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2024年2月15日木曜日

投票権の帰結

投票権

民主主義国家では投票権がほぼ唯一の権利と言って良い。それ以外の権利は、民主主義国家でなくとも成立するが、投票権の絶対性は他の政体では必ずしも要件にならない。実際、人類の殆どは投票行動なく生きてきた。欲しいものがある場合はそれ以外の手段を用いる事ができた。

民主主義の投票権は別に欲しいものを手にするための手段ではない。しかし手段にも成り得る。つまり投票権はその内容を一切規定しておらず、その使われ方も規制しない。投票権はある。そして、それはひとりひとりが有する。それ以外については、この権利は何も要求しない。

権利について、ある、有する、持つなどと書くと、恐らく権利についての推敲が足りないという想いが強くなる。あると書けばないという仮説が成立する。有すると書けば有さないが成立する、持つと書けば持たないが生まれる。このような状況に落ち込むのは権利とは何かが見えていないからだ。

神でさえ居ると書くと居ないが成立する。言語が持つ否定性に抗う事はできない。否定できないものが存在しないと言う点でこのアルゴリズムは強力である。脳はそのような回路を持っているのだろう。だから言語にその機能を取り込んだと考えらえる。

投票権は必ずしも必要ではない。すると権利は〇×での図表化が可能という事になる。ある場合には×、ある場合には〇という風に取捨選択可能なものになる。

その意味で基本的人権でさえ"ない"と主張する事は可能なのであるが、人類は普遍に基本的人権はあると決めている。原則としてないを認めない。

人権が無いという定義は否定される。この権利は全ての人が有するのが原理だからだ。しかし、侵害はありうる。というか権利は全て侵害されえる。

よって権利の侵害について、本当にそれは侵害であろうかを決定しなければならない。そのための手続きが司法であるが、その結果として裁判官さえ脅迫すればこの世界の価値観は自由に操作できる。この点について憲法は裁判官の良心しか掲げない。

その良心が金になびくならそれを是とする。憲法は人類が如何なる状況に陥ろうが選択の自由を許容する。滅びたければ勝手に滅びるがいい。

権利はあると宣言する。それは全ての人類にかも知れないし、ある市民にだけかも知れない。その定義は人類の自由であり、我々が使用する言語の性質上、どのような定義も可能である。

その可能性の妥当さについては、理解する人もいれば理解できない人もいる。それを誰か一部の人だけで決めていいのか、同じ結論になるにしても、全員の投票が必要ではないか、その権利を投票権は与えている。恐らく唯一の方法である。決める事ができないものを決めるのに、神を持ち出すのか、神の声が聞こえるものを担ぎ出すのか、富ある者に従うのか、権利はその方法を選ばない。

だから投票権の使い方は其々の市民の自由である。その投票権を金で売り払っても構わない。その自由がある。そして投票権を売る者は必ず国家も売り飛ばす。それについて民主主義は沈黙する。禁止する如何なる原理も持たない。民主主義はその内に国を滅亡する仕組みを持つシステムである。

自らの滅亡、自死を内包する事によって、民主主義は投票による政権交代を成立させている。自死と再生をシステム化し、かつて革命と呼ばれたものを社会の中で何度も起こせるようにした。時に王朝の名を変え、時に元号を変える事象が選挙というシステムの中に組み込んだ。

この民主主義の原理原則は革命による国家の滅亡を組み込んだものだから、市民の選択が国売りとなっても許容の範囲である。それを恐れるようでは革命など出来やしない。同様に独裁制の成立も可能である。それも革命の一種であるから。その結果として投票権が失われたとしてもそれは憲法という紙切れに書かれた一文によってしかその不当性を主張できない。だから独裁者は憲法停止と改憲を実行するのである。

ならば権利には正当性が必要なのか。憲法に書かれない権利は消失するものなのか。権利は否定されようが侵害されようが存在はする。否定しも存在しうる事もまた言語の重要な性質である。否定したからと言って存在が消失する訳ではない。

