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2013年2月9日土曜日

2013 センター試験国語 - 小林秀雄 「鐔」

センター試験で問われるのは小林秀雄の考え方などでは当然ない。文章の構造を紐解き、関係性を把握する事だ。別の言い方をするなら、書かれた言葉を幾つかの塊(フレーズ)に分解して、図式化する事だ。内容などアーでもベーでも関係ないのである。

読み易さとか分かり難さと言うものはある。だが国語のテストとは意見のトレースではないし反論でもない。もちろん作者の考えを予め知っておいた方が、分かり易くなる面はある。こう考えるからこうなるであろう、と推測がし易い。それは数学であれ、科学であれ、あるいは日常生活のどこであれ当たり前の話だ。

鍔 (鐔、つば) というものを、ふとした機会から注意して見始めたのは、ここ数年の事だから、未だに合点のいかぬ節もあり、鍔に関する本を読んでみても、人の話しを聞いてみても、いろいろ説があり、不明な点が多いのだが。

無論、刀剣とともに古いわけだが、普通、私達が鍔を見て、好き嫌いを言っているのは、室町時代以後の制作品である。何と言っても、応仁の大乱というものは、史上の大事件なのであり、これを境として日本人の鍔というものの見方も考え方も、まるで変って了った。所謂鍔なるものは、この大乱の産物と言ってよいのである。私は鍔を弄ってみて、始めて、この事実に、はっきり気付いた。政令は無きに等しく、上下貴賤の差別なく、同僚親族とても油断が出来ず、毎日が、ただ強い者勝ちの刃傷沙汰に明け暮れるというような時世が到来すれば、主人も従者に太刀を持たせて安心しているわけにもいくまい。いや、太刀を帯取にさげ佩いているようでは、急場の間には合わぬという事になる。やかましい太刀の拵 (こしら) えなどは、もはや問題ではない。乱世が、太刀を打刀 (うちがたな) に変えた。打刀という言葉が曖昧なら、特権階級の標格たる太刀が、実用本位の兇器に変じたと言っていい。こんな次第になる以前、鍔は太刀の拵え全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、拵え無用の打刀となってみても、実用上、鍔という拵えだけは省けない。当然、実用本位の堅牢な鉄鍔の制作が要求され、先ず刀匠や甲冑師が、この要求を満たすのである。彼等が打った素朴な板鍔は、荒地にばらまかれた種のようなものだ。

誰も、乱世を進んで求めはしない。誰も、身に降りかかる乱世に、乱心を以て処する事は出来ない。人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形にでも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鍔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鍔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鍔の姿を追って行くと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。


信家作と言われる或る鍔に、こんな文句が彫られている。「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもはぬ」。現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、稚拙な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。これは文句ではない。鉄鍔の表情なので、眺めていれば、鍛えた人の顔も、使った人の顔も見えて来る。観念は消えて了うのだ。感じられて来るものは、まるで、それは、荒地に芽を出した植物が、やがて一見妙な花をつけ、実を結んだ、その花の実の尤もな心根のようなものである。

鍔好きの間で、古いところでは信家と相場が決まっている。相場が決まっているという事は、何んとなく面白くない事で、私も、初めは、鍔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。信家、金家については、はっきりした事は何も解っていないようだ。銘の切り方から、信家、金家には何代かが、何人かがあったと考えられるから、室町末期頃、先ず甲府で信家風の鍔が作られ、伏見で金家風の鍔が作られ始めたというくらいの事しか言えないらしい。それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。

井戸茶碗の身元は不詳だが、茶碗は井戸という言葉はある。同じ意味合いで、信家のこれはと思うものは、鍔は信家といい度げな顔をしている。井戸もそうだが、信家も、これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるのか、と質問して止まないようである。それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏 (リズム) のようなものだ。信家は、武田信玄の鍔師で、信という字は信玄から貰った、と言われている。多分、伝説だろう。だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。伝説は、何時頃生まれたのだろう。「甲陽軍鑑」の大流行につられて生まれたのかも知れない。「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで、幾つでも偽書が現れるほど、武田信玄や高坂弾正の思い出という本物は、生き生きとして、当時の人々の心に在った事を想えば、別段面白くもない話である。何時の間にか伝説を生み出していた鍔の魅力と伝説であって事実ではないという実証とは、何んの関係もない。こんな解り切った事に、歴史家は、案外迂闊なものなのだ。魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。

