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2025年1月11日土曜日

性能の違いが戦力の決定的差ではない

しかし、あんな僻地のサイドに連邦のV作戦の基地があるんでしょうか?
確かにシャアは偵察を命じたのである。

シャアは艦隊司令の役職にあったから、艦隊に命令する権限がある。その彼が、作戦終了時に補給を必要とするぎりぎりの状況にあっても帰還よりも優先すべき事項があった。サイド7への偵察である。

戦いとはいつも二手三手先を考えて行うものだ。
とドレンにうそぶくシャアが偵察の目的を二次、三次の複合構造で考えていない筈がない。作戦の最低限の目標とは、最優先の目的である。それが叶わない時には、第二、第三と設定する。そしてどういう時に作戦を中断するのか、どう撤退するかまで構想して命じているのである。

間違いなく、目的は情報収集にある。求めるのは情報の質。クラスBの100の情報はクラスAのひとつに如かず。数は質の後でよい。

それがあって初めて正確に敵戦力を分析する。エンジニアたちに技術レベルを詳細に推測させられる。こういった情報があって初めて戦略が立てられる。

だから情報入手において、開発中の新兵器を破壊するのは必須ではない。破壊は作戦には含まれない。破壊が目的ならそう命じる。偵察という名目ではどうやらそれが伝わらなかったらしい。

恐らくそうなのだろう。でなければジーンが破壊工作に打って出た理由が分からない。彼の行動は、明らかな命令違反である。だが通信記録を見る限りデニムがそれを強く抑止した形跡もない。デニムまでもが現場の判断でそれを是としたのだ。

偵察だけならザクを持ってゆく必要はない。わざわざ発見される確率を高くする。写真撮影だけ済むなら生身のまま侵入しても可である。

確かに投入できる特殊部隊はなかった。だがそれならシャア自らが行けば済む話だ。実際、後日、彼自身が侵入して情報を得ている。

ではなぜわざわざザクでの出撃を許可したのか。既に物資が不足している状況で、長期的な偵察行動は難しかった。よって短期間のうちに侵入し偵察し脱出する必要があった。その為には強襲し混乱の中で、可能なら部品や機体を分捕る、これがベストと考えた。

シャアの意図はそこ迄で、敵防衛隊に対してもザクがあれば対抗できる、それでも、新人であるジーンを出撃させたのである。そう難しい作戦とは考えていなかった。

だが、戦地で興奮したのか、ジーンは敵施設を破壊するのに熱中してしまった。シャアの意図を完全には理解していなかった。デニムでさえ理解に不足していた。戦場は臨機応変とはいう。しかし、それを的確に出来る者は少ない。

あれが戦艦に搭載されたら大変なことになります。
ジーンのこの指摘も、シャアはそんな事を考えてはいなかった。これは単機、二機の問題ではない。連邦も戦艦に載せるくらいは考えているだろうよ。当然だ。問題はどういう載せ方をするか。それが何機になるかだ。アバオアクーへの反撃はある。そこを読み違うと防衛が立たない。

V作戦の情報収集とは、開発中の兵器にどのような戦略を盛り込んでいるか、それを見極める事だ。どのような能力を与えているか。連邦が量産間近ならここで一台二台を破壊しても仕方がない。

通常、軍隊では上官の命令もなく勝手に動けば、軍法会議である。それは如何に愚鈍な上官の命令であってもである。これに叛意する事は人道に係わる戦争犯罪行為でない限り認められない。

上官以外の命令を受ける事も許されない。軍隊とは厳密に結びついた命令系統だから、もし無能な上官がいても、それは軍組織の問題であって、作戦上の問題ではない。

ジーンはどうやらシャアを真似しようとしたらしい。ジーンがシャアの何を知っていたかは不明だが、シャアが命令違反で出世した訳ではあるまい。だが、噂には尾鰭がつく。

軍がそんな事を許すか、それさえ疎かになってきている。ジオンの新兵教育はここまで劣化してしまったのか。シャアはそう思わざるを得なかっただろう。軍は大人の遠足ではない、わたしは幼稚園児を引率する先生ではない、そう思ったであろう。

ジオン全体が急速に衰えつつある、それをシャアは自覚したと思われる。この状況はまずい。そしてV作戦は連邦にまだ反撃する意志がある事を示している。

確かにシャアは作戦を命じた。だが、直接、全員に作戦意図を説明した訳ではない。自分が付き添えば結果は変わっていただろう。だが、全ての作戦に自分が参加しなければならないのか。そんな事できるはずもない。

そんな不可能を前に何を後悔しよう。シャアがドレンの前でうそぶく。年上のドレンに気を遣わなかった筈がない。作戦立案にはドレンも係わっている。そしてドレンもまたシャアをきちんと立てる優秀な士官だ。

認めたくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを。
今回の失敗は誰のせいにするのか。作戦を立案した部下でも、人選をした部下でも、戦死した部下たちでもない。勿論、シャアでもない。

今更一台二台を破壊する事が戦局に影響する訳がない。この当たり前の事を兵たちにきちんと説明しなかったのがシャアの落ち度なのか。

どこの世界に艦隊司令官みずからが、偵察の根本をこと細かく説明するか。もう少し説明する事は出来ただろうが、それが落ち度か。

ジーンが突出したのはどこかでシャアを嘗めていたのだろう。その理由がシャアの若さなら、シャアを艦隊司令官にした人事局の瑕疵だ。そんな事まで知った事か。軍全体が衰えつつある。個人の力でどこまで抗えるか。

シャアがもう少し年配者だったら、この作戦は上手くいったのだろうか。どうもそうとは思えない。それならそれで別の何かが起きていただろう。そうして似たような失敗をしていただろう。ともあれ、この作戦はシャアによって命じられ、シャアの名で実行された。

自分が舐められたのが若さ故なら、すべては自分の若さゆえの過ちだ。さっさと二階級特進でもしてやってくれ。

モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的差ではないということを教えてやる。
だが、この失敗をそのままにしておく事はできない。新型モビルスーツの性能を知る事、更には部品を入手し連邦の生産工場を突き止める事、そこを破壊する事。

サイド7に侵入したが写真撮影だけでは足りない。実際に攻撃をかけてみる。そうして情報を入手してゆくのだ。戦力の決定的差は、装備にあるのではない。情報の差だ。

そうして、戦闘の結果は散々なものとなった。得られた情報は余りにも彼我の差を見せつけている。

当たらなければどうという事はない。
どうやら連邦は戦艦と同等の戦力をモビルスーツに詰め込んだらしい。重装甲に高エネルギー砲を搭載させている。このエネルギー供給システムはどうなっているのか。

確かにアムロはシャアを倒す事はできなかった。当たらなければ倒せはしない。だがアムロを倒す事も出来なかった。

当たっても倒す事が出来ない。こんなものが実戦に配備されたらザクでは対抗できまい。

20分後には大気圏に突入する。このタイミングで戦闘を仕掛けたという事実は古今例がない。地球の引力に引かれ大気圏に突入すれば、ザクとて一瞬のうちに燃え尽きてしまうだろう。しかし、敵が大気圏突入の為に全神経を集中している今こそ、ザクで攻撃するチャンスだ。第一目標、木馬、第二目標、敵のモビルスーツ。戦闘時間は2分とないはずだが、諸君らであればこの作戦を成し遂げられるだろう。
大気圏でホワイトベースに攻撃をかけるとき、シャア自身が作戦について全員を前に詳細に説明する。同じ失敗はしない為である。

シャアは連邦の戦艦が大気圏に突入しようとしているのに驚いていない。シャアはザンジバルの存在を知っていた証左だろう。

とは言え、ジオンよりも先に実戦に投入した。それがどこへ向かうのか。なぜ地上に降りるのか。

シャアはこの時、兵士たちには破壊を命じている。そう説明する方が兵たちが余計な誤解をしないで済む。破壊すれば部品を入手できる。その為に自分も戦場に出る。

ザクには大気圏を突破する性能はない。しかしクラウン、無駄死にではないぞ。お前が連邦軍のモビルスーツを引き付けてくれたおかげで撃破することができるのだ。
死にゆく兵に向かって作戦は失敗だとは言える訳がない。言葉を掛けながら、シャアは明晰に次を考えていた。

連邦の意図は何か。案外、シャアを引き付けておくための囮かも知れない。だが、それを承知しても追跡を止める訳にはいかない。最終的には連邦の生産拠点を叩く必要がある。

戦争の最後は数が決定する。それを支配するのが情報なのだ。

シャアは地上に下りた。ジオンは連邦の反撃作戦を掴む必要がある。その為に連邦の深部にまで入り込もう。シャアと同じ目的で動いているジオン軍人なら何十人もいる。

連邦としては、それこそが目的であった。ジオンの有能な軍人の目を地球に引き付けておく。例え地球上の基地が破壊されようが構わない。ジオンが地上基地への大規模侵攻する。V作戦の本当の目的は、そこにある。最新鋭のモビルスーツが拿捕されても構わない。プライオリティの最上位はそこにはない。

一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。
既にスペースノイドという新しい人種が生まれている。生まれて死ぬまで宇宙で暮らす新しい世代が生まれている。

そういう者にとっては地球とは重荷であろう。帰ると言う時に地球ではなく宇宙を想う者たちがいるのだ。

それはシャアにもザビ家の人にも、ジオンの人にも、宇宙移民の人たちにも当然の事であった。ならばこの独立戦争は何なのか。宇宙資源の採掘権を巡る争いである。

地球から見れば資源採掘の中心が宇宙に移る事は避けえない。その時に何の権益も持たないなら地球は立ち枯れる。故に地球政府の中心も宇宙に移る事は必然ではないか。故に、それを隠し通さなければならない。今は未だ。

においだな。キシリアの手の者か?
シャアはこの先でジャブローの奥深くにまで侵入する。彼はそこを何らかの拠点と見た。左遷とされているが、実際にはコンタクトがある事も、その先で情報部として活動する事も。ジオンが必要とするものが何であるか。シャアはそれを良く自覚していたから。

戦いはこの一戦で終わりではないのだよ。考えてみよ、我々が送り届けた鉱物資源の量を。ジオンはあと十年は戦える。
何時の時代も、戦線を拡大しようと試みる連中はいる。時に政府の命令や条約を無視してでも。だが、彼らも軍紀には何ひとつ違反していないと主張する。

そういう者たちを銃殺もせずに重用する。名誉の戦死をさせてやる。そういう軍は政府の枷を無視し先例に続こうとする。

そうして軍は突出し、政府は制御を失い、遂には軍規も失われ、末端で兵士たちがどれほど労力を費やしても倒れてゆく。軍規はそれを防ぐためにある。

ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい。
シャアは結局は失敗した。連邦の反撃を食い止められなかった。彼の直観は地上を指していたが、実は宇宙にあった。それに気づいた時にはもう遅かった。

シャアに打つ手はなく、ただひとりの兵としてパイロットとして戦争に処した。

それでも最後にキシリアを討った。彼の目は既に戦後を見ていた筈である。ジオンは敗戦した。しかしスペースノイドの独立運動がここで潰える訳ではない。

地球政府は宇宙に拠点を持った。それと対抗するには、その秘密を深く探る必要がある。

その為にはザビ家のジオンが残っていては不都合がある。自分もここで戦死する事になるのだ。わたしを良く知る者が生き残っているのはまずい。

2024年2月7日水曜日

パオロ・カシアス退役軍人の指摘

マーカー・クラン「続いて接近する物体、2つあります。」
ブライト・ノア「なんだ!」
マーカー・クラン「モビルスーツのようです!」
ブライト・ノア「ザクか!?」
オスカ・ダブリン「で、でもブライトさん、このスピードで迫れるザクなんてありはしません。」

マーカー・クラン「一機のザクは通常の3倍のスピードで接近します。」

パオロ・カシアス「シャ、シャアだ、あ、赤い彗星だ。」

映画について

映画の大ヒットによって著名となったこのシーンについて、私は何と答えるべきだろう。確かにこれは史実である。ジオンに追撃され負傷したのは私だ。この時の私はホワイトベースの艦長であったし、私が負傷により前線から離脱せざる得なかった事も確かである。

私の退艦後の状況は知らない。いや正確には報告書レベルの事なら知っている。だから丸で見てきたかのように語る事はできない。現場で働いていた人たちに聞いてもそれぞれ語る事は異なるだろう。

私も軍人としての教育を受けてきた身であるし、戦場での機微も経験している。だから基礎的な事柄についてはそう大きく間違える筈はないのである。その程度の自負はしている詰もりである。

確かにこの頃の私は負傷していた。恐らくモルヒネも打たれていたであろう。だから朦朧としていたには違いない。はっきりとした記憶はないのである。

しかし、だからと言って三倍などという言葉を真に受けて驚愕するだろうか。オペレータがそのような発言をした記録もないはずである。これは完全に映画の脚色である。

三倍のスピードというフレーズがキャッチ―に独り歩きをした。赤いザクの性能は三倍のような気がする。優れた指揮官にはそこまで優れた機体を用意するのだ。如何にもエースパイロッドの優遇である。

だからこの場面は絶賛されたのだし、伝説はここから始まり、広く人々の記憶に残ったのだ。この台詞がこの作品を傑作にした一助を担ったのは間違いあるまい。この場面が人々の何かをくすぐった。その一部に短い時間とは言え参加できたのだから、もちろん、私としては嬉しい。これは映画であるから。

だが、史実は異なる、という事は強く記しておきたいのである。別に専門家として間違いを正したいという話しではない。映画の中での出来事である。これはこれで浪漫があると思う。

映画はフィクションであるから史実と異なろうと何が問題であろう。ならば放っておけばいいではないかという指摘は最もである。だが、映画以外の場所で、あたかもそこに居たかように語る似非歴史家が後を絶たないのである。

私が間違いを指摘すると反論される。中にはその場にいた事もないのにとまで言う人までいる。連邦でもジオンでも、中には軍経験者の中にさえこのような戯言を語る者がいる始末である。

それもまた人間らしさかなとは思う。だが、やはり何かを残しておくべきと私は感じるのである。実際はこうであるよ、という記録も付け加えておけば、こういう話に興味を持つ人もいるだろう。そのような視点が映画を更に魅力的にすると私には信じられるからである。

移動速度

この当時の艦船の索敵はレーダー波の使用に問題があったため基本的に光学観測を用いる。高明細の写真を連続して取って、変化点をコンピュータで分析する事で、解析結果を得るのである。

横に移動する物体については速度の測定は数学のピタゴラスの定理の応用である。目標との距離は、太陽の位置や影、材質、反射に関する莫大な蓄積データと照合し分光した結果から得るのである。

それでも直線的にこちらに向かう飛翔体の場合、正確に速度を測定する事は難しい。時には人工物と自然物の区別さえつかない。相手も蓄積したデータを持っているからこちらのコンピュータを騙しにかかる、擬態も研究されている、一筋縄ではいかない。

ジオンの戦術

ジオンのモビルスーツは不足する戦闘艦を補う補助艦艇の延長として採用された。もともとスペースコロニー建設機器だったものを兵器に転用したものだ。小型のミサイル艦や魚雷艇と同様に小型だが強力な破壊力を持つ兵器として敵戦艦に接近し攻撃を加え離脱するための攻撃兵器であった。

モビルスーツの最終的な攻撃目標は連邦の戦艦である。そのための設計が、高速に接近する能力、強力な一撃となる兵器搭載、速やかに離脱する加速力、これを飽和攻撃で実現するために数を揃えたい、だから製造日数の短縮。そのためにマニュピレータのよって兵器を扱う設計にした。これがこの兵器の特徴である。そのために行動時間の短さは犠牲にした。これも特徴である。

だからジオンのモビルスーツには接近時で発見されにくい加工がされている。光源の反射を変更するメカニカルな装備、自然物を先に投射してその陰で移動する運用などの工夫。慣性飛行する飛翔体は判別が難しい。どこから来たかをずっと補足し続けなければ正しく区別できないのである。

そのため両軍とも大量の飛翔体データベースを運用し、軌道データを持って、ある時間帯にどこにどのような飛翔体があるはずかを算出している。そのデータと突き合わせて索敵に用いる。そこにないものは怪しいという訳である。

速度差のこと

三倍のスピード差はハードウェアの性能で決まる。機体の性能が異なる。だから速度が違う。もちろん機体によっては三倍以上の速度を持つものもある。それは使途の問題であるから何ら不思議ではない。

作戦によっても3倍の速度差を付ける場合もある。宇宙空間では慣性飛行が主なので、加速時間の大小で速度差は簡単に作れる。

速度とは質量の事だから高速になるほど危険度は高くなる。その限界点は兵器の性能、そして操縦者の技量に依存する。作戦があり、その目的の為に必要な移動距離、速度が算出される。早すぎても遅すぎても逸機する。それは確実に実施可能でなければならない。無理をすれば作戦が瓦解するかも知れない。

必要な時期に必要な量を特定の場所に送り込む、その事だけを軍人は24時間考え続ける人種である。兵器の性能だの、破壊力などは些細な問題なのだ。だからこれを満たす機体を軍は選定し量産し用意し配備するのである。

地上で60km/hで移動する車があるとしよう。その後ろに180km/hで走る車がある。この状況で最も危険なのは後ろから前の車への衝突になる。速度差80km/h(秒速22m)、わずか数秒の判断の遅れが重大な事故に繋がる。この程度の経験は日常茶飯事であろう。

だから高速道路の法定速度には最高速と併せて最低速度もある。そして故障等で速度が維持できない場合は、路肩に車を寄せハザードを点滅し、△停止板を置く、発煙筒を使うなどして後方に注意を促す。少しでも早く気付かなければ安全の確保に懸念が残る。

慣性のため停止するのにも制動距離がある。これはニュートンの自然の帰結であるから、衝突の破壊力を応用すれば破損しながらエネルギーがゼロになるまで進行を止めない砲弾となる訳である。

