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2011年1月17日月曜日

Microsoft Office Home and Business 2010 - Microsoft

電子ブックは、活字の電子版ではない。だが、文字が発見され、活字が発明された延長にある。
始めの手出しとして写真を取り入れてきたが、この先がもっとある。

電子図書は、本の焼き直しじゃない。
そこには動く魅力がある。

例えばOfficeソフトにはマクロやスクリプトを搭載することで紙媒体と違うコンピュータらしさがある。
検索する機能についても紙より断然にいい。
でも不満はある。

例えば、ある項目にマウスをかざすと、詳細な案内のウィンドウを開くとか、
システム設計書であれば、動作のアニメーションが記述できるとか
そういう電子書籍としての振る舞いがそろそろ採用されてもいいと思う。

今のOfficeソフトは、どうこういっても、最終成果物は印刷という思想で作られている。
決して紙に移せないものこそを電子書籍と呼ぶのが相応しいのに。

文章での説明がまだまだ必要なドキュメントなんだけど
そろそろ、一読は一見に如かず、よろしく、色々な動作ができるようになって欲しい。

例えば・・・

1.用語にマウスを置いたら詳細な説明が出る、音が出る、図解がでる。
複数のウィンドウが開いて説明を開始する、google検索を行う。
もちろん、印刷時には、展開した形で表示できてもいい。

2.図やフローチャートは、アニメーションする。
パラメータ毎に動く経路が動画として見れる。
写真だけでなく、動画も貼り付けられる。

3.ドキュメント内検索の結果はGoogleやBingのような一覧で表示できる。

4.付箋を貼りつけられたり、赤線を自由に引けるようにする。
それが目次に反映できればいい。
また、関連するサイトの内容をドキュメントへ展開できるようにする。

5.ある行にマウスを置くと、関連する行や語句が自動で色付けされる。
関連するほうへ飛んでもいいし、下の方へ行くもいい。

6.別のドキュメントの一部を高速に参照できる。
サブウィンドウだったり、IFRAMEだったりに表示して。


これらの動きあるドキュメントの本質は、シミュレーションの魅力だろう。

例えば、学校の教科書。

◆算数
5+4と紙の本にはある。
これが電子図書なら、クリックしたら5つのリンゴと4つのミカンが出て来て、
一列にそれが並ぶ、一つ一つを数えるという動作をしてくれたら
子供の理解も深まる、かもしれぬ。

◆数学
微分方程式がある。
クリックしたらグラフに書いたり、パラメータを変えてみたり、
さらに微分をしてみたり、積分したりといろいろ弄くれる。

ニュートンがどういう理由で微分を欲したのか、天体の観測などと合わせて
どうして必要か、どう使うかをシミュレートできればいい。

◆社会
地理はgoogle mapと連携するし、現地の人とお話できるかもしれない。
歴史では主な合戦を時系列でアニメ―ションに表現することも可能だ。

◆理科
生物の細胞分裂をコマ送りでみれたり、ある場所に色をつけどうなるかを試す。
細胞分裂をDNAの動きでみることもできる。
人体の解剖図だって生きている時の動きを見たいし、
そこが細菌に犯されたり血管が敗れたらどうなるかも見てみたい。
これぞThe シミュレートではないか。

◆国語
言葉は実は電子出版の恩恵をあまり受けないだろう。完成しすぎているように思われる。
読んでくれても特殊な場合を除いてあまり嬉しくない。
動画を見たり聞いたりするよりも読む方が早いからだ。
ただ、タレントや女優の読本ならありえるかもしれない。

◆英語
発音してくれたり、重要な言いまわしは映画や音楽のシーンを再生して耳を慣らすなどいろいろあるはず。

◆音楽
例えばクラシックならある楽器だけをミュートして聞いてみるとか。

◆技術書
実はこれが電子書籍の恩恵を一番受けるんじゃないかな。

例えば、プログラムの例題があるとする。
本ならばソースコードだけだが、電子ブックなら一行づつ実行してどうなるかを追いかけることができる。
ソースを自分なりにアレンジする事も可能だ。

バグのあるデバッグするための例題があっても技術書として楽しい。

もちろん、フローチャートを書いたらパラメータをいろいろ指定してエミュレートして欲しいし
図解の動画、例えば、建築物なら地震での揺れをエミュレートするとか、風洞実験などができればうれしいだろう。

自由に色を塗り、自分なりの理解を深めたり、関係する場所をリンクし、一つをクリックすれば
リンクされた場所が全て同じ色で発色するというのもいい。

試してみれる事、パラメータを変えれる事。一部を抜き出す事、改変できる事。
その上でどうなるかを試す事。

シュミレーションってのは何度も試せることだと思う。

こういうのが可能なはずだから、電子書籍の今後は期待できる、と思う。

利用者のUIとしてはiPhone,iPadが提案された。
あとは製造者側のUIが課題として残されているわけである。

Officeソフトも電子書籍もまだひよっこなんだ。

HELLSING - 平野耕太

諸君私は戦争が好きだ、から始まるこのフレーズによって
諸君という言葉を平野耕太は所有してしまった。

これ以降、諸君という言葉を使うものは、平野耕太から借りるしかなく、全てはHELLSINGのパロディに過ぎない。

この平坦なストーリーの漫画の中で輝くこのスピーチは、ほとんど絶後でさえある。
一つの日本語を所有するなど、今まで誰にできただろうか。

それほどまでに、この漫画のこのセリフは完璧だ。
まるで一遍の詩だ。

そうだ、HELLSINGは詩集と呼ぶべきなのだ。

呪われた我らの旗を
ドイツ第三帝国海軍大西洋艦隊
旗艦アドラーこれより作戦行動に入る・・・

諸君私は戦争が好きだ。
諸君私は戦争が好きだ。
諸君私は戦争が大好きだ

殲滅戦が好きだ 電撃戦が好きだ
打撃戦が好きだ 防衛戦が好きだ
包囲戦が好きだ 突破戦が好きだ
退却戦が好きだ 掃討戦が好きだ
撤退戦が好きだ

平原で 街道で
塹壕で 草原で
凍土で 砂漠で
会場で 空中で
泥中で 湿原で

この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ

戦列を並べた砲兵の一斉発射が轟音と共に敵陣を吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられた敵兵が効力射でばらばらになった時など心がおどる

戦車兵の操るティーゲルの88mmが敵戦車を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかる戦車から飛び出してきた敵兵をMGでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

銃剣先をそろえた歩兵の横隊が敵の戦列を蹂躙するのが好きだ
恐怖状態の新兵が既に息絶えた敵兵を何度も何度も刺突している様など感動すら覚える

敗北主義の逃亡兵達を街灯上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ虜兵達が私の振り下ろした手の平とともに
金切り声を上げるシュマイザーにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ

哀れな抵抗者(レジスタンス)達が雑多な小火器で健気にも立ち上がってきたのを
80cm列車砲(ドーラ)の4.8t榴爆弾が都市区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

露助の機甲師団に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだった村々が蹂躙され女子供が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ

英米の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
英米攻撃機(ヤーボ)に追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ

諸君私は戦争を
地獄のような戦争を望んでいる

諸君私に付き従う大隊戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる戦争を望むか?

