一に曰く
和を以て貴しと為し。
忤ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、また達れる者は少なし。或いは君父に順ず、乍隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
二に曰く
篤く三宝を敬う。
々々者は仏と法と僧なり。則ち四生の終帰、万国の極宗。いずれの世、いずれの人、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもって従う。それ三宝に帰らざれば、何をもって枉れるを直さん。
三に曰く
詔を承りては必ず謹め、君をば天とす、臣をば地とす。
天覆い、地載せて、四の時順行し、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承わり、上行けば下靡く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。
四に曰く
群卿百寮、礼を以て本とせよ。
其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉ず。下礼なきときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自から治まる。
五に曰く
饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁めよ。
それ百姓の訟えは、一日に千事あり。一日すらなお爾るを、いわんや歳を累ねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄を見てはことわりもうすを聴く。すなわち財のあるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。乏しきのものの訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由を知らず。臣道またここにかく。
六に曰く
悪しきを懲らし善を勧むるは、古の良き典なり。
ここをもって、人の善を匿すことなく、悪を見てはかならず匡せ。それ諂い許く者は、国家を覆す利器なり。人民を絶つ鋒剣なり。また佞み媚ぶる者は、上に対しては好みて下の過ちと説き、下に逢いては上の失ちを誹謗る。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。
七に曰く
人各任有り。掌ること宜しく濫れざるべし。
それ賢哲、官に任ずるときは、頌むる音すなわち起こり、奸者、官を有つときは、禍乱すなわち繁し。世に、生まれながら知るひと少なし。よく念いて聖となる。事、大少となく、人を得て必ず治まる。時、急緩となく、賢に遇いておのずから寛なり。これによりて、国家永久にして、社稷危うからず、故に、古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。
八に曰く
群卿百寮、早く朝り晏く退でよ。
公事いとまなし。終日にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝るときは急なることに逮ばず。早く退るときはかならず事尽くさず。
九に曰く
信は是義の本なり。
それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。
十に曰く
忿を絶ちて、瞋を棄て、人の違うことを怒らざれ。
人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶の端なきごとし。ここをもって、かの人は瞋るといえども、かえってわが失ちを恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙え。
十一に曰く
功と過ちを明らかに察て、賞罰を必ず当てよ。
このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。
十二に曰く
国司・国造、百姓に収斂することなかれ。
国に二君非く、民に両主無し、率土の兆民、王を以て主と為す。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂らん。
十三に曰く
諸の官に任ぜる者は、同じく職掌を知れ。
あるいは病し、あるいは使して、事を闕ることあらん。しかれども知ることを得る日には、和うことむかしより<曽>識かれるがごとくせよ。それ与り聞かずということをもって、公務をな妨げそ。
十四に曰く
群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。
