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2019年10月22日火曜日

トライポフォビアの研究

ぶつぶつダメ。見ていると蕁麻疹がでそう。それを想像してさらにゾクゾク。

その理由を考えるに、恐らく皮膚病がある。この形質は皮膚病を連想させる。恐らく、このぶつぶつへの恐怖感の根底には天然痘がある。そう思う。

多くの皮膚病は接触により感染する。この接触への防衛機制が心理化したものが潔癖症だろう。潔癖症の人で、免疫学を真剣に学んだ人がどれくらいいるか。もちろん、その道の研究者でも潔癖症の人はいるだろう、心理的な屈折の見事な症例である。

これらが恐怖となる原因は病原菌が目に見えないからだ。目に見えないから、忌避するしかない。遠ざけ、遠ざかる、時にそれは国家単位での差別にまで昇華する。体の中は目に見えない。だから長く治療法は、手探りのようなものばかりであった。

これは盲目な戦いであり、居るか居ないかも分からない場所に向かって除菌剤を吹き付け、除菌シートで拭く。吊り革には触らない、触れるならハンカチで持つ。

もし病原菌が目に見えるなら、吊り革が揺れる度に細菌が空中に放り投げられるのが見えるだろう、空中を漂っている病原菌が、人の呼気であちこちから流れ込んでゆくを目にするだろう。ハンカチの布地の間からは病原菌がどんどんこぼれ落ちて手に辿り着いてゆく。

誰が触ったかも分からないから触れない。触ると病気になる。これは皮膚病に限定された恐怖だ。若しあらゆる病原菌から潔癖でいたいなら、そこまで重篤化すれば、潔癖症程度の症状で済むはずがない。

配偶者に強者を選ぶ観点で言えば、社会が複雑化すれば、選択肢は免疫の優劣だけではない。資産や地位だって重要なファクターである。皮膚が美しい、肌がきれい、が免疫的に優れているという直感と結びつく様に、見た目が美しい、整った顔に惹かれる、はDNA発現の理想という直感と結びつく、そういう相手を選ぶ背景には、何かしら戦略的な意図がある。

逆に言えば、病気になる事、特に、すぐに分かってしまう皮膚病、または皮膚に症状が現れる病気は、それだけに問題とされやすい。触りたくない、汚い、は、それだけで戦略上の不利である。もし自分がそうなってしまえば。その深層心理が皮膚病や美醜に対して徹底的な忌避を生む原因ではないか。

誰だって触れないものがある。子供の頃に平気だったカタツムリも、今や触れない。排泄物、嘔吐物、ナメクジなどの軟体動物、プラナリアなどの扁形動物、芋々した虫、足がウネウネした多足類。父がヤスデを触っているのには尊敬した。

これらの恐怖は、ユングの言う集合的無意識か、それとも DNA に刻まれた本能か、免疫システムからの激しい警報か。

だけれども、子供の頃から忌避物だったのではない。だから遺伝子レベルで獲得された本能とは考えにくい。もちろん、メチル化によってある時からスイッチが入った可能性もあるが、そんな切っ掛けより、どこかで見た写真を、忘却するほど記憶の底に封じ込めたにも関わらず、時に意識を超え、体全体に感情として出現する、その可能性の方が遥かに高い。

そういった感情の心底にあるものは何か。死への恐怖?致死性の高い病気、事故は他にも山とある。だから、そこには死以上の何かがある。それをコミュニティからの追放と考える事は易しい。

もし罹患してしまえば、コミュニティから追及される。その場合は、家族とも引き離される。その恐怖が、病よりも余程強烈に人の奥底に刻まれているのではないか。

そうなれば追放されても仕方ないと考える自分がいる。体の表面に出現したものによって、追放されてしまう理不尽な運命を受け入れるしかない絶望。いくら知識で覆いかぶせても、その恐怖は現実になるまで消えない。

恐怖の正体は病原体ではあるまい。外側にあるものに反応する自分がいて、それが心理の奥底に沈む。それはきっかけに過ぎない。どうしようもない恐怖は、自分の中にある何かと対峙している証拠である。追放は、それほどの恐怖だから、神話の多くが重要なテーマとして描いたのではないか。自分の敵は自分であるとはそういう意味だろう。

trypophobia、trypo はギリシャ語で掘った穴、フォビア phobia は恐怖症の意味。日本語ならつぶつぶ恐怖症。

2019年10月14日月曜日

日本国憲法 第五章 内閣 II (第七十二条~第七十五条)

