かと何かを結び付けているらしい。何もない(ように見える)空間に向かってアクションをする。以前ならば幻想でも見ているのかと思われた風景も、今では AR (Augmented Reality) と理解している。そこに何の不思議もない。

知らない言葉を話す人の中に居れば疎外感を感じるし、同じ話題で盛り上がれないのも悲しい。手話でもチャットでも同様である。生まれた時から音の聞こえない人には周囲の人が口をパクパクする姿がなかなか理解できなかっただろう。ヘレンケラーはそれを見ることもなかった。それでも彼女は言語を獲得した。

日本の障碍者への対応は世界でも遅れている方である。それは想像に難くない。厚生省の管轄だから、当然と言えば当然である。逆に厚生省が世界でも最も先進的であったら驚愕する。

佐村河内守の騒ぎは音楽にスポットを当てたが聴覚障害はフォーカスされなかった。もしこの騒動がなければこの漫画の在り方も随分と変わったであろう。FAKE (映画) と時期が重なった事が更にこの漫画を面白くしそうだ。タイミングが良い。

ここで重要な事は佐村河内守の音楽の話ではない。多くの人が障碍者に騙されたと思っている点にある。音楽に感動したのか、障害に感動したのか区別が付かなくなった点にある。

私たちは他人の障害をどうしても理解できない。障碍者であろうが、健常者であろうが、他人の苦悩は理解できない。それはあくまでも個人的な体験だからだ。だから、寄り添う事でしかできない。

その寄り添う心を利用されたのだ。だからその詐欺性を非難した。では音楽への感動とは何であったのか。あれは音楽に感動したのか。それとも障害に感動したのか。

僕たちは聞こえなくなる程、聞こえた振りが上手くなる。

障碍者の友人が「おれ、お前が耳悪いの知っていて」と肩を震わせるシーンがある。これこそ第一巻のクライマックスだ。このシーンにたどり着けたなら、もう何もいらない。全てはこのページをめくるための長い序章であった。

この何気ない会話の中に幾重にも重なった人間がいる。難聴者を友人に持つ事、それでも障害の詳細は知りえない事、そして人間は障害など関係なく互いに慈しみ合えること。

作品に価値というものが本当にあるならば、作者などどうでもいい。犯罪者であろうが、剽窃であろうが。誰かが作った作品など幻想である、そう思っておけばいい。天空の城ラピュタは宮崎駿の映画であるが、鳩を描いたのは二木真希子である。

ヴェロッキオの作品には自身がほどんど加わっていないものがある。彼の名前とは工房の名前と同じである。作者など抽象概念で構わない。誰が作者であろうと、作品の価値は何も変わらない。そう信じる。

本当にそうか。我々の脳は作者と作品を本当に切り離して考えることが出来るものか。脳の中で結びついたふたつの情報をそう簡単に切り離せるか。意識がそれを許しても無意識はどうなっている。

僕たちは本当に何も知らない。

2016年11月3日木曜日

会議室から - とある量産機の生産計画

ある日の会議室 I(機能の選定)


「そもそも頭部のバルカン砲が意味ないんです。」

「たいして弾丸が積めるわけでもなし、近接戦闘の優位性も認められていません。」

「試作機のβ報告書にも生産設備、生産工程への負担が大きく、それに比べれば戦局への寄与は少ないとあります。」

「モビルスーツのバルカン砲なんて所詮は設計者の趣味でしょう。悪い冗談だと思います。」

「ですから私としては量産機からはバルカン砲は外したいのです。」

「現場の整備士への負担もバカになりませんからね。砲弾を込める工程、ジャミングの危険性、発砲時の振動、爆発時の被害、補給部隊への供給システム、弾薬の生産、発注。総合的に見てもいまの連邦はこれが許容できる状況とは思えません。」