われすでに人を嫉むときは、人またわれを嫉む。嫉妬の患え、その極を知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず。才おのれに優るときは嫉妬む。ここをもって、五百歳にしていまし今賢に遇うとも、千載にしてひとりの聖を持つことに難し。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。
十五に曰く
私を背きて公に向くは、是れ臣が道なり。
およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾みあるときはかならず同らず。同らざるときは私をもって公を防ぐ。憾みおこるときは制に違い、法を害る。ゆえに初めの章に云う。上下和諧せよ、と。それまたこの情か。
十六に曰く
民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。
ゆえに、冬の月に間あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑の節なり。民を使うべからず。それ農せずば、何をか食らわん。桑らずば何をか服ん。
十七に曰く
夫れ事独り断むべからず。
必ず衆とともに宜しく論ふべし。少事はこれ軽し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮びては、もしは失ちあらんことを疑う。ゆえに衆と相弁うるときは、辞すなわち理を得ん。
短く且つ要約
一に曰く
和を以て貴しと為し。事を論うに叶うとき、事理通ず。
一条要約
議論により合意する。その合意を自分たちの思惑のためにやらない。人が集まればそれぞれが代表として引き下がれない事もある。
その気持ちはよく知っている。故に、そうではなくて和するという事を考える必要がある。そうしなければ、結論は事理から外れてしまう。
二に曰く
三宝は仏と法と僧。いずれの世、この法を貴ばざらん。教うるをもって従い直す。
二条要約
理想、理念なく国は立たない。人間には悪しもあれば良しもある。だがそこに理想というもの、理念というものを打ち立てれば心が動くだろう。その心の働きに注目すべきだ。
人には何かを尊ぶ力が備わっている。これは全ての人が持っている能力と思われるこの小さな働きが国家の全てに浸透して国を立て直してゆく。
三に曰く
詔をつつしめ、君を天、臣を地とし万気通ず。地天を覆わば、壊るる。謹まずんば敗れん。
三条要約
この国の形は詔という形で構成しよう。ここに上位下達の階層構造を作ろう。詔は天皇の気儘な我儘から好き勝手に出るものではない。
周囲の臣下とよく相談し、議論を重ね熟慮の上で出されるものである。この形を失えば国は支えられない。
四に曰く
礼を本とす。民を治むるは礼。上礼なきは下ととのはず。下礼無きは罪有り。礼あれば乱れず、百姓礼あれば、国家治まる。
四条要約
感情を整えるのが礼である。人が集まって事を成そうとする限り、必ず感情的なものが生まれる。だが、多くは互いに悪意や敵意がある訳ではない事は明らかだ。
自分が気に障った事なのに相手は忘れている、自分は忘れたのに相手は覚えている。この繰り返しで軋轢が激しくなる。しかし、そこに人間性が紛れ込む事は殆どない。
軋轢の多くは礼があれば避けえるものである。何故なら礼とは身体上の挙動が心を押さえ込む所作だからだ。心のままに動く様では人とは言えない。心は空にある雲のように気儘である。
だから礼で整える、礼という形で心を抑え込む。そうして人の心の奥底にある暴力性を封じ込める。これを抑え込まなくてなぜ力を持てるだろう。
五に曰く
饗を絶ち欲するを棄て訴訟をさだめ。百姓のうったえ一日に千事あり。財ある訟は、石を水に投ぐるがごとし。乏しき訟は、水を石に投ぐるに似たり。貧しき民は所を知らず。臣道またここに欠く。
五条要約
公平であれ。人は必ず自分の中の心から、良きも悪きも、心から動く。その心に欲望が入り込む。家族がいれば家族を想い、女がいれば女を想い、金があれば金を想う。
心はそうして沸騰する湯のようなものである。大樹の元で雨宿りをすれば感謝し、大原で雨に当たれば恨みも残るだろう。心のままに判断すれば金にばかり寄り添う事になるだろう。
六に曰く
悪しきを懲らし善を勧むる。善をかくさず、悪をただせ。君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本。
六条要約
正義を失ってはならない。では正義とは何か。誰かの正義は誰かの悪である。故に、誰のための正義か。その為に正義と悪ではなく、善についても考えてもらいたい。そして、私はこの国に大乱を起こさぬ事が必要と考える。
忠と仁、このふたつを失うと国は乱れる。我々はこの国を良い国にしたい。その為には誰も見捨てたくない。少しずつ欠けてゆけば、いつか大乱に至る。少しずつである。そうなれば国は乱れる、乱れた国は立つ意義を失うという事だ。たったこれだけの事で国は簡単に倒れる。
七に曰く