権利は常に全てが無条件無制限に存在するのではないか。これを極限と取れば権利は自由と同値になるはずである。ならば権利は自由が相転移したものでなければならない。

その本質が自由であるから、不自由が可能となる。その点で、不自由の度合いが権利の本質ではないか。それを誰かどこでいつ決めるのか、と言う点を権利は何も既定しない。

権利とは自由に制限を加えたものである。基本的人権も無制限の自由は与えない。基本的人権は自由を制限し他人の基本的人権を尊重する事を要求する。

民主主義

投票権を全ての市民が有するという事は、市民の選択に基づいて決めるという事である。その前提として、多くの人が支持するものは、恐らく大きな可能性で起きる、少しの人しか支持しないものが起きる可能性は小さい、がある。

全員が参加するのだから、多くの人が支持する考えもあれば、小数の人しか支持しない考えもある。この同居を認めるのが民主主義で、これを否定するなら全体主義に至る。その場合は投票する価値はない。

人々の支持率にが将来への正しさと比例すると仮定した時、確率の大きさは必ず起きる事を意味しない。よって、少数意見にはそれが起きなかった時のバックアップの意味合いがあり、民主主義が準備を万端にしておく仕組みである以上は、其々の人がある発生確率に応じて準備を進めておくという事になる。

民主主義は原理上、早急な決断や全体の一致を不得意とする。故に前もって準備しておくのが民主主義の方法論である。準備を進めておくためには、人類は未来を見通せないため、様々な状況を想定しておく方がいい。しかしこれを個人が全て行う事は不可能である。

よって参加する人数は多い程よい。しかも全員が同じなら意味がない。多様な人々がそれぞれの考え方を持ち寄り、未来を拓くために準備をする事が民主政体の基本方針であって、その為に参加すべき人々は大勢が多様であるのが望ましく、それらを排除する事は望ましくない。

差別の根拠は、この準備するという観点から見れば弱体化しかもたらさない。誰かを排除する事はそれだけで準備を怠る事を意味する。それでは民主主義の中に致命的な穴となり、崩れてゆく事になる。民主主義の内側には使われる事なく無駄に終わった準備の残骸が散らばっている。それを記録し後世に残す事が必要だと人々が考える理由でもある。

そういう反応性の遅さは獲得免疫と同様のシステムに見えてくる。即効性としての自然免疫があるように民主主義はそれを多数派によって維持し、小数派によって遅延性の対応を行う。

これらの全てを投票権が担っており、この権利を通じて民主主義は社会と国家を維持し運営する基盤となっている。この権利を誰かに売り渡すのもいい、それを禁止する原理はどこにもない。それが正しいと思うならその行動をすればいい。その結果を民主主義は絶対に非難しない。滅亡を恐れない事がこのシステムの強さだから。

2024年2月7日水曜日

パオロ・カシアス退役軍人の指摘

マーカー・クラン「続いて接近する物体、2つあります。」
ブライト・ノア「なんだ!」
マーカー・クラン「モビルスーツのようです!」
ブライト・ノア「ザクか!?」
オスカ・ダブリン「で、でもブライトさん、このスピードで迫れるザクなんてありはしません。」

マーカー・クラン「一機のザクは通常の3倍のスピードで接近します。」

パオロ・カシアス「シャ、シャアだ、あ、赤い彗星だ。」

映画について

映画の大ヒットによって著名となったこのシーンについて、私は何と答えるべきだろう。確かにこれは史実である。ジオンに追撃され負傷したのは私だ。この時の私はホワイトベースの艦長であったし、私が負傷により前線から離脱せざる得なかった事も確かである。

私の退艦後の状況は知らない。いや正確には報告書レベルの事なら知っている。だから丸で見てきたかのように語る事はできない。現場で働いていた人たちに聞いてもそれぞれ語る事は異なるだろう。

私も軍人としての教育を受けてきた身であるし、戦場での機微も経験している。だから基礎的な事柄についてはそう大きく間違える筈はないのである。その程度の自負はしている詰もりである。

確かにこの頃の私は負傷していた。恐らくモルヒネも打たれていたであろう。だから朦朧としていたには違いない。はっきりとした記憶はないのである。

しかし、だからと言って三倍などという言葉を真に受けて驚愕するだろうか。オペレータがそのような発言をした記録もないはずである。これは完全に映画の脚色である。

三倍のスピードというフレーズがキャッチ―に独り歩きをした。赤いザクの性能は三倍のような気がする。優れた指揮官にはそこまで優れた機体を用意するのだ。如何にもエースパイロッドの優遇である。

