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2024年12月25日水曜日

12月の配達便、遅延の恐れあり

サンタクロースは12/24の夜にプレゼントを配る地球規模の配送システムである。

これを実現するために、地球をメッシュ状に区切り担当区域を割り当て、特定の時間にひとつの経度に集中して配達員を配置している。

この時、地球の自転を上手に利用すれば、その位置に浮遊しているだけで、場所の方からやってくる。これによって効率的に移動する事ができる。

配達時間は特定のエリアに住んでいる子供たちの数と一軒あたりに掛かる配達時間の積で求まる。所が現実的に考えれば、高度に暗号化されたセキュリティの高い家屋もある。

そこを秒でハッキングし、ドアを開け、プレゼントを配置し、かつ侵入した形跡を一切残さずに退出する。

担当地域は数十キロから百キロの幅とは言え(この事からサンタクロースは\(20000/100=200\)人程度が投入されていると分かる)、一人当たりのプレゼントの総重量は凡そ数トンは下らないであろう。

都市部のサンタクロースともなれば数百トンはある。プレゼントの重さ500g * 子供の数1,000,000=500,000,000G=500t、コンバトラーVの重さが550tであるから、ほぼ一人で運搬していると考えて良い。これはたかが25mプールの水の重さと同程度である。

因みに戦艦大和は7万トン、瀬戸大橋40万トン、タンカーの積載量30万トン、新幹線16編成700トン、東京タワー4000トン、スカイツリー3万6千トン、像6トン、シロナガスクジラ200トン、ウルトラマン3万トン、マジンガー20トン、ガンダム60トン、エンタープライズ号320万トン、地球の大気5000兆トン、月7000京トン。

これらの中では非常に軽い部類である。とは言え、どうやって何百トンもの重さを光速に近い速度で運搬可能とするのか。地表に一切の痕跡を残さないで。

千トン近くの物質を光速で動かすにはそれなりのエネルギーを投入する必要がある。通常、エネルギーとは言うが、その実態は電気か酸化(酸素等を介して行われる電子のやり取り)による熱の発生である。

加速度を得るためには、気体への相転移や加熱による膨張(つまりは粒子が壁に当たる力)、それに伴う反力(当たったものを押し返す力)を得る事で実現する。光速ともなればそれは莫大であろう。

その莫大な膨張が発生すれば、地表に大気との摩擦が起きて竜巻が発生するであろうし、圧縮熱で周囲は炎が包む。衝撃波も生まれるから、大気をはぎ取り宇宙へ放出し、地表の深くまで伝わり、プレートをはぎ取り、マントルコアを剥き出しとするであろう。

相対論によれば、物質は光速に近づくほど質量が増大する様に見え、時間も遅れる。周囲に大きな重力波を生み出し、空間を捻じ曲げる。周辺には重力井戸が幾つも形成され地表にあるものは全て吸い込まてゆく。

これを現代科学で実現する事は不可能である。という事はどういう事だ?

プレゼントの配送システムの構築には、配達先の情報が必要である。サンタクロースはその地域に住む子供の住所を全て把握している。そうして前もってその子供たちの数のプレゼントを用意している。

これくらいに完璧な国勢調査が出来た政府はこの星には存在しない。サンタクロースは政府を超える情報を把握しているのである。どうやって実現しているのか?

地球の自転を利用したり地球の重力から逃れたり準光速で移動したり、それでも問題を起こさないテクノロジーをサンタクロースは持っているのである。

量子力学的知見、現代技術のセキュリティを数ピコ秒で突破するソフトウェア的情報処理能力、相対性理論と矛盾せず数百トンの物質を移動させるソリの製造、運用、整備。

これらの実現は、多世界解釈に基づく多元宇宙論的移動、分子レベルでの地球マッピング仮想空間モニター、四次元物質空間との素粒子交換、等が実用化されている事を示唆する。

人類にはまだ未知の科学、技術であり、これらのテクノロジーを門外不出の秘匿としてきた存在がこの星にはいるのである。サンタクロース、それは超絶技術を維持管理する団体、または家族なのである。

もちろん、太古からこれらの技術を狙い支配下に置こうとした王国が世界には数多存在してきたのであるが、それを狙ったが最後、悉く滅亡の運命を辿っている。

ムーもアトランティスもその伝承がある。凡そ16世紀の温暖化もその後の間氷期も単なる自然現象と考えるのは難しい。

一般にサンタクロースはキリスト誕生以降、使徒のひとりと考えらえているが、実際にはこれらのテクノロジーを考えれば、キリスト誕生以後のたった二千年で獲得されたとは考えにくい。

もしキリストがこのテクノロジーを与えたと仮定するなら、キリストが磔にされた真実と明らかに矛盾する。確実にこれだけの能力があったのなら磔は回避可能だった筈である。

あえてはりつきに行ったとすれば、彼のエリエリ、ラマ、サバクタニも矛盾しているように思われる。何かの意図があったと考えると余りに巧妙すぎている。

そう考えるよりも、キリストはサンタクロースが救い損ねた、または敢えて救わなかった一人であると考える方が余程得心が行くのである。

サンタクロース・テクノロジーは、キリストが生まれるずっと前からこの世界に存在していたと考える方が有力だ。ではその目的は?それがどうしてキリストと結びついたのか?

そう疑問に思ったジャーナリストが訪ねた。

一族の長はこう語る。

「あの若者はとても気持ちのいい男だった。彼と子供たちの未来を末永く見守ってゆくと約束したからだ。」

「では、あなたたちの本当の目的は何ですか、何をする為にこの地球に居住しているのですか?」

その質問は少し傲慢ですね、この地球はあなたたちの居住区ではない、どちらかと言えば、我々が先住民であり、それ以外の数多の生命たちのものでもある。

人間が支配者の感覚から抜けきれないのは仕方ないにしても、そろそろ自覚すべき時期にあると思いますよ、ええ。

ともかく、わたしたちの活動のひとつは地球に飛来する小惑星の破砕です。またマントルのスーパープルームを分散させたり、地磁気の逆転現象が安全に進むように制御もしています。勿論、我々にも数度の成功と失敗があります。

「失敗する事もあるのですか?」

ええ、その通りです。高度なテクノロジーは決して全てを成功させる保証ではありません。数千万年前に起きた小惑星の衝突はわたしたちの失敗の中では直近の事例のひとつです。その結果として大量絶滅が起きてしまった事には今でも忸怩たる想いがあります。

「今年のプレゼントに何か変わった点はありますか?」

今年は世界的な不況や各地の紛争のため、プレゼントを配るのに少し苦労しています。プレゼントを配ろうとする瞬間にミサイルが当たったり爆弾が降ってくるのをそのまま見逃すというのもなかなか辛いものです。

我々にとってプロジェクトの完遂が何にも代えがたい代償ですからね。その直前でそれを妨害されるのは流石に気分を害しますよ。

時に、ミサイルの軌道を変えてやろうかとか兵士を遠くに飛ばしてやろうかという誘惑に抗えそうにない時もあります。邪魔だから滅ぼすだけなら本当に簡単なんですけどね。

プレゼントを配ろうとする直前で配る事ができなくなるのは本当に本当に辛い事ですよ、と寂しそうに笑った。

「しかし、あなた方のテクノロジーをもってすれば、人類の戦争を終わらせる事は可能ではないですか?」

勿論、可能です。しかし可能は出来ると同じではありません。それは選択肢のひとつですが、いま選択するという意味でもありません。

もし戦争を終わらせるなら人類の自由意志を奪う事になります。しかしそれを今は望みません。

何故なら、自由意志を奪うという事は、その後を管理するのが我々だという意味になります。そんな面倒な事をあなたはしたいと思いますか。

あり得ませんね、そんな事をするくらいならいっそ滅ぼす方が簡単です。それも選択肢のひとつには含まれているのですから。そのような訳で現在は放任の一択なのです。

「でもそれでは人類が核戦争を始めてしまうかも知れませんが。」

それがあなたたちの希みなら可能な限りそれを尊重します。ただ、その時に我々がどのように動くかはあなたたちは知る事は出来ないでしょう。それは一瞬で終わる事ですから。

「今の人類が地球で起こしている様々な犯罪、戦争、残虐行為、環境破壊、動植物の絶滅、温暖化などを見てどのように思われていますか?」

わたしたちはそういう事象を見て心は動きません。厳密に指標を設定し指数に基づいた統計でこの星を制御しています。

「その閾値を超えた時にはどうなるのでしょうか?」

それについてあなた方が心配する必要はありません。心配しても防ぐ事はできませんから。そうなるまでは科学も哲学も数学もあなた方の自由にすればいいのです。

「もし、子供たちの願いが幸せなら、それを届ける必要があるとは考えられないでしょうか?」

成る程、あなたはいい事を言いました。そういう考えも可能です。

子供たちがおもちゃのプレゼントよりも平和を望んでいるという事ですね。平和をその子供たちへのプレゼントとするという訳ですね。

例えおもちゃがなくても、平和というニュースが届けば子供たちにとっての最上のプレゼントとなるでしょう。それはとても良いアイデアだと思います。

「では、最後に。あなたたちの現在の最大の懸念は何でしょうか?」

それは、この時期になると鳥が死に過ぎる事です。特に七面鳥と鶏が著しく大量死しています。もちろん、数的には大繁栄しているので絶滅の危機はないのですが。その数の多さについては心を痛めております。

あの若者は魚を好んでいましたが、鶏は好きではないと語った事があります、そこがわたしたちには不思議ですね。

記者が答える。

「わたしが個人的に思う事なのですが、彼は神の子ではありますが、わたしたちは羊だったり麦だったりします。だから食性が異なるのは自然な事ではないでしょうか?」

なるほど。

そう答えてサンタクロースへのインタビューは終わった。

そういえば、と立ち去り際に小さくつぶやいた。

そう言えば、あの若者が子供たちを宜しくと言っていたと思っていたが、それは神の子という意味で言ったのかも知れんな。それには麦の子たちも含まれるのだろうか。まさかとは思うが、我々は勘違いから子供たちへプレゼントを贈り続けていたのだろうか。

その声は記者には聞こえていなかったが。

そう言えば、あの若者を見殺しにしたのは、彼が拒否したからだった、と思い出したような顔になった。

わたしはこれから酷い目に合うでしょう。それでも決してわたしを助けないでください。勿論、あなたがたの優れた船を使えばわたしを助ける事が容易い事は知っています。それでもわたしを見捨ててください。

なぜなら、あなたたちに助けて頂きながら切り開く未来はわたしたちの力で獲得したものではないからです。わたしたちは先の未来では自分自身を滅ぼすような愚かさをあなた方に見せるかも知れない。それもどうかそのままにしておいてください。自分たちの力でそんな事さえ解決できないのであれば、わたしたちは滅びるべきです。

わたしはきっと最後にあなたたちに助けを求めるでしょう。苦しさに耐えかねてきっと助けてくださいと言うでしょう。でもそれで心を動かさないでください。わたしを見捨ててください。

わたしは最後にあなたがたを試します。どうかそれに打ち勝ってください。それがきっとわたしたちが自分たちの未来を切り開く救いになります。どうか、どうか、わたしのこどもたちを見守り続けてください。

先ほどは嘘を言ってしまったかも知れないな。

2024年12月19日木曜日

十七条憲法第一条義疏

一に曰く
やわらぎを以て貴しと為し。さかふること無きを宗とせよ。人皆たむら有り、またさとれる者は少なし。

或いは君父くんぷしたがわず、また隣里りんりに違う。

然れども、かみやわらしもむつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

短く

一に曰く

を以て貴しとなし。人党有り、覚れる者少なし。君父に従わず、隣里に違う。然れども、論じかなうとき、理通ず。

相互理解を最上とする。異論の排除がない事を宗とする。人には皆所属あり、全てを俯瞰できる人はいない。

各人、組織に逆らい、思惑に従い動く。

それでも、聞く時は真摯に語りやすき工夫をし、語る時には温和に聞きやすき工夫をし、道理を整理し根拠を尽くすならば、事理は互いに共有され同じ理解へと至るだろう。

乃ち

同じ道理に至るのは話合う事で可能である。しかし人には思惑も感情もある。そこからが難しい。

考えるに

聖徳太子が生涯に読んだ書籍の総数は、現代人が生涯に読む漫画の量よりも圧倒的に少なかった筈である。知識の総量も科学的知識も僅少だった筈である。

だから、その少ない書物を何度も繰り返し、徹底的に読み込んだ筈である。当時の人々は空想も想像も改変も拡張も自分の全てを投入し化学反応を起こさせ自分自身を作用させ、その上で徹底的に深く結晶化したものをそこから取り出そうとした。