人各に任あり。事、大少となく、人を得て治まる。古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。
七条要約
適材適所とは人に仕事を与えるものではない。仕事のためにその適材を求めるものだ。この逆はない。しかし政府の仕事には雇用を創出し人を飢えさせなくする事がある。どうだ難しいだろう。矛盾と思えないか?貴君に与えた勲章は貴君のものではない。ある仕事をしたという国家の記録に過ぎない。どの仕事に対して与えられたかを忘却したらその輝きも鈍くなろう。
八に曰く
群卿百寮、早く朝りおそく退でよ。公事いとまなし。ひねもす尽くしがたし。
八条要約
勤勉と忠誠を要求する。心配しなくてもよい、本気で取り組めば嫌でものめり込んでゆく。それくらい国の仕事は面白い。
九に曰く
信は義の本。善悪成敗はかならず信。群臣信あるとき、何事か成らざらん。群臣信なきとき、万事敗れん。
九条要約
信義とは何か、信用や信頼ではない。信義とは引き継ぎの事である。その為のあらゆる技能である。なぜ信があれば強いのか。それは信がある時は、余計な労力を割かなくとも互いに仕事を引き継げるからだ。この抵抗の小ささが優れた引き渡しを実現し組織全体で引き継ぎのコストを最小に抑えて仕事に注力できるようになるからだ。
十に曰く
人の違うを怒らざれ。人皆心あり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。かれ必ずしも愚にあらず。ともに凡夫。非の理、たれか定むや。
十条要約
無誤謬に陥らない事。間違いがある事を前提に組織化せよ、その為には互いにバックアップしあうコストは掛けておこう。その為には前もって準備しておく事。その為の具体的な方法は、自分が絶対に正しいと思わない事だ。もし自分が間違っていたらと考えて次策を作っておく。自分の考えでも他の人の考えも構わないから、常に第二の矢を用意せよ。
十一に曰く
功とあやまち、賞罰を必ず当てよ。賞は功にせず、罰は罪にせず。事を執る賞罰を明らかにすべし。
十一条要約
人を正しく評価する方法は前もって周知しておく事である。誰が見ても明らかな賞罰をせよ、誰かが不満に思うなら説明を尽くしてから賞罰せよ。
十二に曰く
国に二君なく、民に両主無し、所任の官司は王臣。何ぞあえて公と、百姓におさめとらん。
十二条要約
税の根拠は天皇にある。よって天皇以外に税を取る正当性はない。我々がその代理として行っている事を間違えてはならない。
十三に曰く
官に任せる者は、職掌を知れ。あずかり聞かずをもって、公務をな妨げそ。
十三条要約
仕事をする上では自分の範囲を勝手に作らない。自分の仕事が終われば仕事の終わりではない。公務は組織戦である。権限や主体はあるにせよ、常に全体を考えて仕事は行う。小さな仕事の寄せ集めで全体の仕事が完成する訳ではない。
十四に曰く
嫉み妬むこと無かれ。嫉妬、極りを知らず。五百歳の今賢に遇うとも、千載にひとりの聖を持つこと難し。賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。
十四条要約
嫉妬はよくない。嫉妬をすれば賢聖さえ見過ごしてしまう。共同作業も足を引っ張りあう。そうしない為にはどうするか。誰も天皇に嫉妬などしないだろう。それと同じように考えよ。
十五に曰く
私を背き公に向くは、是臣が道。私あるとき恨みあり。憾みは制に違い、法をやぶる。ゆえに初めの章に云う上下和諧せよと。
十五条要約
人が互いに仕事をしていれば不満を感じる事もある。その感情のまま動いていは私を持って公を破るようなものだ。怨恨なる私心を封じて公を突き詰めるには話し合うしかない。よって公は必ず議論へ通ず。
十六に曰く
民を使うに時を以てする。冬に暇あらば、民を使う。春より秋は、農桑の節。使うべからず。農せずば何を食わん。桑らずば何をきん。
十六条要約
時勢は支配できない。故に我々が時勢に合わせて計画を練るしかないのである。それを無視すればすぐに困った事になる。人は食うもの着るものさえ自在にはできない。我々は自然を自由にはできない。
十七に曰く
独り断むべからず。衆とあげつらう。大事を論うは、あやまちちを疑う。ゆえに衆とわきまう。
十七条要約
孤立は失敗する。孤独は議論の拒否。孤独ゆえに拒否するのか、拒否するから孤独なのか。孤独が動き始めたら止まらない。
わたしは言論の力を信じている。同時に万能ではない事も知っている。孤独はあらゆる動機になる。孤独から殺人を選ぶ人もいる。それだけが唯一の人との繋がりであったのだろう。だから対話をしよう。人を殺めるくらいなら対話で良いではないか。
乃ち
全部輸入した価値観である。しかし、そのままにはしておかなかった。考えるに
聖徳太子は、日本最初の思想家だ。『義疏』という本は、外圧をじっと耐えて爆発するように、日本人があらわれた、というものだ。太子を外国文化の影響に染まった人、という人たちがいるが、そんなものではない。