信家の鍔にぶら下がっているのは、瓢箪で、金家の方の図柄は「野晒し」で、大変異なったもののようだが、両方に共通した何か一種明るい感じがあるのが面白い。髑髏は鉢巻をした蛸鮹 (たこ) のようで、「あら楽や」と歌っても、別段構わぬような風がある。

この時代の鍔の模様には、されこうべのほかに五輪塔やら経文やらが多く見られるが、これを仏教思想の影響というような簡単な言葉で片付けてみても、どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。戦国武士達には、仏教は高い宗教思想でもなければ、難しい形而上学でもなかったであろう。仏教は葬式の為にあるもの、と思っている今日の私達には、彼らの日常生活に糧を与えていた仏教など考え難い。又、考えている限り、空漠たる問題だろう。だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。

何時だったか、田辺尚男氏に会って、平家琵琶の話しになった時、平家琵琶ではないが、ひとつ非常に古い琵琶を聞かせてあげよう、と言われた。今でも、九州の或る処には、説教琵琶というものが遺っているそうで、地鎮の祭などで、琵琶を弾じながら、経文を誦する。それを、氏の音楽講座で、何日何時に放送するから、聞きなさい、と言われた。私は、伊豆の或る宿屋で、夜、ひとり、放送を聞いた。琵琶は数分で終わって了ったが、非常な感動を受けた。文句は解らないが、経文の単調なバスの主調に、絶えず琵琶の伴奏が鳴っているのだが、それは、勇壮と言ってもいいほど、男らしく明るく気持ちのよいものであった。これなら解る、と私は感じた。こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない、と感じた。仏教を宗教だとか思想だとか呼んでいたのでは、容易に解って来ないものがある。室町期は時宗の最盛時期であった。不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。彼等は戦うものの最期を見届け、これをその生国の人々に伝え、お礼などを売りつけて、生計を立てていたかも知れない。そういう時に、あのような琵琶の音がしたかも知れない。金家の「野晒し」にも、そんな音が聞こえるようである。


鉄鍔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鍔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鍔は、もう私の興味を惹かない。鍔の面白さは、鍔という生地の顔が化粧をし始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鍔に行く道はない。

鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鍔を透鍔 (すかしつば) と言うが、この透というものが鍔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鍔の基本的な装飾たる事を止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、何時の間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地鉄を鍛えている人が、そんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は、実用と手を握っている。透かしの美しさは、鍔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鍔の装飾は、大地を奪われ、空疎な自由に転落する。名人芸も、これを救うには足りぬ。


先日、伊那にいる知人から、高遠城址の桜を見に来ないかと誘われた。実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。高遠には、茅野から杖突峠を越えて行く道がある。峠の下に諏訪神社の上社がある。雪を残した八ヶ岳の方から、冷たい風が吹いて、神社は森閑としていた。境内の満開の桜も見る人はなかった。私は、高遠の桜の事や、あそこでは信玄の子供が討ち死にしたから、信玄の事など考えていたが、ふと神殿の後ろの森を見上げた。若芽を点々と出した大木の梢が、青空に網の目のように拡がっていた。その上を、白い鳥の群れが舞っていたが、枝には、近付いて見れば大壺ほどもあるかと思われる鳥の巣が、幾つも幾つもあるのに気付いた。なるほど、これは桜より余程見事だ、と見上げていたが、私には何の鳥やらわからない。社務所に、巫女姿の娘さんが顔を出したので、聞いてみたら、白鷺と五位鷺だと答えた。樹は何の樹だと訊ねたら、あれはただの樹だ、と言って大笑いした。私は飽かず眺めた。そのうちに、白鷺だか五位鷺だが知らないが、一羽が、かなり低く下りて来て、頭上を舞った。両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は伸びて、堅い空気の層を割る。私は鶴丸透かしの発生に立会う想いがした。

