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2015年11月9日月曜日

心理学的考察 - キャスバル・レム・ダイクンの場合

坊やだからさ

ガルマ・ザビの戦死にシャアが発した言葉には複雑な感情が込められている。言わなくてもよい事をわざわざ口にする。そこには発露せずにはいられなかった心情がある。

ガルマとシャア。この二人の友情は士官学校の同級生として始まった。物語年齢はいざ知らずガルマが戦死したのは30代前半くらいが妥当だ。だとすれば魂胆があったとはいえ二人の付き合いは10年の長きに渡る。

その長さが育んだ友情を簡単に捨てられるものだろうか。例えそれがガルマからの一方的な友情であったとしても。

シャアが長く友人として振る舞ったのは間違いない。心底軽蔑していたとしても、計画を実現するための駒の過ぎぬとしても、何度もシャアはガルマのために危険な目にあったはずである。それが友人の証として。

ガルマ、聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい。

シャアの本丸はガルマではない。では誰か。ザビ家に復讐する目的があったとする。そのためにザビ家に近付く。するとシャアはいつ復讐するつもりだったのか。

ガルマを殺すチャンスなど何回もあったに違いない。それを今まで押し留めてきたのに、なぜこの時と決めたのか。それがチャンスだったからか。ガルマにはもう利用する価値がないと決まったからか。それともイセリナと婚約したからか。

ガルマの部隊を全滅させる。ガルマを死に至らしめるために他の多くの兵士も道連れにする。ガンダムという事件はそれに相応しいシチュエーションだったようである。

だが、そう考えると不思議な話がある。彼は死の間際のガルマに向かって話しかける。もし通信が傍受されていれば未来はない。そのような危険を犯してまでなぜ話しかけたのか。

君はいい友人であったが、君の父上がいけないのだよ。

伝えずには居れなかった想いがある。憎しみを自分に向けさせなければ納得できない。何も知らずに死ぬのでは忍びない。ガルマにはそれだけの寄り添いをしながら、その一方で多くの兵士が失われることを一顧だにしない。

自分への憎しみを植え付けながらも、自分自身はちっともガルマを恨んでいない。憎んでさえいない。死にゆくガルマを観察する冷静さだけがある。それ所か親しみの情さえ残っているのである。

ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい

懺悔も後悔もない。ガルマの死は何も呼び起こさない。

彼の心理には何らかの欠陥があるのか。それは過去に原因がある、と物語は示唆する。あまりに辛く悲しい出来事が彼の心を固まらせてしまったのだ。その解放が物語の主題のようである。

シャアはガルマの死に何も感じないだけではなく、全ての死に何も感じない。それはまるで戦争の象徴のようである。シャアは計画を着々と遂行する。自分だけは死なないというような狂信さはない。

死んだらそこまでだと達観しているようにも見える。だがそう簡単に死にはしないよ、と見極めている。彼は計画の遂行以外は何も持っていない。愛情も失ってしまった人間だ。

キシリア様に呼ばれた時からいつかこのような時が来るとは思っていましたが、いざとなると恐いものです、手の震えが止まりません

ただふたりの女性だけが彼の人間性に触れている。

アルテイシアとララア。

兄としてアルテイシアに対する気遣いだけが唯一のプライベートの心理に見える。彼の計画とは全くリンクしないにもかかわらずアルテイシアのために行動をする。そこだけに人間らしさが残っているようだ。

あの優しきアルテイシア・ソム・ダイクンへ。
先の約束を果たされんことを切に願う。
キャスバル・レム・ダイクン、愛をこめて。

ララアはどうか。ララアの登場によってザビ家への復讐は捨てられたようだ。しかしシャアの中には最初から憎しみなどなかった。彼は許せぬとは言ったが憎しみを口にしたことはない。シャアはララアのためにズム・ダイクンの思想を再発見する。その新しい道を進もうとした。そのときララアは死んでしまう。

母になってくれるかも知れなかった

ララアへの愛を知る前に。彼女の最期はシャアではなくアムロへと向かう。それを知るシャアは嗚咽する。それでもララアへの愛があると信じて。

ガンダムはシャアが人間らしさを取り戻す物語かも知れぬ。その対比にホワイトベースという巨大な人間のコミュニティがある。

ギレンの演説が流れる。

私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ!

