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2011年1月2日日曜日

私訳 - 村山談話

原題は「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
平成7年の談話、1995年、戦争から50年が経過しました。

今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
身内に犠牲者がおられる方もまだ多く存命されております。その悲しみが50年の時を経てもまだ癒えない事を思えば、いいえ、決して癒えないのだと私たちに語り掛けるのであれば、あの戦争が残したものは決して小さくなどありません。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
東京のあの焼け野原で起きた無数の蛍の墓を乗り越え、広島のはだしのゲンを生き残びた人々が、何人もの口をつぐんだ方、時流に乗った方、失望した方、多くのものを流し去り忘れ去って時代は疾走しています。平和や繁栄の定義などできるものではありません。誰かひとりが悲しむならそれでも平和と言えるのでしょうか。全ての人の平和、全ての人の繁栄など得られないのではないか。それでも、おおむね、私たちはそれなりの平和と、それなりの繁栄の中に居ます。

このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
戦後の我々を蔑むことはありません。私たちの今は、決して他の何ものからか唾棄されるようなものではありません。敗戦からの復興は私たちの誇りたりえます。

ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。
私たちは自分達だけで今の繁栄を築いたのではありません。戦後の食糧支援、中国での残留孤児。見知らぬ多くの暖かい人たちに助けられて来たのです。知らないだけであって感謝すべき人が居るのです。あなたの目の前にいる人は、その人のお孫さんかも知れません。確かに恨んでいる方も多くいるでしょう、しかし感謝すべき人々がいるのです。

また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
かつての敵国と解決していない問題が残っているとは言えども、それを武力によらぬ友好関係の中で解決できる幸福を喜ばすにはいられません。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
豊かであるゆえに、私たちは平和ボケであったり、海の向こうで起きている不幸から無関心でいがちです。

私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
無関心でいないためには、まず私たちは過去の失敗を二度と繰り返さないだけの自分達を律しなければなりません。あの悲惨で無謀で馬鹿げた戦いを二度としないこと、それが出来なければ、どうして他の国々と意見を交換し、問題を解決などしていけるでしょうか。

とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
私たちは、先の大戦を経済問題の解決策としての海外侵略を行いました。内政問題の延長上に外交がある。だからといって、内政問題の解決のために国外の領土を蹂躙する稚拙な経済政策が、アメリカと敵対した愚鈍な外交政策が、クーデターを恐れるあまり軍部の独走を御し得なかった国策が、放置されてよいはずがありません。アジアにおける信頼回復は日本が解決すべき不可欠な課題と考えます。

政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。
そのためにはおおいに歴史を研究する必要があります。問題が単なる行政上の瑕疵で済むとは思えません。おおいに研究し自覚し次にどうすればよいかを知らなければなりません。良きも悪きも知り尽くす覚悟がいるでしょう。それは私たち日本人の文化そのものにある欠点を炙り出すかも知れません。

また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
戦後処理はまだ終わっていません。何よりも私たち自身が、どうすれば良かったか、何が問題であったのかを答えられずにいるのですから。彼らの不信には耳を傾ける必要があるでしょう。”誠実に”私たちは答えを見つけ彼らの疑念に答える日までその声は無視できません。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
私たちは日本だけの世界に住んでいるのではありません。世界各国が様々な問題を抱えながらも共存する地球という星の上に居ます。既に人類のテクノロジーは誰かが誤れば人類の滅亡も可能になっているのです。未来をどう切り開くかは深刻な問題なのです。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
あの戦争への道を歩み負けてしまった過去、国家の滅亡の淵まで行ってしまった危機。私たちは戦争に負けてしまった。負ける戦争をしてしまう愚かさ。その結果、多大の損害と苦痛を与えてしまったその贖罪。もし次にもう一度やれば、次は地球ごと滅亡するかも知れない。

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
あの戦争の誤ちとはアメリカと戦争するから負けてしまったのです。負ける戦争をし、ぐずぐずと講和できなくて、多大の損害を被ったのです。戦争に負けたために、多大な苦痛を国内外に与えてしまったのです。負けたお詫びなど誰が聞くでしょう。戦争に負けるとは、それほど大きな問題です。痛切に反省するとすれば、二度と負ける戦争はしません、次は絶対に勝ちます、となるでしょう。

また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
しかし、負けたから今の日本があるのです。もしあの戦争に勝っていれば、民主主義も、自由主義もない、帝国主義的、全体主義的な軍事国家から脱却など叶わなかったのは間違いありません。自ら方向転換できない硬直した国家が20世紀の繁栄を享受できるとは思えません。国家を問わず民族を問わず全ての犠牲者の上に、今の日本があります。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
我々は独善的であったから先の戦争に負けたのでしょう。敗戦で得た民主主義という価値観はまだ私たちのものに成り切ってはいないでしょう。明治の世に借り物の帝国主義の上で暴走を自ら食い止められなかった過ちを、次は民主主義という借り物の上で起こすかも知れません。私たちはこの西洋が生んだ民主主義という思想とよく対峙し、検証し、その真価をよく知る必要があります。

同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
同時に私たちがこの星の上で核兵器で滅びてしまう愚かな生命体として宇宙の歴史に名を刻まぬための努力も続けなければなりません。

これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
本当にそれが亡くなられた方々の御心に沿う事かは分かりません。しかし、例えそれが自己陶酔に過ぎなくとも私はそう信じてやるのです。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。
よるはしんにしくはなし。信義に頼るとは、他の方々と共に歩むという意味です。

この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
私は他の国々と共にこの星で生きてゆく、それは支配するのでも支配されるのでもなく、互いに歩むものです。どこへ?それは次の世代に託せばよい。私はそう思います。

野中広務が著書に書いた、青い空を見上げた記述が、忘れられない。

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