第七十二条  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。
第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一  法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二  外交関係を処理すること。
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四  法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五  予算を作成して国会に提出すること。
六  この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
第七十四条  法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。
第七十五条  国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

短くすると

第七十二条 内閣総理大臣は、議案を国会に提出、一般国務、外交について国会に報告、行政各部を指揮監督する。
第七十三条 内閣は、左の事務を行ふ。
一 国務を総理する。
二 外交を処理する。
三 条約を締結する。国会の承認を必要とする。
四 官吏を掌理する。
五 予算を作成する。
六 政令を制定する。政令には罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除、復権を決定する。
第七十四条  法律、政令は、国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署する。
第七十五条  国務大臣は、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。

要するに

どのような統治システムにもそれを実行する官僚が存在する。官僚とは仕組みである、そして人である。

概要

どのような国家にも官僚が存在する。長く、政治は彼らの手に委ねられてきた。その頂点に歴史に名を残す優れた人を配置する事もあれば、汚点として残った人もいる。かつて王は官僚だったのだろうか。国家という痕跡さえない頃はそうだったかも知れない。実務に長けた人が村や地域の指導者的立場に立ったという彼/彼女のストーリーは、納得できる。

この頃の権力者は恐らく実務の人であった。人が増え地域が拡大するにつれ、実務ではどうしようもなくなったはずである。その時に"王"という概念が発見された。王が人々に発見された。人は王になるのだ。どの古代国家にも王がいる。この頃の王の役割とは何か。

鰯の頭だって、なん十年も何百年も崇めていれば神にもなる。なぜか人にはそういう性行がある。王に当然の権威が付属するのも自然な流れであろう。我々だってノーベル賞を受賞した人を無条件で称える。何が凄いのか何ら理解していなくてもだ。そのような正当性の前で多くの人が従順であるのに不思議はない。その程度の振る舞いなら猿にだって観察される。

恐らく集団で行動する時、個々が勝手に動くのはリスクである。時に、群れから離れて勝手に動くものが襲われて全体が助かる場合がある。魚の群れであれ、鳥の群れであれ、集団化の強さは、自然が見い出した強力なメソッドであって、人間だってそれに従うように生まれているはずである。

ただ人の群れは巨大になり過ぎた。その時、従来の方法では成立しなくなった。集団を巨大な集団として成り立たせるためには、王が必要であった。そして王は、その何もかもを独りでやるなど不可能であると悟った。人材を求める以外にこの状態を解決する運営はない。

人材の選抜に試験を導入したのが科挙という制度である。官僚制度はこれによって完成した。人を如何に選ぶかが国家の重大な関心毎である。優秀な人材を広く大量に採用するのにこれ以外の方法を人類はまだ知らない。

どうすれば優秀な人材を発掘できるか。それをテキストの中に見いだしたことが中国国家の最大の発見であった。テストできるという事は、そこに知の蓄積があるという意味だ。その時点から、それに対応する事が優秀な人材を生み出す事と同じ意味になった。

結局、人間は人間の智謀、知恵、知識に頼るしかない。権威とは人材を集める誘虫灯に過ぎず、権力とは、それを捕らえる捕虫器のようなものである。選抜である以上、そこに恣意が働けばあっという間に置き換えられる。優れた人材を消すのは簡単だ、配置換えするだけでよい。国家が滅びるのに100年もいらない。恐らく30年もあれば十分だ。

人材を長く使うためには、彼らを従順にさせておく必要がある。そのために最も必要なのは自発性だ。少なくとも孔子はそう考えたはずである。韓非子はそれは危険である、法を使うべきだと語った。

国家は暴力を内包する。常に自律しながらも反抗をしない人材を求めてきた。江戸時代はそれを武士という思想で非常に巧みに結実させた。それが官僚である。つまり、今後はAIに置き換えられるという意味である。