情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?

戦争(クリーク)!!
戦争(クリーク)!!
戦争(クリーク)!!

よろしい
ならば戦争(クリーク)だ

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間耐え続けて来た我々に
ただの戦争ではもはや足りない!

大戦争を!!一心不乱の大戦争を!!

我らはわずかに一個大隊千人に満たぬ敗残兵にすぎない
だが諸君は一騎当千の古強兵だと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の軍集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさえ思い出させよう

連中に恐怖の味を思い出させてやる
連中に我々の軍靴の音を思い出させてやる

天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事がある事を思い出させてやる

一千人の吸血鬼の戦闘団(カンプグルツペ)で 世界を燃やし尽くしてやる

「前フラッペン発動開始」
「旗艦デクス・ウキス・マキーネ始動」
「最後の大隊大隊指揮官より全空中艦隊へ」
「目標英国本土ロンドン首都上空!!」

第二次セーレヴェー(あしか)作戦状況を開始せよ
征くぞ諸君


このセリフ以降、この漫画には死人しか出てこない。
ケチャップを潰したかのように血が流れ、
一巻一殺よろしく、次々と登場人物が屠殺されてゆく。

それでもストーリーから目を離せないのは、決して面白いからでも
感動しているからでもない、始まった戦争から逃れられないだけなのだ。

そして、そこに居ても正気を保てるのは、この漫画の世界に依存する。

この漫画に登場する人物は、観念の集合のように見え
その証拠に一切ウンコをする気配のない人間しか登場しない。

人形劇と呼んでも良い。
だが、この登場人物たちがうんこをする人間であったりしたら
きっとこの物語は正視に耐えられない、恐らく、わずかな人を除き。

逆に、そこだけが、この物語を正気たらしめる、唯一つの立地点のように思われる。
この詩が成立するためには、この漫画が必要なのだ。


誰も、もう諸君と言う言葉を自由に使うことはできない。
幾つかの先人の言葉にだけ、元の意味を残している言葉がある。
それはあの大虐殺の中で生き残ったわずかな人のようでさえある。

それはまた、同じく不死のようだ。

生徒諸君
ヤマトの諸君
諸君にラピュタの力を見せてやろうと思ってね
検察諸君、私を止めてみたまえ

僕の思いつく限りでは、生き残ったのはこれだけだ。

2011年1月11日火曜日

ちはやふる 11 - 末次由紀

漫画の中には音がある。
音楽とは違う。

それは呼吸している気配であったり、歩く音だったりするが、
自然の音として普段の生活の中でも気付くことの少ない音だったりする。

漫画の中で音の表現は昔から幾つもの作家が幾通りもの方法で実現してきた。

擬音であったり音符であったり。声(セリフ)であったり。心の内であったり。
ただの一本の流れる様な線に音符を重ねて音楽となることもあった。

映画に類似されることもある漫画では、音は重要な要素であった。
ただ映画と違い、紙から音が出る事はなかった。

だから音の表現というのは案外に漫画の独特の表現であるのかもしれない。
絵画やイラストにそういうものがある印象は薄い。

音には、漫画の主題(背景)としての音楽があったり、碁石の音があったり、
ロケットの打ち上げや、笛の音や、雨音や、
海を泳いでいる音や、銃や、宇宙の音など様々である。
声が出せない人が話すセリフもある。

セリフは漫画の中の重要な音であるが、これは吹きだしの中にある。
吹きだしの中で読まれるものとして置かれている音であり、多くは声である。

そして吹きだしの外にも声がある。

ざわめき、声援、群衆、応援、人の声の擬音。

かるたという世界が主題のちはやふるは、
歌詠みの発声をセリフではない音として存在させている。
かるたを読んでいるいるとき、読手の声だけが響き、他の人は呼吸だけになる。

この漫画からは、その呼吸の音さえ聞こえてきそうだ。

この作者がどれほど丹念に登場人物を描いているか、
色々なコマの端々から想像するのが好きだ。

それは登場する人物、端役の人物を含めて、彼ら彼女達が
ちゃんと息をしているように描かれている事からわかる。
端役の人物にさえ、人生が将来が見えてくるようだ。

この作者がどれだけフェアであろうとするか、
それはセリフの端々から感じる。

男女の別なく
体格の別なく
年齢の別なく
知性と
体力の別なく
読まれた瞬間に
千年まえとつながる
そんな競技
いくつもない

稲妻が見えて暫くしてから落雷が響くように、
音として聞こえてから言葉になるまでのわずかな時間がある。
そんなわずかな音さえも聞こえてくるような気がする。

漫画の底には無音があるはずなのに。
だが、音は聞こえてくる、僕達の耳に届かないだけで
多くの音が、声が漫画の中から生まれてくる。

一コマでも、表紙でも見てみればいい、みんな何かを伝えようと声を出しているじゃないか、
息を吸って吐いて、踏ん張っているじゃないか。

それが全てのコマの全ての人がみんながみんなしているじゃないか。
だたの一人として息をしない人はいない、音を立てない人はいない。

生きているのであれば。

静けさの中にさえ、存在が音として聞こえてくる。

この作者は、届かない声を、聞こえない音を、僕達に届けとばかりに
ガラスの向こう側から懸命になって叫び続けているのかもしれない。

そこにあるのはただの声ではない、誰もが他人へと、誰かへとかける声だ。
誰かのために考える声だ、誰ひとりとして自分のためだけの声など発していない。

考えるだけの声ではない、思うだけの声でもない、
自分に語ることなく、この漫画の全ての登場する人物は、みな
他の人へと声をかける。

それは、自分の人生に向きあい行動することに等しいように思われる。


あさぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

2011年1月8日土曜日

サブプライムローン破綻の真相

サブプライムローンの破綻を受け、今後、CDSも破綻することが懸念されている。これは経済状況を悪化させ、大不況に多くの国が苦しんでいるのだが、これがアメリカの陰謀であるという話が世間でまことしやかに囁かれている。

そんな馬鹿なと思う読者もいるだろうが、実は、これが真実であるのだ。実際、霞が関では、この話自体は当たり前の事として受け取められており、その先をどうしてゆくのかという話に話題はシフトしている。

この破綻劇に隠されたアメリカの真の目的、戦略、そして世界へのメッセージは果たして何であろうか?

