コンクリートで出来た学校に通う学生だった。その風景からどれだけの時間が過ぎ去っていただろう。
ある日、再販されている本書を見つけた時は驚いた。この漫画が再販されるとは思ってもいなかったしその理由も分からなかった。
それでもそんな世間の都合など関係なく再会とは嬉しいものだ。久しぶりに読んだ「コクリコ坂から」は、面白さも少しも失われてはいなかった。僕にはそのように感じられた。
あの日のまま人物は今も生きている、悩み、明るく、そして生き生きとしている。
原作の再販が映画の宣伝であったと気付くのはそれから暫く経ってからだ。
ある日見たそのポスターには似ても似つかぬ海の姿があった。それが誰の手になるものかはなるほど見当はつく。
そうではあるが、このポスターには初めて見るかのような違和感があった。魅力あふれる絵であるが、これまで見た彼の絵となるほど違う感じがする。
こういう絵を書く人だったけ。青の時代、というべき印象のこの絵にはちょっと馴染みがなく新しい。
僕はこの何より企画書を読んだときに腹が立った。自分の大切なマンガを不発だの失敗作呼ばわりされたからだが何に怒りを感じたか本当の所、僕には分かっていない。
1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である
結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。
彼は、オリジナリティ溢れる作家だが原作付きの作品も多い。だが、それは発想を得た事に対する感謝としての原作であって原作を映画化する気などさらさらとありゃしない。
しかし、それでもこの企画書には、なんと陳腐で手垢に汚れ、他人の書で自分を語る如きの愚か。なんという世俗的で、商業主義で、自分の世代を語るためだけのノスタルジアか。怒りに任せて悪態をつくのなら何とでも書けるものだ。
無機的なコンクリート校舎が既にいくらでもあった時代だが、絵を描くにはつまらない。
そうだ、僕は、この企画書に、僕達の時代を踏みにじる土足のようなものを感じたのだ。そのつまらない校舎で育った僕達がここに居る。
ここには青春などない、断じて。老人がただ、昔を懐かしむ、埃の積もった本棚に見つけた古く汚れた文庫を手にし、懐かしさを覚え、そして、幾ばくかの想像力を掻き立てられただけではないか。
思い出語り、たぶん、それ以上の域を出ない。
この漫画にあるのはどこにでもあるその時代、時代の青春だ。大人の世情など関係なく、世の中に敏感で、多感で、将来を憂え、それでも女の子を大事にしたいと願う、普通の青春だ。
そして、青春などくだらない、つまらない、興味もない。青春の中にある人は、本気でそう思っている、そういう漫画ではなかったか。
明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。
彼は知らないのか、全ての高校生は大衆を蔑視している。多感な高校生の頃に周りの大人が全てアホに見えないようでどうするのだ。その程度の知性でどうやって将来を生きて行けようか。中学、高校生とはそういう時期だ。
社会に出るとは、そこから理由を見つけてゆく道程に他ならない。
脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。
脇役がギャグのための引き立て役に見えるのか、マンネリズムは漫画の王道ではないのか。自分の見たい物を見、自分の聞きたいセリフを聞きたいだけではないか。商業的な成功が作品の成功とは言ってはいけない。この作品は一つの完結をきちんと結んでいる。
失敗作と言われるが、この漫画には何かを人の心に残す力がある。30年も経ってからアニメ映画になるほどの力がある。少なくともこの漫画が忘れられずに映画にした程の人がひとりいるのだ。
そうだ、無機的なコンクリートでは詰まらないかも知れない。だが、そんな校舎に詰まった青春がどれほどのものか知っているか?きらきらと光るその風景を自分好みに書き換えて誰の青春だろうか
詰まらなく見えるコンクリート校舎であっても、いや、それでも映える、彼や彼女とはそういう風に見えるものだろう。
この映画の絵には、コクリコ坂の雰囲気は全くない。こうの史代の『この世界の片隅に』を描くのに近い。あのポスターを見たときの違和感は、この少女は「コクリコ坂」の海ではなく、すずにこそ近い。そう思ったのだった。
少女マンガは映画になり得るか。
これは心象風景は映画になるうるかという自問であろうか。
結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
なぜポスターの絵が海ではなくすずに見えてしまったのか。今これを書いていて、成程これは恋した女の子の顔の積もりだったのか、とふと勝手な合点がいった。
だが、彼に恋した少女の顔など描けたっけ。
まぁ描けやしまい。
恋愛を描きたいのなら「きりひと賛歌」でも原作として大人の恋愛にでも挑戦すればいいのに。其れで有ったとしても見ててご覧、絶対に恋愛映画にはならぬ。