官僚の方法

官僚制度は巨大なプロジェクトを遂行する能力を有する。しかもそれを動かすのはごく単純な原理だけである。官僚制度の優れている点は単純な命令構造とその過程に人間性も道徳も倫理も必要としない事である。法という正統性さえあればよい。ピラミッドの建造であれ、万里の長城の工事であれ、巨大なダムの建設であれ、日本の特攻であれ、ナチスのユダヤ迫害であれ、ただ一枚の紙切れから始まったのである。

紙切れに書かれた命令を実現するために全体が一斉に動き出す。最初に必要なのはただ、この政策を実行するという命令だけである。それを受け取った官僚は、その命令を実現するために計画を立案する。計画を立てたら、それを実現するようにという命令の形にして下位組織に渡す。

最初は大まかな計画を立てるだけでよい。全体を見渡して十分に実現可能なものを作成する。計画が完成すれば、それを命令書の形式にして下位組織に発行する。受け取った下位組織は、受領した命令書から計画を立てる。計画もまた次の命令書となって下位組織に発行される。これを末端まで繰り返してゆく。最末端まで辿り着いた時には、どのような巨大な政策も困難な施策も、実行可能な計画書となって完成する。

官僚組織は、上位の命令が次々と計画に変貌する仕組みである。命令を繰り返しながら計画を詳細化してゆく。上意下達の命令が計画となってアウトプットされる構造的な仕組みがある。

命令が入力され、計画が出力される。組織に権限と予算を与え、その範囲内で計画を作らせる。それは下位から見れば命令書である。それは上位から見れば具体的な計画書である。実行するためには計画が必要である。命令は逐次計画に翻訳されてゆかなければならない。だから階層構造で逐次処理してゆく。謂わばフラクタル、言わば再帰的、云わば入れ子、いわば全体から細部へのメタ構造。

立案された計画は必ず下位への命令という形になっている。上位の組織で作成された計画は、下位に渡される場合は命令書になる。受け取った命令を自分の部署にあった計画に置き換える。これがそのまま下位への命令書の形になる。この構造によって一度始まった計画立案が途中で止まる事はない。少なくともそう想定されている。

様々な課題は、各部署で解決すればよい。最初の命令が末端に至るまでに逐次処理され、命令の翻訳と承認が次々と行われ、上位の命令が下位の計画に変貌してゆく。受け取った命令を現在の部署の文法で翻訳してゆく作業が計画の立案であり、かつ下位への命令書になっている。

この翻訳を覚えることが官僚になるという事である。組織の各階層で求められるものは違う。それは粒度であるし、全体像でもある。階層が上がるほど、翻訳の仕方も変わる。視野は広くならなければならない。細部を忘れる代わりに全体の方向性を誤ってはならない。方針を間違えれば、どれだけ現場が努力しても達成はできない。最初のボタンの掛け違えは、それ以降の計画をすべて違ったものにしてしまう。

上位からの「これこれをせよ」という命令は、具体的に、より詳細に、「これこれをする」に書き直され、それが次の命令となって下位に受け渡される。上の部署にとっての「これこれをする」は、下の部署から見れば「これこれをせよ」という命令になっている。

当部の計画書は下位への命令書である。自組織が立てた計画は下位組織への命令である。こうして命令が下達する度に計画がより具体的に、明細に、手続き的に変わってゆく。この命令と計画の一体性が官僚制度の強みであって、命令が末端に下達した時、既に、その命令は何時でも実行可能な計画に変貌しているのである。

官僚の性質

このような構造で官僚制度がある以上、官僚は互いの信頼に立脚するしかない。各部署に異なる文法があり、上位からの命令は絶対である。自分たちの役割は自分たちの部署の言葉で命令を翻訳し下位組織に渡す事である。もし他部署の瑕疵を想定しなければならないのなら何かが間違えている。

その間違いを前提にシステム設計などできない。末端まで達して、もし憲法違反の疑いがあるなどという状況があるなら、上は揃って無能である。上位が無能である前提で計画の実施などできない。確かに戦争中はそのような様相で太平洋の戦域で戦ったのである。負けるしかないと分かっていながら作戦を立案し、実施に移した。あの戦争を指揮したものたちが無能であるのは当然であるが、もちろん、あの時点では戦う以外の選択肢もなかった。

