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2012年4月4日水曜日

民間事故調 - 福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

新聞で取り上げられて有名になった一文がある。これについては当の発言者がツイートを行っているし、それとセットで読むべきものであり、新聞だけを読むべきではないと思うからここに纏めておく。

「必要なバッテリーの大きさは?縦横何m?重さは?ということはヘリコプターで運べるのか?」
などと電話で担当者に質問し、居並ぶ秘書官らを前に自身で熱心にメモをとっていた。
こうした状況に、同席者の一人は
「首相がそんな細かいことを聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」
と述べている。

以下がこの発言者である下村健一内閣審議官のつぶやきである。
http://twitter.com/ken1shimomura
こちらでも纏められている。
http://togetter.com/li/267562

2012/3/4
【原発・民間事故調報告書/1】
400頁以上の大部、日々少しずつ精読中。
3章「官邸の対応」、4章「リスクコミュニケーション」、
付属資料「最悪シナリオ」の部分を中心に、コメントしていきたい。
目的はただ一つ、微力ながらも《本当に有効な再発防止策》に近づく為。立ち会った者の責任。

【民間事故調/2】
まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。
必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。

【民間事故調/3】
私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。
そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。


【民間事故調/4】
実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。
「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。

【民間事故調/5】
それが、3・11当日の総理執務室の現実。確かに、こういう張り詰めた時の菅さんの口調は、慣れていない者を委縮させる。
それは30年前の初対面の頃から感じていた問題。しかし、「だって怖かったんだもん…」という幼稚園のような言い訳が、国家の危機の最中に通用していいのか?

【民間事故調/6】
この部分、他の証言も総合して、報告書はこうまとめている。
「菅首相の強い自己主張は、危機対応において物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を委縮させるなど心理的抑制効果という負の面の両方の影響があった。」 この評価、私も同感。《以下明日以降》

2012/3/5
【民間事故調/7】
報告書P.77「官邸が電源車を用意手配したにも関わらず、11日夜から12日にかけて電源車に繋ぐコードが無い等の報告があり…」⇒これ、私も見ていた通り。
この文から2つの事が判る。つまり、総理室詰めの技術陣は電源車の手配にも即応できず(だから「官邸」が手配)、更に…

【民間事故調/8】
「電源車が現場に到着したら、電気を原発側に送るコードが要る」ことにも前もって1人も気付かなかった。
この後も、こうしたトホホは信じ難いほど続く。当時の私のノートの走り書きより:「うつむいて黙り込むだけ、解決策や再発防止姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者」

【民間事故調/9】
一方でノートにはこんな殴り書きも。
「Kに冷却水が必要」…Kとは菅さんのこと。危機が刻々募る中、技術陣の無様さに、次第に総理のテンションが高じていったのも事実。あそこは優しく彼らの硬直を解いてあげるのがリーダーの務め。…私がその立場でも、それができた自信は無いが。

【民間事故調/10】
自分だけ冷静だったように振り返るのはフェアじゃないから、正直に言う。
私自身、あの時は人生最大の緊張状態にいた。眼を合わせない専門家さんに、「頼むから、1つの作業が始まったら、次に何を備えなきゃいけないか、先回りして考えて下さい!」と懇願したのを覚えている。

2012/3/7
【民間事故調/11】
当時の激動の渦中で、私を含む当事者は皆《自分が体験したアングル》だけであの時の出来事を一面的に認識し、それが真相だと銘々に信じている。しかし、仮に1人も嘘をついていなくても、その証言は至る所で食い違う。我々は誰もが、全貌が見えぬ相手と闘う蟻でしかなかったのだ。

【民間事故調/12】
だから、色々な立ち位置にいた“蟻”達の証言を後で総合し全体像をつかむことは、《何があったのか》を知り再発防止策を作る上で、決定的に重要だ。私が事故調のヒアリングに全面協力したのも、今こうしてツイートで補完しているのも、そういう理由から。続いて報告書P.79⇒

【民間事故調/13】
震災翌朝。福島の現場では、東電本店との電話で「吉田所長が首相の突然の訪問予定に…『私が総理の対応をしてどうなるんですか』と激しいやり取りをしていた。」これは、来る菅への怒りか?(世間の見方) “総理対応はそっちの役割だろう”と本店を怒ってたのか?(私の見方)

【民間事故調/14】
なぜ私が後者の見方をするかと言えば、それが当時官邸にいての実感だったから。
目の前にいる面々にいくら訊いても情報も判断も出て来ないなら、直接現場に行くしかない。で、実際、菅・班目氏らと現場に行って感服した。吉田所長は、総理を迎える態勢など、何も取っていなかった。

【民間事故調/15】
この視察は儀式ではなく、状況把握作業だ。
どうか本末転倒な歓迎準備になど人手を割いていませんように、と案じながら到着してみると、歓迎の人垣の代わりに建物内で総理を迎えたのは、毛布にくるまって廊下にゴロゴロ転がる疲れ切った人の群れだった。我々は、その隙間を進んだ。

【民間事故調/16】
間近な最前線での闘いから時間交代で戻って来て、ぐったり仮眠しているその人達は、10cm横を今総理が歩いていることなど、全く気付いていなかった。その《総理扱いの放置ぶり》に、「ああ、これなら作業のお邪魔は最小限で済んでいる」と私は安堵した。そして会議室へ。

2012/3/9
【民間事故調/17】
報告書P.79◆福島の会議室で東電副社長が、ベントできぬ理由を「電力が無くて電動弁が開けられないと説明すると、(菅首相は)『そんな言い訳を聞くために来たんじゃない』と怒鳴った」…確かに、Whyに答えたら“言い訳するな”と叱られた、というのは理不尽にも見えるが⇒

【民間事故調/18】
やはりあの場面は、「電力が無くて電動弁が開きません」オワリ、じゃなくて「だから次は○○という方法を試みます」と続けるのが、責任ある者の答だろう。あの緊迫の数日、前者のような、次の一手の提示を伴わない単なる「出来ません」発言を、どれだけ技術系から聞かされたか…

福島原発事故独立検証委員会を読むなら、下村健一内閣審議官の発言を読んでからにした方がいい。

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