あの人はほんとうの日本人だ。自分が犠牲になって、歴史を作ったんです。だから、日本人はみんな太子を崇めているんです。太子の苦しみが日本人にはわかるんです。
それでなくてどうしてあんなに皆んなが太子を憶いますか。
小林秀雄
太子の手に触れたものは仏教という姿をしていた。太子はそれをちっとも信じていなかった。そう見える。三経義疏が如何に合理的な疑いで埋め尽くされ、そこに如何に合理的な回答を用意していたかを見れば。
蒙昧に仏教を掲げた訳ではない。十分な検証を加えた上で、これを取り上げた。これを採用しようと。彼を思想家でも政治家とも思えない。優れた実務家に見える。
彼は日本という国家を組織を作り上げようとした。意識なくして憲法などというものを思いつくとは思えない。確かに彼はこの国の有り様を示した最初の一人であろう。彼が居なければこの国は違う姿であったろうと思える。
勿論、生まれて直ぐに亡くなった赤子も含めて誰一人欠けて今日がある訳がない。なにひとつ欠けて今日はない。何がどう未来に作用したかは見る事はできない。それはたった一つの粒子が如何に風の流れを変えるかに似ている。歴史という蝶はそういう姿をしている。
神話
神話の世界でもこの国はただの島であった。海を隔ててぽつりと存在していた。それでも三国志の魏志倭人伝(280)に記録が残るほど古くから大陸との交流を行ってきた。四世紀にはこの島から半島に渡海している。新羅、百済、高句麗から多くの帰化人、渡来人が来たであろうし、海を渡り帰ってこなかった人もいただろう。
三韓征伐(362)という神話もあり、任那(-562)を支配していたという伝説も残っている。仮にそうであっても、いずれ奪還はされたのである。宋書(513)に書かれた倭の五王は長く大陸との交流を試みていた。538年には仏教も伝わってきた。
戦争において海を渡る側が相手の大地で勝利するのは難しい。海賊行為が猛威を振るうにしても現地の協力がなければ尚更で、いずれ日本海を挟み交流が続けられてきた。
弥生時代の農耕牧畜から、国家形成に遷移する時代に大陸との交流を必要とした事は確かかと思える。聖徳太子(574-622)の頃は完成に向けて最後の石垣を積み上げていた頃であろう。
なぜ国家であるべきなのか。国家とはどういう形であるべきか。それは何の為にあるべきなのか。神話の誕生は案外国家というものと相当に密接したものと思われる。我々は神話を通して国家観を形成してきたのではないか。
だとすれば確かにキリスト教が国家を持たない人たちの神話として、国家観を持たないが故に世界中に浸透していったのも当然と思えてくる。その前段階としての国家を失った人たちの神話であるユダヤ教から国を持たない宗教が生まれた。
神話が形成されたという事実が、まさにそれを必要とする時代が終わりその役割を終えたから誕生したとも考えられる。故に神話が生まれた時には神話は既に過去の記録であると思われる。よって神話とは国家を起動した痕跡である。
それは国家を形成した動機でもあったであろう。それが神話という形で残った。なぜ、当時の事象を正確に記録するという形では残らなかったのだろうか。
当時の人たちが自然現象の中に神を見たとは思わない。その程度のリアリズムで地域を統べるなど不可能であろう。とすれば国造りの後で伝承が神化したのだと考える。伝聞が繰り返されるうちに、なぜ神話という形を現したのか。なぜ当時の見聞録は失われたのか。
凡そ、人々の意識が変革したのである。そこでは過去の出来事は余りに信じ難かったという事ではないか。そのまま述べれば滑稽になる。だがその記録を失う訳にはいかない。
過去を過去として封印して残してゆく。後世の人々はこの実際に起きた事を信じる事はできないだろう。だから、この事件を信じられる形に変える必要があった。それが神という姿であった、と考えたらどうだろうか。
外交
いずれにせよ、遣隋使(607)でつつがなしと書く太子のリアリティはどのようなものであったろう。それが中国皇帝の怒りに触れないと考えるほど無邪気ではあるまいし、我が国が隋より上と信じる程の狂者でもあるまい。「日の出ずる処の天子書を日の没する処の天子に致す」これは臣従という立場からの解放だろうか。だが当時も独立は維持していたのである。臣従という立場が特に問題があるとも思えない。海を隔てて同盟も敵対もしていなかった。ならばこの親書の意図は何か。
太子の外交は何を目指して行われたのか。607,608は太子の手になるにしても622は時間が経ち過ぎている。
確かに最初の書には大陸に進出する気分が潜んでいる、そんな外交観を持っていたとは信じがたいが、少なくとも後世の人々はそれを敏感に嗅ぎ取った。この親書には何か大陸に対する優越感を感じる。なぜこれを痛快と感じるのか。
それ程までに我々の中には劣等感がある。それをたった数文字で一文で打ち砕いてみせる。もちろん、後世まで残るとは思ってはいなかったろう。
それでも、ここには劣等感を払拭し堂々と同等を要求すべしという意識が感じられる。そうするとこれは日本人に向けて書いたものだと思われてくる。