(小林秀雄「鐔」による)

図式化は要約や中心となる単語を抜き出す。それがどのように流れるかを追跡する。文章同士の関係性は、肯定、否定、だけで十分だ。流れを押さえながら、こうだからこうなるという展開を理解する。ではやってみよう。

文章の段落ごとに単語を抽出する。

段落 1
  • (鍔)
これから鍔について語るが自分は詳しくないと断っている。これから語る事は全くの個人的な想いであり経験であると読者にお断りをしているわけである。当然ながら間違いや勘違いがあっても仕方ないという免責の通告もここに兼ねている。勿論、そう書くのは自分の書く内容に不安を覚えているからではなく、恐らく、これから鍔については書くんだけど、鍔の専門的な話なんて書かないし書けねぇなあ、という事は内容はきっと鍔の話しから他の話しに移るに決まっていて、またそうでなくちゃ面白くない、どういう話題に移って行くかは書いて見ないと分からないが、そういう次第でこれから書くのは鍔から始まるお話ではあるが鍔だけのお話ではない、というような事を思いながら書き出したと思われる。

段落 2
  • (鍔)は(室町以後)
  • (応仁の大乱)によって(太刀)から(打刀)に変わった
  • それが(実用本位の堅牢な鉄鍔)を生んだ
  • (荒地にばらまかれた種)
これは導入部であり鍔の歴史と状況をかいつまんで説明している。応仁の大乱によってまず刀が変った。それに併せて鍔も変わった。どう変わったかは上に示す通りであるが、その変わったもの (見方も考え方も) (荒地にばらまかれた種) であると指摘する。種という比喩によって鍔は変わったのだが、それが次に芽を出し花を咲かせるかも知れないと続けたい事が分かる。賢明な人は撒かれた種が芽を出すとは限らない事もこの文章から読み取ってよいのである。この時点では種がどうなったかまでは語っていない。それでもこの種がどうなるかがこれからの展開の主題であると読み取るのは間違いではない。ではそれが彼の言いたい結論であるかと問えば、それは違うのであるが。

段落 3
  • (乱世)にも(止むにやまれぬ心)がある
  • それが(兇器)の一部を(鍔)という姿に変えてゆく
  • (不断に静かに鳴っているもう一つの音)
鍔というものが機能本位の部品ではない、と言いたいのであるが、この転調は少々強引ではある。機能美というものもあるから、そういう美しさを鍔が持つに至ったと言えば済む話である。しかし、人は、鍔という (兇器) の中にも (平常心を、秩序を、文化) を捜せねば生きていけぬと主調する。なぜか機能と関係のないものが鍔に潜む事を知っているからだ。装飾と言うものが、この (下剋上) の中にも鍔の中に見て取れる。それは機能美ではもう済まぬから (装飾) とわざわざ呼ばざるを得ないのである。鍔を見ていると、乱世の中で生きていた血と殺戮とは全く違った何かがそこにある、と感づいた。それを音として捉えたのは、先ほど登場した (種) とはまた違う例えである。

段落 4
  • (信家)
  • (あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもわぬ)
  • (観念)ではなく(眺めていれば)
  • (鍛えた人の顔も)(使った人の顔も)(見えて来る)
  • (荒地に芽を出した植物)の結実
そうやって感じられるものが (花の実の心根) であると言う。撒かれた (種) がここに咲き結実した。もう少し植物に例えるかと思ったら、そうではないようである。と言う事は植物の例えはあまり上手くないと感じたのかも知れない。さて、鍔を眺めていれば感じられると書いてある。ただ眺めていたのでは足りない。人の顔が見えて来るように感じなければそれは感じられないと言っている。(言葉だけを辿って) みれば、この (稚拙な歌) は次のような意味、もちろん多彩な解釈が可能なのだが、になるであろうか。