1963年という年は何故だ。彼のノスタルジイか何かがそこにある。そこが分岐点と映った彼の何かがある。その後の時代を否定したい何かしらの苛立ちがある。
そこにあるのは、彼自身の秘密であって他者を寄せ付けるものではない。ただ僕たちは彼の秘密への彼自身の冒険をスクリーンの上で否応なく見ることになる。映画とは其れ程までに自分自身の秘密が投影されてしまうものだろうから。
果たして、宮崎吾朗監督は、この親父様の冒険をどう思い描いただろうか。
1980年をこの漫画と共に生きた世代は其れをどう思うだろう。僕が気に入らないのは、僕たちの時代を否定したかのような時代設定だ。
僕はそこは一歩も下がらずに立ち止まるべき場所と思われる。これは、思想や考え方の違いではない。自分が生きた時間の主張だ。
原作で変えてはならないものなど何もない。だが時間には時間の風景というものがある。1960年生まれと1940年生まれでは青春時代の風景が違う、空の色も、夕日の色も。例えそれらが写真に写せば同じであっても、それは違わねばならぬのだ。だが高橋千鶴の魅力的な少女はなんともどうでもいいジャガイモにされてしまった。
そうか、彼は1980年代の高校生を知らないのではないか。息子が生きた彼の高校時代をどういう目で見ていたのだろうか。その青春の風景には興味を持てなかったのだろうか。
何故、宮崎吾朗監督は自分の青春時代を親父に明け渡してしまったのか。これこそがこの作品の最大の争点たるテーマではないか。
世界で、宮崎駿と親子喧嘩できるのはたった二人しかいない。その幸運を特権を捨て去ってしまう理由が僕には分からない。お前が本気で駿と喧嘩する気なら、俺はお前の側につく。
だが・・・
彼の眼に映るもの、会社を辞めて帰ってきたと家族に語ったのは高校生の頃か。それからコナンに注力しナウシカを書き始める頃に出会ったであろう「コクリコ坂から」は、彼にどのような景色を残したのだろう。
其々に其々の違った風景を残す、それが少女マンガというものかも知れない。
「コクリコ坂から」は、宮崎駿の旅かもしれない。それは彼の幻想であろう、詰まり彼の時代の心象風景であろう。
彼は未だ、何のマンガも(小説も)映画としたことはない。全てがオリジナルに過ぎない。
原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
マンガ的に展開する必要はない。
原作者にも漫画家の手にも余った作品かも知れない。だが自分なら上手くできると思う辺りが少年漫画の主人公のようで如何にもカッコよいではないか。
手塚治虫が宮崎駿という駿才の決別を受けたように、彼もまた決別される立場にある。
これは先輩から聞いた話ですが、『西遊記』の制作に手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。
作者は作品の全てに理由を必要とするか、自分の感情を信じてそれを発表する。自分の嗜好を嘔吐するのに理由がいる人もいる、いらない人もいる。それは社会の中でやはり嗜好として先ずは受け入れられる。
このお別れの理由は、良くわかる気がする。理由もなく殺す事に明らかに唖然としている、その気持ちは分かる気がする。
だが、手塚治虫の気持ちもわかる、理由など分からない、だが、僕の感情はこちらがよいと主張している、そういう自分の無意識下までを含めての作品の創作というのも分からないではない。
歳を経ると理由付けだけでは選べない事も出てくるものだ。つまり、嗜好というのが個人的理由に過ぎぬとも大きな顔をし始める。その事が悪いのではなく、自分の好みというのは個人的な事柄に過ぎぬ。
僕にはこの企画書が、彼を乗り越えねばならぬ、と決意するに十分な理由を持っていると思う。その高く聳える山であろうとも、トライすべき相手であることを示している。これは、彼からの挑戦状であると同時に、彼自身だ。長い間、作品を生み続けた彼の想いが詰まっている。それを全て読み取るのはおそらく無理だ。彼にしか分からぬ思いが、幾つもの文章に、そして行間に詰まっている。
それを全て理解し和解するなど無理だ、それではただの劣化コピーだ。
だから、これは彼にトライし踏破するための道標だと、そう信じておく方がいい。きっと、あなたも彼と同じ歳になった頃には、これと似たような文章を書いている。そして若者から誤解され、同じように挑まれるに違いない。
先の時代が偉大であるという理由だけで自分たちの時間を踏みつぶさせては堪らない。誰にも変えようも譲れようもない時間というものがある。
挑むとは戦う、だけではない、彼のように、また、「お別れできる」と思う事、一つの区切りをつけることもそうだ。どちらでもいい。
「信じられるかい、手塚治虫は60歳で逝ったんだぜ。」
企画のための覚書 「コクリコ坂から」について
「港の見える丘」 企画 宮崎駿
1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)。高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したともいえるだろう。