人間の神経はたかが20msecでしか反応しないから、速度が大きくなれば反応不能になる。仮に見えても反応が追いつかないのである。その速度も超えれば見えたという認識さえ超える。だから宇宙空間ではより遠くを観測しコンピュータを用いて自動運転する。

軍艦は、高速飛翔体、ミサイル、砲弾が接近してくれば衝突を回避する運動を行い、衝突面との角度、方向を変えるなどの防御機構を働かせてエネルギーの減少を計り、船体を守る。最後は装甲によって被害を最小に抑え、艦内のダメージコントロールにより対処する。

ジオンはモビルスーツを使って連邦の戦艦に対抗する。この戦術の要点は近接して敵の回避運動よりも早くエネルギーを命中させる事である。それは基本的に高速に接近し、擦れ違いざまに攻撃を加え、即座に離脱する一撃離脱戦法である。

この攻撃を波状と飽和を用いて行う。そのためには互いに位置情報を交換し、複数機体が並走して連携して高速移動を可能とする高度な情報処理機関を搭載する。

ジオンはこの要求を満たすための機体を発注し採用した訳である。

兵器の諸元について

兵器の性能というものは我々が同じ物理学に基づいた科学を採用している限りそう大きく変わるものではない。同じ時期に開発された兵器に性能差はほぼないに等しい。ほぼ互角である。

もちろん、個々の小さな差、運用や維持、整備まで含めれば、巨大な差となる。それでも諸元に大きな差があるなら初めから軍は採用しない。採用された機体はその当時としては十分に要求を満たしている事が採用の必要条件なのである。

もし機体が通用しないのなら、その背景には必ず時代の要求があり、時代遅れとなる前に、技術革新、物性物理の発見、化学素材の発達、ドクトリンの刷新などに晒されたのである。一夜にして役に立たずなどそんな大事件はそう起きるものではない。

例え古くなった兵器でも探せば使い道はあるものである。要はどのような要求に対してどのような兵器をどのように投入するかの問題であるから、兵器の性能が向上したとしても、要求に対してどうであるか、という相対的な評価にならざる得ない。求める性能が変わればそれと対をなす機体が納入される。

採用と配備

配備に関して言えば、高性能機と低性能機を同じ部隊に配置するとは考えにくい。似た性能のものを集中して運用する方が部隊の効率がいい。整備や補給も同様である。部隊に求めるのは任務の遂行であるから、任務に合わせた機体を配備する。逆に言えば配備した装備によって任務の可能性は決定される。

兵器の採用に当たり実証実験機を実戦配備でテストする事は稀ではあるが、その有用性が確認されたなら一般配備に向けて本採用し設計をフィードバックした上で試作機をベースの量産体制に入る。

ここで初めて兵器は効果的な運用が可能となるのだ。試作機の装甲を剥がして裏を見て見たまえ、そこには試験的に追加した様々な配線が通っている。エンジニアたちの苦心の跡だ。

だから試作機と並行して量産を開始する事は原理として有り得ず、実証機と量産機が同年度に製造されるのも考えにくい。もしRX78が実証機なら、RGM-79は元々異なる要求計画に基づいて採用された機体という事になる。時期的に考えても系統が違う。実際、兵器局の担当課も違うし要求書番号もコードネームも異なる。

戦争はたった一機の突出した機体で変えられるようなものではない。個々の能力に関係なく全体として調和する仕組みを人間は持っている。その調整力が軍を有機的に機能させる。例え個々人が愚劣でも集団としての威力を発揮する、そういう働きを有するのが人間という生き物だ。

数と性能の調整について

戦争とは性能と数を充足し続ける事である。これを最後まで維持し続けた方が勝利する。その意味で軍の根幹は輜重にある。補給の継続が続く限り戦争に敗北はない。だから軍はそこに最大の苦心をしている。

連邦の主兵装が戦艦隊であったのに対してジオンはモビルスーツ隊で対抗してきた。我々には我々のドクトリンがあり、それに従って戦略を決めている。ある局面では不利な状況もあるが、それは十分に対策可能と検討した上で作戦は決定されるのである。その点において連邦は破綻していない。

異なるドクトリンに優劣の差はない。しかし相性の良し悪しはある。相性が悪ければ平凡な戦術が優れた戦略を討ち砕く事もある。この相性の中に偶然性や蓋然性が絡み合って時間経過と共に刻々の濁流が生まれ支流となり、どちらがどこに流されてゆくか、最終的にはやってみるまで分からない、そういう考え方からどれ程の敗北が生まれてきた事か。

最後はいつも数で押し切るものである。数が確かなら勝敗はやる前から分かっている。起死回生の一撃はそれを崩したい訳だ。奇襲が効果的なのは最初に数の問題を解決できるからだ。戦争の最後はいつも同じ状況になる。質的に均衡していても、どこかが崩れれば数が戦場を埋め尽くす。

数的に不利な場合は性能で凌駕しようとするのはどの時代も同じで、優れた兵器、魔術のような作戦、圧倒的な用兵、数の不利を補う戦術に磨きをかけ運にも恵まれた者が成し遂げた伝説の数々。それでも一機で圧倒はない。たった一機で戦局が変わる事もない。

数が揃わないのは国家経済の問題になる。資源の枯渇、工業力の低下、経済の衰退、市場の縮小、このような状況において尚それでも戦争を避けられないのは不幸な状況と思う。

通常兵器では勝てぬから特殊兵器にリソースを集中する。そういう政治的判断から状況を変えるゲームチェンジャーを希求する。ジオンにもそういう兵器や戦術、情報攪乱は多い筈である。

戦後の我々はジオンの技術力の高さに驚かされるのであるがこれにはバイアスがある。技術的に進んでいたのではなく、半歩先を目指すしかなく、それで拮抗し挽回する戦略を選択しただけの事である。

強襲

三倍の速度差はシャアのザクが高性能だったからではない。他の機体がゆっくりと移動していたに過ぎない。それ以外の答えはない。

ではなぜ一機だけが高速で移動し、残りは遅く接近してきたのか。それにも理由はある。ここが大変に興味深い点なのだ。この考え方は軍では常識だったから特に注意などしていなかった。映画化をするので話を聞かせて欲しいと言われて色んな話を監督にした。その結果として大ヒットしたのは嬉しい事だが、まさかこんな形で有名になるとは思いもしなかった。

見せてもらおうか。連邦軍のモビルスーツの性能とやらを。

この有名なセリフだが、実際には見せてもらおうではないのである。それこそが彼が喉から手が出るほど欲っしていたものなのだ。

この情報が欲しくてサイド7まで追跡してきたのである。補給不足できつい状況でも引き返さず狼よろしく追跡をし続けてきた執念の源泉がここにあるのだ。

可能ならこの機体を持ち帰りたい。その性能を詳細に調べたい。破壊されていても構わない。実物をエンジニアたちに渡せば多くを見抜くだろう。それが無理なら幾つか試したい。自分が性能試験をする。それを映像に記録し必ず持ち帰る。戦闘は私ひとりで十分だ、遠隔からの望遠の記録を頼む。

戦争は総力戦である。だから最後は資源のある方が勝利する。地球の資源はあらかた発掘している。だから宇宙に資源を求めるしかない。小惑星帯に無尽蔵にある。だから人類は宇宙に進出した。

地球の利点はその巨大さにある。生活居住区として惑星の能力の高さは、所詮は人工都市であるコロニー居住区では対抗できない。宇宙移民は簡単に破壊されてしまう不安定な宇宙居住区で生きて行かねばならない。

しかし宇宙都市にも利点はある。それが宇宙である。私が思うに連邦とジオンの戦争はどちらが勝利するか最後まで分からなかった。連邦は資源開発の権利を独占してジオンの資源採掘を制限しようとした。

ジオンは宇宙航路を支配し、地球から宇宙への進出を制限しようとした。本質的には宇宙の側に無限(現在の人類にとっては)の資源がある、だからジオンが有利である。

覇権の雌雄は小惑星帯の資源を所有した側に決まる。連邦が戦艦を中心に宇宙軍を整備した理由がこれである。其れに対してジオンはソロモンやアバオアクーのような小惑星の要塞化で対抗してきた。

連邦のモビルスーツ開発をジオンが警戒したのも、この戦略に基づく。連邦のモビルスーツ隊が要塞攻略を目的に開発されたのではないか。ジオンのモビルスーツ隊が戦艦の不足を補う攻略兵器である事と、ここが決定的な差だと考えたのである。

ジオンが欲したもの

そう考えたジオンが、どの程度の要塞攻略能力を持っているかを知りたいと思うのは当然であって、自然と要塞防衛にジオンのモビルスーツ隊を転用する必要がある。では、連邦の要塞攻略に対してMS06はどれくらい有効であろうか。

またその兵器の性能からどのような要塞攻略を連邦は仕掛けてくるか、この点を把握したいのである。

連邦が如何に要塞を攻略するか、それはジオンにとっては、如何に要塞を守備するかという問題に帰結する。闇雲に守るようではジリ貧であろう。そのためにドカ貧とならなければいいのだが。

先ずは目の前にいるモビルスーツの性能を知る事だ、その諸元が色々な事を教えてくれる。そこから可能性を探る事だ。飛行速度、迎撃能力、運動性能、耐久力、兵装、活動可能時間を把握する事だ。それで相当に正確に推測できるであろう。そのために直接的に接触するのだ、だからシャアが接近してくるのだ。

要塞攻略するにも遠距離から攻撃するのか、内部に潜り込んで破壊するのか、それとも孤立さえ立ち枯れさせるのか。どれほどの火力を巨大要塞に投射するつもりか。

高速に移動してきたのは、これを確認する為である。連邦の新型輸送艦とモビルスーツがどの程度の迎撃能力を持っているか、これを測定する。次に直接的な攻撃を仕掛け、運動性能や装甲、センサー系の能力を評価する。

その結果として、モビルスーツにビーム砲という予想を超えた強力な兵器を搭載していた事は十分な驚きを与えたらしい。またその装甲も遥かに頑健であった。

ええぃ!連邦軍のモビルスーツは化け物か。
これらが示す結論は明らかである。これの性能は明らかに遠距攻撃を目論んだ性能ではない。連邦は明らかにこの強力な機体を要塞攻略に投入するはずである。それも内部に突入させて破壊する事を目論んでいる。これに対して現行のMS06での迎撃は難しい。

当たらなければどうということはない。援護しろ。

シャアは、連邦のエンジニアがこの機体にどのような工夫を施しているのか、つまり何を犠牲にしているのか。その把握に努めたかったのである。

我々が与えたもの

この時点でシャアが想定した連邦の戦略とジオンの迎撃能力を冷徹な比較し概算をしたはずである。敵はどれくらいの数を揃えるであろうか、それに対して我々はどの程度の戦力を準備しておくべきか。それは、戦略上、重要なプレゼンスを敵に与え続けるであろうか。

こちらの準備が完了するまで連邦の作戦は遅延させたい。そのためには連邦の製造拠点を破壊する必要がある。どこに開発拠点があるのか、その場所を特定する必要がある。これ以降のシャアは、この捜索に専従する事になる。

ジオンの要塞防衛はこの情報に基づいて立案された。資源小惑星を防衛できればジオンの戦争継続能力は維持される。

我々はこのRX-78によるジオンの情報錯乱を知らなかった。戦後になって初めてこの混乱を知ったのである。

ジオンは自分たちの読み違えに気付いていなかった。我々がRX-78に与えた役割とRGM-79に求めたものは異なる。ここが肝要で、ジオンは自分たちの情報収集に基づき、誤解した上で、間違った戦略を組み立てた。だから、連邦は勝てた、とも言える。気まぐれな女神を顔はこちらを向いていた。

ジオンがこの誤りに気付いたのはソロモン陥落後になる。我々はRXシリーズではなくRGM-79を中心に要塞を攻略する作戦を立てていたし、それを実行した

RXとRGMについて

もちろん、ジャブローを密偵していた者たちは、RGM-79のスペックを知りえた。工作員たちはそれを盗んでいたようだし、実際にジオン本国にももたらされていた。だがその情報は機能しなかった。これを幸運と呼ぶ事もできるだろう。いや、これが戦争というものだと私は思う。

連邦はソロモン要塞の攻略にRGM-79を投入した。ジオンはRX-78系の投入を前提に防衛ラインを構築していた。この齟齬が彼らに不利に働いた。その分だけ我々は優位に立てた。

ジオンは入手した情報を正しく読み取り、そして正しく勘違いした。

シャア自身はこの間違いに早い段階で気付いていたらしい。彼が残した手紙や報告書にそう読めるものもある。地球に降下し北アメリカ経由で連邦の情報を収集し南米ジャブローに到達する頃には連邦の戦略を相当正しく見抜いていたようである。

もちろん、現実はジャブローでRGMを製造している訳ではない。あんな巨大な質量のものを地上から宇宙空間に打ち上げる様な常識はずれな事は行わない。どれほどのロケットを用意しなければならないか、そのためにどれほど莫大なのエネルギーを投入しなければならないか。そのコストの割りに数を揃えるのは遅々として進まない。そもそもモビルスーツは地上で使う兵器ではない。

軌道エレベーターを現実的とはいえない。工場の所在地は今でも連邦の最高重要機密である。

ではジャブローでは何を製造していたのか。CADの設計、各駆動部の原理設計、シミュレータ試験、制御ソフトウェアの開発を行っていた。多くの企業が出入りするため、産業スパイも暗躍していたはずだ。10年以上雇用されていた社員でさえ安心できない。厳しく審査しても情報は流出していった。

ただジオンの軍中央は活用を誤った。その気持ちも分からないではない。彼らの戦略も正しいからだ。RX-78の能力をもって要塞攻略も十分な可能性を持っていた。だから読み違えたのである。彼らが考えた連邦の攻略戦略は、彼らに十分な脅威を与え、最大の手当てを必要と思わせた。

戦争でも読み違いは避けえない。それを常に修正しながら遂行してゆく。こういう話は双方に山の様にある。

だからジオンはソロモン陥落後にシャアを軍中央に呼び寄せて防衛ラインの立て直しを図った。だからアバオアクー戦は最大の激戦地となった。よく知られている所である。

この最後の要塞戦は、ジオン、連邦ともに死力を尽くして戦うものとなった。両軍とも惜しみなく決戦兵器を投入し、最初に立てた作戦は途中で遂行不能となる。各艦艇は地中貫通弾を打ち込んだり、要塞に取り付き内部からの破壊を試みるなど、激しい泥沼のような戦闘を繰り広げたのである。

要求仕様書

RX-77/RX-78は重装甲を持ち強力なビーム砲を搭載する。この武装をジオンは要塞破壊用と見誤ったの。その間違いに基づく最善の防衛戦略をジオンは立てた。

では我々はこの機体をどのようなコンセプトで開発したか。それは要塞守備兵力としての諸元である。我々はあくまで戦艦を外洋に出したかった。それでジオンの通商軌道を破壊したかった。そのために要塞守備に一隻たりとも残したくなかった。

だから要塞防御用を担う運用効率のよい機体が欲しかったのである。戦闘艦と同等の働きが可能で、重武装、重装甲、二人乗りでパトロール行動も可能な航続距離と強力な通信システムを持つ機体。要塞の守備、偵察、迎撃等を行える多目的に使用できるマルチロール機を求めたのである。

ジオンはRXシリーズが大量に要塞に突撃し、内側に取り込み破壊工作をする工兵兵器と誤解した。だから対モビルスーツ戦闘能力を向上させた防衛用MSを大量に要塞近郊に配置し、要塞に近接する敵を目前で叩く戦術を採用した。

これが連邦の戦術には有利に働いた。我々の要塞攻略は、遠距離から地中貫通弾を叩き込んで破壊するものである。そのために大量のミサイル艇を準備し、これで要塞を攻撃する。

我々は要塞攻略をモビルスーツ主体で行う気はなかった。この勝手読みが、我々の局面を有利にした。多くの兵器が無傷のまま初動で活躍できたのである。

遠距離から貫通弾で撃ち込み、要塞を破砕する。この時に必要となる護衛任務がRGM-98への要求仕様であり、要塞占領後の守備隊として要求された機体がRX-78だったという訳だ。

連邦はコアブースターなどの追加パックを活用しモビルスーツの能力向上を計画したいた。このパッケージングがV作戦の要諦であり、個々の機体などこのシステムの中ではひとつの部品に過ぎない。

ミサイル艇が任務を果たす為に、飛来するジオン迎撃機から護衛する事。そのために求められた諸元。ミサイル艇と供に移動する機動性、大量の敵ミサイルを打ち落とすための搭載量、迎撃モビルスーツを排除する戦闘力。

これらの性能を満たすようにRGM-79は開発された。そのコアにあるのがボールと呼ばれる戦闘ユニットの存在である。この補助システムと接続する事でRGM-79は必要なスペックを満たす。

高速飛行するための補助エンジン、機体に長時間エネルギーを供給する外部燃料。迎撃ミサイルを大量に搭載し、前方に重装甲を施し、敵の攻撃から守り、パイロットの生存率を向上する。このユニットと組み合わせミサイル艇の護衛に使う事ができるように設計されたのがRGM機なのである。

宇宙国家の乱立

ジオンの兵士たちが最後まで勇敢に戦った事は、ジオン公国が国民国家であった事の証拠だと私は思う。サビ家独裁という批評も多くあるが、この政体に市民が強い不満を持っていたという話は聞かない。

それはジオン兵の志願率の高さからも推測できる。市民が強制的に動員されたとは聞かない。建築作業に従事していた労働者の多くがモビルスーツのパイロットになったとも聞く。

ザビ家の政治が悪政であったのかどうか、それにしてはよく戦っていたと感じられる。ジオンの自治統治の評価は多くの歴史家によって今後も検証されるであろう。

独裁制の国家でも、市民の忠誠が高く、良く戦争を継続した例は幾つもある。国民は基本的に自分の国に不信を抱かぬものだから。政権への批判的や不満が蔓延しているなら例え秘密警察が強権を発揮しても兵士の士気までは保てない。