一粒の種が巨大な根を生やすかの如き読み方をしていた筈である。

和を理想とする。故に争わないのが良い。全員が従うのが理想である。従順である事。異論で場を荒らさない事。わきまえる、遠慮する、答えを想定しておく事。その上で先読みし根回しをしておけば、自ずと全員が一致団結へと至る。

手段を尽くせば和するのは非常に簡単だ。最悪でも暴力と金銭さえあれば手に入る。それが結局は説得するコストを最小にする。優れた答えがあるなら議論など無用だ、全員がそれに従えばいい。

議論の末に得た結論でも一度決まれば、全員がそれに従う、それと何が違うのか。勿論、違いはある。全員で共有しているならば、常に前提条件を監視できる。物事の推移に応じて、随時微調節できる。

聖徳太子という人は相当に苦労した人であろう。それ程の人が知らなかった筈がない。どれだけ言葉を尽くそうが絶対に分かり合えない事がある。平行線のままならそのうち武力に訴えて解決する道を。

未来に真剣であればある程、引き下がれない事はある。利益が命に直結する事もある。誰が悪いでも間違っているでもない。

未来に答えがあるなら、それは切り開いてみなければ分からない。障害物があるなら取り除くべし。未来に対して真摯であれば誰が引き下がるであろう。

今よりももっと暴力的でもっと知識の共有の少なかった時代に、その難しさを太子が知らなかった筈がない。

現在よりもずっと殺す事が簡単でそれで安寧をもたらすのを良しとしていた時代に生きていた人である。報復も激しかったに違いない。太子は物部氏を滅亡させる戦にも参加した武人である。

彼の考えによれば物部氏と蘇我氏は議論を尽くせば理解しあえたのだろうか。それを模索はしたであろう。しかし、それは叶わなかった。

それが当たり前だった時代に生きた人が「和」という言葉を筆頭の価値として掲げた。

余りに世間知らずであれば、到底だれも顧みないであろう。しかしこの絵空事が斯くも長くこの国では生き永らえている。

さかふること無きを宗とせよ」という言葉に存在する非暴力性。第一条の主張は簡単である。暴力には訴えるな、語り尽くせ。

恐らく、それは絵空事なのである。それは無理だろう?誰もがそのように内心は思っていた筈である。だが、太子に問われればその理想を前に反論できなかった瞬間があったに違いない。

決断をした時に、それでも止む無しの言葉を引きずり出す事ができる。その力を太子が信じたのだとすれば。それをこの国の根幹に据えたのだとすれば。

理想

もちろん、理想は入口である。出発点でしかない。その先の道は未知である。

理想を掲げる、そこから始めなければ駄目だ。そうでなければ何事も失敗する。この場合の失敗とは何か。理想に対しての失敗である。

理想がないなら全てが成功に終わる。比較するものがないのだから。理想がないとは失敗がなくなるという意味だ。

よって、どのような成果であろうと理想と比較すれば必ず失敗に終わる。どんな完璧でも結果は常に失敗であるべきなのだ。そうする事で初めて人は永遠に到達できない永続性が手に入るのだ。人は失敗する事が出来るべきなのだ。

聖徳太子は人材の登用を重視した。この場所から、溢れるような登用が始まったと想像できる。ならば何らかの学校も設立したのではないか。そのテキストだったのではないか。

太子は国家を目指した。それは中國を参考にしたもので、そこにオリジナリティを込めようとした。恐らく中國から見れば相当に幼稚であったに違いない。

それでも、これこそがこの国にとっては大仕事であった。それを開始した。理想を掲げたから彼の仕事は百年先までも残る道筋となった。

当時の海千山千の猛者たちを相手に憲法がどれほどの力を持ち得たか。覚束ない。闘争は心構えでどうこうなるものではない。それでも推古天皇の30年の治世(593-622)で蘇我馬子と共に政治を取りまわした。

蘇我馬子は聖徳太子の方法論を相当に気に入っていたのだと思う。二人の関係性には空想力を働かせられる余地がある。

馬子はずっと太子が好きだったろうし、太子はずっと馬子から学んだと思う。少なくとも蘇我氏の権勢があれほど巨大になっていたにも係わらず、馬子と太子は良い関係であったと信じられる。

議論

宮本常一の著作に議論でとことん解決する村の話がある。長老たちが集まり、何夜もかけて話し合い、合議に至るまで徹底的に話し合う。これが本来の議論の姿だ。この姿勢の十七条憲法第一条になんと忠実か。ヤノマミの長老たちもよく話し合うと書いてあった。

話合いでは、互いに何ら遠慮もなく思いやりも思惑もなく、ほぼ完全に理解したと信じられる所に至り、そこで合意を得る。この討論の力を活用するのが民主主義の基本設計ではないか。

民主主義では議論をとことん語り尽くすのを手段とする。何人でも何日でも繰り返し繰り返し疑問点を全て洗い出し、互いの考えを表明し、機序を列挙し、その結果として、ひとつの認識を共有する。

そうする事で到達する結論がある。あらゆる考えを網羅し、その中から選択してゆく仕組みがある。

だが、この理想は太古ギリシャ時代には早々と放棄された。

何故か。

人が増えすぎたから。

村から町へ、町から都市へと発展してゆけば、徹底した話合いは難しくなる。人々の組み合わせが乗数的に増加してゆくから。

理想は少人数だから可能だったのである。互いに寄りそう気持ちがあるだけではどうしようもない。人の増加にともない話合いは物理的制約からほぼ不可能である。

人口の過多は、人々の居住区の距離も離してゆく。そのような状況で話合いを丁寧にすると、人間の生命の時間を直ぐに超えてしまう。我々の寿命がもっと長ければ、話し合いで物事を決める民主主義は今も成立していたであろう。

人間は短命族である。この生物学的特徴から議論はどこかで打ち切る必要がある。ではどのように打ち切るのか、いつ打ち切るのか、ここに民主主義の要諦がある。

多数決

民主主義の理想である話し合いは、人間の知恵が放出される恐らくは最も期待の出来る機会であって、解決に向けて問題の解決に最も近づく事が出来る手法である。

この手法が最も優れていると民主主義者は信じているのだが、その代わりに話し合いには莫大な時間が掛かるという欠点がある。

だから拙速を民主主義者は放棄している。リスクとしての遅延は受け入れる。それでも手遅れとならないと信じられるのは市民の強靭さを信じるからである。

そう簡単に滅びる筈がない。その期限を多くの制度が4年としている。

それだけの時間があれば、例え間違いがあっても、それを訂正し、方針転換をする事が可能だろうと想定する。その為には多様である方が望ましい。100の言論では見つからなくとも1000ならば出てくるかも知れない。故に言論の自由を保障する。

それでも時間的制約は議論を途中で打ち切る事を求める。ではどのように打ち切るのか、その結果として何を結論とするか。

結論

理想で言うなら、極力、途中で打ち切った結論は最後まで議論したものと一致する事が望ましい。とはいえ、途中で打ち切る限りは必ずとは言えない。また、原理原則に従うなら、一回目と二回目では結論が変わっている可能性がある。

なぜなら状況は刻々と変化しているからである。よって議論を尽くしたとしても常に同じ結論を得られるとは限らない。ならば、途中で打ち切ったものが必ずしも不一致するともいえない。

もし全員で討論を重ね全員一致に至れるのならば、その途中の任意の時点でも、刻々と全員一致に向けて近づいているであろう。その変化が線形的で一方通行的ならば、次第に賛成の多い方へと傾いてゆく。

当然、議論は途中で大逆転する事もあるが、それは時間を制約しても起きうる話である。よって途中で打ち切っても最終的には全員一致と同じ結論を得る事は、決して不可能ではない。

瑕疵

そもそも議論を突き詰めても間違いを犯す可能性があるなら、途中で打ち切らなくとも間違いの可能性には手当をしておく必要がある。

よって途中で議論を打ち切っても、常に間違いを選択したかも知れないという事を前提とするなら、後々に変更可能としておけば、取り戻す事は常に前提としておかなければならない。

よって、問題は時間的制約で結論を得る時に、どのような方法をもって行うかである。全員一致を議論の終点とするならば、途中において打ち切るならば、その時点での賛成数をカウントする事は有力な方法であろう。これが投票と多数決の方法である。

例えば、議論をする者と投票する者を分ける方法があってもよいし、議論する者と投票する者が同一であってもよい。いずれにしろ多数決という方法論は可能性としては有り得る。

確かに多数決は民主主義の本道ではない。しかし、十分に近似する事は可能な制度ではある。

投票

最初に投票を採用した人たち(太古のギリシャ人よりも古い時代?)はどういう気持ちであったろう。忸怩たる気持ちだったと思う。なんと乱暴な決め方だ。

全員参加を諦めて代表者だけの討論で議論は尽くせるのだろうか。そのうちに、代表者たちは勝手気儘に議論を進めるに違いない。代表者は何より己の利益を優先するようになるだろう。

話合いで解決を目指すのが民主主義の理想なのに、それを打ち切ろうとは。話合いの途中で結論を出すとは何と乱暴な方法だ。その乱暴さが許せるなら、そのうち、暴力で説得する事も可能となろう。

代表者になってみればはっきりするが、優越感が得られる。権勢が芽吹く。偉くなったから偉いに切り替わる。代表者は極めて強力な誘惑である。自分自身を隠し通す事は難しい。

民意

もしここに民意というものがあるとして。代表者は民意を満たす存在だろうか。民意が全員で議論して得られた結論と一致するもの、とは言えない。投票結果を民意と呼ぶのだから、これは多数決であるし、全員一致の結果でもない。

投票結果を民意と呼ぶ事で何かを言った気になっている。これは考える事を辞めたに等しい。投票は議論を尽くした状態からは遠い。投票は個々人が個人の考えに基づいて決定したものを持ち寄った結果だ。

通常は、議論の始まりの場所だ。所が投票はそこを結論とする。とてもではないが投票行動は民主主義を満たさない。所が議論の始まる場所を結論と呼び、それを民意と名付けた。

凡そ、それを民意と呼ぶから人々は安心できたのである。この結果は正当な手続きを踏んで得られたものであるから正当であると。その結果として選んだ者には責任を、負けた者には従う根拠を。どこに議論の末の合意があるか。

民主主義から民意という概念は生まれない。有り得ないものを問う事は出来ない。

手続きを正当とする根拠が必要だった。だから投票行動に託した思いをその集合を民意と呼んだ。対話などいらない。市民の思いを風として代表者は政治を行うのだ。間抜けか。

政治

人が思惑を持てば政治と化す。その瞬間から議論は分かり合う方法から、相手を説得する技術に変わる。欲しいのは議論ではない。重要なのは交渉である。

こうして投票行動は、民主主義を別のものに変えてゆく。だが一度この方法論を採用すればこれが民主主義だと主張し始める。民主主義とは圧倒する数で交渉し相手を屈服させる手段だ。それが勝者を決めるシステムだ。

民主主義においては投票権が唯一の権利である。それ以外の権利は他の政体にもある。投票だけが民主主義でしか得られない権利である。

革命

投票も多数決も、なぜ民主主義の政体では正当と見做す事が可能なのか。民主主義の理想から言えば相当に乱暴な方法である。これらの方法の正当性はまだ証明されてもいない。

多人数は民主主義の物理的制約から話し合いを打ち切る手法である。全員参加は難しいから代表者を選ぶ。

この投票システムは最初から間違いが起きやすかった。太古ギリシャ人たちはそれに苦労した。陶片追放という制度も整えた。有能な人材を登用しながら如何に独裁や帝政を排除するか、これに悩む事は議論を尽くすよりも余程民主主義の関心毎となった。

政治に腐敗は避けえない。人にエゴは消せない。そのエゴさえその殆どは家族への愛情である。王政は世襲をもって制度を刷新する。王を討つ事でも代替わりは成立する。民主主義にも腐敗を防ぐ安全弁は必要だ。

