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2025年8月12日火曜日

ヨブ記3

悪魔が人間の信仰を試してみたいと問うた。神はこれを諾しヨブを選んだ。悪魔はさっそくヨブのところに行き、様々な苦難をヨブに与え始めた。

ひとりごと(記述者)

神が悪魔に許可を与えたと書いてみたものの、別に私がそれを見た訳でもない。もし神の声が聞こえるなら脳に腫瘍でも患っているのだろう。別に私に神の声が聞こえたのではない。それでも、なぜ見て来たかのように書く事が出来たか?

そうする方が辻褄があうからだ。神に祝福されている筈のヨブが災いに見舞われた。悪い事は続くもので、子供たちも失った。

そんなもの悪魔の仕業に決まっている。ヨブは悪魔に魅入られたのだ。それでも神への信仰を吐露するヨブ。なんて立派な人間だろう。だが、私には疑いが拭えない。

神がサタンに出し抜かれるなどありえない。サタンでさえ神の元に自由などない。ならばヨブを苦しめているのは間接的ではあるが間違いなく神である。

私にはこの神の不条理を理解する事が出来なかった。この理解を受け入れるには私には信仰心が足りなかった。だが少なくとも悪魔は神の所へ赴き、神に許可を得た事は確かであろう。

サタンはヨブの命を奪う事はしなかった。ただ苦しみを与え続けた。

どんな強い信仰心でも痛みが消えるとは考えられない。どのような信仰心であれ肉体的な苦しみに打ち勝つ事は出来ない。

だから酷い病気になって、ヨブが神を罵るのは当然の事だと思った。そこで私は見た。神に悪態をつき、慄き、ぶつぶつと独り言ちした後に、ヨブが寝入ったのである。そこで苦しそうにしていたヨブは次第に快方へと向かっていった。

神を呪う事でヨブは病気を克服したのだ。わたしにはそう見えた。ならば、神はそれを祝福した事になる。

後からヨブが語る所では、そこで神と会ったらしい。わたしの目の前に現れて私の不信仰をお怒りになったのだと。

ヨブが信仰を取り戻したのは夢の中で神と出会ったからなのか、それとも病が治癒して痛みが取れたからなのか、私には分からない。

どんな苦しみも過ぎ去れば何も残らない。だから痛みを取り除きさえすれば人は再び幸福を感じる。幸福であれば信仰心を持つのは容易い。

だから信仰心をどうすれば宿らさせられるかと考えた時に神が出現する事が絶対に欠かせないと思った。どういう時に出現すべきか。

もし私の信仰が強固なら、何の疑いもなく信仰し続けられただろう。だが根拠ある信仰を持つ者はその根拠により簡単に砕かれる。

信仰が打ち砕かれぬ為には根拠などない方がいい。その場合は神さえ砕けまい。ヨブは神に願っていた。だから信仰は打ちひしがれたのだ。

試すとは試される事ではない。神に願う事だ。もう辞めてくれ、終わらせてくれと願う事だ。だから叶わぬ。

叶わぬならば、神に暴言も吐こう。だが、神はお前の苦しみをぬぐう為の道具ではあるまい。お前は私の奴隷ではない。私はお前の奴隷ではない。だからもし罵って気が済むなら好きにせよ。

そしてヨブが罵った時に彼の病は治癒したのだ。その時に初めて神は出現したのだ。何もかも私をお試しになるために。

熱うつつにあれば、夢の中で神の姿を見るなどごく普通の事だ。それは幻か、それとも神かさてはて悪魔であるか。誰に分かろう。

ヨブの回復が神の力によるのかどうかは私には決められない。病で命を失う人も居る、生き残る人もいる。その全てが神の意図か。すべてが神の自由か。ならばそこに人間が救われるかどうかは人間の自由はない。

神が常に人間を救うとも限らない。実際にヨブの息子たちは麦のように刈り取られたではないか。

ヨブの前に現れた神は、決してヨブの前にだけ現れた神ではない。その時に全ての人類の前に神が現れたという意味を持っている。その神は私の前にも現れたのだ。

神を居ようが居まいが病気が治るか治らぬかに関係ない。それは我々に体の問題であって痛みを感じる事も我々の体の問題であって、そこに神という補助線は必要ない。

どんなに祈ろうと痛みが取れる事はないのだ。

だがヨブは神が現れたと感じた。それが神であると信じた。全てが解決したと思った。

なぜ人間は神の姿を見るまでは信じられぬのにその姿を見るだけで信仰心を得るのか。この不思議さはどこにあるのか?

どれだけ過ちを繰り返しても神と対峙したら人は神の前に膝まづく。神さえ出現すれば。

ヨブは神に満足した。目の前に神が現れればこれほど簡単な話はない。だが多くの我々にとって神と出会うなど起きない。ヨブは珍しくもその簡単さの中で信仰を得た。それは本当に信仰心か。余りに安易ではないか。

ヨブは悪魔を通じて神の意志を味わった。そこに悪魔が必要だったのは何故か。

神は直接的ではない事を知らしめる為か。もしヨブが神への信仰を続けたならば、きっと病からの回復はなかった筈だ。

ヨブが信仰を失ってもやはり病からの回復はなかったであろう。肝心な事は、再び信仰を獲得しても神は受け入れる。何度捨ててもそこには戻れる。

それは一度だけ試みれば十分ではないか。なら全ての人々を代表してヨブ一人が試されたのか?そんな馬鹿げた事を書いて誰が納得できるだろう。

それはヨブの前にだけ現れた神ではないか、ヨブに痛みを与えただけの悪魔ではないか。それがなぜわたしと関係するのか。

苦しみの中に神を見出す事は人間の勝手だ。だが、神を捨てる事も人間の手中にはある。神は決して絶対ではない。もし神が人間を食べると言ったなら、それでも我々は家畜として信仰を続けるのだろうか。

自分の存在理由に神を使うな。それでは神に裏切られた時に我々に出来る事はない。神が我々を知らないと言うなら、我々にも神を知らないという事は可能な筈だ。神はそれを禁止していないのだから。

言いたい事があるならそこに神を使うな。どのような運命であれ、神に問えば全てが神の所作になってしまう。それで納得できるのは間違っている。

この世界の理不尽さに、苦しみに暴言を吐きたければ吐け。哀しみは泣けばよい、自暴自棄になるなら彷徨え。壁を壊して周れ。

その悪態の先に神が居るのは構わない。事実、神はそれを禁止していない。

なぜ神が禁止していないものを守らねばならないのか。神は我々をそう作らなかった。ならばそれは神の瑕疵か。だがそう作った理由を神のせいにするな。

もし神が出現しなければ唯のヨブの病の記録だ。それでは誰の心にも届くまい。悪魔がヨブを苦しめる前に神が止めたらどうだ?それでは残るまい。

苦しみのピークで神がいきなり出現してヨブを救うならそれは依怙贔屓になる。多くの人の前に神は現れない。ヨブに習って神と会いたいからと悪態をつく人も絶えなく続くだろう。

ヨブを叱咤した神には疑念を抱く。だがこの疑念が呪縛する。例え神を捨て去っても疑念は拭えない。そうして問い続ける事になる。

神がこのタイミングで出現したと書いたから、どちらの人も満たす事ができたのだ。その点は疑う余地はない。

信じようが信じまいが、どうでもいいのである。私が記したものに、そのような興味はどこにもない。神が出現すれば十分だ。

なぜ喜びの時に神は出現しないのか、なぜ苦しみの中でしか神は出現しないのか。随分と都合のいい神だ。

わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか。

私もその大地の中にあった。ただの土くれだったかも知れないが、その時も私はそこにいた。

私へと繋がる全てはそこにあった。私は今の姿ではないかも知れないが、確かにそこに居たのである。星の欠片は、今日もこの星に降り注ぐ。

あなたの支配があなたの自由を意味するなどそれは傲慢である。

2025年8月10日日曜日

人型ロボットの操縦法2、またはロボットが巨大化する理由2

拡張領域

ロボットアニメには肉体の延長として描かれてきた側面がある。これは人間が使用するエネルギーの増大に伴う現象である。エネルギーの増大が肉体感覚を相対的に縮小化する。この差を補完する機構としてロボットがある。

故にロボットの巨大化は、肉体とエネルギーの差を埋める者である。肉体は巨大化できない。だからロボットが巨大化する。そのサイズはエネルギー量と吊り合う筈である。

ロボットは、操縦者が自由に扱う機構を通じて視聴者が万能感を得る。肉体の代理としてのロボットがある。宇宙戦艦が廃れた理由もここにある。宇宙船では個人を代理できない。人馬一体感はロボットが与える。

仮面を付ける、体をペイントする、入れ墨をする、体に傷跡を残す、これらはとても古い時代からある。未開と呼ばれる生活習慣の人たちの風習として今も残る。体に何かを残す事は相当に古くからある。

なぜ人間は肉体を改造しようとするのか。自分の体にマーキングする、ひとつにはアイデンティティの確認であろう。日記を付けるように肉体に自分の歴史を記録して残そうとする。

暗い空間で火に照らされた肉体には、影が静脈の色で青く浮かび上がって見える時がある。筋肉の筋に沿って模様状の影が浮かび上がる。これは明るい所で現れない現象で、それを定着させたいと言う欲求があっても不思議はない。

自分の中に見えない文様が隠れている、それをいつも感じたいという気分も分からないではない。その欲求が依存症まで高じても不思議はない。

肉体改造は自分に対する自然からの語り掛けへの応答である。意識は自己確認の方法であるし、自然に抗う手段のひとつでもある。自然に溶け込みたくない気持ちは一種死への抗いとも考えられる。意識は自然へのアンカーとして肉体を使う。

肉体を通じて意識は自然と対峙する。自分自身の肉体さえも疎外感を与える。この矛盾は脳の発達と無関係ではない。意識は無意識野がどう肉体を制御しているかを知らない。それを試すかの様に意識から働き掛け無意識を制御しようと試みる。

意識は変身、獲得、憑依などの方法を使ってトランス状態を作る。意識にも他者へなりたいと言う願望がある。この脳の働きは自然の厳しさに対する逃避行動だろう。

ロボットはこれらに対抗する手段のひとつだ。

具象化

初期のロボットは、鉄腕アトム(1952)、鉄人28号(1956)、魔神ガロン(1959)、マグマ大使(1965)、ロプロス(1971)、ポセイドン、ロデムなど自律型のロボットであった。これは科学的には全く正しい本来の姿で未来科学に基づいてロボットが具象化したものだ。

しかし、この未来は少し早すぎた様だ。科学志向という点ではアトムも鉄人もアメリカの前で敗北した日本の国力を一気に埋める為の存在であった。正しく科学を使いこなせたならば、あの愚かな戦争は回避できた筈だと。

当時の日本の工業力ではアトムも鉄人も実現できない。暫くすればそれらは到達しえない遠い未来であった。そうは言っても日本の工業はアメリカ工業を模倣しながらも着実に独自の発展をし自動車産業が中心となって経済の中心となり普及していった。スバル360(1958)。

社会は未来科学から工業社会へとシフトしてゆく。日本は復興してゆく。それに先駆けてマジンガー(1972)が誕生した。

マジンガーの搭乗方式はそれまでの自律したロボットでも、外部からコマンドを受け自動実行するロボットでもない。オートバイの感覚で操縦できるロボットが誕生した。

ロボットアニメは常に日本の社会を後追いしながら時に先行しながら発展している。戦後直後は科学の象徴としてその次は製造業の象徴として。未来科学の結晶から工業品であるスーパーロボットへ。日本の製造業と共にロボットアニメも進んできた。

ガンダム(1979)が、天才科学者の発明、未知のエネルギー源、謎の太古文明の遺産、宇宙人が残したオーパーツ、オーバテクノロジーから、企業が開発し販売する工業品へと変えた。軍用であれ民需品であれ、ロボットは工芸品から工業品に変わった。

視聴者にとってロボットアニメは日本産業との接点でもある。そのリアリティは現在の工業の少し先に置かれる。そしてアニメと工業は互いにフィードバックしながら日本社会を形成してきた。

ロボットアニメは人型という型式からは逃れられなかった。それが個人の肉体を拡張する方法だったからだ。そして現実の技術は鉄腕アトムに連なる自律型のヒューマノイドを実用化しつつある。これがアニメ作品に影響を与えない筈がない。

物語

子供が戦争ごっこを好むから、ロボットアニメにそれが投影されるのは合理性である。

物語の背景に日本の敗戦がある。早い話が沖縄戦にこれを投入できたなら、沖縄が陥落する事はなかった、そういう技術的怨念が通奏低音にある。ではマジンガーが原爆の炎で焼かれたらどうなるのか、この矛盾はその後の時代を生きる我々の宿題となろう。

だからマジンガーの敗北は戦争の敗北と重なる。そしてグレートという形で更に乗り越えるのも自然である。敗戦から立ち上がる物語。だが、グレードはあくまでその代理であったため反感が残った。

だからグレートの後半では甲児が、代理であるグレードを超えて、直接勝負し勝利する必要があった。鉄也の勝利だけでは駄目だったのである。

敗戦の結実として戦争は否定されなければならぬ。正義はこの一点で担保する。だからそれらは戦争ではなく戦闘として描かれる。侵略ではなく防衛戦として描かれる。

敵はその社会が潜在的に排除したいものの具象化であろう。それは正義と密接に係る。なぜ敵には正義はないのか。我々には何としても守りたいものがある。この価値観が正当性を与えている。その背後には敗北の劣等感も含まれる。

単純な支配者、侵略者に対しての防衛戦はどのような場合も支持される。そこには勿論欺瞞がある。そこに着目するのは作家性の問題として当然であった。リアルならば敵にも敵の事情がある。つまり敵の物語も描けるという事だ。バトラーV(1976)。

物語は日本を超えて地球の未来も含めた世界像に拡張されてゆく。世界にはまだ数多くの問題がある。火の鳥未来編(1967)、デビルマン(1972)、テラへ(1977)、伝説巨神イデオン(1980)。

メカニカル

桜花は電子回路の変わりに部品として人間を乗せる設計をした。操縦系から人間を排除する事は、最も脆く弱くコストの高い諸元である人間を他の部品に置き換える要求である。

F104(1958-2004)が最後の有人戦闘機と呼ばれたが実現はしなかった。技術の発展に伴い鉄道も自動車も航空機も無人化の方向に進んでいる。

人件費の高騰もある。ビジネスから人間を排除する事は最終的には資本家だけで製造業が実現できる事だ。全ての利益を資産家が手にする。そういう世界に向かう。

システムの最大のリスクは人間である。システムの中で役割を与えられて其々の場所に配置され機能する。この中から人間を減らして行く、人間の変わりに機械に置き換える。

その方向に進むのは確かだが、では人間の存在価値はどこにあるか?市場の構成者である。これだけは機械では置き換えられない。

鉄人が遠隔操作であるのは今となってはドローン的で説得力がある。鉄人28号、ジャイアントロボがリアリティを持てる時代が来た。確実に戦闘機は無人化する。

機体の能力から言って人間の搭乗はリスクである。人間の生存の為に機能を制限したり諦める。それ以上の性能は見込めない。無人化は電子機器の変わりに人間を搭載した時代に遂に終止符を打つ。

もうじき搭乗型のロボットは誰の目にも旧式と映るだろう。ガンダムやパトレイバーも無人機の方向でリビルドされてゆくと予想する。

とは言え、無人機のロボットがどれくらいの販売力を持つだろうか。空母の艦載機よりも戦艦の主砲にロマンを感じる世代である。宇宙戦艦ヤマト(1974)。

無人機では肉体の拡張にも依り代にもなれない。この欲求をどこで満たすか。例えばAIとのペアリングは考えられる。対話型で操縦するのはほぼ鉄人的である。これでどのような一体感が得られるか。

目的地を入力すると地形を識別して自動的に歩行する。目標に対して攻撃命令を出せば自動応答する。これらの仕組みがあるなら、そこに操縦という操作が入り込む余地は少ないと思われる。

何より人間の反射神経では使い物にならない。

もしかしたらロボットアニメは廃れるかも知れない。人間という部品が必要とされなくなって。

パトレイバーのリアリティ

ロボットのサイズは何によって決定されるか。8mの巨体である。人間が搭乗するエリアは、自動車とほぼ同じ。そこに手足を付ければ最小サイズは計算できる。

だがこのサイズを想定して道交法は作られていない。もしパトレイバー(1988)が実現するなら道交法は書き換えられる。ではどう書き換えるか。

高さ制限が想定を超えており、現行の道交法の中には組み込めない。そもそも移動速度が遅い。よって工事現場などの特殊車両に分類される。キャタピラ車両と同等の扱いで一般道の移動は禁止される。

そもそも暴れだす可能性があるなら、それを強制停止する対抗手段は警察の管轄ではなく、各メーカーが停止する機構を提供すべきだ。勿論ハッキングの可能性はあるが、それなら現在のクレーン車やシャベルカーでも十分に起き得る。

しかしそれではストーリーが非常に詰まらない。官僚の仕事の殆どは当たり前すぎて詰まらない所以である。

整備シーンを見れば、労災も不可避である。10m以上の高所で安全柵もなく作業する。立ち姿勢で作業するから落下による死亡事故は頻発するだろう。そんな機械をメーカーが販売すれば大問題になる筈である。官庁がそれに許可を与える筈もない。

社会を描く

ロボットは人間を拡張する技術として存在し、人間の暴力性に正当性を与える立場を与えられ、社会変革を担う手段を提供する。これらの作品に触れてイメージする力をエンジニアたちは蓄積してきた。

その根底には人間が獲得したエネルギーの総量の増加がある。そのエネルギーを何に使うかという根源的な問い掛けがある。巨大ロボットがこれだけ動く社会ではエネルギー問題は解決している筈である。

そういう世界の描き方は石油問題への不安の反動とも考えられる。そういう不安から解消された上で好きなだけ戦闘が出来る世界を描く。

エネルギー問題を解決した世界をどう描くか。石油に代わるエネルギー源には何があるのか。科学はその説得力を失いつつある。それなら魔法でも十分ではないか。聖戦士ダンバイン(1983)。

やまとうたは人の心を種として万代よろづの言の葉とぞなれりける。

なぜ転生した社会では魔法を好むのか。この設定も現実世界からの投射であろう。能力の獲得が難しくなっているこの世界で何かが固定化しつつある事へのアンチテーゼではないか。現実からの逃避?

そこに存在するリアリティは必ず現実社会へとフィードバックする。


人型ロボットの操縦法
陸軍における歩兵補助ロボットの研究
なぜロボットは巨大化するのか

2025年7月31日木曜日

切り抜きストーリー12

2013/10/10
嗅覚の劣る担当者だったか、経験不足か、いかんともし難いか、そのいずれか。

2013/10/10
防御は嗅覚、行動は聴覚。検分の視覚、閃きの六感。決断は全感覚総動員。安らぎは味覚。

2013/10/11
その先に何かがあったはずなのに忘れてしまった。忘れている事だけを覚えている。馬鹿になってしまった。

2013/10/12
効率だけを追求するなら死ぬのが一番いい。だから効率だけを追求する組織は駄目に成るのだ。エントロピーで考えれば分かるかも知れない。

2013/10/12
地球って落ちこぼれの吹きだまりみたいな星で一番成績のいい国家でも100点満点で40点あるかないかと思っておけば人類としてはだいたい合ってる。

2013/10/15
勝ち馬に乗れの国民性。世界を広く見てないと間違える可能性が増える。

2013/10/24
口をすすぐのが蒸気機関車と同じリズムなのを発見した。

2013/10/25
ひとりで座っていようが、たくさんで座っていようが、同じ列車に乗った乗客に違いない。

2013/10/27
矛と盾。この故事の示すものは商売人の矛盾ではなく、どちらも必要で、どちらか一方だけが強い状態は考えにくい処にある。政府が強い盾を必要とするならその悪用を防ぎえる強い矛もセットで用意すべきであり、盾を弱める事だけを考えるのも片方だけを買おうとするのも違う。秘密保全法案。

2013/10/30
主柱のくさびが外れ、それまで繋がっていたものが次々と外れてゆく。

2013/10/30
思想は死んだ。誰もが勝者についてゆく。

2013/10/30
ラピュタはドーラが支えている。

2013/10/30
何の事はない。何も変わりたくない。それだけ。変わった事の反動かも知れないが。

2013/11/6
未来は分からないから可能性がある。未来とは選択の言い換えに過ぎないんだ。

2013/11/10
浅く広くやっても、狭く深くやっても面積はいっしょ。太く短くも細く長くも体積はいっしょ。

2013/11/11
人間とは風邪をひく動物であり、風邪が酷くなると大抵の事はどうでもよくなる。

2013/11/16
頭の良さとは正しい答えを知っていたり答えたり出来る事ではなく、突き詰めれば、気持ちよくする事。

2013/11/20
目に写っているものと意識が見ているものは同じではあるまい。

2013/11/20
一期一会なんてとても無理。

2013/11/20
日本がある事と政府がある事は一致しない。国民というより民。国民とは自らなるものらしい。

2013/11/21
一期一会って印象の事だよねぇ。どうすれば印象は残るのかという。

2013/11/21
新しい国の破滅はコンピュータ上で起きるかも知れない。あるアルゴリズムで組まれたアプリケーションが一斉に金融を再起不能なまでに破壊する。それが新しい衆愚。

2013/11/21
行き当たりばったりのくせにご都合主義の結果が待っているんだもん。

2013/11/21
これで勝ったらもう読まないだろうなー。

2013/11/24
他の選択肢を示さない限りどうしようもない。他がないのだから。

2013/11/24
悪用した者を罰則すればよい。それが法の理念だ。

2013/11/25
デンプシーロールの説明にナックルNO1が!