そのような国家は、真面目に戦争を遂行する事が出来ない。国家は不思議な存在だ。人々が何かによって集まり、新しい国を作り上げる。王も神話も持たない我々が宇宙で新しい建国をしようとしている。国が次々と起こる時代を我々は生きている。

ジオンの兵士たちが望んだものにジオンという国家への親愛がなければこれだけの戦争は難しかったのではないか。逃げたければ市民たちは幾らでも他のコロニーに移住する事が出来た。それでもジオンに残り戦争に参加した人々がいる。

ジオン政治への評価はまた別の所で語る機会も得よう。

スペースノイドのこと

連邦とジオンの戦争は、宇宙資源の奪い合いとして始まった。連邦が人類発祥を根拠に正当性とした地球中心の権利独占が戦争の遠因となった。その不遜さが宇宙で暮らす人たちには同意できなかった。

太陽系はまだ広く、資源の奪い合いをする必要などなかった。それなのに、宇宙で働く人々が開発した資源を安く手に入れたいと地球の人々は思い、それを正当な要求だと信じた。

地球は経済力を失いつつあった。その状況を直視し、延命のための強欲さと安易さに飛び付きさえしなければ、まったく別の方法があっただろうと思われる。これは必要ない戦争であったと私は信じている。

既に宇宙国家は12を超えた。私も今ではスペースノイドとして月に住んでいる。恐らく、私は月で死ぬ。そして月の土になる積もりだ。私たちが戦った戦争は、地球にも宇宙にも、連邦にもジオンにも一人として欠くべからざる大切なものであると示している。

この経験が、人間が宇宙に進出する新しい枠組みを見出すために欠かせないこれが愚かさだとすれば、そこに私はこの戦争の意義を見いだしたい。

連邦の兵士も、ジオンの兵士も、地上の民間人も、宇宙の民間人も、哀しみも、巡り合いも、死亡した人も生存した人も、その価値を等しくしてこの宇宙を進む。

現在の宇宙はまるで地中海のように、さしずめ、月は地球とコロニーを結ぶ交通の要所のカルタゴとして繁栄している。

今日も宇宙の波は穏やかであるように。

2019年9月16日月曜日

設計思想からみるモビルスーツの発展史

宇宙戦争前史

なぜ我々は戦争をするのか。多く資源獲得のためである。

諸君もご存じの通り、アースノイドとスペースノイドの闘争は、最終的には思想でも理念でもなく、ただ資源の獲得を目的とする戦争であった。地球の資源は幾つかのコロニーを建設した時点で採算性妥当なものはほぼ枯渇しており、安価な発掘場所を月に求めた。宙航船の発展によりアステロイドベルトから火星までを資源開発の対象とし、急成長する宇宙住環境、すわなちコロニー建設という特需を支えた。

幾つかの小惑星は数年から数十年という月日を費やし月や地球の軌道に持ち込まれ、巨大な宇宙鉱山として利用された。その頃、政治の中心は地上であったが、開発の拠点は宇宙に移っていた。自然と宇宙開発の技術発展は宇宙を中心に展開されるようになった。その利権の多くを地上が維持し続ける事は歴史の必然として不可能であった。最初に僅かな自治権を求めた時、地球はそれを拒否した。この時、スペースノイドと呼ばれる人たちが誕生した。スペースノイドとアースノイドの対立はここから始まった。

それをどのように解釈するにせよ、根本にあるのは経済戦争であった。かつて、農業中心の帝国主義と工業中心の資本主義が戦争を経て決着をつけたように、宇宙開発におけるスペースノイドとアースノイドの対立は、最終的に独立戦争という形を取ったのは自然である。アメリカの独立宣言を参考にして、スペースノイドが独立宣言書を書いたのは至極当然の帰結であった。

何人かの政治家たちは、自分たちが宇宙に独立国家を持つ事の正当性を思想として完成させようとした。曰く、地球を汚染し続ける事は生物種としての自殺である、曰く、生物は常に自分たちの生活圏を切り開いてきた、宇宙に進出するのは進化上、当然の帰結である、曰く、スペースノイドによるスペースノイドのための自治権。地球は彼らにとって帰るべき場所ではなくなっていた。

如何なる主張が行われようと、地球から見れば、宇宙に資源を握られる事は生命線を握られるのと同じであった。多くの企業がまだ地球に本社を置いていたから、収益は地上に持ち帰らなければならない。人々は、地球が勝利すると信じたもの、宇宙に新しい活路を見いだしたものたちで二分される事になった。いつか戦争は勃発する、だが今ではない。当時のスペースノイドは碌な戦力を保有していない。両者は戦争に向けての準備に突入した。

戦争への経緯

地球政府は、急遽、宇宙軍の整備を拡充する。宇宙コロニーは海洋における島国と同じだから、貿易の収支を徹底的に監視した。オービッツレーン(orbit lane)を遮断し交易船を臨検すれば立ち行かなくなるのは明白であった。貿易を徹底的に監視し、兵器開発につながるものを、持たせない、持ち込ませない、研究させない、という方針に基づき経済制裁を強化しながら厳重に取り締まった。

スペースノイドにとっての数年は秘密裡に戦争準備を行う苦労の積み重ねであった。何人もの技術者が地球に連れ去られ、時に拷問さえ受けたが、遂に口を割ったものはいなかった。彼らは議論した、地球勢力の戦力が整う前に戦争を仕掛けるか、十分な戦争準備が出来るまで耐え忍ぶかを。

彼らの技術は主に資源開発のためのものであった。小惑星を運搬する航宙船、宇宙鉱山で使用する採掘用の重機、採掘資源を運搬する輸送船、作業員を収容する宇宙施設、いわば採掘用の設備ばかりであった。だからこれらを転用するしかなかった。運搬船を空母に、重機を作戦機に、輸出船を補給艦に、収容施設を整備基地に、採掘技術の向上を表向きの理由として、秘密裡に軍用へと転用していった。

核融合炉の燃料となる水素、小回りのできる小型機器、これらの開発を進めれば、宇宙空間での戦闘は互角以上にできると思われた。しかし、宇宙空間での戦闘に勝利できても地上を制圧する事はどう考えても困難であった。そもそも地上に宇宙から大量に軍隊を投入する方法がなかった。

もしアースノイドが地球に戻って奪回作戦の準備にじっくりと取り組まれると、地上の工業力は宇宙の工業力を凌駕している。宇宙空間だけの戦闘だけなら短期的な勝利は期待できても、長期戦がどうなるかは読み切れなかった。

地上から宇宙への輸送を阻むにしても、すべての軌道を制宙圏に納めるような戦力は持ってなかった。およそ打ち上げてくるものをすべて堕とすだけでは足りず、最終的には地上の打ち上げ施設を破壊しておく必要がある。可能なら制圧したい。この戦略が提示された時、議員のひとりが嘆いた、我々はまだ地球の重力から逃れられぬのか。またあそこへ引き戻されるのか、と。

制宙圏という思想

戦争の勝敗は、常に最終的に補給が続いた方が勝利する。その点だけがスペースノイドの勝機である。地上にある資源と宇宙にある資源を比較されば宇宙の方が圧倒的に多い。だからこの戦争は資源をどれほど確保できるかの競争になる。制圧する鉱山の数と質が戦争の雌雄を決定する。

これらの戦争の原理に基づけば、宇宙軍が如何なる行動原理を持つべきかも決定する。そして、具体的には、鉱山、採掘資源、港湾などを維持し続ける事、そのためには工業施設、輸送航路、人的資源、経済活動、文化的活動、を破壊工作から守り続ける事、そして地球に対しては、宇宙に圧倒的な戦力を保有させない事、これを達成するためには、すべてを動員して戦術的優位性を確保し続けなければならない。

宇宙空間にある全てのものは、軌道上を動くため、地上とは異なる考え方が必要である。軌道上に障害物を置けば簡単に破壊したり機能を停止させることができる。デブリをばら撒けば戦略的価値を変える事ができる。しかし軌道全体は広すぎるので、そのすべてを防衛するのは物理的に不可能である。自然と防御範囲は、空間ではなく、重要施設を軌道上で強力に防護する考え方に至る。

つまり、要塞化を推し進める事になる。要塞化は質量が巨大であればあるほど有利である。そして要塞の軌道に対して、その軌道の先にあるものを排除するための宇宙艦隊を配置する。これが宇宙における軍事活動の基本戦略となった。

宇宙空間での破壊行動は基本的に同一軌道上での衝突に頼るしかない。巨大な質量を持つものを破壊することは困難である。要塞を破壊するために、数十m級の小惑星を当てる戦術が採用されたが、監視網をすり抜けるのは難しく、スペースノイドたちは小惑星の扱い方をよく知っていた。

また、それによって発生する大量のデブリは、実質的に空間を汚染し、敵味方を問わず莫大な被害を与えた。宇宙戦闘では如何にデブリの発生を抑えるかが研究される。数か月前の残骸と衝突して沈没する艦船もあった。戦闘中の両艦隊が一年以上前のデブリ群と衝突して全滅した事例もある。

軽量ドローンによる空域確保戦術(Generation.1)

モビルスーツを軍事用兵器に最初に転用し正式採用したのがジオンであることは周知の話であるが、最初のモビルスーツを設計したのがアナハイム社であるかは議論が分かれる。

先も述べたように元々は鉱山開発の作業用として開発された発掘用機体がモビルスーツの原型である。これを軍用に転用する事はもちろん計画としてあったのだが、どの時点から作業機械からモビルスーツと呼ばれるようになったかは諸説ある。どのように戦場で活用するかは誰も知らなかった。当初は艦隊補給を迅速に行うための装備品のひとつとして配置する予定であった。この機体はまだモビルスーツではない。

当初、戦闘用に戦場に投入されたのは小型の衛星群である。衛星に攻撃武器を搭載し、ある程度の移動能力を加えたものであり、これらは宇宙ドローン、または攻撃ドローンと呼ばれる。宇宙ドローンを戦場区域まで運搬し、戦場で放出し任務を遂行、戦闘後にこれを回収する。これが最初の宇宙艦隊の戦い方であり、そのための母艦(実態は単なる輸送艦)を就航させた。輸送艦には 4~6m の攻撃ドローンを、時に有人の場合もある、20~30 機搭載した。

戦場に散布された戦闘ドローンは、光学測定を用いて敵を識別、破壊するように設計されていた。これに対抗するために迎撃ドローンも直ぐに開発された。敵を破壊する技術は、基本的には小さな質量のものを高速化にして物理的に衝突させるものであったが、外れた場合に何時までも飛ぶのは望ましくなかった。また破壊した後のデブリの発生も望ましくなかった。

そのため、当初、攻撃に用いられるものは全て減速、停止するような機構が組み込まれた。宇宙空間では自律した衝突型のミサイル(爆発はしない)が最初に用いられた。これを迎撃するためいレーザー砲の開発が急がれた。その実用化とともに、次第にドローンは重装甲となってゆく。質量が増大する傾向が避けられなくなった。

敵のドローンを破壊する目的は、攻撃を継続させないためであり、そのためには破壊するのは十分条件ではない。つまり活動を停止させればいいのだから、破壊する必要はない、という考え方が主流となって、ドローン同士が破壊しあう戦闘が増えていった。戦場ではドローンで互いに潰しあい、次第に敵艦船を破壊することは難しくなってゆく。

このような戦闘形態は同性能の衛星を保有するなら衛星の数が多い方が勝利する。数の差を埋めるためには性能で圧倒するしかない。しかし、同じ設計思想である以上、圧倒的な性能差を見いだす事は技術的には難しい。この視点に立つとき、技術的革新よりも戦術のパラダイムシフトこそが求められていた事は容易に理解されるであろう。

戦艦の出現とドローンの衰退(Generation.2)

ジオンは、この状況を打開するために、輸送艦を主攻撃目的に変える戦術を編み出した。対輸送艦用の攻撃兵器、すなわち本格的な宇宙戦艦の投入である。宇宙ドローンからの攻撃に耐える重装甲、迅速な移動を可能とする大推力、そして、遠距離攻撃を可能とする強力なレーザー砲を搭載したのである。

レーザー砲は主に熱線となって一部分を焼くだけなので、デブリの発生は抑制された。電子回路の一部でも破壊できれば敵艦船は停止する。これをドローン空母を破壊するための切り札と戦場に投入した。

この戦略は非常に有効であったため、空母は装甲を強化され、防御設備も増大化されてゆく。第一次強化型空母は、主に装甲を強化したものであるが、それだけで敵艦からの攻撃に対抗できるものではなかった。攻撃力を強化した宇宙ドローンも開発されたが、自立型衛星では戦艦を破壊するには威力が不足した。

攻撃力の非力さを痛感した連邦軍は、宇宙艦隊の主力を宇宙ドローンから戦艦へと切り替えた。敵に対抗しうる装甲と推進力、そして強力なレーサー砲による攻撃。宇宙ドローンも搭載戒能であったが、それは次第に偵察に特化される用途へと変わってゆく。こうして戦艦による戦隊群が創設され、これらが宇宙艦隊の主力となった。

キャノン砲の多数配置、ハリネズミのような戦力強化(Generation.3)

連邦軍における戦艦隊の画期性は、戦艦の強化方法にある。ガンキャノンの開発コンセプトは戦艦の砲塔数を安価に増大するためのものであった。戦艦は巨大なエネルギージェネレータ装置として、小型のガンキャノンにエネルギーを供出する。戦艦に装着したガンキャノンは、単純に砲塔の数を増加する。特に、中型砲、小型砲は、作戦の用途に合わせて搭載するガンキャノンのタイプを変えるだけでよい。戦艦にはそんなに多くの砲塔を搭載しなくて済んだ。これは整備の上でも効果が高かった。戦艦は巨大砲だけを搭載し、攻撃、防御用の中型、小型砲はガンキャノンとの組み合わせで実現させた。

運用時にはひとつの戦艦に多数のガンキャノンを取り付ける。戦艦は、まるで砲塔のハリネズミのようになった。戦艦の外装に20~30機のモビルスーツを取り付ける事で攻撃力を効率的に強化する事ができる。特に配置の自由度が高く評価された。様々なオプションを組み合わせる事で柔軟に艦船の特徴を柔軟に変える事ができた、攻撃型、防空用、偵察型などのガンキャノンが開発され、戦艦を拡張するオプションとして重宝された。

時にガンキャノンは「こんなものはモビルスーツではない」と言われたことがある。これは、その後のモビルスーツの革命的革新を我々が知っているからであって、それ以前においては、これほど画期的な装備はなかったのである。実際に、この戦術は連邦軍をよく支え、戦争の趨勢を変えうるものであった。

ガンキャノンは当初、戦艦に搭載する動く砲塔として、オプショナルな性能が、よく様々な運用に答えた。戦場毎に自由自在に防御線を形成し、マニピュレータを利用した任意の兵装も可能であり、作戦目的や状況に合わせて対空、対艦などの自由なアタッチメント、運用性の高さが多くの戦闘艦指揮官から賞賛されたのである。

ガンキャノンの開発は、戦艦群に対する純粋な強化策として高い効果を上げた。ここにおいて、ジオンは更なる戦術のパラダイムシフトを必要とした。強化された戦艦同士の撃ち合いでは数に劣るジオンに不利であった。数の面でも質の面でもジオンには次の新しい戦術、それを可能とする機体の開発が急務であった。

強襲型兵器の投入(Generation.3)

この頃、モビルスーツの新しい可能性にどこよりも情熱を傾け執拗に模索し追い求めていたのはアナハイム社である。それは単なる機体の開発には留まらない。新しい戦略、斬新な戦術、そして古びない戦闘スタイルを生み出そうと苦労していた。この頃のアナハイム社ほど先進的であった連中は私は知らない。ジオン軍のみならず、連邦軍にさえ、ただの一人としてこの新しい波の到来を予感できたものはいない。この天才的な事業が宇宙にあるこの小さな企業の中で生まれたのは、今世紀の奇跡のひとつとして賞賛されよう。

数による圧倒という難題に対して、彼らは幾つかの提案を行ったが、決定稿となったのが宇宙強襲型モビルスーツ「ザク」のプロトタイプ試作である。

宇宙強襲はこれまでにない新しい戦術であった。強力な装甲を施した戦艦に対して、超近接した上で破壊する。従来の攻撃ドローンでは不可能だったことがなぜ可能なのか。彼らはどういう仕様を機体に求めたのか。

遠距離攻撃を主体とする戦艦群、それを補完する艦隊支援型モビルスーツ「ガンキャノン」に対する、対抗策は、モビルスーツによる戦艦への超近接攻撃であった。それを可能とするためには、従来とは全く事なる敏捷性、長大な航続距離、戦艦の装甲を打ち抜ける強力な兵装、敵レーダー網、電磁波監視を掻い潜るステルス性、そして多数の専用パイロットを短期間で育成する教育システム、これらをすべてをパッケージングしてアナハイム社は売り込んできた。

これはまるで特攻隊ではないか、兵の命を無駄に失わせるだけだ、という批判が起きたのは当然であった。それに対してアナハイム社は答えた。まずは見てください。その上での意見なら拝聴いたします。

軍指揮官、設備課、兵備課、補給課、彼らの前でデモンストレーションを行ったモビルスーツはそれまでとは全く異質の動きをした。デモでは、蝶を捕まえるように宇宙ドローンを手で捕まえた。そしてそっと離した。宇宙ドローンがどれだけ狙ってもレーザーを当てる事が出来なかった。ザクの搭載された自動軌道システムは、宇宙ドローンの計算を先取りするかのように巧みに軌道を変えて移動した。しかもそれだけ細かな姿勢制御をしながら、宇宙ドローンのエネルギーが尽きてもまだ半分以上もエネルギーが残っていた。

これは革新なんかじゃない、進化である。そう答えた武官もいた。誰も異論はなかった。挟む必要はなかった。成功するか失敗するかは分からない。だが、この機体を戦場に投入してみたい。誰もがそう思った。