「どうしてもバルカン砲をばら撒きたいなら、マシンガンを持たせれば済むのです。航空機じゃあるまいしモビルスーツにバルカン砲なんて必要ありません。」

「ここで営業部からひとこと良いでしょうか?試作機のレポートは軍でも把握しています。バルカン砲も MUST 要件ではありません。担当者との打ち合わせでも撤廃の方向で合意しております。念のため、私が装備局の方にももう一度、確認してみます。」

「うん。そうしてくれると有難い。」

「頭部のバルカン砲が撤廃できれば、空いた空間を有効に活用できますね。課長。」

「そうだね。試作機よりも多くのセンサーが搭載できる。メインカメラ、バックモニターもより高精度なのが使える。レーダー、赤外線装置、データリンク機能も搭載できる。情報処理能力が格段に拡充できる。」

「あと、整備性の向上も図れそうです。現場での稼働率に直結しますからね。」

「試作機は配線を少し変えるのも大変だったなぁ。毎回、モニターから取り外すのは辛かった。」

「試作機は仕方ないとしても、量産機では改善していきたいですね。」

「試作機で収集したデータを十分に活用しなければね。事故で亡くなった方々のためにも。。。」

「次はビームサーベルについて。どうするつもり?」

「試作機と同じ二本差しで固定しますか?」

「いいえ。本体には一本も搭載しません。」

「それは、、、営業部としては受け入れられません。近接戦闘の重要性を軍は非常に重く見ていますから。」

「あ、これは失礼。説明不足でした。説明します。」

「まずビームサーベルの搭載という機能そのものは実現します。」

「ただ実現方法が試作機とは異なるという話です。」

「では一本も搭載しないというのは。。。」

「ここで搭載しないというのは、本体への直結型にはしないという意味です。」

「今回の機体はどちらかと言えば、要塞攻略用です。要塞に取り付き、各種施設の破壊工作をする事を目的としています。」

「その場合、ビームサーベルよりも爆破型の兵装をたくさん搭載させたいのです。ビールサーベルを外して、その分、他の兵装を拡充したいのです。」

「しかし、それでは格闘戦能力が落ちてしまいませんか?」

「軍からの要望でも要塞攻略は二つのフェーズで構築されます。最初に要塞に取り付くまでの防御網の突破。次に要塞内での破壊工作。軍はその両方に使用できる機体を求めています。」

「ですから、要塞に取り付く前に、近接戦闘が発生するとみています。その時に近接戦能力は重要視されます。」

「そこでは、必ず格闘戦が発生します。それに対してビームサーベルの搭載は必須の要求です。」

「はい。それは了解しています。我々としてはこのふたつの要求を満たすために量産機には新しいモジュール構成を取り入れたいのです。」

「作戦や投入されるエリア毎に求められる機能が変わってくるでしょうから、これに答えるために我々としては拡張パックの導入を強く推進したいのです。」

「拡張パックとは具体的にどういうものになりますか?」

「ひとつは、試作機のランドセルを本体から分離します。あのランドセル部分を取り外せるようにします。」

「モビルスーツのモジュール化とは、本体と外部オプションの切り分けの事になります。共通部と拡張部を大胆に分離して設計するのです。」

「別の開発部が試作機をそのまま発展させるマークII計画を実行中ですが、我々としてはそれとは全く違うアプローチで量産機を開発したいのです。」

「我々はこの機体を大きくふたつの部分に分けて設計します。ひとつは本体コア系の設計です。次に使用目途に応じた拡張パックの設計です。」

「試作機はランドセルも本体と一体型で設計されています。ですからビームサーベルも固定的に二本搭載されています。新型機では、ビームサーベルは拡張パックで対応することで、搭載本数を限定しないようにしたいのです。こうして機体本体の応用力を高めたいのです。」