2013/11/26
陰陽とは世界の成り立ちがふたつに分類できる事ではなくて、ひとつのものから出来ていない事を表現する。一神教でも神の世界と人間とふたつの世界から成る。

2013/11/29
馬鹿の定義は口をつぐむ事が出来ない事だ。

2013/12/04
ぴたりと役にはまって大成する人もいれば努力して小さな役の人もいる。

2013/12/09
検事の名は出ない。組織対個人か個人対個人か。

2013/12/13
部品は使っているうちに劣化する。それが問題ではない。もしその部品を使い続けているならその状況に問題がありそれには原因があると考える。劣化は問題ではない。

2013/12/18
知識の組み合わせ方を知と呼ぶのだろうか。いや知には情感が内包されていなければならない。

2013/12/28
立ちくらみでふらふらーとする度に、シノハラノオートバランスハ逸品ダのセリフが聞こえてくる。

2013/12/28
2013/12/、この世界の誰かが将来を切り開くとっても大切なアイデアの着想を得たんだ、きっと。

2025年7月26日土曜日

切り抜きストーリー11

2013/08/22
君は人がゴミのようだと言ったそうだね?ようだとは何だね、ようだとは。人はゴミだろ。狼狽えて、みっともない人だね、君は。

2013/08/29
風立ちぬ
生きめやも。風が吹いた、ひとりであっても生きてゆこう。めは未来を表し、やは意志を表す。もが自分への問いかけになっている。そう聞こえる。

2013/08/29
かぐや姫の山や月は現代の山であり月である。風景の全てが今の風景に見える。平安時代のひとが見た山でも月でもなく。予告を見ながら、そう感じた。この映画は予感する。

2013/08/29
日本という風景。だけども剽窃。どこかで見たシーン。ホームズや紅やハウルで見た気がする。自分の作品からの剽窃という感覚。当たり前の話なんだけれど。カプローニがいい。声がいい。飛行機で映画が動き始めた。

2013/08/29
こんな地震の描き方を初めて見た。王蟲かよとばかりに瓦屋根が揺れる。そしてすぐに地震は止まる。この静寂とそれからの混乱。二度目の法則はあまり使っていない感じ。

2013/08/29
二郎の声。聞いて一秒経ってから庵野秀明と気付く。これはあれだ。あいつの声を知ってるやつが悪いってやつだ。初めて聞くのならあの顔を思い浮かべない。脳内から消せない自分が悪い。これまで世間でべらべら喋ってきた庵野が悪い。いい声。

2013/08/29
空母のシーンがいい。あれはいい。千尋のくされ神を思い浮かべた。

2013/08/29
この映画に戦争の匂いはひとつもない。それが匂うなら映画ではなく自分の体臭。僕たちは価値観を削ぎ落とさなければならない。理想を追いかけたら何の役にも立たない飛行機が生まれる。機銃を乗せたら云々は人も荷物も運べない飛行機という事。

2013/08/29
計算尺が物語の中心にある。2013/2013/08/号のニュートンにその使い方が載っている。使い方を知っているだけで印象がだいぶ変わる。計算尺が使える人は見るべし。

2013/08/29
汽車からの風景の遠くにある家家にも人人が住んでいる。そういう風に感じられる様にするには風景を長く描く、通りすがりの人もきちんと描く。ちはやふる(漫画)には及ばないまでも。遠くの何かもセルで動かしておく。夢と現実のモブシーンの描き分け。

2013/08/29
最後のシーンにはさようならとかありがとうの言葉があってもおかしくなかった。でもそうではなくてワインで良かった。

2013/08/29
宮崎駿が言葉にしなかったものを言葉にしても仕方がない。言葉にしても仕方がないと思ったものを言葉にしても嘘になる。でも何かを書きたくなるとしたらそれは礼状かも知れない。この映画は礼節の映画だから。

2013/08/29
レイ戦なんか嫌いとか言いながら、あんだけ美しい零戦を描きやがって、と思った。あんなに美しく動く零戦なんてどこにあるだろう。

2013/08/29
タバコの煙で前が見えない会議室のシーンさえなかった。気にするなら煙草よりも計算尺。

2013/08/29
言葉にできない何かがある。秘密でも思想でもなく彼が信じたものでもなく彼は信じられなかったものを描いた。自分はこれを信じているが君に信じろなんてとても言える代物ではない。もののけに感じたあれ。

2013/08/29
訳も分からず泣きそうな所が数カ所ある。理由は分からない。そのどれも宮崎駿が泣いた所じゃないだろう。スタッフの顔が思い出されて泣いたのかなあ。映画で涙が止まらなかったのは泥の河。

2013/08/29
なんかよい日本の映画がやっと出来ました。という感じ。原作や実在の人物に敬意は表しても切り貼りして跡形もなくする。原作は幼虫で宮崎蛹を変態して作品になる。だから礼節はある。

2013/08/29
音が耳に残った。いい言葉なら印象がある。悪い言葉なら単調。それさっき聞いた感が繰り返す。

2013/08/29
なにかこうパチパチと野火が移ってきて取り囲まれて焼けてしまう。

2013/08/29
タン タターンタ タタタターンータ タンター

2013/08/31
誰かに作ってもらった感動なんていらない。映画は目の前にある風景に過ぎぬ。そこににじみ出る人の形にたじろぐ。

2013/08/31
自分が座れる小さな空間を確保する事が社会と関係するという事だ。書きたい事に迷いはない。分かってもらう様に描く事が難しい。作品とはそういうものだろう。それが自分を掘り当てると言う事ではないか。

2013/08/31
めんどくさいと言っているのなら、もうはっきりと見えて分かっている時分なんだ。

2013/08/31
この作品は擬似体験するものではないと思う。テーマを見つけるものでもない。いっしょに歩いてみる体験ではないだろうか。

2013/08/31
自分の世界観を語るしかない。しかも饒舌に。作品が沈黙しているから。

2013/09/21
はだしのゲンも読み始めたら止まらなかった。風立ちぬ と同じものを感じた。

2013/09/21
風立ちぬ と はたしのゲン は作品として兄弟だと感じた。不思議な感だ。これが誰かに正しく伝わるとは思っていない。

2013/08/31
pacific rim
設定の嘘を全力でリアリティを持たせるのが巧い。その肝となるのが組織。組織として合理性を持って成立するなら本物に見えてくる。必要ならその為の法律さえでっち上げていそう。

2013/08/31
怪獣であれども寄生虫がいたりDNAを解析したりと合理的。しかも別世界の生物と同じ構造のDNAなどという疑問をはさむ余地のないタイミングで言うもんだから、素直に受け入れてしまう。これはマジックだ。

2013/08/31
日本の巨大ロボットは坐って操縦が本流。この操縦はジャンボーグAのタイプ。

2013/08/31
日本のロボットは万能感と自由の象徴。個人の手足の延長であり自己の拡大という感じ。Pacific Rim にあるのはヒーローになるためのツール。組織の中のそれぞれの役割を全うする事が大事という感じ。同じ巨大ロボットでもずいぶんと違う。

2013/08/31
マジンガーの最終回と同じでやられて壊されて、そこから勝利に転ずるカタルシス。ストーリーはインディペンデンスデイの類型か。最後まで世界観を壊さないでいた。でも最後の救援ヘリはきっとアメリカ海軍なんだろうなあ。そのリアルさ。

2013/09/02
老魚が嘆く。「最近の若魚は尾は小さくひれは太く泳ぎが遅い。我々の若い時と比べ情けない限りだ。これから先どうやって水の中で生きて行けようか。」そばにいた坊やが言った。「でもおじいちゃん、若いお兄さんたちは水の中から陸へ上がっていくよ。泳ぎを捨てて、陸に上がるために変わったんだよ。」

2013/09/02
求められる姿を具象化していたらこうなってしまったの?

2013/09/03
ゆうきまさみは公務員を描けば日本一だと思った。振り返れば後藤さんも公務員だった。バーディーも公務員だった。今回もそうだし、いつか帝国陸海軍を描かないかな。

2013/09/08
自由という考え方は神という考え方と根本では結び付いているのではないか。

2013/09/08
ハウル
ソフィーの雛形ってシンデレラか。で王子と出会ってからの物語。

2013/09/08
文法は余計なものを取り除く為にある。それは理解を助けるものではあるがそれで作品を分かった気になると多分間違える。

2013/09/08
前半は荒地の魔女との対決、後半は戦争の行方、これら物語のコアがとちらもスルッとスルーされる。

2013/09/08
ソフィーの見た目を若くしたり年とらせたりコロコロ変えなければならないのだからラブストーリーではない。おばあちゃんのままなら納得できるけど。おばあちゃんは城に乗り込むための方便であって魔法をいつどう解くかはスルーされた。

2013/09/08
謎解きをクライマックスにするような映画ではない。戦争のなかにファンタジーは成立出来るのかを試そうとしたのか。ならばこの映画の中のファンタジーとは何か。

2013/09/08
ファンタジーの特徴は説明を必要とすることか。カルシファーが存在感がある。

2013/09/08
お城に行く所が関係者が一堂に集まる最初の盛り上がりになるはずであった。だがここには安易な対決を配置しなかった。ここから物語はラピュタと似たお城の謎が中心となる構造で進む。

2013/09/08
ソフィーを次第に若くしてゆくのは、まるで各年代の女性を描くためのようにも思えてくる。で王子さまのキスで魔法が解けたら、あとはずっと若い。それは安易。

2013/09/08
物語を繋げるために説得力のない行動もある。それでもソフィーが草原から歩いて帰るシーンにやっとたどり着いた。

2013/09/08
エンディングを見る限りこれはシンデレラとか眠り姫みたいなおとぎ話。ただ19世紀頃を舞台にすればおとぎ話はこうなるというお話。

2013/09/08
初めて見た時は、はっきりと戦争を描いた作品と思った。けれどこの映画は何だろうかとも思った。何を描こうとしたのか不思議だった。反戦でもラブストーリーでもない何か。面白くなりそうな予感とエピソードの連続。そして物語の終り。なぜ人は物語の終りというものを認識できるのだろう。

2013/09/10
たとえ別の世界の私が違う決断をしているのだとしても、関係ない。別の世界では成功しているのかも知れない。それも関係ない話だ。この世界を神々が作ったのだとしたら、この私の決断も神の意志に違いない。それを外から見ればたわわに実った葡萄畑にある一粒に過ぎぬだろう。

2013/09/13
重力と戦う女性の魅力。

2013/09/15
横浜から藤井と歩いて帰ろうとしている。アーケード街でかき氷を食べる。古い電車に乗ったりしているうちに、山の上に登り廃墟のビルの上にあがった。キュィンキュィンの音。たちまち津波がきて山の上まで波に飲まれる。浮遊物に二人で掴まって揺られている時に雨の音で夢から目が覚めた不思議。

2013/09/23
自分にさえ100%の信頼なんかおけないのに他人にそんな特権を与える訳がないじゃないか。

2013/09/27
宇宙人とコンタクトしたら、最初に交換すべきは周期表だし、人間の代表として紹介するのはシャーロックホームズだろう?

2013/09/27
だれもが先人の通った道を再び草刈りしながら歩いている。

2013/10/5
千と千尋の神隠し
食事のシーンというのはいっぱいあるけれど、ものを食べる演技はそんなに見れるものではない。

2013/10/5
親から離れて社会の中に入ってゆく。この映画は受け入れる側を描いた物語。

2013/10/5
名前を奪い魔法は使えても自分の子供も見分けられない何も知らない人だ。

2013/10/5
物語の整合性はどうでもいい所があって、それよりもちょっとしたシーンや風景や描き方の方がずうっと大切だし印象に残る。それらが何処へ行こうとするのか。

2013/10/5
よくもまあこういったものを思い付き構成し配置してひとつの流れにまとめるもんだて。

2013/10/5
作り方のコツとしては既存のテンプレートを幾つも持っておき、取り出しては細部を加工したり、新しく起こしたりしながら配置をする。配置とは言語であれ絵具であれ音符であれ数字であれ構造上は同じ。だか置いたり組み合わすだけでは配置ではない。

2025年7月6日日曜日

ヨブ記2

悪魔が人間の信仰を試してみたいと問うた。神はこれを諾しヨブを選んだ。悪魔はさっそくヨブのところに行き、様々な苦難をヨブに与え始めた。

ひとりごと(ヨブ)

このクソったれが。信仰されているからって舐めた真似すんじゃねぇぞ。

わしが生まれた時にはもういる神だから、何も考えずに信心を注いできた。短いながらも生きた経験に照らすなら人間には元来信心がある。それがどこに向かうかはわしの勝手ではない。生まれ落ちた場所や時代で決まる。わしの知らない神を信仰する人なら幾らでも会って来た。

偶々目の前に居た神だ。わしの信仰心がどこに向かうなど偶然だ。もっと東の地で生まれていたら、別の何かを信じていたであろう。

わしの信仰心もそうとうに見上げたものである筈だ。なんせわしは自分の子まで捧げた。やつの望みも受け入れた。もし生贄にせよと命じられたなら、わしはその通りに魂を返しただろうよ。

死んだ子らの気持ちを考えるまでもない。子供の命はわしのものではない、それくらいはわしだって知っておる。あの子らも生きたいと望んでいたであろうが、それでも神は連れ去っていった。

神があの子を欲したのだ。わしの命ではない。わしにどうこう出来る命などない。もちろん悲しかった。わしの心は潰されそうなくらいに辛かった。

それでも。何だこのほとばしる激しい痛みは。こんな痛みと苦しみが人間に耐えられる訳がない。なぜ神はこれだけの痛みを感じるようにわしらを作ったのだ。なぜそんな運命をわしを投げつけたのだ。

こんな仕打ちを神が望む理由は何だ。この苦痛が必要な理由はなんだ。なぜわしの体にこれだけの苦痛を与えるのか。なぜわしはこの痛みに耐えねばならぬのか?それが魂の救いとどう関係するのか。この痛みがどんな試練だというのか?この苦しみの先に何かあるのか?

もしかしたら神はわしがこれほどの苦難の中にある事を知らないのではないか。だからわしのこの苦しみを取り除けないのではないか?何も知らぬのか、それとも知っていて何もしないのか?

この苦しみを知ってもまだ救いに来られないのなら、わしにはその意図を正しく知る義務がある。それなくばわしには耐えられぬ。

もしそれが叶うならば、わしはまだこの先も耐えられるだろう。だがそこに納得できなければ、わしは何を頼りにすればいい?

別の神に向かうべきか?救ってくれる神こそが神ではないか?神を捨てる?そんな恐ろしい事を。

神の試みが永遠の苦しみだとしたらどうする?それが神の望みなら?そこにわしの救いはあるのか、永久にこの苦痛に耐えるなどわしにはできそうにない。例え神の御心であってもだ。

救うとは終わらせる事ではないのか。もし神が終えぬのならわしはわし自身の手で終わらせる。その手段が残されている。それが神の深淵なる思し召しか?試練は終わるから耐えられる。では耐えた後のわしに何が残るのか?

わしは神に従うしかない。その時点でわしの信仰はもう汚されている。わしはその脅しに屈したのだ。その為にこの苦しみはどうだ?

神とは苦しみに手を差し伸べる存在ではないのか。人間を救う為に存在するのではないのか。予言者たちは救いがあると言いながらむこうの部屋で飲み食いしておった。しかし、今のわしにとってこの神は役に立たない。

この世界に病や事故は耐えない。老いや苦しみもある。それらを司るのも神だろう。それらも祝福しているのが神だろう。ならば神が祝福するものがわしを苦しめておる。その作用が肌にぶつぶつを作り出している。

どんなものであれ、神が支配している世界にわしらは住んでおる。わしを苦しめるものも神の世界を成す。神は全てを統べるならそれを神は望んでいる。

この病が斯くも苦しみを与えるのは神がそれを祝福しているからだ。それを取り除いて欲しい時に、神はわしよりも病の基の方を祝福している。

神はわしよりもこの病の方を気に入っているに違いない。わしの信仰心よりもこの病の方を気に入っている。だから神に愛されぬわしには苦しみしかない。

人が常に善人とは限らない。だが悪人だからと罰されると言う話は聞いた事がない。それをわしは経験から知っている。神は悪を滅ぼす気がない。悪さえも祝福しておる。病でさえ神の祝福なのだ。

人の悪意は跡を絶たない。わしが苦しんでいる時にわしの富を奪おうとやってくる盗人がいる。その盗みも神の意図であろう、神はその盗人さえも愛する。ならばわしがその盗人を叩くのは神の意にそぐわぬのか。それともそれを殺す事が神のお望みか?

てんでばらばらに好き勝手に自由気儘で良いのか?それが神の希だと言うのか?ならば、なぜ神はわしらに何かを望むのか?見返りを与えるなどと言うのか?すべて存在するものを一辺に救えばいいではないか?なぜ小出しに祝福し罰するのか?

いや、そもそも神は祝福する存在なのか?祝福とは何なのか?富んだ者には金銀を分け与え、貧しい者には心の満足を与える?それで満足というのか?

わしの心とは何だ?苦しい、悲しい、その感情がわしの肉体に宿っておる。他の奴らが苦しんでいないのにわしだけが苦しんでおる、そう感じる事がわしの心だとしたら、わしはわしの苦しみを不公平だとわしは言う。

それを解消するには、わしが苦しみから解き放たれるか、神の御心と満足するしかないのか?それが神の意図なのか、そんなもの神に頼らなくとも、わし自身でやってやる。

わしの神とやらはどこにいる。わしのための神がどこに存在する。それぞれ人の数だけ神がおるに違いない。道端の石ころにさえ神は愛するであろう。そういう神に畏敬を感じるとしても、わしに神は必要ない。必要としようがすまいが神はいる。

助かろうが、助かるまいが、神はいる。わしからの働き掛けなど神は欲しない筈だ。それでもわしが神への信仰を示したいのだとしたら、それはわしが勝手にやる事だ。

わしの神が他の神との力比べに負けたとしても仕方ない。それが神がわしを苦しめる理由だ。わしを救えない神が何の役に立つだろう?弱い神をわしが信仰する理由?

力の弱い、わしを見捨てる神をなぜ信仰する?それに答えもしない神をなぜ望むか?なぜ全知なのにわしが信じ続ける事を知らないのか。なぜわしが反抗する事を知らないのか。この神はこの神ではない。

どれだけ悪態をついても、本当の神ならそれを既に知っている筈だ。全知であるなら知らないなどあり得ない。この世界の未来を統べるのが神であるのだからこの結果も知っていた筈だ。全知に未来と過去はない。

知っている事が起きたからと言ってなぜいちいち怒る必要があるのか。知らない事があろうはずがない。わしの何をお怒りになったのか、それを知る事は人間の外にある。神の気持ちはわしには分からぬ。

わしの信仰を試すため?試さねば分からぬ程度なのか、わしの信仰心は?試さねば分からぬ程度なのか、神の知る力は?わしも人である。痛みや怒りを感じるのは当然ではないか。心が揺らぐから人でいられるのだ。もし心を揺らがぬ事を神が望むのだとすればもう人ではあるまい。

わしに試練を与えると誰が言った?乗り越えられぬ試練などないと誰が言った?当たり前ではないか?わしが死んでしまえば試練も同時に消えてしまうのだ。生きている限りはわしはそれを乗り越えている。馬鹿馬鹿しい。

死ぬ事で消えてしまう試練と言うようなものを本当に人間に与えるだろうか?そんなもので人間は喜ぶだろうか。わしが怒りにまかせて神を罵った時にわしの心は揺らぎはしていなかった。ただ空に放たれた矢の様に突き刺さるべく真っ直ぐだった。

この世界の全ては神なく動く筈もない。悪魔でさえ神の祝福があるから存在しうるのだ。そうでないものが存在する筈がない。ならば全てを神は許可している。

わしの中には沸き起こるふたつのものがある。神への畏敬と、わし自身だ。だが全てを知っている神にわしが何かする事があろうか?ある筈がない。なぜ神は求めるのか?なぜ神は求めないのか?

ぎりぎりまで苦痛に耐えに耐え、そうして信仰心を示しておいて、やっと悪態をつく、そうすれば、まんまとわしの前に姿を現す。この賭けはわしの勝ちだ。

今まで誰も見た事も聞いた事もない神をやっとわしの前に引きずり出したのだ。この程度が神の訳がない。神の名を語るお前は誰だ?

それでもわしの中には神を敬う心がある。不思議だ。こんな境遇にあっても、わしの心から神は離れない。居ようが居まいが関係ない。本物であるかどうかもどうでもいい。偽物であろうと、本物であろうと、わしの中に神を想う心がある。それが消えない。

与えるのも神なら奪うのも神という、それは神の御業であって、勝手にやってろ、本当であろうと嘘であろうと、わしには何の関係もない。わしは神の奴隷ではないし、神もわしの奴隷ではない。

わしが長生きしたとしてもそれが神の祝福である筈がない。わしは苦しみも祝福も拒否する。それを神という理由にはしない。

本当の神がいるとして、それはこのような状況になってもわしを苦しみからは救おうとはしない神がいるとして、それでいい、それで十分である。いつかわしがその寝首を刈ってやる。そのための神でいい。

2025年6月28日土曜日

対立言語の研究1

2010/07/01
「状態を見て決める人」、「仕組みを知り決める人」、「人を見て決める人」、いずれも危ない。

2010/07/12
お笑いからも分かるように「短い1分」が時間の限界になってる。この時間でないと飽きられる。集中力が持たない。政治も説明する力である限りこの「一分の壁」で闘争する。標語はその最たるもの。説明は必ずしも真実ではない。記憶。だから繰り返す。途中から頭を働かせない事が肝要。マスコミに真実は期待できない。検証はどこがする?

2010/07/13
馬鹿を馬鹿にしていたら負けた。馬鹿を賢いと勘違いしていたら負けた。馬鹿をちゃんと馬鹿扱いしないから負けた。

2010/07/17
結論を言う。相手が想定していない言葉で反論する。説明を始める。理解する為に。真実でなくとも理解が出来る事。聞いてる相手が気持ちよくなったら成功。

2010/07/20
ある大変影響を受けた所を詳細に展開し、続けて二つ三つ案内し、最後に自分なりの語りで締める。

2010/08/17
「ヒロポン打てばそんな悩み直ぐに解決」という人には注意せよ。経済評論家の話は、ヒロポンかどうか見分けが付かなくて困る。

2010/08/24
「~なんです」という言い方は理由と説明を拒絶して相手を説得する時に使う。使う分には便利だが、使われる側になってたら気を付けり。質問も反論も禁止なんです。

2010/08/24
バイアスは、個人的嗜好に過ぎないものに社会性を与える事で強い圧力に変貌する。社会性を持った個人嗜好に対してただの個人嗜好では太刀打ち出来ない。

2011/09/18
「意味が分かりません」って言うくらいなら言わない方がいい。本当に分からない時はこんな質問はしないから。勘と理解力が悪い人と思われる。

2010/11/29
上手いタイミングで、「ああ、アレね」、「そっちか」、「そうそう」、「それそれ」、「だね」、と適切な相槌を挟むと知っていた事になる小技。

2010/11/30
教師のつもりで「結論だけ」を言う。理由は「自分で見つけよ」と教える。見つけれられない方が悪いという合意を暗黙に結ぶ。ヒントらしいものを付ければ効果覿面。理由をゲロらなければ成立する小技。いつか君にも分かるとケンカ別れすれば尚良い。立つ鳥跡を濁さず切断できる。

2010/12/01
情報リテラシー:自分で判断するのではなく、「誰かが判断したもの」に触れる機会の方が圧倒的に多い。

2010/12/01
情報リテラシー:識字 (literacy)という事から、本来の意味は、本だけ読んでても駄目だよ、新聞もある、テレビもある、ネットもある、という事。情報が多彩になったのではなく、「媒体が多彩」になった。係わる人が増えた。

2010/12/01
情報リテラシー:つまりは、字をより多く、より幅広く読め、と同じかと。

2010/12/02
「志がいい」と言うのは失敗した者への褒め言葉の一つ。10年後くらいに「志があったよね」と言われるのは、(失敗したけど)という枕詞。

2010/12/08
「コントロールしたい」という人に対して「コントロールしなくていい」は対論にならない。そうなると合理的な論議は難しい。平行線は交わらない。「証明出来ないもの」を「証明出来ないという証明」以外で証明せよ、と言われているに等しい。

2010/12/13
殆どの事は、「格好いい」と「フェア」の二つを押さえておけば判断できる。

2010/12/14
「百聞は一見に如かず」と言うが「言っても分からん奴は見ても分からん」。見て分かる奴は言ってる時に分からんなりに既に食いついてる。

2010/12/16
「そんなの当たり前じゃないか」と言うのは容易い。が、「当たり前を説明して見よ」と言われるとはたと難しい。それが分からない人の当たり前は弱小で。だから彼らは反論を許さない口調で話す。自分を隠す為に。怯えたキツネリスみたいに。何に怯えるか、それは自分が敗者である事。

2010/12/22
ボクシングの防御には、「かわす」、「はじく」、「クリンチ」、「カウンター」がある。論戦も同じ。ボクシングは罠の掛け合いだと世界チャンピオンも言っていた。

2010/12/24
他人に「教育を依頼」し他人から「肩書きをもらう」仕組みにしたらそうなる。

2011/01/18
「要求されたからやりました」じゃなくてそれを受けて「どう調べ判断した」か。何をしたかではない。何を「どう取り上げ考えた」か。何をするかは最後は予算の問題。考える事は金から自由な場所がある。

2011/01/24
何度考えても「この手順」が見つからなければならない。ただしそれは正解の保証ではない。「こうなっているはず」、がなければ一歩も動けない。

2011/01/24
「価値観でものを見るな」それは嫌悪しか残さない。自分に都合の好いものは残し、対立は排除する。「価値観は持つだけにして」使わないのが良い。君の好みが聞きたいんじゃない。考えが聞きたいのだ。

2011/01/24
「回答できない」のなら欠陥である。その一点で全てを否定する。一つの矛盾で全てを否定するのは数学の証明方法だがこれは誤用。証明失敗がもう片方の正しさを証明する訳ではない。最初から同意も議論もする気ないから証明を求めている。

2011/01/24
「やれば出来る子」ってのは、「やらない子」じゃなくて、やっぱりたいていは出来ない子なの。でも別に出来る子になって欲しい訳じゃなくて、出来なくてもやる事が大切なの。子供に成果を求めてどうするの。今は訓練の途中なの。

2011/01/25
「人を見抜く目がない」人は取り敢えず「信用しよう」とする派。「人をぱっと見抜く」人は「信頼する」派。

2011/01/27
仮説を立てても、仮説通りにならない測定値がある。その結論は千差万別でもそこで立ち止まれる人は偉い。

2011/01/28
一番の最悪は言語にある。最悪には幾つもの状況がある。そのどれもが最悪だ、その中でも最も最悪なのは?と問う事ができる。最悪は"問題"で置き換えられる。なんと淡白な言語か!