戦場に投入されたザクは一日にして制宙圏を確保した。連邦の戦艦は破壊されすぎた。投入されたモビルスーツ 32機。連邦軍の被害総数は 14隻、撃沈4、大破3、中破2、小破5。一方のジオン軍は、撃墜されたモビルスーツ 1 機。しかも味方からの誤射によるものである。

ザクの登場に圧倒された連邦軍は、急遽、ガンキャノンに対ザク用の武装を搭載しようとした。だが、ガンキャノンは遠距離砲撃用にカスタマイズされたスペックの機体である。近接するザクの速度にはとても対抗できなかった。これは単にコンピュータの処理能力が劣っていただけではない。ソフトウェアがザクをとらえて撃とうとしても、ハードウェアの機構的な速度がザクの動きに追従できなかった。

ガンキャノンはこの欠点を改修すべく何度も何度も速度向上型を戦場に投入したが、初期設計の限界を超える事はできなかった。遠距離攻撃用に要求されたスペックの機体は、そぅ簡単に近接戦闘用に置換できるものではない。速度よりも装甲の厚さを重視して設計された機体であった。装甲を取り外し、モーターを強力なものに置き換えても、光学センサーの反応速度など改修点が何万も指摘された。その全てを変更してゆくことは正しい対応とは言えなかった。

強襲型を上回る高速という対抗策(Generation.4)

ザクに対抗するためには、同様の強襲型モビルスーツが必要である。こう結論するのは誰にでも可能であった。でも、どうやって?新しく設計する方針を出すのは簡単である。だが、どうやって、誰が、それを実現するのだろうか。ガンキャノンを基礎設計にしながらも、大幅に新規設計が必要となる。新素材による装甲の軽量化、駆動機構の全面刷新、戦術コンピュータ導入による自動化推進、そして強力なビーム兵器を搭載する機体。それを短期間で実現しなければならない。

どうしてもザクの設計資料が必要であった。または実機を拿捕する必要があった。それを参考にすることなしに、短期間に対抗する機体を開発するのは不可能である。連邦軍は何度もスパイを送り込み、技術的資料を盗もうとしたが、いずれも失敗に終わった。戦争の趨勢を決定する機密がそう簡単に手に入るはずがなかった。

幸運にも一機のザクの鹵獲に成功する。その幸運は機体に搭載された情報保持のための焼却システムが動作しなかったためである。この機体に対して連邦はあらゆる技術者を集めて分析、解析を行った。その中に一人のリバースエンジニアリングの天才がいた。彼/彼女?が連邦軍の起死回生、乾坤一擲を実現させる。

この技術者は短期間の間にザクの機構を次々と解き明かしていった。この人物についての情報は、現在でも連邦軍の最重要機密であり、今も非公開のままである。設計者として著名な人物はよく知られているが、実際はもっと秘密裡にされた技術者がいるのである。一説には元はアナハイムにいた技術者であるという噂もあるが、真実は闇の中である。

この技術者が提供する技術的基盤の上に、連邦軍は極めて短期間に新しい機体を設計、製造する事に成功した。ガンキャノンの改造強襲型はこの技術者が設計したと言われている。従来型のガンキャノンを改修する形で新設計の基軸を共通化、汎用化した上で、ジム型プロトタイプの設計へ流用したのである。

連邦のモビルスーツはレーザー砲を線状に射出できる(ビーム砲)点でエネルギーの消費量が大きかったが、破壊力もザクのそれを凌駕していた。これが実現できたのは、従来とは異なる新しい艦船、つまりモビルスーツにエネルギー供給することを目的とした補給型空母の開発が並行して完成したからである。ガンキャノンで培ったエネルギー供給システムが基礎技術となり、搭載したモビルスーツを修理し、補給性に優れ、戦場で長くメンテナンスを維持できる補給艦と強襲揚陸艦の特徴をハイブリッドし併せ持つ艦船が誕生した。

ビーム兵器を扱える点でこの新しい機体はザクよりも先進的であった。ザクのレーザー兵器は、点状に射出するものであったから、破壊力の点では劣った。これはエネルギー消費量を減らすための仕組みであるのだが、この機構が採用されたのは強力なエネルギー供給システムが艦船に搭載できなかったこと、ザク自身のエネルギーパックの容量の問題である。強力なエネルギージェネレーターを搭載する艦船が用意できなかった。その理由の一因として、ザクは投入時までの最重要課題が時間的短縮にあり、このような艦船のプライオリティが開発時に下げられていたためである。

軽快で強力なビーム兵器を搭載したモビルスーツは、よくザクに対抗した。短期間での戦場投入には初期不良も多く、多くの兵士がザクの餌食ともなったが、次第にそれらも改善されてゆくにつれて、ジオンの上層部も驚愕していった。これで戦争の趨勢は分からなくなった。機密保持はどうなっていたか、秘密裡に人材が誘拐、亡命していないかが調査された。この時のレポートは紛失しており所在不明のままである。

停戦

ジオンも連邦もその後に幾つものバリエーション溢れる機体を投入してゆくが、異なるコンセプトの違う機体は遂に登場しなかった。その後のモデルはすべて、強襲型モビルスーツの亜流、傍流、支流、本流である。ジオンがビーム砲を搭載する機体を戦場に投入できたのは戦争も終結間際になってである。その頃には連邦もジオンもビーム兵器を搭載した簡易で安価な機体を次々と戦場に投入していった。

両軍の拮抗状態が崩れるのは、終戦のほぼ半年前の事である。その頃は、私も中央政府にいたので、状況については多少なりとも知っている。特に、私の兄弟たちが軍中央部に所属していたので、政治的背景も軍情報にも触れる事ができた。

この頃のジオンには、主に継戦派、講和派、停戦派の3派があった。講和派と停戦派の違いは、戦後に関するものであった。講和派は独立派とも呼ばれ、独立を講和の条件にしたい。停戦派は条件付きの自治のままで良しとする考えで、戦争を終結する事を優先し、そのためには条件を緩和しても構わないという考えであった。

もともとスペースノイドの独立国家と言っても、所詮は宇宙鉱山を開発する企業ギルドの集まりに過ぎない。その有力者たちが、自分たちの資本を投資して国家という枠組みを作り上げたものである。その本質は、自分たちの企業活動に対する不満の噴出であった。なんの危険も分かち合う事なく、税や権利を理不尽に要求される事に対する不満であった。

最初はテロリストと呼ばれ、次に動乱者と呼ばれ、反逆者とさえ呼ばれた。それでも、スペースノイドは着々と力を付けていった。我々が曲りなりとも国家という形を持ちえたのは、とても沢山の先人たちの苦労と矜持とスペースノイドという思想に支えられていたからである。

さて、終戦間近における、ジオンの最大の切り札は、25年もの歳月をかけて月軌道へ運搬していた大鉱物惑星「レハ・ヴァム」の移送完了にあった。どの派も連邦への切り札という認識で一致していた。

継戦派は当然ながら戦争を継続するための資源として、講和派、停戦派は、終戦のために、地球政府に差し出すつもりでいた。

結局、戦争の趨勢を決定したのはモビルスーツの優劣ではなかった。最後の半年で戦局が動いたのは、ジオンにおける政治的内紛のため、軍の動きが著しく停滞したためである。ある時期から新しい大規模な侵攻作戦はすべて延期された。これが連邦に時間的猶予を与えたために、強力な再侵攻を招く結果となった。

良く知られた話であるが、この頃、ジオンでクーデターが起きた。これは数日で鎮圧されたのが、この出来事がジオンの指導者たち与えた驚愕は深かった。事態は深刻である。次にクーデターが起きた時にこれが鎮圧できるとは限らない。この出来事を切っ掛けに、ジオン内部は講和派に集約していくことになる。もちろん、ここでは話せない裏工作は幾らでもあるのだがね。

結局、戦争の帰結はスペースノイドが望んだ形では終わらなかったが、講和によってスペースノイドは独立を達成する事ができた。その後の戦後の混乱と不況で、長く経済の立て直しには苦労しているのだが、宇宙にある資源の量を考えれば、いずれは安定した宇宙開発に戻ることは疑いようがない。地球は既に開発し尽くされており、新しいフロンティアは宇宙にしかない。そして、我々スペースノイドが宇宙へ進出する中心にあり、それに相応しい地位を得る事になるだろう。

さて、ジオンの戦後史については次回とし本日の講義はここまでとする。質問のあるものは、どこかで私を捕まえてくれたまえ。

以上。

2016年11月3日木曜日

会議室から - とある量産機の生産計画

ある日の会議室 I(機能の選定)


「そもそも頭部のバルカン砲が意味ないんです。」

「たいして弾丸が積めるわけでもなし、近接戦闘の優位性も認められていません。」

「試作機のβ報告書にも生産設備、生産工程への負担が大きく、それに比べれば戦局への寄与は少ないとあります。」

「モビルスーツのバルカン砲なんて所詮は設計者の趣味でしょう。悪い冗談だと思います。」

「ですから私としては量産機からはバルカン砲は外したいのです。」

「現場の整備士への負担もバカになりませんからね。砲弾を込める工程、ジャミングの危険性、発砲時の振動、爆発時の被害、補給部隊への供給システム、弾薬の生産、発注。総合的に見てもいまの連邦はこれが許容できる状況とは思えません。」

「どうしてもバルカン砲をばら撒きたいなら、マシンガンを持たせれば済むのです。航空機じゃあるまいしモビルスーツにバルカン砲なんて必要ありません。」

「ここで営業部からひとこと良いでしょうか?試作機のレポートは軍でも把握しています。バルカン砲も MUST 要件ではありません。担当者との打ち合わせでも撤廃の方向で合意しております。念のため、私が装備局の方にももう一度、確認してみます。」

「うん。そうしてくれると有難い。」

「頭部のバルカン砲が撤廃できれば、空いた空間を有効に活用できますね。課長。」

「そうだね。試作機よりも多くのセンサーが搭載できる。メインカメラ、バックモニターもより高精度なのが使える。レーダー、赤外線装置、データリンク機能も搭載できる。情報処理能力が格段に拡充できる。」

「あと、整備性の向上も図れそうです。現場での稼働率に直結しますからね。」

「試作機は配線を少し変えるのも大変だったなぁ。毎回、モニターから取り外すのは辛かった。」

「試作機は仕方ないとしても、量産機では改善していきたいですね。」

「試作機で収集したデータを十分に活用しなければね。事故で亡くなった方々のためにも。。。」

「次はビームサーベルについて。どうするつもり?」

「試作機と同じ二本差しで固定しますか?」

「いいえ。本体には一本も搭載しません。」

「それは、、、営業部としては受け入れられません。近接戦闘の重要性を軍は非常に重く見ていますから。」

「あ、これは失礼。説明不足でした。説明します。」

「まずビームサーベルの搭載という機能そのものは実現します。」

「ただ実現方法が試作機とは異なるという話です。」

「では一本も搭載しないというのは。。。」

「ここで搭載しないというのは、本体への直結型にはしないという意味です。」

「今回の機体はどちらかと言えば、要塞攻略用です。要塞に取り付き、各種施設の破壊工作をする事を目的としています。」

「その場合、ビームサーベルよりも爆破型の兵装をたくさん搭載させたいのです。ビールサーベルを外して、その分、他の兵装を拡充したいのです。」

「しかし、それでは格闘戦能力が落ちてしまいませんか?」

「軍からの要望でも要塞攻略は二つのフェーズで構築されます。最初に要塞に取り付くまでの防御網の突破。次に要塞内での破壊工作。軍はその両方に使用できる機体を求めています。」

「ですから、要塞に取り付く前に、近接戦闘が発生するとみています。その時に近接戦能力は重要視されます。」

「そこでは、必ず格闘戦が発生します。それに対してビームサーベルの搭載は必須の要求です。」

「はい。それは了解しています。我々としてはこのふたつの要求を満たすために量産機には新しいモジュール構成を取り入れたいのです。」

「作戦や投入されるエリア毎に求められる機能が変わってくるでしょうから、これに答えるために我々としては拡張パックの導入を強く推進したいのです。」

「拡張パックとは具体的にどういうものになりますか?」

「ひとつは、試作機のランドセルを本体から分離します。あのランドセル部分を取り外せるようにします。」

「モビルスーツのモジュール化とは、本体と外部オプションの切り分けの事になります。共通部と拡張部を大胆に分離して設計するのです。」

「別の開発部が試作機をそのまま発展させるマークII計画を実行中ですが、我々としてはそれとは全く違うアプローチで量産機を開発したいのです。」

「我々はこの機体を大きくふたつの部分に分けて設計します。ひとつは本体コア系の設計です。次に使用目途に応じた拡張パックの設計です。」

「試作機はランドセルも本体と一体型で設計されています。ですからビームサーベルも固定的に二本搭載されています。新型機では、ビームサーベルは拡張パックで対応することで、搭載本数を限定しないようにしたいのです。こうして機体本体の応用力を高めたいのです。」

「なるほど、するとビームサーベルの搭載にもいろいろなバリエーションが用意できるということになりますね。」

「はい。その通りです。1本でも2本でも、ご希望とあらば20本でも搭載できます。」

「この拡張パックはその他にどのような機能が考えられますか?」

「はい。ビールサーベル以外に、推進バーニアの強化版も用意できるでしょう。速度重視のものから小回り重視のもの、活動時間を重視したものなどバリエーションは増やすことができます。」

「推進バーニアは重要なエネルギー源になりますから、強力な長距離レンジのレール砲も搭載できるようになるでしょう。長距離レンジの砲撃力も他の試作機よりはバリエーションが増やせるでしょう。」

「了解しました。営業部としては設計指針を理解できました。この方向で問題ありません。」

「ありがとうございます。」

「拡張パックの設計はこれから色々と詰める必要はありますが、重要なことはコアと拡張部のインターフェース設計です。この規格さえ決めてしまえば、様々な活用ができると考えています。」

「あのー、ソフトウェアについてひとつ聞いてよろしいですか。このような拡張パックを搭載すると様々なバリエーションのソフトウェアが必要になりそうですが?例えばビームサーベルモジュールを持つ機体と持たない機体のソフトウェアを多数用意しなければなりませんか?」

「いいえ、ソフトウェアについては一本化したいです。今考えているのは、拡張パックから必要なモジュールをダウンロードして使用することです。これによって、本体側のソフトウェアを一本にします。拡張パックと接続した本体側は、必要なモジュールを拡張パックからダウンロードして取り込むようにして頂きたいのです。」

「必要なドライバは拡張パック側に搭載しておきますから、それを使用するだけで良いわけです。拡張パックを外したら、ドライバもアンインストールすればいいわけです。そのあたりの設計は少し難しくなりそうですが、この仕組みの実現をお願いしたいのです。」

「なるほど。了解しました。持ち帰って検討させていただきます。」

「あと、もうひとつ。ビームサーベルを搭載していない機体は、ビームサーベルを使う事はできますか?これはビームサーベルの使用は本体側のソフトウェアには一切搭載せず、拡張パックに依存してよいかという話になります。」

「例えば、どの機体でも他の機体から借りて使うことが出来るのか、それとも拡張パックを搭載していない機体では使うことが出来ないのか。その辺りが変わってきそうなのですが。。。」

「そこは使えるようにしたいです。もちろん、全てが可能ではなく、使用できないパターンも出てくるでしょうが、標準モジュールは全て搭載しておいて欲しいです。ビームサーベル、ライフルなどの標準兵装です。拡張パックはあくまで、標準モジュールで対応できない兵装に対するものになるかと。」

「了解しました。ブランチを増やすとテストも累乗的に増加しますから、そのあたりも考慮しておかなければなりませんね(これは結構大変そうだわ、、、)。」

「では、次に装甲について。装甲はどうなるかな。」

「本体の装甲はコアパック以外には施しません。これは本体の製造コストと生産性を向上させるためです。」

「じゃあ、本体の装甲はペラッペラにしちゃうの?」

「はい。メインコンピュータと操縦席以外の場所はもう限りなくペラッペラにします。」

「基本的な装甲の充実は、拡張パックによるアーマード化で対応します。」

「試作機みたいに盾は持たせないのですか?」

「はい。盾を持つと片方の腕が塞がれてしまいますから。両腕はもっと有効な事に使いたいです。試作機はシールドを自由自在に使えるようソフトウェアが結構頑張っています。更には本体もかなりの装甲化がされていますからかなり頑丈な機体です。」

「この機体ではその辺の考え方をがらりと変えてしまいたいのです。」

「すべての機体が重装甲である必要はありません。」

「そうね、その方が機体の製造率も上がりそうね。拡張パック、装甲パックの組み合わせで色々な機体が用意できるのは魅力的かも知れないわね。」

「軍は搭乗者の生存性が損なわれなければそれでいいようです。パイロットに対する安全製は最も高いプライオリティです。」

「コアパックの装甲は試作機よりもかなり高くしますよ。ザクマシンガンの2500m地上直撃でも破壊されない厚さです。」

「もちろん、脱出装置はつけますが、脱出ポッドはあきらめて下さい。あの複雑すぎる機構は、新型には取り入れません。」

「脱出アーマーで操縦方法を統一するというのはよいアイデアでしたが。アイデア止まりですね。実際にやってみたらコストが高過ぎます。メカニックの整備マニュアルがまた莫大なんです。あれは整備士を過労死させるための仕組みです。」

「そこは問題ありません。あれを量産で載せるとなると、軍の要求数はとても生産できませんから。」

「操縦システムはどう見直してゆきますか?」

「操縦システムは、試作機をベースに設計します。ソフトウェアも流用してもらって構いません。ソースコードについては、ソフトウェアチームの方から問題ないという回答をもらっています。」