人が殺されても何んら感じることなく、だから私が殺されても誰も何も感じる必要はない、それは何とも楽な生き方ではないか。

あら楽や人が人とも思はねば人を人とも思はざりけり (元政)

他人が人扱いしないのであれば、私も人をそう扱う、なんとも楽な話だ。

どうであれ、その後に、そんな訳あるか、と続くのであるが、そういう無情を嘆くより、それを刻んだ人の顔を思い浮べる方がいい。もし目が合ったならきっと笑うのではないか、と語っているのだ。

段落 5
  • (信家、金家)
この段落は鍔について何も知らない人からすれば、信家、金家の名を知るだけである。鍔の世界には鉄壁な二人がいて、それも単なる世評ではなくどうもどう見た処でこの結論には変わりはなさそうと言う述懐を聞かされる。(贋作) も多いと断るのは迂闊に購買しようとする人を牽制するためだろうか、だが真贋 (この題名の別の作品がある) について述べる気はない。この段落は主題をこれから進める為の気分転換としての役割を果たす。さあ必要な知識は信家と金家の名前とその凄さだけであると。

段落 6
  • (井戸茶碗)
  • (これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるのか)
  • (確定した形というより)
  • (轆轤や槌や鑿の運動)
  • (「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで)
  • (武田信玄や高坂弾正の思い出という本物)がある
鍔の魅力を言葉で語ろうとする。鍔とは形の面白さではないのだ。鍔を眺めていれば、そこに今ある運動そのものが見えて来るのだと語っている。人を惹きつける謎はいっこうに解かれないがそういうものがある。そこに魅力がある事は疑いようがない。

だから (別段面白くもない話) になるのだ。何がと言えばその少し前にあるそれを (想えば) 面白くないのだ。その想う事とは (生き生きと) した思い出である。思い出と比べれば面白くない。何がと言えば「甲陽軍鑑」が偽書と断じるような事である。偽書であるかどうかにはまた別の面白さもあろうが、伝説をそう断じてそれでお終いにするのは面白くない、と言っているのだ。(事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ)。そこで指す事実には「陽軍鑑」を偽書にまでした人々の心が抜け落ちているではないか。偽書や伝説がある以上、そこにそういう心が在った事は紛れもない事実だ。この事実をなぜ無視してしまうのか。それを (迂闊) と呼んでいるのだ。

段落 7
  • (信家)の(瓢箪)
  • (金家)の(「野晒し」)
  • 明るい感じ
落語好きの弁によればこれはもう井戸の茶碗と併せて落語の題目に引っ掛けているらしい。解る人だけくすっと笑えばいい程度の冗談であろう。戦国から江戸期までの造形にはなんとも言われるユーモアが溢れていてそういう類いの事を語っているのだと思うが、楽しい感じがするのは解る気がするのである。

段落 8
  • (仏教思想の影響)、(知識の遊戯)、(宗教思想)、(形而上学)ではなかった
  • (日常品にほどこされた)(仏教的主題を持った装飾)
  • (彼等の感受性)
図柄や模様から知識で理解しようとしてもそれは違うと語っている。彼らの仏教と我々の仏教は既に違う。その違っている仏教が分かるだろうかと、もう一歩踏み込んでもいいくらいである。(考えている限り、空爆) とは彼等と同じ仏教の考えを理解したところで、得心などできやすまい。それよりも鍔を見て感じられるその彼等の感受性と時を共にする方がいいと言うのである。しかし、それで分かる、とは決して言いきっていない事に注意を要する。

段落 9
  • (平家琵琶)(説教琵琶)(これなら解る)
  • (仏教を宗教)(思想と呼んでいたのでは)(解って来ない)
  • (時宗)
  • (そんな音が聞こえるようである)
音と言えば、前の段落の (不断に静かに鳴っているもう一つの音) と無関係の訳がない。この時代にあった独特のものと鍔や琵琶を通して出会う経験をしている事が理解できるはずである。そういうものを通して自分が得た (感受性) を語ろうとしているに違いない。