しかし、それが未来への呪いとなる。島国の市民は元来そのような野心を持つ様に生まれるのかも知れない。劣等感は直ぐに優越感に変わる。中庸は難しい。
朝鮮半島への出兵(1592,1597)、満州事変(1931)もこの呪いの延長にあると考えて問題ない。我々の奥底にある大陸への呪いが、この親書から始まったのではないか。
その最初が白村江の戦い(663)であり、その失敗によって日本は他国からの報復、征服を警戒し防人を制度化する。そして忘れた頃にまた日本人は大陸に向かって船を漕ぐ。
太子はこう言いたかったのではないか。あなたも中心です、しかし、私達もこの世界の中心です。それはお互いの神話を見れば明らかでしょう。だから神話では足りないのです。だから私たちには仏教が必要です。
親書
翌年(608)には「東の天皇敬して西の皇帝に白す」と書いた。武力も国力も違い過ぎるのに無礼を敢えてする理由は。この時代は大陸とは取引がなくても半島を介して色々とやっていたと思われる。現在の観光客とは比較の出来ない程度の数だとしても、毎年数人程度の朝鮮半島の人、中國の人が渡来して来たと考えて矛盾はない。小野妹子も中國語を習う必要がある。
当時の中國には各国から色々な中国語を話す人が訪れていた筈だ。古い言葉を話す人、過去の言語を使う人、訛りを聞けばどの地方の人から学んだかも分かるだろう。それは多くの笑いを生んだと思われる。
そのような国際社会で相手をよく知りもせず無謀な書を渡すだろうか。丹念に調べた筈である。情報は少ないとは言え、考え抜いて親書をしたためた。もし、そうであるなら、ひとつだけとも考えにくい。相手を見て渡すようにと複数のシナリオを託して不思議はない。太子ほどの人が二の矢三の矢を用意しない筈がない。
妹子には現地に相談する人はいたであろうし、半島にもいたであろう。金を払ってアドバイスする人たちが居たに違いない。当時の隋はそれだけの大都市だと思える。その上でこれを提出すると決めた。妹子が中身を知らなかったとは想像しがたい。
小野妹子は相当の思案の上でこれを提出しただろう。それとも案外はねっかえりは妹子だったのではないか。尻ぬぐいは太子様がなんとかしてくれるでしょう。どうせ殺されるのは私であって太子様ではないのだし。道理で、返りに重要な返書も平気で無くす訳である。そんな訳あるか。
大陸に送り出せば、もう奈良から指図できる事などない。送り出した以上は、好きにせよ。信頼か能力か。相当に予行演習も打ち合わせもする。正しく自分の代理として送り出す。最悪の場合、死罪もある。太子はその上で複数の親書を持たせのだとしたら。どれを出すかはお前が選べ。いずれにせよ、世界に向けて妹子が意気揚々と宣言した訳である。
沈む国とは、日本から見れば西にある国である。もし東が偉いのなら、奈良より関東の方が偉いに決まっている。そんな価値観があるとも考え難い。東に向かうのを繰り返せばいつかは自分の場所へ戻ってくる。今の知見ではそうなる。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子:BC552-479)。これを読めば日出ずる所が始まりであり日沈む所が終わりとも受け取れる。しかし東を説明するのに日の出る方と答える時にいちいち面倒な意味付けをするであろうか。
この深読みの余地がこの親書の価値は高めているのだろう。太子に二手三手先まで読む謀略家のイメージはない。それ程の人なら蘇我入鹿(-645)を生かしたままにはすまい。だが、我々はその意図をおもんぱかり深読みを重ねてきた。
民主主義
議論を重視した太子であるが、全国民が一同に集まって議論を重ねる事は物理的に不可能である。仮に成したとしても議論が尽きるまでにどれだけの時間が必要か。議論を尽くし解決を図る。それを理想として掲げそこに少しでも近づく事を理想とした。しかし、同じ村においてさえ議論を尽くさねば成らぬ思惑が其々にあり考えが異なる。利害関係の調節が如何に難しいかも良く知っていたであろう。
裏を返せば軍を動かす方が余程早く解決できると言う意味でもある。物部氏を滅ぼす戦争(587丁未の乱)を太子が知らなかった筈もない。
聖徳太子は民主共和制の人ではない。全て民の話し合いで問題を解決する事を是とした訳でもない。彼は行政を階級で構築し、そこで議論を尽くせと説いた。恐らく立法の時も議論は尽くすべきなんだろう。だが立法府に全国民の参加や意見表明を求めた訳ではない。
彼の理想は天皇を中心にした政治体制である。その形式の大元は中國から輸入した律令制と思われる。そしてこの憲法の根本にあるものは国を乱させない事であり、その為の思索である。
逆に言えば、なぜ国が乱れるかという話になる。その根本を突き止めれば統治には正統性が必要という事になる。なぜ皇帝にはそれがあるのか。その絡繰りは神話の中に凍結されている様である。
