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2013年9月3日火曜日

方丈記 - 鴨長明

あはれさを時代のスタイルとみ、これを人の連綿と続く力強さとして私訳す。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかき卑しき人の住まひは、代々をへてつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

あしたに死し、ゆふべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。又知らず、仮りの宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじと住みかと、無常をあらそひ去るさま、いはば朝顏の露にことならず。

或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。

川は絶えることなく流れる。その水は同じではないけど。よどみのうたかたは、消えては生れ同じものはふたつとない。これは僕たち人間の姿だ。人もその生き方も同じものはふたつとしてない。

摩天楼の都会の中にビルが聳え立つ。ステータスを高めようと競い合う人がいる。いつの時代も裕福な人も貧乏な人もいる。その移り変わりは激しく、貧乏な人が金持ちになったり、金持ちが没落したり、そんなの驚くに当たらない。街は移り変わってゆく。移り変わっても街はそこにある。人も街もともに移り変わる。昨日いた人が今日は消え、昨日いなかった人が今日はここにいる。

人が死に、生まれるのは自然の習わしであって、まるで川のうたかたのようだ。生きている意味など誰も知らない。自分がどこから来て、どこへ行くのかなど。宇宙から見ればこの星で起きていることなど一瞬の出来事だろう。そんな世界で、誰かのために頭を悩まし、映画を作り、ほんの少しの笑顔に生きる。まるで朝顔についた露のようだ。

露は消え、花だけが残るかも知れない。花が枯れ、露だけが残るかも知れない。そんなあはれではかない存在に見える。しかし。例え夕べには消えさるとしても、生まれ、生き、誰かと繋がり、誰かを支えている。それを連綿と人は続けてきた。川のように。川は今日も流れている。

およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋を送れる間に、世の不思議を見ることややたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きて静かならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で来たりていぬゐに至る。

はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよが程に、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病(舞?)人を宿せる仮屋より出で来けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇を広げたるが如くすゑひろになりぬ。

遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら炎を地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつつ移り行く。

その中の人うつつ心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。

七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六焼けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ辺際を知らず。人の営みみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶を費やし心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。

40 年以上も生きていれば、いろいろな事に遭遇する。安元 3 年 4 月 28 日には、風が激しく吹いて不安の続く夜があった。20 時ごろに都のたつみの方角から出火し、いぬいまで燃え広がった。

ついには、朱雀門、大極殿、大学寮、民部省まで燃えてしまい、一晩のうちに塵灰へと変わり果てた。火元は、樋口富の小路にある病院かららしいが詳しくは知らない。吹きすさぶ風でとにかく広がって、扇形に末広で広がった。

遠くにある家も煙に巻き込まれ、近くにある家には炎が地面を這って襲ってきた。空には火の粉が舞い上がり、火の光りが煙に映り紅色に町を染めた。風が強く炎が千切られて、飛ぶようにして町に降って行った。

火事に巻き込まれた人は、ほんと生きた心地はしなかったろう。煙に巻かれて倒れた人もいるだろう。炎から逃れられず焼かれた人もいただろう。あるいは、命は助かったけれども全財産を焼かれた人もいるだろう。

美術品も文化財も記念品も全部が灰燼に帰した。どれだけの損失になったんだろう。公家の家も例外ではなく16は焼け落ちた。ましてやそれ以外の民の家はゆうに及ばず、都の三分の2は焼け落ちたそうだ。男女で死者は数千人以上、牛馬も際限なく死んだ。

人が生きていればこういう事故はいつ起きても不思議はない。そんな世界で明日は灰になる身ながら愚かしくも世俗の価値に一喜一憂して生きるのはバカらしく見えるかも知れない。それでも。僕たちはそこに家を作り、バカバカしく飾り立て、また心を悩ませて生きてゆく。こうして人々の手により力強く復興してゆくのだ。

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