段 10
  • (鉄鍔)(平和が来て)(金工家が腕を競う)(私の興味を惹かない)
  • (鍔の面白さ)(鍔という生地の顔)(化粧)
平和の訪れが産み出した鍔は小林の興味を惹かない。彼は工芸や装飾を見ているのではない。どういう状況にでも装飾をせずには居られなかった人の心というものを想い、それが形になったものだけから、その心に戻れると書いている。だから (化粧から鍔に行く道はない) と言う。化粧からはそういう心が見つからないのだと言う。

(人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形にでも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ) と語る小林が、ではなぜ平和な時代の鍔を (そうなった鍔は、もう私の興味を惹かない) と言うのか。化粧にもそういうものが入り込むはずである。どの時代のどのような所にも人の心が結晶化するはずではないか。どこにでも入り込むという以上、応仁の乱以前も大平の世であろうと入り込んでいるはずである。そこには見つからないのか、見つけられないのか、知っていても通り過ぎるのか、読者に解るわけもない。だが小林は別段で (まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいる) と一言付け加えている。そういう次第である。

段 11
  • (透かし鍔)(最初の化粧)
  • (ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りた)のだが
  • (装飾)(実用)(手を握っている)
  • (地金という素材の確かさ)
(装飾) は作る人か使う人かは解らぬが自然と鍔の中に生まれたのだと言う。その自然さは (水をやれば) (芽を出したであろう) とも例える事ができる。そうして生まれた装飾がでは鍔の実用性を落としているかと言えばそんな事はない。美しい装飾のある鍔は、実用性においても確かなものだと言う。装飾さえも機能美のひとつであると言って構うまい。だから戦がなくなり、機能が求められなくなると、装飾もまた (空疎) になったのだ。鍔を鍔たらしめるには、確かに鍔を機能として成立させるものが必要であった。鍔というエンジニアリングと結びつかないアートは (空疎) だと言う。

段 12
  • (両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は伸びて、堅い空気の層を割る。)
鷺の飛ぶ姿を見た。その鷺がどういう了見で (低く下りてきた) かなどどうでもいい。巣を守るためかもご乱心かも知る必要がない。ただその飛ぶ姿が美しかったのである。という事をこの一文で表現しているのである。この鷺の表現が全てであって、この自然の中に見える美しさというものがなくて、装飾や模様への着想が生まれるものではないと深く確信している。ああ、こういう姿を見た時に、きっと鶴丸透という図案が思い付かれたのだ。どんな乱世の中にあったとしても昔の人もまた今の自分と同じように鳥の姿に心を震わしたのだ。でなければあんな文様を思い付くはずがない。

植物と音を両輪として鍔を巡る話しをここまで展開してきた。鍔の装飾のその心性にあるものは植物が自然と咲く力と同じであった。その背景には連綿と続く流れがある。流れとは川や音楽の例えだ。最後に森の中で鷺を見る。聳え立つ樹は芽吹いた植物の姿であり (固い空気を割る) 音がはっきりと聞こえていたのである。そのふたつが結び付いて鶴丸透かしという形が成った。それはとても静寂な光景である。

さてこの作品を出題者はどう考えたであろうか。数多くの受験生がいる。その一部でいいから、この問題文で小林の文章に触れ、面白いと思ってくれないか。そう思っていてくれたら嬉しい。現役で合格しようが、一浪しようが、出題者にとってはなんら困る事はない。ならば、この人の作品を一度、じっくりと読んでみてくれないか。受験生には迷惑な話だがセンター試験はそれをする絶好の機会であった。

問題文は作者との対話では決してない。これは出題者との対話だ。回答として提示される 5 択の文章を書いたのは作家ではない。出題者が書いたものだ。そこには、その人の全てが入り込む。詰まらない人間性までが入り込むのである。誓ってもいいが、この出題者だって小林秀雄の何かが全部解っているわけではないのである。と言うか絶対に分かっちゃいない。テスト問題のような人間味の少ない文章の中に、この出題者のどんな人間性が見つかるだろうか、それをこれから試してみようと思う。小林秀雄好きであったら嬉しいな。