どの民族の神話も統治の正統性を神に求める。この共通性は恐らく人類に普遍の世界の切り取り方、物事の捉え方に起因するのだろう。これは脳の情報処理の仕方が共通しているという意味だ。それが起きたとは脳の構造が共通だったという事だ。機能の同一性がDNAコードの共通性や同じ発現をしたとまでは言えない。だが恐らく同じであろう。
どれだけ多くの富と武力を持っていようと統治の正統性の根拠にはならない。仮に一時的には支配できても人々は従わない。項羽(BC232-BC202)は滅ぼされる。王を殺す事に躊躇はないのである。
天皇には父系統で引き継がれてきた。太古の人々にとって王の神話性と世襲にどうやって正統性を持ち込んだのかはよく分からない。最も優れた王を持つ中國では堯舜の時代に禅譲という形で統治を引き継ぐ方法を採用している。神に連なるという考え方は早々に失われる。なんという合理性の極致か。
その代わりとして、中國は天という思想を持ち込み、統治の正統性を易姓革命に置いた。
これを、機能しない王を取り除き、別の者が新しい統治を始め、地域の発展を促進させる仕組みとした。この流動性と統治の正統性の均衡が常に揺れ動く事で歴史が紡がれた。
天皇
崇峻天皇(553-592)を謀殺したは言え蘇我馬子(551-626)が天皇に取って変わるとは太子は思っていなかったであろうし首謀者の一人かも知れぬが、その子蝦夷(586-645)や孫入鹿(-645)でも大丈夫と危惧しない程度の無垢ではあるまい。それらをどう回避しようか、と思わなかったとも思えない。神話から人間の社会へと変わる時、初めて統治の正統性が問われる。なぜその者は王であるのか、世襲したからである。なぜ世襲は正当なのか。神から連綿と続くからだ。なぜその者は王なのか、禅譲されたからである。ではこの暴君の好き勝手にもただ従うしかないのか。
なぜ王を打ち倒してはいけないのか。どの神話にもその答えがあるだろう。神がどのように敵を打ち倒し、どのように国家を打ち立てたか。その真似をすればいい。
聖徳太子にこの国の原風景を想う。国の行く末を決めたのがこの人である、そういう漠然とした確信に近いものが太子にはある。
では太子は国造りにおいて何をした人であろうか。その最大の仕事は何であろうか。
それが中國に王朝を倒すという思想をこの国に持ち込ませなかった事だと考えられるのだ。
彼の最大の功績は、国外から何を輸入したかにはない。何を輸入しなかったのか。太子が断固と拒絶したものが易姓革命ではないか。
なぜ我が国では皇帝ではなく天皇と呼んだのか。天皇は皇帝ではない。そういう意識は確実にあったと思われる。この天という概念と易姓革命の天とが無関係だろうか。我が国は天皇を支配構造の中には置かず、天と同じ位置に配置を試みたのではないか。
易姓革命
聖徳太子は、天皇の下での権力闘争という図式を導入したのではないか。権力闘争の円環から天皇を除外したのではないか。中國には天の下に人々が住み、瑞兆などの知らせにより、皇帝を討つ。この中にいる人は誰もが王となり得るし、どの王も討たれ得る。そうする事で国が乱れた時にも強靭な復元力が働いて来た。
日本にはそれとは違う構造がある。天と同格の天皇という存在を置き、その下での争いを許容する。
この構造は、その後の日本でも長く主従関係の理想的な模範となっているように見える。幕末のそうせい侯毛利敬親の元で長州の藩論は二転も三転もした。それでもどちらの勢力もこの藩主を廃絶しようとは考えなかった。
敗戦しマッカーサーの占領下に日本は置かれたが、天皇の権威も地位も失われたかのように見えて、実質は天皇の下でマッカーサーが権勢を振ったひとつの時代として我々は理解している筈だ。この点で日本の連続性は途切れていない。
太子は易姓革命を拒否し、その変わりに天皇を天の位置に配置し、天皇を易姓革命の外部に置いた。だから天皇の元でならどれだけの対立が起ころうと良い。血みどろの権力闘争も良い。天という思想を天皇に担わせ、易姓革命の変わりに天皇の承認という形にした。
天皇の下でならどれだけの謀略、政略、政権が立とうが構わないのである。永遠に乱れない国など存在しないが、その乱れは天皇の元で起きている限りは、国が乱れた事にはならない。政治が乱れているだけである。速やかに復旧してゆけばよいのだ。
この基本構造が聖徳太子の手で成った。もちろん仮説。実際はもっと前かもしれない。太子は踏襲し次に受け渡した一人かも知れない。だが、古事記はこの辺りで終わり人間の世界へと変わってゆく。
太子が編み込んだ縦糸と横糸にその後の為政者の多くが敬服し意識の有無を問わずこのフレームから逸脱しようとしなかった。鎌倉武士も征夷大将軍で十分なのである。それで統治が可能なのである。
足利もふたつの天皇をひとつにまとめる為に奔走した。織田も豊臣も徳川もそれに代わって立つ野心はなかった。本居宣長(1730-1801)らによって再発見され、尊王の考えが明治政府を立てる。その先で祖先たちは零戦でアメリカの軍艦に突入していった。日本は一度も国が乱れた事がない。