「エンジンの出力は試作機よりだいぶ落としていますね。」

「ああ、そこは仕方ないんです。」

「軍需部に問い合わせたら、今すぐ大量に納入できるエンジンがこれしか用意できないのです。今はこれを乗せるしか手がないものですから。」

「もちろん、エンジン交換は前提の設計です。試作機の強力なエンジンも搭載できます。」

「そうか、なら、新しいエンジンが開発されたら、乗せ換えるつもりなのだな?」

「はい。あと10年は使える基礎設計を目指しています。」

「耐熱フィルムの搭載はどうする?」

「大気圏突入も可能するとかって触れ込みで少しだけ軍に納入されたやつですよね。」

「軍は本当に今後もあれを大量発注する気があるんですかね?」

「ないだろう。オーケー、不採用だ。」

「私からの要望は腰回りだけは全面的に見直してくれという事だ。試作機は陸上歩行にこだわり過ぎているんだ。宇宙空間に限定すれば、あれだけの地上能力は不要のはずだ。腰回りはもっとすっきりできるはずなんだ。」

「地上でも作戦行動は予定にないですよね?」

「はい。地上行動は今回は除外してよいです。今回の機体は宇宙での使用だけでほとんど問題ありません。要塞内での低重力下での歩行が出来ればそれで十分だと聞いています。」

「ほとんどと言うことは、地上での走行も発生するということですか?」

「ええと。この機体は地上でも生産されますからね。生産された機体は宇宙リフトまで自力で歩行できなくてはなりません。」

「どれくらいの距離ですか?」

「ええと。500mを30分ですね。」

「ああ、それくらいなら、治具を使えばなんとかなるでしょう。」

「陸戦型はどうせ腰から下は総とっかえするに決まっているんだ。地球でのことは考慮しなくていいよ。」


ある日の会議室 II(その後)


「あー、すみません。最初に謝罪しておきます。営業部は敗北しました。頭部のバルカン砲は必須課題になりました。」

「え、軍からの要望ですか?」

「試作機が敵機をバルカン砲で撃破したとの報告が入りまして。それで MUST 要求にエスカレーションしてしまいました。」

「ああ、そのせいで。。。誰かは知りませんが、余計な事をしてくれましたね、そのパイロット。。。」

「あと、もうひとつあります。製造コストを更に下げろと言われました。」

「はい?」

「どうしてまた?」

「軍はとにかく機体数を揃えたいとの希望です。今年度、来年度の予算を使って200機の発注です。」

「我々の見積もりは130機でしたね。。。」

「機密費を流用してはくれないんですね。」

「銃殺刑覚悟でか?」

「どうします?」

「本体設計は今のままで行こう。ここは変えられない。死守する。その代わり、拡張パックをコンパクトにしてコストダウンを図ろう。」

「拡張パックのアーマード化も中止ですか?」

「それが一番の現実解だろうなあ。」

「しかし、それでは防弾能力が著しく損なわれますよ。」

「仕方ない。試作機みたいな方法は採用したくないが。。。シールドを復活させよう。」

「腕が一本自由に使えなくなるんですね。」

「仕方ない。。。」

「ただ、両腕が使えなくなるので長距離砲が搭載できなくなりますね。どうしましょう?」

「長距離砲はもう発注済みです。なんとか軍納入に組み込んでもらわないと。。。戦後まで倉庫に山積みではいい笑いものです。というか、私、左遷されます。。。」

「既存の戦闘機に搭載するってのはどうですか?これなら改修費もたいぶ抑えられると思いますが。」

「それではモビルアーマー扱いになって、担当部署が変わってしまいます。あくまでモビルスーツという建前でないと私たちは納入できません。」

「。。。」

「戦場の勝利よりも、部署の管轄です。我々には統制のとれた勝利が必要なのです。長く仕事を円滑に進めるためにもこれはとても大切な話なのです。」

「仕方ありませんね。ではモビルスーツ搭載という事で。」

「あ、でもモビルスーツという建前さえあれば、戦闘機みたいな形状でも構わないのですか?」

「ええ、それはそうです。ある程度の形さえあれば、後は営業部でなんとかねじ込んでみせます。」

「ではコアパックの操縦席に長距離砲とバーニアだけをつけたものを用意するのはどうですか。」

「こんな感じです。どうですか?」

「あ、何か手もつけてください。その方が軍を説得しやすくなります。」

「了解、了解。では、こんな感じでマニピュレータを配置してと。」

「どうです、これなら?」

「おお。悪くありません。いや、これいいですよ。これでいいです。これがいいです。」

「良かったですね、これで左遷は回避できますね。」

「ははは、ありがとうございます。」

「これは量産機とペアリングで行動できるようにできませんか?公国にも無線操縦型のピットというのが開発されていると聞いています。あれと同様に、これも新型機から無線操縦か何かで操作できればいいのですが。」

「公国のあれっていまいち操縦形態が分からないんですよね。かなりの秘匿案件みたいで。」

「ちょっとすぐは難しいですね。ソフトウェアが間に合いませんね。」

「そうですか。いや、ちょっと言ってみただけです。気にしないでください。」

「これは長距離射撃専用の機体になりますが。戦艦の近くに配備して射撃するのを想定しています。それで十分でしょうか?それなら装甲とか飛行性能もそんなに求められないと思いますが?」

「はい。私もそれでいいと思います。」

「では、この線で設計を見直してくれ。わたしは各部署に連絡しておく。連携を密に連絡をこまめに進めてくれ。」


ある日の会議室 III(テレビを見ながら)


「おい、最前線に投入されているのはあれボールじゃないか?」

「あ、ほんとだ。装甲なんてないに等しい機体に無茶させてるなぁ。」

「いくらジムのシールドの影にいるからって、、、」

「あ、でもこれは上手い戦法だ、複数のジムでテストゥドを組んでいるのか。その中心にボールを据えて長距離砲をうまく使っている。」

「なるほど、これで要塞まで取り付こうとしているんだ。」

「でも格戦闘能力は敵の新型機の方が上みたいですね。あ、今も狙い撃ちされました。どうしても陣形が崩されてしまいますね。」

「だが、よく見てみろ。破損しながらも動いている機体が多い。生存率も期待できそうだ。コアパックが破壊されている機体はほとんど見られない。」

「要塞攻略に特化した機体が間に合っていたらもう少し違った戦い方が出来たかも知れませんね。」

「そうだな。詮方ない。だが戦場の人たちはうまく使っていると思うよ。」

「データリンクが向上しているから、密集したり、隊形を組むのは得意なんだ、この機体は。」

「単独での格闘戦では劣勢は仕方ない。だが、編隊さえ組めば、十分に要塞の防衛網に対抗できているように見えるよ。ほら、また一編隊が要塞に取り付いた。」

「まるで蜜蜂のようですね。」

「あ。うん、、、あの要塞はもう長くは持たないだろうね。」

「そう見えます。」

「これが。。。うん。連邦の勝利だ。」

2015年11月9日月曜日

心理学的考察 - キャスバル・レム・ダイクンの場合

坊やだからさ

ガルマ・ザビの戦死にシャアが発した言葉には複雑な感情が込められている。言わなくてもよい事をわざわざ口にする。そこには発露せずにはいられなかった心情がある。

ガルマとシャア。この二人の友情は士官学校の同級生として始まった。物語年齢はいざ知らずガルマが戦死したのは30代前半くらいが妥当だ。だとすれば魂胆があったとはいえ二人の付き合いは10年の長きに渡る。

その長さが育んだ友情を簡単に捨てられるものだろうか。例えそれがガルマからの一方的な友情であったとしても。

シャアが長く友人として振る舞ったのは間違いない。心底軽蔑していたとしても、計画を実現するための駒の過ぎぬとしても、何度もシャアはガルマのために危険な目にあったはずである。それが友人の証として。

ガルマ、聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい。

シャアの本丸はガルマではない。では誰か。ザビ家に復讐する目的があったとする。そのためにザビ家に近付く。するとシャアはいつ復讐するつもりだったのか。

ガルマを殺すチャンスなど何回もあったに違いない。それを今まで押し留めてきたのに、なぜこの時と決めたのか。それがチャンスだったからか。ガルマにはもう利用する価値がないと決まったからか。それともイセリナと婚約したからか。

ガルマの部隊を全滅させる。ガルマを死に至らしめるために他の多くの兵士も道連れにする。ガンダムという事件はそれに相応しいシチュエーションだったようである。

だが、そう考えると不思議な話がある。彼は死の間際のガルマに向かって話しかける。もし通信が傍受されていれば未来はない。そのような危険を犯してまでなぜ話しかけたのか。

君はいい友人であったが、君の父上がいけないのだよ。

伝えずには居れなかった想いがある。憎しみを自分に向けさせなければ納得できない。何も知らずに死ぬのでは忍びない。ガルマにはそれだけの寄り添いをしながら、その一方で多くの兵士が失われることを一顧だにしない。

自分への憎しみを植え付けながらも、自分自身はちっともガルマを恨んでいない。憎んでさえいない。死にゆくガルマを観察する冷静さだけがある。それ所か親しみの情さえ残っているのである。

ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい

懺悔も後悔もない。ガルマの死は何も呼び起こさない。

彼の心理には何らかの欠陥があるのか。それは過去に原因がある、と物語は示唆する。あまりに辛く悲しい出来事が彼の心を固まらせてしまったのだ。その解放が物語の主題のようである。

シャアはガルマの死に何も感じないだけではなく、全ての死に何も感じない。それはまるで戦争の象徴のようである。シャアは計画を着々と遂行する。自分だけは死なないというような狂信さはない。

死んだらそこまでだと達観しているようにも見える。だがそう簡単に死にはしないよ、と見極めている。彼は計画の遂行以外は何も持っていない。愛情も失ってしまった人間だ。

キシリア様に呼ばれた時からいつかこのような時が来るとは思っていましたが、いざとなると恐いものです、手の震えが止まりません

ただふたりの女性だけが彼の人間性に触れている。

アルテイシアとララア。

兄としてアルテイシアに対する気遣いだけが唯一のプライベートの心理に見える。彼の計画とは全くリンクしないにもかかわらずアルテイシアのために行動をする。そこだけに人間らしさが残っているようだ。

あの優しきアルテイシア・ソム・ダイクンへ。
先の約束を果たされんことを切に願う。
キャスバル・レム・ダイクン、愛をこめて。

ララアはどうか。ララアの登場によってザビ家への復讐は捨てられたようだ。しかしシャアの中には最初から憎しみなどなかった。彼は許せぬとは言ったが憎しみを口にしたことはない。シャアはララアのためにズム・ダイクンの思想を再発見する。その新しい道を進もうとした。そのときララアは死んでしまう。

母になってくれるかも知れなかった

ララアへの愛を知る前に。彼女の最期はシャアではなくアムロへと向かう。それを知るシャアは嗚咽する。それでもララアへの愛があると信じて。

ガンダムはシャアが人間らしさを取り戻す物語かも知れぬ。その対比にホワイトベースという巨大な人間のコミュニティがある。

ギレンの演説が流れる。

私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ!

「坊やだからさ」とつぶやいたシャアの慧眼はギレンにガルマへの家族愛など全くないことを見抜いている。だがガルマがその家族愛を信じていたことも知っていた。無垢に愛を信じているから「坊や」なのだ。その愚かさも愛おしさも知っているから。

ガルマへの手向けとして最後にキシリアを撃つ。もしキシリアが脱出すれば休戦もなく戦争は継続され何万人の兵士が死に至るのは間違いない。

そのことをシャアが知らなかったはずはない。だから最後のシャアの行動は多くの兵士を救うための行動と言える。それは他人に対して初めてシャアがとった行動であった。

誰もが宿命のようにそうあらねばならぬ。作者の思惑に揺れ動くキャラクターたちがいる。アムロと会いセイラを救う中で何かが生まれたのだ。その詳細は別の項で語ろう。

2015年3月27日金曜日

THE ORIGIN 24 特別編 - 安彦良和

The Origin を観劇するかは疑わしい。安彦良和の作品を見る楽しみは、安彦良和が作画したものを見る喜びと思っている節があるから。

巨神ゴーグやクラッシャージョーには物語としても面白さはそう感じなかった。どちらかと言えば普通。とはいえ全ての作品がそういう評価のわけではない。古事記は面白いぞ。明治時代も面白いぞ。ゴールデンカムイより地味だけど深みはあるぞ。それは知っている。知ってはいるけれど、安彦良和だから読んだという節もある。安彦良和が描いた陸奥宗光の印象が上書きされる事はたぶんない。

三河物語もそうだが、この人はどうも冷静に見えてしまう。心底ではふつふつと煮えたぎっているのに、つい忘却してしまう。たんたんとしているからつい気が緩んでしまうのだけど、読み進めていくうちに、なんだこれ、そんな程度で済むもんじゃないじゃんか、という所にまで連れてゆかれる。飯でもどうというから付いていったら銃殺刑の広場に連れて行かれたようなものだ。

漫画ならいざ知らず、アニメーションに関してはこの人は監督より俳優だと思う。安彦良和の絵はそのまま演技なのである。この人の絵以上に演じられる俳優は日本にはいない。視線の上げ下げ、顎の動き、眉の吊り上げ、ちょっとした仕草で演技ができる。体の動きも演技する。作中のセリフなど演技のついでに過ぎない。僕はアニメーションでの話をしているのではない。演技する全ての俳優を念頭に話をしている。

俳優たちが誰もここから演劇を学ぼうとしないのは不思議である。この人の作品を見るとは俳優を見るのと同じだ。そういう類のアニメーションである。この人の作画でなくっちゃ。安彦良和という俳優が見たいのだ。この人が出演しているかどうかが重要なのだ。この人が出演してないのならどうして見よう。この人でなくっちゃ。

カイの話がいちばん気に入った。ミハルに触れていたから。ミハルという人がたった数話なのに、今でも大きな影響を与えている。これはとても不思議な存在感である。ララァよりも重要かも知れない。ガンダムにはそういう逸話がたくさんある。ククルスドアンとか。

ガンダムには社会があって組織がある。人間は必ずコミュニティに属して生きる生物である。サイド7を失った人たちはコミュニティを破壊されたが、それぞれの場所を見つけようと避難民さえ生きた。アムロはそのコミュニティから飛び出し、そして戻った。作中ではシャアだけが属するコミュニティを持っていない。求めてさえいないように見える。

僕たちはガンダムから組織での立ち振る舞いを学んだ。大人になって分かってきたものもある。今の自分を、その役割と立場からガンダムのキャラクターと重ねている。勝利も敗北も屈辱も喜びも絶望も希望も。今の自分はあのキャラクターと同じなんだと思い、その人物が口にしたセリフを口に出す。

だからガンダムという物語はフレームワークになれるのだ。彼や彼女たちは本当に存在していた人(was)なのだ。僕たちと一緒に世界を生きている。この背景がある限り、その延長線上にある作品は幾らでも生まれる。

アムロのエピソード。最終ページのアムロの顔。これは僕の顔だ、ページを読んだ瞬間、そう思った。こんな不思議な体験は初めてだった。見事な演技に魂ごと持っていかれたんだろう?

この人を見たことがある。二人でサインをもらいに行った時、広島、アリオンの頃。

2014年10月22日水曜日

Gのレコンギスタ - 富野由悠季

この希有な作家性を日本の商業は飼い殺しにしている。彼の作り出した世界は莫大な利益を生み出したが、それに比べれば彼は余りにも寡作だ。富野由悠季には鈴木敏夫が居なかった。それが残念で仕方がない。

彼が作り出してきた様々な世界観、ダンバイン、ザブングル、イデオン、はどれも物語だけでなく、風景があり、経済があり、群落があり、政治があり、宗教がある。作品の前にその社会がどのように成立しているかという作り込みがある。想像すれば、まず監督自らがその世界に住んでみたのではなかろうか。その世界に住む吟遊詩人であるから、物語を語ることができたのではなかろうか。

ガンダムという成功も社会がきちんと作り込まれているからこれ程に続いたのだろう。それは歴史であり地理であり物理である。オリジンとターンAが同じ歴史とは信じ難いが、それを成立させるだけの強靭さをガンダムの名は持っているのだろう。レコンギスタもガンダムの名を冠する物語として生まれた。

未だガンダムが登場する作品しか作れない事は、この国の貧弱さだ。どこにも彼の作家性に惚れ込み資金を提供する者が居ない。それでも彼はガンダムという背景さえもらえれば十分である、新しい作品を描くのに何も困る事はないと語る。その強靭さが悲しい。

ターンAがガンダムである必要性はなかった。あれは多宇宙のなかのひとつのガンダムとして存在する。モビルスーツという言葉とミノフスキー粒子さえ出しておけばガンダムとして成立する。しかし彼がどれほど新しい駆動系を考え出したか。それを思えば新しい何かを見てみたかったという気もする。

彼が残したロボットの多彩さ、モビルスーツ、ウォーカーマシン、オーラバトラー、ヘビーメタル、オーバーマン。これらの名称は新しく発明されたものである。発明には理由がある。新しい名称が新しい世界を象徴するからだ。

その新しい世界には、様々なストーリー、キャラクター、スピンオフ、クロスオーバー、を受け入れるだけの拡がりがある。その尤も成功した世界がガンダムだ。連邦とジオン、近未来の戦争、モビルスーツのある生活。

彼の作品は最初に生活がある。人々の生活の中にロボットが登場する、その逆はない。生活の延長に物語を紡ぐ。ザンボット3に自衛隊が登場するのも、自衛隊に接収されるのも、少しだけ日常ではない生活に過ぎない。

生活を描く。そこにロボットという非日常を入れる。そこには本来違和感があるはずである。その非日常を当たり前のものとするために富野節がある。この非日常的な会話が物語にある生活を非日常的なものにする。それが視聴者にロボットと生活の間に本来あるべき違和感にリアリティを与える。

Gレコを観て彼の作家性に始めて気が付いた。彼の描く女性が如何に魅力的であるかに初めて気が付いた。

富野由悠季は女性を描かせれば当代随一の作家である。彼の作品には常に魅力のある女性が登場した。敵であれ、味方であれ、ゲストであれ、どの女性もである。そして女性によって世界は語られる。知らぬうちに僕は作品に登場する女性の視線で物語の中に入り込んでいたらしい。