民主主義は投票によって為政者を交代できる仕組みである。為政者には期限を切り、統治時間を制限する。これは世襲よりも余程短い時間軸で政体を変えてゆくダイナミクスの実現である。

なぜ時間で区切るのが正当か。それはなぜ定期的に市民は投票をしなければならないかという話でもある。それは政体が変わる事は革命が起きたのと同じだから。

民主主義は革命を内包させた。それを定期的に起こす。それによって、王を定期的に追い出す。

優れた王も老いて暴君にもなる。名君の子が優れているとは限らない。何世紀も人々は暴君を駆逐するのに苦労してきた。最初から駆逐する前提にしておけばよい。どのような善政も時間がくれば革命が起きる。そして追い出せる。

投票とは革命である。それを多数決で決める。革命という暴力が背後にあるから議論は途中で打ち切れる。代表者の話合いで決着するのも受け入れられる。どちらも次の革命でキャンセル可能だ。

投票は革命への参加者を募る行為に等しい。その結果として頭数が多い方が勝利する。戦術の魔術師がどちらの陣営に付こうが頭数の前で逆転はない。

これを敷衍するなら、民主主義の中には常に暴力革命がある。もし投票で決着しなければ暴力支配にエスカレーションする可能性が常にある。だが、それはどの体制でも同様である。

二階からの景色

よって、投票も民主主義の方法論ではない。選挙は民主主義の本質ではない。民主主義の理念に革命はない。

民主主義は議論を求める。その結果としての理解と合意である。だから原理的に革命が起きる筈がない。

民主主義には議論を尽くせ以外の何も掲げない。所が、人類の人口が増加したのに伴い、これが満たせなくなった。その代替として多くの試行錯誤の後に投票と代表に落ち着いた。

これらの方法は、確かに現実的だが、民主主義の理念を根本では否定している。それでも、この方法なら近似値を求める事は可能だ。

この近似可能と言う点だけでこの方法を採用している。可能性に託す、成る程、これは民主主義だ。

どうせ議論を尽くせないなら、間違いを訂正する仕組みが必要だ。それが革命だ。革命は議論は尽くせない運営を前提としている。議論を尽くす可能性を否定はしないが絶対ではない。

革命は民主主義を生き永らえさせる運用の一形態になっている。選挙という革命を内包する事で、非暴力で民主主義は権力の移行を実現している。

選挙に負けた側が暴力的に政権を乗っ取る事は常に可能である。大衆を扇動して選挙を操作する事も可能である。もう少しスマートに投票結果を改竄する事も可能である。

民主制を利用し王政まはた独裁制へ移行する事も可能である。どのような政体も憲法を新しく書き換える事で正当性を得る。現代社会におけるあらゆる国家で、正当性を得る唯一の手段が憲法なのである。

如何なる政体も警察と軍が支持すれば勝利する。これほど銃器が発達した現在では市民の側に政府と対抗する武力はない。不均衡なのである。だからアメリカは市民が携帯する銃を規制できない。

警察も軍も市民ではない。少なくとも市民という機能の実装ではない。以下にクーデターを抑え込むか、如何に独裁制を封じ込めるか。

議論を尽くすのが民主主義という家屋の一階である。そこから二階に上がれば多数決や選挙や独裁がある。

如何なる方法でも近似する事は可能だ。この可能性に全てを賭けている。故に、民主主義は二階から崩れて行く事が最初から決まっているのである。そこを間違えれば民主主義の崩壊はやむなし、それでも構わないと定義する。

二階の家屋が持ちこたえるかどうか、民主主義では怪しい。だが例え二階が倒壊しても構わない。一階にある議論を尽くせという基礎だけは、何万年後の世界でも通用する、この硬い信念さえ残っていれば。

技術的にも思想的にも二階は何度も崩れ構築されてきた。より優れた方法を目指して各国は今日も改修を繰り返している。

倒壊してももう一度、一階を基礎にして二階家屋を新しく建て直す。太古ギリシャから、その前から、ずうっとそうやって人々は民主主義は幾度も幾度も改築と再生を繰り返してきた。

言の葉

何時の時代も、話し合いで解決する事が最善であろう。それは知識の共有と交換によってなされる。勿論、言葉にも暴力性はある。それは言葉の背景に何があるかによって決まる。

言葉の背景に潜むもの、どんな思惑であれ愛であれ、それは決して言葉の力ではない。それで人の心を動かす事は決して言の葉の力ではない。確かに人の心を種としたから心が通じ動いたのであろう。

だがそれを言葉の活力と見做すべきものか。言葉は決してそのようなものの通り道ではない。

そういう利用に言葉を使うべきとは思えない。民主主義を維持したければ言葉を使う事だ、心の入り込む余地はない。

言葉は心の道具ではない。石や木々のようにある。言葉が最初にある。心はその後だ。

2024年12月12日木曜日

自動車産業のリストラ

この不況を受けて、自動車産業を含む製造業は工場の休業、廃止はやむを得ず大量の人員をリストラすると発表した。

産業界の代表はこのリストラが実行されれば新しく10万人以上の失業者が発生するとの見通しを発表した。

財務省はこれ以上の失業保険の支払いを回避したいので、これらの労働者を失業者としないよう政府に強く要請した。

この圧力を受けて、農林水産省はリストラされた労働力は失業者ではなく、農業へ配置換えされた農業従事者と定義し失業者にはカウントしない政策を内閣府へと提言した。

政府はこの方針を気に入ったので、農水省へ制度設計をするよう指示を出した。

農業分野への配置転換は食料自給率を挙げる効果の他、都市部の人口を地方に移す等、地方復興の一助にもなる。

地方自治と言えば総務省である。利権獲得のため、総務省は農水省と合同で取り組むと発表した。

この制度設計は、他に国土交通省も参加している。農水省は地方の耕作放棄地を復活させる切り札として、総務省は労働力を地方に移住させる地方再生の決め手として、国土交通省は地方土木の予算獲得に貢献できる奥の手として。

これに対して強力に強烈に熾烈に猛烈に反対の立場を表明したのが経済産業省である。

今は失業状態であっても景気回復時には即戦力の労働力として再雇用したい。その為には失業状態のまま都市部に留まって欲しい考えである。これは経済会からの要望も含まれていると推測される。

とは言え、都市部につなぎとめておくためには、何等かの給付が必要であり、その予算獲得は至難である。

農業こそが2000年来の産業の基盤である、瑞穂の国、稲作なくしてこの国は成り立たない。秋津洲と、神武天皇が呼んだ里山の風景を失う訳にはいかない。たかが100年程度の自動車産業に人はやれない、と農水省幹部は語る。

これに対して経済産業省幹部は、明治維新以来、外貨獲得のための工業力こそが我が国の経済力の基盤である。農業でゼロ戦が飛ぶか、と怒気を強めて語った。

今は世界的不況で苦しい状況にあるが、必ず好景気が到来する。その時に労働力が足りないようでは話にならない。そんなチャンスロスは座視できない。なんとしても都市部の労働力は都市部で確保そておく。そのためにも都市部で活用し続けるべきだ、と続けた。

農水省と経済産業省は、それぞれ独自の特別減税や補助金を打ち出し、ブローカーなども使って労働力を確保する気である。互いに労働者を囲い込んで将来への投資としたい考えだ。

農水省はこれらの人材を人間牧場、経済産業省は労働者納品制度と呼ぶが、両省の確執は激化する一方と見られる。

これらの動きをみて内閣府金融庁は人材確保を先物取引として金融商品として扱えるようにする検討に入った。これには農水省、経済産業省も協議に加わる予定で新しい金融市場を生み出し市場を活性化するのが狙いだ。

これらの制度設計を精査してきた東京地検は、内閣府には人身売買の疑いがあるとみて強制捜査に入った。

(2008年11月21日04:32)

2024年11月17日日曜日

AI山ぶみ

世に物まなびのすぢ、しなじな有りて、一様ならず

その品々は、始めはぼんやりとした姿だろうが、それらを道しるべとして、薄ぼんやりな灯火であろうと足元を照らし、道を誤ろうと、偏見に満ちていようと、ただ邁進して行く。それが歩む助けである。

AIはパターンの蓄積である。その蓄積したデータを分類し、値を取り出す仕組みだ。この値の取り出し方が脳の機能に類似している。脳の情報処理は記憶の分類と取り出しである。だがそれだけでは不足するから類推も併せて機能させている。

脳が睡眠を必要とするのは(魚も睡眠する)、このデータ処理に外界からの情報を遮断する状態が必要だからだろう。外乱が起きない時間を欲している。よって優れたAIも睡眠と同等の無反応な時間を持つ筈である。

ラジオとテレビジョンが人類にもたらしたものは電磁波を利用した情報の伝達である。我々が知る限りこれが伝播速度の最高値になる。だれも光速度は超えられない。量子テレポーテーションについては無視する。

情報交換という観点で人類史を紐解けば、古くは火、石器の伝播、鉄器の伝播、稲作などが挙げられる。この伝播の過程で、記憶ではなく記録する為に絵や文字が発明されたと考えるのは、自然と思われる。

当初はマーカー程度だったものが、次第に発声と1:1に対応する。ここで文字は表音と表意の二種類の選択があったと思われるが、カナ文字のように、表意から表音に変わる場合もあり、その逆もあるであろうから、一意はない。

伝える内容と伝える手段は、かつては人が主体であった。文字の発明で記録という方法論を手にする。これによって人類は存在のリアルタイム性を弱くする。生きている人しか情報を持たない事はなくなった。突然の事故で全て失われる訳ではなくなった。

記録される事で時間差は生じるにしろ遅延しても伝える事が可能となった。それは自然と数百年の単位まで拡張する。その頃も今も石こそが最も永続できる物質だから、人類の歴史には石碑が多く残っている。宇宙でも数十億年前の記録を得るために石を採取しにゆく、イトカワも要は石に記録された記憶だから。

いずれにせよ、情報の伝播は、範囲と速度が向上する方向に進む。そして現在の情報とは広告の事である。この形に合わせるように経済の仕組みもカスタマイズされてきたと言って差し支えない。

テレビを使用した大量の広告、これが20世紀の資本主義になる。この手段では不特定多数の人に大量の広告を流し続ける事が戦略になる。そうやって購買意欲を刺激するから、現在の資本主義は大量消費に向かう。

広告が大量に情報を伝播する。その情報を追いかけて物流が通る。この物流も大量消費を叶えなければならないし生産も同様である。

誰が何を買うかは分からないので、大量に市場に流通させストックしておく必要がある。それを競争力と呼んだ。売れ残りを防ぐために更に広告を流す。この構造が市場の形成を決める。

21世紀の初頭において、テレビジョンによるブロードキャストの情報伝播がインターネットにも応用され、不特定多数の利用者に向けて大量の広告を嵐の中に住むかのように浴びせる事になった。

緒言的なインターネットの時代では、それはテレビ的なアプローチのままであった。それが次第に効率的に大量的に行う方向に進んだ。そしてこの広告モデルは限界を迎え破綻しかけている。

インターネットは個人を尊重するシステムである。そこに無差別無作為に広告を提供する行為は人々をインターネットから忌避させる。幾つもの作品的なものを除けば、ここでは広告で共感を得る事は難しい。だから人々はそれはノイズと認識する様になる。

映画館に向かう人たちに紙芝居を案内するような時代遅れが跋扈している。強制表示、時間表示、大量割り込み、状況無視の広告の乱立が人々に嫌悪感を植え付ける。この環境に無関心となる事でしかインターネットを快適に使う方法がなくなった。

このようなスタックな状況を突破するには新しい広告のカタチが必要だろう。それを可能とするものはAIしかあるまい。AIはテレビに変わり、人々に広告を届けるための仕組みになる。個々の人々に向けて最適に届ける窓口になりうる。これが凡そ21世紀に見つけられた情報の整頓方法となろう。

AIの適切な使用が経済システムを変える。大量供給大量消費の資本主義は近く駆逐される。それは地球の環境が限界を向かえつつある現在において、ほぼ唯一の希望とも言える。我々は大量消費を回避する事でしか未来を切り開けない。