だからこの場面は絶賛されたのだし、伝説はここから始まり、広く人々の記憶に残ったのだ。この台詞がこの作品を傑作にした一助を担ったのは間違いあるまい。この場面が人々の何かをくすぐった。その一部に短い時間とは言え参加できたのだから、もちろん、私としては嬉しい。これは映画であるから。

だが、史実は異なる、という事は強く記しておきたいのである。別に専門家として間違いを正したいという話しではない。映画の中での出来事である。これはこれで浪漫があると思う。

映画はフィクションであるから史実と異なろうと何が問題であろう。ならば放っておけばいいではないかという指摘は最もである。だが、映画以外の場所で、あたかもそこに居たかように語る似非歴史家が後を絶たないのである。

私が間違いを指摘すると反論される。中にはその場にいた事もないのにとまで言う人までいる。連邦でもジオンでも、中には軍経験者の中にさえこのような戯言を語る者がいる始末である。

それもまた人間らしさかなとは思う。だが、やはり何かを残しておくべきと私は感じるのである。実際はこうであるよ、という記録も付け加えておけば、こういう話に興味を持つ人もいるだろう。そのような視点が映画を更に魅力的にすると私には信じられるからである。

移動速度

この当時の艦船の索敵はレーダー波の使用に問題があったため基本的に光学観測を用いる。高明細の写真を連続して取って、変化点をコンピュータで分析する事で、解析結果を得るのである。

横に移動する物体については速度の測定は数学のピタゴラスの定理の応用である。目標との距離は、太陽の位置や影、材質、反射に関する莫大な蓄積データと照合し分光した結果から得るのである。

それでも直線的にこちらに向かう飛翔体の場合、正確に速度を測定する事は難しい。時には人工物と自然物の区別さえつかない。相手も蓄積したデータを持っているからこちらのコンピュータを騙しにかかる、擬態も研究されている、一筋縄ではいかない。

ジオンの戦術

ジオンのモビルスーツは不足する戦闘艦を補う補助艦艇の延長として採用された。もともとスペースコロニー建設機器だったものを兵器に転用したものだ。小型のミサイル艦や魚雷艇と同様に小型だが強力な破壊力を持つ兵器として敵戦艦に接近し攻撃を加え離脱するための攻撃兵器であった。

モビルスーツの最終的な攻撃目標は連邦の戦艦である。そのための設計が、高速に接近する能力、強力な一撃となる兵器搭載、速やかに離脱する加速力、これを飽和攻撃で実現するために数を揃えたい、だから製造日数の短縮。そのためにマニュピレータのよって兵器を扱う設計にした。これがこの兵器の特徴である。そのために行動時間の短さは犠牲にした。これも特徴である。

だからジオンのモビルスーツには接近時で発見されにくい加工がされている。光源の反射を変更するメカニカルな装備、自然物を先に投射してその陰で移動する運用などの工夫。慣性飛行する飛翔体は判別が難しい。どこから来たかをずっと補足し続けなければ正しく区別できないのである。

そのため両軍とも大量の飛翔体データベースを運用し、軌道データを持って、ある時間帯にどこにどのような飛翔体があるはずかを算出している。そのデータと突き合わせて索敵に用いる。そこにないものは怪しいという訳である。

速度差のこと

三倍のスピード差はハードウェアの性能で決まる。機体の性能が異なる。だから速度が違う。もちろん機体によっては三倍以上の速度を持つものもある。それは使途の問題であるから何ら不思議ではない。

作戦によっても3倍の速度差を付ける場合もある。宇宙空間では慣性飛行が主なので、加速時間の大小で速度差は簡単に作れる。

速度とは質量の事だから高速になるほど危険度は高くなる。その限界点は兵器の性能、そして操縦者の技量に依存する。作戦があり、その目的の為に必要な移動距離、速度が算出される。早すぎても遅すぎても逸機する。それは確実に実施可能でなければならない。無理をすれば作戦が瓦解するかも知れない。

必要な時期に必要な量を特定の場所に送り込む、その事だけを軍人は24時間考え続ける人種である。兵器の性能だの、破壊力などは些細な問題なのだ。だからこれを満たす機体を軍は選定し量産し用意し配備するのである。

