しずけさや岩にしみ入る蝉の声
参道を登りきり木々に囲まれたひっそりとした木陰の中を歩く。手水舎に流れる水は透明でせせらぎは穏やかだ。静けさが人を襲う。
ただ静かであり、蝉の鳴く声だけが聞こえてくる。その音は切り裂くように人を通り抜け林の中に消えてゆく。
蝉が鳴けばうるさく感じるものだ。だが、静けさと蝉の音は矛盾しない。
何故それは矛盾しないのか。
境内にはとても遠き昔からそこにあったかのような岩がある。この岩に染み入るのは果たして蝉の声なのか。岩に染み込んでいるのは私自身の心ではないだろうか。
私が岩に染み込んでみれば、私の心には蝉の声はすれども、岩のように静かな心持ちでいる。
遠い昔から蝉の声を聞いていて今日も聞いている。明日もその次の日も聞き秋の初めまで鳴き続けるだろう。この蝉たちも夏の終わりにはどこかに消えてゆく。
そんな彼らの鳴き声は次第に音としては消えてゆき、鳴き声として響くだけになる。風が吹き抜けるように蝉の声が周りの木々を揺らす。
私は岩と同じようにただ静かにここにる。
その心持ちを静けさ、と呼ぶ。
参拝に向かえば風が吹く。汗ばんだ顔をひんやりとし木々の匂いが立つ。私は参拝し何を拝もうとしているのだろうか。
この静かな心持ちをありのままの姿であれば良いような気がする。
蝉の鳴く林に消えてゆく落つる汗
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