「坊やだからさ」とつぶやいたシャアの慧眼はギレンにガルマへの家族愛など全くないことを見抜いている。だがガルマがその家族愛を信じていたことも知っていた。無垢に愛を信じているから「坊や」なのだ。その愚かさも愛おしさも知っているから。

ガルマへの手向けとして最後にキシリアを撃つ。もしキシリアが脱出すれば休戦もなく戦争は継続され何万人の兵士が死に至るのは間違いない。

そのことをシャアが知らなかったはずはない。だから最後のシャアの行動は多くの兵士を救うための行動と言える。それは他人に対して初めてシャアがとった行動であった。

誰もが宿命のようにそうあらねばならぬ。作者の思惑に揺れ動くキャラクターたちがいる。アムロと会いセイラを救う中で何かが生まれたのだ。その詳細は別の項で語ろう。

2015年11月1日日曜日

ツインテールの学術的仮説

ツインテールはグドンに捕食される生物である。その形態はユニークで、動きは海中を泳ぐゴカイに似てなくもない。

さて、ツインテールはなぜ斯ような進化をしたのであろうか。

進化に理由はないと言えども、生き残ってきた以上、環境への適用に成功した種である。あの独特の生態が適用でなければ我々の目の前に出現することもなかったはずである。

特徴
ツインテールの最大の特徴は口の位置にある。口が地面に近いのは、ツインテールの食べ物が地面の近い所にあるからと推測できる。通常、地面にあるものを食べるならば、トカゲのような進化で十分である。

なぜ逆立ちする形態に進化したのか。ひとつの考察として、鞭のようになった二又の尾で高い所にある何かを叩くためではないか。尻尾を最も高く上げようとするなら逆立ち状になるのはユニークだが十分に合理的である。

分類
由々しき事であるが、発見されたツインテールは常に原子にまで分解される消滅処分を施されるため、我々はいまだひとつの細胞片さえ入手できていない。解剖して器官を調べたり、DNAを解析して類縁種を調べれることが出来ない理由である。我々は常々訴えているのだが彼らはうなずくだけで聞き入れてもらえていない。彼らとのコミュニケーションは今後の重要な課題である。

そのためツインテールが分類上どの種であるかを特定することは困難である。しかしツインテールが外骨格を持たないことから節足動物ではないと思われている。

逆立ち状の体が環状になっており腹部の形状がゴカイにも似ていることから、数年前まではミミズやゴカイの亜種という仮説が有力であった。つまり環形動物だと思われていたのである。これはMATの記録にある卵生とも矛盾しない。

しかし、ツインテールの顔に注目すると環形動物という説もあやしい。脊椎動物やイカ、タコにも匹敵する優れた眼球、顎のある口、どう考えてもそこには頭蓋骨があるのである。そうであるならばツインテールは脊椎動物でなければならない。

現在ではこの脊椎動物説がもっとも有力である。ツインテールが脊椎動物ならばどのような骨格をしているだろうか。手足は退化して消滅している。直立している部分に背骨があるとも考えられるが、記録を見る限り脊椎があれば、あれほどの柔軟さは得られないし、もっと早く脊椎骨折を起こして死亡していると思われるのである。とすればあの直立している部分には脊椎が通っていない。

つまり地面と接地している所だけが胴体であり、直立している所から上の上半身は全て尻尾と仮説するのである。我々が見ているツインテールのほどんとは尻尾である。ツインテールは尻尾が異常に長く逞しく発達した生物と考えるのである。