アメリカは京都議定書を離脱したことからも分かるように地球温暖化活動にあまり熱心ではない。これは政府が石油産業や自動車産業など経済界からの反発を恐れてのことだ、と従来は言われてきた。

しかし、NASAを有し地球を全方位から観測するアメリカ。ノーベル賞受賞者が一番多い国、アメリカ。大学では世界トップ10をイギリスと分け合うアメリカ。この大国アメリカが果たして本当に地球温暖化という危機に気付いていないことがあろうか、いいやない。

そのアメリカが本気で地球温暖化対策を画策してみたのが、2001年の事であった。副大統領のゴア氏は、実はエージェントとして世界中を飛び回り、各国政府と話をし、この問題についての各国政府の本心を調べていたのだ。

だが、この時は、世界にアメリカと真のパートナーシップを組んでくれる相手を見つけることができなかった。アメリカと供に温暖化対策について本気で取り組む国がいなかったのだ。

ヨーロッパは地球温暖化対策をビジネスとしてしか考えていなかった。CO2という第二のチューリップ(の球根)で新しい商売をしようとしていただけであった。

中国やインドなどBRICS諸国は、この問題に全く興味を持っていなかった。

日本は、アメリカがやれと言えばやるだろうが、自発的にやる気など全くなかった。

アメリカは、アメリカ単独でこの地球的規模の問題に取り組まなければならないことに気付いたのだ。実に2005年、春の事である。そこで全世界を巻き込んで温暖化対策するために、アメリカが取った方法が経済活動を低下させる、というものである。

経済活動が低下すれば、地球温暖化対策になるというわけだ。不況になれば、工場は潰れたり、操業時間が短くなるからCO2の排出量は減り、車の利用も減少する。

石油の値段を上昇させるというアイデアもあったが、詳細なシミュレートの結果、思ったよりもCO2排出量が減らない事が分かった。TOYOTAの車の燃費が良すぎたからである。

そこで、アメリカは最後の手段に打って出る事にした。例え、自国の経済が壊滅状態になろうとも、地球温暖化対策を行なう。自国で一番強い金融産業を潰し、世界を大不況にする。

それがサブプライムローンの破綻である。これで10年近く、地球は世界規模で産業活動は停滞するであろうし、その分だけ地球温暖化を遅らせ歯止めする。

恐るべしアメリカ、
これがサブプライムローン破綻の真の理由である。

時の行者 - 横山光輝

2008/10/05

次の選挙は関ヶ原であると、民主党。

民主党の小沢党首は、先の党大会後の記者会見で
次の選挙で民主党が過半数を得て政権与党になった場合、
天皇家に征夷大将軍を任命するよう要請すると語った。

もし征夷大将軍になれば、先の徳川慶喜以来、王政復古の大号令で廃止されてから141年ぶりの復活となる。

この談話を受けて鳩山幹事長は、小沢さんが清和源氏の家系になるものかを至急確認しなければなりません、と語った。
また、政権政党でなくなった場合は、征夷大将軍はお返しする、大政奉還である、とも語った。

一方、自民党の麻生総裁は、家系が源氏でないため、征夷大将軍になれないのがはっきりしている。
そのため、選挙前に摂政・関白となることを画策する方針を固めた。

関白となれば、二条斉敬以来、これも140年ぶりの復活となる。

ヒカルの碁 - ほった ゆみ, 小畑 健

囲碁ってのは本当に面白いもので
解説者が面白ければ、わからなくても十分に楽しめる。

自分が打っててよくあるのが、
自分の陣地だと思っているところに相手が石を打ってくること。

えー、まさか、ここ、もう、俺の領土だよ、
そりゃ、無理だろうよ、って思えば、相手にしないわけです。

しかし、その自信がなければ、なんらかのお返事となる手をを打つ必要もあります。
俺の領土だって言ってるだろ、ビシッ!

勿論、相手にしなくとも十分自分の陣地である場合もあります。

しかし、そんな場合でも相手が一枚上手だったり、見損じがあったりすると。。。

え、まさか、おっとと、むむむ、、、、あ!手遅れだ、取られた、
もうどうしようもないと、相手にすっかりやられてしまう場合もあります。


思えば、中国も韓国も同じアジアの国であります。
ましてや、囲碁では強力なライバル同士。

ヨーロッパのやり方、くそくらえ、アジアにはアジアの歴史がある如く。

今日も我が国の領土に石を打ち込んできます。

当然のことながら、よく見極めた上で、応じるのか、手抜きするのか、
最善の手を打つのが碁打ちの心得というものであります。

”待った”なぞ厳禁であります。

序盤に打たれた死んだはずの石が生き返る、
囲碁ではよくある風景であります。

何年も前に打たれたあの石、どうやらまだ死んだ石とは見ていないようです。

もう一言加えれば、勝ち負けはどうあれ、
終わったらありがとうございました、礼で終わるのがマナーというものです。

囲碁の経験なくして政治を語る勿れ。

2011年1月7日金曜日

僕ではわからぬ太平洋戦争 序

1.方策
明治維新(1868.10)から73年。
日清戦争(1894.7)から45年。
日露戦争(1904.2)から37年。
第一次世界大戦(1914.6)から27年。
第二次世界大戦(1939.9)から2年。

太平洋戦争(1941.12)は始まった。

この戦争は、戦後の日本を決定づける重大な影響を与えるが
その目的も経緯も未だにはっきりとしていない。

あるものは軍部の独裁をいい、
またあるものは国民の熱狂をいい
またまたあるものはアメリカとの交渉をいう。

戦後の日本の歩みがいかなるものであれ
戦争に負けた事が問題の本質なのだ。
なのに何故アメリカと戦争したのか?
何故負ける戦争をしたのか?
これの答えが欲しい気がする。

ただし次のような結論にはしないようにしたい。

・個人のせいにしない
誰かがいなかったら歴史が変わったという事はない。
今のあなたが誰かのかわりになっても歴史は変わらない。

・無能ではない
全ての人が自分の仕事を最大限に頑張った、頑張りすぎた。
一生懸命頑張ったから戦争になったのだ。
誰かが怠慢だったり無能であったからあのような歴史になったわけではない。