2011/01/31
大きいウソが、本当になるのにもメカニズムがある。ソレハアリエナイと主張しても、でも「見たんだ」と言われたらどうしようもない。

2011/01/31
大きいウソは、想像を超えるので、それを信じれば、無い事を証明しなければならない。あるとないとでは「ある」と言う方が絶対に有利。

2011/01/31
それを想像できる所まで引きずり降ろして、矛盾を指摘すれば可能か、背理法?

2011/01/31
もっと大きな嘘で上書きするか。この手法で天動説を信じ込ませる事は可能だと思う。

2011/01/31
いずれにせよ全て合理的なメカニズムで動いている。自分の合理性も、相手の合理性も、並列して動いてる。相手の合理性さえ掴めば納得できる。ミミズだって合理性の固まりだよ。

2011/01/31
よって、真実とはウソの一形態に過ぎない。三角形が台形の特殊形に過ぎないのと同じ。ウソは真実を含み、ウソである事は真実である為の絶対条件である。

2011/01/31
浮気と誤解された時に「本当」の事を言った所で本質的にはウソである。だから嘘になる。ならもっと「大きなウソ」で真実に近づける手はないか。御釈迦様の手のひらを飛び回る悟空になる方向で。

2011/02/01
兎にも角にも最後は「不安」に集約する。

2011/02/3
ぐうの音もでないほど「論破」されるよりも、多数から理由もなく理不尽に「不支持」される方が決定的。取り上げられないならそれ以前。内容ではなく支持されるかどうかの勝負。

2011/02/4
Newsは起きた事を伝えるのではなく、それをどう考えれば良いのか、その考え方を伝えなければ。善悪にも反対にも賛成にも「理由」を人々は欲する。

2011/02/04
知識量は「物量」だから、どんな作戦も戦略も思考だけでは物量の前に敗北する。

2011/02/04
変わるにはキッカケが必要でそれは古いものが劣っているとか悪いものだからではない。未来を信じているからでもない。殆ど何も変わらない明日でも、明日が先に来てしまったからだ。

2011/02/04
それに萌えない100人よりも萌える1人を擁護したいのだ。

2011/02/05
自分に都合のいい話しを、他人を馬鹿扱いしながら進めるのはかなり追いつめられているからだ、そうでなきゃやってられないはずだろう。罵倒こそが「信仰」な訳だ。

2011/02/8
推定有罪でいいってTVが言ってる。60年以上生きて来て、こんな所に来たのだとしたら、死ぬ瞬間まで何にも気付かないままでいるんだろうな、この人。

2011/02/10
「面白い」とか「凄い」って、それを見つけて驚いてる自分に興奮してるだけかも。自分を語りな。

2011/02/12
あ、そうか、彼は「補助線」を引こうとしてるのか。

2011/02/13
なんかやりにくいと思ったら近代化された「精神論者」だった。

2011/02/15
理由も述べずに「駄目」と言っても、それで通用すると思ってるのなら、聞く必要はない。

2011/02/15
多分二つの異なったコミュニティーが同じ場所で混在している、目に見えないから気付かないけど。善良な人たちがお互いの正義さえ異なる所で異なる考えに立ち、それで地域にアプローチしてゆく。顔見知りにもなれらいなら対立するだけか?

2025年6月20日金曜日

切り抜きストーリー10

2013/06/02
この混乱の噴出はあの戦争にケリを付ける時期が近い事を示しています。

2013/06/06
前項の目的を達するため"の"、を付けておけば何の問題も無かったのに。

2013/06/09
人間は機械的に正確なほど素晴らしい。しかし機械の正確さになると詰まらない。

2013/06/10
これから私は闇の奥深くへ赴きます。私からあなたに返事を返す事はないでしょう。それでもあなたが私が動いている事を信じてくれるなら。もしかしたらあなたの一生よりも長く、星の寿命よりも長く、私が動いている事を信じてくれるなら。あなたが信じてくれるなら私は行く事ができます。

2013/06/11
戦車の前で立ちどまった人も人間なら戦車を停止させた兵士もまた人間であろう。それを見守ったのも人間なら、素通りしたのも人間だ。対話しようとしたのも人間なら更迭したのも人間なのだ。生きている人間がした事だ。

2013/06/11
法は法の精神に集約する。それが現状と乖離するなら法を変えるしかない。変わらないなら政権を変える。それでも変わらぬなら革命で法を無効にするしかない。いずれも既得権益者を説得する、追放する、それでも駄目なら殺すという手続きである。

2013/06/15
経済学とは経済のデバッグに候。

2013/06/19
深夜にやっているこの映画はかなりいい気がする。深夜にしか流さないことを悲観すべきか、深夜でも流すことを讃えるべきか。

2013/06/19
その泣いた日本中に僕は入れないでね、ガリレオ。

2013/06/19
間抜けめ。まずは問え。間を抜けとはそういう意味だ。間か抜けているだけではないのだ。

2013/06/20
忘れない様にメモと書いてみたけれど、本当は忘れても良いようにメモと書いた事に気付いた。

2013/06/23
人類が生まれるずっと前からそこにあって、と書こうと思ったけど富士山って出来て数万年しか経っていないので、人間にしたらまだ小学生くらいの女の子で、この山が好きとかいってる人はみなロリコンで写真とってる人はみんな逮捕される変態なんだ、阿蘇山なら合法なのにと思う。

2013/06/24
手放しで誰かに全てを託すのが怖くないのか。

2013/06/26
血が出るまでかきむしってキンカンを塗ればたいていの痒みは吹っ飛ぶ。

2013/06/26
今は負けていてどうしようもならん。

2013/07/07
最近、態度も悪いし味もマンネリだなぁって他のラーメン屋さんに行ってみたのだけど、なにこの味素人と不満爆発の状態になって、またもとの店に戻ってきてやっぱこの味だよなあと言っている訳で、食中毒になって一回徹底的に痛い目に会うまでもうどうしようもない。

2013/07/12
世界制服を統一政府の樹立と言い換えるだけで特撮やアニメは新しい世界に行けるかも知れない。

2013/07/13
プラスチックのパスタが光に照らされて、どこかで作られたフォークがくるくると夜を巻き込む。流れてゆく紅い断崖になめくじがいくさの準備を完了した。

2013/07/14
次の選挙で勝った政党は我が物顔で政権を運営するだろうし横暴な人も増えるだろうから、そう遠くない将来に平家の滅亡が見られると期待している。その次に来るのが源氏とは限らぬが。

2013/07/15
劣化と言えば、来ているものが一気に剥がれて痩せ細った姿が現れるとか、龍の鱗が一瞬にして剥がれて中から少年が出てくるとか、そんなイメージがある。劣化も成長も一気に起きるものなんだろう。

2013/07/15
宮崎駿
千と千尋の神隠しは、水、お湯、川、海、湿り気、水蒸気、雲、様々な水の形に触れられるような映画だった。

2013/07/15
ハウルの動く城は、都会の空、草原の空、山の空、戦争の空、暗い空、明るい空、様々な空を見る映画だ。

2013/07/17
絵の魅力とそれが描いている姿形の間には何の関係もない。

2013/07/18
あぁそうか。もののけ姫は取り込まれるに対する人間を描いたのか。

2013/07/28
漫画の巧さってちゃんと立体が見えるかに尽きる。この奥行き感はCGとは何か微妙に違う。絵画とか日本画もそうなのかな。

2013/07/29
誰もかが「風立ちぬ」について語っているつもりで、自分自身を語っている。それが宮崎駿だ。
2013/08/17
宮崎駿は、大衆を大衆として描く。大衆として描かれた人たちが全員同じ(または2、3の)リズムで動くから、そう感じるのだろう。


2013/07/17
前をすごくいい女が歩いている。バカっぽく髪をかきあげたりして。怪人蜂女みたいなサングラスをしている。see you later のジャケットで見たから知っている。

2013/07/17
鈴木杏樹らしき人と車で田舎に帰る夢を見た。可愛くていいにおいがした。そりゃ恋しいわな。そこに岩井がいたのにはどういう意味があるのだろう?

2013/07/19
夢の中に中山美穂とおぼしき中島さんが出てきた。会社にいたのかなあ。そのあと一人で古い温泉に行った。

2013/07/17
気配が消せるのって、飲食店では気付いてもらえないかも知れないけれど、もし草食動物なら捕食者から逃げれるし、肉食動物なら獲物に気付かれずに近付ける。人間なら暗殺者に最適と暗殺先生に書いてあった。

2013/07/17
さあ、この国の終わりをしっかりと見てみようではないか。

2013/07/17
映画「サバ定食」を撮るときに高倉健さんにご飯役を頼むか、サバ役を頼むかと言う話か。

2013/07/20
だまれ、河川の石がって罵倒を思い付いんだけれども、河原の石には万単位で古いのもある。山の上、海の底、暑いのも寒いのもみんな見てきた。

2013/07/21
昨日と変わらない1日なら空想の世界に幾らでもある。何かを探している限り同じ1日は決してない。

2013/07/24
決断と責任か。言うは易し。他人を罰するも易し。他人に行動させる決断も易しだ。

2013/07/27
今さらファシストはないと思うけど、もっと違った何かが生まれるかも知れない。どちらも国民の支持で生まれた政権であり合法であり否定できない。

2013/07/29
平和主義の最終的な紛争解決の手段が敵国内で革命を起こし悪い政府を倒せば戦争は起きないだったので妙に納得した。軍隊を持つかCIAを持つかだ。帝国陸海軍か明石大佐かだ。

2013/07/29
最初に裁判官、次に警察、最後が検察。それでおわり、あとはない。

2013/08/02
Maria Mitchellみたいな人がジブリの映画になればいいのにな。

2013/08/06
宮崎節がある以上、好き嫌いは生まれる。だがそんなものは表層に過ぎない。それを剥がして掘った所に何が埋まっているのか。

2013/08/12
ぱんつを脱いでない論は公式見解ばかりで本音を語っていないという事だ。だがファンからすれば着込んだ服の上から裸の姿を想像する楽しみもある。脱げばいいものではない。宮崎駿が脱げばすごいんですってのは服を着ててももう十分に分かっている。

2013/08/11
カエルと呼ばれる沈思した哲学者。

2013/08/19
フクラガエル、これはもう人だな。

2013/09/03
ミツヅノコノハガエルはパシフィックリムに出てた。

2013/10/20
いやんかわいい。根付にしたいわーマルメタピオカガエル。

2013/10/25
お武家さまガマガエル。

2013/12/04
科学者の眼のカエル。

2013/08/11
忍び寄る白い影が黒い。

2013/08/09
平安時代は恋の歌が華やかだが歌の上手い連中の殆どはゲテ物食いであった。面食いには不遇の時代である。歌で口説き落しても会った瞬間に萎えるのが普通だった。これはそんな貴族の青年が理想の人と巡り合うまでの物語である。

2013/08/19
平安時代の貴族に「どうも貴族の娘はすかん、百姓のなかに美人が多いように感じる」と悩む青年がいた。友人に相談したらお前は変態かと諭された。それでも彼は足繁く荘園へ視察に出かけた。彼は頻繁に農地を訪れるうちに農法を改良し税収をあげ、出世することになった。

2013/08/14
運動家というのは自分の意見が通れば世界がどうなろうが知らないのだ。自分の意見で世界が歪んでもそれがまっすぐに見えるのだ。世界に神の欠損がありそれに変わって命を護るものに価値をおく。たぶんそういう構造。

2013/08/15
ある経済評論家は彼自身のB級さに存在価値でありBクラスの見本として見てきたがこれ以上はもう必要がない。

2013/08/15
希望や仮定から出発した推論はどこまで行っても仮説の域を出ないが、推論を二、三回すると真実として使う事が出来るようになる。仮説ロンダリング。

2013/08/15
ステレオタイプな感傷を述べるのに戦争を持ちこむなよ。

2013/08/17
はだしのゲンの画風に好き嫌いがあるのは当然として画風が嫌いだから読めないというような人は一生何を読んだところでたいした感想が聞けるわけもない。悲しみに嘆く人を単に顔が嫌いだからと通りすぎるような人と話す価値があるのだろうか。

少なくとも二巻までは読もうよ。はだしのゲンは漫画ではなく慟哭なんだから、そういうもの例え救えなくとも意見が異なろうと付き合える人間にはなりたいものです。

はだしのゲンの絵柄は癖があるんだけど、じっと見れば洗練されている。黒をあの様に使った漫画は稀有だ。漫画をただの娯楽だと思う人はただの娯楽として一生楽しんでいればいい。僕はごめんだ。

どちらかといえばゲンの絵柄でのアニメがない。

2013/08/19
選択の自由は与えても選択肢を作る自由は与えない。

2013/08/20
不安は必ず将来に横たわっている。過去にはない。

先の事を考えたら必ず不安になる。将来を考える能力答えが見つかる能力ではない。それは不安を見つける能力だ。未来は不安で詰まっている。

不安事があるとしたら、それは来るべき姿が実ははっきりと見えているからだ。その姿を受け入れてみるか、どうか。出来る事はそこから。

2025年6月14日土曜日

ヨブ記1

悪魔が人間の信仰を試してみたいと問うた。神はこれを諾しヨブを選んだ。悪魔はさっそくヨブのところに行き、様々な苦難をヨブに与え始めた。

ひとりごと(神)

いったい私が何をしたと言うの。確かに悪魔に許可しましたよ、ヨブでいいよ、何も考えずに相槌したわよ。そりゃそうよ。誰でもいいのよ。

別段、直ぐに罵詈雑言してくれちゃってもいいのよ、別にその程度で怒りゃしないわ。第一信仰心って何よ?あなたがわたしをどう思おうとなーーんにも関係ない。

第一神が怒るってどういう存在よ?わたしをなんだと思っているの?あなたたち、感情のコントロールもできないくらいに老化してるとでも思ってるんじゃないでしょうね?

もう、さっきからずうっとわたしの名前が呼ばれているんですけど。

でさ、でさ、あんたらって、ずっーーとわたしの名前を勝手に使ってきてるのよね、勝手に許しますとかって言っちゃたりして。

いつわたしが許したっての。許したよって話したことが一度でもあるの、それを誰かが聞いたってホントなの?

言っておくけど、一度だって許さなかった事なんてないわよ、もちろん。一度だって許した事もないしね。

だって、わたしがあなたたちに話しかけた事なんて一度もないから。

アブラハムが良い人が50人いますから、10人いますから、まだ1人はいますからって言ってくるの。はいはい。だれ?あんた。

ソドムとゴモラがわたしの怒りですって?ほんとに?まったく記憶に御座いませんわ。隕石の軌道計算をして落とすような事をわざわざする?ファーストインパクトを起こしたこのわたくしの緻密さを舐めないで欲しい。

ロトだけに声をかけたですって?わざわざわたしが?その辺の天使が勝手にやったんじゃないですかねー。

洪水だって、許すの許さないだので雨を降らしたわけじゃないのよ。地上を作り替えたいですって?この全球凍結を起こして見せたこのわたくしが?

人間だけが気に入らないからって?恐竜を二億年も見続けたこのわたしが?その為に雨を?太陽が燃えるのは人間の為?そこまで愛されてるって、何その自意識過剰。キモ。

わたしが作ったものをわたしがどう勝手にしようがわたしの自由よね。あの場所を更地にしてやろうと思ったとしても何も問題なしでしょう?

あのーーー。言っておきますけど、誰かの罪を決めたり、罰を与えるなんて事は一回だってしていないんですけど。

だって、わたしは神よ、神。いつどこで何をどうしようと全部勝手なの、自由なの。そういう存在なの。絶対に矛盾が起きないの、でもそれだけだと矛盾が起こせないという制限がある事になってしまう。それでは全能とは呼べないでしょう?だからわたしは矛盾も起こせるの。おかわり?

ニュートンの法則を守るのも私なら、破るのも私。どう好きに変えても全部わたし。光速度を遅くしようと早くしようとどんな値にでも出来るの。それを途中で変えるのもわたしの自由。プランク定数をどうするか、どんな宇宙を生み出すか、ぜんぶぜんぶわたし。

悪魔だってそう。勝手にやってきて、あたかもわたしの許可を貰いましたみたいな顔をしてるけど、別にわたしの許可なんか取らなくたって、普段から好き勝手にやってるじゃん。

それをいつ私が咎めたっていうのさ。暇を持て余した神々の遊びじゃないのよ。わたしの所に来てわたしとお喋りして勝手に楽しんで遊んでいっただけじゃん。それをまるでわたしが何かを命じたみたいな事にしちゃってさ。

ちょっと待ちなさいよ。いいかげんにして欲しい訳。神と悪魔の大戦争?そんなもの起こるわけないじゃん。堕天使?私の住処が天国だけだとでも思ってるの?わたくし、全知全能よ?全知、全能、分かる?

全能って事は何事も可能で成立するって意味なの。わたくしに不可能はないの。ここにA=Bがあります、同時にA≠Bもあります。この両方が同時に成立します、それがわたし。

どっちも成立するの。わたしに出来ない事はないの。それは同時に起きるの。わたしには矛盾がないの。でも矛盾があるの。わたしに不可能はないからね。全ての状態が重ね合わさってる感じとても言えばいいかしら、にゃーん。

そのわたしに向かって、ああん?一体、何を許さないですって?何を許すですって?誰が許すですって?誰が許さないって?

あの三紳士ども、やってるのは全部悪魔じゃん。交渉したいんなら、わたしじゃなくて、悪魔と対話しなさいよ。眼の前にいるのは悪魔だよ。そんな事も見えないでどうすんの?このペテン師さん。

ヨブはヨブで悪魔の姿が見えていないでやんの、まるで私がやったと思ってるわけ。馬鹿らし。

最初は私への信仰とか言いながら、苦しみに耐えられなくなったら、私への恨み辛み妬み。自分の子供が死んでも嘆き悲しむだけったのに、自分の体に痛みが起きたらもう前言撤回。

あなたがそう感じるように作ったのは誰だと思ってるの?あなたが感じるその痛みも湧き上がる感情も全部あなたのものではないのよ。本当にわたしを信じているのなら、最初から私がそうなるように作っていたと考えるわよね。

病で死ぬのも老いて死ぬのも誰かに殺されてしまうのも私がそうなるように作った。そこに瑕疵なんかないわ、わたしは全知全能だからね。だからよ、もしそう思うなら、当然の事、全ての起きている事象は私の意志って事になる。そう考える。

その当然の論理の帰結として、それを私が許したとか、祝福したとか、あり得ない!好き勝手ほざいてるんじゃないわよ。すべて仕様どおりなの。なにひとつ問題はありません。すべて通常運転です!運航に支障なし、です。

わたしがこの世界の全てを統べています。そしてなにひとつ統べてはいません。Ta-da。

あなたたちが勝手に何をやろうとこっちは知ったこっちゃないの、殺し合いでも苦しめあいでも滅亡でもどうぞご自由に。それくらいの自由は渡している筈よ、あなたたちは何も禁止されていないわ。

わたしはこの宇宙にある全ての太陽の運行に忙しいのです。何兆もの銀河をぶつけるのに忙しいのです、量子の運動をひとつひとつ決めるのに忙しいのです、今日も明日もすべての諸元は過不足なく機能しています。

あなたの言う欠陥も含めてすべてわたしの設計通りです。その意図が読み取れないならそれはそちらの落ち度。わたしの責任ではありません。あなたはわたしの顧客ではありません。わたくしはあなたの召使ではありません。ああ、神様お許しを?本当の信仰があるなら、こんな言葉は使いません。

神の祝福を?えっ、いつわたしがあなたの言葉に従って誰かを祝福しなければならないですって?はいはい、わたしの赤ちゃんですかー。わたしはいつから哺乳類になったんでしょうね?

私がそれを許したのだから、この事件の正犯はわたしですって?悪魔は実行犯に過ぎないですって?真犯人はお前だっ、じゃないのよ。

私がこの世界の全てを統べているのだから、あらゆる責任はお前にあるですって?わたしたちは雛鳥なのだから餌を与えるのは神の友愛でしょう、ですって?

おまえが全知なら、わたしが反抗する事を予め知っていたはずじゃないか、ですって?なぜ私を試した、結果も分かっているくせに、ですって?

何?わたしには知らないって事はないって事?それはわたしには知らないでいる事が出来ないって事?それってわたしにも出来ない事があるって事になりません?わたしに不可能があるのならわたしは全能ではない事になる、その時点でわたしは神じゃなくなる。

冗談じゃありません。いますぐ全てを塩に変えてしまいましょうか、それともブラックホールで烏賊の干物にしましょうか、暗黒物質をビリヤードのようにぶつけましょいうか。

あなたたちってじぶんたちの事を大麦小麦ライ麦だって言うわね。わたしにどう刈られるかが問題だって自分たちで言い合っているじゃないの。で、刈ったとしてその先は粉に挽くわよね。その果てはピザかパンかで窯でふっくらよ。どっちがいい?また畑に撒かれるとでも思ってるの?うふふ。

もうそうしてしまおうかって言ってるの。そうしてしまうかって聞いてるの。この私の声も聞こえたことないくせにっ!もし聞こえたのなら、いい?今すぐ脳ドッグよ。さっさと行ってきなさい。

2025年5月26日月曜日

切り抜き 福島事故ストーリー5

2012/03/3
どちらになろうとも彼の決断を支持する。彼がどう考えようがどう決めようが、そうと決めた事で宜しい。

2012/03/10
だから反原発ではなくて反大量放射性物質なんだ。大量の閾値に個体差があるのは当然。

2012/03/14
瓦礫の放射線量を示す時は比較対照の数値も欲しい。事故前か西日本の値とか。あと今日の放射線量にホットスポットの場所がないけど良いのそれで?ついでに予想される二年後の値も欲しい。天気予報の週間予報と同じ。

津波は襲撃してくるのだ、それからはただ逃げしかない、避難で済むようなものではない、と言うTBSの話に納得した。

ヤマタノオロチは水龍とも呼ばれ巨大津波の化身として描かれる。元々は川の氾濫や洪水であり天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)はたたら場を意味していた。

防波堤を越えたらどうするは決して想定外の話ではない。目の前にあるのだから空想できる話だ。越えないと決めつけていたのなら想定外だ。

2012/03/20
福島第一の事故は想定の斜め上を行く最悪なものではあるが最悪の結果ではない。この事故は世界をより良い方向に導くためにある。そうでなければ何の為の苦しみか。

2012/03/20
西日本の原子力発電所でも事故を起こせば日本は終わるけど世界は反原発になり救われるのではないかというツイートを見た。なるほど特攻隊はこうやって生まれたのかという瞬間が見れた。

2012/03/20
攘夷、特攻、反原発は一直線上にある点だ。

2012/03/21
官僚の現場は書類だ。書類と現場に齟齬があるのならそれを改善するために情報公開が必要である。それは官僚を監視するものではない。

2012/03/26
そうだね、あの津波が夜に来てたら更にとんでもない事になってたんだね。

2012/03/30
原発は戦争時には攻撃の対象となる。守る方にとっては優先度の高い地域だ。相手国も広範囲の汚染となればそれなりの覚悟がいる。すると交戦状態になった時点で停止する事になるだろうか。戦争継続のためにどうやって発電して行くのだろうか。

交戦状態となれば工業生産は尋常には行かぬし、経済の冷え込みも激しいだろう。だから他国を戦場とする戦争以外は起こせないとなる。戦場になった国はその時点で負け。すると専守防衛は抑止力としての機能を最も重要視して配備する事になる。その最大のものが同盟か。

この世界に国家が二つしかないとしたら戦争を支える経済基盤は何処にあるのだろうか。貿易のない世界で経済はどの様になるのだろう。世界に国家が多数ある事で戦争をする経済も成り立っているのだろうか。経済の濃淡があるから世界は動くのではないだろうか。

2012/03/30
なぜ明確に禁止ではなく出荷自粛なのか。損害賠償とか補償が違うのだろうか、それともその方が市場に対し安全に聞こえるのだろうか。ニュースはいつも肝心の疑問に答えない。

2012/03/30
ホラ話とデマの区別が難しい時代になってきた、悲しい時代だとは思わんかね。

2012/03/31
小さいものを大きく見るのが若者で、大きいものを小さく見るのが老人だ。そして中年の間はそもそも見ない。

2012/03/31
これだけの地震と原子力発電所事故の検証がこの程度の内容なら存在する価値はない。意味もない、意義もない、全く、完全に、絶対に。

2012/04/16
まだらに放射性物質が点在する状況で、海洋汚染の実態が掴めていない状況で、どういう検査をすればより安全と言えるのか。統計学による数学の裏付けがいると思う。気にしながらもサンマを食べてますけどね。

2012/04/25
今年の夏は大規模停電が起きるかどうかが全てだ。政治も経済もこれで雌雄が決する。どういう結果であれ現場にいなかった者がのさばるだろう。

2012/04/27
見失ったのは過去だろう。自分の足で歩き始めたばかりだから不安を感じているだけだろう。

2012/04/27
今年の夏は電気を巡る大坂夏の陣が起きそう。大規模停電が起きるかどうかの一大スペクタル。人々の上で照りつける太陽、逼迫する電力、フル回転するタービン、関西圏への供給を停止する他電力会社、次々とクーラーのスイッチが付けられたその時!立ち込める雨雲、これは救いの雨となるのか…

2012/05/01
事故の原因と被害の拡大は別だ。

2012/05/16
もしあの大地震や原発事故も映像や写真で報じられなかったらここまでの大騒動になっていただろうか?江戸時代の伝聞やラジオによる報道だったら。ここまで精神症の人を生み出しただろうか?