地上で60km/hで移動する車があるとしよう。その後ろに180km/hで走る車がある。この状況で最も危険なのは後ろから前の車への衝突になる。速度差80km/h(秒速22m)、わずか数秒の判断の遅れが重大な事故に繋がる。この程度の経験は日常茶飯事であろう。

だから高速道路の法定速度には最高速と併せて最低速度もある。そして故障等で速度が維持できない場合は、路肩に車を寄せハザードを点滅し、△停止板を置く、発煙筒を使うなどして後方に注意を促す。少しでも早く気付かなければ安全の確保に懸念が残る。

慣性のため停止するのにも制動距離がある。これはニュートンの自然の帰結であるから、衝突の破壊力を応用すれば破損しながらエネルギーがゼロになるまで進行を止めない砲弾となる訳である。

人間の神経はたかが20msecでしか反応しないから、速度が大きくなれば反応不能になる。仮に見えても反応が追いつかないのである。その速度も超えれば見えたという認識さえ超える。だから宇宙空間ではより遠くを観測しコンピュータを用いて自動運転する。

軍艦は、高速飛翔体、ミサイル、砲弾が接近してくれば衝突を回避する運動を行い、衝突面との角度、方向を変えるなどの防御機構を働かせてエネルギーの減少を計り、船体を守る。最後は装甲によって被害を最小に抑え、艦内のダメージコントロールにより対処する。

ジオンはモビルスーツを使って連邦の戦艦に対抗する。この戦術の要点は近接して敵の回避運動よりも早くエネルギーを命中させる事である。それは基本的に高速に接近し、擦れ違いざまに攻撃を加え、即座に離脱する一撃離脱戦法である。

この攻撃を波状と飽和を用いて行う。そのためには互いに位置情報を交換し、複数機体が並走して連携して高速移動を可能とする高度な情報処理機関を搭載する。

ジオンはこの要求を満たすための機体を発注し採用した訳である。

兵器の諸元について

兵器の性能というものは我々が同じ物理学に基づいた科学を採用している限りそう大きく変わるものではない。同じ時期に開発された兵器に性能差はほぼないに等しい。ほぼ互角である。

もちろん、個々の小さな差、運用や維持、整備まで含めれば、巨大な差となる。それでも諸元に大きな差があるなら初めから軍は採用しない。採用された機体はその当時としては十分に要求を満たしている事が採用の必要条件なのである。

もし機体が通用しないのなら、その背景には必ず時代の要求があり、時代遅れとなる前に、技術革新、物性物理の発見、化学素材の発達、ドクトリンの刷新などに晒されたのである。一夜にして役に立たずなどそんな大事件はそう起きるものではない。

例え古くなった兵器でも探せば使い道はあるものである。要はどのような要求に対してどのような兵器をどのように投入するかの問題であるから、兵器の性能が向上したとしても、要求に対してどうであるか、という相対的な評価にならざる得ない。求める性能が変わればそれと対をなす機体が納入される。

採用と配備

配備に関して言えば、高性能機と低性能機を同じ部隊に配置するとは考えにくい。似た性能のものを集中して運用する方が部隊の効率がいい。整備や補給も同様である。部隊に求めるのは任務の遂行であるから、任務に合わせた機体を配備する。逆に言えば配備した装備によって任務の可能性は決定される。

兵器の採用に当たり実証実験機を実戦配備でテストする事は稀ではあるが、その有用性が確認されたなら一般配備に向けて本採用し設計をフィードバックした上で試作機をベースの量産体制に入る。

ここで初めて兵器は効果的な運用が可能となるのだ。試作機の装甲を剥がして裏を見て見たまえ、そこには試験的に追加した様々な配線が通っている。エンジニアたちの苦心の跡だ。

だから試作機と並行して量産を開始する事は原理として有り得ず、実証機と量産機が同年度に製造されるのも考えにくい。もしRX78が実証機なら、RGM-79は元々異なる要求計画に基づいて採用された機体という事になる。時期的に考えても系統が違う。実際、兵器局の担当課も違うし要求書番号もコードネームも異なる。

戦争はたった一機の突出した機体で変えられるようなものではない。個々の能力に関係なく全体として調和する仕組みを人間は持っている。その調整力が軍を有機的に機能させる。例え個々人が愚劣でも集団としての威力を発揮する、そういう働きを有するのが人間という生き物だ。

