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2025年5月26日月曜日

切り抜き 福島事故ストーリー4

2011/11/01
風景が作るそれぞれの国の形というのがあるはずなんだ。景色が変われば国民性も変わるんだ。

2011/11/02
ジャーナリストが政府側の人の命を軽んずるなら政府だってジャーナリストの命を軽んずるに決まっている、それに気付けないジャーナリスト側が全面的に敗北するに決まってる。

水を飲めと迫った人は戦中に特攻を押し付けた人間と同じなんだ。そういう人間はいつの時代にも居る事が判った。

2011/11/02
福島原発事故で放牧され野生に戻った牛を殺処分するならこの国に先はない。何故新しい知見を得るために生かさないのか。学者たちは試してみたいこと、調べたいことが沢山あるはずだ。幾つもの論文が書けるはずだ。そういう事が起きているのだ。

2011/11/02
壮大な実験場である事は事実だろう。

2011/11/11
この国にニュースが流れた事など一度もなかった。彼らがニュースと呼ぶものはただの残骸に過ぎない。宝石を探し出す事もせずに持ち帰ったただの残滓。彼らはただの一度も何故と問いかけた事がない。

2011/11/11
大切なものがあるなら大切でないものもある。大切なものにも順番が付けれる。一番大切なものは何かと聞く事が出来る。だから、命が大切などというのはまやかしなのだ。主語が抜けている。

2011/11/11
命よりも大切なものがあると戦った戦争に負けた事で命よりも大切なものはないという考えに主流が変わった事に不思議はない。

2011/11/11
2100年までに人類は地球上に統一性府を樹立する!そうでありたい!!

2011/11/13
野生化した牛を殺したのかを現政権を支持するかを決める唯一の判断基準とするに決めた。

2011/11/14
あのジャーナリストは理科の成績はたいへんに悪かったであろう。

2011/11/15
科学的思考力って何?科学って仮説と検証の繰り返しに過ぎない。科学を正しいと思う人は科学じゃないんだ。それは信仰に過ぎない。

2011/11/15
アレルギーという生体反応がある。これは思考にも起きることでアレルギーを起こしている人にあれ食えこれ食えと言ってもそれは無理。だってアレルギー起こすんだもの。

2011/11/18
誰かを敵にしなければ保っていられない正気なら敵は極端であるほど望ましい。その絶対正義という鎧を着込めば戦場での殺戮も苦にならない。恐怖に怯えるものは伐つべき敵を探すのだ。

2011/11/18
遠い昔に村を切り開いた先祖に心を寄せて今一度再興に人生を投ずるのは人の本懐ではないか。復興とは希望に満ち胸躍るものだ。だが何か閉塞感が上から頭を押さえつける感じがある。人が支えるには重い何かだ。

2011/12/01
もっと酷い事になっていれば対応力も指数関数的に下がっただろう。この辺りが何とかなった限界点だったとは思う。単に幸運だったのだ。日露戦争みたいなもんだ。

2011/12/01
テレビでインタビューに答えていた官僚の出世を諦めきったかのような表情が印象的だった。それを見る女子アナウンサーの蔑むような呆れるような表情は完全な演出でこのアナウンサーこそクズだと思う。

2011/12/01
必要なのは侮蔑ではない。模範解答の向こうにある合理的な説明だ。相手の無能や不作為などに立ち止まらずその奥にいきたいものだ。

2011/12/02
官庁なるもの四割程度を信用するくらいで調度良い。残りの六割は彼ら自身の権力闘争に過ぎぬ。

2011/12/03
後ろに下がらなければいつかは崖から落ちる。

2011/12/03
花粉のセシウム含有量を既に調べている学者がいてこの人は本当に偉いと思った。それを報じたのはテレビだった。テレビの人達はどうやってネタを見つけるのか。偶然意外の見つけ方を放送してるのは見たことがない。

2011/12/04
余計な事は言って罷免される人って根は正直で他人を信用しがちなおっちょこちょい。そういう人を駆逐してゆけば他人は信用しない、本心は語らない、裏切りも辞さない人が残る。オフレコを記事にした人は自分の死刑執行にサインしただけだ。

2011/12/04
これだけインターネットが普及すればマスコミを利用する価値が下がるのは当然だ。彼等を使って国民に語る理由は今や何もない。マスコミは既に国民の知る権利を代表する媒体ではない。

2011/12/04
政府が未だにマスコミと蜜月であろうとするのは陽だまりの樹の証拠かも知れない。

2011/12/04
マスコミを弾圧しない政府を信用するか、弾圧されないマスコミが信用できるか?