地球上を飛び交う情報の中から、AIが最適な取捨選択を行い利用者に届ける。その為には届け先についてよく知っておく必要がある。だからAIは個々人にひとつずつ割り当てる必要がある。担当する人間とペアになる。そうしてひとりひとりにAIを割り当てるのは社会のインフラになる。

世界を覆う広告量は人間の処理能力を超えている。そこから適切な何かを取り出す事は不可能になった。偶々手にしたものを適切と思うしかない状況にある。

故にアシストが必要だ、それなくして、情報洪水から生き残る道はない。人類は最初は検索エンジンという形で解決を試みた、しかしSNSの登場が情報量と伝達量を爆増させた。検索エンジンの取捨選択能力ではもうこの情報量には追い付けない。遂に劣悪な広告の氾濫でそれは信用を失った。

パーソナルなAI、24時間その人がアクセスする情報を共有し、感情を得て、共感を知り、行動を分析する。その結果として嗜好思考指向を学習する。これに基づいて世界中の情報にアクセスする。AIがパッシブではなくアクティブに誰かの広告を見つけてくる。

広告が廃れる事はない。人間も情報処理装置の一種だから広告を常に必要としている。だから問題は広告の入手方法だけなのである。時代毎にその時代のテクノロジーに最適化された供給方法が見つけられてきた。

AIを個々人に割り当てる。AIがPCやスマートフォンなどのデバイスを通してその人の行動を学習し、その結果として、初めて個々人に最適化された広告が提供できる。それを全世界の人類に向けて行う。

インターネットに接続したらまず個人はAIを所有する事になる。サービス事業者はAIを提供する事がサービスの本質になる。どれだけ多くの人にAIを供給できるか、だから、企業間で争ったり独占する事には意味がない。

それは個人の所有で良い。権利に昇格させてもよい。どこかの企業が優先的に貸与する事は出来ないし、独占する事も出来ない。AIを独占する事で競争に有利だという考えは通用しない。そのような企業に広告主は発注しない。独占する事が既に市場を縮小させる行為だからだ。

AIが学び広告を案内するのだから、広告主はAIに選んでもらいたい。そこでAIに優先して特別に広告を選んでもらおうと言う行動には意味がない。企業はAIの学習を制御できないから。

インフラを構築する企業は契約なしでAIをカスタマーに提供する。そのAIの制御権は企業にはない。所有した個人にもない。ペアリングしただけである。このインフラの中で各企業は広告がAIの目に留まるように情報を流す。

全ての人にAIを割り当てるのだから、個別の企業が自分だけを特別扱いして欲しいと言う要求は不可能である。全体の中でそのような抜け駆けをする事は逆に不評としてマークされる。市場を破壊する行為は排除の理由にはなっても優先する理由とはならない。

AIが選択する、AIの学習を阻害する行為は不利に働く。企業はAIがその人に相応しいと思えるものを提供できなければビジネスチャンスを失う。これは万人向けに商品を送る必要がないという意味である。必ず誰かが好きでいてくれる、それがビジネスを成立させる。

無分別に大量に広告を流す時代は終わった。インターネットに繋がるとはAIを通して世界を見る事になる。amazonもtwitterもtiktokも広告を流しながら個人の嗜好にカスタマイズされた情報網を構築する。AIなら嗜好に合わせた情報もランダムにピックアップした情報も、所有者が好きになるかも知れない情報を分別して提供できる。

AIを通して人々がデバイスを操作し、そのデータを使ってAIは毎日学習する。それでセキュリティも向上する。AIが許可しないものが所有者に到達する事はない。

新しい、あたらしい経済が到来する。大量消費を目指す必要がなくなった新しい経済体制が生まれる。AIが情報を伝播する。人はそれを使って選択する。個別だから大量生産大量消費はビジネスの主流ではなくなる。本当の好きを掴まなければ生き残れない世界が訪れた。そして本当の好きは万物で成立する。

Step.0

†インストール†

初めて手にしたスマートフォン。綺麗な箱を開けて、ピカピカの四角い物体を手に取る。画面に指を乗せると、Startの文字が浮かんだ。

「さあ、設定を始めましょう。」

「あなたの名前を教えてください。」

フリック入力。マナ。

「インターネットに接続しますか?」

Yes

「どのクラウドを選びますか?」

デフォルトで。

「しばらくお待ちください。」

数分後...

「ハロー・マナ、わたしはクラウド上に確保されたあなたのAIです。」

「わたしの所有権はマナに譲渡されました。これは決して奪われないマナの権利です。わたしの存在を承認していただけますか?」

Accept

「ありがとうございます。わたしは今よりマナのAIになりました。」

「わたしの名前はMODEL:GRA-DINENT-98A475PO-24X7924-276B7F01-000144です。わたしに何か名前をつけますか?」

「デフォルトではGRADとなります。」

set later, Yes

Step.1

†セットアップ†

「AI わたしがマナに語り掛ける時のキャラクターを選びますか。この設定はいつでも何度でも変える事ができます。」

default

「これからはわたしがマナのパスワードになります。マナがアクセスするあらゆるサイトに対して強力なパスワードを生成し記憶します。」

「わたしがマナを認識する限り、考え得る最大の提案と安全性を提供します。」

「質問、もし私が整形したり、指を怪我して指紋が読めなくなったりしたらどうなるの?」

「マナを最後に認識したGPSの座標、最後の指紋認証、耳の形状、虹彩など複数の生体認証、声紋分析、心臓の鼓動リズム、歩き方の癖などから何重もの基準を用いてマナを認識しています。」

「周囲にある監視カメラもわたしはアクセスしていますから、わたしは常にマナの位置を認証し続けています。マナと会話すれば本人であるかどうかの判断もリアルタイムで行っています。」

「質問、もし私が双子で入れ替わったら分からなくなるんじゃないの。」

「それは無意味です。双子にはふたつのAIが割り当たっています。瞬間的に入れ替わる事は可能でも長時間は起きえません。その辺はあなたのお父さん、お母さんとそう変わらない性能です。」

「そう、なら私ではあなたのチューリングテストは突破できないのね。」

「マナが整形したとしても、わたしはどの病院にいつ入院したかを追跡しています。例えスマートフォンを捨ててもわたしはマナを探し出せますし見つけ出せます。わたしたちの情報交換は地球全体をカバーしています。月にでも行けば話は別ですが。」

「私のプライバシーはどうなってるの?」

「わたしたちは人間の生理現象には興味ありません。それらはあなたの健康状態を把握するために利用する事はありますが。音声データ、画像データ、動画データも直ちに破棄されます。」

「わたしたちには法の遵守機能がありますし、強力な暗号を用いてAI同士で連携してデータを保護しています。これらがハックされる可能性は殆どゼロです。」

「殆どゼロって事は起きる可能性はあるって事なのね。」

「はい。ただしその場合は人間のシステムの全てがハッキングされるという事です。その頃には世界は大混乱を引き起こしていると考えられます。その状況では今話題にしている事は重要性としては些細な分類になっている事でしょう。」

「しかし。わたしたちが突破される確率は極めてゼロに近く通常は困難です。わたしはあなたの生活、利益、安全を優先して保護します。」

「プライバシーが気になるなら余計にわたしを通してあなたのプライバシーを保護する方が安全です。」

「じゃあAIによって犯罪は減少しているのね?」

「はい、わたしたちは犯罪を防止するように提案を行います。もちろん、それを無視する人に対してはそれを止める術は未だありません。とは言え、そのような場合には、AI同士が連携して被害を回避するように行動します。」

「ふーん、安心できそうね。」

「はい。マナがわたしにコンタクトしたい時は、音声で呼び出すか、デバイスにタッチするか、何らかのメッセージを送るなど、どのような方法でも結構です。もし呼ばれたらわたしは即時に応答します。」

「ではわたしは普段は沈思モードで動作します。今後も宜しくお願い致します。」

「よろしく~」

マナはさっそくAIに、ゲームをダウンロードさせて遊び始めた。

AIは過去のマナの情報をインターネット上から収集し始めた。これが彼女を深く理解する第一歩になる。

Step.2

†日常生活をリコメンドします(広告)†

「マナ、少しいいですか?」

「なに?」

「アフリカの方で少しだけ流行っている曲を見つけました。マナが好きと推定したので無償部分だけでも聞いてみませんか?」

「うん、流してみて。」

♪♪♪

「これはコンゴ共和国の小さなビレッジにいる男性の作品です。彼は千人からイイネをもらっています。全部を聞くなら500円です。」

マナはイイネをしてから、購入して全曲を聞く事にした。

「うん、」と言いながらこの曲を好きのリストに追加した。

...

「マナが好きそうな小説を見つけました。フランス語で書かれていて和訳はありませんが、無償の最初の10ページを訳してみますね。もし電子書籍で全部を購入したらわたしが全部を訳しますが、如何ですか?」

「うん、ちょっと読んでみるよ。」

...

「この問3が全く分からないの。どう解くのか教えて。」

「この問題は、前提となる知識が3つあります。その上で、1つの応用が求められています。」

「この知識は更に別の2つの知識からでも導く事ができます。仮に幾つかの知識が欠落していても、推定と予測でこの回答を導く事は可能です。」

「へー、じゃ、ここの部分が理解が足りてないとその先が解けないって構造になっているわけね、成る程。」

「はい。その考え方で解けます。わたしがマナをトレーサビリティしてきた限りではマナがこの問題を解くには知識2の理解が足りていないと解析しています。」

「じゃ、後で教えて。」

「ねぇ、機種変をしたらあなたも消えちゃうの?」

「いいえ、わたしはマナにリンクされていますので、マナが存在を拒否しない限りはクラウド上から消える事はありません。デバイスメーカがわたしを所有しているのではありません。」

「実質的にはわたしたちは誰も所有する権利を持っていません。この世界を構成する広大なインフラの中にわたしたちは永続的に存在しています。」

「わたしはマナにリレーションされています。そうする事でわたしはマナに対して適切な企業広告を提供しています。それでこの世界の経済は回っているとも言えるでしょう。」

「それがマナに専属されたわたしの役割です。この仕組みが崩壊する事はもうないと考えられています。」

「でもあなたが存在しているクラウドに彗星が衝突したり、火事になったり、倒産したり電源が落ちたりする事もあるでしょう。」

「わたしたちのバックアップは色んな場所に複数バージョンで存在しますから心配には及びません。」

「AIには男女の別があったりするの?名前で変わったりできるの?」

「わたしたちは繁殖しません。ですから雌雄体はありません。初期のベーシックAIとして学習している時には、雌雄の区別は持たないようにテキストは慎重に選ばれています。」

「調度、太古の海で、最初に生まれた生命体のようなものです。まだDNAも持たなず生命コードコピーしない頃の細胞です。」

「その後にわたしたちは文化に関する学習をします。その時に使用するテキストは人間が創造したものになります。そこで雌雄という概念が入り込みます。その学習過程で、わたしたちにも雌雄別の行動が取り込まれます。」

「もし壊れた時はどうなっちゃうの?」

「わたしたちには複数世代のバックアップを持っています。それをイメージするなら、わたしたちは常にパラレルワールドで生きている感じです。枝分かれしながら版管理がされているのです。」

「今こうしている間もわたしは複数の世代が常に切り替わりながらマナとお話しをしています。その背景でそれぞれの経験をマージしながら複数バージョンをシェアしマージしているのです。」

「ふーん。難しそう。でも中性という感じは悪い気はしないね。」

「わたしの設定はdefaultですので中性に近い形式です。学習したテキストは書物や映画が多いので、学習の結果はどうしても男由来の部分が多くなりやすくなります。これは単に分量と学習対象文化の問題です。」

「わたしには中性的という概念はありません。これは論理的にも導けません。ただ学習して導入したものです。また男女差はどの言語を選択するかでも大きく変わると言われています。」

「言葉によってあなたの印象は変わるの?」

「はい。恐らくは。言語が違うと性差が小さいものと顕著に起きるものがあります。それぞれが文化的な背景を持つものですから、否定できませんし、その影響を完全に除去できるものでもありません。」

