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2012年9月18日火曜日

こんな大河が見てみたい

大河の悠久流れ絶え間なく
滔々たる日あれば濁濁溢れる日もあり
暑き日の涼たり寒き日の暖たり
汚れ穢れもいつの日か清らかなり

いにしえあめつちの頃から数多の泡あるなり
人忘れ世に消えると雖も確かにあるなり
誰ぞ是を知らしめんや
未だひと悩み多く有りいにしえに問う
今むかしの苦しみを紡ぎ前の糸後ろの糸
自在に編み込めばいかな織物にならんや

山縣有朋という人あり
維新の前に生まれ戦争の後に死ぬ
この国の重石なり
彼の死を以って時代の終わりとなす
後を継ぎし者たちの戦の始まりなり

大河ドラマが空疎なメッセージに埋もれ久しい。まるで民主主義の退廃と比例するかのようだ。弱々しい夢や空虚な明るさで今の時代にコミットしようとするのか。今必要なのは暗黒の嵐ではないか、じっくりと見つめた薄暗い雨雲ではないか、ドラマには退屈しのぎ以外の何かが必要ではないか。

それでも大河ドラマはこの国の習慣に既になっておりサザエさんと並んでこれはもう我が国の文化である。

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