問題はあの時点でも勝てると信じていた無能たちの存在である。負けると分かった上での作戦ならば、また立てようもあったはずである。あの戦争は、戦闘では負けたが戦争には勝った、というようなものではない。アジアの解放を勝ち得たから結果的には日本の勝利である、というような歪曲でもない。一方的な殺戮と敗北に日本国民を晒した、それ以外の何物でもない。それを支持したのも国民である。

全面的な信頼は持っていないであろうが、それでも自分の担当部署は他部署が健全である事を前提にしか成り立たない。そう動くしかない。瑕疵の指摘は、必ず上位の命令に瑕疵がある事を意味する。そんなものが下に渡ってくるはずがない。問題はすべて解決したから下達してきたはずである。それをどのように訂正し対策したかは上位の権限であって下位の権限ではない。

もし自分たち以外を全く信用しないのであれば計画は作れない。それはもう独立するしかない。独立とは他のあらゆるものに責任を負わせないという意味である。あらゆる状況に自分たちだけで対応するなど人間技ではない。だから瑕疵があるなら、責任の所在がある。どんな瑕疵にでも担当部署がある。抜けはない。だから瑕疵があるのに下りてきたのなら、訂正を求めてもは無駄なのである。その瑕疵に気付かない以上、どこかに欠陥がある。その欠陥を下から訂正するのは困難である。

官僚組織は効率的に命令を実現する仕組みであって、実行の効率を目指す以上、動き始めたら止まらないのが当然である。基本的に立ち止まるようには設計されていない。計画は迅速でなければならない。それでも民間から見たら随分とゆっくりしたものに見えるだろう。それは大きすぎる巨人の一歩である。蟻たちから見れば人間の一歩は、とてもゆっくりとしたものに見えるであろう。彼らはその間に何十歩も先に進むであろう。だがその一歩はとても遠い所にまで足を進める。

官僚組織を止めたければどうすればよいのか。命令は上から下へ一方的にしか流れない。下から上に逆流する経路は存在しない。だから、下位組織に直接命令しても系統違いなのである。もし計画と止めたいのであれば、それは新しい命令を上から出すしかない。新しい命令をもう一度最上位から降ろしてゆくしかない。動いているものを止めるとはそういう手続きである。

官僚の責任

このような構造的特徴のため官僚の責任は命令を計画に書き換える間に起きた瑕疵に限られる。このような限定性を持つから、連続して処理することが可能なのである。常に局所に限定する、全体を見る必要がない、という限定性が、官僚の仕事を可能にしている。中央集権とは局所の集合が全体であり重複がないという意味である。という事は地方分権とは、全体を複数個用意し重複して配置するという事である。

このような機構において、問題の本質を見抜くのは難しい。木を見て森を見ずは簡単であるが、木を見て森を知るのは難しい。誰もが森の中にいるとき、森の全体像を知る事は難しい。誰もが鳥の目を持っているわけではない。

それぞれの部署がそれぞれに与えられた権限の中で精いっぱいにやった結果が失敗であるならば、それをどこまで遡っても失敗の原因は見つからないかも知れない。誰に権限があり、どこに失敗の原因が紛れ込んだのか、どのような瑕疵がこの結果を生んだのか。そう問われても、誰もが自分は精一杯に与えられた役割を果たしたという感慨だけが強く残っているだけだろう。

例え地球を滅ぼしたとしても官僚は自分を責めることは出来ない。それが個々人の倫理や道徳の廃頽だからではない。官僚という命令形態においては、責任は非常に小さく分割されている。その小さな責任程度で、そんな大きな運命までは受け止められない。

当然の帰結ではないか。官僚は法に従う。法が変わらなければ働きは変えられない。官僚には部署がある。部署が変わらなければ働きは変わらない。官僚を支配するのは法と部署であり、官僚を変えたいのであればこのどちらを変えるしかない。

人間のやることだから不備や時代遅れはある。だがそれを変える権限は行政にはない。近代国家でそれをやるのは立法である。民主主義の歩みが遅いのには理由がある。行政に出来るのはこの間の運用による工夫だけだ。その工夫の間に根本から変えるための立法を選ばなければならない。行政は立法が法が変えるまでの時間稼ぎ、本当の行く末を注視するための猶予を確保する立場にある。

官僚の過失は常に誰かの責任に帰さない。これだけ大勢が携わって、それでも過失が起きたのなら、そこには何かがある。彼らは初めから失敗を目指すような脆弱な計画を立案するほどには間抜けでないし、考えられる限りの想定もしたのである。それは書類を見れば分かるはずで、だからそこに想定外はあり得ない。