「日本人の鍔と見方も考え方も、まるで変って了った」を説明している文章。
  1. 鍔は応仁の大乱以前には[富や権力を象徴する刀剣の拵えの一部]だったが、それ以後は命をかけた[実戦のための有用性]と、乱世においても[自分を見失わずしたたかに生き抜くための精神性]とが求められるようになったということ。
  2. 鍔は応仁の大乱以前は[特権階級の富や権力を象徴する日用品]としての美しさが重視されていたが、それ以後は[身分を問わず使用]されるようになり、平俗な[装飾品としての手ごろさ]が求められるようになったということ。
  3. 鍔は応仁の大乱以前には実際に[使われる可能性の少ない刀剣の一部]としてあったが、それ以後は乱世を生き抜くために[必要な武器となった]ことで、[手軽で生産性の高い簡素な形]が鍔に求められるようになったということ。
  4. 鍔は応仁の大乱以前には[権威と品格とを表現する装具]であったが、それ以後、[専門の鍔工の登場]によって[強度が向上してくる]と、乱世において[生命の安全を保証してくれるかのような安心感]が求められるようになったということ。
  5. 鍔は応仁の大乱以前には刀剣の拵えの一部に過ぎないと[軽視されていた]が、乱世に於いては[武器全体の評価を決定づけるもの]として注目され、戦いの場で[士気を鼓舞する]ような[丈夫で力強い作り]が求められるようになったということ。

まず解答欄の文章を分割して図式化する。試験とは出題者の文章を丹念に読み解く事だ。文中にある [] がキーワードになる。それぞれが本文のどこと対応するかを確認する。ここで注意すべきは本文とどう対応するかであり、自分の考えや作家の考えも関係ないのである。注目すべきは文中にその記述が出現するかである。[] で括った部分が本文のどこかの文章と一致するかまたは一致しないはずである。それを捜しだしてみよう。

問題文該当箇所
1.富や権力を象徴する刀剣の拵えの一部特権階級の標格たる太刀が
実戦のための有用性実用本位の堅牢な鉄鍔の制作が要求され
自分を見失わず直接的な記載はない
したたかに生き抜く所謂「下剋上」の産物
ための精神性直接的な記載はない
2.特権階級の富や権力を象徴する日用品日用品の記述なし
身分を問わず使用所謂「下剋上」の産物
装飾品としての手ごろさ手ごろさの記述なし
3.使われる可能性の少ない刀剣の一部急場の間には合わぬ
必要な武器となった実用本位の兇器に変じた
手軽で生産性の高い直接的な記載はない
簡素な形彼等が打った素朴な板鍔?
装飾の有無や簡素と違うのか?
4.権威と品格とを表現する装具特権階級の標格たる太刀が
専門の鍔工の登場専門の鍔工が現れ
強度が向上してくる実用本位の堅牢な鉄鍔
生命の安全を保証してくれるかのような安心感安心感の記述なし
5.軽視されていた特権階級の標格と矛盾
武器全体の評価を決定づけるもの評価を決定の記述なし
士気を鼓舞する士気の記述なし
丈夫で力強い作り実用本位の堅牢な鉄鍔

実の処、予備校が示す正解は 1 である。考え方という限りは精神性について述べているべきであるというのがその論拠である。もちろん東進予備校の教師陣も(この選択肢の書き方にはやや疑問を感じる)と記載する。この選択肢を厳密に読み解けば正解はない。だが問題文には「もっとも適当なものを選べ」とある。正しいものを選べではない。「もっとも適当」という場合、全ての間違いの中からもっともマシなものを選べという意味になる。つまり政治の選挙と同じなのである。

それでも (自分を見失わず) というのは捉え方が難しく (したたか) や (精神性) も解釈が幾らでも出る。最大限の拡大解釈をもって強いて言えば間違いではないという観点から選択する必要がある。憲法 9 条問題とも通じる話かって言いたくなる。

番号応仁の乱以前変ったもの
1.刀剣の一部精神性が求められる
2.日用品手ごろさが求められる
3.刀剣の一部生産性と簡素な形が求められる
4.装具安心感が求められる
5.軽視士気の鼓舞が求められる

