すべては合理的に行動した結果である、もしそれが合理的に見えないならば、それは合理的と判断する前提条件がこちら側に欠けているからである。
太古 45 億年生まれ生き生き抜いてきた全ての生命の活動は合理的である。命をかけて生きる活動が合理的でない、と考えるのは合理的ではないからだ。
ミミズを馬鹿にするものがいる。だが我々もミミズと同じ感覚器しか持ち得ないなら、彼らの合理性がよく理解できるはずである。足りないのはそれを思い付かない側の問題である。
(ダーウィンはミミズ好き)
藍藻と桜はどちらが進化しているか?ゴカイとヒトではどちらが進化しているか?人の退化したものは何であるか?人の進化したのは何であるか?もっとも退化した動物は何であるか?
地上にいる生命が進化に費やした時間はどれくらいか?進化の過程で変化した回数は優劣を決める因子か?環境に適用した生命は繁栄するし環境の変化により絶滅する。これに対応するためにどのような戦略があるのか?もっとも最後まで生き残る生命は何か?
はっきりしているのは地上に存在する全ての生命はみな同じ時間をかけて進化してきた。39 億年の間に全ての生命は同じ時間を進化に費やしてきた。大きく変わった仲間もあれば当時から変わっていない仲間もいる。
変わっていないものは最高傑作と呼んでも差し支えない。彼らの設計図はその当初から完成していたのだ。変わったものは変化を必要とした欠陥品であった。
シーラカンスでさえ変わらないという進化を続けてきたはずだ。珪藻にいたっては 39 億年の進化の記録である。
逆に新しい環境に乗り込むために頻繁に変化を必要としたものがいる。進化は環境から追放された弱者の側により起きた。負けたものは住み易い環境から追いやられる、不利な環境に追いやられた者が生き延びるために変わっていった。
ただこの 39 億年ではっきりした事が一つだけある。どれだけの進化をしようとも宇宙に生物は進出できないと言う事だ。どれだけ鳥が高性能な飛行を手に入れようとも宇宙には出られない。
これは生命にとって大変に重要な事実と思われる。生命はどうやって宇宙への進出を果たそうとしているのか。
遺伝子の発祥を知るものはいないが進化という考え方を私たちは知っている。遺伝子は変わりやすい性質を初めから持っている。ウイルスによっても遺伝子の置き換えは起きる。化学物質や放射線によっても進化は促進される。
だが猿の群れの中に突然変異で裸のサルが生まれそれが人となったという説は受け入れ難い。絶滅危惧種を見ても分かる通り一定数以上の個体がいなければ種は確立しないのだ。アダムとイブだけでは産めども増えない。
裸のサルが一匹生まれて群れ中で交尾してヒトばかりになる、というシナリオは考え難い。種が違えば繁殖は出来ないからだ。そんな個体は群れの中で攻撃されて死ぬのかひっそりと消えてゆくのみだ。
(アウストラロピテクス・アファレンシスは名前がカッコいい)
だから思うのだが、進化するにはその環境が整う必要がある。サルからヒトへと進化するのなら準備が整う必要がある。群れ全体がヒトへと変わりやすい遺伝的な準備を終えており、ある条件下で一斉に群れ全体がヒトへと変わってゆくのである。
進化し新しい種が生まれる為には前段階にある種がコップに満杯になった水のように少しの揺れで溢れ出す状態にある必要がある。そこに自然淘汰だの棲み分けのような外的圧力で変化が生起する。
遺伝的な準備段階があって、それが満たされた場合だけ新しい種が産み落とされる、だからヒトへと進化したサルは、ヒトへと変わりやすい段階に既にあったのだと思う。今の僕たちが生きるこの世界も次への準備を始めているに違いない。
それがある切っ掛けであちこちに新しい種が生み落される。いつの日か一斉にヒトではない新しい何かが社会に産み落とされても不思議ではない。その種を我々が育てるのを放棄したら新しい種は成立しない。
もちろん向こう岸に渡った後に梯子は消える事もあろう。ヒトとチンパンジーが分岐した時、その姿はヒトともチンパンジーとも違うサルだった。お互いに遠くに来たものだな。
人類の変革は 10 万年単位で見れば十分に起きうる。最初のヒトが発生して 400 万年。現生人類の発生が 4 万年前である。我々がある特殊な能力を持って生まれたのは偶然に違いないが生命から見れば可能性である。我々ならば貧弱なりとも宇宙へ進出できる。
ガンダムにはニュータイプという新しい感覚器を備えた人類が登場した。地球へにはミューという超能力を備えた人類が描かれた。それは旧人と新人の対立がテーマであった。我々は進化した種ではないが、この東日本大震災で一斉に人が変わったわけではない。それでも。
(All we need is love)
マスコミを見よ。彼らはこの大震災を受けながら何一つ新しいものを生み出せないでいる。だがあちらこちらに声に出していないが、何かを感じ、考え、思いを新たにした人がいる。誰が産み育ててゆくか。
新しい種が最初に生まれた時に、我々の先祖のサルはその新しい裸のサルを育てたに違いない。我々はどうだろうか。
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