2012/05/16
原子力発電所の再開に命の覚悟が要ると言う意見には失望した。車の運転にだって命の覚悟はいる。安穏としていた人ほど反原発なのだろうか?それは安穏とした世界を未だに欲しているのだろうか?

2012/05/20
思考的には原子力に反対する方が簡単。だが無理だと思う。

2012/06/08
原発のどさくさにまぎれて跋扈する電気泥棒たちの主張はまさに猛々しい。

2012/06/8
あの地震というか福島第一原子力発電所の事故で鍍金の剥がれた論客が沢山いる。それはいい事なんだ。悪貨を駆逐したんだ。

2012/06/09
だれも責任をとるとは言わなくてみんな黙ってたら総理やってる人が仕方ねぇな俺の責任でやれよお前らという所に落ち着いた。原発再稼働は野田以外みんな無責任だ。これはいつか来た道。こういう形での意志決定しか出来ないのなら民主主義なんてやめてしまえ、老中の復活を。

2012/06/09
放射線由来って便利な言葉。ストレスでも議論してたら殴りあいのケンカになったもテレビ見てて興奮したでも由来っちゃ由来だ。

2012/06/22
核武装が可能になる条件というのがある。抑止力として必要になるのはどういう時か。アメリカさえ支配下に置けるくらいの国力と軍事力を得た時だろうか。その頃には核兵器以上のものを手に入れているだろうから核は不要だろう。

2012/06/22
今すぐでも核武装は可能だろうが国民の半数は餓死し打ち上げるロケットの燃料さえ買えないほどの貧困に見舞われるだろう。そんな核兵器よりも核廃棄物でこの星を汚染する研究の方が安上がりで現実的。でも何の意味があるのか。

2012/06/22
核武装をすると言う事は今の世界情勢ではテロリストのレッテルを貼られると言う事。それをしなければならぬ程追い込まれてはいない。第一に核ミサイルのボタンを今の日本の政治家や官僚に預ける気はしない。

2012/07/15
今年は不作か停電どちらの夏か。

2012/07/18
報道ステーションのロジックを許してはいけない。自分たちが抱えるストレスや不安から逃れようとして他の叩き易い相手を探しては非難し一日を息災に過ごす。

2012/07/18
事故と被害の大きさは分けて考える。

2012/07/18
一致するのは特殊な場合のみである。

2012/07/18
精神科医という肩書きを使って誰かを病気と診断している時点で自分の論点に根拠も自信も無い事は明白だろう。意識的にせよ無意識的にせよそれは精神の防御反応のひとつだ。

2012/07/18
自殺って罪悪感からではなくて孤立感から起きるんだろう。だから村八分にしてやったの証拠でしかなくて何の解決もない。淋しさは人を殺すと言ったのはキルケゴールだったか、しかし死んだら報復も出来ないではないか。

2012/07/25
実はね原発の問題はとっくに終わっていてね、今あるのは人間同士が分かり合えるかどうかって言うテラへやイデオンで散々やってきた事なんだね。

2012/08/01
恐らく二~三年でみんな放射能の事など忘れてしまう。食品の検査も土壌、河川、海底の測定も忘れ官任せになる。だから彼らは即時廃炉なのだ、そんな先まで覚えているか自分自身も分からないから。

2012/08/04
反原発の問題が行き着く先には石油がある。石油はエネルギーだけの問題ではない。近代という文明の根幹を支える。戦争も緑の革命も原発も石油に依存するひとつの側面に過ぎないのではないか。

2012/08/05
神経を病むくらいなら新興宗教にはまる方がまだましか。反原発も強ストレスを発散する受け皿のひとつか。

反原発のデマと言われる人達は敏感すぎるセンサーと思えばいい。人の集団の中には敏感過ぎる人も鈍感過ぎる人もいる。どちらも排除すべきでない。

将来の原発比率の討論にその頃には死んでるか死にぞこないになってる年代の意見を聞くのはおかしかないか。

2012/08/11
広島の空には殺気がない、誰かの緊張が少しずつ空に溜まった感じがない。東日本ではどこかで何かが噴出するのではないか。

2012/08/25
みんなが脱原発に走るので、私、原発を独占させて頂きます。

2012/08/28
反対派が未だに首を縦に振らないのは金の積み方が足りないからであって、それが見積もりの甘さである。もう一度コストの計算をしなおす必要があるはずだ。

2012/09/01
太陽がうちの光を使うなら金を払えと言ってきたらどうするよ、植物さん。

2012/09/04
やはり説明が足りない、栃木最終処分地問題。セシウムなら百年でほぼ崩壊するがその間だけなのか、その間は幾ら払うのか、中性子による放射性物質の処理方式との関連は、などなど。

2012/09/08
イデオロギーは実現を望む。故に実現の為に思想を人用としないのだ。民主主義の根底は実現よりも思想を重んじて遠回りする所だ。反原発はイデオロギーだと思う。
2012/09/26
ソフトクリームがまるでメルトダウンした燃料棒のようにぐにゃりと溶け出している!

2012/11/04
事故は設計だけでなく保守点検までを確認しないと何もいえない。

2013/04/29
堤防のかさ上げの為に津波を生き残った桜の木を伐採するらしい。移し替えればいいだけなのに。生き残ったものを自分たちの都合で殺すくらいなら、いっそあの津波ですべて流されれば良かった。

2013/04/29
春の叙勲には原発事故に携わった人たちは未だ呼ばれない。あの事故の原因を建設したものたちばかりに授与されている。老いたという理由だけで。

切り抜き 福島事故ストーリー4

2011/11/01
風景が作るそれぞれの国の形というのがあるはずなんだ。景色が変われば国民性も変わるんだ。

2011/11/02
ジャーナリストが政府側の人の命を軽んずるなら政府だってジャーナリストの命を軽んずるに決まっている、それに気付けないジャーナリスト側が全面的に敗北するに決まってる。

水を飲めと迫った人は戦中に特攻を押し付けた人間と同じなんだ。そういう人間はいつの時代にも居る事が判った。

2011/11/02
福島原発事故で放牧され野生に戻った牛を殺処分するならこの国に先はない。何故新しい知見を得るために生かさないのか。学者たちは試してみたいこと、調べたいことが沢山あるはずだ。幾つもの論文が書けるはずだ。そういう事が起きているのだ。

2011/11/02
壮大な実験場である事は事実だろう。

2011/11/11
この国にニュースが流れた事など一度もなかった。彼らがニュースと呼ぶものはただの残骸に過ぎない。宝石を探し出す事もせずに持ち帰ったただの残滓。彼らはただの一度も何故と問いかけた事がない。

2011/11/11
大切なものがあるなら大切でないものもある。大切なものにも順番が付けれる。一番大切なものは何かと聞く事が出来る。だから、命が大切などというのはまやかしなのだ。主語が抜けている。

2011/11/11
命よりも大切なものがあると戦った戦争に負けた事で命よりも大切なものはないという考えに主流が変わった事に不思議はない。

2011/11/11
2100年までに人類は地球上に統一性府を樹立する!そうでありたい!!

2011/11/13
野生化した牛を殺したのかを現政権を支持するかを決める唯一の判断基準とするに決めた。

2011/11/14
あのジャーナリストは理科の成績はたいへんに悪かったであろう。

2011/11/15
科学的思考力って何?科学って仮説と検証の繰り返しに過ぎない。科学を正しいと思う人は科学じゃないんだ。それは信仰に過ぎない。

2011/11/15
アレルギーという生体反応がある。これは思考にも起きることでアレルギーを起こしている人にあれ食えこれ食えと言ってもそれは無理。だってアレルギー起こすんだもの。

2011/11/18
誰かを敵にしなければ保っていられない正気なら敵は極端であるほど望ましい。その絶対正義という鎧を着込めば戦場での殺戮も苦にならない。恐怖に怯えるものは伐つべき敵を探すのだ。

2011/11/18
遠い昔に村を切り開いた先祖に心を寄せて今一度再興に人生を投ずるのは人の本懐ではないか。復興とは希望に満ち胸躍るものだ。だが何か閉塞感が上から頭を押さえつける感じがある。人が支えるには重い何かだ。

2011/12/01
もっと酷い事になっていれば対応力も指数関数的に下がっただろう。この辺りが何とかなった限界点だったとは思う。単に幸運だったのだ。日露戦争みたいなもんだ。

2011/12/01
テレビでインタビューに答えていた官僚の出世を諦めきったかのような表情が印象的だった。それを見る女子アナウンサーの蔑むような呆れるような表情は完全な演出でこのアナウンサーこそクズだと思う。

2011/12/01
必要なのは侮蔑ではない。模範解答の向こうにある合理的な説明だ。相手の無能や不作為などに立ち止まらずその奥にいきたいものだ。

2011/12/02
官庁なるもの四割程度を信用するくらいで調度良い。残りの六割は彼ら自身の権力闘争に過ぎぬ。

2011/12/03
後ろに下がらなければいつかは崖から落ちる。

2011/12/03
花粉のセシウム含有量を既に調べている学者がいてこの人は本当に偉いと思った。それを報じたのはテレビだった。テレビの人達はどうやってネタを見つけるのか。偶然意外の見つけ方を放送してるのは見たことがない。

2011/12/04
余計な事は言って罷免される人って根は正直で他人を信用しがちなおっちょこちょい。そういう人を駆逐してゆけば他人は信用しない、本心は語らない、裏切りも辞さない人が残る。オフレコを記事にした人は自分の死刑執行にサインしただけだ。

2011/12/04
これだけインターネットが普及すればマスコミを利用する価値が下がるのは当然だ。彼等を使って国民に語る理由は今や何もない。マスコミは既に国民の知る権利を代表する媒体ではない。

2011/12/04
政府が未だにマスコミと蜜月であろうとするのは陽だまりの樹の証拠かも知れない。

2011/12/04
マスコミを弾圧しない政府を信用するか、弾圧されないマスコミが信用できるか?

2011/12/04
これだけの大事故で一匹の羊もいらないなんて事はありえないか。そこでスケープゴートには東電が選ばれた。これ実は政府より東電の方がまだ信頼できるという事の現れではないか。存在感があるという事だ。

2011/12/04
信用とは存在感のメタファだとしたら存在感は何のメタファなの。

2011/12/04
ドラマは日露、ニュースは福島第一、か。

2011/12/08
詰まらない結論に向かってどうやって引っ張るかばかりをテレビは腐心しているわな。

2011/12/10
口が悪かったり意地悪だったりするのは全て青鬼なんだと思え。泣いて青鬼を斬れ。

2011/12/15
連続性を最大の命題とする以上それは戦争や地震にも屈する事はない。目的や指揮系統を失っても自律するのは組織の優秀さ。連続性は人から人に受け継がれる。法がある限り。

2011/12/17
TBSには心の真っ黒なアナウンサーがいるので好き。

2011/12/17
福島第一原子力発電所は事故というよりも災害というべきか。

2011/12/25
彼らは事象の下でウロウロして拾い食いをしているだけに見える。

2012/01/03
賠償金は0が2つから3つは足りない。そうすると原発の運用には一カ所に付き30兆円くらいの保険を掛けるべきとなり今回の事故は自賠責だけで交通事故起こしたようなものだ。この事故には保険が欠落しているが政府は知ってて免責を制定したのだろう。

2012/01/03
ゆく年くる年は本当に酷かった。スカイツリーから夜景を映す。アナウンサーが下手な話をする。この年に映すべき何かが分かってない。

2012/01/11
悪法なら廃止すればよいだけではないか。そこに既得権益があるから出来ぬと言うのか。

2012/01/13
喫煙する者が反原発や低線量被曝の恐怖を語ってはいけない理由はどこにもない。喫煙しない者が低線量被曝の恐怖を語っているからそれが正しいとはならないのと同じだ。つまり喫煙の有無は低線量被曝の事実とは何も関係がない。そして事実、共有はされていない。

2012/01/16
原子力発電は巨大な組み合わせのシステムだから何かの象徴としての反対以外は有り得ない。

2012/01/29
他人の優しさに気づかない人は甘えているだけだ。お互いがすがりついて生きているのに。自分だけはそうじゃないとそう言いたいのは何故だ!

2012/02/05
反原発は攘夷である。反原発で何がいけないのです、と村田蔵六が福沢諭吉に言った言葉に重ねる。これは現体制は打倒せねばならぬという運動であろう。それは政権交代ではなく省庁の解体が根底にあるように思われる。省庁こそが幕府であり政党が将軍になっている。と花神を読んでるとこうなる。

2012/02/12
ちっぽけな倫理では徹底性が足りない。徹底的にやると草も生えない。倫理というものは放射線と同じで量によって使い道がある。

2012/02/12
東電は20兆くらい借りて100年で返せばよろしい。

2012/02/12
自分には責任がないと言う事が大切である。自分の中にある無限の責任に押し潰されない為に。それは自分の共同体、コミュニティを消滅させるという意味だ。それでも壊すべきだ。

2012/02/12
責任が無いと言うか、逃げるか、落伍するかの何れかしかない。誰にも責任はない。たが自分に責任はないと言う為には他の誰かに転嫁しなければならない。これもまた後から気付くのである。

2012/02/12
誰も責任を取ろうとしないとお気楽に言える人は死ぬまで何にも気付けない。責任の意味が分かっていない。物理現象としての生物に過ぎぬ。

2012/02/13
どう解釈し行動したかを説明する事を責任と言う。我々が世界をどう解釈したかを残す事は後世の人にも役に立つ。

日本の言う責任を取れは腹を切れと言う事だから責任とは関係がない。誰かが死ねば溜飲は下がるし有耶無耶に出来ると思っている、天誅と同じ意味だ。

解釈は立ち止まらない点に意味がある、明日は違う解釈が出来るかも知れない。理解でも信仰でも戦いでも何でも良い。これ空や。

2012/02/19
違反を後から知らされて受ける損害と前もって調べておくコストとは比較すべき。

2012/02/19
違法していませんよ潔白ですよではなくて、違法があったら教えてねというのがオープン化のスタンス。

2012/02/19
育てる力とは捨てる事である、不合格で拒否、落第させて捨てる。そして捨てれば拾うものあり。教育とは捨てる事と拾う事の繰り返し。

2012/02/19
最後まで捨てられなかったものが一番優秀なのか?この事実は手間が掛からなかった事を示しており効率が良い事が優秀ならその通り。手間の掛からない事を理由に全権委任できるのならその人は胆に於いて優秀。

2012/02/25
ニュースが原因を一切追求しないものだから頭が悪くなるのが道理。

2012/02/27
少しの事にも繊細に反応して大音量で警告するセンサーと言うのはあっても良いのです。そのセンサーが反応していなければ極めて安全と見做せますし。

2025年5月23日金曜日

切り抜きストーリー9

2013/03/19
ある場所に入るとルールが入れ替わり、それまでの正しさは通用しなくなる。そこでは強力なルールとしてすべてを支配する。ごく小さな範囲にしか届かないルールなので離れてしまうと忘れたように消えてしまう。アリス、子供たち、千と千尋、量子。

2013/03/20
少なくとも二つあります。

2013/03/21
光よりも早く状態が変わってはいけないものだろうか。

2013/03/24
知の巨人だけなら単なる図書館。

2013/03/26
知識はくさびであって柱ではない。

2013/03/27
ゴルフは悩み続けられるからいい。

2013/03/27
もしかして悩むにも才能がいるのかも。悩む才能が一番大切かも知れない。

2013/03/28
理系は見たら分かる様にし文系は聞いて分かるようにする。理系は記号にし文系はは読み仮名を考える。理系は絵を書き文系は音楽を奏でる。ラスコーの洞窟の絵を書いただけでなくその絵の前で火を焚いて物語を語った人達も居た筈なのだ。

2013/03/30
アメリカは正義とは何かと問い続ける国ではないだろうか。それが彼らの理念ではないか。

2013/03/31
記憶とは何かと関連させる事、リンクする事であり、覚えるとはそういう能力。

2013/03/31
満開に咲いている桜を見ていると、この花を使って戦争した人たちの、ものを見る目の不確かさが分かる。この花は戦争に役立つ様なものはどこにもない。その程度の見識しか持てなかったから戦争に負けたのさ。

2013/04/01
今日ついた嘘は絶対に実現しないそだから絶対に起きて欲しくない事を言えはいいそ。今日は心からのお願いをする日そ。

2013/04/06
カメラの前でこんな顔ができる人間を信じられるか。

2013/04/07
忘却する事で同じ毎日が続く。そんな時代なのかもしれない。忘れるための娯楽を求めている。

2013/04/07
結び付けていたものが急速に離れてゆく。それはいい事かも知れない。最後に残るものが何かを我々は知らないのだから。

2013/04/11
二回呼んでも来ない店員がいる。何かをしていると他の声が聞えない人だ。集中している人は聞いてから取捨選択をしてから捨てる。熱中している人は遮断する。

2013/04/12
ひとつではなく複数の構造を見いだす。面白い。

2013/04/13
実写版ガッチャマンがどうもバットマンの劣化版にしか見えない。科学を冠に抱く物語を今作る以上はあの原子力事故に投入されていたらどういう活躍をしただろうか、くらいの空想はさせて欲しいもの。

2013/04/13
言論の自由、あなたがそれを言う権利は全裸力で守る(ヴォルテール)、とは権利の話ではない。私は他の誰かを強制しないと言う表明であり、民主主義はその成り立ちからして個々人の表明でしか成立しない。

2013/04/17
別の宇宙に生まれた。 #死という文字を使わずに死を文学的に表現する

2013/04/18
こんなヤマト
「わずか一年の工期である。済まないが塗装など最重要でない所は手を抜かさせてもらった」「この回路なんて配線だらけだ」「娯楽室は物置になってましたよ」

航行の話もいいが製造したエンジニアたちの話もいい。短納期、仕様の分からないエンジン設計図、テストできない武装。劣悪な住環境。

2013/04/20
弁護士なしの尋問は日本なら普通の事、日本の犯罪者は全員テロリスト扱い?

2013/04/22
電車に乗っていてみんなが降りてゆく駅で「さあお行きなさい」と言ってみる。

2013/04/24
冒険王に連載されていた骸骨のペンダントを身に付けていた少年探偵が主人公だったと思うがその物語が何であったか知りたい。

2013/04/24
あなたは牟田口の生まれ変わりの様な人だ。「野菊の戦場」より。

2013/04/25
流れが変わった時に一気に乗り換えられるように準備しておく。流れを変えるだけが方法ではない。

2013/04/26
一回で消費されるものは交換、何回も再生されるものは伝播。

2013/04/27
空気に流され知らぬ間に戦争になり数百万人が死ぬか、明確な意志を持った指導者が現れ数十万人を虐殺した後に戦争をするか、そのどちらかを選べ。

2013/04/27
議員が英雄伝説

姉が総理経験者の老人の愛人にされた弟が幼馴染の友人とともにその政党でのし上がる物語。対立する民主党は鳩山に混乱され議員たちが次々と散ってゆく。残された者たちは命運をかけランテマリオ参議院選挙に挑む。

すかぽんたん!

2013/04/29
イスラエルとパレスチナの問題を聞くたびに地球へ、伝説巨神イデオン、寄生獣の三つを送ること以外は思いつかない。

背負っているものが重いほど歩みはゆっくりなのだ。紛争の解決とはそういうものなのだろう。その間も悲しみが積もってゆく。悲しみ無くば歩みさえあるまい。

2013/04/29
嘘であれ本当であれ良くぞ失言した、よくぞ底の浅い馬脚を露わして下さった。自らを犠牲にして、悪者になってくれた。今ごろ悩み苦渋に苛まれている事だろう。そう思えば喜ばしく笑いが止まらぬ。嫌いな人がずっこけた時はこういうもんだろう。

2013/04/29
伝説巨神イデオン
イデが人々を滅ぼし生命を作り変えようと決心したのはいつだろうか。カーシャのそうよ!みんな星になってしまえというセリフが決定的かも知れない。

なぜイデは最後にカララを守らなかったのか。それはハルルの悲しみも知っており二人の間で起きることを見守ると決めたから。どちらかの立場に立つこともせずどうなるかを知らねばならなかった。それを知る必要があった。

ラストの実写は今の地球。つまりメシアが降った星が今の地球であり生まれた生命であると。イデオンの物語は地球に生命が宿る前の宇宙の物語であると考える。

ラストの裸踊りはサービスカット以上の意味はないだろう。イデオンが破壊された時点で物語は終わった。たが一つの解釈としてあれがある事で助かる。物語がハッピーエンドに見えるから。

2013/04/30
ようやくと浮かんでいたその船はゆっくりと艦首を上にして静かに真っ白な雲間の中へと沈んでゆきました。

2013/05/01
世界という称号が欲しいだけの己の価値観ではなく外の世界からの肩書で一喜一憂するなどいらぬ。

2013/05/13
戦争は国家が入手できるエネルギーの総和と相手に命中させれる確率の時間軸での変動から勝敗は予測できそう。

2013/05/14
戦争の定義が出来るまでは戦争の放棄も夢物語である。でグレーの間はするかしないかもグレーだから、取り敢えずこれは戦争ではない、これは紛争の解決を目指していないと言っておけば日本も戦争ライクな事は出来たりする。それが自衛権である。

2013/05/16
責任を取ろうとすれば反省をする。二度と起こさない様にと再発防止策を考える。その結果、ペーパーワークが増え続け組織はいつか自重に押し潰される。ITの活用はこの点の改善に期待できた。この点だけと言っても良かった。みんな失敗した。

2013/05/16
透明人間がいるとする。生きている細胞が完全に透明となる。だが肌の表面から分泌される汗、垢、毛などは見えるだろう。血管を流れる血液、骨、消化管の中の食べ物、消化液、排泄物など細胞でないものも見えるだろう。寄生虫や細菌のコロニーも見えるだろう。

2013/05/16
人にとって穀物の発見に勝る発見があろうか。この星で植物が進化して穀物になったから今がある。穀物のない星には知的生命体は生まれない。

2013/05/19
2199、女はぴちぴちの服で男のはゆったりとしている理由がわかりません。

2013/05/21
何故この世界に父系社会が多いのか。たぶん女は惚れたらどこにでも飛んで行っちゃうんだ。男は家だの仕事だの言い訳ばかりで結局その場に居ついちゃうんだ。母系社会はほっとくとみんないなくなっちゃうんだ。じゃないかしら。

2013/05/23
総論を科学、各論を政治でやると、総論賛成各論反対になる。

2013/05/23
ある人は科学的に活断層であると言い別の人は科学的に活断層とは認められないと言う。科学も意外と使えない道具だ。だから昔の人は占いで事を決めたのだろう。

2013/05/26
物理学が導くのは結局人類は宇宙の誰とも出会う事が出来ないという結論であろうか。それでも生命は生存圏を宇宙に拡大すべきだ。

2013/05/26
女は歯だよ。

2013/05/26
交換のある所に税あり、税の取れない交換は違法なり。

2013/05/28
正しいなら疑う。正しいから疑う。正しいとはと疑う。

2013/05/31
もしこの世から悪魔がいなくなったら。もっと酷い存在が出現するだけの事。そいつは神さえも殺すかも知れない。ニーチェの God is dead.God remains dead. 神を見捨てると言ったのである。

