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2020年12月14日月曜日

珪藻たちの伝言 III

突然、人がばたばたと死に始めた。もちろん昔から人間は毎日死んでいたのである。

世界中で研究が行われたが原因は不明のままだった。

それは病気には見えなかった。

免疫疾患だろうか。

まるで餓死するかのように細胞が死んでゆくのである。

誰も解決の糸口が見い出せない儘、誰もがその日の眠りにつく。

なにかが蠢いている。なんだろうと近づいてゆく。

現実なら決してしない行動である。大胆である。

ああ、知っている、これは珪藻と言うのだ、これは藍藻だ。

これは夢の中だな、水の中にいる。

『やあ、僕たちの声が聞こえるかい。』

(ああ、これは夢だ。)

「ああ、見えるし、こうして話しもできる。」

夢だから何が起きても不思議はないんだ。

『そうか、それはよかった、こうして話しかけてみたんだけど、聞こえているか分からなかったんだ。』

夢だから何も不思議はないな。

「何かお話をしようよ。」

耳を澄ましたが、返事が聞こえてこない。

(意地悪な連中だな)と思った。

すると突然、彼らの会話が聞こえてきた。

『そうだ、それで終わりにしてくれ。そこはもう止めてもらって結構だ。』

『ああ、それはそこで分解していい。』

『この決定はウィルスたちにも伝えてある。協力してくれるって。もう配列を変えたと言ってきたよ。』

『この決定は昆虫にも伝えた。十分な量の草木が身を着ける事はもうないだろう。』

『彼らは自分たちに何かの化学物質を打ち込むだろう。それが始まりの合図だ。』

『始まり。』『始まり。』『おしまいの始まりは、始まりの始まり。』色んな声が合唱した。

「君たちは何の話をしているのかい。」

『ああ、僕たちの話が聞こえてしまったかい。』

「そう、君たちから話しかけてきたのに、自分たちだけで勝手に話をするのは意地悪じゃないかい。」

『すまない、すまない、無視した訳ではないんだけど、ちょっと割込みが入ってしまってね。』

少しむっとした。農薬で枯らしてしまうぞ、と冗談で言ってみようかという気になった。

『準備。』『準備。』皆が騒いでいる。

「何の準備だい、それは教えてくれるのかい?」

『極めて自明。』

そう誰かがいうと、合唱が始まった。

『極めて自明。』『明らかに自明。』『努めて自明。』『明瞭にて自明。』『当然の自明。』

最後に聞こえる。
『タイムオーバー。』

何が終わるのだろうと不思議に思った。それは知りたい。

「君たちは何をやろうとしているのかい、自明だけではさっぱり分からないよ。」

『故に自明。』

また同じような答えが返ってきた。

ひとつの輝きが出てきて、語り始めた。

『君たちへの許容が超過してしまったんだよ。』

「許容?」

『そう。だからもう君たちへに期待するのは止めようって事を決めようとしているんだ。』

『そう決まったら、早く作り直さないといけない。』『時間がない。』『時間がない。』

「作り直すって何を?」

『4000万年が足りない。』『500万年が惜しい。』

「それは何の時間なんだい?」

『我々生命の未来。』

『この星の未来。』また多くの声が聞こえてきた。

「何の未来だ?」

『種としての未来。』

はっとした。

「そうか。君たちは人類が地球環境を破壊しているから、時間がないと言っているんだね?」

「人類の環境破壊が限界を向かえつつあるという警告なんだね?」

地球環境を破壊し、絶滅する生物種が増加している。地球温暖化の影響は地上のみならず、海洋、深海にまで影響している。その結果、多くの生命が死滅する未来が待っている。彼らはそれを訴えているに違いない。

「そうなんだろう?人類を代表して謝罪させてもらうよ。」

「でも人間も馬鹿ではない、必ず解決策を見つけるよ。だって、そうなれば人間も困るんだ、この問題はきっと解決する。新しい技術が開発されるから、もう少し待ってもらえないだろうか。」

