コップに半分の水が入っている。
これをどう思うかという話。
ちょっと調べてみたけれど、これを最初に言った人の話は見つけられなかった。渋谷昌三という人の本に書かれているようだが、この人が初めなのかな。
さて、これ、答えを知らない人にはなんのこっちゃの問題文である。
どう思うかって、普段から人はコップには水が入っていないものと思っている。だから、ああ、半分まで水の入ったコップですね、なんで一杯まで水を入れないんですか、とか、なんで水を入れてあるんですか、と言うほかはない。そこから思う事はそりゃ色々だ。あ、おじいさんに薬飲ますのを忘れた、とか、あ、洗濯しなきゃ、とか、水よりもコーラが飲みたいとかね。
で、よく言われてるのがこちらの話。
「まだ、半分も水がある」
「もう、半分しか水がない」
どっちと思う?
半分の水への感じ方で楽観的か悲観的かがわかる、というお話。
砂漠を想像しよう。近くにオアシスなぞなさそうだ。あとどれだけ水が残っているんだ、水筒の中を見てみたら、
ああ、まだ半分も水があると楽観した人はポジティブ、半分しかないと悲観した人はネガティブだよね。というカラクリ。
なるほど、で終わるだけの話なんだが、この話しには続きがある。
まだ半分も水がある、と思った人は、この言葉の後に次のように続く。
ああ、俺が思っていたよりも水は多い。
もう半分しかない、という人は、ああ、俺が思っていたよりも水は少ない。
半分もあると思う人は、それを知るまでもうほとんどない、と思っていたはずだ。
あそことあそこで飲んだ、どう考えてもこれっぽちしかないはず。そうずうっと悲観していたからこそ、予想に反して多く残っていることに安堵した。悲観的に考えやすい人、実際よりも悪い方向に考える性向の人であればこそ、ああ、よかった、と真実を知ったときに楽観する。まだ、あれくらいあるさ、ほとんど残ってるさ、と楽観してきた人であれば、え、こんだけか!と悲観してしまうものじゃないか。
いずれにしろ、それまで自分が立ててきた予測と実際の乖離があったときの言葉には、それまで自分がどう思っていたかという心理が出る。
だけどもここで重要なのは予測と実際に大きな乖離があったと言う事だ。そりゃ無能じゃね?砂漠で命に係わる水の量さえ把握できない無能者だ。死にたいのかとしか言い様がない。
うん、想定通り、こんなもんだよな、という人だっているだろう?
こういったセリフは銀行の通帳残高を見たときにも、よく使ったりするよね。
君は楽観的?悲観的?それとも・・・
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