想定外を想定したら、計画そのものが停止する、すると中止する以外の結論がない。このような場合も、もちろん、前提条件付きで先に進めるという体質を徹底的に仕込まれているはずである。だから、彼らは自分を責める必要がない。

「私にはそれほどの責任を負わされていません、それを中止する権限など持っていません。」

これは責任逃れの言葉ではない。官僚は命令を実行する権限は与えられている。しかし中止する権限は与えられていない。制度がそうなっている。命令を実行する。命令を止めたければここではなくもっと上だよ、と。

果たして責任とは何であろうか。責任が以前の状況に戻すことなら、責任を取れる人間など存在しない。時間を元に戻すのは不可能だからだ。故に損害に対しては賠償という補填しかない。Aを失ったものをBによって取り返す。例えそれが命であっても。よって損害に対しての予算を用意しておくしかない。

官僚にとっての責任とは最終的には予算の配分である。それはどのような社会的道義であろうが、正義であろうが、同じである。彼らが職務を遂行している間に帯びる責任は既に仕組みの中に織り込み済みなのである。そのような中で官僚を本気で処罰したいのであれば、ロベスピエールやスターリンがやったように粛清を持ってやるしかない。

それでも、そうしておけば食い止められたかも知れないと過去を振り返る人がいる。自分の行動に問題があるなら左遷でも免職でも勝手にしてくれと行動した人もいる。

もし失敗の責任を全て負わされるのならこの世界の誰も官僚にはなれない。全ては壮大な社会的実験なのである。それが成功するかどうかはやってみなければ分からない。もし絶対に成功しなければならないのなら、それは人間の限界を超えている。

官僚の罰則

だからといって、なんの罰則もなしなどあり得ない。失敗に対して何等かのペナルティを負わせないなど考えられない。そういう場合の罰則の強弱については、集団の在り方が大きく影響する。

集団には二種類ある。参加するのが難しい社会と、参加するのが簡単な社会のふたつである。このふたつの違いは、未知なる人材の集団への取り込み方の違いである。つまり、教育をしてから参加させるか、参加させてから罰則するかである。

参加が難しい社会では、参加するためには約束事を予め学習しなければならない。その主なものは、内での作法を知る事である。それは明文化もされていないし、人によっても少しずつ解釈も異なる。それでも、それが前提条件で集団は動いている。

そこに未知の振る舞いを入れる事は許容しない。このような社会では阿吽の呼吸とか以心伝心が通用する。集団全体が、社会の全体像について同じイメージを共有している。このような社会では参加するまでのハードルは高いが、一度参加すればかなりの自由が許される。この自由はタブーや禁則事項を既に学習しているから、という暗黙の認知が前提となっている。

だから、失敗や瑕疵に対しては比較的緩い刑罰を適用する。なぜなら、入る時点で厳しい制約を受けた以上、教育済みなのである、やってはならない事は知っていた。だから参加を認めた。だからそれでも失敗したのなら、恐らく誰がやっても同じだという認識が根底にある。こういう社会は参加するまでの条件は厳しいが、参加は信頼により認められる。

一方で、参加するのが簡単な社会は、参加するための条件は緩い。よって比較的多様な価値観や方法が予め想定されており、異なる文化、教育、思想があることが共通認識としてある。そこには参加する自由がある、違う方法を認める自由がある。個々人は自分のやり方で社会と関わってよい。その代わり失敗や瑕疵に対しては厳しい刑罰を適用する。それをやる自由は与えた、故に、その結果については責任を取ってもらう、この社会への傘下は、信用により認められる。

このように罰則が社会的要請である以上、それは集団の在り方と密接に関係する。信頼型社会と信用型社会では、互いに理解不能な事象もあるだろう。どのようなコミュニティであれ独自性を持つ以上、他と相対すれば理解不能な部分がある。

