stylesheet

2013年1月25日金曜日

エル・グレコ展 - ~ 2013年4月7日 東京都美術館

エル・グレコは本名をドメニコス・テオトコプーロスというギリシャ人である。その後半生をスペインのトレドで過ごした。1541 年に生まれ 1614 年にトレドの地で死んだ。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第一章-ii にリンク)

誰かの評価で良いのであればエル・グレコはマニエリスムの巨匠であり、パブロ・ピカソが再発見し、印象派の技法の先駆的な画家である。20世紀初頭に児島虎次郎がパリで購入した『受胎告知』は日本が保有する奇蹟とさえ云われる。そういう逸話で十分に満足できるならそれも良い。

しかし恐らくそんな事は絵を見る上で何の役にも立たぬ。画家が持っていたであろうキリスト教への信仰も何ら関係せぬ。目の前の色彩に佇むだけで幸せになれるのだ。およそ描かれたものがキリストであれ聖人であれ伯爵であれ鳩であれ、意味ない。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第二章 にリンク)

嵐のような雲の流れ、炎のゆらめきと評した筆致、マントを色彩する発色、目線の動きがキャンバスの中に散りばめられ、停止した時間の中であるにも係らず、見るものが眺める様、顔の動きに応じて構図も変わってゆく。

パッと見ればグレコの赤が印象的だ。しかし眺めていると気付く。黄色を下地にして、赤は対比するために配置されている。グレコが書きたかったのは本当は青ではないか、と。黄赤青の対比が面白くて途中からマントを見るだけで楽しくなってきた。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第三章 にリンク)

この画家の絵を見ていると僕には漫画かアニメーションが思い浮かぶ。動きがあって色彩の単純さがあって物語があってデフォルメがある。天使が何人もいるが頭だけを描いているのにはおかしみを感じる。顔を描きその下に羽根を付け加え、ほらこれでもう天使に見えるだろう、と笑っているかのようだ。

カメラの視点というものは一つ場所の固定されている。これが絵になると顔が動き異なる幾つもの視線が一枚の絵の中に同居できる。映像がパンで表現するものを一枚の絵の中に表現する。エルグレコではそれは縦に伸び下から上へと動く顔の流れをも含むのではないか。

マントの皺の省略の仕方がまたいい。まるで、ああ面倒臭いと言いながら描いている様が目の前に浮かぶようだ。もしこの画家が今の時代に居たら。きっと漫画家であり映像作家であり画家であったろうと想像が逞しくなる。


(エル・グレコ展 展覧会の見どころ 第四章 にリンク)

筆致の楽しさ。それが印刷では分からない。本物を見るべきなのは、まさに私と絵の間にグレコが立ち筆が流れている幻想を想像できる所にある。ここをどう描いたのだろうか、という興味とは、画家が蘇る事の言い換えだ。

展覧会において、グレコは地の底から蘇り、絵の前に立ち、筆を振るっているはずなのである。それが画家と出会うという事なのかも知れない。

だからこの機会を逃すべきではない。

もちろん、長い人生であれば再び見える事はあるだろう。しかしそのためには世界のあちこちに足を運ばなければならない。

もうひとつ。エルグレコの描く鳩は上手くない、どちらかと言えば下手。JR 上野駅で駅弁を楽しみに、鳩を見に行くのは悪くない時間の過ごし方だと思う。

東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
2013年1月19日 ~ 4月7日
月曜日休館(2月11日は開、12日閉)
9:30~17:30(金曜 20:00)

0 件のコメント:

コメントを投稿