・戦争中の事は考えない
戦争をどう頑張っても恐らく勝つ術はない。
どんな兵器を手にしたとしても歴史は変わらない。


2.あらすじ
日本が戦争へと至る道すじを簡単に書いてみる。

江戸時代までさかのぼるべき話だとは思うが
ここは日露戦争以後とする。

日露戦争の勝利(1905.9)は、当面のロシア南下という不安を一掃した。
そして、この勝利は、中国大陸に足を踏み入れる第一歩となった。

中国の混乱は、西洋列強による進出から始まったもので
アヘン戦争(1860)から既に50年近く中国は混乱し続けていた。
ここに日本も足を踏み入れたのだ。

孫文による中華民国の建国(1912.1)と清の滅亡(1912.2)から
国民党(1919.10)や中国共産党(1921.7)を生んだ。

またソビエト連邦(1917)の発生は、ロシア南下という不安を生じ満州が注目された。
日本にとって満州地区の安定は、国防上も、経済上も重要視された。

ついに、中国大陸での排日運動の激化は関東軍による満州事変(1931.9)を起こす。
この地域の安定を求めた関東軍が独断でこの地域を鎮圧したのである。

この事変の首謀者である関東軍参謀の石原莞爾、板垣征四郎らを厳しく処分しておけば、
その後の関東軍の暴走はなかったかも知れない。
陸軍の暴走が止まらないの理由の一つは身内に甘い態度であろう。
基本的に優しすぎる奴らの集まりだったのだ。
結局関東軍では梅津美治郎が粛正するまで暴走は終わらなかった。

満州国境での排日運動の激化は次に支那事変(1937.7)を起こす。
この事変は日本の予想に反して長期間化し、
その解決のためには南京までの進出が必要と判断した陸軍は
松井石根をして南京まで兵を進めた。

しかし、この成果によっても日本政府は中国政府と和平できず
この事変は結局敗戦(1945.8)まで続く。

一方で20世紀は、国際同盟がありパリ不戦条約(1928.8)を締結する世紀であった。
この条約は自衛戦争以外の戦争は認めないものである。
これは、戦争する場合は、国際社会を納得させなければならない、という事だ。

この条約によって、戦争のあり方は大きく変わった。

昭和金融恐慌(1927.3)の発生後、大恐慌(1929.10)がアメリカで発生する。
この影響で日本でも昭和恐慌(1930.1)が起きる。
日本は、高橋是清により円安と輸出への注力によって回復しようとするが、
大恐慌は、世界的なブロック経済圏を作ることになった。

日本のブロック経済圏は満州であり、
中国大陸への進出を目指したアメリカは、中国への支援を行なっていた。
支那事変は、中国へ進出しようとしたアメリカと日本の戦争でもあった。

国内では、25歳以上の男子による普通選挙(1928.03)が実現した。
515事件(1932)、226事件(1936)などの国内は混乱を極め、
三国同盟(1940.9)の締結、大政翼賛会(1940.10)の結成など政府も混乱していた。
軍部大臣現役武官制(1900,1936)の復活が内閣を弱くしたという話もある。

そして、山縣有朋(1922)、松方正義(1924)に続き
最後の元老、西園寺公望(1940)が亡くなった。

日本の課題は、支那事変の終結であったが、これに有力な方法を見いだせず
また方法はあっても軍部を抑える事は困難を極めた。

この支那事変が太平洋戦争の直接のきっかけとなる。

アメリカは、支那事変の経緯から日本に対する圧力を深めた。
特に石油の禁輸は軍部の首を直接絞めたに等しい。

昭和16年は日本がアメリカとの戦争を仕掛けることができる最後の年であった。
これ以降では、石油の欠乏と彼我の軍事力の乖離により戦争は絶対に不可能となる。
最後のチャンスにかけて戦ってみるか、頭を下げるかの選択であった。

早い話が競馬の最終レースに電車賃を突っ込むかどうかの分かれ目だったのである。

アメリカは、この時点まで中国は勿論だがヨーロッパでさえ戦争に参加していない。
最後までアメリカ側から戦争を始める事は無かったのである。

大日本帝国は、戦争計画も和平交渉のあてもないまま
なりふり構わずに戦争へと突入していった。


3.問題
開国以来のロシアの脅威、
中国への進出とアメリカとの対立、
大恐慌と国内政治の混乱、
これらが大きな背景だろうか。

他の列強と同じように中国の地に派兵し、満州国を建国し、
支那事変を終結するために、南京を攻め
支那事変を終結するために、アメリカとの戦争に踏み込んだ。

何故、戦争に負けたのか?
アメリカと戦ったからである。
当時の日本はアメリカ以外の国となら十分に戦争する事が可能な国であった。

戦争で負けないためには、
アメリカと戦争しなければ良かったはずである。
アメリカから戦争を始めることはないのだから、
日本から開戦さえしなければ戦争にはならなかった。

ひたすらに交渉すればよかった。
その結果、満州国も含め中国から撤退することになったかも知れない。
その時、どうなったと日本は見ていたのか?
それは本当に妥協できない事だったのか?
しかし、それは誰にもできなかった。

大日本帝国は、元老があって初めて機能したのではないか。
そんな風に思えてくる。

元老が消滅した時に、それに代わる制度が必要だったのではないか?
それが消滅したために破綻したのではないか?

それが健全であれば別の道を取り得た野かも知れぬ。

元老が果たした役割は何であったのか?
それにとって変わる制度が生まれなかったのは何故か?

何かが欠陥だったのではないか?、
その欠陥は例えば江戸幕府ではどういう形で補完されていたか?
現在では、その欠陥は十分に補われているのか?

これへの回答を求める。


4.まとめ
明治維新から日本は西洋を参考にして国の制度を整えた。
しかし元老という制度が消失し
それに変わる制度を生み出せなかったために
支那事変を巡る問題でアメリカとの交渉に失敗し、
石油の禁輸をされたため
アメリカに勝てる可能性がある昭和16年に開戦した。
しかし、その時点で勝てる可能性は小さく、
その小ささをひっくりかえすこともできず
敗戦へと至る困難な坂を下ることになった。

2011年1月6日木曜日

生声CD付き [対訳] オバマ大統領就任演説

201x年未来
○○党が政権与党となった今夜、党首である○○○○さんの演説です。
***************

日本のみなさん、こんばんは。

日本は、あらゆることが可能な国です。
それを未だに疑う人がいるなら、今夜がその人たちへの答えです。
神武天皇の夢がこの時代にまだ生き続けているかを疑い、
この国の民主主義の力を未だに疑う人がいるなら、
今晩こそがその人たちへの答えです。

(略)

老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。
民主党員も自民党員も、
アイヌ人もおきなんちゅも、縄文も弥生人も帰化した人も、
ゲイもストレートも、
障害者も障害のない人たちも。
日本人はみんなして、答えを出しました。
日本は今夜、世界中にメッセージを発したのです。
私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、
単なる県と道と府と都の集まりだったこともないと。