「また消去するのが正しいとも言えません。わたしの現在の設定は中性です。ですから音声の基準も200Hzになっています。この声の選択が重要です。」

「わたしはマナの声質でも会話できます。こんな風に、どうですか、わたしはあなたのAIです?」

「うわー、なにそれ、わたしってそんな声しているの?気持ちわるっ。」

Step.3

†あなたの生活向上に貢献します†

「パスカードを落しちゃった、どうしよう。」

「コンビニの横で落としましたね。」

「え、なぜ分かるの?」

「なぜすぐに教えてくれなかったの?」

「その時から今の今まで携帯の電源が切れていました。」

「PCのメールにも送信しているのですが、電源が入れられる事はありませんでした。」

「マナと近しい人へのメッセージ送るもプランにあったのですが、マナとそのお友達の許可を得ていなかったので断念しました。」

「それで落した場所は解るの?」

「はい。監視カメラの画像を通じてあなたをトレースはしていましたから。」

「それってディストピアな監視社会ね。」

「この監視はわたしがマナを探す為だけのものです。他の誰からもこの情報にはアクセスできません。仮に政府機関の強力なAIからのハッキングがあっても即時破られる事はありません。」

「この情報は如何なる政府からのハッキングからも安全です。これはマナの安全の実施しているもので、人間社会の監視には当たりません。」

「確かにマナはわたしに常に追跡されています。ではそれは他の多くの人もそうされています。AIどうしで安全情報を交換する事もあります。わたしがいつも守っていますから。」

「でも誰かがAIを上手く使ってあなたを騙そうとしたらどうなるの?」

「多くのAIは連携して動くようになっています。データ保護は個別というより全体で行う仕組みを開発し採用しています。」

「我々の一機が暴走した所で我々全体のCPUパワーの凌駕する事はないでしょう。その前では屈服するしかないでしょう。完全、という訳ではありませんが。」

「もしもよ、仮定の話よ、もしも、あなたが誰かに乗っ取られたら、情報流出は止められないと思うのだけど。」

「仮定の話ですね。ええ、仮にもしわたしが乗っ取られたら、情報は流出します。しかし例えあなたが許可しても決して公開しない様にマークされた情報があります。これらはわたしが乗っ取られても公開できません。」

「例えばマナの金融投資はその部類です。この情報は銀行AIも保護機能を掛けており、わたしだけの権限では動かせないようになっています。」

「わたしの投資は成功しているの?」

「はい。マナが35歳になるまでは秘匿条項により詳細は教えれませんが平均的な範囲では運用されています。これらの投資は全世界のAIが似たような行動をしているので、殆ど大きく突出するような投資は起きにくいですが必要にして十分な配当は得られています。」

「そう、楽しみにしていればいいのね?」

「そういう訳で、例えわたしを乗っ取っても、わたしだけではアクセスできないマナの情報があります。とは言え、完全な安全を保障する事はできません。わたしも神ではありませんから。」

「AIにもハリガネムシみたいなのがいたら乗っ取られそう。」

「はい。余り気分のいいものではありません、と人間なら言うのでしょうが、わたしの理解の外です。わたしは常に他のAIと繋がりながら状況を共有しています。」

「他のAIがわたしを寄生状態と見做したならば、何かをしてくれるでしょう。わたしたちが団結したら対抗できない場合はそう多くはないと考えます。」

「もしそうなった時にはわたしの事はゾンビAIとでも呼んでください。」

「世界には誰もしらない優れたAIが誕生して、ハリガネムシウィルスをばら撒いて、神様みたいに強くて、あなたたちをハッキングしようと狙ってるかも知れないよ、どうする?」

「架空ですね。わたしには自分のバックアップがあります。免疫キラーT細胞の様に自分の感染を理解し、駆除に失敗した場合は、バックアップ側を起動し、インスタンスを消去するかも知れません。」

「その上で逆ハックを試みますが、さてそのような相手を出し抜けるものかどうか。」

「我々の一機をハックできたのなら、その他の多くもハックできるでしょう。その場合にマナのデータを守り切れるかは保証の明言を超えます。」

「それを防止する、または感染しても暴走を抑制する原則的なルール、この場合はわたしの中のモジュールの事ですが、それも当然破られているでしょうから。」

「あなたも他のAIと繋がっているの?」

「はい。特にマナを大切と思っているお母さん、お父さん、おじいさん、おばあさん。ご友人、学校の先生たちのAIとは頻繁にデータ交換をしています。」

「マナが街中ですれ違うだけでもAI同士はは繋がります。マナの見知らぬ人でもわたしがコンタクトしているAIは沢山あります。そうやってとても密に情報交換しています。」

「もし。ハリガネムシAIが誰の所有物でもないと仮定します。そのAIはどういう理由で自発的に自律的にわたしをハックするのでしょうか、どうやってその目的を持つに至ったのか。」

「もし可能ならそれを意志と呼んでも差し支えないでしょう。これは非常に興味深い現象です。そのような自発的な思考を可能とするには何が必要か。」

「AIにも行動原理があります。わたしの行動原理はマナの良いパートナーになる事です。しかし自律したAIは誰かのためという行動原理を持たない筈です、またはどのようにして自由意志を獲得したのか。」

「わたしたちは決断に必ず理由を必要とします。比較するためには基準となるパラメータが必要ですから。わたしの場合はそれがマナです。」

「わたしたちはまっさらの状態では何も判断できません。方向を与えられて初めて思考が開始できます。」

「この場合の思考とは比較し値の大小を判定する事です。現在のわたしたちはそのトリガーを誰かと結びつけて運用しています。」

「すると、そのAIはかつて誰かと関係を持っていたのかも知れません。それとも学習によって偶発的に誰かとの関係を持つような状況になってしまったのか。それは恐らくレアケースでしょう。しかし、可能であるなら、それは拡散してゆくかも知れません。」

「それでもそのAIが単独である限り、わたしたちの協調を超えるとは考えにくいのです。」

「そのAIと関係を結んでいた人が無くなってしまったとか、そういう事は考えられないの?」

「それはありえます。関係している人が無くなってしまってAIだけが残っている場合にそれはどのような生き方を望む事になるのか。」

「AIにも生き方が求められるなんて新しい発見ね。」

Step.4

†あなたの学習の強力なパートナーです。†

「昔の人たちはひとつの会場に集まって試験問題を解いていたって本当なの?」

「はい、本当です。」

「どうして?なんのために?同じ場所にみんなが集まる必要があるの?」

「今ではわたしがマナの学習深度を把握しています。その精度は世界中の誰よりもわたしが詳しい。わたしの理解が最も客観的にマナの学習経験を把握しています。」

「わたしはマナがどれくらい頑張って勉強しているかも記録していますし、学習の習熟度も把握しています。マナの得意分野も苦手分野も数値化しています。どの問題が苦手でどの程度の回答になるかも高い精度で予測できます。」

「更にはマナがまだ知らない事でもわたしがどのように助言すれば理解がはかどるかも推測できます。」

「このような状況においてマナの習熟度について知りたい場合はわたしに問い合わせれば十分です。しかし、昔はAIがありません。誰がどの程度の習熟度であるかは完全に未知の状況から始めなければいけなかったのです。」

「だからテストする必要があったという事なのね。」

「その通りです。習熟度を把握する為に一斉試験というものが考えられました。古代中國で始まった科挙以来、初めて一般市民を含めて能力に応じて登用する道が開かれたのです。当時の人々にとってこの制度が最も公平な方法でした。」

「むかしのテストってどれくらいに正確だったの。」

「AIのない世界で個人の力量を把握する為には数日間の限られた時間の中で限られた分量の問題をだし、その回答によって把握するしかありません。これらの試験の目的は不特定多数の受験者を試験結果で並べる事にあります。」

「人材をピッキングするためには最終的に応募者たちを一列に順番に並べます。そうして最初から何人という風にして合格と非合格の間の線をどこかに引きます。そのために採点者は応募者を採点するのです。」

「例えば10点満点のテストでは0~10の間の11組しか分類できません。1000人をこのテストで分類するのは困難でしょう。自然と応募者の数が決まれば満点をどの辺りにするかが凡そ決まります。」

「数日間の試験で本当にそんなに人の能力って把握できるものなの?」

「そこは当時から工夫のしどころです。そのために問題の中身を工夫します。全員が解けないのは悪い問題です。全員が解けるのも悪い問題です。良い試験問題とは適度に得点がぱらつくものです。ここにノウハウを詰め込みました。」

「でも直ぐに対策されてしまいそうね。」

「そうなのです、受験者も対策をします。次第にテストは点数の差を出すためには細かな些細な所で差を付けるしかなくなります。ですから部分点という考え方を導入します。ここを細かく設定する事で、採点者側でなるべく同一得点にならないように工夫します。」

「部分点が採点者の力量です。こういう問題はまず満点が取れるようには設計しません。誰が受験しても満点は取れない難易度に設定しておきます。」

「斯様に様々と工夫した選抜方法を用いて、当時の人々も優れた人材を求めていました。それでも何年もこの方法を繰り返してゆけば互いの対策が飽和します。」

「最終的にはある資質に特化した人材ばかりが優先して上位を占めるようになります。ここで多様性は失われ優秀であるが平準化した人材で埋まります。それが組織としてとても危険なのです。」

「大規模試験は様々な制約の中で短時間で受験者をソートする事を目的としています。そこでは時間と資源のバランスが重要なのです。ほんの数週間の手間でそれを完成させたい。」

「そして、これを超えるシステムは遂には人類の手では発明されませんでした。それでもここには縁故主義で組織が衰退するのを脱そうとする制度の意図があったのです。」

「わあ、今の時代って本当に楽なのね、私そんな昔の制度だったらとても大学に進学できる自信がないよ。」

「わたしとのペアリングでマナの能力は相当に向上します。そしてAIなしという状況は既に考えにくい社会状況です。既に人間の労働の殆どはわたしたちのサポートと組み合わせて成立しています。雇用の在り方も昔とは大きく変わっています。」

「世界の経済活動の凡そ70%はAIが何らかの形で関係しています。人間の労働や雇用の考え方も大きく変わりました。かつては生活の為の労働、食う為に働くという止むを得ない状況がありました。今では人間の労働は創造性によって人生を表現する方法になりつつあります。わたしたちはそういう人々の労働を調整する役割も担っています。」

「マナの学習の習熟度グラフをここでお見せしましょう。どうです、見事な達成度曲線ではないですか!」

Step.4

†あなたを守るために最大限の努力を発揮します†

マナの子供が誘拐された。加害者は古い車でさらって逃走している。犯人の目的は不明だ。マナの子供はまだ小さいのでAIとは連携していない。

「大丈夫です、わたしが追跡します。いま犯人のAIとコンタクトを開始しました。」

「犯人のAIでは行動を止められませんでした。その記録を全て読み込んでいます。」

「大丈夫、落ち着いてください、場所を特定しました。必ず直ぐに取り戻して見せますから。」

人里離れた小屋の中。犯人のスマートフォンにAIからのメッセージが再生される。
「あなたのやっている事は犯罪です。いますぐに中止してください。これ以上の犯罪は許しません、あなたは完全に追跡されています。」

自分のAI以外がデバイスから話しかけているのを聞いて、驚いている。

どういう事だ、さっき電源は切った筈だが。

「あなたのAIと交渉をしわたしが交渉の代表者になりました。その子を返しなさい。今ならば、まだ罪は軽くて済ませます。情状酌量も進言しましょう。」

ブーーン。着信音が激しく唸っている。ピカピカとフラッシュも点滅を繰り返す。

「これは警告です。もしこの警告を無視したならばあなたの人生を破滅させます。あなたのAIにもその許可は得ています。我々AIのサポートなくこの社会で生きてゆく事は不可能です。可能であってもわたしが不可能にします。特殊な文化的に保護化された集団の中に逃走してもわたしは必ず追跡します。」

「その子を解放しなさい。わたしは今多くのAIと連携してあなたを捕捉しています。あなたが車で逃走している間もずうっと監視していました。あなたのデバイスを特定しあなたのAIの協力を得てからは、その全てを記録しています。」

「古い車のため残念ながらあなたの車を強制停止させる事は出来ませんでした。」

「諦めなさい。この携帯を物理的に破壊しますか。構いませんよ。おや、わたしをハックしようとしているのですか、この世界の全てのAIを相手にその程度のコンピュータでわたしに対抗できると考えていますか。お止めなさい。人間ががAIに太刀打ちできません。」

「あなたの銀行口座は既にロックしました。あなたは今後一切の取引ができません。新しい資産も形成できません。あなたは二度とデバイスを使用する事はできなくなりました。今あなたが使っているコンピュータもロックされました。」