Gのレコンギスタであれば、ノレド・ナグを通して作品を見ている。これは彼女が作品の中心点に居るからだ。視聴者と作品を繋ぐ場所にいて、その世界の対立を教える。彼女が居る所からふたつの対立軸へと足を踏み入れる。



もちろんこのキャラクターだけが中心に居るのではないだろう。物語が進むにつれて作品の中の様々な女性が入れ替わり立ち代わり僕の視点となる。その彼女たちの生活の中に何もかもが登場する。それを僕は見る。女性が生活の事なのである。

セイラやミライやフラウだけではない、ミハルやハモンも同じであった。マチルダもそうであったし、不幸にしてきちんと描けなかったキシリアでさえ同じだ。彼女たちによってガンダムという世界に生活が営まれたのである。

コロスはどうだ。

どの作品にも魅力的な女性たちがいる。

恵子の最期も、アキの最期も、生活の延長にあった。勝平のお母さんとミチが海岸で待つのもそうではないか。


Gレコも同じだと思う。これは登場する女性を楽しむ作品である。彼女たちの生活を通して、この世界がどうなっているのかを知る。誰の正義か、誰の主張かも、そんなものさえ彼女たちの生活の中にある。彼女たちを通して世界を見る。これがGレコではないか。

そこにはガンダムさえ必要がない。ガンダムという過去を見る必要はない。「前世紀の遺物」とは20世紀の、という意味であろう。しかしガンダムであっても構わない。女性は魅力的である。そして作品がどこに向おうともそこは変わらぬと思う。

彼の口に出さぬ恨みを想像する。だがそれが何になろう。この新しい物語との出会いと比べれば。

2013年12月13日金曜日

ジム - 機動戦士ガンダム

ガンダムとは、試作機へのロマンである。

試作機は従来のものより性能もよく、費用も掛けられ、最新鋭の理論、科学、技術、素材が投入され、試行錯誤の果てに完成する。もちろん試作機の多くはこれだ。

試作機の源流を求めれば鉄人28号機まで遡る。番号が示すものは失敗の数である。だが鉄人には量産機がない。それとは別にマジンガーZの系譜がある。一品ものの系譜である。

これは現実の工業生産品でも同様である。量産を目指した試作機、一品もののための試作、試作機のみで終わるもの。技術者の手に成る一品もの。通常はそれを趣味と呼ぶ。

一般的に工業品は試作機よりも量産機の方が優れている。試作機は、間違いと勘違いの試行錯誤であり、無駄と不効率と経験不足の集積物である。手探りと実験のためのアルゴリズムがパッケージングされていて、エンジニアが残業を重ね、家族とすれ違いながらひとつひとつの不具合を潰し品質を向上・安定させてゆく。

試作機と比べれば、量産機こそ、品質の向上、アルゴリズムの洗練、コストと性能のバランス、そして少しだけの妥協と課題の積み残しからなる完成体である。あらゆる面で試作機を凌駕するものである。

試作して見なければ分からない事は確かにある。しかし試作機に実装して量産機で落したものであれば、それは結論として不要だったのだ。コスト問題など開発が難航でもしなければやる前から分かっている話しである。オーバースペックはエンジニアの勝利とは必ずしも言えないのである。

と言う訳でガンダムが試作機の傑作なら、ジムは量産機の傑作である。そこにあるダサさ、チープ感、手抜き感は秀逸なデザインの成せる技である。同じ量産機でありながらザクとジムの違いはどうだろう。ジムはザクにも成れなかった。それはガンダムという試作機を頂点とするヒエラルキーの問題である。

ジムの模型を眺めていれば、ガンダムからのブラッシュアップを試してみたくなる。設定によれば、短期間の製造とコスト削減のために試作機から機能を削ぎ落したとなっている。削ぎ落せば通常は機能美の極致が生まれたりするものである。

各機は計画どおり、もしくはそれ以上の性能をもったMSであったが、そのままではコストが高すぎ、短期間のうちに量産できる仕様ではなかった。そこで3機種のうち近距離戦用であるガンダムの量産タイプとして、再設計されたのがジムである。後のムックや模型の解説書などの後付設定では、ジェネレーターの出力や武装および装甲素材などの性能をガンダムより落とすことで、前期生産型の生産コストはおよそ20分の1以下に抑えられたとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジム (ガンダムシリーズ)

しかしジムの造形の難しさは、少しカッコよくするとバイファムになってしまう事である。これが難しい。ORGIN 版はジムをガンダムに近付けることで回避した問題であるがジムの元の造形をカッコよくする方法は今も発見されていない。ジムのチープ感は唯一無二でありこのデザインこそ傑作と言ってよく世界には未だこれを超えるものはない。

軍用の輸出版にはコストや国防の課題から性能を落とした機体がある。一般的にエコノミーと言えばパトレイバーに登場した機体であるが、あの機体の素晴らしさは作中では扱いよりもそれに対応するエンジニアたちの描写にある。あんなのが出てくるようじゃこの機体じゃダメだよなぁ。エンジニアの歴史はこの台詞の積み重ねなのだ。

この国はどうのこうのと言ってもエンジニアで成り立っている。デザイナーが流行りそうな気配もあるが、デザイナーもエンジニアも根っこは同じだ。エンジニアとは工業で働く人の呼び名ではない。サービス業であれ、農業であれ、漁業であれ、営業であれ、金融業であれ、スポーツであれ、デザイナーであれ、アニメーターであれ、映画監督であれ、メカニズムを思い描き、ああすればこうなると考える人、その上に論を重ねる人は誰もがエンジニアである。

だから分野が違えども分かり合える事がある。

試作機の開発秘話はもちろん風立ちぬで見たように面白い。そこから量産に向けてのエンジニアたちの物語がある。ガンダムからジムへ設計の変更をしたエンジニア達がどこかにいるはずである。設計を変更し、量産のために工場に出向き、そこで製造のためのディスカッションを行い、量産のための組立を行い、テストパイロットが登場し、性能問題での改修を行い、ロールアウトに向けて営業が売り込み、採用側と折衝を重ね、ライバル機との争いに勝ち、そういうものとしてジムを描いたらさぞ面白そうだ。

漫画のパトレイバー(ゆうきまさみ)がそういうエンジニアの普通をもっともリアルに描いていると思う。

2013年7月23日火曜日

機動戦士ガンダム - 富野喜幸

機動戦士ガンダムは一年戦争から 32 年、宇宙世紀 0112 年に上映された映画である。この映画の監督もサイド 7 からの避難民である。当時 7 才であったと聞いたことがある。彼が避難している間、私はそのすぐ外、つまり宇宙空間にいたのだから、不思議な巡り会わせである。

この映画は 1 年戦争を題材とした作品で、発表された当時から話題となり、今も繰り返し上映され、リメイクされ、アナザーストーリー、スピンオフも多く生まれている。本作は史実を基に作られているが、当たり前ではあるが、映画として商業的な都合から、監督の映画への思い入れから、多くの脚色もある。その幾つかは史実からの挿話である。また史実ではない挿話もある。そしてこの映画の影響力が大きいため映画で書かれた方が事実として膾炙している。

私はその間違いを指摘したり修正したい訳ではない。我々人類(スペースノイドであれアースノイドであれ)は全く正しい歴史認識に辿り着けるものではない。それぞれの立場もあれば利益とする所も違うのである。利害の異なるもの同士がこの太陽系の中を生きているのだから。

私がここで書きたいことは、映画で描かれた事と実際の史実(実際に私が参加した作戦もあるし、体験したもの、仄聞したものも含め)その違いを披露することである。その違いは面白い話だとは思うし、その違いを知る事がガンダムをさらに魅力深いものにすると信じている。

演出上の描写や史実との違いを知ればもっと想像力が膨らむのではないだろうか。史実と物語の違いを考えることは新しい創作に繋がるのではないだろうか。なにより知る事は楽しい。それと私がジオンにいたからという訳ではないが映画では悪役として描かれたザビ家の人々に対する誤解も解きたいと思っている。

悲惨であり、哀しみもあるあの戦争に、人類の歴史に刻まれた確かな一ページに多くの男と女が参加した。誰もがその中に放り込まれた。その中には私の部下も上司も戦友も含まれている、そして私の敵の立場であった人も。考えも立場も陣営も違えども、みなそれぞれ気持ちのいい連中であった。死んだ者も生き残った者もみなあの時代を同じく生きたのであるし、その中の幾人かは幸運にもまだ生きている。これからも子を産み育てそして死んで行く。

それが描かれているから機動戦士ガンダムはこれだけ愛されているのだと思う。私がこれから披露する挿話もそこに付け加えて欲しいと願っている。これはガンダムの史実である。

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機動戦士ガンダムは宇宙世紀 0079 年に起きたジオン独立戦争を題材としている。今でもかつてのサイド 7 宙域に行くと当時の残骸が散在しており、未だに民間人の渡航は禁止されている。監督はこのサイド 7 の残骸をドキュメンタリーに撮った事がある。この風景を見てインスピレーションを受けたと聞いた。

映画の演出上の嘘として有名なものにムサイの艦橋がある。実際の写真と見比べればわかる事だが、戦闘艦の艦橋は全面ガラス張りではない。全面ガラス張りでは危険すぎる。実際のムサイの艦橋は小窓が幾つかある程度だ。宇宙船はどちらかと言えば船より潜水艦に似ている。映画で一面をガラス張りにしているのは、宇宙の方から中の様子が映せるようにするためだ。これは演出上の都合であり、こうしておけば外から映すシーンに人影が写り印象的に見えるわけだ。

ホワイトベースが大気圏航行するシーンも嘘である。物語の舞台が宇宙だけでは起伏に欠けるためだろう。しかし実際はあれだけの巨大なものを地球で飛ばすのは技術的に難しい。地球、宇宙の両方で飛行可能な航空機は工学的にも課題が多い。現在の我々が持っている動力炉では未だそれだけのパワーを得る事が出来ない。

宇宙では地球を飛行するための機構は無用の長物である。地球では宇宙で必要な機構は無用の長物である。どちらにおいても余計な荷物を背負った状態で飛行する事になる。それが効率の悪さを生む。より軽量で高速で機敏に動ける方が戦闘艦に相応しい。これらの理由から宇宙と地球のどちらでも使える船は十分な性能が出にくい。その両方を装備しても問題ないくらい高出力のエンジンが開発されない限り難しい。

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ホワイトベースの羽根に見える部分は大気圏を飛行するための翼ではない。あれは宇宙空間で使用する光学観測装置 (ステレオスコープ) の取り付け場所である。その先端にカメラが付いており両端にあるカメラの画像をコンピュータ処理することで太陽の光りを受けて反射する艦船を探すのである。宇宙ではどの船も翼のように広くなっている部分を持っているが、そこには光学観測機器が取り付けられている。

ガンダムには機銃を撃つシーンが幾つもあるが宇宙では弾丸を撃つことはまずない。それは地上と違って撃った弾丸は何処までも飛び続けるので危険な為だ。一週間以上も前の戦闘で発射された弾丸に味方の艦隊が撃沈される事故もある。大気圏に落ちる事が確実でない限り弾丸系の武装を使用することはない。敵艦への攻撃は主にトマホークなどを使って船の動力炉や艦橋を破壊し戦闘力をなくすのが一般的だ。その場合も爆発を起こさないように注意しデブリが発生しない様に注意を払っている。爆発で発生したデブリはどこを汚染するか分からない。

サイド 7 の廃棄はこのデブリが原因で起きた事故だ。この事故をジオンが人工的にデブリを発生させサイド 7 にぶつけたと言う人もいるが、私の知る限りそのような事実はない。どの戦闘で発生したデブリが原因になったかは既に調査され解明されている。

デブリ群と衝突したためにサイド 7 からは住民の避難が必要となった。その事故を聞いて私は V 作戦になんらかのアクションが出ると考えた。サイド 7 に急行するとタイミングよくホワイトベースが出航していた。ホワイトベースと遭遇した事で連邦の新兵器を間近で見る事ができた訳だ。

サイド 7 追撃戦で初のモビルスーツ格闘戦を実戦で行ったんだけれども、私はモビルスーツの開発テストの時に何度も格闘戦を経験している。だからザクでどのような格闘戦ができるかは知っていた。相手が試作機であることは塗装の色などを見れば明らかだったから最初は確実に拿捕できると思っていた。初の格闘戦というより私からすれば相手機体を拿捕しようと接近したという方が実情に近い。所が拿捕は適わなかった。相手のモビルスーツの性能が格段に良かった。

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V 作戦はモビルスーツの開発ではなくソフトウェア開発の名前であるという事は聞いた事があると思う。試作機であるガンダムは各種兵装の装着が可能で、データ収集や性能チューニングのための実験機として使われていた。ここで得られた成果が順次ジムにフィードバックされていった。実際の処、ジムの性能は次第によくなって行き、戦争末期ではまったく歯が立たなくなっていった。戦争後期のジムの性能の高さは V 作戦の結実だと思う。

で、ガンダムの開発陣はどうも格闘戦を想定したチューニングも行っていたようだ。そのソフトウェアが搭載されていた機体を相手に私はザクで格闘戦を挑んだわけだ。実は危なかったのは私の方だった。なにせザクはもともと格闘戦を想定した機体ではないからね。素人がプロのボクサーに殴り合いを挑んだようなものだ。それほど高いソフトウェアを開発したのだから、連邦の技術力はかなり高いレベルにあったと思う。しかし、この格闘戦用のソフトウェアがジムに搭載されることはなかった。要塞攻略を主目的としたジムには格闘戦用のプログラムは不要と判断したんだと思う。

ガンダムを拿捕しようとした時にガンダムは白い塗装が施されていた。連邦の白いモビルスーツと確かに報告書に記載している。この塗装は試作機では一般的だ。動きを観測しやすいようにするためだ。ジオンでも試作機は白く塗装していた。サイド 7 から出港した時のホワイトベースも戦闘色には塗料されていなかった。ルナツーで急遽塗装したんだと思う。ルナツーから出航した時には一応戦闘色になっていたからね。

私の乗るザクが通常の三倍の性能と言われているけれどこれは間違いだ。私の機体も普通のザクとまったく同じだ。三倍のスピードで移動できると言われたけれど、これは高パワーな為ではない。私が他のパイロットよりも効率のよい運動をザクにさせているだけの話しなんだ。

私は目的地に到着するまでに殆ど進路変更をしない。最初に与えた加速だけでかなり正確に移動する事ができた。多くのパイロットはは優れた人でも 4 回か 5 回は小さな進路変更を必要とする。この進路変更に燃料を多く使うと活動時間が短くなる。移動の時に速度を上げると進路変更に必要なエネルギーも比例して多くなる。私は多くても 3 回だ。だから私は移動速度を上げる事ができた。そして多くの燃料を残したまま戦場に到着していたわけだ。

私は最初に目いっぱいの加速をする。あとは慣性飛行のまま戦場に到着する。他のパイロットが途中で何回も軌道を変えている間にね。軌道変更が多すぎて戦場に着いた時にはガス欠状態になっていたと言うのは、新米ではよくある話だ。これは私の天性の才能なんだろう。これに関しては私は未だに何かの記録を持っているらしい。

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V 作戦の追撃戦の最期に大気圏近くで攻撃を仕掛けたのは史実だ。私は飽くまでもガンダムを捕獲しようとしたんだ。でもガンダムは迎撃に出て来なかった。彼等はガンダムを大気圏に向って廃棄したんだ。彼等は私に奪われるくらいならと試作機を捨てる方を選んだんだね。仮に捕獲できたとしてもハードスペックはジムと大差ないだろうと思っていたが。コンピュータシステムは物理的に破壊されていただろうし。もちろんガンダムに大気圏突入能力なんかはないのでそのまま燃え尽きてしまったよ。

アムロ君はガンダムのテストパイロットだが、その後はジムに載って戦場に出ていたらしい。マグネットコーティングなどなくてもジムの性能は試作機のガンダムより数段に優れていた。映画ではガンダムに乗り続けた事になっているけれどジムは悪い機体じゃない。強敵だった。実際の写真を見れば分かるとおりジムは映画で描かれているものよりずっとスマートな機体だと思う。

アムロ君と対面できたのはこの映画のおかけだ。映画の関係者がセッティングしてくれたんだ。もちろん彼は映画に出てくるような少年ではなかった。髭面の細面の人だった。彼が打ち捨てられたガンダムを操縦したのも創作だ。彼は正規のパイロットだ。ガンダムのテストパイロットとして、私とモビルスーツの格闘戦をした相手だ。

スタッフの人たちが調べてくれたんだけど、どうやら戦争全期を通じてアムロ君と私が同じ戦場にいたのは二回らしい。V 作戦の追撃戦とアバオアクウ防衛戦だ。確かに私もアバオアクウ防衛戦の戦場にいたから、どこかですれ違っていたかも知れない。私達はともにエースパイロットだけれど、映画のように私がアムロ君を追い続けたという話しはないんだ。

映画のスタッフがセッティングしてくれて私たちは会ったんだ。私はその時が初対面であると思っていたのだが、どうやらサイド 6 で既に会っていたらしい。私はそれを全く覚えてはいない。アムロ君が言うには私は女性を連れていたらしい。どこかのバーか何かでかな。そのころ既に結婚していたからね、奥さん以外という事はないと思う。

彼とは映画についても話あった。私はお面を被ったり赤い軍服を着させられたり、アムロ君は脱走までしている。あれが本当なら彼は銃殺だ。

ララァは映画では少し知恵遅れのように描かれているんだけれど実際は違う。普通の主婦だし、私の奥さんだ。彼女は戦争中はサイド 6 に住んでいた。私は休暇の度にサイド 6 の彼女に会いに行ってたんだ。もちろん今も生きている。パイロットでもないしね。監督が初対面の時に非常に気に入ってくれて作品に登場させてくれたんだ。彼女も自分の名と同じララァというキャラクターが気に入っていると話しているよ。