数と性能の調整について

戦争とは性能と数を充足し続ける事である。これを最後まで維持し続けた方が勝利する。その意味で軍の根幹は輜重にある。補給の継続が続く限り戦争に敗北はない。だから軍はそこに最大の苦心をしている。

連邦の主兵装が戦艦隊であったのに対してジオンはモビルスーツ隊で対抗してきた。我々には我々のドクトリンがあり、それに従って戦略を決めている。ある局面では不利な状況もあるが、それは十分に対策可能と検討した上で作戦は決定されるのである。その点において連邦は破綻していない。

異なるドクトリンに優劣の差はない。しかし相性の良し悪しはある。相性が悪ければ平凡な戦術が優れた戦略を討ち砕く事もある。この相性の中に偶然性や蓋然性が絡み合って時間経過と共に刻々の濁流が生まれ支流となり、どちらがどこに流されてゆくか、最終的にはやってみるまで分からない、そういう考え方からどれ程の敗北が生まれてきた事か。

最後はいつも数で押し切るものである。数が確かなら勝敗はやる前から分かっている。起死回生の一撃はそれを崩したい訳だ。奇襲が効果的なのは最初に数の問題を解決できるからだ。戦争の最後はいつも同じ状況になる。質的に均衡していても、どこかが崩れれば数が戦場を埋め尽くす。

数的に不利な場合は性能で凌駕しようとするのはどの時代も同じで、優れた兵器、魔術のような作戦、圧倒的な用兵、数の不利を補う戦術に磨きをかけ運にも恵まれた者が成し遂げた伝説の数々。それでも一機で圧倒はない。たった一機で戦局が変わる事もない。

数が揃わないのは国家経済の問題になる。資源の枯渇、工業力の低下、経済の衰退、市場の縮小、このような状況において尚それでも戦争を避けられないのは不幸な状況と思う。

通常兵器では勝てぬから特殊兵器にリソースを集中する。そういう政治的判断から状況を変えるゲームチェンジャーを希求する。ジオンにもそういう兵器や戦術、情報攪乱は多い筈である。

戦後の我々はジオンの技術力の高さに驚かされるのであるがこれにはバイアスがある。技術的に進んでいたのではなく、半歩先を目指すしかなく、それで拮抗し挽回する戦略を選択しただけの事である。

強襲

三倍の速度差はシャアのザクが高性能だったからではない。他の機体がゆっくりと移動していたに過ぎない。それ以外の答えはない。

ではなぜ一機だけが高速で移動し、残りは遅く接近してきたのか。それにも理由はある。ここが大変に興味深い点なのだ。この考え方は軍では常識だったから特に注意などしていなかった。映画化をするので話を聞かせて欲しいと言われて色んな話を監督にした。その結果として大ヒットしたのは嬉しい事だが、まさかこんな形で有名になるとは思いもしなかった。

見せてもらおうか。連邦軍のモビルスーツの性能とやらを。

この有名なセリフだが、実際には見せてもらおうではないのである。それこそが彼が喉から手が出るほど欲っしていたものなのだ。

この情報が欲しくてサイド7まで追跡してきたのである。補給不足できつい状況でも引き返さず狼よろしく追跡をし続けてきた執念の源泉がここにあるのだ。

可能ならこの機体を持ち帰りたい。その性能を詳細に調べたい。破壊されていても構わない。実物をエンジニアたちに渡せば多くを見抜くだろう。それが無理なら幾つか試したい。自分が性能試験をする。それを映像に記録し必ず持ち帰る。戦闘は私ひとりで十分だ、遠隔からの望遠の記録を頼む。

戦争は総力戦である。だから最後は資源のある方が勝利する。地球の資源はあらかた発掘している。だから宇宙に資源を求めるしかない。小惑星帯に無尽蔵にある。だから人類は宇宙に進出した。

地球の利点はその巨大さにある。生活居住区として惑星の能力の高さは、所詮は人工都市であるコロニー居住区では対抗できない。宇宙移民は簡単に破壊されてしまう不安定な宇宙居住区で生きて行かねばならない。

しかし宇宙都市にも利点はある。それが宇宙である。私が思うに連邦とジオンの戦争はどちらが勝利するか最後まで分からなかった。連邦は資源開発の権利を独占してジオンの資源採掘を制限しようとした。

