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2023年6月17日土曜日

錯聴

はじめに

聴力には、物理学としての音波に対して、その振動を捉える耳の器官、それを脳の回路へと伝達する神経網、聴力細胞からのシグナルを音の認識に変換する細胞群、それが意識に通知される仕組みとして模式化できる。

聴力の良さと言う場合、それぞれの段階毎の検証をしなければ良さの識別が出来ない。耳が良いという話もどの部分がどのように優れているかと言う話になる。其々に個体差がある。更には成長や老化、環境要因、気温、湿度、高度なども考慮に入れれば一概な話ではない。

耳の可聴域には物理学的な制約がある。空気の振動を均一に鼓膜で捉え、それを耳小骨の振動に変換する。空気の振動から骨の振動への変換で、この振動を蝸牛が受け取り、xyzの三次元方向で神経の電気信号に変換する。

つまり、人間が三次元で生きているのは、蝸牛の構造に基づくと言って良いと思われる。

いずれにしろ、耳にも構造上の限界はあるので、聴力の可聴域は蝸牛までの構造に依存する。だからモスキート音が聞こえなくなったり、老化で蝸牛の神経がすり減って難聴になる。

しかし、振動を受けた脳は、音の変化から未来の変化を予測していると思う。予測するという事は現在の遷移を理想的な音の変化に当てはめているという事だ。要するに音の予測には方程式を使っている。

錯視

視力では、視神経から入ってきた情報を意識に上げる前に前処理を行っている。これが錯視の主たる原因だが、そのような誤報が生じても前処理をしなければならないのは、我々の脳の機構では、リアルタイムでは処理しきれないからだ。

このような補正が視覚では常に行われている。例えば目という器官は構造的に一度にひとつの場所にしかピントを合わせられない筈なのに、普通の生活で全景のピントが合っているように感じられる。

これはきめ細かく全景を捉えピントの合った場所を揺らす固視微動などの眼球運動を行って、複数の画像からひとつの映像世界を脳は再構築しているからである。

光は生物にとっては無限の速度、つまり0秒で到達、と前提して良いと思うが、光の速度と比例する係数が登場しても驚きはしない。生物反応の中には量子力学的現象を積極的に使っている場所だってあると思う。

とは言うものの、何が量子力学的現象かはよく分からない。先ずは原子や分子の振る舞いとしての生物を思い描く。この時、それより小さな粒子やその現象を積極的に活用しているだろうかという話になる。

もちろん、イオンや電気は使っており、化学的現象は基本的に量子力学に基づくのだから、生物は元来が量子力学的現象、特に電子を最大限に活用した反応系のはずだ。

すると、電磁気力、重力、強い力、弱い力のうち、重力と電磁気力は含まないとして、陽子、電子以外の素粒子を使用する現象、位置と運動の不確定性、フェルミ粒子の排他律、トンネル効果、軌道の基底と励起、核分裂、核融合、量子もつれなどを積極的に利用したメカニズムは持っているのだろうかという興味になる。

聴覚

同様に聴覚の信号も前後の変化やそれと密接であろう周囲の信号から補正していると考える。次の音を予測したり聞こえてない部分を補ったりはすると思う。

その働きは耳の可聴域を超えた音も生み出すだろう。すると耳の能力を超えた音を生み出し意識に届けているので、耳では聞こえない筈の高音や低音が聞こえたとしても不思議はない。

というより耳が捉えられない可聴域の境目でぷっつりと音が消えるのは不自然なはずだから、聞こえなくなるにしても、相当の補完で自然に消えるようにしているのではないか。

視覚と比べるとたぶん音の処理の方が負担は少ない。フーリエ変換と同じで波の分解とか合成もしていると思うし、音階の認識も物理学的な倍音という構造だけではなく、ある周波数帯に強く反応する細胞の分布に起因するだろうし、倍音がその細胞を特に叩きやすい性質も係わるだろう。蝸牛の中でも共鳴は発生しうる。

そしてこういう補正をする以上は、錯視ならぬ錯聴は起きる。

ただ視覚と比べると音の錯覚を生み出す事は難しい気はする。ある特別な状況を意識して生み出すにしても絵画と音楽では特殊性が異なる。絵画は不自然な人工物である(進化の歴史上の大部分で生まれていなかったものである)。音楽は楽器の音をどう変えようと自然物由来になる(進化の歴史上の大部分で接してきたものである)。

絵画で起きた錯視は一度発見すれば比較的簡単に何度も再現できる。音波の場合は特定の組み合わせに気付いたとしても、それを意識して何度も再生させなければならないし、比較対象と比べるにも何度も聞き返す必要があり、流れては消えてゆく。錯聴が起きていても気付きにくい性質なのである。

それでも耳の可聴域を超える境目の音波で錯聴は起きると思う。起きるはずと思う。どういう体験かは想像もできない。

と考えていたら先行する巨人たちの足跡がこんなにあったわけである。

Illusion Forum イリュージョンフォーラム 錯聴について | NTT Communication Science Laboratories