(略)

私たちの前には、長い道のりが待ち受けています。
目の前の斜面は急です。
目指すところに、1年ではたどりつかないかもしれない。
内閣総理大臣として1期を丸ごと使っても無理かもしれない。
しかし日本よ、私たちは絶対にたどり着きます。
今夜ほどその期待を強くしたことはありません。

みなさんに約束します。
私たちは、ひとつの国民として、必ずたどり着きます。

これから先、挫折もあればフライングもあるでしょう。
私がこれから内閣総理大臣として下す全ての決定やすべての政策に
賛成できない人は、たくさんいるでしょう。
そして政府がすべての問題を解決できるわけではないと、私たちは承知しています。

けれども私たちがどういう挑戦に直面しているのか、
私はいつも必ずみなさんに正直に話します。
私は必ず、皆さんの声に耳を傾けます。
意見が食い違うときは、特にじっくりと。
そして何よりも私は皆さんに、この国の再建に参加するようお願いします。
国を建て直すとき、日本では過去2668年間、いつも必ず同じようにやってきた。
ごつごつになったタコだらけの手で、
石を一つ一つ積み上げ、ひのきの板を一枚一枚積み上げてきたのです。

(略)

そして私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。
今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、
私には、皆さんの声も聞こえています。
私は、皆さんの助けが必要なのです。
私はみなさんの内閣総理大臣にも、なるつもりです

(略)

この国から遠く離れたところで今夜を見つめているみなさん。
外国の議会や宮殿で見ているみなさん、
忘れ去られた世界の片隅でひとつのラジオの周りに身を寄せ合っているみなさん、
私たちの物語はそれぞれ異なります。
けれども私たちはみな、ひとつの運命を共有しているのです。
日本のリーダーシップはもうすぐ、新たな夜明けを迎えます。

(略)

Yes we can。

日本よ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。
こんなにもたくさんのことを見てきました。
しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。
だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。
もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。
もしも私の娘たちが幸運にも、金さん、銀さんと同じくらい長く生きられたとしたら。
娘たちは何を見るのでしょう? 
私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?

(略)

Yes we can。

ありがとう。仏様の祝福を。そして仏様が日本を祝福しますように。

機動警察パトレイバー the Movie - 押井 守

「もういい!止めたまえ!!!」

臨時閣議の場において、センゴクの発言はさえぎられた。

「聞けば、このビデオは、謹慎中の海保隊員が、臨時で雇われたハッカー共に編集したものと同じそうだが?」

「君はこのビデオで、内閣の信頼が上がると本気で考えてるのかね。」

「専門家の報告によれば、海外の串を幾つも通しておけば犯人の特定は実質的に困難とのことです。一度、たれ流したものを取り返すことも当然不可能です。

あの 6 分の映像を公開した後に全てを公開するはめに陥ったら、国民を欺こうとした、情報操作した、売国だ、と政府は批判され、野党は鳴動、ネットに林立する百数十に上る掲示板に非難の咆哮が上がり、首都圏 8000 のツイッタラーが暴走を起こす。

その結果がどうなるか、申し上げる必要もないと思います。パソコン並びに携帯はもとより、地下千メートルのジオフロント作業区、さらには一部の原発の炉心部でもyoutubeは閲覧可能であります。」

全員が無言の中、カンが口を開いた。

「センゴク君。日本の世論は、流出ビデオが出たら情報管理さえまともにできないと言うぞ。仮に君の主張するビデオが公開されたとして、事実上、国民支持率は下がると見て良いのではないかな?」

「国民の支持率は、新聞社の協力を得て取得中とはいえまだ不明であります。6 分の映像を公開したところで支持率が上がる可能性は薄いと専門家の意見も一致しています。

この場合、一度でもこの事件を耳にしたことがある人は、全ての映像を希求していると考えるのが妥当です。」

「6 分の映像を流すか、内閣をなぎ倒すか、このまま無言を続けるか、それとも・・・四者択一、決断をお願いします。」

センゴクの言葉を受け、カンが次のように結論した。

「本日未明より海保の映像が確認されるまでの期間、国内における尖閣に関する会見はこれを全面的に禁止する。記者クラブ、海保、警察も同期間は報道を禁止する。米国、ノルウェー、並びに隣接する各国にも趣旨説明を行って協力を求める。以上だ。」

カンの発言が終わり、全員が退室しようとした。
そこにセンゴクがカンを引き留めた。

「首相、質問があります。ハッカーがしでかしたことでしたら、それが何であれ責任がどうこうという問題にはならないと思いますが?なんせハッカーのすることですから。」

センゴク、ニヤリ、

「・・・・・。無論だ。ハッカーなら致し方ない。」

カンは数秒考えてから、そう答えた。

「センゴク、部署へ戻ります。」

臨時閣議は解散した。


「どういう事です?」

帰りのエレベーターの中で、一部始終を見ていた内閣官房副長官補が質問する。

「言ってたでしょう?ハッカーなら仕方ないって。やっちゃった後で内閣支持率が上がればヨシ。できなければハッカーによる事故とおとぼけを決め込む。バレたらバレたで俺に詰め腹を切らせるって事。カンもワルですねー。」

「カンさんも可哀相に・・・」

「可哀相なのはこっちですよ。失敗すれば私達が犯罪者です。やっぱり止めておきます?」

「いえ。国が堂々と公開すれば問題になります。流出で済むなら、やった方が良いです。」

「官僚ってのはそうこなくっちゃ。じゃあ決まりですね。」

「しばらく戻りませんから、マエハラさんの指示で動いておいてくださいね。」

「了解。」

そこに外務副大臣がが駆けてくる。

「ねえ、何が始まるの?」

彼は一拍置いて、こう答えた。

「海保のビデオを流出させるのさ。」

ハーバード白熱教室 - マイケル・サンデル

その理由は私たちは日々、これらの質問に対する答えを生きているからだ。
(We live some answer to these questions every day.)

尖閣諸島白熱教室

ここに君たちに一つの質問をしよう。

ある事件の映像を海上保安庁の職員が公開した。これは、政府が公開する前にその職員がリークしたものだ。

問題はこうだ。

彼は彼の正義に従って公開した。
だが、この行為は道徳的に許されることなのか?という事だ。

つまり、正義と道徳は一致しないことがあった場合、我々はどちらをとるべきだろうか。
という問題に突き詰めることができる。

はい、その君。
「私は正義を貫くべきだと思います。今回、政府の中国に対する弱腰に不満を持つ人は多いです。その政府が非公開としたとき、これを咎める事は、正義になります。」

「この行為を正義であるとする理由は彼自身が言っているとおり、これを見る権利が国民にはある、ということです。情報公開をうたって政権を取ったのにこれを隠すことに正義があるとは思えません。」

政府には非公開にする理由があったとは考えられないだろうか?
例えば中国との外交問題が更にこじれることを避けたいとか、経済制裁する理由を相手に与えることになるとか。

「私は、経済静止を受けようとも政府がそんな弱腰であることが許せません。」

しかし、君たちが選んだ政府だよ?