2025年5月17日土曜日

言語構造の研究1

2010/10/31
言葉が相手を動かす力を持っているなら、それは魔法と言っていい。言霊。言魂。そこから、当然、その力を霧消させる魔法も生み出される。その一つが否定という力。動かす事が言葉の力なら、消すのも言葉の力。言葉で分かり合えるとは思わない方がいい。

2010/12/01
形容詞や動詞には、多分に感情的なものがある。だから使用には注意し嗜好を示す表現は避けた方がいい。だがマスコミはニュースでこれを多用する。ニュースさえ地に落ちたnhk。

2011/01/18
その名を名詞で知っている者よりも、それを文節で表現できる者を採用する。

2011/08/18
論理哲学論考(ウィトゲンシュタイン)って今なら単なるツイートじゃねえか。

2011/09/18
感想しか浮かばないようなら大した事はなかったのだ。「考える時間を下さい」以上の誉め言葉があろうか。

2011/09/24
感想なんてない。あるのはこれまでの状況とこれからの展望だけ。感想は何の役にも立たない。

2011/09/24
感想で埋め尽くされる場所には一厘の思考もない。感想は始める場所であって結論ではない。

2011/09/26
値段で価値が変わらないものが創りたいです。

2011/09/26
経済とは自然からただで拾ってきたモノに値段を付けて売る事です。頭の中にあるモノも自然の一つです。

2011/10/10
近代絵画って背景の発見なのかも知れない。

2011/10/10
やるからにはすべからく人の心をえぐりなさい。ちあきなおみを聞く。好き嫌いを越えてからの好きが本物。

2011/10/14
中身に何もなくても印象に残ればそれがいいもの。

2011/11/03
心は現象の名前だから込めても何も起きない。気持ちを込めるもの。気持ちは伝わるものだから。それが怨念なら何かが起きる。

2011/11/16
気の利いた表現を見つける事は内容と同じ位に重要。理解が出来るだけではなく比喩が適切ならそれで読者の理解と印象が深まる。何よりも借り物でない表現は作者の人物像を鮮明にする。

2011/12/21
人は考えている事を言葉によって一列に順序だててキューイングしなければ整理できない。

2011/12/23
感動の下でウロウロしているだけじゃないか。

2012/02/03
会話は内容よりもリズムである事は言語の発生と関係あるのかも。誰もが自分という交響曲の作曲家であり声を使った演奏者。

2012/02/19
名詞、動詞だけでなく、副詞に独自性のある文章がある。このような文章はリズムが違うのでコツをつかまないと意味が通りにくい。形容詞が独特というのは一見すると詩だが意味はない。それでも感覚にはピピッと来る。

2012/02/19
形容詞、副詞は修飾だから基本は無視しても意味が通じる。修飾が表に出過ぎると意味を取り違える場合がある。修飾を取り除けばベースの意味が出現する。それが修飾で違う顔を見せる、その微妙さが面白い時もある。

2012/02/19
言葉の意味を先ずは定義しなければならない。すると先ずは意味の意味を定義する必要がある。と言う事は意味の意味の意味を定義する必要がある。こうして意味を定義するには、意味+1の定義が必要となり、定義は永遠に完成しない。

2012/02/19
定義とは仮定であり解釈である、これが定義が必要な所以である。

2012/02/19
言葉で言えたものに真実はない。何故なら真実であるならば言葉にする事が不可能だからだ。その理由。真実は過程や解釈ではない。よって定義出来ない。定義出来ないものは言葉に出来ない。真実は言葉に出来ない。

2012/02/19
言葉の無限は整数と同じ濃度だと思うがそれより高い濃度は何だろう。それが音だ。言葉は有限か無限か。言葉は無限たりうるが意味には物理的上限のある有限。

2012/02/19
デジタルは音を有限で扱いアナログのレコードは音を無限のまま封じ込める。しかしスピーカは無限を再現する能力を有しない。よって直接演奏を聴く事でしか永遠に触れる事は出来ない。因みに鼓膜と脳は不要な情報をビシバシと勝手に切り捨てている。

2012/02/19
形容詞使いの人と論戦になったら勝つのは難しい。

2012/02/26
自分の専門用語を誰にでも分かる言葉に置き換る努力をしない人がいる。

2012/03/12
頭にnotを付けるのには後ろには付けれない理由が有るのだ。

2012/03/25
言葉になる前のもの、かつ言葉の生まれ出ずる所。

2012/04/15
昔に書いた文章の余りの酷さに驚き今の文章にもそれくらいの酷さに違いないと気付く。気力がクラクラしてくら。

2012/05/05
やり方だけでは足りなくてメカニズムがいる。メカニズムとは抽象化の事であり分からないものを理解できる別の物に置き換える事。

2012/05/08
必ず二つの意見を持つべきだ。その上でどちらかに決める。それぞれが何所に繋がっているかも良く見て決めるべき。二つの考えが出てこない事を悩むと言う。

2012/05/08
誰もが納得するいい言い訳が見つからないのは、悩むではなく困ってるんだ。

2012/05/17
デザインは如何に余白をシェープにするかで決まる。空即是色とは何もない空間が美しいと言う事。手を入れたくなるのをぐっと我慢している緊張感に美しさがある。

2012/05/19
視点を探そう。

2012/06/10
核爆発にも色んな意味がある。原爆は核分裂、水爆は核融合、起爆は原爆利用。爆発は熱による空気の膨張、核が爆発または核で爆発の場合、核反応は必ずしも必要ない。狭いコミュニティでなら通用する定義も広いコミュニティでは解釈される事で広がる。日本語は広い側のコミュニティだから。

2012/06/13
弥生土器の綺麗さだけを美しさと思ってやいないか。縄文土器もある。この国には全く異なる二つがある。それがDNAになって、どちらかが欠けても螺旋にならない。

2012/06/30
自分が如何に生きるかと、人は如何に生きるかは意味が違う。

2012/07/27
物理学からパクったな「人間は、正確に見ようとすれば、生きる方が不確かになり、充分に生きようとすれば、見る方が曖昧になる。誰でも日常経験している矛盾であり、僕等は永久に経験して行く事だろう。」 (小林秀雄イデオロギイの問題)

2012/08/04
同じ作品は本人でさえ二度と作れない。その上に贋作も盗作もある。それを罰するのは単に経済的な要請であって創作とは何も関係ない。

2012/08/16
デザインの肝要は何かを言おうとしている事であって、言い切ってしまってはダメかも知れない。

2012/09/01
上手に話すには、相手の同意を取りながら先へ進めるのがコツ、小まめに相手に短い返事を求める。

2012/09/04
創造は原料を問わない。何故ならどんな想像も原料から見たら新しい組み合わせに過ぎないからだ。どんな絵であれ絵具という物質に過ぎない。しかし新しいという点に注目すればそれは原料から昇華したものになる。

2012/09/05
全く異なる形態をしていながら実は同じ構造で出来ておりその違いがバリエーションに過ぎないと言う話は面白い。よく出来た七変化とか変形はロマン。

2012/09/05
新聞は誘導の手法として見出しで巧みに主語を省略する。

新聞は誘導する手法として接続詞、副詞、形容詞を織り交ぜ公正な記事を装いながら暗に批判する。

新聞は数を示さず多い少ないと書いている時には数を書かない理由がある。
2012/09/06
新聞は広く薄く網羅する事に価値を置く。それぞれに対する論調を細かく自己検証する能力も時間も有さない。

2012/09/12
伝言ゲームは色々な問題を例えるのに有効なモデルケースのひとつ。

2012/10/01
俳句は時間を、短歌は空間を固定する。

2012/10/05
学びとは個人の所有である。いつ、どこで、だれに、なにを、どう学ぶかも個人の選択である。どうして、何故、だけが個人に属さない。

学べない事もまた一つの学びではないか。知識も知恵もないとしても、理知というものがあれば。

学びたいという情熱だけは奪えない。

2012/10/24
Stay hungry,Stay foolish 訳: 焦燥せよ、信じて進め。

2012/11/02
行き詰ったら一番重要な部分を削除する。すると他も削除できるようになる。そうして身軽になってもう一度組み立て直す。本当に重要なら推敲の過程で文意が復活する。

2012/11/04
味を語るのに甘いだの柔らかいだの言う人の味覚は信じるに値しない。

2012/12/08
#最後をかで終われば孔子っぽい
深くとは直線の一次元、広くは平面の二次元、よって広く深くはそれ球か。

2012/12/09
赤城はかき氷、森永はプリン、明治はチョコ、グリコそれポッキーか。

2012/12/14
正しいから実現されるべきは正しいだろうか。'べき'と言うならそれは他人への強制ではないだろうか。

2012/12/14
命令は常に未来形である。動詞に注目せよ、ここが変化点。動詞は未来への矢印。

2012/12/29
永遠に辿り着けない所がある。今。目の前を通り過ぎた。過去は永遠に遠い。

2025年5月16日金曜日

切り抜きストーリー8

2012/10/01
宇宙が自転しているから星雲は渦を作るし対称性も破れるし右巻きばかりになったのだ。それは海流をつくり宇宙をマダラにする。という妄想。SFのネタになるかなぁ。

2012/10/05
存続は存在意義を凌駕する。当初の目的を変えてでも存在しようとする。

2012/10/06
見返りもなく誰かに何かを与えられるほど強くはない。

2012/10/11
自分を悪人であると認めれる者は死刑囚でさえいない。否定するくらいなら命さえ絶つのだ。

2012/10/11
ユニコーンの時代にシャーザクじゃ手も足もでないか。主戦力ではなくとも現役である。戦艦朝日や山城の例もある。

2012/10/11
そういったものが全てなくなってしまい最後には面白いしか残りませんでした。

2012/10/11
正義よりも、敵を欲す。ヒーローみたいなもの。

2012/10/20
本当のロマンは火星に生命の痕跡があってしかも地球型ではないという場合だよ。

2012/11/04
もしかして警察も検察も直感に基づく有罪がカッコいいと思ってるのかな。証拠を積み上げる科学ではなく勘に基づくギャンブルが仕事だと。

2012/12/01
14人中30位だって言われた。

2012/12/02
かつての人間はどうやってこの寒い季節を乗り切ったのだ?

2012/12/06
もう少し日本のドラマは真面目に人を殺してもらいたいものだ。

2012/12/22
逃げるって思うから逃げれない。A地点からB点への移動だとはなぜ思えない。それはもう負けているからだ。負けていないと思えれば移動するのに何ら心理的な負い目など起きようがないではないか。

2012/12/29
もしかしてみんなで目をつぶり昔に戻りたいと言っただけなのだろうか。

2012/12/29
その目の中に生きる輝きがある限り見捨てられやしない。

2012/12/30
ダレ場は取り除くものではなく、研ぎ澄ますものみたいね。

2012/12/31
何が人を助けるかは分からない、つまり誰もが自分の知らない所で、気付かない所で誰かを助けている可能性があるという話だ。

2013/01/13
よいとか悪いとか決める必要なんてありません。それは難しいと知るだけで十分ではないですか。

2013/01/19
自分たちの世代で使い切ってしまう事を無責任と言う。無責任とは伝えない事だ。

2013/01/19
鴨がネギをしょってやって来るのを悪くいう人はいない。だけど当人は左の頬を差し出したつもりでいるから友愛とか言ってしまうんだ。

2013/01/21
どうでもいい事に白黒つけたくなるのは暇だからなんだ。

2013/01/22
ジャーナリストの仕事は、政府が隠している都合の悪い事を暴く事であり、政府が隠さないようにする事ではありません。政府とは隠すものなのですから。

2013/01/23
記号化する男、相対化する女。

2013/01/27
ベルトコンベアに載せて次々と人間を処理してゆく感じがする会話。仕事のできる女の人にこういう感じの人が偶にいる。

2013/01/27
なるほどね、を何度も口に出す時は理解してないんじゃないかしら。

2013/02/11
大きすぎる目標、行き当りばったりの計画、文句ばかりのリーダー、頑張ってはくれるが能力不足の否めない部下たち、敵五人に対して毎回1人分の予算しか許可してくれない経理。これで勝てると思う方がどうかしてる。

2013/02/11
全員を逮捕する。今日の運転は荒いな、おい気をつけろ!おっと安全装置が外れちゃったぜ。うわ引き金も引かれちゃった。大変だアクシデントだ、みんな死んじゃった。と言うのが最も穏健な解決方法だと思います。映画の最後に使えそうだ。

2013/02/11
僕はときどきこの人の妄想に挫けそうになるけれど負けない。笑っていつまでもTLを読んでいたい。

2013/02/13
運動家というのは相手に自分の意志で行動して貰いたいのだ。そうなるまで説き伏せるのだ。そうやって自分の思い通りになる仲間を増やすのだ。当人は自分の考えで行動していると思っているが、視点を変えれば便利な駒の出来上がりだ。そうする為には破れない原理。

2013/02/14
道をふさいでゆっくり歩く、道の真ん中で立ち止まる。それは老人の特権ではなく単なる特徴だよ。

2013/02/15
かたつむりはまだ許せるけどなめぐじはダメ。持ち家があるって強いな。

2013/02/16
道徳を教えるのって歴史を教えることだから。

2013/02/19
たった100年しかもたないエネルギーを見つけたからと言って、今すぐに使い始める理由はない。たった100年なら、それは最高のタイミングで使うべきだし、後の世代こそが欲するであろう。少なくとも今ではない。

2013/02/23
この国はどこかで袋小路に入り込んでしまったのかも知れない。もうじき出口がないなら壁を壊せばいいと言い出すのだろうが、ここはただの暗闇で壁などない。

2013/03/04
過度な著作権は情報の伝播を阻害する圧力なのだから人類全体で見た時には後退の因子だろう。

2013/03/06
世界とは人間の写像にすぎない。人間という入れ物の形に合わせて、水のように自在に姿を変える。容器以外の形では世界を見れない。万物の根源は水である。

2013/03/08
爆進。ロケットエンジンを轟轟させながら先に猛進している感じ。

2013/03/15
エルグレコ
ラファエロも円空も見ずにグレコ

芸術家の自画像、襟の白いひだひだがいいね。

燃え木で蝋燭を灯す少年。口の周りの白い色が白粉に見えて好きだけど灯りだね。

白てんの毛皮をまとう婦人。毛皮と背景の境目がいい。女は肌とかも綺麗に描かないといけないから嫌いだといってそう。

フリアンロメロと守護聖人。甲冑の間から見える緋色がすてき。左にある手書き文字のうますぎない感じいい。

聖パウロ。赤が聖なる色なのかしら。右手の表情がいい。

聖ペテロ。ヨハネ。パウロ。赤に飽きたのかな。水色と黄色、緑と赤、赤と青。色の組み合わせと印象が面白い。ヨハネ悪い奴そう。

聖アンナのいる聖家族。この空色と雲、まるでラピュタみたい!

聖ラウレンティウスの前に現れる聖母。あの振り向きでは聖母が目に入るわけはないのである。気配に気づいてあたりを探しているという感じかしら。

悔悛するマグダラのマリア。青の大地が不思議。

絵画は模倣である。フィルムは模倣であるか?

羊飼いの礼拝。もっともらしいかも知れない。暗闇の感じもいい。

受胎告知。赤青黄登場。

受胎告知1600。縦長の方がいいね。岩の壁に見えるものは全部顔ですからね。

羊飼いの礼拝。漫画家が模写しないかな。

十字架のキリスト。四つに分割された割合が不思議な構図。

聖母戴冠。ほら羽根から顔が生えてる天使が。

聖母戴冠。二つの大きさの違いが、大きさの表現の違いとなっているのかな。

聖アウグスティヌス、ヤコブ、フランチェスコ。オレンジ色。フランチェスコの空もいい。

あーあ天使の顔を踏ん付けちゃって。

聖マルティヌスと乞食。首が死ぬほど長いのは愛嬌として主役は馬に違いない。

聖母のエリザベツ訪問。青と青の対比がいいね。

無原罪のお宿り。羽がかっこいい、雲がかっこいい、衣がかっこいい。

グレコって兎に角かっこいい画家なんだよ。

どれが傑作とかあまりないな。このタッチかあればどれでも。それでストームを描いてもらいたい。どんな絵になるか想像してみる。

画集にはタッチがないから。

2013/03/18
これは無限の刻を信じている音楽だ。

2025年5月10日土曜日

切り抜きストーリー7

2012/07/02
そんな脅しには載らないよと言いたいのだろうけど脅しが嘘とは限らないよ。其れでもやるならチキンレースになるよ。

2012/07/06
いじめと認識している限りは事故しか起きないはずである。いじめは殺人であると認識さえすれば何の不思議もあるものか。あれはいじめではないのです、あるのは殺人ばかり。

2012/07/07
カッコいいと形容される時点で絵としては駄目なんだ。まだ目が楽しんでない。

2012/07/11
ダンバインの核は無知だ。

2012/07/12
ダンバインは物語を強引にしたからキャラの演技が不自然になり、バイストンウェルが物語を作るための舞台装置として出来過ぎでご都合すぎる。

2012/07/13
わからずやが沢山でるのがダンバインで、其々のパターンが違っていてそこに作家の執拗な恨みがありそうだ。彼らは説得し戦う相手だが敵なのか。敵のいない世界がバイストンウェルなのかも知れない。

地上に出てからの方が物語になってるんだろうけれど人物が物語の進行の為の犠牲になっている。階級社会であるバイストンウェルの王様同士の争いの歴史として描いた側面が強く、恐らくショウを描かなくても王さえ描けばダンバインの物語は成立する。

ダンバインの造形が魅力の全てじゃないか。あの虫の感じからするとバイストンウェルは手のひらサイズの小さな水玉でいい。オーラバトラーはその水玉にいるミジンコでいい。

2012/07/14
人を殺す気のない者は裁判官になっちゃいかん。

2012/07/14
ウナギ税が導入されればいいだけの話じゃないか。

2012/07/15
山県有朋のやった事が裏目に出たんだな。

2012/07/15
あれだけの人が集まっていると機銃掃射したらどうなるんだろくらいの妄想しか起きない。そいで戦艦ポチョムキンかよって笑うのな。

2012/07/17
西郷隆盛と言う人は司馬遼太郎でさえ描き切れなかったのかと翔ぶが如くを読むとそう思うのだ。

2012/07/19
漁師に好き勝手にさせていたら魚を根こそぎ獲り尽くすと思っていたけど、世界の人達に言わせれば日本人に好き勝手にさせていたらあいつら根こそぎ食い尽くすと見られている。

2012/07/22
今時の年収400万の人の生活は徳川家康よりも裕福?

2012/07/26
そして煽るのです、その日は近いと。お前はキリストか、と思います。

2012/07/26
破綻なんぞありえないと思っている以上、ない訳ではありません。

2012/07/29
A級だと思うから真面目に詰まんない。B級だと思えばいかれっぷりが途端に楽しい。

2012/08/04
プライドってのは、くすぐるためにある。くすぐられっぱなしだとどっかで行き詰まる。

2012/08/04
人間には原子ひとつ作り出せるわけもなくただ組み替えるに過ぎない。創造が神の領分だとしてもその創造に価値を与えるのは人間である。何ひとつ創造出来ないとしても価値だけは人間の創造である。

2012/08/05
日本人にとって波動と来れば波動砲なんだから波動とつけば何でも凄く思うのは仕方ない。英語にすればwaveなのにね。

2012/08/05
神経のオーバーヒート、逃れられない輪廻。だから仏陀が降臨するのです。

2012/08/09
出る杭は打たれるのではない、踏み台にされるのだ。

2012/08/10
君の祖先は何年前に来たんだ?と聞くのもいいかな。

2012/08/15
西郷吉之助の呪詛、西南戦争の復活、薩摩と長州の波動。怨念と理念の繰り返し。

2012/08/16
違う形をしているのに無理に同じ形にしようとしても泣いてしまうのは当たり前ではないか。見た目が似ているからといって同じとは言えないではないか。妖怪とか怪物という造形も似て同形あらずではないか。

2012/08/16
ガンダム史実
軍ではシャア少佐と呼ばれているが日常生活に戻ればお隣さんや病院とかで「シャアさん」と呼ばれている。

2012/08/16
船で体当たりして来るのをいなしたり津波を乗り越えたり相手の船を双胴で挟んだり海上保安庁って普段からどんな訓練してるんだろ。彼らの技量なら船で空だって飛べるんじゃないの。

2012/08/16
沖縄で反原発に狂想する主婦だって会えばいい人だったりするんだ。だから世界は複雑なんだ。単純な対決ではない。

2012/08/17
日本の刑務所というのは食うに困らず医療は保証され住居もあり共産主義の理想郷。自由がない所までソ連の真似しちゃったな。

2012/08/19
ウナギを食べる人は英雄がわからぬのだ。

2012/08/20
中国も韓国も王朝を失ったのにお前んとこだけ残っててズルイというのが心の底にあるのかも。

2012/08/21
社会のネジになるのは嫌だとかネジを作る仕事なんてヤダとか何とまあ面白さも知らないで。

2012/08/21
人間の間に神を介在させると生まれてくる子供は全てが神の意思と祝福の結果となるのかしら…

2012/08/24
今日はポニョの日、海のシーンはピノキオへのオマージュ。というか作品そのものがピノキオに類似しているかも…

2012/08/25
黒いヤツですね、黒い彗星と呼ばれている例の…三倍のスピードです!