地上での歩行は手足がないため這うようにするしかない。そこでしっぽを前後左右に揺らしその反動で歩行していると考えるのである。なお海中での遊泳については、まだ研究の途上である。

食性
足元胴体仮説を伸長すれば、ツインテールの排泄腔も足元にあると推定される。すると口腔から排泄腔までの距離は極めて短い。胴体の長さは頭部のおよそ3倍程度であろう。これは牛や馬などと比べても極端に短い。胴体の長さはそのまま腸の長さと比例すると考えれば、ツインテールの腸は短いと推測される。

サイズによる様々な制約を考慮に入れなければ、ツインテールを草食動物とするのは難しい。胴体が短すぎるからである。しかしツインテールを肉食と仮定するのも難しい。あの動態で狩りが得意とは考えられないのである。

ツインテールの鞭状の尾は非常に俊敏である。その破壊力も十分にある。主な用途は高い所にあるものを叩くためであると考えている。例えば、高い所にある蟻塚を破壊して巣を地面に落とすとか、高い枝に実った果実を叩き落とすなどで利用していると考えるのが適当である。そうして地面に落としたものを食していると考えるのが妥当だろう。

繁殖
ツインテールは卵生であるから、おそらく総排出腔を持つであろう。人間でも総排泄腔遺残症で生まれる難病があるが、それはもっと周知されるべきだ。さて、ツインテールの交尾がどのようなものかは観察記録にないが、上半身を絡めあって体勢を作るだろうと推測しいる。そうしないとお互いの体を密接できないだろうから。

もうひとつの尻尾の役割
ツインテールがしっぽを上に持ち上げる進化をしたのは高い所にある何かを叩くためという仮説はすでに紹介した通りである。しかし上半身を全て尻尾の筋肉だけで支えているのは奇妙すぎる。高くしたければキリンのように骨を伸ばす方が効率がよい。象鼻のように自由自在に動かす利点もツインテールの上半身には見受けられない。

この不思議な進化は、効率だけを考えれば割に合わないので、それを超える適者生存に叶う何かがあると考えるべきだろう。上体を筋肉だけで支えている理由として強い捕食者の存在に注目する。ツインテールの捕食者は強力でありそれから逃れることは困難であろう。

そういう場合でも生き延びる可能性を高めるために上半身は食べられても胴体部さえ残れば生き延びることができるように進化したのではないか。重要な器官をすべて足元に集約させて、尻尾を食べさせることで生存率を高めたのである。

そう考えるならば鞭が常にゆらゆらと揺れているいるのは、単に高い所にあるものを叩き壊したり落すためだけではなく、捕食者の注意を上体に引き付ける役割も考えられる。エビに似て美味というのも尻尾に限る話であろう。胴体は苦くて臭いかも知れない。

群生
しかし上半身を食べられたツインテールはどのようにして餌を得るのだろうか。上半身を失えば食べ物を確保することが出来ないのである。これまでの仮説が正しいとすれば、上半身を失ったツインテールは餓死するしかない。

だとすれば上半身を筋肉だけで支えるのも無駄な進化であるし、それが生き残った理由にもならない。そのような進化が許容されると考えるのも困難である。もちろん進化は不可解なものと承知はしているが、少なくとも生存に有利でない非効率さが許容されるとは考えられないのである。

すると、彼らは生き延びた後に食料を得る方法があるということである。それは傷ついた個体では難しい。ならば誰かが食事を与えているのである。ツインテールは群生で生きている。これが合理的な結論である。

想像してみて欲しい。彼らは群をつくり、そこで繁殖し子供を育てているのである。捕食者に襲われ上半身を失ったツインテールを他の個体が面倒をみて食料を与えている。彼らは我々が思うよりもずっと高等な知能をもち感情を持ち合わせた生物であると予想できるのである。

なぜなら、そのような習性がなければこの進化を合理的に説明できそうにないのである。