ジオンは宇宙航路を支配し、地球から宇宙への進出を制限しようとした。本質的には宇宙の側に無限(現在の人類にとっては)の資源がある、だからジオンが有利である。

覇権の雌雄は小惑星帯の資源を所有した側に決まる。連邦が戦艦を中心に宇宙軍を整備した理由がこれである。其れに対してジオンはソロモンやアバオアクーのような小惑星の要塞化で対抗してきた。

連邦のモビルスーツ開発をジオンが警戒したのも、この戦略に基づく。連邦のモビルスーツ隊が要塞攻略を目的に開発されたのではないか。ジオンのモビルスーツ隊が戦艦の不足を補う攻略兵器である事と、ここが決定的な差だと考えたのである。

ジオンが欲したもの

そう考えたジオンが、どの程度の要塞攻略能力を持っているかを知りたいと思うのは当然であって、自然と要塞防衛にジオンのモビルスーツ隊を転用する必要がある。では、連邦の要塞攻略に対してMS06はどれくらい有効であろうか。

またその兵器の性能からどのような要塞攻略を連邦は仕掛けてくるか、この点を把握したいのである。

連邦が如何に要塞を攻略するか、それはジオンにとっては、如何に要塞を守備するかという問題に帰結する。闇雲に守るようではジリ貧であろう。そのためにドカ貧とならなければいいのだが。

先ずは目の前にいるモビルスーツの性能を知る事だ、その諸元が色々な事を教えてくれる。そこから可能性を探る事だ。飛行速度、迎撃能力、運動性能、耐久力、兵装、活動可能時間を把握する事だ。それで相当に正確に推測できるであろう。そのために直接的に接触するのだ、だからシャアが接近してくるのだ。

要塞攻略するにも遠距離から攻撃するのか、内部に潜り込んで破壊するのか、それとも孤立さえ立ち枯れさせるのか。どれほどの火力を巨大要塞に投射するつもりか。

高速に移動してきたのは、これを確認する為である。連邦の新型輸送艦とモビルスーツがどの程度の迎撃能力を持っているか、これを測定する。次に直接的な攻撃を仕掛け、運動性能や装甲、センサー系の能力を評価する。

その結果として、モビルスーツにビーム砲という予想を超えた強力な兵器を搭載していた事は十分な驚きを与えたらしい。またその装甲も遥かに頑健であった。

ええぃ!連邦軍のモビルスーツは化け物か。
これらが示す結論は明らかである。これの性能は明らかに遠距攻撃を目論んだ性能ではない。連邦は明らかにこの強力な機体を要塞攻略に投入するはずである。それも内部に突入させて破壊する事を目論んでいる。これに対して現行のMS06での迎撃は難しい。

当たらなければどうということはない。援護しろ。

シャアは、連邦のエンジニアがこの機体にどのような工夫を施しているのか、つまり何を犠牲にしているのか。その把握に努めたかったのである。

我々が与えたもの

この時点でシャアが想定した連邦の戦略とジオンの迎撃能力を冷徹な比較し概算をしたはずである。敵はどれくらいの数を揃えるであろうか、それに対して我々はどの程度の戦力を準備しておくべきか。それは、戦略上、重要なプレゼンスを敵に与え続けるであろうか。

こちらの準備が完了するまで連邦の作戦は遅延させたい。そのためには連邦の製造拠点を破壊する必要がある。どこに開発拠点があるのか、その場所を特定する必要がある。これ以降のシャアは、この捜索に専従する事になる。

ジオンの要塞防衛はこの情報に基づいて立案された。資源小惑星を防衛できればジオンの戦争継続能力は維持される。

我々はこのRX-78によるジオンの情報錯乱を知らなかった。戦後になって初めてこの混乱を知ったのである。

ジオンは自分たちの読み違えに気付いていなかった。我々がRX-78に与えた役割とRGM-79に求めたものは異なる。ここが肝要で、ジオンは自分たちの情報収集に基づき、誤解した上で、間違った戦略を組み立てた。だから、連邦は勝てた、とも言える。気まぐれな女神を顔はこちらを向いていた。