2011/12/04
これだけの大事故で一匹の羊もいらないなんて事はありえないか。そこでスケープゴートには東電が選ばれた。これ実は政府より東電の方がまだ信頼できるという事の現れではないか。存在感があるという事だ。

2011/12/04
信用とは存在感のメタファだとしたら存在感は何のメタファなの。

2011/12/04
ドラマは日露、ニュースは福島第一、か。

2011/12/08
詰まらない結論に向かってどうやって引っ張るかばかりをテレビは腐心しているわな。

2011/12/10
口が悪かったり意地悪だったりするのは全て青鬼なんだと思え。泣いて青鬼を斬れ。

2011/12/15
連続性を最大の命題とする以上それは戦争や地震にも屈する事はない。目的や指揮系統を失っても自律するのは組織の優秀さ。連続性は人から人に受け継がれる。法がある限り。

2011/12/17
TBSには心の真っ黒なアナウンサーがいるので好き。

2011/12/17
福島第一原子力発電所は事故というよりも災害というべきか。

2011/12/25
彼らは事象の下でウロウロして拾い食いをしているだけに見える。

2012/01/03
賠償金は0が2つから3つは足りない。そうすると原発の運用には一カ所に付き30兆円くらいの保険を掛けるべきとなり今回の事故は自賠責だけで交通事故起こしたようなものだ。この事故には保険が欠落しているが政府は知ってて免責を制定したのだろう。

2012/01/03
ゆく年くる年は本当に酷かった。スカイツリーから夜景を映す。アナウンサーが下手な話をする。この年に映すべき何かが分かってない。

2012/01/11
悪法なら廃止すればよいだけではないか。そこに既得権益があるから出来ぬと言うのか。

2012/01/13
喫煙する者が反原発や低線量被曝の恐怖を語ってはいけない理由はどこにもない。喫煙しない者が低線量被曝の恐怖を語っているからそれが正しいとはならないのと同じだ。つまり喫煙の有無は低線量被曝の事実とは何も関係がない。そして事実、共有はされていない。

2012/01/16
原子力発電は巨大な組み合わせのシステムだから何かの象徴としての反対以外は有り得ない。

2012/01/29
他人の優しさに気づかない人は甘えているだけだ。お互いがすがりついて生きているのに。自分だけはそうじゃないとそう言いたいのは何故だ!

2012/02/05
反原発は攘夷である。反原発で何がいけないのです、と村田蔵六が福沢諭吉に言った言葉に重ねる。これは現体制は打倒せねばならぬという運動であろう。それは政権交代ではなく省庁の解体が根底にあるように思われる。省庁こそが幕府であり政党が将軍になっている。と花神を読んでるとこうなる。

2012/02/12
ちっぽけな倫理では徹底性が足りない。徹底的にやると草も生えない。倫理というものは放射線と同じで量によって使い道がある。

2012/02/12
東電は20兆くらい借りて100年で返せばよろしい。

2012/02/12
自分には責任がないと言う事が大切である。自分の中にある無限の責任に押し潰されない為に。それは自分の共同体、コミュニティを消滅させるという意味だ。それでも壊すべきだ。

2012/02/12
責任が無いと言うか、逃げるか、落伍するかの何れかしかない。誰にも責任はない。たが自分に責任はないと言う為には他の誰かに転嫁しなければならない。これもまた後から気付くのである。

2012/02/12
誰も責任を取ろうとしないとお気楽に言える人は死ぬまで何にも気付けない。責任の意味が分かっていない。物理現象としての生物に過ぎぬ。

2012/02/13
どう解釈し行動したかを説明する事を責任と言う。我々が世界をどう解釈したかを残す事は後世の人にも役に立つ。

日本の言う責任を取れは腹を切れと言う事だから責任とは関係がない。誰かが死ねば溜飲は下がるし有耶無耶に出来ると思っている、天誅と同じ意味だ。

解釈は立ち止まらない点に意味がある、明日は違う解釈が出来るかも知れない。理解でも信仰でも戦いでも何でも良い。これ空や。

2012/02/19
違反を後から知らされて受ける損害と前もって調べておくコストとは比較すべき。

2012/02/19
違法していませんよ潔白ですよではなくて、違法があったら教えてねというのがオープン化のスタンス。

2012/02/19
育てる力とは捨てる事である、不合格で拒否、落第させて捨てる。そして捨てれば拾うものあり。教育とは捨てる事と拾う事の繰り返し。

2012/02/19
最後まで捨てられなかったものが一番優秀なのか?この事実は手間が掛からなかった事を示しており効率が良い事が優秀ならその通り。手間の掛からない事を理由に全権委任できるのならその人は胆に於いて優秀。

2012/02/25
ニュースが原因を一切追求しないものだから頭が悪くなるのが道理。

2012/02/27
少しの事にも繊細に反応して大音量で警告するセンサーと言うのはあっても良いのです。そのセンサーが反応していなければ極めて安全と見做せますし。

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