日本という国の一貫性が当面はここにある。もしこれを廃止するなら、一貫性は失われ、神武から始まった国は消える。歴史は断絶し後世の人は歴史をリアルに感じられなくなる。この連続性を断ち切った先に、凡そ、我々にはそれに取って代わる統治の正統性が打ち立てられるのだろうか。
伝統の消失
この国に近代思想が入るまで、この構造は歴史的に見れば盤石であった。だれひとり天皇の地位を奪還しようとした者はいなかった。ひとりもとまでは言わない。だが極めて少ないし成功もしなかった。織田信長も徳川家康もそのような野心があったにしろ超えられなかった。この盤石性が、生物学的な一貫性、現代の言葉で言う家系図の存在(Y遺伝子ではない)で紡がれてきた点が稀有と思われる。それが今、生物学的に途絶えようとしている。ジンギスカンの如く、数百人の子を設ける女王蟻のような皇太子が必要であろう。百の落胤を残さない限り、百年以内に失われる。これは当人だけの問題ではない。ご学友の貢献こそ大なりな事案であろう。
この系統を失った先に、その代替はあるのか。今の所、それはない。日本という国家の連続性は切れる。国家は終焉する。この国を襲っている共同体の消失は資本主義がもたらしたものだ。それに加えて我々は国の連続性も失ってしまうのか。
我々はどこへ行こうとするのか。我々は何に属するのか、ゆっくりとではあるが、確実にこの国は分解しつつある。
失われたら二度と取り戻せないものが歴史にはある。書かれる側になってみなければ分からない事がある。後世の人たちは歴史を学びつつもかつて存在していた日本という国家の実感は得られなくなる。
天皇を辿れば歴史の最初の地点まで戻れるという幻想が如何にこの国を強く結びつけて来たかを実感する。それを失った事を惜しむのか、何も思わないのか。それは外の国の出来事になってしまう。例え国号が同じでも。
共同体
共同体とは何か。レビストロースの構造主義を眺めれば、共同体とは繁殖の為に人間社会に発生した集団単位である。この集団に属する事で繁殖相手を解決する手段と手続きが自然と得られる。ここに属する事の安心感の根幹はここにある。故にその消失は、根源的に、生物学的な繁殖の途絶、乃ち絶滅の恐怖へと直結する。これは群れる動物から進化した生命体には不可避の現象であろう。そしてこれこそが現在の我々に差し迫る様々な問題の根底ではないか。
移民、排斥、男尊女卑、民族、純血、全て意味不明の不安から湧き起こってくる感情だ。その背景に繁殖がある、それが失われる心理的な恐怖がある。共同体の消失という恐怖。
フロイト宜しくこれらの行動は生殖に基づく心理学である。その正体に根拠は不要である。繁殖と生殖は異なる。生殖可能性と繁殖可能性は違う。共同体の消失は繁殖の消失を予感させる。だからどのような説得もこの恐怖は鎮めない。
外部を排除する。それは繁殖の対象にしたくないという意味だ。何故だろう。それを許せば自分の共同体が崩壊すると妄信している。何故か。それを失ってどうして繁殖が続いてゆくだろう。故に許せないと言う。繁殖が終わった老人さえもその運動に参加する。何故か。
共同体は機能である。その為の基盤である。繁殖の交渉をし、折衝をし、裏付けをする場である。共同体の中で、共同体の間で相互理解と交換が進行する。元来、それら近いDNAを避け、シャッフルし多様性を確保する為の生殖の方向性に過ぎない。
ならば、最も遠い異人は歓迎の筈である。所が何故か。余りに遠すぎると排除する方向に進む。その違いから連続性に自信が持てないらしい。問題は生殖ではなく繁殖にある。
生命は決して遠いものを拒まない。だが一部の人間は拒否する。その心理はどこにあるか、現在の集団を基本単位として連続性を確保したいからか。繁殖する為に共同体を必要とする、ならばそれを守らねばならない。
そういう状況がある。崩壊寸前にある強迫観念がある。社会が変わりつつある。それに耐えられない。その理由を探して飛び付いたものが、純血であり、民族であり、独立であるのだ。このような幻想的な細いストリングに手を伸ばす。そして排他性に飛びつく。そうすれば何かが維持できると信じている。
アイデンティティはどうやら複層構造をしている。個人に属する点、家族に属する点、近隣に属する点、市街地に属する点、都市、民族、国家、地球人、太陽系と範囲は拡張してゆく。我々は同じと違うを通じてアイデンティティを判別している。故に安易な違いに手を伸ばしやすい。
人間がもつ認識力は元来弱い。AIと比べれば。AIは数千万枚の写真からも違いを見つけられるのに我々は数百枚の写真でさえ見続けていると飽きて眠くなる。それで十分であった、そういう進化をしてきた。我々は歴史的にその程度の認識力しか持っていない。
この弱い認識力で社会をコミュニティを共同体を維持してきた。常に脅迫に晒されてきた。不安に抗う為に何を求めるか。知識か、知恵か、感情か。
生命は常に何かを失いその間隙を何か変わりのもので埋める活動を繰り返す。変化を恐れるが、変化を期待しもする。そこに生物は連続性を認める。変わったけど同じもの、同じだけれど変わってゆくもの。群は変わらない集合だ。変わらないから、変わる事が出来る。どこまで変わっても同じと言う為に連続性がある。