2012/08/27
障害者が健常者にスポーツで負ける時点でそれは科学技術の敗北と言わねばなるまい。

2012/09/01
こんな世界がいいなんて想像力が乏しいのさ。

2012/09/03
なぜ前後すぐを舞台としたドラマを作る時にはおどおどとして作るのだろう。とかく戦争(敗戦)は悪という視点はまだ変えないみたいだ。

2012/09/03
既存政党への落胆が続く中でもう残っているのは状況を変えるためには暴力も辞さずという勢力への支持、容認である。

2012/09/03
話し合っても権力の譲り合いなどない、あり得ないのだ。大国主命の国譲り以外は。

2012/09/05
石原さとみを重巡とすれば堀北真紀は軽巡か

2012/09/06
その自動小銃を買うために何を使って書類にサインしたと思っているのか。

2012/09/06
我が左舷音探装置はモスキートの爆撃を受け破損ありと雖も機能には些かの影響もなし。

2012/09/07
人間の祖先は猿で、恐竜がいる頃はネズミだったが、もっと前は単弓類ってトカゲ。なるほど V が面白い理由はそこか、あれはご先祖様がそのまんまの形で進化しやがったんだな。

2012/09/08
飛行機のプロペラが廻っていると羽は見えないけれど羽の影のようなものが動いているのが見える。波と粒子もこれと似て回転が波で影が粒子と思えなくもないか。

2012/09/09
アメリカは母親じゃない、鳥の刷り込みじゃあるまいし。

かと思えばアメリカにおしり差し出せばいいと思ってる人もいる。

例えインディアンと同じになろうとも、という気概がいる、そこで歴史の審判。それを受けるには文化がいる。誰だこの文化を持つ人々を葬りさったのは?という評価、これをディスクン人の論理と言う。

2012/09/09
道州制はちゃんと三権の移譲として語って欲しい。

2012/09/10
この国で何かを決める時、行政はお金に相談し立法は世論調査に相談する、司法だけは少し変わってて検察と相談する。

世論調査は短期的かつ瞬間的でしかないのでこれを微積分するのが政治。

2012/09/11
庭の草取りしたら蟻に噛まれた。痛い。餌場を守ろうとしたのだろうけど何時か殺す。と言うかその勇者はもう殺したけど。

2012/09/12
均等だったものがまだらになって全体的には薄く見えるけどどこかが濃厚になる頃。

2012/09/12
死刑執行人は自分が殺した事を知らない。彼に投票した人は自分の死刑執行にサインしたことに気付かない。それが本当の殺人だ。

2012/09/12
私たちは分かり合えなくとも助け合えるのです。

2012/09/18
自信というものは不安に打ち勝つ為の心の持ち様であり根拠に裏付けさた理由を必要としない。苦難の前で己を律するのである。

2012/09/18
君たちの考えは全く正しい、もしこの世に死というものがなければ。

2012/09/19
拒絶する人をリーダーに選んじゃいけないよ。拒否できない人を選んでもいけないよ。

2012/09/23
そのように出来ている、としか言いようがない。

2012/09/23
自分に都合のいい見方しかしていないから、人の上に立ちたいと考えるんでしょうが。口をつぐむこともできずに。沈黙に耐える勇気がなくて、どうして歌をうたえますか。

2012/09/27
無能をどう配置するかというゲームは如何。

2012/09/27
神風という時点で負けてる。

切り抜きストーリー6

2012/03/28
潜水艇は映画では扱ってもらう機会が殆どないけど大変魅力的な乗り物である。美しいフォルム、深海の探索、素朴な存在価値。しかしそれに乗ると想像した時に自分が閉所恐怖症であると発見した。あれには一生乗りたくない。乗れる奴の気が知れない。

2012/03/31
私は嘘つきですと四月一日に呟いたらこれは真であるか偽であるか。正直者なら嘘を言った事になるけどエイプリルフールだから許される。嘘つきなら本当の事を言ってる事になるけどエイプリルフールだから許される。どこにも矛盾がない。

2012/04/2
市民に対し命令できる立場か。そんな発想は今までなかったわ。

2012/04/3
そう、あれは全て彼の中でフィクションが起きているのだと思えばいい。

2012/04/4
#もし七月に敗戦したりなば
ソ連の参戦と原爆投下がなかったら…その後の世界はどうなっていただろうか。

ソ連と交戦していないので樺太、北方四島は保全された可能性がある。米軍の基地とするには最前線過ぎるか。終戦後にソビエトが進出する可能性もあるか。

満州国はどうなっていただろう。そのまま国として成立できたか。日本という後ろ盾を失えば廃国するしかないかも知れない。何処の領土になるのだろうか。

原爆が使われないとしたらどこかで使うことになる。それは何時何処になるだろう。直近では朝鮮戦争の可能性がある。両国は互いに報復しあい数発に及び使用したかも知れない。その被害の程は遥かに凄まじいもであったろう。そうでなければどこだろうか。

日本はソ連の参戦前に敗戦することがベストであった。常にロシアの影に怯え日露戦争の勝利もその後の安定に寄与しなかった。アメリカと戦い負けたのもソ連の影に追い込まれたからであろう。

遂にソビエトの影から逃れられたのはアメリカと同盟する事によってである。アメリカと同盟するためにあの敗戦を必要としたのだろうか。戦後の世界像を戦争をせずに見れた者は何処にもいなかった。

2012/04/6
もし零戦が防弾をしっかりしてたら愚鈍な戦闘機になって後世からはあんな飛行機しか持てないから戦争に負けたんだとか批判されるだろう。それ以前に戦争にもなってないしもっと強い飛行機があれば戦争で勝負を賭けれたのにとか言われているんだろう。

2012/04/6
ルールがない所では相手をどうすれば勝てるのか分からない。神殺しとはそういう事だ。

2012/04/10
この世の全てに明確な科学的基準や根拠があると思うのか。なら必要なのは人体実験だ。今グレーと言われている閾値の殆どは人体実験さえ許可されればより厳密な結果を出せるだろう。それが出来ないから適当な係数をでっち上げて数値化しているんだろうに。

2012/04/10
#その後の魔女
その後、キキは一人の息子を生む。それが、後のマルコ(ポルコ・ロッソ)である。飛べなくなったお婆さん、母さんの変わりに空を飛ぶ事を選んだやさしい息子であった。

マルコは、不幸にも女癖が悪いと勘違いした母親(キキ)によって魔法で豚にされてしまった。マダム・ジーナが、おソノの子供であることは作中には書かれていない。なお、アスベルはマルコの子孫である。

#その後のラピュタ
シータの生まれたゴンドアの谷に行ったパズーは、そこでラピュタの遺産を見つける。何年もかかってそれを発掘し潜水艦を建造した。これが後のノーチラス号である。船をネオ船長に託しパズーは消息不明になる。ナディアはパズーとシータの孫にあたるが作中では触れられていない。

ラピュタは地球の外周をまわっていたが、その後ラオ博士に発見され太陽エネルギーへ応用されることとなった。太陽塔にエネルギーを供給した衛星は内部に飛行石が格納されてそのエネルギー源となっている。あの衛星はラピュタから作られており、地球の周りを回り続けている。

#その後のトトロ
さつきは、メイと別れた。メイ、この森はもう造成されるのよ、町が大きくなってゆくのよ、仕方ないことなの。何故それがわからないの。

一人、道をとぼとぼと歩いていくさつきを見ながら、メイはつぶやいた。私は一人でもこの森を守るわ。

見上げれば、あの大きなブナの木が夏の風に揺れていた。あれから、10年、高度成長にともない、片田舎だったこの地域にも開発の波が押し寄せている。あ、お父さん、さつきは、会社から帰る途中の父に出会った。家は当時のままだ、何も変わっていない。

しかし、家のまわりの景観からはもう昔の面影が薄くなりつつあった。メイは、あれか、また立てこもりかい?うん、あのこ、昔っからどっか強情っ張りな所があるから。じゃ、あたし、家に戻るね。ああ、またおいで。

2012/04/14
こんなの私の町じゃない。
2012/04/15
ここで見届ける方がきっと僕を強くしてくれると思うんだ。

2012/04/11
グレーを白と言ってる間に最後は黒も白と言う事になってしまう。どこで引き返せば良かったのだろうか。

2012/04/13
小さな正義ならなくても構わぬ。大きな正義は巨悪と見分けがつかぬ。兎も角、正義は難しい。

2012/04/13
打ち上げに失敗した事でもう罰は受けています、制裁はしないで頂きたい。弁護人は以上の事を要求します。

2012/04/14
日本はノンキャリでもっているんだ。ここが崩壊したら総崩れだ。

2012/04/14
同じものでも広く展開して使うか固く集中して使うかで効果は大きく変わるんだよ、悩みきれない。

2012/04/16
超光速通信オープン!司令部に暗号送れ、アック受信、クローズ!全艦艇、超光速にて航行せよ!

2012/04/19
CGの曲線には美しさがない。自然には単純な方程式の曲線はない。あれは挫折や苦難を知らない曲線だ。

2012/04/22
それは伝聞か、でなければ何故知っている?

2012/04/22
法螺やデマをどうせ流すなら金が取れる見事なヤツを頼む。

2012/04/22
地球連邦が統一政府にも係わらず軍隊を保有したのは治安目的ではなく独立しようとする勢力を抑え込むためである。それと連邦に参加していなかったり参加が遅れ軍を完全に放棄していない地域への抑止力である。それはクーデターの危険性を内包する体制であった。 ♯ガンダム史実

2012/04/27
将来と言うと不安になるけど未来と呼べば希望に溢れるよ。

2012/04/27
責任を執って辞めるくらいなら無能を装って残る方を選ぶわな。

若い連中を好んで登用するのも、何かあって辞めさせても若いからやり直しがきくだろ。

馬鹿な振りして若い連中に権限と責任を与え、此方としては責任を誰に取らせるかだけに注意しておけばいい。

と言う西郷隆盛像を思い付いた。

2012/05/04
奴は赤鬼だ、ならば青鬼がどこかに隠れている。

2012/05/05
錬金術は科学でないと本気で言うのですか。

2012/05/13
気持ちは込めるもの、気合いは入れるもの、心は沿わすもの。

2012/05/20
無条件に信じたいという欲求があります。これは脳の性癖なのでなくせません。しかし之は汚れたものでも愛する為に備わった機能であり考えることを止めたり綺麗なものだけを愛したいのとは違うのです。狂信者には無条件の信仰などないのです。

2012/05/25
無能を理由に刑事罰を与える事など出来ません。そんな社会に生存できる人などいないのです。

2012/05/26
正義のヒーローになりたかった子供が大人になって、正義に自分を委ね正義の安心感と力に快感を感じ、善良に生きる。気付いた時には正義依存症となりさらに悪化して正義ジャンキー、麻薬の廃人のような正義廃人となって人生を終わる。そういうヒーロー物語も悪くない。

2012/05/26
彼らは正義を振りかざす快感に目覚めました。人は誰でも正しいと思う時に快感を得るものです、しかし彼らの正義は敵となる相手を必要としているのです。社会的に絶対悪とマーキングさえ出来れば後は快楽に身を委ねるのみです。

2012/05/26
必殺仕事人は誰が誰を悪と認定するのか、その行使は無償ではないという点で正義のヒーローではない。悪を自分で決め無償である事が正義のヒーローの条件か。すると正義のヒーローが正体を隠すのは本業の仕事に差し障りが出るからだろう。無償では食べていけないから仕事を持つのは仕方ない。勤務時間中はヒーローとしては活動できない。昼間に原っぱで戦っているヒーローは土日祝か有給で休んでいるかだ。

2012/06/08
人の命は大切とか言ってる間は何ひとつ問題は解決しないよ。

2012/06/09
ひとつの軍隊しか持たぬ国家で起きるのが独裁であって、複数の軍事組織が存在している状態が日本では建国から敗戦まで続く。

2012/06/09
想いが世界を変えるなんて莫迦な事いってら。世界を変えられるのは手続きだけじゃないか。

2012/06/09
罵倒もデマも生きるため。生きる権利を認める限りはそれを訂正するしかない。

2012/06/19
そして、きっと新たな間違いを犯すのですよ。それが人間というものです。そして、間違うことそのものを禁止することは誰にも出来ません。そうではありませんか、中杉小夜香さん? 鉄腕バーディ EVOLUTION No.135 この漫画には必ずドキッとする会話がある。

2012/06/21
武力こそが最大の力の源泉であった。それに初めて気付いたのが源頼朝ではなかったか。今や資本こそが力であると誰もが思うようになった。平家にならなきゃいいんだけど。

2025年5月3日土曜日

よき細工は少し鈍き刀を使ふ2 - 吉田兼好

229段
よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず。

使い古したサンダルを洗い、日に干す。そして履いた感触は、インソールがほどよく毛羽だって感触も心地よい硬さとなって、これは妙観が刀はいたく立たずだと思った。その次の日、サンダルは踵の所の穴が開いた。灯滅せんとして光を増す。

刀というものは玉鋼を繰り返し折っては叩くの繰り返しで作るが、備前長船刀剣博物館で学んだ限りでは、これが層を作る。これを砥ぐ事で波状の文様が生まれる。地表に出現してきた地層を洗う波が如し、砥ぐ事で鉄の面白みが模様となって現れる。

軟らかい芯となる心鉄(しんがね)と硬い皮鉄(かわがね)で刀は構成されるが、彫刻刀なども同様らしい。と言っても妙観の刀を知る由もなし、まして刃物を知る訳もない、詳細は知らない。

使えば使うほど研げば砥ぐほど次第に刀は小さくなってゆくものだし、鋼の部分の比率も変わってゆく。刀鍛冶の作業を考えるなら、最初期であろうが、ちびて小さくなった時であろうが、そう大きく鉄の組成が変わるとは思えない。

とは言え、最後の方にはこれ以上は用をなさない程度しか残っていない訳である。その時の手になじんだ切れ味が良いと主張する。何度も何度も使う内に鉄が鍛えられてたのか。木を彫る度に刀鍛冶が鍛えるのと同じように鉄が締まっていったのか。

使うほどに刀の切れ味が悪くなると自然と考える。しかし刃先の事をどれほど知る訳でもない。刃先がちびてゆく過程のどこかに丁度良い使い慣れて使い勝手が良くなった切れ味というものも存在するだろう。

とは言え、刀鍛冶の力加減も鉄の組成も全て同じだった訳ではあるまい。作った全てが業良き物という訳にもいくまい。工業品よりは高い精度だとしても出来不出来は生じる。一振りの中でも原子の配列が均一という訳でもなかろう。それぞれの個性というものが砥ぐ度に段階としてあり、その変化に即した使い方に上手になってゆくというものもあるだろう。

最上の切れ味もあるだろうし、心地よい切れ味もあるだろう。独特の味わいが語ってくるものがあるにしろ、削る音の快適さは使う者にしか聞こえてこない。

鉄の硬さは炭素との化学変化だから焼き入れ、焼き戻しで硬さと脆さが調節されている。表面と内側でも反応は違うだろうし、研いで行けば埋もれていた地層が出現し、そこには鍛えられた時の儘の状態が残っている。空気に触れた瞬間に何らかの反応が起きるとしても不思議はない。それが使い終わりの丁度よさに結びついたとしても不思議はない。

使うほどに何とも言えない味わいが出て来る、最後まで使う事で、その刃物はひとつの寿命を終える。鉄の原子は環境の中へ戻り時の円環の中を漂う。刀鍛冶は切れ味など求めない。仏師も切れ味など求めない。目の前に刀がある、それが良い出来かどうかを問う。それは自分の技に叶うものか。

兼好は1350年の人で妙観は780年の人だと言う。同名の仏師は死ぬ程いたであろうから、どの妙観について語ったかは知らない。使い古しの刀が残っていたかもかも知らない。

兼好も刀の上手であったという話も聞く。ここに立ち上るのは細工する姿ではなく、ぽんと置かれた静かな刀の姿だろう。

色々と思う事はあったが書くのは止める。その思った中にはあなたが思った事もあるだろうし、あなたが思わなかった事もある。しかし全て無駄だと悟った。この無駄と結論した理由をどうぞ推し量って下さい。

それを書かない理由さえ書きません。彼はそれが自明だと思ったのか。それともその方が刀の美しさに似ると思ったのか。

少なくとも書かない、または書いてはならないと信じた訳である。書きたい誘惑はあっただろう。だがその形骸だけをここに残しておく。その空洞に、書いてない全てがある。そしてその全てを無駄と信じた。聞こえてくる刀鍛冶の打ち出す音が、火の中へ消えてゆく。

幾ら削いでも、辿ったであろう経路を追いかけて、解釈し、検証し、補足を加え、義解を書き、全景を見渡す事は可能である。解説し、省略し、置換し、類推し、形は水のように変わってゆく。

必要ない、その全てを解き明かそうと、間違っていようと、この経路を辿る限りは、凡そどこかには辿り着く。その道案内を見る様では間違える。消えた音を掴む事は出来ないのだ。

ここに刀を置いておくから、これで君の細工を彫りなさい。それ以外に方法はない。私の作品は彫り過ぎてしまった為に木の欠片さえ消えていったよ。

だからここに刀だけを置いておく。

2025年4月16日水曜日

十七条憲法義疏

一に曰く
やわらぎを以て貴しと為し。

さかふること無きを宗とせよ。人皆たむら有り、またさとれる者は少なし。或いは君父くんぷしたがわず、また隣里りんりに違う。然れども、かみやわらしもむつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

二に曰く
あつ三宝さんぽうを敬う。

々々者さんぽうは仏と法と僧なり。則ち四生しょう終帰よりどころ、万国の極宗おおむね。いずれの世、いずれの人、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪しきもの少なし。よくおしうるをもって従う。それ三宝にかえらざれば、何をもってまがれるをたださん。

三に曰く
詔をうけたまわりては必ずつつしめ、君をば天とす、臣をば地とす。

天覆い、地載せて、四の時順行し、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることをいたさんのみ。ここをもって君言えば臣うけたまわり、上行けば下なびく。故に詔を承りては必ずつつしめ。つつしまずんばおのずから敗れん。

四に曰く
群卿百寮ぐんけいひゃくりょう、礼を以て本とせよ。

其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下ととのはず。下礼なきときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家おのずから治まる。

五に曰く
饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟そしょうさだめよ。

それ百姓のうったえは、一日に千事あり。一日すらなおしかるを、いわんや歳をかさねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、まいないを見てはことわりもうすを聴く。すなわち財のあるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。乏しきのものの訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由せんすべを知らず。臣道またここにかく。

六に曰く
悪しきを懲らしほまれすすむるは、いにしえの良きのりなり。

ここをもって、人の善をかくすことなく、悪を見てはかならずただせ。それへつらあざむく者は、国家をくつがえす利器なり。人民を絶つ鋒剣ほうけんなり。またかだぶる者は、上に対しては好みて下の過ちと説き、下に逢いては上のあやまちを誹謗そしる。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。

七に曰く
人各よさし有り。つかさどること宜しくみだれざるべし。

それ賢哲けんてつ、官に任ずるときは、むるこえすなわち起こり、奸者かんじゃ、官をたもつときは、禍乱からんすなわちしげし。世に、生まれながら知るひと少なし。よくおもいて聖となる。事、大少となく、人を得て必ず治まる。時、急緩きゅうかんとなく、賢にいておのずからゆたかなり。これによりて、国家永久にして、社稷しゃしょく危うからず、故に、古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。

八に曰く
群卿百寮、早くおそく退でよ。

公事いとまなし。終日ひねもすにも尽くしがたし。ここをもって、遅くまいるときは急なることにおよばず。早く退まかるときはかならず事尽くさず。

九に曰く
信は是義の本なり。

それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。

十に曰く
忿こころのいかりを絶ちて、おもてのいかりて、人の違うことを怒らざれ。

人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれとすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非のことわり、たれかよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、みみがねの端なきごとし。ここをもって、かの人はいかるといえども、かえってわがあやまちを恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じくおこなえ。

十一に曰く
功とあやまちを明らかにて、賞罰を必ず当てよ。

このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。

十二に曰く
国司くにのみこともち国造くにのみやつこ百姓おおみたから収斂しゅうれんすることなかれ。

国に二君く、民に両主無し、率土くにのうち兆民おおみたからきみを以て主と為す。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂おさめとらん。

十三に曰く
もろもろの官に任ぜる者は、同じく職掌しょくしょうを知れ。

あるいは病し、あるいは使して、事をおこたることあらん。しかれども知ることを得る日には、あまなうことむかしより<曽>識かれるがごとくせよ。それあずかり聞かずということをもって、公務をな妨げそ。

十四に曰く
群臣百寮、そねねたむこと有ること無かれ。

われすでに人をうらやむときは、人またわれを嫉む。嫉妬しっとうれえ、そのきわまりを知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず。才おのれにまさるときは嫉妬ねたむ。ここをもって、五百歳にしていまし今賢に遇うとも、千載せんざいにしてひとりのひじりを持つことにかたし。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。

十五に曰く
私を背きて公に向くは、是れ臣が道なり。

およそ人、私あるときはかならず恨みあり。うらみあるときはかならずととのおらず。同らざるときは私をもって公を防ぐ。うらみおこるときはとりきめに違い、法をやぶる。ゆえに初めの章に云う。上下和諧わかいせよ、と。それまたこのこころか。

十六に曰く
民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。

ゆえに、冬の月にいとまあらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑のうそうの節なり。民を使うべからず。それなりわいせずば、何をか食らわん。くわとらずば何をかん。

十七に曰く
夫れ事独りさだむべからず。

必ずもろもろとともに宜しくあげつらふべし。少事はこれ軽し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うにおよびては、もしはあやまちちあらんことを疑う。ゆえに衆と相わきまうるときは、ことすなわち理を得ん。

短く且つ要約

一に曰く
和を以て貴しと為し。事を論うに叶うとき、事理通ず。

一条要約
議論により合意する。その合意を自分たちの思惑のためにやらない。人が集まればそれぞれが代表として引き下がれない事もある。

その気持ちはよく知っている。故に、そうではなくて和するという事を考える必要がある。そうしなければ、結論は事理から外れてしまう。

二に曰く
三宝は仏と法と僧。いずれの世、この法を貴ばざらん。教うるをもって従い直す。

二条要約
理想、理念なく国は立たない。人間には悪しもあれば良しもある。だがそこに理想というもの、理念というものを打ち立てれば心が動くだろう。その心の働きに注目すべきだ。

人には何かを尊ぶ力が備わっている。これは全ての人が持っている能力と思われるこの小さな働きが国家の全てに浸透して国を立て直してゆく。

三に曰く
詔をつつしめ、君を天、臣を地とし万気通ず。地天を覆わば、壊るる。謹まずんば敗れん。

三条要約
この国の形は詔という形で構成しよう。ここに上位下達の階層構造を作ろう。詔は天皇の気儘な我儘から好き勝手に出るものではない。

周囲の臣下とよく相談し、議論を重ね熟慮の上で出されるものである。この形を失えば国は支えられない。

四に曰く
礼を本とす。民を治むるは礼。上礼なきは下ととのはず。下礼無きは罪有り。礼あれば乱れず、百姓礼あれば、国家治まる。

四条要約
感情を整えるのが礼である。人が集まって事を成そうとする限り、必ず感情的なものが生まれる。だが、多くは互いに悪意や敵意がある訳ではない事は明らかだ。

自分が気に障った事なのに相手は忘れている、自分は忘れたのに相手は覚えている。この繰り返しで軋轢が激しくなる。しかし、そこに人間性が紛れ込む事は殆どない。

軋轢の多くは礼があれば避けえるものである。何故なら礼とは身体上の挙動が心を押さえ込む所作だからだ。心のままに動く様では人とは言えない。心は空にある雲のように気儘である。

だから礼で整える、礼という形で心を抑え込む。そうして人の心の奥底にある暴力性を封じ込める。これを抑え込まなくてなぜ力を持てるだろう。

五に曰く
饗を絶ち欲するを棄て訴訟をさだめ。百姓のうったえ一日に千事あり。財ある訟は、石を水に投ぐるがごとし。乏しき訟は、水を石に投ぐるに似たり。貧しき民は所を知らず。臣道またここに欠く。

五条要約
公平であれ。人は必ず自分の中の心から、良きも悪きも、心から動く。その心に欲望が入り込む。家族がいれば家族を想い、女がいれば女を想い、金があれば金を想う。

心はそうして沸騰する湯のようなものである。大樹の元で雨宿りをすれば感謝し、大原で雨に当たれば恨みも残るだろう。心のままに判断すれば金にばかり寄り添う事になるだろう。

六に曰く
悪しきを懲らし善を勧むる。善をかくさず、悪をただせ。君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本。

六条要約
正義を失ってはならない。では正義とは何か。誰かの正義は誰かの悪である。故に、誰のための正義か。その為に正義と悪ではなく、善についても考えてもらいたい。そして、私はこの国に大乱を起こさぬ事が必要と考える。

忠と仁、このふたつを失うと国は乱れる。我々はこの国を良い国にしたい。その為には誰も見捨てたくない。少しずつ欠けてゆけば、いつか大乱に至る。少しずつである。そうなれば国は乱れる、乱れた国は立つ意義を失うという事だ。たったこれだけの事で国は簡単に倒れる。

七に曰く
人各に任あり。事、大少となく、人を得て治まる。古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。

七条要約
適材適所とは人に仕事を与えるものではない。仕事のためにその適材を求めるものだ。この逆はない。しかし政府の仕事には雇用を創出し人を飢えさせなくする事がある。どうだ難しいだろう。矛盾と思えないか?貴君に与えた勲章は貴君のものではない。ある仕事をしたという国家の記録に過ぎない。どの仕事に対して与えられたかを忘却したらその輝きも鈍くなろう。

八に曰く
群卿百寮、早く朝りおそく退でよ。公事いとまなし。ひねもす尽くしがたし。

八条要約
勤勉と忠誠を要求する。心配しなくてもよい、本気で取り組めば嫌でものめり込んでゆく。それくらい国の仕事は面白い。

九に曰く
信は義の本。善悪成敗はかならず信。群臣信あるとき、何事か成らざらん。群臣信なきとき、万事敗れん。

九条要約
信義とは何か、信用や信頼ではない。信義とは引き継ぎの事である。その為のあらゆる技能である。なぜ信があれば強いのか。それは信がある時は、余計な労力を割かなくとも互いに仕事を引き継げるからだ。この抵抗の小ささが優れた引き渡しを実現し組織全体で引き継ぎのコストを最小に抑えて仕事に注力できるようになるからだ。

十に曰く
人の違うを怒らざれ。人皆心あり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。かれ必ずしも愚にあらず。ともに凡夫。非の理、たれか定むや。

十条要約
無誤謬に陥らない事。間違いがある事を前提に組織化せよ、その為には互いにバックアップしあうコストは掛けておこう。その為には前もって準備しておく事。その為の具体的な方法は、自分が絶対に正しいと思わない事だ。もし自分が間違っていたらと考えて次策を作っておく。自分の考えでも他の人の考えも構わないから、常に第二の矢を用意せよ。