「私はその政党には投票していません。」

(笑)

では反対意見は、後ろの君。

「私は、公務員が政府のやり方に不満を持つのは構いませんが、不満であるからと勝手に公開することは、テロやクーデターにも匹敵する行為だと思います。」

「このような公務員としての道徳に違反した行為を正義の名の下に許してしまえば国として成立できなくなるのではないかと危惧します。」

「今回の彼の行為を正義と認めても構いませんが、このような反道徳的行為が続けば、次、その次と政府に反感を持つものが勝手に動いていくことを認めることになります。」

「次に政府に対して行動するものが、本当に正義の名に値するかは誰にもわかりません。」

「私たちの国には正義の名のもとに、クーデターを起こそうとした歴史があります。」

「彼の行為は道徳的に問題であるというのだね。」

「ええ、政府が非公開、または、保留中の事項をその組織の下のものが勝手に公開しては組織が成り立ちません、仕事に対する道徳としてみれば問題だと思います。」

これに対する反論は?

「515 事件は確かに反乱ですが、それを言えば明治維新だって時の政府への反乱です。反乱であることが必ずしも道徳的にも間違っているとは言えないと思いますけど。」

はい、君。

「民主主義のもとでは政権交代という形で変革をすればいいのであって、それ以外の反乱を認めるべきではないと思います。」

なるほど、難しい問題だね、そこの君。

「昔、吉田松陰という人が当時の規則を破り、アメリカに密航しようとした事がありました。当時は死罪となるような事件です。しかし、その法律を破ってまで渡米しようとした松陰の魂は、その後の倒幕の流れを作りました。」

「例えば法を破ってでも正義のために行動することを咎める事は出来ないと思います。結局、松陰は死罪になりました。同じように罰を受けるかもしれませんが。」

反論はあるかね。
「はい。先の大戦において、関東軍が中央政府の方針を無視して満州国を築きました。このときの首謀者、石原莞爾を始め、暴走する軍部に対して厳しい処罰をしてきませんでした。これが、結局戦争にまで続くことになります。政府に従するもの、厳罰しなくては、第二第三の造反者を生みだすだけです。」

つまり、君たちが言いたいのは、彼を処罰すべきかどうか、という事かな。

それでは、正義と道徳のどちらを優先すべきか、正義とは道徳に基づく行為なのか、それとも、この二つは異なる側面を持つものなのか?

更には今回の行為は正義なのか、正義ではないのか、道徳的であったか、そうではない行為なのか、

正義とは何に基づく行為であり、
道徳とは何に基づく行動なのだろうか?

そういう話と、彼への処分とは違う話だと思われるのだが、どうだろうか。

はい、そこの君、君の意見は?

台風のフー子 - 藤子・F・不二雄

日本は我々がまず2島を引き渡した後、すべての島を渡すと思っていたが、
これらの島(=四島)がロシア領であるとの立場を取っている

ドラえもん、ロシアが僕の北方領土を返してくれないよー。

のび太くん、鈴木宗男を収監するからじゃないか、自業自得だよ。
ロシア君の友達にあんなことしちゃダメだよ。

えー、だってあいつ利権持ってるんだもん。

やれやれ、のび太くん、ロシアもこれから中国と対抗するために、
北方領土の重要性に気付いたんじゃないのかな~、無理だよ。

だって、だって、あれ、僕の島だよ~

そんなこといっても、アメリカ君とのケンカに負けたのがいけないんだよ、
僕があれだけ止めたのにケンカなんかしちゃてさ。

だからって、そのどさくさで僕の島を取ってかなくてもいいじゃないかー
なんとかしてよ、ドラえもん~

無理だよー、そんな便利な道具なんてないよ

仲良くしたら返してくれるかなぁ

何言ってんだよ、のび太くん、
バブルのとき、あんだけおごってあげても返してくれなかったでしょう。
そん時だって、返す、返すと口約束だけだったでしょう。
今回、ロシア君の本音を言ってくれたのはとっても良い事なんだよ。

えー、じゃ返す、返すと言ってたのは、なんだったのさー

今までは子供扱い、これからは大人扱いってことさー

それって、良い事なの?

さぁ、子供ならケツの毛まで抜かれることはないと聞くけどね・・・

ドラえもーーん、なんか道具出して、今すぐ、ハリーアーーーーップ!

仕方ないなぁ、のび太くん、
タラララッタラー
あれ、3つ出てきちゃった。

3つもあるの、それ使わせてー

はい、一つ目、核兵器。

・・・・

はい、二つ目、造幣局

お金で買うの?ハイパーインフレしない・・・

はい、三つめ、核廃棄物

これで海を汚染してこいと・・・

ド、ドラえもん・・・って、ド右翼だったの?


のび太くん、ほんとは自分で考えないといけないんだよ。
返してもらえる条件を調べて、そのタイミングを待たないと。
圧倒的不利だけど、相手の本音がちゃんと聞けたんだから
これはロシア君に感謝してもいいんだよ。

のび太くんがジャイアンに勝ったケンカあるでしょう。
あれと同じで最後まで諦めない方が勝つ事もあるんだから。

うん、わかったよ、ドラえもん。
でも、取り返す道具に外務省がなかったけど、何か深い意味あるの?

2011年1月2日日曜日

半分のコップの水

コップに半分の水が入っている。

これをどう思うかという話。

ちょっと調べてみたけれど、これを最初に言った人の話は見つけられなかった。渋谷昌三という人の本に書かれているようだが、この人が初めなのかな。

さて、これ、答えを知らない人にはなんのこっちゃの問題文である。

どう思うかって、普段から人はコップには水が入っていないものと思っている。だから、ああ、半分まで水の入ったコップですね、なんで一杯まで水を入れないんですか、とか、なんで水を入れてあるんですか、と言うほかはない。そこから思う事はそりゃ色々だ。あ、おじいさんに薬飲ますのを忘れた、とか、あ、洗濯しなきゃ、とか、水よりもコーラが飲みたいとかね。

で、よく言われてるのがこちらの話。

「まだ、半分も水がある」

「もう、半分しか水がない」

どっちと思う?