明治憲法の行政権

明治憲法における行政権は、最終的には天皇に帰属する。だが、天皇は立憲主義という制度の一部であったから、行政権を好き勝手に命令する権限を有さない。天皇の行政権は、憲法の定める範囲で制限された。そこが絶対君主とは違う点であった。ただし絶対君主でさえ世俗の様々な制約を受けていて、完全な自由、好き勝手でもなかった。明治憲法では、天皇と臣下の関係は信頼に基づく。だから天皇には裁可する権限だけが与えられている。拒否権さえ持たない。それが明治憲法の仕組みであった。

これが立憲君主が内包する潜在的な欠陥であるのか、それとも極めて妥当な運用形態であるかは知らない。しかしこの欠点について当時の人々が気付いていなかったはずがない。だが明治の元勲たちは、まさか官僚たちが堂々と国を滅ぼすとは見ていなかったようである。または、もしそうなるなら滅亡も致し方なしと達観していたのか。

先の戦争は愚昧な結果で終わったが、帝国憲法の手続き上、憲政上、何ら瑕疵はないはずである。正当な手続きによって全てが行われた。独裁も暴走もどこにもなかったはずである。ワイマール憲法が停止されたナチスドイツでさえ明らかな違法はなかったと思われる。

先の大戦における戦争への道のり、その敗北まで、一度も法を犯さずに行われた。クーデターは鎮圧した、軍部の独走は、事後ながら正しく承認された。統帥権の解釈に異論があるとはいえ、官僚たちはよく法を遵守した。

それなのにあんな敗戦へ至る。間抜けでなければ、どんな理由があるのだろう。無能ばかりなら後世の歴史家たちがどれほど楽を出来たか。法を守りつつ、かつ滅亡する、どこかに欠陥があったはずなのだ。

なぜそれは不可避な欠陥であったのか。もし避けえないならば、敗戦を経験し、憲法を刷新しても、今の我々の中に、その欠陥は存在し続けているはずである。

反省しようが立ち戻ろうが、もういちど同じ道を辿る愚かさを我々は内包している。そこに目を瞑る以上、もう一度、経験するはずである。そういう愚かさならば、この世界から消えても仕方がない。そういう達観を明治の元勲たちも持っていたと思う。もう一度やったならば、決して同じ結果にはしない。そう言い切れるまで何度も何度も研鑽しておく必要があるが、時代が、技術が、環境がそのような状況を許さない、で満足するようでは想像力が欠落している。

あの戦争のこと

我々は戦争の終わらせ方を知らずに戦争を始めた。その大まかな道筋も研究さえしていない。目隠しのまま地雷原を歩むのと同じような暗澹とした気持ちで戦争を始めた。そういう形で戦争へ突入した。窮鼠猫を噛むに例える人も居るが、恐らくは正しくない。敗戦で失うものを自分たちの手では捨てられなかった、それだけの話であろう。

彼/彼女らがどれほど追い詰められていたとしても、東京を焼け野原にし、家族を焼かれ、特攻隊を送り出し、南洋で飢え死にし、沖縄を壊滅させ、原子爆弾を落とされても構わない、そのような覚悟は持っていなかったはずである。そんな想像力の欠片さえ持っていなかったはずである。もしそうなると知っていたなら、別の選択をしていたはずである。それは戦後の彼らの行動を見れば明らかである。分岐点は幾つもあった。そのことごとくを捨て、決断できずに通り過ぎた。

我々に未知を知る事ができれば、ずっとましな選択が出来たであろう。そんな話しを選択肢に含むことはできない。選択は常に現在あるものから選ばれる。多く、それは水が流れるように最も安易な方へ流れる。その最も安価な解決策が戦争であった。

当時、あの戦争を始めるより簡単な政策はなかった。戦争になれば国体が一致する。騒乱も対立もすべて解消する。すべての人がそれに向かって突き進むしかない。昨日までの対立者が最大の賛同者になる。余りに複雑で、訳の分からない、抜け出せない袋小路から、抜け出す確実な方法はそれしかなかった。これほど魅力的な政策はなかった。彼らは戦争の終わらせ方を知らずに戦争へと突き進んだのではない。現状から抜け出すのに戦争しか知らなかった。今日の飯がないのに明日の水の心配をしても仕方がない。

未来がこうなると知っていれば戦争などしなかった、そんなはずはない。他に選びようがないから戦争をした。未来がどうであれ、あの状況から抜け出すことができたのだ。やらなかった未来がどうなっていたか?誰も知らない。遂に何度振り返っても、あれ以外の方法はなかった、そういう戦争になる。