結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。
少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。
今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。
「コクリコ坂から」は、人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。
「となりのトトロ」は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である。今日からは57年前の世界となる。
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。
新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
女系家族の長女である主人公の海(うみ)は高校二年、父を海で亡くし仕事を持つ母親をたすけて、下宿人もふくめ6人の大世帯の面倒を見ている。対する少年達は新聞部の部長と生徒会の会長。ふたりは世間と大人に対して油断ならない身がまえをしている。ちょっと不良っぽくふるまい、海に素直なアプローチなんぞしない。硬派なのである。
原作は、かけマージャンの後始末とか、生徒手帖が担保とか、雑誌の枠ギリギリに話を現代っぽくしようとしているが、そんな無理は映画ですることはない。筋は変更可能である。学園紛争についても、火つけ役になってしまった自分達の責任を各々がはっきりケジメをつける。熱狂して暴走することはしない。何故なら彼等には、各々他人には言わない目標があり、その事において真摯だからである。
少年達が遠くを見つめているように、海もまた帰らぬ父を待って遠い水平線を見つめている。
横浜港を見下ろす丘の上の、古い屋敷の庭に毎日信号旗をあげつづけている海。
「U・W」旗――(安全な航行を祈る)である。
丘の下をよく通るタグボートのマストに返礼の旗があがる。忙しい一日が始まる朝の日課のようになっている。
ある朝、タグボートからちがう信号が上る。
「UWMER」そして返礼のペナント一旒(いちりゅう)。誰か自分の名前を知っている人が、あのタグボートに乗っている。MERはメール、フランス語で海のことである。海はおどろくが、たちまち朝の家事の大さわぎにまき込まれていく。
父の操るタグボートに便乗していた少年は、海が毎日、信号旗をあげていることを知っていた。
(ちょっとダブりますが)
舞台は、いまは姿を消した三島型の貨物船や、漁船、はしけ、ひき船が往来する海を見下ろす丘の上、まだ開発の手はのびていない。祖父の代まで病院だった建物に、和間の居住部分がくっついている。学校も一考を要する。無機的なコンクリート校舎が既にいくらでもあった時代だが、絵を描くにはつまらない。登校路は、まだ舗装されていない道も残り、オート三輪やらひっかしいだトラックが砂埃(すなぼこり)をあげている。が、ひとたび町へおりると、工事だらけの道路はひしめく車で渋滞し、木製の電柱やら無秩序な看板がひしめき、工場地帯のエントツからは盛大に黒煙、白煙、赤やらみどり(本当だった)の煙が吐き出されている。大公害時代の幕がきっておとされ、一方で細民窟が存在する猛烈な経済成長期にある。横浜の一隅を舞台にすることで下界の有様がふたりの直面する世間となる。その世界を俊と海が道行をする。そこが最後のクライマックスだ。
出生の秘密については、いかにもマンネリな安直なモチーフなので慎重なとりあつかいが必要である。いかにして秘密を知ったか、その時ふたりはどう反応するか。
ふたりはまっすぐに進む。心中もしない、恋もあきらめない。真実を知ろうと、ふたりは自分の脚でたしかめに行く。簡単ではない。そして戦争と戦後の混乱期の中で、ふたりの親達がどう出会い、愛し生きたかを知っていくのだ。昔の船乗り仲間や、特攻隊の戦友達も力になってくれるだろう。彼等は最大の敬意をふたりに払うだろう。
終章でふたりは父達の旧友の(俊の養父でもある)タグボートで帰途につく。海はその時はじめて、海の上から自分の住む古い洋館と、ひるがえる旗を見る。待ちつづけていた父と共に今こそ帰るのだ。そのかたわらにりりしい少年が立っている。
原作のエピソードを見ると、連載の初回と二回目位が一番生彩がある。その後の展開は、原作者にもマンガ家にも手にあまったようだ。
マンガ的に展開する必要はない。あちこちに散りばめられたコミック風のオチも切りすてる。時間の流れ、空間の描写にリアリティーを(クソていねいという意味ではない)。脇役の人々を、ギャグの為の配置にしてはいけない。少年達にいかにもいそうな存在感がほしい。二枚目じゃなくていい。原作の生徒会会長なんか“ど”がつくマンネリだ。少女の学校友達にも存在感を。ひきたて役にしてはいけない。海の祖母も母も、下宿人達も、それぞれクセはあるが共感できる人々にしたい。
観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