無駄を削ぎ落しても 1 か 3 でやはり迷う。鍔に求めたものは生産性や形かそれとも精神性であるかという選択である。例えば iPhone という携帯電話は世界の見方や考え方を変えたものであるが、それは何等かの精神性を求めた訳ではない。Jobs とその仲間たちがワクワクしながら考え抜いたエンジニアリングの結晶である事に間違いはないが、それがどういう精神性を求めたのであろうか。形を求める事は精神性を含まないと思うのだろうか。だが出題者は恐らく、生産性や形よりも、精神性の方が見方や考え方に近いと感じているようである。生産性よりも精神性の方が上等な言葉と思っているならば、答えは 1 である。

「どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。」にある筆者の考え。
  1. 仏教を戦国武士達の日常生活の糧となっていた思想と見做すのは軽率というほかなく、彼等と仏教との関係を現代人が正しく理解するには、説教琵琶のような、当時滲透していた[芸能に携わるのが最も良い手段]であるという考え。
  2. この時代の鍔にほどこされた五輪塔や経文の意匠は、戦国武士達にとって仏教が、ふだん現代人の感じているような暗く堅苦しいものではなく、むしろ[知的遊びに富む]ものであることを示すのではないかという考え。
  3. 戦国武士達に仏教がどのように浸透していたかを正しく理解するには、[文献から仏教思想を学ぶ]ことに加えて、例えば説教琵琶を分析して[当時の人々の感性を明らかにする]ような方法を重視すべきだという考え。
  4. この時代の鍔の文様に五輪塔や経文が多く用いられているからといって、[鍔工や戦国武士達が仏教思想を理解していた]とするのは、例えば仏教を葬式のためにあると決めつけるのと同じくらい[浅はかな見方]ではないかという考え。
  5. 戦国武士達に日用品と仏教との関係を現代人がとらえるには、それを観念的に理解するのではなく、説教琵琶のような、当時の生活を反映した文化にじかに触れる事で、[その頃の人々の心を実感する]ことが必要であるという考え。

ミサイルから回避するために軍用機はフレアやチャフを発射する事がある。こういった選択肢も必要な言葉の周りに欺瞞装置で固めているものである。削りに削ってゆくと、どうしてもこれ以上は削れない部分が残る。それ以外は捨て去るのがよい。と言う事はこれらの文章を書いた人は初めから削り取られるための日本語を書いていると言う事になる。例えば(当時の生活を反映した文化にじかに触れる事)という文章も厳密に読めば正しくはない。本文にある(こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない)が、当時の生活を反映した文化という言い回しと合致する保証がどこにもないのである。これらは表現で惑わし悩むように作られた日本語であり、消し去る以外の対応はない。意味不明だがなんとなくこうか、という様な自己解釈をしてはいけない。斜線で消し去ってしまう以外にない日本語である。解答は 5 。

「もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。」はどういうことを例えているか。
  1. 実用的な鍔を作るためには鉄が最も確かな素材であったので、いくつもの流派が出現することによって文様透の形状は様々に変化していっても、[常に鉄のみがその地金であり続けた]ことを例えている。
  2. 刀剣は実戦で使用できるようにするために鍔の強度と軽さとを追求していく過程で、鉄という素材の質に見合った透がおのずと産み出され、日常的な物をかたどる[美しい文様が出現]したことを例えている。
  3. 乱世において武器として活用することができる刀剣の一部として鉄を鍛えていくうちに、長い伝統を反映して必然的に自然の美を表現するようになり、それが[美しい文様の始原となった]ことを例えている。
  4. 「下剋上」の時代において地金を鍛える技術が進歩し、鍔の素材に巧緻な装飾を施すことができるようになったため、[生命力をより力強く表現した文様]が彫られるようになっていったことを例えている。
  5. 鍔が実用品として多く生産されるようになるにしたがって、刀匠や甲冑師といった人々の技量も上がり、日常的な物の形を[写実的な文様]として固い地金に彫り抜くことが可能になったことを例えている。