十一に曰く
功とあやまち、賞罰を必ず当てよ。賞は功にせず、罰は罪にせず。事を執る賞罰を明らかにすべし。

十一条要約
人を正しく評価する方法は前もって周知しておく事である。誰が見ても明らかな賞罰をせよ、誰かが不満に思うなら説明を尽くしてから賞罰せよ。

十二に曰く
国に二君なく、民に両主無し、所任の官司は王臣。何ぞあえて公と、百姓におさめとらん。

十二条要約
税の根拠は天皇にある。よって天皇以外に税を取る正当性はない。我々がその代理として行っている事を間違えてはならない。

十三に曰く
官に任せる者は、職掌を知れ。あずかり聞かずをもって、公務をな妨げそ。

十三条要約
仕事をする上では自分の範囲を勝手に作らない。自分の仕事が終われば仕事の終わりではない。公務は組織戦である。権限や主体はあるにせよ、常に全体を考えて仕事は行う。小さな仕事の寄せ集めで全体の仕事が完成する訳ではない。

十四に曰く
嫉み妬むこと無かれ。嫉妬、極りを知らず。五百歳の今賢に遇うとも、千載にひとりの聖を持つこと難し。賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。

十四条要約
嫉妬はよくない。嫉妬をすれば賢聖さえ見過ごしてしまう。共同作業も足を引っ張りあう。そうしない為にはどうするか。誰も天皇に嫉妬などしないだろう。それと同じように考えよ。

十五に曰く
私を背き公に向くは、是臣が道。私あるとき恨みあり。憾みは制に違い、法をやぶる。ゆえに初めの章に云う上下和諧せよと。

十五条要約
人が互いに仕事をしていれば不満を感じる事もある。その感情のまま動いていは私を持って公を破るようなものだ。怨恨なる私心を封じて公を突き詰めるには話し合うしかない。よって公は必ず議論へ通ず。

十六に曰く
民を使うに時を以てする。冬に暇あらば、民を使う。春より秋は、農桑の節。使うべからず。農せずば何を食わん。桑らずば何をきん。

十六条要約
時勢は支配できない。故に我々が時勢に合わせて計画を練るしかないのである。それを無視すればすぐに困った事になる。人は食うもの着るものさえ自在にはできない。我々は自然を自由にはできない。

十七に曰く
独り断むべからず。衆とあげつらう。大事を論うは、あやまちちを疑う。ゆえに衆とわきまう。

十七条要約
孤立は失敗する。孤独は議論の拒否。孤独ゆえに拒否するのか、拒否するから孤独なのか。孤独が動き始めたら止まらない。

わたしは言論の力を信じている。同時に万能ではない事も知っている。孤独はあらゆる動機になる。孤独から殺人を選ぶ人もいる。それだけが唯一の人との繋がりであったのだろう。だから対話をしよう。人を殺めるくらいなら対話で良いではないか。


乃ち

全部輸入した価値観である。しかし、そのままにはしておかなかった。

考えるに

聖徳太子は、日本最初の思想家だ。『義疏』という本は、外圧をじっと耐えて爆発するように、日本人があらわれた、というものだ。太子を外国文化の影響に染まった人、という人たちがいるが、そんなものではない。

あの人はほんとうの日本人だ。自分が犠牲になって、歴史を作ったんです。だから、日本人はみんな太子を崇めているんです。太子の苦しみが日本人にはわかるんです。

それでなくてどうしてあんなに皆んなが太子を憶いますか。
小林秀雄

太子の手に触れたものは仏教という姿をしていた。太子はそれをちっとも信じていなかった。そう見える。三経義疏が如何に合理的な疑いで埋め尽くされ、そこに如何に合理的な回答を用意していたかを見れば。

蒙昧に仏教を掲げた訳ではない。十分な検証を加えた上で、これを取り上げた。これを採用しようと。彼を思想家でも政治家とも思えない。優れた実務家に見える。

彼は日本という国家を組織を作り上げようとした。意識なくして憲法などというものを思いつくとは思えない。確かに彼はこの国の有り様を示した最初の一人であろう。彼が居なければこの国は違う姿であったろうと思える。

勿論、生まれて直ぐに亡くなった赤子も含めて誰一人欠けて今日がある訳がない。なにひとつ欠けて今日はない。何がどう未来に作用したかは見る事はできない。それはたった一つの粒子が如何に風の流れを変えるかに似ている。歴史という蝶はそういう姿をしている。

神話

神話の世界でもこの国はただの島であった。海を隔ててぽつりと存在していた。

それでも三国志の魏志倭人伝(280)に記録が残るほど古くから大陸との交流を行ってきた。四世紀にはこの島から半島に渡海している。新羅、百済、高句麗から多くの帰化人、渡来人が来たであろうし、海を渡り帰ってこなかった人もいただろう。

三韓征伐(362)という神話もあり、任那(-562)を支配していたという伝説も残っている。仮にそうであっても、いずれ奪還はされたのである。宋書(513)に書かれた倭の五王は長く大陸との交流を試みていた。538年には仏教も伝わってきた。

戦争において海を渡る側が相手の大地で勝利するのは難しい。海賊行為が猛威を振るうにしても現地の協力がなければ尚更で、いずれ日本海を挟み交流が続けられてきた。

弥生時代の農耕牧畜から、国家形成に遷移する時代に大陸との交流を必要とした事は確かかと思える。聖徳太子(574-622)の頃は完成に向けて最後の石垣を積み上げていた頃であろう。

なぜ国家であるべきなのか。国家とはどういう形であるべきか。それは何の為にあるべきなのか。神話の誕生は案外国家というものと相当に密接したものと思われる。我々は神話を通して国家観を形成してきたのではないか。

だとすれば確かにキリスト教が国家を持たない人たちの神話として、国家観を持たないが故に世界中に浸透していったのも当然と思えてくる。その前段階としての国家を失った人たちの神話であるユダヤ教から国を持たない宗教が生まれた。

神話が形成されたという事実が、まさにそれを必要とする時代が終わりその役割を終えたから誕生したとも考えられる。故に神話が生まれた時には神話は既に過去の記録であると思われる。よって神話とは国家を起動した痕跡である。

それは国家を形成した動機でもあったであろう。それが神話という形で残った。なぜ、当時の事象を正確に記録するという形では残らなかったのだろうか。

当時の人たちが自然現象の中に神を見たとは思わない。その程度のリアリズムで地域を統べるなど不可能であろう。とすれば国造りの後で伝承が神化したのだと考える。伝聞が繰り返されるうちに、なぜ神話という形を現したのか。なぜ当時の見聞録は失われたのか。

凡そ、人々の意識が変革したのである。そこでは過去の出来事は余りに信じ難かったという事ではないか。そのまま述べれば滑稽になる。だがその記録を失う訳にはいかない。

過去を過去として封印して残してゆく。後世の人々はこの実際に起きた事を信じる事はできないだろう。だから、この事件を信じられる形に変える必要があった。それが神という姿であった、と考えたらどうだろうか。

外交

いずれにせよ、遣隋使(607)でつつがなしと書く太子のリアリティはどのようなものであったろう。それが中国皇帝の怒りに触れないと考えるほど無邪気ではあるまいし、我が国が隋より上と信じる程の狂者でもあるまい。

「日の出ずる処の天子書を日の没する処の天子に致す」これは臣従という立場からの解放だろうか。だが当時も独立は維持していたのである。臣従という立場が特に問題があるとも思えない。海を隔てて同盟も敵対もしていなかった。ならばこの親書の意図は何か。

太子の外交は何を目指して行われたのか。607,608は太子の手になるにしても622は時間が経ち過ぎている。

確かに最初の書には大陸に進出する気分が潜んでいる、そんな外交観を持っていたとは信じがたいが、少なくとも後世の人々はそれを敏感に嗅ぎ取った。この親書には何か大陸に対する優越感を感じる。なぜこれを痛快と感じるのか。

それ程までに我々の中には劣等感がある。それをたった数文字で一文で打ち砕いてみせる。もちろん、後世まで残るとは思ってはいなかったろう。

それでも、ここには劣等感を払拭し堂々と同等を要求すべしという意識が感じられる。そうするとこれは日本人に向けて書いたものだと思われてくる。

しかし、それが未来への呪いとなる。島国の市民は元来そのような野心を持つ様に生まれるのかも知れない。劣等感は直ぐに優越感に変わる。中庸は難しい。

朝鮮半島への出兵(1592,1597)、満州事変(1931)もこの呪いの延長にあると考えて問題ない。我々の奥底にある大陸への呪いが、この親書から始まったのではないか。

その最初が白村江の戦い(663)であり、その失敗によって日本は他国からの報復、征服を警戒し防人を制度化する。そして忘れた頃にまた日本人は大陸に向かって船を漕ぐ。

太子はこう言いたかったのではないか。あなたも中心です、しかし、私達もこの世界の中心です。それはお互いの神話を見れば明らかでしょう。だから神話では足りないのです。だから私たちには仏教が必要です。

親書

翌年(608)には「東の天皇敬して西の皇帝に白す」と書いた。武力も国力も違い過ぎるのに無礼を敢えてする理由は。

この時代は大陸とは取引がなくても半島を介して色々とやっていたと思われる。現在の観光客とは比較の出来ない程度の数だとしても、毎年数人程度の朝鮮半島の人、中國の人が渡来して来たと考えて矛盾はない。小野妹子も中國語を習う必要がある。

当時の中國には各国から色々な中国語を話す人が訪れていた筈だ。古い言葉を話す人、過去の言語を使う人、訛りを聞けばどの地方の人から学んだかも分かるだろう。それは多くの笑いを生んだと思われる。

そのような国際社会で相手をよく知りもせず無謀な書を渡すだろうか。丹念に調べた筈である。情報は少ないとは言え、考え抜いて親書をしたためた。もし、そうであるなら、ひとつだけとも考えにくい。相手を見て渡すようにと複数のシナリオを託して不思議はない。太子ほどの人が二の矢三の矢を用意しない筈がない。

妹子には現地に相談する人はいたであろうし、半島にもいたであろう。金を払ってアドバイスする人たちが居たに違いない。当時の隋はそれだけの大都市だと思える。その上でこれを提出すると決めた。妹子が中身を知らなかったとは想像しがたい。

小野妹子は相当の思案の上でこれを提出しただろう。それとも案外はねっかえりは妹子だったのではないか。尻ぬぐいは太子様がなんとかしてくれるでしょう。どうせ殺されるのは私であって太子様ではないのだし。道理で、返りに重要な返書も平気で無くす訳である。そんな訳あるか。

大陸に送り出せば、もう奈良から指図できる事などない。送り出した以上は、好きにせよ。信頼か能力か。相当に予行演習も打ち合わせもする。正しく自分の代理として送り出す。最悪の場合、死罪もある。太子はその上で複数の親書を持たせのだとしたら。どれを出すかはお前が選べ。いずれにせよ、世界に向けて妹子が意気揚々と宣言した訳である。

沈む国とは、日本から見れば西にある国である。もし東が偉いのなら、奈良より関東の方が偉いに決まっている。そんな価値観があるとも考え難い。東に向かうのを繰り返せばいつかは自分の場所へ戻ってくる。今の知見ではそうなる。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子:BC552-479)。これを読めば日出ずる所が始まりであり日沈む所が終わりとも受け取れる。しかし東を説明するのに日の出る方と答える時にいちいち面倒な意味付けをするであろうか。

この深読みの余地がこの親書の価値は高めているのだろう。太子に二手三手先まで読む謀略家のイメージはない。それ程の人なら蘇我入鹿(-645)を生かしたままにはすまい。だが、我々はその意図をおもんぱかり深読みを重ねてきた。

民主主義

議論を重視した太子であるが、全国民が一同に集まって議論を重ねる事は物理的に不可能である。仮に成したとしても議論が尽きるまでにどれだけの時間が必要か。

議論を尽くし解決を図る。それを理想として掲げそこに少しでも近づく事を理想とした。しかし、同じ村においてさえ議論を尽くさねば成らぬ思惑が其々にあり考えが異なる。利害関係の調節が如何に難しいかも良く知っていたであろう。

裏を返せば軍を動かす方が余程早く解決できると言う意味でもある。物部氏を滅ぼす戦争(587丁未の乱)を太子が知らなかった筈もない。

聖徳太子は民主共和制の人ではない。全て民の話し合いで問題を解決する事を是とした訳でもない。彼は行政を階級で構築し、そこで議論を尽くせと説いた。恐らく立法の時も議論は尽くすべきなんだろう。だが立法府に全国民の参加や意見表明を求めた訳ではない。

彼の理想は天皇を中心にした政治体制である。その形式の大元は中國から輸入した律令制と思われる。そしてこの憲法の根本にあるものは国を乱させない事であり、その為の思索である。

逆に言えば、なぜ国が乱れるかという話になる。その根本を突き止めれば統治には正統性が必要という事になる。なぜ皇帝にはそれがあるのか。その絡繰りは神話の中に凍結されている様である。

どの民族の神話も統治の正統性を神に求める。この共通性は恐らく人類に普遍の世界の切り取り方、物事の捉え方に起因するのだろう。これは脳の情報処理の仕方が共通しているという意味だ。それが起きたとは脳の構造が共通だったという事だ。機能の同一性がDNAコードの共通性や同じ発現をしたとまでは言えない。だが恐らく同じであろう。

どれだけ多くの富と武力を持っていようと統治の正統性の根拠にはならない。仮に一時的には支配できても人々は従わない。項羽(BC232-BC202)は滅ぼされる。王を殺す事に躊躇はないのである。

天皇には父系統で引き継がれてきた。太古の人々にとって王の神話性と世襲にどうやって正統性を持ち込んだのかはよく分からない。最も優れた王を持つ中國では堯舜の時代に禅譲という形で統治を引き継ぐ方法を採用している。神に連なるという考え方は早々に失われる。なんという合理性の極致か。

その代わりとして、中國は天という思想を持ち込み、統治の正統性を易姓革命に置いた。

これを、機能しない王を取り除き、別の者が新しい統治を始め、地域の発展を促進させる仕組みとした。この流動性と統治の正統性の均衡が常に揺れ動く事で歴史が紡がれた。

天皇

崇峻天皇(553-592)を謀殺したは言え蘇我馬子(551-626)が天皇に取って変わるとは太子は思っていなかったであろうし首謀者の一人かも知れぬが、その子蝦夷(586-645)や孫入鹿(-645)でも大丈夫と危惧しない程度の無垢ではあるまい。それらをどう回避しようか、と思わなかったとも思えない。

神話から人間の社会へと変わる時、初めて統治の正統性が問われる。なぜその者は王であるのか、世襲したからである。なぜ世襲は正当なのか。神から連綿と続くからだ。なぜその者は王なのか、禅譲されたからである。ではこの暴君の好き勝手にもただ従うしかないのか。

なぜ王を打ち倒してはいけないのか。どの神話にもその答えがあるだろう。神がどのように敵を打ち倒し、どのように国家を打ち立てたか。その真似をすればいい。

聖徳太子にこの国の原風景を想う。国の行く末を決めたのがこの人である、そういう漠然とした確信に近いものが太子にはある。

では太子は国造りにおいて何をした人であろうか。その最大の仕事は何であろうか。

それが中國に王朝を倒すという思想をこの国に持ち込ませなかった事だと考えられるのだ。

彼の最大の功績は、国外から何を輸入したかにはない。何を輸入しなかったのか。太子が断固と拒絶したものが易姓革命ではないか。

なぜ我が国では皇帝ではなく天皇と呼んだのか。天皇は皇帝ではない。そういう意識は確実にあったと思われる。この天という概念と易姓革命の天とが無関係だろうか。我が国は天皇を支配構造の中には置かず、天と同じ位置に配置を試みたのではないか。

易姓革命

聖徳太子は、天皇の下での権力闘争という図式を導入したのではないか。権力闘争の円環から天皇を除外したのではないか。

中國には天の下に人々が住み、瑞兆などの知らせにより、皇帝を討つ。この中にいる人は誰もが王となり得るし、どの王も討たれ得る。そうする事で国が乱れた時にも強靭な復元力が働いて来た。

日本にはそれとは違う構造がある。天と同格の天皇という存在を置き、その下での争いを許容する。

この構造は、その後の日本でも長く主従関係の理想的な模範となっているように見える。幕末のそうせい侯毛利敬親の元で長州の藩論は二転も三転もした。それでもどちらの勢力もこの藩主を廃絶しようとは考えなかった。

敗戦しマッカーサーの占領下に日本は置かれたが、天皇の権威も地位も失われたかのように見えて、実質は天皇の下でマッカーサーが権勢を振ったひとつの時代として我々は理解している筈だ。この点で日本の連続性は途切れていない。

太子は易姓革命を拒否し、その変わりに天皇を天の位置に配置し、天皇を易姓革命の外部に置いた。だから天皇の元でならどれだけの対立が起ころうと良い。血みどろの権力闘争も良い。天という思想を天皇に担わせ、易姓革命の変わりに天皇の承認という形にした。

天皇の下でならどれだけの謀略、政略、政権が立とうが構わないのである。永遠に乱れない国など存在しないが、その乱れは天皇の元で起きている限りは、国が乱れた事にはならない。政治が乱れているだけである。速やかに復旧してゆけばよいのだ。

この基本構造が聖徳太子の手で成った。もちろん仮説。実際はもっと前かもしれない。太子は踏襲し次に受け渡した一人かも知れない。だが、古事記はこの辺りで終わり人間の世界へと変わってゆく。

太子が編み込んだ縦糸と横糸にその後の為政者の多くが敬服し意識の有無を問わずこのフレームから逸脱しようとしなかった。鎌倉武士も征夷大将軍で十分なのである。それで統治が可能なのである。

足利もふたつの天皇をひとつにまとめる為に奔走した。織田も豊臣も徳川もそれに代わって立つ野心はなかった。本居宣長(1730-1801)らによって再発見され、尊王の考えが明治政府を立てる。その先で祖先たちは零戦でアメリカの軍艦に突入していった。日本は一度も国が乱れた事がない。

日本という国の一貫性が当面はここにある。もしこれを廃止するなら、一貫性は失われ、神武から始まった国は消える。歴史は断絶し後世の人は歴史をリアルに感じられなくなる。この連続性を断ち切った先に、凡そ、我々にはそれに取って代わる統治の正統性が打ち立てられるのだろうか。

伝統の消失

この国に近代思想が入るまで、この構造は歴史的に見れば盤石であった。だれひとり天皇の地位を奪還しようとした者はいなかった。ひとりもとまでは言わない。だが極めて少ないし成功もしなかった。織田信長も徳川家康もそのような野心があったにしろ超えられなかった。

この盤石性が、生物学的な一貫性、現代の言葉で言う家系図の存在(Y遺伝子ではない)で紡がれてきた点が稀有と思われる。それが今、生物学的に途絶えようとしている。ジンギスカンの如く、数百人の子を設ける女王蟻のような皇太子が必要であろう。百の落胤を残さない限り、百年以内に失われる。これは当人だけの問題ではない。ご学友の貢献こそ大なりな事案であろう。

この系統を失った先に、その代替はあるのか。今の所、それはない。日本という国家の連続性は切れる。国家は終焉する。この国を襲っている共同体の消失は資本主義がもたらしたものだ。それに加えて我々は国の連続性も失ってしまうのか。

我々はどこへ行こうとするのか。我々は何に属するのか、ゆっくりとではあるが、確実にこの国は分解しつつある。

失われたら二度と取り戻せないものが歴史にはある。書かれる側になってみなければ分からない事がある。後世の人たちは歴史を学びつつもかつて存在していた日本という国家の実感は得られなくなる。

天皇を辿れば歴史の最初の地点まで戻れるという幻想が如何にこの国を強く結びつけて来たかを実感する。それを失った事を惜しむのか、何も思わないのか。それは外の国の出来事になってしまう。例え国号が同じでも。

共同体

共同体とは何か。レビストロースの構造主義を眺めれば、共同体とは繁殖の為に人間社会に発生した集団単位である。この集団に属する事で繁殖相手を解決する手段と手続きが自然と得られる。ここに属する事の安心感の根幹はここにある。

故にその消失は、根源的に、生物学的な繁殖の途絶、乃ち絶滅の恐怖へと直結する。これは群れる動物から進化した生命体には不可避の現象であろう。そしてこれこそが現在の我々に差し迫る様々な問題の根底ではないか。

移民、排斥、男尊女卑、民族、純血、全て意味不明の不安から湧き起こってくる感情だ。その背景に繁殖がある、それが失われる心理的な恐怖がある。共同体の消失という恐怖。

フロイト宜しくこれらの行動は生殖に基づく心理学である。その正体に根拠は不要である。繁殖と生殖は異なる。生殖可能性と繁殖可能性は違う。共同体の消失は繁殖の消失を予感させる。だからどのような説得もこの恐怖は鎮めない。

外部を排除する。それは繁殖の対象にしたくないという意味だ。何故だろう。それを許せば自分の共同体が崩壊すると妄信している。何故か。それを失ってどうして繁殖が続いてゆくだろう。故に許せないと言う。繁殖が終わった老人さえもその運動に参加する。何故か。

共同体は機能である。その為の基盤である。繁殖の交渉をし、折衝をし、裏付けをする場である。共同体の中で、共同体の間で相互理解と交換が進行する。元来、それら近いDNAを避け、シャッフルし多様性を確保する為の生殖の方向性に過ぎない。

ならば、最も遠い異人は歓迎の筈である。所が何故か。余りに遠すぎると排除する方向に進む。その違いから連続性に自信が持てないらしい。問題は生殖ではなく繁殖にある。

生命は決して遠いものを拒まない。だが一部の人間は拒否する。その心理はどこにあるか、現在の集団を基本単位として連続性を確保したいからか。繁殖する為に共同体を必要とする、ならばそれを守らねばならない。

そういう状況がある。崩壊寸前にある強迫観念がある。社会が変わりつつある。それに耐えられない。その理由を探して飛び付いたものが、純血であり、民族であり、独立であるのだ。このような幻想的な細いストリングに手を伸ばす。そして排他性に飛びつく。そうすれば何かが維持できると信じている。

アイデンティティはどうやら複層構造をしている。個人に属する点、家族に属する点、近隣に属する点、市街地に属する点、都市、民族、国家、地球人、太陽系と範囲は拡張してゆく。我々は同じと違うを通じてアイデンティティを判別している。故に安易な違いに手を伸ばしやすい。

人間がもつ認識力は元来弱い。AIと比べれば。AIは数千万枚の写真からも違いを見つけられるのに我々は数百枚の写真でさえ見続けていると飽きて眠くなる。それで十分であった、そういう進化をしてきた。我々は歴史的にその程度の認識力しか持っていない。

この弱い認識力で社会をコミュニティを共同体を維持してきた。常に脅迫に晒されてきた。不安に抗う為に何を求めるか。知識か、知恵か、感情か。

生命は常に何かを失いその間隙を何か変わりのもので埋める活動を繰り返す。変化を恐れるが、変化を期待しもする。そこに生物は連続性を認める。変わったけど同じもの、同じだけれど変わってゆくもの。群は変わらない集合だ。変わらないから、変わる事が出来る。どこまで変わっても同じと言う為に連続性がある。

凡そ宇宙の広さまで生命は広がるだろう。そうでなければ原子が存在する理屈が合わない。

急性アノミー

資本主義の発達により世界全体の共同体が変化している。その変化の中に全ての文明が晒され新しい連続体を獲得しようともがいている。途切れる事なくこの共同体を維持してきた。次世代に子の形のままで受け渡してゆけるのか。そこで連続性は確保できるか。

この国も極限を向かえようとしている。資本主義の浸食が共同体を解体しようとしている。それが多くの旧い社会や理想や道徳を破壊しつつある。資本主義とは全てをひとつの価値観で飲み込み刷新しようとする運動だ。

社会を階級化し、その価値を資産の多寡で決定する、それだけを黄金律とする制度。あらゆる価値観が数値化され比較される世界。

当然ながら繁殖という行動もこの仕組みの中に組み込まれる。共同体はその為の構造体であるからこの階層の変化の影響を受ける。太古から中世に至る、貴族、王族の台頭と没落いう形で何度も起きた共同体の変遷も生殖のシャッフルという観点で見るべきだろう。