「なるほど、するとビームサーベルの搭載にもいろいろなバリエーションが用意できるということになりますね。」

「はい。その通りです。1本でも2本でも、ご希望とあらば20本でも搭載できます。」

「この拡張パックはその他にどのような機能が考えられますか?」

「はい。ビールサーベル以外に、推進バーニアの強化版も用意できるでしょう。速度重視のものから小回り重視のもの、活動時間を重視したものなどバリエーションは増やすことができます。」

「推進バーニアは重要なエネルギー源になりますから、強力な長距離レンジのレール砲も搭載できるようになるでしょう。長距離レンジの砲撃力も他の試作機よりはバリエーションが増やせるでしょう。」

「了解しました。営業部としては設計指針を理解できました。この方向で問題ありません。」

「ありがとうございます。」

「拡張パックの設計はこれから色々と詰める必要はありますが、重要なことはコアと拡張部のインターフェース設計です。この規格さえ決めてしまえば、様々な活用ができると考えています。」

「あのー、ソフトウェアについてひとつ聞いてよろしいですか。このような拡張パックを搭載すると様々なバリエーションのソフトウェアが必要になりそうですが?例えばビームサーベルモジュールを持つ機体と持たない機体のソフトウェアを多数用意しなければなりませんか?」

「いいえ、ソフトウェアについては一本化したいです。今考えているのは、拡張パックから必要なモジュールをダウンロードして使用することです。これによって、本体側のソフトウェアを一本にします。拡張パックと接続した本体側は、必要なモジュールを拡張パックからダウンロードして取り込むようにして頂きたいのです。」

「必要なドライバは拡張パック側に搭載しておきますから、それを使用するだけで良いわけです。拡張パックを外したら、ドライバもアンインストールすればいいわけです。そのあたりの設計は少し難しくなりそうですが、この仕組みの実現をお願いしたいのです。」

「なるほど。了解しました。持ち帰って検討させていただきます。」

「あと、もうひとつ。ビームサーベルを搭載していない機体は、ビームサーベルを使う事はできますか?これはビームサーベルの使用は本体側のソフトウェアには一切搭載せず、拡張パックに依存してよいかという話になります。」

「例えば、どの機体でも他の機体から借りて使うことが出来るのか、それとも拡張パックを搭載していない機体では使うことが出来ないのか。その辺りが変わってきそうなのですが。。。」

「そこは使えるようにしたいです。もちろん、全てが可能ではなく、使用できないパターンも出てくるでしょうが、標準モジュールは全て搭載しておいて欲しいです。ビームサーベル、ライフルなどの標準兵装です。拡張パックはあくまで、標準モジュールで対応できない兵装に対するものになるかと。」

「了解しました。ブランチを増やすとテストも累乗的に増加しますから、そのあたりも考慮しておかなければなりませんね(これは結構大変そうだわ、、、)。」

「では、次に装甲について。装甲はどうなるかな。」

「本体の装甲はコアパック以外には施しません。これは本体の製造コストと生産性を向上させるためです。」

「じゃあ、本体の装甲はペラッペラにしちゃうの?」

「はい。メインコンピュータと操縦席以外の場所はもう限りなくペラッペラにします。」

「基本的な装甲の充実は、拡張パックによるアーマード化で対応します。」

「試作機みたいに盾は持たせないのですか?」

「はい。盾を持つと片方の腕が塞がれてしまいますから。両腕はもっと有効な事に使いたいです。試作機はシールドを自由自在に使えるようソフトウェアが結構頑張っています。更には本体もかなりの装甲化がされていますからかなり頑丈な機体です。」

「この機体ではその辺の考え方をがらりと変えてしまいたいのです。」

「すべての機体が重装甲である必要はありません。」

「そうね、その方が機体の製造率も上がりそうね。拡張パック、装甲パックの組み合わせで色々な機体が用意できるのは魅力的かも知れないわね。」

「軍は搭乗者の生存性が損なわれなければそれでいいようです。パイロットに対する安全製は最も高いプライオリティです。」

「コアパックの装甲は試作機よりもかなり高くしますよ。ザクマシンガンの2500m地上直撃でも破壊されない厚さです。」

「もちろん、脱出装置はつけますが、脱出ポッドはあきらめて下さい。あの複雑すぎる機構は、新型には取り入れません。」

「脱出アーマーで操縦方法を統一するというのはよいアイデアでしたが。アイデア止まりですね。実際にやってみたらコストが高過ぎます。メカニックの整備マニュアルがまた莫大なんです。あれは整備士を過労死させるための仕組みです。」