ジオンがこの誤りに気付いたのはソロモン陥落後になる。我々はRXシリーズではなくRGM-79を中心に要塞を攻略する作戦を立てていたし、それを実行した

RXとRGMについて

もちろん、ジャブローを密偵していた者たちは、RGM-79のスペックを知りえた。工作員たちはそれを盗んでいたようだし、実際にジオン本国にももたらされていた。だがその情報は機能しなかった。これを幸運と呼ぶ事もできるだろう。いや、これが戦争というものだと私は思う。

連邦はソロモン要塞の攻略にRGM-79を投入した。ジオンはRX-78系の投入を前提に防衛ラインを構築していた。この齟齬が彼らに不利に働いた。その分だけ我々は優位に立てた。

ジオンは入手した情報を正しく読み取り、そして正しく勘違いした。

シャア自身はこの間違いに早い段階で気付いていたらしい。彼が残した手紙や報告書にそう読めるものもある。地球に降下し北アメリカ経由で連邦の情報を収集し南米ジャブローに到達する頃には連邦の戦略を相当正しく見抜いていたようである。

もちろん、現実はジャブローでRGMを製造している訳ではない。あんな巨大な質量のものを地上から宇宙空間に打ち上げる様な常識はずれな事は行わない。どれほどのロケットを用意しなければならないか、そのためにどれほど莫大なのエネルギーを投入しなければならないか。そのコストの割りに数を揃えるのは遅々として進まない。そもそもモビルスーツは地上で使う兵器ではない。

軌道エレベーターを現実的とはいえない。工場の所在地は今でも連邦の最高重要機密である。

ではジャブローでは何を製造していたのか。CADの設計、各駆動部の原理設計、シミュレータ試験、制御ソフトウェアの開発を行っていた。多くの企業が出入りするため、産業スパイも暗躍していたはずだ。10年以上雇用されていた社員でさえ安心できない。厳しく審査しても情報は流出していった。

ただジオンの軍中央は活用を誤った。その気持ちも分からないではない。彼らの戦略も正しいからだ。RX-78の能力をもって要塞攻略も十分な可能性を持っていた。だから読み違えたのである。彼らが考えた連邦の攻略戦略は、彼らに十分な脅威を与え、最大の手当てを必要と思わせた。

戦争でも読み違いは避けえない。それを常に修正しながら遂行してゆく。こういう話は双方に山の様にある。

だからジオンはソロモン陥落後にシャアを軍中央に呼び寄せて防衛ラインの立て直しを図った。だからアバオアクー戦は最大の激戦地となった。よく知られている所である。

この最後の要塞戦は、ジオン、連邦ともに死力を尽くして戦うものとなった。両軍とも惜しみなく決戦兵器を投入し、最初に立てた作戦は途中で遂行不能となる。各艦艇は地中貫通弾を打ち込んだり、要塞に取り付き内部からの破壊を試みるなど、激しい泥沼のような戦闘を繰り広げたのである。

要求仕様書

RX-77/RX-78は重装甲を持ち強力なビーム砲を搭載する。この武装をジオンは要塞破壊用と見誤ったの。その間違いに基づく最善の防衛戦略をジオンは立てた。

では我々はこの機体をどのようなコンセプトで開発したか。それは要塞守備兵力としての諸元である。我々はあくまで戦艦を外洋に出したかった。それでジオンの通商軌道を破壊したかった。そのために要塞守備に一隻たりとも残したくなかった。

だから要塞防御用を担う運用効率のよい機体が欲しかったのである。戦闘艦と同等の働きが可能で、重武装、重装甲、二人乗りでパトロール行動も可能な航続距離と強力な通信システムを持つ機体。要塞の守備、偵察、迎撃等を行える多目的に使用できるマルチロール機を求めたのである。

ジオンはRXシリーズが大量に要塞に突撃し、内側に取り込み破壊工作をする工兵兵器と誤解した。だから対モビルスーツ戦闘能力を向上させた防衛用MSを大量に要塞近郊に配置し、要塞に近接する敵を目前で叩く戦術を採用した。

これが連邦の戦術には有利に働いた。我々の要塞攻略は、遠距離から地中貫通弾を叩き込んで破壊するものである。そのために大量のミサイル艇を準備し、これで要塞を攻撃する。