そのどうしようもない行き詰まりの正体を誰も知らないままである。あれは、官僚が暴走した戦争ではありません。軍国主義者が目指した戦争でもありません。天皇が望んだ戦争ではありません。

誰もが抜け出そうと足掻いた結果の戦争。当時の人々はそんな感慨であろう。それが全員の偽らざる心象であろう。暴風雨の中で、小屋から飛び出した、そして駆けていった、そこには戦争だけがあった。

憲法とは

近代国家の要諦は、王を法の下に置いた事、そして選挙という制度に革命のエッセンスを内包させた事にある。そして、もしこの制度でやってもダメならその国家は滅びても構わらないと突き放した点にある。それ以前ならば、神や血統が国家の正当性を保証した。斃れるときは、徳の不足のような理由が発見できた。近代国家には国が国であるための正当性はどこにも規定されていない。必要としないのではなく、それを排除した制度である。

アメリカ合衆国は、我々は民主主義の実験室であるという自覚を持っている。それに失敗すればそれはもうアメリカではないという覚悟がある。権威によって国を建てない。これが近代国家の在り方である。だから独立せよ、と続く。なぜなら、独立をするのに理由は必要ないからだ。

近代国家は、なぜ憲法という紙切れで何もかもを禁止できるのか。古代の蛮族なら笑って燃やして、では君の好きな議論をしようではないか、と剣を突き出すだろう。ペンは剣よりも強しとは、書類にサインしなければ、軍隊さえ動かすこともできない仕組みの事である。そのペンの力を与えているのは憲法である。なぜ人々は憲法を信じるのか。

神は盗むな、殺すなと約束させた。もしその約束がなければ盗む事も殺す事も許されるのか。そんな訳がない。盗まれて怒るのは、殺されて悲しむのは、法が定めたからではない。だから、法がなければ保てないようでは既に滅んでいるのである。順序が逆なのである。そう孔子は考えた。まず人間がある。だから法がある。

つまり、あの紙きれの中には人間の思いが込められている。多くの願いが込められている。あそこにある理念、理想を信じる事ができないのであれば、人間を信じることなどできない。

だけど、まさか、僕たちは呪縛の世界に生きているとも言えない。だから、憲法という形式を発明したのである。その発明の仕方がヨーロッパ的であった。

韓非子は法によって国は治ると考えた。その根拠は罰するからではない、それによって人々が安心するからだ。

政治家

官僚が中心となって戦争に突入したのなら、敗戦に向かって突き進んだのも官僚である。敗戦を向かえる時、政府の中心はみな官僚であった。閣僚の多くもみな官僚であった。なぜ政治家ではなく官僚たちが敗戦を担ったのか。なぜ官僚には止められて政治家には止められなかったのか。

そもそも、我が国に政治家は存在していたのか。戦後の復興を支えたのも官僚である。果たして政治家の存在とは。ここにこの国のあり方の独自性があるのかも知れない。

忠臣蔵は、武士と侍の矛盾が噴出した事件であった。武士として主君の敵討ちをする。これは武士の道である。だが、この武士の美徳が侍としては重罪である。侍が武士として反乱をした事件であった。幕府は、武士と侍のどちらかを選ぶのか、どちらかを否定するのか。これは重大な思想的クライシスである。

徳川幕府の思想的基盤を破壊しかねない事件であった。ひとつ対応を間違えれば徳川幕府は侍たちの支持を失い瓦解するだろう。荻生徂徠はその構造を看破し、侍として罰し、武士として処罰した。ふたつが矛盾せずに並立可能であることを証明しようとしたのである。江戸時代の秀逸は、戦国時代の終わりに伴い失業するはずであった武士たちを、侍という官僚に作り替えた点にある。

明治のリーダーたちを政治家と呼ぶべきものか。大久保利通も伊藤博文も江戸時代の官僚である。日本の歴史上、政治家と呼べそうな人物がいない。徳川家康は政治家だろうか?官僚は聖徳太子の時代から存在する。では聖徳太子を政治家か?彼らはそうではない気がする。そもそも、政治家とはヨーロッパから輸入された思想ではないのか。