「そこは問題ありません。あれを量産で載せるとなると、軍の要求数はとても生産できませんから。」

「操縦システムはどう見直してゆきますか?」

「操縦システムは、試作機をベースに設計します。ソフトウェアも流用してもらって構いません。ソースコードについては、ソフトウェアチームの方から問題ないという回答をもらっています。」

「エンジンの出力は試作機よりだいぶ落としていますね。」

「ああ、そこは仕方ないんです。」

「軍需部に問い合わせたら、今すぐ大量に納入できるエンジンがこれしか用意できないのです。今はこれを乗せるしか手がないものですから。」

「もちろん、エンジン交換は前提の設計です。試作機の強力なエンジンも搭載できます。」

「そうか、なら、新しいエンジンが開発されたら、乗せ換えるつもりなのだな?」

「はい。あと10年は使える基礎設計を目指しています。」

「耐熱フィルムの搭載はどうする?」

「大気圏突入も可能するとかって触れ込みで少しだけ軍に納入されたやつですよね。」

「軍は本当に今後もあれを大量発注する気があるんですかね?」

「ないだろう。オーケー、不採用だ。」

「私からの要望は腰回りだけは全面的に見直してくれという事だ。試作機は陸上歩行にこだわり過ぎているんだ。宇宙空間に限定すれば、あれだけの地上能力は不要のはずだ。腰回りはもっとすっきりできるはずなんだ。」

「地上でも作戦行動は予定にないですよね?」

「はい。地上行動は今回は除外してよいです。今回の機体は宇宙での使用だけでほとんど問題ありません。要塞内での低重力下での歩行が出来ればそれで十分だと聞いています。」

「ほとんどと言うことは、地上での走行も発生するということですか?」

「ええと。この機体は地上でも生産されますからね。生産された機体は宇宙リフトまで自力で歩行できなくてはなりません。」

「どれくらいの距離ですか?」

「ええと。500mを30分ですね。」

「ああ、それくらいなら、治具を使えばなんとかなるでしょう。」

「陸戦型はどうせ腰から下は総とっかえするに決まっているんだ。地球でのことは考慮しなくていいよ。」


ある日の会議室 II(その後)