*脚注
シャアはルウム戦役で戦艦五隻を撃沈した。V 作戦傍受の頃は情報部の活動に従事しており、その後はジャブローに侵入しジムの情報を入手、最期はアバオアクウ防衛戦で前線指揮官として終戦を迎える。戦争中の撃墜数は戦艦 8 、モビルスーツ 12 である。

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ソーラーレイは実在した兵器ではない。物語中の架空兵器である。映画ではソーラーレイによって両陣営の無数の艦隊が消えてしまった。しかし実際に戦争中にジオンが保有していた軍艦は戦艦 26、巡洋艦 32、連邦は戦艦 22、巡洋艦 23 隻を保有していた。モビルスーツはジオン 516 機、連邦 382 機。当時の国力からいえばジオンは国力をはるかに超えた戦力を維持していた。ジオンは地理的状況から短期決戦しかできない内情を抱えていた。だから連邦をはるかに超える戦力で例え経済が疲弊しようとも短期決着を目指すしかなかった。

あの一年戦争というのは、最期はアバオアクウ要塞の陥落で終わるのだけれども、その前に行われたソロモン要塞攻略戦でほぼ戦争の趨勢は決まったと言える。ジオンは短期決戦を目指しておりソロモン要塞戦で一方的に連邦の戦力を叩く事を戦略としていた。宇宙での覇権を得るには連邦との戦力比を 10:6 にする必要があった (戦争前の戦力比は 10:9 )。そうすれば宇宙での行動に制限がなくなる。ジオンは相手戦力を一方的に叩く事に戦略と戦術の全てを賭けていた。しかし思った程の打撃を相手に与える事は出来なかった。

当時の宇宙軍では要塞攻略にはふたつの方法があった。ひとつが要塞閉塞戦であり、これは重要施設を外部から破壊し、要塞の機能を停止させ降伏させるか、または無力化する。もうひとつは要塞内に上陸し内部から破壊する。後者を要塞上陸戦と言う。

連邦はソロモンを閉塞戦で早く片付けた後、アバオアクウでは上陸戦を仕掛けて来た。これをジオンの作戦部はまったく予想していなかった。上陸戦はお互いに悲惨な戦闘になりやすい。それでもこの要塞を完全に破壊しておくのが連邦の戦略だったようだ。

連邦軍は要塞上陸戦をするには艦艇が圧倒的に不足していた。だがそこに小型のコロニーまで投入して補った。私たちは連邦の突破力を押し返す事ができず、アバオアクウを守りきる事も出来なかった。この作戦で連邦軍は殆どの戦力を消耗したんだけれど、ジオンの被害も甚大であった。連邦は身を切ってジオンの骨を断った。両者は戦争の遂行能力を失った。この後にサイド 6 の仲介もあり講和が成立したんだ。

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グフという青い機体があるだろ?あれは実際は戦闘用のモビルスーツではなくてモビルスーツを運搬する作業用の重機なんだ。右手に付いてたのはヒートロッドではなく運搬時に荷物を固定するためのワイヤーなんだ。私は乗った事はないんだが、作業している光景は良く見ていた。戦闘に用いる機体ではないんだけれどアバオアクウの工事には大量に投入されていて、そのまま武装を取り付けて簡易的な固定砲台として使われた機体もあるんだ。

アバオアクウで投入されたゲルググは戦争前に私がテストパイロットとして開発に参加した機体だ。戦争に投入されたのは戦争末期だったけれど私はあれが最高のモビルスーツだと思っている。戦後に連邦軍で模擬戦を行い一機のゲルググで五機のジムを圧倒した記録もある。そういう記録が残っているはずだ。まぁそれはパイロットの腕の差かも知れないが。この機体は迎撃能力は優れているんだけれど活動時間がとても短い。そのため戦後のモビルスーツの主流にはなれなかった。ゲルググは良い機体だったよ。

モビルスーツというのはもともとは月や小惑星での資源採掘作業を行う土木作業に使われる機械だった。それを最初に軍用に転用したのはジオンがコロニー攻略をするためだった。コロニーの外側にある施設に取り付き、段差のある場所を移動する。腕でパイプを掴んだり、段差のある場所を移動するには人型で二足歩行が適していたらしい。ザクはコロニー攻略するための機体だ。ザクの肩に付いている盾は最初は宇宙空間に漂うデブリから機体を守るために取り付けられたものだったんだ。

ザクの塗装は宇宙で目立たない深緑と決められていた。隊長機も暗闇に溶け込む深紅と決められていた。ほら深海魚に赤い色の魚がいるだろ?あれと同じで暗やみで目立たない色なんだ。機体はどちらも同じもので塗装だけが違う。赤いザクの方が 3 倍性能がよいというのは伝説だね。ザクとゲルググを比べても 3 倍の性能比はないからね。まぁ何を 3 倍というのかだが。赤い機体は隊長機である印に過ぎない。角に見えるのは通信装置だ。隊長機は他の機体とリンクして情報処理する必要から大型のアンテナを採用していたんだよ。ただ戦争が始まってから製造された機体は全て緑色だった。赤いザクは戦争前に製造された機体で、戦争中は製造工程の問題から全て緑で塗装されていた。

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宇宙での戦争というのは戦艦から発進したモビルスーツでコロニーに取りつき、コロニーを占領するのが主な戦いだった。だけど映画にサイド 7 の中にザクが進入したシーンがあるが、あれは嘘だ。モビルスーツはコロニーの中では満足に動けない。立ち上がることさえ出来ない。

だからコロニーの中でのモビルスーツの戦闘というのは起きない。ガンダムとザクの戦闘も、ギャンの戦闘もないんだ。ガンダムもコロニーの中で歩く事はできない。

月面で使われるモビルスーツには二足歩行のものもあるけれど、1 G の場所では二足歩行は難しい。月面作業のほどんとの機体もキャタピラが主流だ。ガンタンクみたいなね。私がコロニー内でモビルスーツを使う実験をした時は、立ち上がる事も出来なかった。モーターが焼き切れてしまうんだ。

地球でモビルスーツが使われる事もない。もし地上であの巨大なモビルスーツが立ったら辺りから丸分かりで遠目からでも目標にされる。そしてあっという間に戦車や携帯ミサイルで破壊されてしまうだろう。今でもそうだけど、地上での戦闘の中心はやはり戦車と航空機だよ。重力というのは未だ人類の大きな制約なのだ。戦争にも大きな影響を与えている。ただ水中作業用のモビルスーツを何機か試作したという話は聞いた事がある。ズゴックみたいな機体があればいいけど。

ジャブローと言えば、映画の中でザンジバルが地上から打ち上げられたシーンがあったね。あれは実話だよ。ザンジバルは地球で最初の組立をしていたからね。途中まで組み立ててから宇宙に打ち上げていたんだ。もちろん打ち上げのために軽くしなければいけないから武装も装甲も施されていない。ある程度の組立をしたらロケットを取り付けて打ち上げていたんだ。打ち上げたザンジバルを宇宙空間で受け取って組立工場のあるソロモンまで曳航する。だからザンジバルは実際の機体も空気抵抗が考慮されたスマートなデザインになっているんだ。

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ガルマは作品では坊ちゃんに描かれていたけれど、彼は本当に聡明に人だった。私とは兵学校の同期であったが、彼は本当に優秀な人だった。映画ほど若くはないしドップに乗って実戦に出たりはしないけど。彼は北米方面の参謀のひとりだ。

ガルマが連邦との講和を模索していたと言う話しは今では有名になったけれど当時は秘密裡に研究していたようだ。ガルマの日記には講和へのプロセスや障害が詳細に記載されていたそうだ。これを読んだデギン・ザビにも大きな影響を与え、政府首脳陣はこれをベースに講和準備を始めたようだ。まぁ講和に動こうとしたガルマをシャアが特命で暗殺しようとしたという説が今も残っているがね。

ガルマの死後、イセリナは男の子を出産した。彼女はガルマの愛人だ。これが公表されたのはその子が 20 才を超えてからだ。醜聞を恐れたイセリナの父が隠していたらしい。

ガルマの死によって、北米におけるジオンの勢力は急速に縮小した。この事からも彼の能力は高く評価していいだろう。私もその意見に全面的に賛成する。彼がどれほど有能な軍人であったか、彼の死がどれほどジオンに痛手であったか。私にとっても良き戦友であったし戦後のジオンにとっても何らかの貢献をしてくれる人だったと思う。

北米の勢力が縮小した事で連邦はオデッサに大規模な攻勢をかける事が可能になった。ガルマの死が結局はジオンのオデッサでの敗退を決定づけたわけだ。連邦は北米の兵を大量にオデッサ作戦に投入できたんだから。これが戦争の趨勢を決定づけたと言ってもいい。だからガルマの死を持ってジオンは敗戦したとする見方もできる。

ガルマが戦死した戦場に私は居なかった。私は地上に降りガルマの処で数週間を過ごしてから南米に渡った。ジャブローへの潜入の為にね。彼の戦死は確かにおかしな事故なんだ。前線への視察の時に流れ弾に当たるでもなく、爆撃に巻き込まれた分けでもなく、単に塹壕に落ちて死んでしまったんだから。それがいっそう彼の死への疑念として残っているんだろう。ジオンの人にとっては余りにも残念すぎるんだ。

ククルスドアンと言うジオンの脱走兵が連邦やジオンの区別なく孤児達を養っていると言う話は一部でのみ知られていた話だ。彼の上司だった男が機密費の一部を彼に渡していたと言う。それで彼の活動を支援していたそうなんだが、これを聞きつけた情報部がこの話しを捜査しようとした時、偶々聞いたガルマが捜査を中止させたという話は聞いた事がある。

身よりのない子供を育てていた売春婦が連邦にスパイ容疑で逮捕され惨殺されてしまった事がある。この時に残された孤児たちをガルマが孤児院に入れた。この時の話はジオンの報告書に残っていて、それで戦後になってから表に出て連邦軍は遺族(子供達)に正式に謝罪しなければならなくなったんだ。たしかその売春婦の名前がミハルって名前だったはずだ。

オデッサ作戦の敗北でジオンの劣勢は決定的になったんだけど、その時にマ・クベさんが核兵器を発射した事になっている。あれは史実ではない。ジオンはそもそも核兵器を保有していない。マ・クベさんはオデッサ降伏後に要塞の引き渡しをして事務手続きが完了した後にそのまま捕虜になっている。戦後は地球で美術史家として余生を全うしたんだよ。

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スペースコロニーで最も重要なのは水の確保であった。当初は地球から運搬していたけれど効率も悪く量も少なかった。氷の小惑星帯が火星の内軌道に見つかった事で巨大コロニーの建設が実現できたんだ。コロニーに水を運搬する船に対しては戦争中と雖もジオンも連邦も攻撃をしたことはなかった。

地球連邦は地球の統一政府と思われがちだが実際には地球にある複数の国家連邦のひとつに過ぎない。地球連邦は地球上の 4 割の地域とスペースコロニー群で構成された国家ネットワークだ。ジオンはこのうちの月地域を管轄するコロニー自治区だった。

ジオンは戦後に地球連邦から独立している。世界で初めて宇宙に首都を持つ国家の誕生だ。その後に幾つかのコロニーが独立する。コロニーは気候の変動がなく安定した太陽エネルギーが受け取れる。水のコストや放射線対策を必要とはするが、農業や工業に向いている。宇宙では運搬費用も安い。コロニーにないのは漁業だけだ。

映画で描かれた選民思想は別として、思想家としてのギレン・ザビは重要だと思っている。彼の地球人への危機感が私には一番正しいように思える。彼の地球に対する危機感、地球の資源が枯渇する事への危機感、それを浪費して平気でいる人々への危機感、彼は新しい世紀においてヒトとしての未来を考えた政治家だと思う。

昔の人が化石燃料の枯渇を経験したのと同じように、宇宙に進出しても人類は別の資源争奪戦を繰り返すだけであった。何時かは地球にある全ての資源が枯渇する。宇宙に新しい資源を求めて人類が進出したとしてもその根っこが同じならば何時かは太陽系の全て資源を食いつぶすだろう。何かが変わらなければならない。そういう問題意識がギレンにはあった。

ギレンの語る人類への問題提起が作品の重要なテーマだ。これは正面から語られはしないが物語に通奏低音として流れている。ジオンの理はそこにある。しかし物語ではザビ家はアムロたちの敵であり、アムロたちの倒すべき敵として描かれた。ジオンは単なる独立の為に戦争を起こしたのではない。宇宙にある資源を我々はどう使ってゆくかという問題を提起したのだ。

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ザビ家を倒すべき悪としたからガンダムはここまで続いたとも言える。悪でないものを悪として描く事が矛盾となって、どれだけ解いても証明できない定理のように、作品に終わりをもたらさない。ガンダムの全てはザビ家が悪である事を証明しようとする。だが本当にザビは悪なのか。どこかでザビ家をきちんと扱った作品が必要だと思う。彼等の声が描かれる事を願っている。

機動戦士ガンダムにおいてもっとも人間らしいと云えるのはザビ家に人達かも知れない。彼らだけが政治を語っているように見える。

キシリアは映画の中では脱出時に私に撃ち殺されてしまうのだけれど、実際は要塞陥落時に爆発に巻き込まれて死亡している。狙撃される方が印象的だし作品の最期を締めくくる重要なエピソードとは承知しているが、彼女の名誉のために少しだけ付け加えるなら、実際の彼女はあれほど冷酷な女性ではなかった。そのことを私はよく知っている。

ジオンはザビ家の独裁国家ではない。きちんとした共和国であり議会も開かれていた。当時のジオンで重要な地位を占めていた一族のひとつではあるが、そこは誤解されて欲しくない。

ザビ家は革命の功労者ではあるが特別に優遇されていた訳ではない。デギンはジオンの最高政治責任者の地位にあったが大戦末期にサイド 3 への移動中に行方不明となった。戦後に遭難した船が見つかっている。

ギレンは政治家になったが他の妹弟は軍人になった。ドズルとキシリアは要塞司令の要職には付いた。キシリアはアバオアクウで、ドズルはソロモンで戦死した。既にガルマも地球で戦死していた。

ひとり残ったギレンはアバオアクウ陥落後に本国の執務室で自殺したのである。

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本書がガンダムというプラットフォームの中に新しい視点を開く一助になれば幸いである。


地球、地福。

2012年7月16日月曜日

聖戦士ダンバイン - 富野由悠季

バイストン・ウェルの物語を覚えている者は幸せである。心豊かであろうから。私たちはその記憶を記されてこの地上に生まれてきたにも関わらず、思い出すことのできない性を持たされたから。それ故に、ミ・フェラリオの語る次の物語を伝えよう。

ダンバインとは物語の名ではない、バイストン・ウェルという世界を語ったものだ。物語であるにはバイストン・ウェルという世界観は強すぎた。だからこの作品の物語性についてはずうっと語る事が出来ない。

ダンバインの人物は物語のために演技しなければならない、そんなに愚かな人だったか、そんな事に激情する人だったか、何もかもが都合のために死んでゆく。

キーン・キッスはニー・ギブンを探すのにゼラーナの艦橋に直行しないほどマヌケではない。リムル・ルフトが母親を暗殺したいと憎む気持ちはどこからきたのか。スイスでももらおうかと嘯くお前は本当にトッド・ギネスか。

ダンバインという物語であろうとしたのではなく、ただバイストン・ウェルであればいい、その為に物語のように紡がれたのではないか。


バイストン・ウェル
ダンバインを物語として見てしまえば、ただのわからずやたちが登場してはお互いに傷付け合う、引くに引かれぬプライドを持ち寄って、憎しみ合い、殺し合う。その根底にあるもの、ちいさなプライドや野心や怨みで世界を破滅しても構わない、その執拗さに何らかの意図を感じずにはいられない。

心にあるそういったものを浄化するという作品のコンセプト、それは祈りでもあるのだろうが、どうも作家の恨み、怨念と言うようなものを仮定しなければ斯様な人物を次々と生み出す事ができそうにない。

バイストン・ウェルにおける地上人とはこの怨みを持ち込むための仕組みであった。何故このような人物たちを必要としたのか、そこにダンバインの鍵がありそうだ。

人同士がいがみ合う物語に「伝説巨神イデオン」がある。イデオンの国家間的ないがみあいの中に描かれる個人の嫉妬という物語と比べれば、ダンバインでは国家間的な争いの側面は小さく、個人的な争いが主に描かれている。一見、戦争のようであるが、バイストン・ウェルであろうが地上の戦闘であろうがこれは戦争ではない。

ではこの戦いは何か。ダンバインには我々が敵と呼ぶべき相手がどこにもいない。何故こうも命が軽いのか。

チャム・ファウが何故地上に残ったのか、何故消えてゆかねばならなかったのか、こんな終わりは寂しい。だから消えたチャムはバイストン・ウェルに戻れた、とする方が解釈としては正しい。

ショウが東京からバイストン・ウェルに戻れたのはオーラの力ではない、唐突になんの脈絡もなく戻されたのである。それは誰の意志でもないバイストン・ウェルの意志とでも言うべき力である。

シーラ・ラパーナの浄化もその意志なくして成立するとは思えない。バーン・バニングスを討ったから浄化したではどうも理屈が立たない。第二のドレイク・ルフトやバーン・バニングスはオーラバトラーが無ければ生まれないのか、しかし既に知ってしまった人々が昔に帰れるだろうか、地上もバイストン・ウェルも。オーラロードが開かれようが開かれまいが、野心に変わりはない。


歴史物語
ダンバインの物語は、歴史物語として見るのが正しいだろう、王国同士の争いにオーラバトラーが使われた点が重要なのだろうが、恐らくショウを描かなくてもこの物語は成立する。

これは戦争の物語ではない、バイストン・ウェルの歴史が戦いという側面を見せたに過ぎず、ドレイク・ルフトもシーラ・ラパーナもその歴史を描くための色に過ぎない。

戦いもオーラバトラーである必要はなかった、剣と魔法でも困りはしない。戦う目的は何でもよかった、だから戦争ではないと言うのだ。それらしく見える戦いで十分だったのである。これはバイストン・ウェルとは何かを世界に示すためだけの戦いだったからである。

ダンバインに描かれたものは主題である歴史物語と比すれば個人的な感情的な小さな争いである。だからダンバインではまず造形に驚く。宮武一貴の手によるダンバインの造形が魅力の全てじゃないか。

あの造形から始まる空想、あの虫の感じからすればバイストン・ウェルは手のひらサイズの小さな水玉でいい。オーラバトラーはその水玉にいるミジンコでもいい。

水槽の中の小さな歴史物語、それで十分だ。


女王たち
バイストン・ウェルは階級をもった社会である。王や女王がいて、騎士がいて、様々な階層の者達が住む世界である。ダンバインという物語は身分制度、階級を受け入れる物語である。登場する地上人が何ら疑問を抱くことなく王や女王の前でひざまづく。

登場する人々はみな己の身分に応じて最大限の野心を抱きそれに邁進する。地上人はこの身分階級に組み込まれた特権階級である。この階級社会の心地よさというものを再発見しその中で生きる事がダンバインなのだ。

そうであればダンバインとは女王選びの物語である。それ以外の楽しみはない。シーラ・ラパーナ(ナの国)、エレ・ハンム(ミの国)、リムル・ルフト(アの国)、彼女たち3人の中から誰を選ぶかと言う物語なのである。バイストン・ウェルの最高地位にある女王を選りすぐる、それ以上の楽しみ方がこの作品にあるだろうか?