凡そ宇宙の広さまで生命は広がるだろう。そうでなければ原子が存在する理屈が合わない。
急性アノミー
資本主義の発達により世界全体の共同体が変化している。その変化の中に全ての文明が晒され新しい連続体を獲得しようともがいている。途切れる事なくこの共同体を維持してきた。次世代に子の形のままで受け渡してゆけるのか。そこで連続性は確保できるか。この国も極限を向かえようとしている。資本主義の浸食が共同体を解体しようとしている。それが多くの旧い社会や理想や道徳を破壊しつつある。資本主義とは全てをひとつの価値観で飲み込み刷新しようとする運動だ。
社会を階級化し、その価値を資産の多寡で決定する、それだけを黄金律とする制度。あらゆる価値観が数値化され比較される世界。
当然ながら繁殖という行動もこの仕組みの中に組み込まれる。共同体はその為の構造体であるからこの階層の変化の影響を受ける。太古から中世に至る、貴族、王族の台頭と没落いう形で何度も起きた共同体の変遷も生殖のシャッフルという観点で見るべきだろう。
それでも近代国家はそれらの流れを排除する形で浸透してきた。基本的人権と自由を掲げた共同体は、詰まりは多様性による繁殖を是とした筈である。しかし、アメリカは奴隷制度を手離さなかったし原住民も虐殺した、公民権も20世紀まで着手しなかった。それでも資産という価値観で社会を一律に染めあげる事はしなかった筈である。
それをこれからやろうと言うのである。この思想は、実質的に地球の資源の極限まで浸透する。資源の枯渇、エネルギーの消失だけではなく、地球環境を破壊し大絶滅が避け得ない。これにホモサピエンスが含まれない理由はない。金を払えば乗り越えられる、そういう類の事件ではない。
資産があれば、限界を超えた世界でも生き延びれると言う幻想で資本主義は成り立っている。宇宙に逃げるにしろ現在のテクノロジーでは長期的移民は難しい。月面では土さえ作れないのが現状だ。
世界的な急性アノミーは不可避であろう。道徳や倫理が失われ規範が消失する。だが、これは繁殖と生殖の集団である共同体を再構築の為の運動と見る。
旧来の価値観を早急に破棄し、過去からの踏襲を無意味化する。その過程では絶望も含む自殺的な表現も表出するだろう。だが。ベクトルは絶滅しない方向を向いている。繁殖は手離す。それでも生殖は続けてゆく為の急激な変化ではないか。
資本主義と所有
発展し尽くした資本主義は、道徳も倫理も規範も民主主義も駆逐する。人類の活動の全ては最終的に経済に帰結する。信仰も国家も理想も科学も法も経済なくば成り立たない。その過程で資本主義は資産に応じた階層性を生み出す。それを強制するのはもちろん資本主義ではない。だが人間が効率よく利益を追求するならその評価は資産の多寡で単純化されてゆく。
人類は長く自然にあるものを持ち帰り社会の中に還元してきた。故に自然と繋がっている人は食いはぐれる事はないと考えてきた。自然との繋がり、その自負と安寧が農耕を基礎とする経済を主流とし、人類は長く土と共に生きてきた。
資本主義は自然を資本に置き換える。価値は資産に置く。自然に価値はない。故に軽んじる。
その行き着く先が、温暖化による人類絶滅である。価値がないのだから地球がどう振る舞おうと資産にはならない。空気も水も海も唯である。資本主義はこれを回避する回路を持たない。
資本主義は所有の原理で駆動する。だからいつか地球さえも誰かの所有となるだろう。王政、帝政も所有に基づく制度である。人間はいつか土一粒にさえも誰かが所有権を主張するだろう。
最終形態では資本主義は全ての原子を誰かの所有とする仕組みである。その上で、そこで得られるエネルギーも正統な誰かの権利と主張する為の仕組みである。
故にこの資本主義を押しとどめるには所有の原理を転換するしかない。マルクスの先見性はそれを試みた。所有の概念を訂正しようとした。残念ながらそれは失敗した。
資本主義は物質の限界を向かえるまで歩みを止めない。なぜなら資本主義は限界を持たない理論だからだ。その原理は所有の正統性に基づき組み立てられている。現在の所有の考え方である限り、この無邪気な幻想は地球の大きさを超える。
その先で大気圏を超える程の膨張を選ぶのか、それとも異なる所有の原理に基づいて我々は宇宙を目指すのか。
太子は国の連続性の基礎を太古の昔に築いた。それがここまで生き永らえてきた我が国が、最近の政治や官僚の振る舞いを見る限りは、この程度の国家を将来に残してゆく価値があるのか、と思わせる事件が頻発している。人材が尽きようとしている。種火が消えかかっている。
もし我々に太子の意志を引き継ぐ意志があるならば、例え月面に新しく国を興そうともそれは連続している筈だ。
これを広く知らしめよ。
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