「あー、すみません。最初に謝罪しておきます。営業部は敗北しました。頭部のバルカン砲は必須課題になりました。」

「え、軍からの要望ですか?」

「試作機が敵機をバルカン砲で撃破したとの報告が入りまして。それで MUST 要求にエスカレーションしてしまいました。」

「ああ、そのせいで。。。誰かは知りませんが、余計な事をしてくれましたね、そのパイロット。。。」

「あと、もうひとつあります。製造コストを更に下げろと言われました。」

「はい?」

「どうしてまた?」

「軍はとにかく機体数を揃えたいとの希望です。今年度、来年度の予算を使って200機の発注です。」

「我々の見積もりは130機でしたね。。。」

「機密費を流用してはくれないんですね。」

「銃殺刑覚悟でか?」

「どうします?」

「本体設計は今のままで行こう。ここは変えられない。死守する。その代わり、拡張パックをコンパクトにしてコストダウンを図ろう。」

「拡張パックのアーマード化も中止ですか?」

「それが一番の現実解だろうなあ。」

「しかし、それでは防弾能力が著しく損なわれますよ。」

「仕方ない。試作機みたいな方法は採用したくないが。。。シールドを復活させよう。」

「腕が一本自由に使えなくなるんですね。」

「仕方ない。。。」

「ただ、両腕が使えなくなるので長距離砲が搭載できなくなりますね。どうしましょう?」

「長距離砲はもう発注済みです。なんとか軍納入に組み込んでもらわないと。。。戦後まで倉庫に山積みではいい笑いものです。というか、私、左遷されます。。。」

「既存の戦闘機に搭載するってのはどうですか?これなら改修費もたいぶ抑えられると思いますが。」

「それではモビルアーマー扱いになって、担当部署が変わってしまいます。あくまでモビルスーツという建前でないと私たちは納入できません。」

「。。。」

「戦場の勝利よりも、部署の管轄です。我々には統制のとれた勝利が必要なのです。長く仕事を円滑に進めるためにもこれはとても大切な話なのです。」

「仕方ありませんね。ではモビルスーツ搭載という事で。」

「あ、でもモビルスーツという建前さえあれば、戦闘機みたいな形状でも構わないのですか?」

「ええ、それはそうです。ある程度の形さえあれば、後は営業部でなんとかねじ込んでみせます。」

「ではコアパックの操縦席に長距離砲とバーニアだけをつけたものを用意するのはどうですか。」

「こんな感じです。どうですか?」

「あ、何か手もつけてください。その方が軍を説得しやすくなります。」

「了解、了解。では、こんな感じでマニピュレータを配置してと。」

「どうです、これなら?」

「おお。悪くありません。いや、これいいですよ。これでいいです。これがいいです。」

「良かったですね、これで左遷は回避できますね。」

「ははは、ありがとうございます。」

「これは量産機とペアリングで行動できるようにできませんか?公国にも無線操縦型のピットというのが開発されていると聞いています。あれと同様に、これも新型機から無線操縦か何かで操作できればいいのですが。」

「公国のあれっていまいち操縦形態が分からないんですよね。かなりの秘匿案件みたいで。」

「ちょっとすぐは難しいですね。ソフトウェアが間に合いませんね。」

「そうですか。いや、ちょっと言ってみただけです。気にしないでください。」

「これは長距離射撃専用の機体になりますが。戦艦の近くに配備して射撃するのを想定しています。それで十分でしょうか?それなら装甲とか飛行性能もそんなに求められないと思いますが?」

「はい。私もそれでいいと思います。」

「では、この線で設計を見直してくれ。わたしは各部署に連絡しておく。連携を密に連絡をこまめに進めてくれ。」


ある日の会議室 III(テレビを見ながら)


「おい、最前線に投入されているのはあれボールじゃないか?」

「あ、ほんとだ。装甲なんてないに等しい機体に無茶させてるなぁ。」

「いくらジムのシールドの影にいるからって、、、」

「あ、でもこれは上手い戦法だ、複数のジムでテストゥドを組んでいるのか。その中心にボールを据えて長距離砲をうまく使っている。」

「なるほど、これで要塞まで取り付こうとしているんだ。」

「でも格戦闘能力は敵の新型機の方が上みたいですね。あ、今も狙い撃ちされました。どうしても陣形が崩されてしまいますね。」

「だが、よく見てみろ。破損しながらも動いている機体が多い。生存率も期待できそうだ。コアパックが破壊されている機体はほとんど見られない。」

「要塞攻略に特化した機体が間に合っていたらもう少し違った戦い方が出来たかも知れませんね。」

「そうだな。詮方ない。だが戦場の人たちはうまく使っていると思うよ。」

「データリンクが向上しているから、密集したり、隊形を組むのは得意なんだ、この機体は。」

「単独での格闘戦では劣勢は仕方ない。だが、編隊さえ組めば、十分に要塞の防衛網に対抗できているように見えるよ。ほら、また一編隊が要塞に取り付いた。」

「まるで蜜蜂のようですね。」

「あ。うん、、、あの要塞はもう長くは持たないだろうね。」

「そう見えます。」

「これが。。。うん。連邦の勝利だ。」