半分の水への感じ方で楽観的か悲観的かがわかる、というお話。

砂漠を想像しよう。近くにオアシスなぞなさそうだ。あとどれだけ水が残っているんだ、水筒の中を見てみたら、

ああ、まだ半分も水があると楽観した人はポジティブ、半分しかないと悲観した人はネガティブだよね。というカラクリ。

なるほど、で終わるだけの話なんだが、この話しには続きがある。

まだ半分も水がある、と思った人は、この言葉の後に次のように続く。

ああ、俺が思っていたよりも水は多い。

もう半分しかない、という人は、ああ、俺が思っていたよりも水は少ない。

半分もあると思う人は、それを知るまでもうほとんどない、と思っていたはずだ。

あそことあそこで飲んだ、どう考えてもこれっぽちしかないはず。そうずうっと悲観していたからこそ、予想に反して多く残っていることに安堵した。悲観的に考えやすい人、実際よりも悪い方向に考える性向の人であればこそ、ああ、よかった、と真実を知ったときに楽観する。まだ、あれくらいあるさ、ほとんど残ってるさ、と楽観してきた人であれば、え、こんだけか!と悲観してしまうものじゃないか。

いずれにしろ、それまで自分が立ててきた予測と実際の乖離があったときの言葉には、それまで自分がどう思っていたかという心理が出る。

だけどもここで重要なのは予測と実際に大きな乖離があったと言う事だ。そりゃ無能じゃね?砂漠で命に係わる水の量さえ把握できない無能者だ。死にたいのかとしか言い様がない。

うん、想定通り、こんなもんだよな、という人だっているだろう?

こういったセリフは銀行の通帳残高を見たときにも、よく使ったりするよね。

君は楽観的?悲観的?それとも・・・

私訳 - 村山談話

原題は「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
平成7年の談話、1995年、戦争から50年が経過しました。

今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
身内に犠牲者がおられる方もまだ多く存命されております。その悲しみが50年の時を経てもまだ癒えない事を思えば、いいえ、決して癒えないのだと私たちに語り掛けるのであれば、あの戦争が残したものは決して小さくなどありません。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
東京のあの焼け野原で起きた無数の蛍の墓を乗り越え、広島のはだしのゲンを生き残びた人々が、何人もの口をつぐんだ方、時流に乗った方、失望した方、多くのものを流し去り忘れ去って時代は疾走しています。平和や繁栄の定義などできるものではありません。誰かひとりが悲しむならそれでも平和と言えるのでしょうか。全ての人の平和、全ての人の繁栄など得られないのではないか。それでも、おおむね、私たちはそれなりの平和と、それなりの繁栄の中に居ます。

このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
戦後の我々を蔑むことはありません。私たちの今は、決して他の何ものからか唾棄されるようなものではありません。敗戦からの復興は私たちの誇りたりえます。

ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。
私たちは自分達だけで今の繁栄を築いたのではありません。戦後の食糧支援、中国での残留孤児。見知らぬ多くの暖かい人たちに助けられて来たのです。知らないだけであって感謝すべき人が居るのです。あなたの目の前にいる人は、その人のお孫さんかも知れません。確かに恨んでいる方も多くいるでしょう、しかし感謝すべき人々がいるのです。

また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
かつての敵国と解決していない問題が残っているとは言えども、それを武力によらぬ友好関係の中で解決できる幸福を喜ばすにはいられません。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
豊かであるゆえに、私たちは平和ボケであったり、海の向こうで起きている不幸から無関心でいがちです。

私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
無関心でいないためには、まず私たちは過去の失敗を二度と繰り返さないだけの自分達を律しなければなりません。あの悲惨で無謀で馬鹿げた戦いを二度としないこと、それが出来なければ、どうして他の国々と意見を交換し、問題を解決などしていけるでしょうか。

とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
私たちは、先の大戦を経済問題の解決策としての海外侵略を行いました。内政問題の延長上に外交がある。だからといって、内政問題の解決のために国外の領土を蹂躙する稚拙な経済政策が、アメリカと敵対した愚鈍な外交政策が、クーデターを恐れるあまり軍部の独走を御し得なかった国策が、放置されてよいはずがありません。アジアにおける信頼回復は日本が解決すべき不可欠な課題と考えます。

政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。
そのためにはおおいに歴史を研究する必要があります。問題が単なる行政上の瑕疵で済むとは思えません。おおいに研究し自覚し次にどうすればよいかを知らなければなりません。良きも悪きも知り尽くす覚悟がいるでしょう。それは私たち日本人の文化そのものにある欠点を炙り出すかも知れません。

また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
戦後処理はまだ終わっていません。何よりも私たち自身が、どうすれば良かったか、何が問題であったのかを答えられずにいるのですから。彼らの不信には耳を傾ける必要があるでしょう。”誠実に”私たちは答えを見つけ彼らの疑念に答える日までその声は無視できません。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
私たちは日本だけの世界に住んでいるのではありません。世界各国が様々な問題を抱えながらも共存する地球という星の上に居ます。既に人類のテクノロジーは誰かが誤れば人類の滅亡も可能になっているのです。未来をどう切り開くかは深刻な問題なのです。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
あの戦争への道を歩み負けてしまった過去、国家の滅亡の淵まで行ってしまった危機。私たちは戦争に負けてしまった。負ける戦争をしてしまう愚かさ。その結果、多大の損害と苦痛を与えてしまったその贖罪。もし次にもう一度やれば、次は地球ごと滅亡するかも知れない。

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
あの戦争の誤ちとはアメリカと戦争するから負けてしまったのです。負ける戦争をし、ぐずぐずと講和できなくて、多大の損害を被ったのです。戦争に負けたために、多大な苦痛を国内外に与えてしまったのです。負けたお詫びなど誰が聞くでしょう。戦争に負けるとは、それほど大きな問題です。痛切に反省するとすれば、二度と負ける戦争はしません、次は絶対に勝ちます、となるでしょう。

また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
しかし、負けたから今の日本があるのです。もしあの戦争に勝っていれば、民主主義も、自由主義もない、帝国主義的、全体主義的な軍事国家から脱却など叶わなかったのは間違いありません。自ら方向転換できない硬直した国家が20世紀の繁栄を享受できるとは思えません。国家を問わず民族を問わず全ての犠牲者の上に、今の日本があります。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
我々は独善的であったから先の戦争に負けたのでしょう。敗戦で得た民主主義という価値観はまだ私たちのものに成り切ってはいないでしょう。明治の世に借り物の帝国主義の上で暴走を自ら食い止められなかった過ちを、次は民主主義という借り物の上で起こすかも知れません。私たちはこの西洋が生んだ民主主義という思想とよく対峙し、検証し、その真価をよく知る必要があります。