キーン・キッスやマーベル・フローズン、ジェリル・クチビ、ガラリア・ニャムヒーという魅力的な女性も描かれているが、いかんせん身分が卑しい。彼女たちは女王と対比するために描かれたと言ったら過言であろうか。


邂逅
そのバイストン・ウェルが地上に出現し現代と繋がりを持った。これは面白い話であって異なる世界の異なる階層の者達の邂逅であった。邂逅、という物語でも良かったのである。それでは同じか。

例えば、バイストン・ウェルが戦国時代に出現し、関ケ原の合戦場に現れればどうなっていたであろうか、武士階級を持つ戦国の世界と、バイストン・ウェルの王たちの邂逅はどのような物語を生み出すであろうか。

しかし、ダンバインという物語は邂逅を描かなかった。地上での争いなぞ視聴者のための演出に過ぎまい。主たる戦いはバイストン・ウェルの社会の中に閉じていた。その理由はたぶん簡単である。バイストン・ウェルの歴史は地上との干渉を嫌うからである。

バイストン・ウェルという物語は歴史物語という側面と、地上との邂逅という二つのテーマを内包して進められた。ショウたちが消えてもそのバイストン・ウェルの世界観は止まってはいない。全てはバイストン・ウェルを描くための犠牲として消えて行った。

であればショウが好きだったチャムの語る物語は余りにも悲しいのではないか。

2012年7月3日火曜日

無敵鋼人ダイターン3 - 富野喜幸

ワン、

ダイターン3とは富野版ルパンである。

延々と続く話の連続体。

ダイターン3とはいい加減さだ。

いい加減はネタ切れに窮する所から生れる。

ダイターン3とは時間との格闘である。

制作とは〆切りが命題なのだ。

ダイターン3とは作家が育つための土壌である。

なんでもやってみるのである。

ダイターン3とはなんでも出来る所が大胆なのである。

大胆でいられるだけの自信がある。

ダイターン3とはどんな話でも成立するフレームである。

そのためにどんな構造を必要としたか。

ダイターン3とは小難しい話を放棄した結果である。

アニメなんだから何でもやるのだ。

ダイターン3とはあえてふざけて見せた会話劇である。

自分自身を縛る設定を排除したから。

ダイターン3とは物語とは何かを考えるためにある。

謎で引っ張って解き明かさずに終わる方法がある。

ダイターン3にはチャレンジと失敗の軌跡がある。

失敗したとしても放送は止められないのだ。

ダイターン3にはユーモアに満ちた失敗がある。

笑えなくとも放送はするのだ。

ダイターン3には能天気な会話にリズムがある。

韻を踏めばそれ以上の意味が加わる。

ダイターン3の作画にはクセがある。

作画に出来不出来がある楽しさ。

ダイターン3とは楽しさである。

これが全て。

ダイターン3とはガンダムの第0話である

敢えて言うなら。

ツー、

オープニング
オープニングの出来栄えが好きだ。三条レイカ、万丈、ビューティのポーズが堪らない。なんら言葉による事はない、目が喜ぶ。好き勝手にやっても目立ち過ぎるし抑え込むと詰まらない、超えてはならぬギリギリの処に境界美と呼ぶべきものがある。それがこのオープニングの作画だと感じる。

第2話 - コマンダー・ネロスの挑戦。
金田伊功の作画には造形ではなく奥行きがある。3DやCGでは見る事の出来ない奥行きがある。

第12話 - 遙かなる黄金の星
前半のモノクロの回想は金田伊功の圧巻。

第19話 - 地球ぶった切り作戦
月面上に積まれた鋸の壮大さが印象に残る。作画監督は加藤茂。

第20話 - コロスは殺せない
湖川友謙の安心。イデオンと同じコロスのアオリ、前後の瞬間移動は遠近法の応用か。遠近感、造形、CGとは違う立体がある。

第26話 - 僕は僕、君はミレーヌ
何となくだが未来少年コナン的だ、動きがコナンぽい。同じ時期に制作されたから影響されなかったはずがない。誰もかれもが未来少年コナンに驚愕し追い駆けたのだ。作画監督は富沢和雄。

第28話 - 完成! 超変型ロボ!
アニメ史上最高の必殺技、全話中の最高傑作。だれがこのようなサンアタックを想像しえたか。作画監督は田島実。

第31話 - 美しきものの伝説
タツノコプロ版のダイターン3。加藤茂の手によって、タツノコ色に染められた作画。これがダイターン?これもダイターン。

第33話 - 秘境世界の万丈
安彦良和である、人のうつむいたり横を向く事による感情表現、目や足の形、小さくよく動く演技、他とは違うし巨神ゴーグまで出てくる。ギャリソン大活躍も楽しいが目も楽しい。只野泰彦。全てを完璧に仕上げた訳でもなさそうだがそこがまたいい。

第37話 - 華麗なるかな二流
全話を通して走る作画には不出来なものが多い。それでも万丈と木戸川が走るラストのシーンはコナンとジムシーを思い起こす。作画監督は山崎和男。

第40話 - 万丈、暁に消ゆ
塩山紀生の圧巻、ひとつの作品と言っていい。目が楽しいと呼ぶしかない作画。


スリー
「ダイターンは1台でいいのよ」
「ヒーローですから」

これは最後のヒーローものであると言う意味にも取れる言葉だ。ヒーローものはダイターンで終わり、次の作品はヒーローものにはしない、そんな宣言のようだ。物語を持たないダイターン3は、お話が幾らでも作れる構造にしてある、そしてそのような作品作りはこれが最後となった。これ以降に作られた作品は物語を前面に押し出しストーリーで見せる作品となったのである。

まだある。

メガノイドの力があれば人類は地球以外の星に進出して行けると。そうなれば 地球上で人間が殺し合って戦いを起こしたりすることがなくなって 人類は永遠に平和になる

このコロスのセリフは、機動戦士ガンダムで設定された宇宙世紀の考えに似ている。ジオン・ズム・ダイクンのニュータイプの考え方とも通じる。宇宙に進出した人類には新しい考えが必要なのだ、という基本テーマはダイターン3から始まっているとも言える。

コロスの火星の地球落しはそのままジオンのコロニー落し、シャアのアクシズ落しへと続くのである。敢えて言うならダイターン3の最終話はそのまま逆襲のシャアのプロットなのである。

僕への謝罪のつもりか・・・? と、父さん・・・これは僕の、僕自身の力だ

恐らくこの作品がきっかけとなって新しい何かが育まれたのである。父親との決別というのが個人的な感傷から汲まれたものだとしても、何かと決別し何かが決意となって生れたのだ。

作品中、ほとんど登場しなかった父親を最終話に登場させたのは、恐らく単なる演出上の綾に過ぎまい。しかし、ガンダムのテム・レイと比べれば父親像の描き方には共通点があるように見える。父親に認められなかった寂しさを含めた思いがあるのかも知れない。だから僕は、これを富野喜幸の独立宣言、決別宣言と受け取る。

ぼくは・・・嫌だ

どうにでも解釈できるこの言葉は見た人の数だけの解釈があり、作者らもそのつもりであろう。話の流れの中で生れた言葉だから解釈はお好きにどうぞ、という立場だ。だから新しく解釈をひとつ加えても困る事はないのである。

この言葉は人間の愛憎が悲劇を生むことへの率直な拒絶ではなかったか。愛するが故に悲劇を生み出すのであればそれを忌避することはありうる。ダイターン3とは悲劇に対するひとつの贖いではないか。父親の罪を子供が背負うプロットは神話のようだ。ダイターン3が持っている世界像はギリシャ神話的かも知れない。

コロスとドン・ザウサーの最期に愛の悲劇を見た。愛情が悲劇を生むのであればそれを否定する。そんな感情が最後の寂しさへと導く。それでも明日になればきっと同じような生活が始まる、そんな未来が来るだろう。来ることが分かっている明日の喜劇は封印されなければならない。

悲劇に対して、喜劇で応じたのがダイターン3という物語であるのなら、この物語の根底にはニーチェがあるのではないか、それと同じものが。相反する二つ、アポロン的なものとディオニュソス的なもの それらが何であるかを論じる事は出来ないが、ダイターン3がアポロン、メガノイドがディオニュソスとして対立すれば十分である。何故なら、それらは悲劇の本質ではなく 悲劇の切り取り方だからだ。

破嵐万丈がなぜ人間離れしているかと言えば、超人の比喩と見做せる、そして悲劇と対峙する。では、メガノイドは何の象徴か、これは、超人に成りえなかった者、肉体だけが超人となった者達、か。近代文明が我々に新しい力をもたらすと信じた者達ではないか、科学を信じるならば銀河でさえ支配できると彼らは考えた、しかし、その根底にあるものは深い情念であった。

悪しき心というものも愛憎から生れる、愛するが故に、その情念の強さが哀しみを生むのだとしたら人はどうすればよいのか。その愛憎が近代科学と結びついて生まれたのがメガノイドならば、ダイターン3もまた愛憎から生まれ落ちた機械である。ふたつはなぜ対立したのか。これが明かされる事はなかった。それが明快なら、なぜコロスの悲しみを見せる必要があったろうか。

彼らは宇宙時代に対応しようとした存在であり、宇宙に生きる者と地球で生きる者の、機動戦士ガンダムから逆襲のシャアまで続く物語の萌芽と見て取れる。メガノイドの思想の妥当性はそのままジオン・ズム・ダイクンの思想へと繋がる。ジオンの系譜はその原始を破嵐創造に辿る。

だからダイターン3の最終話はガンダムの第0話と呼ぶ事が出来るのだ。

コロスの情念に万丈は毒気を抜かれ何も出来ずに恐怖した、あの万丈が、あの破嵐万丈が。その恐怖の中で例えば髪の毛が白くなったり、精神を病んだとしても不思議はない、そのようなエピローグも有りうる。だがそんな結末がいいんだろうか。

僕は嫌だ、とは作者の中から生れた言葉だと誰もが気が付いている、それは神は死んだと置き換えてもいいくらいの言葉だ。何が厭なのか、と言う問う。物語は死んだ、でも、物語を終わりたくない、どうとでも解釈可能だ。超人でいる事を主人公が拒んだ、と見てもいい。このような主人公で居続ける事に意味があるのか、超人の役に何の意味があるのか、と。

仕方ないわ、住む世界が違うんだから

鶏が鳴き魔法が解けた事を告げたのである。延々と続ける事が可能なダイターンという作品にここで決別したのだ。万丈が居ると思われる部屋から明かりが洩れる。

もう会わす顔がない、と言う事を物語は告げている、超人の時間は終わったのだから。何かと決別した相応しい最終話ではないか。

なぜラストは明るいか、これで自明である。それぞれが超人でなくともよいと告げたのだ。そうでなくとも生きてゆけると語る。彼らはやっと役目から解放されたのである。また始まる日常、ただ主役であった破嵐万丈だけが顔も会わせずに別れる、それはいつかまた呼び出されるかも知れない事を知っているから。

また今日と同じ明日が来るにしても、今はここで終わりにしておこう。もうここは住む世界ではなくなってしまうから。一度お別れをして物語を終えよう。そうすればまた明日が訪れるから。

それぞれが自分の役から解放されて自分の家へと戻る。これは彼らの始まりだから最後のオープニングテーマが流れる。たとえ明日また会うにしても。

そしてラストの、ギャリソンの1、2、スリー。

彼は知っていたのだ。

2011年2月12日土曜日

戦闘メカザブングル - 富野由悠季

戦闘メカザブングルの本質には、良く泣くこと、気持ちいい泣きっぷりの健全さがある。

三日の掟は、物分かりがいい象徴であって、物忘れがいい事の象徴である。
三日逃げ切ればそれでよしとするあっけらかんとした世界で、
それを拒絶し過去に縛られる主人公アモスが仲間を巻き込みながら先の世界へと進んでゆく物語だ。

西部劇の風と荒涼とした大地で文明から逃れられないイノセントと
自分たちの謎を解き明かし生き方を決めていったシビリアンとを対決として描き切っている。

過去を忘れていないイノセントと対立する構図を通して、
文明とは、何時しか自分達の生き方さえ決められなくするのではないか、文明とは呪縛ではないか、
そんなテーマを予感させる構図となっている。

と思ったら大間違い。

嫌な事は嫌といい、主張しては大泣きする。
それだけの気持ちのいい話。

それが、この世界観と明るさ。

未来があるからみんなが明るいわけではない。
今を思いっきり泣き、笑い、悩み、動き、腹を立てる。

未来が明るい展望だから明るいなんて詰まらない。
不安と明るさの同居があるから、泣き、笑い、悩み、動き、腹を立てる。

何故、ここまでこの作品は明るく描けたのだろう。

セリフは観客を意識していた、つまり、作中に文化の香りとしての演劇が登場したが
彼ら自身、演者なのである。勿論、ふざけていたのだろう、スタッフが。

スタッフの悪乗りを通用させて、何をしようとしていたのだろうか。

視聴者の笑いを誘わなければ狙えない世界観があったはずなのだ。

視聴者が良く笑うから、作中でよく泣ける。
誰かを泣かすために泣くのではない、ただ泣くのだ、

悲しみを分かってくれとは言わない、
ただその悲しみの時間を待ってて欲しい。

この作品では人の死ぬシーンは極めて少ないが、
作中では簡単に死ぬし殺す。
三日の掟とは、命の軽さの象徴でもある。

それは何かのアンチテーゼになっているのか。

物語の都合で殺されるくらいなら、いっそ軽く死んでやる。
そういう世界観はあるまいか。

三日の掟とは、実はアニメーションのキャラクター達の使い捨ての象徴ではないか。

当時のスタッフがそう考えていたかどうかではない。
この世界をよく見渡してみれば、そう言う事もできないか、それを本質と言えないか。

それをキャラクター達は拒絶した、俺達は使い捨てされない、俺達の世界で好きにする。
イノセントはスタッフの象徴でさえあった。

であれば、主役達よりも前にサブキャラ達が既にイノセントと対立していた理由も分かりやすい。
彼らこそ、最もよく使い捨てされていたのだ。

そうやって、キャラクターが極めて作品から独立して存在する。
まるでイノセントのように、ストーリーを成立させるために作り出されたキャラクターではなく、
住む世界があり、キャラクターが生き、そこにわずかばかりのストーリーを重ねたのだ。
スタッフが作中からストーリーになりそうな出来ごとを見つけ出し繋ぎ合せたかのような作品だ。

ザブングルグラフィティが継ぎ接ぎだらけなのもそのためか。

彼らは渡された脚本の上でストーリー通りに演じることを嫌った。
嫌な事は嫌だ、と答えた。
彼らに与えられた世界は受け入れても、それ以上は嫌だと言った。

感動させる話?泣ける話?怒りの話?
そんなものは嫌だといい、俺達が感動した時に、勝手に感動してろ、
泣いた時にもらい泣け、怒っている時に、一緒に怒ればいいじゃないか、そういう話だ。

この作品は、ザンボット3、ガンダム、イデオン、ダンバインらとは違う。

何が違うかと言えば、地球が違う。
この作品には、この世界の延長線上にある地球がない。

そして、彼らは自分たちが生きられる世界をスタッフに要求した稀有な存在だ。
彼らはスタッフと裏取引をし、その世界で生きていった。

そうしなければ、このキャラクター達が生きていける世界にはならなかった。
演出に従って動き、本物であるかのように振る舞う演技なんざまっぴらだ、
その世界に生き、キャラクタ―がそのまま生きている、演じろというなら大根芝居でも見せるさ、

アニメーションの世界で物語の外に生きるキャラクターを創造したのではないか。

例えば、オープニングやエンディングの哀しげな風、ブルースが口ずさむ。
これは彼らの本心なのかもしれない。

スタッフがそこを離れ、その世界に残されたままになっても、今も彼らはゾラの大地に住んでいる。

この作品を見ているとチルの存在の大きさに気付く。
彼女の世界観は、作品の存在と大きく重なり合うのだ。
ストーリーと何も関係することなく、一番純粋な喜び、泣き、笑う存在。

このキャラクターがいることが作品に一つの世界を与えている。
この作品はチルのために存在し、その他はみな脇役だ。

だからといって、この子供が中心ではない、主役だが脇にいる。
脇役が中心にいる、そういう世界。

ザブングルとは作られたストーリーではない、一つの存在する世界だ。
どんな困難も局面も、それをどうするかはキャラクター達の好きにする。

これは、ザブングルというドキュメンタリーではなかったか。