我々は要塞攻略をモビルスーツ主体で行う気はなかった。この勝手読みが、我々の局面を有利にした。多くの兵器が無傷のまま初動で活躍できたのである。

遠距離から貫通弾で撃ち込み、要塞を破砕する。この時に必要となる護衛任務がRGM-98への要求仕様であり、要塞占領後の守備隊として要求された機体がRX-78だったという訳だ。

連邦はコアブースターなどの追加パックを活用しモビルスーツの能力向上を計画したいた。このパッケージングがV作戦の要諦であり、個々の機体などこのシステムの中ではひとつの部品に過ぎない。

ミサイル艇が任務を果たす為に、飛来するジオン迎撃機から護衛する事。そのために求められた諸元。ミサイル艇と供に移動する機動性、大量の敵ミサイルを打ち落とすための搭載量、迎撃モビルスーツを排除する戦闘力。

これらの性能を満たすようにRGM-79は開発された。そのコアにあるのがボールと呼ばれる戦闘ユニットの存在である。この補助システムと接続する事でRGM-79は必要なスペックを満たす。

高速飛行するための補助エンジン、機体に長時間エネルギーを供給する外部燃料。迎撃ミサイルを大量に搭載し、前方に重装甲を施し、敵の攻撃から守り、パイロットの生存率を向上する。このユニットと組み合わせミサイル艇の護衛に使う事ができるように設計されたのがRGM機なのである。

宇宙国家の乱立

ジオンの兵士たちが最後まで勇敢に戦った事は、ジオン公国が国民国家であった事の証拠だと私は思う。サビ家独裁という批評も多くあるが、この政体に市民が強い不満を持っていたという話は聞かない。

それはジオン兵の志願率の高さからも推測できる。市民が強制的に動員されたとは聞かない。建築作業に従事していた労働者の多くがモビルスーツのパイロットになったとも聞く。

ザビ家の政治が悪政であったのかどうか、それにしてはよく戦っていたと感じられる。ジオンの自治統治の評価は多くの歴史家によって今後も検証されるであろう。

独裁制の国家でも、市民の忠誠が高く、良く戦争を継続した例は幾つもある。国民は基本的に自分の国に不信を抱かぬものだから。政権への批判的や不満が蔓延しているなら例え秘密警察が強権を発揮しても兵士の士気までは保てない。

そのような国家は、真面目に戦争を遂行する事が出来ない。国家は不思議な存在だ。人々が何かによって集まり、新しい国を作り上げる。王も神話も持たない我々が宇宙で新しい建国をしようとしている。国が次々と起こる時代を我々は生きている。

ジオンの兵士たちが望んだものにジオンという国家への親愛がなければこれだけの戦争は難しかったのではないか。逃げたければ市民たちは幾らでも他のコロニーに移住する事が出来た。それでもジオンに残り戦争に参加した人々がいる。

ジオン政治への評価はまた別の所で語る機会も得よう。

スペースノイドのこと

連邦とジオンの戦争は、宇宙資源の奪い合いとして始まった。連邦が人類発祥を根拠に正当性とした地球中心の権利独占が戦争の遠因となった。その不遜さが宇宙で暮らす人たちには同意できなかった。

太陽系はまだ広く、資源の奪い合いをする必要などなかった。それなのに、宇宙で働く人々が開発した資源を安く手に入れたいと地球の人々は思い、それを正当な要求だと信じた。

地球は経済力を失いつつあった。その状況を直視し、延命のための強欲さと安易さに飛び付きさえしなければ、まったく別の方法があっただろうと思われる。これは必要ない戦争であったと私は信じている。

既に宇宙国家は12を超えた。私も今ではスペースノイドとして月に住んでいる。恐らく、私は月で死ぬ。そして月の土になる積もりだ。私たちが戦った戦争は、地球にも宇宙にも、連邦にもジオンにも一人として欠くべからざる大切なものであると示している。

この経験が、人間が宇宙に進出する新しい枠組みを見出すために欠かせないこれが愚かさだとすれば、そこに私はこの戦争の意義を見いだしたい。

連邦の兵士も、ジオンの兵士も、地上の民間人も、宇宙の民間人も、哀しみも、巡り合いも、死亡した人も生存した人も、その価値を等しくしてこの宇宙を進む。

現在の宇宙はまるで地中海のように、さしずめ、月は地球とコロニーを結ぶ交通の要所のカルタゴとして繁栄している。

今日も宇宙の波は穏やかであるように。