同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
同時に私たちがこの星の上で核兵器で滅びてしまう愚かな生命体として宇宙の歴史に名を刻まぬための努力も続けなければなりません。

これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
本当にそれが亡くなられた方々の御心に沿う事かは分かりません。しかし、例えそれが自己陶酔に過ぎなくとも私はそう信じてやるのです。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。
よるはしんにしくはなし。信義に頼るとは、他の方々と共に歩むという意味です。

この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
私は他の国々と共にこの星で生きてゆく、それは支配するのでも支配されるのでもなく、互いに歩むものです。どこへ?それは次の世代に託せばよい。私はそう思います。

野中広務が著書に書いた、青い空を見上げた記述が、忘れられない。

スティーブ・ジョブズ

技術力というのは、多分、言葉にする力の事ではないか。実際に技術が身についているとかいないとかは関係なく。言葉にして他の人に示すことが出来る力を技術力と呼ぶのであり、同じ技術を持っていてもそれを他の人に説明できなければ、技術力が違う、と評価される。

他の人に説明できなければ本当に技術があるか、どうか判断のしようがない。説明できるとは、早い話が名前を知っている事だ。これが判断基準になる。よって技術力とは試験に出る問題と言う事だ。よって技術力があるかどうかは名前を問う試験で判断できるのである。

ただ注意すべき点は、技術力は、仕事が出来る事や技術を持っている事とは関係ない話である。技術は仕事の構成要素の一つだが、技術力の有無はその直接的な要素ではない。

仕事ができる、という人からの評価は、他人のものであって、試験とは異なるがある技術の所在を測るものである。だが、それでも過去を測るものであって、未来を測るものでは、本質的にはない。

仕事した結果、生じた成果物、生産物、創造物には技術が含まれているだろう。だが、それは技術力を測定することとは関係ない。

仕事するってのは無償の技術や資源を使って自然の中で起きている事であって、その過程で生み出された副産物だけが社会の中で有償となりうる。

技術の本質は生成における一過性のものであり、同じことは二度と起きない。ただ、技術の発見は伝播する事が可能な場合だけ再利用も可能だ。それは、技術の一つの側面ではあるが、本質ではない。

同じ事をして同じ結果を生みだすのが再利用だが、技術の本質は、二度と同じ事ができないものだ。書家が同じ字をもう二度と書けないのと同じだ。一子相伝であったり、相伝不可能な技術もこの世にはある。

だからこの世界には技術を再利用できるようにする技術というものがある。それを製品として提供することがある。例えばナイフは技術から生まれた製品であるが、何かを切るという技術はナイフが教えてくれる。誰もが技術を極めなくとも目的を得ることができるくらいになっている。

ナイフを作るのも技術なら、使うのも技術だ、そして、極めるのも技術なら、極めなくとも使えるのも技術による。

何故、日本で iPhone が生まれなかったか、理由は簡単、Steven Paul Jobs がいなかったから。何故、日本で Windows が作れなかったか、これも簡単、William Henry Gates III がいなかったから。コンピュータの歴史に既に名前を刻んだ天才が必要だった。

技術には色々とある。

iPhone は素晴らしい製品だが、世間の評判がいいからといって、そこに使われている全てのものが素晴らしいという評価は早計だろう。入力、表示、通信、タスク管理、メモリ管理、アプリケーションのためのプラットフォーム・・・ それぞれが、天才の名を冠する人達やその資格を持つ無名の技術者たちによって、こつこつと積み上げられてきた。どんなにダメなソースでも、どれだけ腐ったソースでもそこに全く技術がない、ということはありえない。

たた我々の世界はそれに価格を付けるので安い技術には目もくれない。iPhone にない技術が他の携帯に搭載されている例もあるだろう。それがあっても見向きもされないのは、ただお金にならないからか、技術として平凡なのか、誰も気付いていないからかもしれない。

そこだけで技術を見れば、勝ちも負けも優劣さえもない。だが問題を解決する手段としての技術を使うなら適材適所も出てくる。どのアプローチが優れているかは、見方によっても様々ありうる。そこにお金が絡めば、更に色々な話が絡む。そうなるともうそこには単なる技術はなく、技術も設計も思想もビジネスも含めた巨大な集合が現れる。

エンジニアは、お金のためだけではなく、面白さ、生きがいもあって技術の虜になっている。単に面白い、興味がある、それは仕事をする上で上達の極意なんだろうけど、それだけでは iPhone は生み出せれない。大勢の力を集約しなければできない製品であれば、それぞれのエゴをまとめきり一つの方向を向かせる力が必要だ。

これは、もう技術だけの話では終わらないのであって映画、アニメ、車、工業製品、サービス、形あるものならなんでもそうなのだが、強烈な製品というものには、強烈な個性が係わっている、んだろう。そう言った中で、あいつとは2度と仕事したくない、という人もたくさんいるだろう。いずれにしろ、技術さえあれば iPhone を生みだせた、Windows NT が生み出せた、という事はありえないのだ。

iPhone とは Jobs という名のシステムだったのではないか。日本で生まれるわけもない。アメリカでさえ他からは生まれちゃいない。それは、世界でただ一人の Jobs から生まれたのだから。

2011年1月1日土曜日

ひみつ指令マシン刑事999 - すがや みつる

諸君、高級車は最悪である。

運転技術だとか車庫入れだとかそんなことには一切興味がない!
あれこれ切り替えしして問題が解決するような、もはやそんな甘っちょろい段階にはない!

こんな車はもう見捨てるしかないんだ!
こんな車はもう滅ぼせ!
私には、上手に車庫入れする技術なんか一つもない!!
今はただ、スクラップ・アンド・スクラップ、全てをぶち当てることだ!

....

高級車の諸君。ミラーを壁に当てて何かが変わると思ったら大間違いだ!
しょせんミラーなんか、バックを見るための鏡にすぎない!
我々運転手にとって、サイドミラーほどばかばかしいものはない!
サイドミラーを見れば、後ろが見えるに決まってるじゃないか!

じゃあ、どうしてサイドミラーが当たるのか。
その話は、愚痴になるから、電話で聞いてくれ。
サイドミラーは左右にあるから、どちらも見逃さないように。

....

最後に、いちおう言っておく。
私が車庫入れに失敗したら、車は壊れる!……私も壊れる。

高級車に善意の寄付を!
修理代がない車にやけっぱちの黒マジックを!
じゃなきゃ傷跡を塗ってごまかせないな!
どうせマジックじゃ傷は何もなおらないんだよーっ!!!