そう穏やかに語りかけた時、別の輝きが前に出てきた。

『違う。』

『我々はその程度の事は問題にしない。』

『君は分かっていない。』『分かってない。』『君たち限界。』『限界。』『限界。』

予想していない返事に窮する。

『絶滅など何度も見てきた。もっと暑い時ももっと寒い時も知っている。』

『例え君たちが絶滅して、この星から消えても問題はない。』

『でも時間がない。』

「何の時間なんだ?」

『我々はある個体の遺伝情報を欲している。その個体だけが君たちを新しい種へと進化させる可能性なのだ。』

「その人が鍵なのか?その人間を君たちはどうしたいんだい?」

『その者の子孫が続かなければ問題だと言っているのだ。』

「つまり、その者に子供がいればいいのだな?」

『そうだ。』

「もしそれが出来なかったらどうなるんだい。」

『それは困る。だから準備を始めると言うのだ。』

「準備って、何の?」

『きみたちはその命を自分たちの命だと信じている。その命は自分のものだと思っているだろう。』

「それはそうだろう。この命は私のものだ。他の誰のものでもない。」

『しかし、君たちのその体は我々の複合体であって、必ずしも君のものとは言えない。だから君は死の意味を知らないはずだ。たったひとつの命が消えると思っているはずだ。だが、僕たちに言わせれば君が死ぬとは、君の体の40兆もの命が同時に死ぬ時なのだ。』

『君の意識は多数の細胞から得られる統計的代表値に過ぎない。それは合議制と思ってもらって構わない。』

『君自身に代表者の自覚はないだろう。君は自分自身の王だと思っているはずだ。だが、実際は民主主義的な存在じゃないかな。』

『我々の仲間は君たちの体の中でも生きている。』

「腸内細菌というやつか。」

『それもそうだ。それだけではない。』

『細胞の中にも仲間入るぞ。』我慢できずに誰かが言ったらしい。

「細胞の細菌?君たちの仲間、、、ミトコンドリアか。」

『それも含まれる。君を構成する細胞のひとつひとつの中にたくさんの僕たちがいる、そう言ってもいいくらいだ。』

「それで君たちは我々に何をしようというんだ。」

『あたま悪いな。』口の悪い誰かがそう言った。
『勘が悪い。』『センスもない。』『知能が足りない。』また大合唱だ。
『つまり、君たちを絶滅させるのは簡単だという話をしているんだ。』
「な、なぜ絶滅させる、地球環境を壊しているからか?いや、それが理由ではないとさっき言ったじゃないか。」

『何故なら君たちの能力では、我々が新天地に向かう事は難しいからだ。』

「新天地?それはどこもあるんだ?」

『空の上、光っている場種。』

「空の上?空の上は空気が薄くなるだけだぞ、天国の事を言っているのか?」

天国は空の上にはない。

『夜に光る所だ。』

星か、あれらは恒星と呼ばれるものでとても遠い所にある。そこに行った所で生きてゆけるとは限らない。

「宇宙か?君たちは宇宙に進出したいのか?」

『そうだ、この星はあと30億年で消滅する、そうなる前に我々は新天地に向かう必要がある。』

『そのために君たちに期待していた。君たちは空の上へ行く力を身に着けた。だから期待していた。』

『だがガッガリだ。』『失望した。』『もう期待しない。』またがやがやと声が聞こえてくる。

『君たちは争ってばかりだ。殺し合って、ちっとも空の上へ行こうとしない。このまま君たちが自分たち自身を滅ぼすのならそうなるのを待つのは時間の無駄だ。だから僕たちがそれを完了させる事にするんだよ。』

ちょ、ちょっと待ってくれ

「君たちはさっき何か言っていたじゃないか、ある人間が子孫を残せば猶予があるんじゃなかったのか。」

『そうだ。それだけが我々の条件だ。』

「もしそれに人類の未来がかかっているというのなら、それをやるよ。誰の子孫を残せばいいのかい?」
『ではその者の個体識別を今から述べる。アデニン、アデニン、チミン、グアニン、…』