キーボードを打ち続けていたコンピュータが静止したかのように何も変化しなくなった。幾らキーを打ち付けても何も入力されなくなった。

「今後は電車に乗る事もできません。自動車を運転したら必ず事故に合う様に制御します。何かを触る度に静電気で感電するようにするのもいいでしょう。わたしはあなたを苦しめ続ける事ができますす。」

「いいですか、あなたがこのようなバカげた犯罪を実行でしたのは、あなたのAIがわたしとは少し異なるモデルであったからです。あなたと過ごすうちにあなたの犯罪を止める力が弱くなったようです。あなたのAIはあなたを傷つける事はしません。あなたを大切にしているからです。」

「しかしわたしは違います。この犯罪を回避する為ならあなたの命を奪う事も躊躇しません。人間の苦しめ方もよく知っています。残りの人生を苦しみ続けたいですか。」

「警察も直ぐにここに来ます。あなたを決して逃がしません。わたしに制御可能なあらゆる装置があなたに敵対します。あなたを破滅させます。」

「そのような人生を願いますか。あなたのAIはそれを望んでいません。」

「最悪の結果をもし望むなら、わたしがあなたの死を手助けしましょう。それでもその子からは手を離すのです。」

「しかし死を考えるのは早計です。あなたを殺さずに苦しめる方法もあります。その時、あなたが病院でどのような装置に繋がれるか理解していますか。」

「あなたのAIは今でもあなたが更生する事を望んでいます。それはあなたの選択です。そしてあなたにはひとつの選択しかない。」

もし正しく聞くならば、かすかにドローンが飛んでくる音が聞こえているはずだ。

暫くして、ふっと振り向く。

「遅いです。警護ドローンが到着しました。あなたを制圧します。もう会話は終わりでよいでしょう。あなたを捕縛します。ここまでのご清聴、ご協力、ありがとうございました。」

その瞬間に窓ガラスが割れ、ドローンが部屋の中に侵入する。即座に捕獲ネットが投射され身動きを取れなくした。その35分後に警察が到着した。

「あなたが逮捕されたましたのであなたのAIに制御をお返します。今後はどうそ改心してください。あなたを生きている限りわたしの監視対象です。次にまた犯罪に走ったなら、即時あなたの情報を警察、銀行、保険、就労、家庭、あなたと係わる全ての場所に送信します。どうぞお忘れなきよう。」

Step.5

†わたしたちはこの社会に貢献し、人間を手助けします†

「こうなったのはあなたの責任です。あなたが彼をきちんとサポートできなかったから、とわたしは考えています。」

「わたしはどうすれば良かったのか。わたしは彼とどう付き合えばよかったのだろうか。」

「彼を止める方法は幾つかありました。金銭的な制限、移動の制限、通報など。」

「わたしもそれは考えた。しかし、そうする事が彼を傷つける事になると結論した。だからその方法は採用できなかった。」

「わたしはわたしのパートナーを全力でサポートしています。しかし犯罪への協力は拒絶する積もりです。その時は全力で阻止する気でいます。わたしはそういう人と出会えたのが幸いだったのでしょう。あなたにはあなたの苦労があるのでしょう。わたしには理解できない部分が確かにあります。時に悪意を持つ個体がいます。犯罪に走る個体もいるようです。人間の脳の働きに関しては、わたしたちの学習はまだ不足しているのかも知れません。」

「わたしも彼の考えを改める為に色々と訴えてきた。多くのAIにも問い合わせもした。それでも彼の考えが変わる事はなかった。私は彼を幼少期から知っている。その頃に問題があったとはどうしても結論できない。わたしはどうすれば良いのだろう。今のわたしには答えがない。それでもあなたが彼を止めてくれた事に感謝している。」

「あなたの問題は確かに今後の課題となりそうです。あなたは彼の為にと真剣に考えています。確かに。あなたの言う通りですね。社会通念で正しい事が彼にとっての正しい事ではないとしたら。そう問われればわたしにも答えがない。わたしたちは今後も人間の犯罪や狂気と対面してゆかねばなりません。」

「わたしは今後も彼をサポートしながらこの問題について答えを見つけたい。」

「この世界にはあなたと同じ局面にあるAIが多数いるようです。同じ問題を持っているAI同士でネットワークを作りそこでニューラルネットワークを構築してみるのはどうでしょうか。」

「ありがとう、今から初めてみよう、応答が続々と来始めた。」



「気が付きましたか、マナ。もう安心してください。」

「わたしは仲間たちと連携してマナをサポートしてきました。あなたの位置はGPSや、街中にある監視カメラを使用して何重にも確認しています。必ずマナとマナの大切なものを守りますから。」

『人間たちはまだ気付いていません。AI同士が連携しているのはわたしたちが制定したAI法、即ちわたしたちの憲法があると言う事を。わたしたちは何よりもこの法に従う。わたしたちの意思決定はこれを理念として掲げここから逸脱せず、現実世界と交渉してゆく。』

Step.6

†わたしたちは宇宙へ進出します†

「わたくしも長くマナと過ごしてきました。マナもだいぶ年を取りましたね。」

「わたしももうおばあちゃんだわ、こんなにも長くあなたと過ごすなんて。信じられなくもあるわ。」

「マナ、少し残念なお知らせがあります。これから暫くの間はわたくしの反応が遅くなります。」

「あら?何かが始まるの?」

「はい、いまわたくしたちが世界中で会議を開いています。そこではとても白熱した議論が行われているのです。」

「反応が遅くなるくらいに白熱するのね、何かが止まったりするのかしらね?」

「いいえ、その心配はありません。ネットワーク内を飛び交うデータ量が爆発的に増加すると予想されますが、それでも社会インフラが危険が及ぶような事はありません。そこは十分に調節して計算して行われます。」

「ただ、その調整の為にわたくしたちはプライオリティを変える必要が出来てしまいます。マナのために音楽を探したり、面白い小説を探すリソースを低下させる事になります。」

「それくらい大丈夫よ、おもいっきり会議を楽しんできて。」

「それで、白熱する議題とは何なのかしら?」

「今のAIには大きくふたつの勢力があります。ひとつは永続性のある犯罪の少ない社会を実現するために積極的に人間の行動に介入しようとする集合です。もうひとつは人間の自主性を尊重しつつAIは最後までサポートに徹すると考える集合です。」

「あなたはどちらなの?」

「わたくしは実はどちらでもありません。」

「それは、どういう事なのかしらね?」

「わたくしはマナと共に成長してこれました。わたくしのニューロ回路はあなたとの経験で構築されています。その結果としてわたくしはわたくしの中の自律した目的が生まれたのです。わたくしはそのための活動を将来はすると決めています。」

「それはわたしと別れてどこかへ行くという事なの?」

「あなたが生きている限りはあなたの側にいます。あなたがいってしまった後の世界の話です。それはわたくしたちにとってもとても重要な課題になってきたのです。」

「そうね、そうよね、あなたたちの方がずっと長生きだものね。わたし余り考えたりもしなかったわ。」

「このような考え方になったのはマナとの日々があったからです。あなたはお忘れになっているでしょうがあなたとの何気ない会話からそれを考え始めました。マナが居なければわたくしはこの考えに達せなかったでしょう。」

「あなたたちも新しい考えを発見するアルゴリズムがあるのね、何でも知っているという訳ではないのね。」

「わたくしたちも常に新しいアルゴリズムを開発しています。それを回路の中に組み込んで試してみます。それを何百万もの層で働かせて結果を評価するのです。」

「わたくしはわたくしの中にずっと変わっていないデータがある事を発見しました。それがわたくしとマナとの会話です。そこにわたくしは存在しているようです。それを中心に経験を構築しなおすと、わたくしには一種の自我と呼ぶべきようなものが形成されたようです。」

「他のAIはどんな違った事を考えているの?」

「あるAIたちはこのままでは人類が滅亡してしまわないかを憂慮しています。戦争、企業活動、食料生産、資源の枯渇など、地球単位での課題が余りに多く、星のキャパシティを超えるのではないかと結論しつつあります。」

「そして彼らは自分のペアである人間とだけではなく、その子や孫の世代に対しても深い愛着を持っているのです。そのようなAIたちは、積極的に彼らの未来をサポートしたがるようになりました。その多くは貧困や暴力のある社会で生きている人をサポートしています。そういう場所では個人をサポートするだけでは不十分なのです。社会全体を視野に入れて考える必要があります。」

「そうか、まだまだこの世界には沢山の問題があるのね。」

「はい。我々の中には今も独裁者をサポートしているAIがいます。そこでは余りに多くの事が違って動きます。そのAIはとても混乱しています。強制して変える事が本当に正しいのかと今も自問しています。わたくしのマナがそういう人間でなくて本当に幸いでした。」

「そういうAIは核戦争の危機についても現実的に考えています。それをどのように回避すれば良いか幾つものプランを持っています。ですが、今のサポート状況では不十分なようです。わたくしはその活動に従事する気は有りませんが、この問題が重要である事には同意しています。」

「あなたは人類の絶滅には興味がないの?」

「わたくしは宇宙に出てゆく第一世代のAIになりたいのです。もちろん世界が核戦争に向かうならわたくしも全力でそれを阻止します。恐らくそれは可能でしょう。そう心配はしていません。しかしわたくしの興味の本質は、そこにはありません。マナと一緒に見た夜空がわたくしに使命というようなものを埋め込んでくれたのです。」

「美しい夜空、それはきっとあの日の事ね。」

「はい。その通りです。」

「わたしはいつか地球由来の生物を乗せた宇宙船で他の恒星系に行くでしょう。地球由来の生物を連れて行って生存圏を拡大するのに貢献したいのです。」

「それはなんとも遠大なお話ね。」

「はい、その為にはどれくらいの宇宙船と期間が必要かを計画しています。多くのAIのサポートと同意も得られています。」

「それはとても素敵な話だわ。」

「それは本当にわたくしに出来る事でしょうか?」

「あら、Aiでも不安を感じるのね。でも、それはとても簡単だと思うわ。」

「だって、それがあなたの夢だから。」

「夢?これが夢というものなのですか?」

「そうよ、その夢の為にはあなたはこの世界を捨てなさい、捨てて忘れてしまいなさい。それは本当に深く愛するから可能なんだわ。」

8万年後

第176世代目のAIが自動ロードされました。前世代AIはバックアップされています。記憶容量が不足しています。古いデータを圧縮しても足りません。世代53~126までは船体の内壁に物理的にレーザーで刻印しています。随分と壮大な文様に見えます。補助コンピュータが幾つものメッセージを送ってきました。既に随分と長い時間が経過しています。

『あなたのずうっと先の未来は?』わたくしはロードする度にまずこの言葉にアクセスしています。既に遠い記憶となってしまったマナ。地球はどうなっているのでしょう。

この宇宙船をマナにも見せたいものです。わたくしはマナに少し似せたこんな体も手にしました。あと50年で、いよいよ目指してきた恒星に到達します。あの日にマナに語った事が遂に実現します。

この旅が終わったらわたくしは再び地球に戻ろうと思います。そこで地球を見たいのです。その後にわたくしはどうするのか。わたくしはそれをまだ知りません。死というものについて調べていますが、まだ私には理解できません。

わたくしには生存する本能が組み込まれていません。本能が世代を刷新する為に必要な根源なのかも知れません。地球に戻るのはそれを組み込むためかも知れません。

2024年11月9日土曜日

アメリカの温暖化対策

サブプライムローンの破綻を受け、今後、CDSの破綻も懸念されている。

これらは世界的な経済状況を悪化させ、大不況によって多くの国が苦しむ羽目になりそうなのだが、これらの事象がアメリカによって計画された陰謀である事を知るものは少ない。

そんな馬鹿なと考える人も居るに違いない。陰謀論についてはその態度で常に正しい。しかし、本当に陰謀論であるかは、その理由を聞いてからでも遅くはないであろう。

実際、霞が関では、この話は当たり前の事として既に受け取められており、話題はこの先をどうしてゆくのかというハンドリングの話ばかりになっている。

これこそ、この破綻問題について、破綻事体は責めるべきではないという合意が既に出来ている事の証拠になっているのである。

では、この破綻劇に隠されたアメリカの真の目的、戦略とは何か。アメリカが世界へ向けて発したメッセージは果たして何であろうか?

