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2025年9月6日土曜日

五十にして天命を知る2 - 孔子

巻一爲政第二之四
子曰吾十有五而志于学 (子曰くわれ十有五にして学に志す)
三十而立 (三十にして立つ)
四十而不惑 (四十にして惑わず)
五十而知天命 (五十にして天命を知る)
六十而耳順 (六十にして耳に順う)
七十而従心所欲 (七十にして心の欲する所に従えども)
不踰矩(矩をこえず)

天命を知ったのならそこで終わり。天への義務は果たした。

だからその先には天に捧げる仕事も生き方もない。役割は終わった。感謝も特別な計らいもないだろうが天は告げた。

天命は知った所から始まるものではない。知った所で終わるものである。その後は自分の好き勝手に生きればよい。天はその邪魔はしない。あなたの満足度にも興味はない。

人は天を知らずとも生きて行ける。天命を知った所で果たせてないものも多い。結果に満足は出来ないかも知れない。なぜ敢えて人が天命を知る必要があるのだろう。

天命とは何か、それを知りたいのは天ではない。人だ。天命は否応なく人に与えらたものである。だから知りたいと願う。

だが知ろうが知るまいが天からすればそれを果たせば十分である。それを知りたいと人が希求するのは、どうでもよろしい。人には貢献したい気持ちがあるだろう。選ばれたいという気分も含んでいるだろう。

天命は別に聞こえてくるものではない。不意に感慨として腑に落ちるものだ。ああ、自分はこれをする為にここに来たのだ。

確かにそうだ、そうに違いない。間違いなく。自己満足である。

これをする為に生まれて来た、これをする為にこれまで頑張ってきたのだ。と思う時、その"何"与えられた使命という部分はどうでもよろしい。

自分のスペック(諸元)がそこで分かったのだ。それをやる能力が自分に備わっていると自覚できた。それは天命なのだから確かに間違いない。それを成すならそれを可能とする能力を天が備えた筈だ。

それを成す可能性がゼロではない。だからやる選択もやらない選択も可能なのである。可能性がゼロならその場には立てない。私にはそこに立つ資格がある。

天命を知る、天が伝えたという実感がこの確かさを支えている。実感を伴う事が知るの本質なら、知るとは意識の事だ。

自分の可能性を知り、その先で自分に何が出来るだろうかと問う。未来の残り時間は誰も分からない。それが明日だとしても孔子は「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言った。

残り時間を刻む。天が刻む。それとは何も関係なく世界が動いてゆく。それまでに決められなかった事、納得できなかった事、保留した事、それらを先に進める切っ掛けが来た。途中で途切れるとしてもこの先へ。

やらなかった後悔がある。やった後悔がある。人は常に別の可能性を想う。だから後悔は残る。別の未来があったのは確かなのだ。この思いからは逃れられる訳がない。ただこれで良しと思えるならば、考える事を止める事は出来る。

別の世界がありえたと郷愁を重ねる夕暮れがある。それは二度と手にできないものだ。その過去に親しむもよしその過去と決別するもよい。

年を取れば、仕事の質も落ちてゆく。量も減ってゆく。鈍くなり脳も例外なく。なぜ孔子は50という年齢が天命だったのか。

孔子(BC552-479)50は502年。60は492。

孔子は501年52の時に魯国の宰となり497年56で失脚する。その後に諸国を放浪する。失意であったか、絶望であったか、再構築する旅であったか。いずれにせよ大司寇にまでなった孔子は実務でも能力は発揮できた事は確からしい。だがその期間は短い。

旅に出る事が天命だったか、失脚が天命だったか。孔子はその天命が何かは語らない。

勝手に思うが、孔子は旅の中で天命に行き当たったのだと思う。その方が似合っている。

50にして行く旅がある。60、70、80になっても旅がある。天命はいつも旅の途上で訪れる。

防府、下関、別府、佐田岬、松山、広島の旅に出た。数十年ぶりに訪れた場所である筈なのに何も思い出せない。訪れたかも知れないし違うかも知れない。ぴたっと嵌ったピースのように確かにここに居たと感じる場所がどこにもない。絶対に知らない場所だと感慨にふけるばかりである。それでもここに来た事は間違いない。

天命を知った所で答え合わせはない。だから天の下で漠然と問う。人が海岸沿いに立つ時。天はイラナイ。

そう決めよう。答えはなくとも漠然と問う。天命は成った。



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