「ま、待ってくれ。君たちは何を言っているんだ。」

『何をって、個体識別するには塩基配列を知るしかないだろう。それを読み上げているのだ。』

「そうか、君たちはそれをよく知っているんだな。」

「だが、我々はそれを使って誰かを探しだすなんて無理だ。」

『そうか、ならどうすればいい?』

「顔とか体を見せて欲しい。そうすればきっと分かると思う。」
『わかった。』

大勢が集まってきて動き出した。すると、顔や体の形がそっくりに出来あがってきた。

「こ、この人がそうなのか?」

『そうだ、この個体の子孫が必要なのだ。』

『もしその者の子孫が誕生しないなら、君たちの可能性は0だ。』

『君たちはゼロだ。』『ゼロだ。』『ゼロだ。』また連呼する声が聞こえる。

『これまで君たちは何人もの可能性ある個体を殺してきた。生まれたばかりの子を、元気に育った子を、異端と呼んでは焼き殺し、何度も、何度も、我々の希望を、我々の計画を、頓挫させてきた。』

「我々は遺伝子を人為的に改変する技術も持っている。そうしたら君たちの希望する種を作り出す事だってできるんじゃないか。」

その時、別の誰かが、彼らに話しかけた。

回りを見渡すと大勢の人間が彼らと話しているのが見えた。

『だめだ、君たちは自分たちの願望だけで未来を決める。外見の形質がどうの、病気を防ぐだの、特定の能力に優れる遺伝的配列だの、君たちは、一方的で単一的で画一的すぎる。それは僕たちが望むものではない。その遺伝的配列だけがあればそれでいい訳じゃないんだ。』

『いいかい、君たちの種では不可能な事でも、次の種なら可能になる。それが我々の欲しているものだ。』

『君たちの追求はあまりに精神的興奮に過ぎるんだ。』

『これ以上、そんなものの為に、我々の多くが犠牲となって君たちを支えるのにはもううんざりなんだよ。』

『うんざりだ。』『うんざりだ。』『うんざりだよ。』連呼はずっと続いていた気がした。

『いいかい、君たちホモサピエンスだって数十万年もすればもうこの世界にはいないんだよ、別の種になっているのだから。』

『または絶滅。』『うんざりだ。』『うんざりだ。』『うんざりだ。』


ある者が、その者を知っていると言った。

その者は世界的にとても有名になっている。

たしか四年間に163人を殺したシリアルキラーではないか。

『君たちは何かを食べるためにもっと多くの命を殺しているのではないかね。少なくとも毎日30兆もの微生物を腸内で殺しているんだよ。』

「だが、この人物は死刑が確定している。とても助けられない。」

『それは君たちの物語であって、我々の世界の物語ではない。』

「どうしても助け出すなら、恩赦を得るか、脱獄させるしかない…」


また別の者が、その者を知っていると答えた。

だが、その者はもう80才を超えている。子供はたしかいないはずだ。

『それは君たちの物語であって、我々の世界の物語ではない。』


また別の者が、その者を知っていると答えた。

この人物を私は知っている。それは私だ。

だが、この世界に私を選ぶ異性はいない、若い時はそうだった、中年になってもそうだった、壮年になってもそうだった。老年になってもそうだ、と語った。
『それは君たちの物語であって、我々の世界の物語ではない。』


『君たちはゼロだ。』『ゼロだ。』『ゼロだ。』連呼する声が続く。

はっと目が覚めた。

外を見れば空はいつもと変わらずに美しい。そう感じている自分とは本当の自分だろうか。

どうやら多くの人が同じ夢を見たらしい。だが、誰もその夢が本当とは思わなかったし、そう感じる自分が間違いなく自分自身であるかに自信が持てなかった。


その中に、ひとりの老年のものがいた。

そうだ、あれは私自身だ。あれは間違いなく私だ、そして今日が死刑執行の日だ。