明治に選挙を実施する。その時に、必然として日本にも政治家が登場した。山縣有朋は軍事の素人が戦争を主張して選挙に当選する、それが戦争へ突き進む危険性を危惧した。軍事官僚は専門家の立場から政治家の戦争観を必死に抑え込もうとした。だから軍部大臣現役武官制を制定する。その目的は、政府の暴走による戦争を阻止するためであった。これが昭和になると軍部の暴走の根拠になる。

だが、軍部の暴走は昭和だけの現象ではない。日清戦争は官僚たちが起こした戦争で、明治天皇はこれは朕の戦争ではない、と言い切った。昭和の敗戦へ至る萌芽は既に明治時代の初期に見出せる。明治の暴走も昭和の暴走も構造は同じだ。ただ明治は運が良かった。戦争に勝った。これは元老というシステムが官僚をよく支配していたからだろう。元勲たちが生きている限り帝国憲法はうまく機能する。だから元勲たちが去れば帝国に空白地帯が生じるのは自明ではないか。この欠陥に対処するには改憲しかなかった。だがその危険性への対処は、天皇機関説など幾つかの契機があったにも関わらず遂に行われなかった。

別の道、未来

もし、あの戦争をしていなければ?

我々は、今も明治憲法を抱き、天皇中心の社会制度を維持し、21世紀を向かえているだろう。ただの一度も改憲できないまま。朝鮮半島がどうなっているかは定かではないが、今も日本領として、独立派が街を焼き払っているかも知れない。中国はそれを支援するはずだ。アメリカはソビエトの共産化に対抗する防波堤として日本に近づくはずだ。そもそも日本はロシアの南下と対抗するために江戸幕府を斃したのである。アメリカからの援助を断る理由はない。朝鮮戦争が起きる可能性も高いと思われるが、この場合、朝鮮半島は日本領のままだから、中国、ソビエトの両軍と対抗するのは、米軍ではない、日本である。恐らくジェット機の実用化は日本には出来ないから、アメリカからの支援に頼って戦うしかないだろう。

さて、現代に戻れば、イランの国家体制が極めて戦前の日本に近い事に気付く。もし彼らが戦争に突入しないまま国を変える事ができるのなら、日本にもそれは可能であった証拠になる。だが、今の体制のまま戦争が不可避なら、我々も不可能だったのではないか、と思える。イランの現状が日本の歴史と重なる。彼らには石油がある、だから、暫く国家を維持する事は可能だ。だが、もし石油を持たないイランであったならば。

イランとアメリカの対立は日本の試金石になるかと思われる。もう一度、あの戦争を辿っている錯覚に見舞われる。

迫害

官僚の優秀さは、現在の環境への適用度の高さにある。専門家である官僚の優秀さは現在の社会問題に対処する能力であって、環境の急激な変化に対するものではない。官僚も決して万能ではない。

社会問題の解決とは利害関係の調整である。問題を解決する方法は様々で、当事者同士の話し合いだろうが、金銭を使おうが、強制や暴力を使用しようが、それは手段に過ぎない。当然、利権が巨大になれば調整も困難になる。そうなれば優秀さと無能は大差なくなる。

昨日まで迫害されていた人が今日から迫害する側に回る。官僚組織ならばそれが可能だ。国を思う心がそのような行動を躊躇させない。愛国心は簡単にジェノサイドを起こす。神への信仰心と国への思いは同じだろう。命令があればジャーナリストを殺害し、証拠を消し去る。官僚組織はその歯止めを持たない。

官僚組織は受けた命令を実現する。それ以外の何も要求されない。それを拒否したければ職を辞すればいい。良心を捨てる必要などない。国会で嘘をつく官僚だって、嘘をつく気などない。完全に真実と信じている恐怖さえある。彼らは自分が受けた命令に従う、それだけ。その結果は、私の仕事ではない。そういう意識しか持たないように出来ている。

だからナチスに迫害されたものが、正統なナチスの後継者になることに何ら不思議はない。官僚組織を持てば当然の帰結である。官僚組織を動かすのに神の声は必要ない。道徳など顧みる必要もない。そういう人材は既に辞表を出している。命令書があれば耳を塞いでいても仕事ができるように制度設計されているのだから、それが官僚組織である以上、官僚組織を持つものは誰でも誰かを迫害できる。

それを抑止する憲法はこの世界に存在しない。