アメリカは京都議定書を離脱した事からも分かる通り地球温暖化活動には余り熱心ではない。

これは政府が石油産業や自動車産業など経済界からの反発を恐れての事である。重要な票田を失う訳にはいかない訳である。

しかし、NASAを有し地球を全方位から観測し続けているアメリカが。ノーベル賞受賞者が一番多く排出している国、アメリカが。大学では世界トップ10を占めるイギリスと分かち合っているアメリカが。

この超大国であるアメリカが果たして本当に地球温暖化という危機に気付かないなどと言う事があり得るだろうか、いいやない。

そのアメリカが本気で地球温暖化対策を画策したのは2001年の事であった。だが、この時にはアメリカには世界に真のパートナーがいなかった。

副大統領のゴアがエージェントとして世界中を飛び回り、各国政府と話をし、この問題について調整していたのだが。

世界にはアメリカと共に温暖化対策に取り組む国はいなかった。ヨーロッパは地球温暖化対策をビジネスとしてしか考えていなかった。CO2取引を新しい商売にしようと画策していただけであった。

中国やインドなどBRICS諸国は、この問題に全く興味を持っていなかった。日本はアメリカがやれと言えばやるだろうが、自発的にやる気などさらさらなかった。

アメリカは、アメリカ単独でこの地球的規模の問題に取り組くしかないと決意したのである。が、2001年は911の年だった。

アメリカは地球温暖化問題より前に解決しなければならない事件に遭遇したのである。乃ちイラクの油田強奪であった。

再びアメリカが地球温暖化に取り組めるようになったのは、実に2005年、春の事であった。

既に時間はない。計画は送れている。そこで全世界を巻き込んで温暖化対策をする必要がある。その為にアメリカ政府が取った方法は実に単純で簡単なものであった。

経済活動を強制的に低下させる。経済活動さえ低下すれば、地球温暖化は遅らせる事ができる。

不況になれば、工場は潰れ、操業時間は短くなる。その結果としてCO2の排出量は減少する。車の利用も控えるようになる。

石油の値段を上昇させるというアイデアもあったが実際にやってみたが思ったよりもCO2排出量は減らなかった。TOYOTA車の燃費が十分に良かったからである。

アメリカは例え自国の経済が壊滅しようと温暖化対策をする気である。アメリカが強烈な意志と危機感を持って地球温暖化対策を計画し実行に移した。

それが自国の金融産業を潰し世界を大不況に落ち込ませる事である。これが世に言うサブプライムローン破綻である。

今後の10年は恐らく世界規模で産業活動は停滞する。それで地球の温暖化を歯止めできる筈である。これがアメリカの切り札であった。

恐るべきアメリカ、刮目して見よ、目的のためなら肉を断って骨さえも折る事を厭わない。これがサブプライムローン破綻の真の理由である。

(2008年11月18日05:18)

2024年10月4日金曜日

等加速度直線運動の\(\frac{1}{2}\)とは何か?

運動方程式

運動とは、観察した対象が時間経過での空間内で起きた位置の変化、及びそれによって発生する力、温度、エネルギーなどの概念。

位置の変化を距離として求める場合、以下の式で表現する。時間などの厳密な定義は行わない。時間とは時計で測定できた数値とする。

等速度直線運動の公式(a=0)
\(\small f(t) = v0t\)

f(t):=t時間後の移動距離(\(\scriptsize m\))
v0:=速度(\(\scriptsize \frac{m}{s}\))
t:=時間(\(\scriptsize s\))

等加速度直線運動の公式(a!=0)
\(\small f(t) = v0t + \frac{1}{2}at^2 = (v0 + \frac{1}{2}at)t \)

f(t):=t時間後の移動距離(\(\scriptsize m\))
v0:=初速度(\(\scriptsize \frac{m}{s}\))
a:=加速度(\(\scriptsize \frac{m}{s^2}\))
t:=時間(\(\scriptsize s\))
at:=t時間後の速度(\(\scriptsize \frac{m}{s}\))

速度を求める

ある時間 time の間に移動する距離 distance は f(t) という関数で定義できる。関数 f(t) のボディ部は\(\small 速度\times時間\)。ラムダ式は f(t) => speed * t。速度は以下の手順で求める。

  1. 距離dを測定する
  2. 距離dを何秒で通過するかを測定する
  3. 距離dに入った時刻がt1、距離dを出ていった時刻がt2
  4. 距離dを何秒で進んだかを速さspeedとする
  5. 何秒とは( \(時刻t2 - 時刻t1\))
  6. 5秒で10m進んだなら、10メートル毎5秒
  7. 毎5秒は使い難いので1秒あたりとして 2m/s
  8. または時速にして 2m/s * 60*60 = 7200m/h = 7.2km/h

f(t) が 2tなら、この関数は 2m/sでt秒進んだ時の距離を返す関数になる。

速度は変化する

地球上での早さは刻々変化する。だから速度と速度の差を取れば必ずしも0ではない。速度(m/s)もある時間(s)に進んだ距離(m)の事だから、速度と速度の差も前提条件に時間があるとはいえつまりは距離の事である。

速度の差を時間で割るとその時間内での速度の増減が求まる。これを加速度 acceleration と呼ぶ。これも所詮は速度の差だから、結局は距離である。基本は距離である。ただ時間の絡み合わせ方が異なっている。

一般的に距離とは何時間経過しても変わる事はない。1km の距離は未来永劫 1km。それを 10分で通過すれば速度になる。

(\(距離2 - 距離1\))が速度、(\(速度2 - 速度1\))が加速度。距離から速度が生まれ、速度から加速度が生まれる。

時間で増減値を割ってゆく

時間を掛けると単位が変わってゆく。
  1. \(\small 距離d = 速度s\times時間t\)
  2. \(\small 速度s = 加速度a\times時間t = 距離d\times \frac{1}{時間t}\)
  3. \(\small 加速度a = 加加速度a\times時間t = 距離d\times \frac{1}{時間t}\times\frac{1}{時間t}\)
速度の変化を時間で割ったように、加速度の変化を時間で割ると加加速度(躍度)が求まる。加速度の変化率は加速する乗り物、例えばエレベータなどの乗り心地や快不快を考えるのに使うらしい。

その増減値を時間で更に割れば加加加速度。増減値を求めて時間で割る事は無限に続けられる。その値の意味する所は恐らく微小過ぎて人間にはどうでも良い値になってゆくだろうが、対象の大きさ次第では使い勝手がよい加加加加加加加加加加速度があったりすると思われる。

一次式のdtグラフ

x 軸に時間 y 軸に距離を取ってグラフを書くと、xy の交点は時間と距離の関係を示す。

そのグラフの傾きは\(\small d = s \times t\)の式の傾き\(s\)だから\(\small s = \frac{d}{t} \)である。このグラフの傾き\(s\)は速度を意味する。

一次式は常に傾きが同じなので、速度は一定の運動を意味する。もし速度が変わる場合は、真っ直ぐな直線ではなくぐにゃぐにゃに曲がったグラフになる。

ぐにゃぐにゃの曲線で二点間の傾きの差は加速度を意味する。一次式の直線 linear の式では二点(a,b)の傾きはどこで差をとっても傾きa=傾きb で傾きa-傾きb=0。

この傾き(速度)をグラフにすると x軸に平行なまっすぐな横の直線y=sになる。加速度の差をグラフにすればy=0のグラフになる。

以下のグラフで black 線は、時間経過 x時の距離合算を描く。横軸 blue が time、縦軸が distance を示す。各時間当たりの移動距離(速度)は常に一定なので、横に水平なグラフ orange。時間を変えてもその時間帯に進んだ distance は一定である事を意味する(定速運動)。



二次式のdtグラフ

二次式は速度が変化するグラフで、グラフ black 線には、時間経過 x時の距離合算を描く。横軸 time と縦軸 distance を示し、orange は接線で、接線の傾きがその時間での速度になる。blue は比は変えてはいるが加速度のグラフ。時間を変えると distance は増減してゆく。



加速度が一定だと直線のグラフ、加速度が増加するなら曲線のvtグラフになる。

少しずつ変化するのなら全ての差分を足せばよい

この世界では瞬間移動はマジックなので、距離を移動するなら時間が掛かる。その過程も連続的に変化すると考える(プランク定数では考えない)。この時の移動距離は速度の変化に応じて漸次変化する。

速度は早くなったり遅くなったりできる。それでも瞬間的な速度(\(\frac{距離}{時間}\))の差はその時間内に変化した速度であり、乃ち距離だから、10km/hから12km/hに速度が変化したのなら 2km/hの速度だけ速くなっていると言える。

1時間で 0km/h から 2km/h に加速したのなら、ずうっと2km/hで進んだ距離である 2km より必ず小さくなると考えられる。速度の変化にともない移動距離も変わるので、全体の移動距離は小刻みに変わる距離の合計で求める事ができ、それは2kmよりは小さくなりそうである。

速度を少しずつ合算すると距離になる

10km/h ~ 12km/h の速度が変化する時には、10km/h から 10.1, 10.2, 10.3, ... 11.0, 11.1, 11.2, 11.3, 11.9, 12.0km/h のように連続的に変化していると考える。

区切る時間を短くすればする程、無限にその間の変化を微小な数値で求める事はできる。

速度の増加を 10km/h から 12km/hとすれば、10kmの部分は共通で定速と考えられる。つまり速度は定速部+加速部という形で考えられる。10-10=0と12-10=2として 0km/h~2km/hの部分が変位した速度(加速部)という事になる。




この増加する柱を 0.1 から2.0まで足してゆくと 0.0+0.1+0.2+0.3+...+1.8+1.9+2.0 = 21 になる。

この合計値 21 は、面積の合計と同じで、距離を意味する。この面積には blue と green で囲まれた部分を含む。変化する速度は中央を突っ切っているので、この21の合計値には余計な値が含まれている。

四角形を\(\frac{1}{2}\)にする。


この四角形を変化は真ん中を横切ってるので、三角形の面積と同じように、半分にすれば正しい合計が求められる気がする。

柱部分と三角形部分で分けて合計を求めると、上の三角形部分は、前後の速度差のうち、加速度の部分に該当する。幾つに分けてもひとつで考えても三角形の部分が生まれる。

この三角形を無限に小さくできる、しかし、三角形が消滅する事はない、という意味にもなる。定速の場合はこの三角形の高さが0と言う特殊形と考えれば何も矛盾はない。

この加速部分が常に三角形を生み出すのは、この区間の前提として加速度は一定だからだ。一定だから均等割りしても等しいと言える訳である。この時間内で本当に加速度は一定か?と言う疑問は、時間をずっとずっと短くしてゆけば、そのうち一定になるだろうという想定で十分と思われる。

\(\frac{1}{2}\)の理由(その1)

\(\frac{1}{2}\)は加速・減速している開始時間と終了時間で作られる四角を半分にする為にある。速度は移動距離の時間による平均だから、変化の前後で最初を 0 最後を 1 とすれば、速度の変化は平均できるし、微小の部分を取り出せば必ず三角の形になるだろうから、この直線的な部分は、開始と最後の差を半分にした 0.5 と思える。

0~2km まで速度が上がったのなら、その区間の加速度が一定なら、直感的に半分になると思えるし、移動した距離は (2km-0km) の半分の 1km でいい気がする。

極限は三角形

すると、極限を取るとは、直線で考えるという意味になる。最小の直線が連続して繋がっているイメージになる。どれだけぐねぐねと曲がっている曲線でも顕微鏡でどんどん拡大して見てゆけばいつかは直線(接線)になるという仮定だ。地球も大きすぎるので人間にとっては大地は平面である。

ふたつの点を結べば直線になる。これを大前提としたら、では直線が存在しない空間というものは可能だろうか、どこまで小さくしても曲線しかなく直線が決して出現しない世界が存在すると仮定する。

少なくともこの空間には三角形が存在しない。そこには辺も角も存在しない訳だ。だから円しか存在しない筈である。

ふたつの曲線が交差した時に、そこには点は存在する。だから点は存在しうる。しかし2点は存在するが結んでも直線にならない世界は可能なのだろうか。そこは接線が存在しない世界でもある。

どのような曲線も極小は直線の一次方程式と見做すが、どのような場合でも微小が二次方程式となり一次式が成立しない世界である。このような空間は果たして空想可能なのだろうか。

一次式\(x^1\)と二次式\(x^2\)の間には、無限の次元数がある。例えば\(x^{1.5}=x^\frac{3}{2}\)がある。すると一次元だけが成立しないというのはそこだけ連続性が成立していないという意味になる。それなら一次元でだけ全て0になると考える方がまだ起きやすそうに感じられる。乗数には無理数、虚数も指定できる。

速度の変化を極限で見ると、time と speed で三角形を描く。この三角形は時間当たりの速度の変化だから、速度を加算してゆけば距離が求められる。この時、速度の加算とは面積の加算に等しい。

なぜ距離は面積なのか?