それでも近代国家はそれらの流れを排除する形で浸透してきた。基本的人権と自由を掲げた共同体は、詰まりは多様性による繁殖を是とした筈である。しかし、アメリカは奴隷制度を手離さなかったし原住民も虐殺した、公民権も20世紀まで着手しなかった。それでも資産という価値観で社会を一律に染めあげる事はしなかった筈である。

それをこれからやろうと言うのである。この思想は、実質的に地球の資源の極限まで浸透する。資源の枯渇、エネルギーの消失だけではなく、地球環境を破壊し大絶滅が避け得ない。これにホモサピエンスが含まれない理由はない。金を払えば乗り越えられる、そういう類の事件ではない。

資産があれば、限界を超えた世界でも生き延びれると言う幻想で資本主義は成り立っている。宇宙に逃げるにしろ現在のテクノロジーでは長期的移民は難しい。月面では土さえ作れないのが現状だ。

世界的な急性アノミーは不可避であろう。道徳や倫理が失われ規範が消失する。だが、これは繁殖と生殖の集団である共同体を再構築の為の運動と見る。

旧来の価値観を早急に破棄し、過去からの踏襲を無意味化する。その過程では絶望も含む自殺的な表現も表出するだろう。だが。ベクトルは絶滅しない方向を向いている。繁殖は手離す。それでも生殖は続けてゆく為の急激な変化ではないか。

資本主義と所有

発展し尽くした資本主義は、道徳も倫理も規範も民主主義も駆逐する。人類の活動の全ては最終的に経済に帰結する。信仰も国家も理想も科学も法も経済なくば成り立たない。

その過程で資本主義は資産に応じた階層性を生み出す。それを強制するのはもちろん資本主義ではない。だが人間が効率よく利益を追求するならその評価は資産の多寡で単純化されてゆく。

人類は長く自然にあるものを持ち帰り社会の中に還元してきた。故に自然と繋がっている人は食いはぐれる事はないと考えてきた。自然との繋がり、その自負と安寧が農耕を基礎とする経済を主流とし、人類は長く土と共に生きてきた。

資本主義は自然を資本に置き換える。価値は資産に置く。自然に価値はない。故に軽んじる。

その行き着く先が、温暖化による人類絶滅である。価値がないのだから地球がどう振る舞おうと資産にはならない。空気も水も海も唯である。資本主義はこれを回避する回路を持たない。

資本主義は所有の原理で駆動する。だからいつか地球さえも誰かの所有となるだろう。王政、帝政も所有に基づく制度である。人間はいつか土一粒にさえも誰かが所有権を主張するだろう。

最終形態では資本主義は全ての原子を誰かの所有とする仕組みである。その上で、そこで得られるエネルギーも正統な誰かの権利と主張する為の仕組みである。

故にこの資本主義を押しとどめるには所有の原理を転換するしかない。マルクスの先見性はそれを試みた。所有の概念を訂正しようとした。残念ながらそれは失敗した。

資本主義は物質の限界を向かえるまで歩みを止めない。なぜなら資本主義は限界を持たない理論だからだ。その原理は所有の正統性に基づき組み立てられている。現在の所有の考え方である限り、この無邪気な幻想は地球の大きさを超える。

その先で大気圏を超える程の膨張を選ぶのか、それとも異なる所有の原理に基づいて我々は宇宙を目指すのか。

太子は国の連続性の基礎を太古の昔に築いた。それがここまで生き永らえてきた我が国が、最近の政治や官僚の振る舞いを見る限りは、この程度の国家を将来に残してゆく価値があるのか、と思わせる事件が頻発している。人材が尽きようとしている。種火が消えかかっている。

もし我々に太子の意志を引き継ぐ意志があるならば、例え月面に新しく国を興そうともそれは連続している筈だ。

これを広く知らしめよ。

2025年4月12日土曜日

切り抜きストーリー5

2012/02/03
人は自分の中の手持ちの兵力でしか戦えないものなのよ。工夫するか連合するしかないでしょう。

2012/02/03
クリスマスを筆頭に恵方巻き、バレンタインと日本の行事はどれもこれもエロいものばかり。もしかしてマーケティングの秘訣はそれか?ハロウィンが今一つなのはエロと結びつくアイテムがないからか。

2012/02/03
ハロウィンの日には悪戯されないためにお菓子を用意しておくものですがチョコでコーティングされたものが一番いいそうです。これは黒くしておくと森の精に見つからず悪戯されなくなるという古い言い伝えから来ています。

2012/02/04
なるほどお金払った後に電話番号を聞くのは確かに戦略としては間違えております。ですがここは戦略よりも算術です。断られた時に取れる次の戦術は払った後に断られる方がより手広いのです。小銭など取り返すのはいつでも出来ますから、はい。

2012/02/07
騙されておくと言うのは相手が無能の降りをしてくれた時の敬意な訳だ。

2012/02/08
サイコロを投げる責任というものはあるかも知れない。しかし出目には責任はない。責任とは取るものではなく執るものである。

2012/02/12
公理を疑え、倫理を討て。倫理の破壊とはならない、倫理は己への否定も一部として取り込む。

2012/02/12
神は死んだ、と叫ぶものは神を認めている、よって彼の心から神の存在を追い出すことは出来ない、超人は終いには神に喰い殺される、それは東洋的な神かも知れないが、それが神だ。

2012/02/12
善悪は灰色に揺らぐ。後からあれは悪い事と思うのはだから容易い、よって悪は取り返しがつかぬ。善は悪を取り消さない、神は許しても自分は許さない、こうして悪は数々のテーマになる。

灰色でない悪など怖くもない。悪が白黒ならこんなに容易い事はない。

白と思って塗っていた絵の具が黒だったらどうする、そうやって後から気付く。または後からそう信じる。

許すもまた信じる事なのだ。

2012/02/13
神のご加護と言うか。敵も我々と同じ神だからな、神はどちらかを選ぶと言う事をされるだろうか?

2012/02/17
誰であれ首相になれば馬鹿に見えるものだ。

2012/02/18
未来に絶望したのならそれは神を信仰したのだ。

2012/02/27
長州を、更なる長州を。真っ赤になって蛤御門に突入する長州を、馬関戦争でエゲレスに叩きのめされる長州を。密航で五人を送り出す長州を、上海に武器の買い出しに行く長州を。村田がいて高杉がいて、周布がいて、木戸がいる。伊藤が、聞多が、狂助が。そして与作がいるこの長州を。

2012/02/27
負けてから勝て。そうなる前にほふれ。勝てば引け、勝てば押せ、負ければ引け、負ければ押せ、いずれか塵芥の泡沫に帰す。ならこの一敗、揺るぎない一敗なり。

2012/03/2
延びきった戦線は縮小するしかない。

2012/03/4
自分の正しさで完結する事は、その完結さが故に信仰になる。土塁を幾ら撃った所で要塞は落ちない。第一の橋頭堡は疑念であろう。だが疑念はこちらも同様に浸潤し無事では済まない。

2012/03/4
敵と味方をエントリーする所から始めるのだろう。彼はそれを防衛戦だと思ってる節がある。相手からすれば侵略に見えているかも知れない、敵と理解し合う気はないと言う事か。

2012/03/5
日本ではハンター×ハンターを読んでいれば哲学とかいらないと思う。餌となった人間は如何に人間たりうるのか?今回も結末は逃げたけどその逃げ方が見たかったとも言える。

2012/03/6
偽善で表も裏も全てを埋め尽くすなら自らを縛り付けて溺れるしかない。

2012/03/6
無能の定義は気付かない事。だけど気付いてもやらないのも無能、気付いたけど出来ないのもやっぱり無能。どう転んでも無能呼ばわりはされるものよね。

2012/03/10
己が正しい事を証明する為には此をせよ、とは神の視点であるが故に人は使ってはならぬしこれに応じると相手を神と認める事になるのです。キリストが神を試してはなりません、と言ったのは、サタン、あなたは神ではありません、と言っただけなのです。

パンのみで生きるに非ずと言うけど、イエスってパン屋かってくらいあちこちでパンを振る舞ってた。

人の心を動かすのは、中身ではなくて、レトリック。物は言いよう。感動はコンテンツよりもスクリプトに宿る。

2012/03/14
無限を考える事と神は脳の同じ所が動いているんじゃないか。

2012/03/14
火の鳥の仏教の扱いが断然に面白い。あと聖徳太子が登場しないのがなんか面白い。火の鳥はどれも本編のないスピンオフなんだなぁ。

2012/03/20
排気量を半分にしても倍の回転をさせれば今までと同じ出力は得られますよ、と言ってるようなものです。人口が減るとは排気量の小さいエンジンに載せ替えると言う事でしょう。エンジンの出力を向上する前に車体の見直しが先です。

2012/03/22
ナチズムの社会に住みたいとは思わないが彼らの最大の失敗は戦争に負けた事である。勝っていれば彼らの行為のほとんどは正当化されたかも知れない。独裁は戦争に弱いと言うのは民主主義の長所かも知れない。

2012/03/25
#ガンダム史実
ガンダムでも演出の都合でデザインを変えていると考えて実際はどうだったろうかと想像するのは楽しい 。

ガンダムのドラマは日常生活の積み重ねだけで作っている所が面白い。だがこの日常は好きではない。ガンダムのドラマを余り面白く感じない所以。

セイラを描かせたら安彦良和が日本一だなぁ、と言う事は宇宙一か。

ガンダムⅢの作画は日本史上屈指の完成度、並ぶものは居れども超えるもの皆無。安彦良和の凄さが伝わる作品だ。キャラが立ちこの作画、セイラもミライもフラウもキシリアも全て良い。巨神ゴーグもアリオンもクラッシャージョーもこれを超えれず。

安彦良和の描く人物は顔を左右に振る、そして上下、これで演技になっていて顔の向きや振り方でストーリー上の演技は勿論だが見るものを気持ち良くする演技になっている。アメリカのアクターの演技に似ている。因みに日本の俳優は声と表情だけで顔の向きで演じれる人は稀有。

ララァが少し知恵遅れに見えるのは演出上のアヤと言う事にしておこう。

ガンダムのセリフは独自のリズムを持っていて、これは新劇の独特なセリフ廻しに似ている。日常を話中に持ち込んだために必要となった非日常性をセリフに求めたと言えるだろう。リアルなドラマだからノンフィクションを示す記号としてセリフ廻しを必要とした。

アニメでは主役は最後まで負けないし壊れない。この嘘は日常をドラマに取り入れると成立しなくなる。そこでガンダムではニュータイプが主人公が負けない事を説明するための演出であった。つまりニュータイプは演出上のフィクション。

ガンダムと言う世界でのフィクションはニュータイプだ。しかし宇宙に出たら人間の考え方や感じ方は変わるよね、というテーマはフィクションではない。そしてラストにそれでも人間とはこう言うものだろうと主張する。一体感の様なものがいいと思う。

選民思想は別として思想としてはギレンの持っている人間への危機感が一番正しいように思える。それでもこのギレンを敵側に置いたのはこの作品の面白い所。この危機感、地球の資源を浪費してヒトに未来はあるのか、はシャアの逆襲に続くテーマだ。

ギレンの語る人類への危機感が作品の通奏低音となっておりジオンにも理がある、しかし作品ではアムロたち主役の敵として描かれていた。ザンボットのようにどちらが正しいのかというストーリーの持って行き方も可能としてはあったはずだ。

キシリアを殺して悪に確定させちゃったけど殺す必要性があったかは疑問。シャアによる狙撃は演出として必要だっただけで史実では脱出時に連邦の攻撃を受けて戦死したと言う方が自然に思える。作中では人を簡単に殺しちゃうもんだからお母さんとか叫ばせずにはいられなくなった。

シャアというのはよく見ればお馬鹿さん。だけど対応は大人でいいとこのお坊ちゃん、パイロットとしては出来て根は好い奴そうと言う、表層の良さで人気が出たタイプだ。ガンダムで人間らしく好感が持てるのはザビ家だ。彼らと比べると他の登場人物は己を語る機会が少なかった。

ザビ家を倒すべき悪とした所からガンダムはここまで続編が続いたとも言える。当初から矛盾を孕みどれだけやっても証明に失敗する定理の様だ。ガンダムの全てはザビ家が悪である事を証明しようとして失敗を続ける論文の様だ。どこかでザビをきちんと扱った作品がいる。タイトルは何がいいかな。

演出上の嘘として簡単なのはムサイなどの艦橋があります。戦闘艦で全面ガラスは有り得ない。実際は小窓が沢山あったのでしょう。レーダー機器を補う光学式観測機器も沢山搭載していたはずです。

正義と悪という対立を完全に排除したのがイデオンでその代償として続編を一切拒絶する程の完成度となった。

思えばヤマトがあれだけの続編を持つのも作品中に何か強力で解けない矛盾を抱えているからではないかという仮説は立てられる。

ガンダムではホワイトベースは大気圏にも突入したが史実にはこの様な事実はない。当時の技術でもあの船を大気圏内で飛ばすのには無理があり実現しても費用対効果が悪すぎる。クルーが地上に降りたのは事実だがあれは大気圏突入カプセルで行ったのだ。

シャアが大気圏突入時に攻撃を掛けたのは史実である。ただガンダムでそれを要撃した史実はない。史実ではシャアにガンダムを奪われることを恐れた連邦はガンダムを大気圏に廃棄した事になっている。勿論あの機体に大気圏突入能力はない。

そんな訳でアムロがジャブロー後に乗った機体はジムである、マグネットコーティングなどしなくてもジムの性能は試作機よりも数段に高いものであった。演出上はガンダムを使い続けた事になっているが実際の写真を見れば分かると思うがジムはもっとカッコいい機体です。

地上戦でのガルマ戦死にはアムロたちは関わっていない、その頃にはジャブローにいた。但しガルマ戦死の戦闘は実際にあったし経緯はガンダムで描かれたのとほぼ同じ。シャアの裏切りは史実では意見が分かれる所だが機体が故障していたとの説が有力である。

2012/03/26
ミハルのエピソードも演出である。ただ身よりのない子供を育てていた売春婦が連邦の兵士にスパイ容疑で惨殺された事件が起きておりこれが話の元になっていると思われる。これについては戦後に連邦軍から謝罪が遺族(子供達)にされている。

ザンジバルを地上から打ち上げていたがこれは史実である。但しあれは地上の工場で組み立てたものを宇宙に打ち上げていたのである。重量軽減の為に武装も装甲も施されていない。打ち上げた後はそのまま工場に運ぶもので直ぐに戦闘などは出来ない。

ホワイトベースの羽根に見える物は実は光学観測機である。より距離は離しておく方が二つのカメラで捕らえた画像の比較処理で精度が向上するのである。そこであの様に幅広くなっている部分がよく見ればどの艦にもあるがそこが光学観測機器の設置場所なのである。

アムロが打ち捨てたれたガンダムに乗って直ぐに操縦できたのは当時の子供達も軍事教練が義務付けられていたからである。アムロはパイロットコースを受講しており好成績を収めていた。フラウやセイラは看護コースを受講していた。

シャアの搭乗するザクが三倍の性能と言うが連邦の勘違いである。シャアの機体も他のザクと同じものである。三倍のスピードで移動するのは他のパイロットと違い彼は進路変更を殆どしない。速度を出し過ぎると進路変更にかかるエネルギーが大量に必要である。

シャアは最初に加速するだけで慣性飛行で戦場に来てしまう。他のパイロットがそれをやると戦場に着いた頃には進路変更でガス欠状態で戦闘にならない。これは彼の天性とでも言うべき技術であり大戦を通して彼に匹敵するパイロットは存在していない。

モビルスーツはもともと月での資源採掘作業のために開発された。それを軍用に改良したのはコロニー攻略のためである。コロニーの色んな設備で段差のある表面に磁力でくっついて移動するには二足歩行が都合良かった。手はパイプなどを掴むために用意された。

ザクの肩に付いている盾は敵の攻撃を避ける目的で付けたものではない。もともとはデブリから機体を防御するために付けたものであった。

コロニー落としをするためにザクは開発された機体である。色は宇宙空間で目立たない深緑であった。隊長機は暗い赤であったが機体はどちらもおなじものである。シャアのザクだけが赤いというのは勘違いである。戦争末期には隊長機は残機も減り隊長も緑のザクで編隊を組んでいた。

ガンダムでは機銃を撃つシーンがよくあるが宇宙で銃を撃つと何時までも飛び続けて危ないので使用されない。敵艦攻撃も主にトマホークで敵の動力炉を破壊し爆発を起こさないように気を配った。爆発するとデブリの山となり何処に飛んで行くか分かったものではないからだ。

宇宙ではモビルスーツが主力兵器であったが地上では余り使用されてはいなかった。あの高さは格好の目標であったし戦車には適わなかった。地上の主力兵器は戦車と航空機であった。ただ水中のモビルアーマーは実戦配備されていたし水中用のモビルスーツも開発計画があった。

サイドセブンにザクが進入した事実はあるがガンダムと対戦したのは脚色である。アムロはガンダムに乗って収容しただけであるし進入したザクは施設の破壊に成功したが出口まで戻れずその場に廃棄・破壊された。重力のあるコロニー内では動作も遅く使い物にならなかった。

ガルマは作品中では坊ちゃんに描かれているが実際は聡明であった逸話が幾つかある。勿論だが彼は訓練ではドップにも乗っているが実戦に出たことはない。彼は北米方面の司令官であった。

ククルスドアンと言うジオンの脱走兵が連邦ジオンの区別なく孤児達を引き取り養っていると言う話は一部ではよく知られており彼の元上司は機密費の一部で彼を支援していた。これを聞きつけた情報部が彼を捜索しようとした所、これを偶々聞いたガルマが捜索を止めたのは有名な逸話だ。

ガルマは表には出していないが講和の考えを持っていた。それを日記に付けていたのだが戦死後にその日記を読んだデギンはそれにより連邦との講和を決意したと言われる。ガルマ戦死は講和に動こうとしていたガルマを暗殺する密使をシャアが受けていたとする説もある。

ガルマの死後、恋人であったイセリナは男の子を出産している。この出産はガルマの死の二年後の事とされているが実際は8ヶ月後の事らしい。ザビ家の血を引くものとの醜聞を恐れたイセリナの父が生まれを一年遅くにしたと言われている。

ガルマの死後、北米におけるジオンの勢力は急速に縮小した。この事から彼の司令官としての能力を評価する者は多い。この勢力縮小で連邦は北米の兵を大規模にオデッサ作戦に投入出来た。これが大戦の趨勢を決定した事からガルマの死を持ってジオンは敗戦したとする見方もある。

シャアはガルマの所で地上用モビルスーツの実戦テストをしていた。しかし地上では成果が出ない所かガルマが戦死する。シャアでさえ扱えないなら他の誰にも無理と言う事で地上モビルスーツの開発は凍結された。この後にシャアはジャブロー侵入と言う危険な任務を命令される。

シャアはルウム戦役で戦艦五隻轟沈で頭角を現すがV作戦傍受当たりから情報部との関係が深くなる。その他にもジャブロー侵入による連邦新型兵器ジムの情報入手、サイコミュ操縦の開発、アバオアクウ防衛戦での前線指揮など。撃墜数は戦艦8、モビルスーツ等12。

スペースコロニーで最も重要な問題は水であった。当初は地球から運搬していたが少量であった。氷の小惑星帯が火星の内側に見つかった事から巨大コロニーの建設が可能となる。コロニーに水を運搬する船に対しては戦争中と雖もジオン連邦とも攻撃はしなかった。

ジオンは休戦後に正式に独立を勝ち取った。それに次いで幾つかのコロニーも独立を果たした。コロニーでは安定した太陽光エネルギーにより農業や工業が低いコストで生産でき地球よりも競争力があった。運搬も宇宙に出るよりも低く済んだ。コロニーにないのは漁業だけだと言われている。

ソーラーレイは実在した兵器ではなくガンダム話中での脚色である。実際の所あれだけのエネルギーを太陽光パネルで貯めようとすれば使えるようになる前に戦争が終わってしまうだろう。

ジオンが保有していた宇宙艦は戦艦26、巡洋艦32隻。連邦は戦艦18、巡洋艦16隻であった。モビルスーツはジオン516機、連邦382機。他にもミサイル艇などがある。国力から言えばこれでも多過ぎであった。連邦は要塞上陸戦には艦船が不足し運搬用に小型コロニーを活用した。

要塞攻略戦は要塞の艦船発着施設を破壊し無力化することであり上陸戦は歩兵で施設を占圧する事であった。ソロモンは攻略戦でありアバオアクウは上陸戦であった。この二つの作戦で連邦の宇宙軍は殆どの戦力を消耗した。一方のジオンも被害甚大で講和が成立した。仲介はサイド6である。

ジオンはザビ家の独裁国家ではないし共和国で議会も持っている。ギレンは政治家だが他の兄弟は軍人であり最高位の地位を持っていた訳ではない。ギレンが戦場で指揮を執ったことは勿論なく彼はアバオアクウ陥落後に本国の執務室で自殺しているのを発見されたのである。

ザビ家は革命の功労者ではあるが特別に優遇されていた訳ではない。ドズルとキシリアは要塞司令官に任命されていた。デギンはジオンの最高政治責任者の地位にいたが大戦末期にサイド3への移動中に行方不明となり戦後に事故で遭難した船が見つかっている。

2012/03/28
オデッサ作戦で核兵器を使った事になっているが核を配備している事を連邦が知っていればあの様な大攻勢には出れるはずはないのである。マ・クベはオデッサ降伏後に要塞引き渡しなどの事務手続きを行い戦後は軍を引退、地球で美術史家として余生を全うしている。

V作戦はモビルスーツの開発ではなくソフトウェア開発の作戦名であった。開発モデル機であるガンダムは各種兵装が可能になっておりデータ収集や性能チューニングに使われていた。ここでの成果が順次ジムに適用されたのである。戦争後期のジムの高い性能はV作戦の結実であった。

戦争全期を通じてアムロとシャアが同じ戦場にいたのは三回だけである。サイド7追撃戦、ジャブロー攻略戦、そしてアバオアクウ防衛戦である。この二人はともにエースパイロットであったが直接対戦した記録があるのはサイド7追撃戦だけである。二人は戦後になって初めて対面した。

シャアとアムロが対面したときシャアは初対面と思っていたがアムロはサイド6で既に二人は会っていたと言う話をした。それを聞いてシャアもその時の事を思い返したと言う。その時はシャアが女性連れであったと話した時にそれは今の奥さんではないからと笑いながらアムロの話を遮った。

サイド7追撃戦でアムロとシャアが初のモビルスーツ格闘戦を行ったのは有名な話であるがシャアは開発テストで模擬戦を行った経験がありその時の経験から連邦軍のモビルスーツの性能の高さに驚いたと言う。相手がザクであれば確実に戦闘不能になっていると述懐している。

ガンダムの開発陣は格闘戦を想定したチューニングも施しておりそのソフトウェアが機能したのがアムロには幸いであった。でなければシャア相手にはガンダムと雖も相手にならなかったであろう。要塞攻略を主眼とした連邦軍はジムには格闘戦用プログラムのアップデートをしていない。
2012/04/4
実際のグフはモビルスーツ運搬作業用の機体であって右手に付いてたのはヒートロッドではなく運搬時に荷物機を固定するためのワイヤーである。戦闘用に用いられる機体ではないがアバオアクウでは要塞化の工事に大量に投入されその後に武装を施され固定砲台として使われた記録がある。

ゲルグクは戦争末期に投入された機体で戦争を通じての最高のモビルスーツと見なされている。戦後に連邦軍は模擬戦を行い一機のゲルグクで五機のジムを圧倒した。しかし要塞防御戦の迎撃能力に特化した設計で活動時間が短くその後のモビルスーツの主流になる事はなかった。

2012/04/22
地球連邦が統一政府にも係わらず軍隊を保有したのは治安目的ではなく独立しようとする勢力を抑え込むためである。それと連邦に参加していなかったり参加が遅れ軍を完全に放棄していない地域への抑止力である。それはクーデターの危険性を内包する体制であった。

2012/04/24
連邦の白いモビルスーツと呼ばれたガンダムだがこの塗装は試作機として観測しやすい様にしたもので実戦を想定したものではない。サイド7を出港したホワイトベースには塗料が無かった為ルナツーで戦闘塗装を施された。