(鉄のみが地金であり続けた)、(文様の始原)、(生命力)、(写実的) は記載がないので消去。解答は 2。

「私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。」の理由。
  1. 戦乱の悲劇が繰り返された土地の雰囲気を色濃くとどめる神社で、巣を守り続けてきた鳥の姿に、この世の無情を感じ、繊細な鶴をかたどった鶴丸透が[当時の人々の心を象徴する文様]として生まれたことが想像できたから。
  2. 桜が咲き誇る神社の大樹に棲む鳥がいくつも巣をかけているさまを見て、武士達も太刀で身を守るだけでなく、鍔に鶴の文様を抜いた鶴丸透かを彫るなどの工夫をこらし、[優雅な文化を作ろう]としていたと感じられたから。
  3. 神社の森で巣を守る鳥が警戒しながら飛び回る姿を見ているうちに、生命を守ろうとしている生き物の本能に触発された金工家達が、翼を広げた鶴の対照的な形象の文様を彫る[鶴丸透の構想を得た]ことに思い及んだから。
  4. 参拝者もない神社の満開の桜が咲く華やかな時期に、大樹を根城とする一羽の鳥が巣を固く守る様子を見て、討死にした信玄の子供の不幸な境遇が連想され、鶴をかたどる鶴丸透に込められた[親の強い願い]に思い至ったから。
  5. 満開の桜を見る者もいない神社でひたむきに巣を守って舞う鳥に出会い、生きるために常に緊張し続けるその姿態が力感ある美を体現していることに感銘を受け、鶴の文様を抜いた[鶴丸透の出現を重ね見る]思いがしたから。

番号何をどうした
1.象徴する文様を想像した
2.優雅な文化を感じた
3.構想を得たと思い及んだ
4.親の強い願いを思い至った
5.鶴丸透の出現を見る思いがした

3 か 5 で迷うが (金工家達) の記述がやや怪しい。(鍔工)であれば適切であったかも知れない。(生命を守ろうとしている)の記載が本文中にないから 3 は間違いだという解説もあるが、それなら 5 の (生きるために常に緊張し続けるその姿態) も記載はない。決め手としては (思い至った) と (重ね見る思いがした) の違いであろうか。思い至るとは考えがまとまる意味であり、思いがしたのは心の中で湧き上がったものであろう。文中の表現は感嘆と読み取るべきで、理解、解ったではない。と言う様に設問者の思惑を見る思いがしたわけである。解答は 5。


これらの問題を見て分かったのだが、この試験の出題者には美しい言葉も簡潔な言葉も書く気はさらさらない。ここには空疎な事務仕事のような言葉しかなかった。大変に残念なことだがこの出題者は小林に対して何一つも思い入れがない。国語便覧で得たもの以上の知識も経験も体験もない。ただサイコロで題材を決め、問題文を書いてみせた。おそらく設問作りのプロであろう。プロと言う呼び方が悪ければそのルーティンワークをする人である。機械のように決められた入力に決まったアウトプットを出力する。この出題者は設問をただの構造としか見ていない。設問の方にこそ言葉のあからさまな構造が潜んでいたのである。それでも第一問のように選択肢に世界観やものの見方が現れる。自分の底の浅さをさらけ出す恐怖である。

これは騙し合いのゲームであるか。ゲームとに優れる者が有利であるか。何故そこまでするかと言えば、誰も彼もを一列に順序良く並べたいからだ。これを作った出題者も当然ながら受験生を振るいに掛け、順番に並べる事に注力している。そうしないとこの国の官僚採用システムが機能しないのだ。採用年度までに並び替えておく必要がある。多くの大学や企業がこの並び替えシステムを利用する。その必要性は認めるし代替案もないが、出題者の日本語は、文を装飾する事で意味を紛らわせ、化粧の一切を捨て去って初めて意味が見えてくる、また受験生にそう強いるものであって、装飾について語る本文の緊張感と比べると、遥か遠くにある日本語である。

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