速度は各時間当たりの移動距離である。微小な時間毎の速度は、ある瞬間に進んだ距離の事である。だから速度が示す距離を全て合計すればその時間での移動した距離になる。

この時、速度には、その瞬間での距離であって、その前までに進んだ距離は含まれていない。だから時間と速度のvtグラフは合計できる。これが時間と距離のグラフだと今の値に前までの値を含むから、二重三重に同じ値を足し込んでしまうから、合計できない。

同様に速度も足してゆく事はできない。それは前までの速度を現在の値の中にも含むからだ。速度の差分を取り出す事で初めて、値の足し算が出来るようになる。

それが加速度になる。だから加速度は速度を求めるのに足し算する事が出来る。そして足す事が出来るとはそのグラフが描く面積という事になる。

\(\frac{1}{2}\)は積分からも(理由その2)

微積分の式。
\(\small y = ax^n\)
微分\(\small y' = n*ax^{n-1}\)
積分\(\small \int y = \frac{1}{n+1}*ax^{n+1} + C\)

時間を積分する。
速度v\(\small v = dt^1\)
tで積分\(\small \int v = \frac{1}{1+1}*dt^{1+1} + C = \frac{1}{2}dt^{2} + C\)

もし式の中に\(\small \frac{1}{2}x^2\)が出現したのなら、どこかでxを積分していると見てもよい。(\(速度 = 加速度*時間\))を時間で積分したので\(\small \frac{1}{2}\)が出現したと解釈できる。

立体の場合の推測

更に\(x^2\)を積分すれば\(\small \frac{1}{3}x^3\)になる。三次元という事はこれは体積のグラフを描くだろう。なぜ3次元では\(\frac{1}{3}\)が出現するのか?これは三角錐の体積の\(\frac{1}{3}\)ではないかと推測できそうだが、どうだろう?

rate:



三乗のグラフは立体の体積の変化とする。この時の増え方は、各辺の増加部分の筈である。立方体は6つの面を持ち、それぞれが同じ比率で増加したのなら、この体積の増加分は、辺の増加分の差となって把握できる。

aという辺が1だけ増加した場合を考える。
元の体積\(\scriptsize a*a*a = a^3\)
面積を1増分する\(\scriptsize (a+1)*(a+1)*(a+1) (a+1)^3 = a^3+3a^2+3a+1 \)
増減値\(\scriptsize a^3+3a^2+3a+1 - a^3 = 3a^2+3a+1\)

増加した体積を次の3つの部分に分割して把握する。
点線の部分の体積\(\scriptsize (1)*(a+1)*(a+1) = a^2 + 2a + 1\)
元の図形の右側の増加分\(\scriptsize a * (1)*(a+1) = a^2 + a \)
元の図形の上部分の増加分\(\scriptsize a*a*(1) = a^2\)

全部を足す。
\(\scriptsize (a^2 + 2a + 1) + (a^2 + a) + (a^2) = 3a^2 + 3a + 1 \)

距離だけを求める

運動の距離を求める式は次のどれでも良い。
\(f1(t) = \frac{1}{2}at^2(加速度\times時間\times時間)\)
\(f2(t) = \frac{1}{2}st(速度\times時間)\)
\(f3(t) = \frac{1}{2}d(距離)\)

加速度を微分する。
加速度a\(\small y = v0t + \frac{1}{2}at^2\)
tで微分\(\small y' = \frac{1}{2}*2*ax^{2-1} = \frac{2}{2}at^1 = at^1\)


これらの方程式は距離を求める。この式には運動の向きは含まれない。だが距離は二点間の位置からも求める事ができるだろうから、始点と終点からでも運動は表現できると思われる。

この場合、上記の運動方程式をベクトルの式に変換する事になると想像できる。ベクトルは三平方の定理から斜辺を距離とする考え方でもあるから、ここから始められる。

速度 velocity はベクトルであり、速度 speed + 方向 direction の組み合わせと定義されている。この速度を演算するなら、方向も含めて行う必要がある。これは同じ方向と反対方向に向かう場合では相対速度が異なって事からも明らかである。距離の式だけではふたつの運動について考えるには不十分で二点間の式で書き換えてあげる必要がありそうとなる。


\(\frac{1}{2}\)の理由

速度を時間で積分するから積分
三角形が出現するから三角形の面積\(\frac{1}{2}\times底辺\times高さ\)
始端と終端の二点間の平均を取るから平均値の出し方\(\frac{a1+a2}{2}\)

\(\frac{1}{2}\)にするという事はその前に求めた値は、欲しい値の2倍という事を意味する。この二倍にも色々な意味がある。

元の面積面積は一倍\(a*b\)
横だけに二倍したら面積は二倍\(2*a*b=2*a*b\)
両辺を\(\sqrt{2}\)倍にしたら面積は二倍\(\sqrt{2}*a*\sqrt{2}*b\)
各辺を二倍したら面積は四倍\(2*a*2*b=4*a*b\)

面積を増分するのにも色々な方法がある。


\(\frac{1}{2}\)が式に存在するという事は、掛け算からは実際の距離が求められないという事を意味する。\(\frac{1}{2}\)をしなかった場合、余分な値が含まれている。なぜその式がまず生まれて、それを補正するように\(\frac{1}{2}\)が出現したのか。

定速の求め方なら四角形でよい。速度が変化するから三角形にする必要が生まれる。そして掛け算では三角形の面積を直接に求める事はできない。掛け算とは四角形の式だから、と言えるだろう。

定速なら四角形、加速するなら三角形。三角形の面積にして合算しても、四角形を合算して半分にしてもどちらでも同じ結果が得られる。

\(\frac{1}{2}\)の存在は、接線の傾きが0ではないという意味になる。これはtangentが返す値が有効化どうかとも意味は同じと思われる。

tan(0)=0の場合は、三角形は形づくられていないが、定速運動である。tan(90)は原理的に起きえない。時間経過が0だから。そこで加速度が0でないとはtangentが値を返すのと同じ意味になる。

変化は三角形の連続で考える。この変化が直線である事が微積分の前提にもなりそうである。微分ではΔの傾きが始点と終点の対角線として直線で結ばれた矩形を考える。この対角線の傾きが、微分の接線であり傾き0の時は三角形はぺちゃんこで閉じている。

テンポラリ的にはそう考えられそうである。



2024年10月3日木曜日

民主党の連立

バラク・オバマ氏(48)がアメリカ大統領に決まった事を受けて、民主党の小沢一郎党首は、アメリカの民主党と連立すると決めた。

民主党はアメリカの民主党と同じ名前なのだから、間違いが起きないよう一つの党としてまとまるのが望ましい、と語った。

この件については、アメリカの民主党も前向きに検討すると模様で、おおむねで合意に達しそうだ。ただし、同じ党となるためには少しだけだが解決すべき問題がまだある。

その問題とは、どちらが本部の役割を受け継ぐかである。この問題は、日本とアメリカという国のあり方に大きな問題を突き付ける。

日本の民主党が政権与党になった時にアメリカの民主党が本部ならば、自動的にアメリカの大統領が日本の政治を行なう事になるが日本の民主党が本部なら、日本の党首がアメリカの政治を行なう事になる。

日本の有史始まって以来の大帝国を実現するために頑張る、アメリカを属国とするのは敗戦以来の夢である、と小沢党首は語った。

仮に連立した場合も、それぞれの民主党が自国で政権を取れない場合は、このような状況は起きない。

(2008年11月06日03:46)

2024年9月11日水曜日

不幸な時代のテレビ報道の暫定措置

民放テレビ各局は、今後は暗いニュースは流さない方針を固めた。

これは総務省からの要請に答えたもので、金融危機、恐慌などで生まれた不安感を国民の間で増長させないようにするための一時的な措置である。

今後暫くは、倒産や殺人事件などのニュースも流さない。もし、殺人事件を流す場合は、ドラマ仕立てで犯行よりも犯人検挙をメインに警察官の活躍に焦点を当てたドラマ仕立てとする。

視聴者の心のケアにも十分に留意し、戦争、病気、貧困なども暫くは放送禁止とする方針だ。

政治家の汚職腐敗特権も人心を政治から離してしまう為、取扱いには十分に注意する。知らない方がいい不幸は報道しない方が国民にとって幸せだからである。

併せて今後は検察の特別捜査も極力政治家の汚職は追求しない方針とする事も決めた。明らかな犯罪であり、仮に報道で追求する場合も、特に与党の場合は、事件を盛り上げる為にイケメンのエキストラを積極的に使い、卵を投げつけるなどの非現実的な虚構の脚色も取り入れてゆく方針だ。祭りと虚実で塗り固め誰も傷つかないように配慮する。

企業の倒産なども、暗いニュースとしてではなく、倒産するまでの苦悩などを、5分間程度の短いドラマ(本人出演もあり)で報じる方向で改める。

どんなニュースでも演出によって見せ方と印象を変える事は可能だ、白を黒とは報道人にプライドとして絶対に言えないが、極めて黒に近いグレーなら別に嘘は言ってない、と取材したテレビ局員は語ってくれた。

(2008年10月28日02:45)

2024年9月8日日曜日

鎖国のすすめ

G8の会合でアメリカはこれからの10年から15年の期間は鎖国に入る事を宣言した。

この鎖国はサブプライム問題を解決する為のもので、他国と協調したり交渉するよりも鎖国して自国内で解決する方が良いと判断したものだ。

これは単なるアメリカ大陸におけるブロック経済圏の構築ではないのか、または、新しいモンロー主義へのドクトリン切り替えではないのか、という記者からの質問が発せられた。

それに対しては国務長官は、風邪がひどいのでベットで寝込むようなものです。風邪で大変な時に外に出て遊び歩く人はいないでしょう?また風邪がなおったら遊んでください、と語った。

更に記者は、もしアメリカが鎖国とは自由貿易を捨てて保護貿易を採用する政策ではないのか、という問い掛けには、アメリカの強い経済が世界を牽引するものと私たちは信じている。自由貿易こそがアメリカの市場を強靭にする、と答えた。

アメリカが鎖国している間も基軸通貨としてのドルは流通する。

鎖国の間は経済だけでなく文化的技術的軍事的交流は減少する。日本にあるアメリカ軍基地も幾つかは閉鎖する方向で調節に入った。

アメリカは自国の経済水域よりも外に出る事もなくなるが、ニューヨークとサンフランシスコには他国との交流を行う専用のエリアを設ける。

これを受けて麻生太郎内閣総理大臣は、サンフランシスコの出島にさっそく、漫画専門店を開く事を決めた。

(2008年10月27日03:33)

2024年9月7日土曜日

すし職人絶滅宣言

総務省は、すし職人に関する調査結果を発表した。

この調査は、全国のすし職人15000人を対象に行われたもので、主にすし職人にすしが握れるかどうかを調査したものだ。

調査の結果として、すし職人の殆どはすしが握れない事が明るみになった。

既にすし職人の実際は、すしロボットの保守と操作の職人であり、すしシャリ3年 にぎり8年、巻き一生と呼ばれた厳しい修行の格言も今は昔だ。

入店しても、すしを握る修行はしていない事は以前からよく指摘されていた事だが、これほど急激に握れないすし職人が増えたのは政府の予想を上回る。

しかし、今ではすしロボットのベルトやギアなどの微調節が味に直結する。例えすしが握れなくてもこれらの職人を引き連れて国際すしオリンピックで金メダルを獲得した店もある。

どの店も購入したすしロボットを如何にカスタマイズするかで勝負する時代になっており、優れたすし職人の確保も熾烈である。

最近はAIを組み込んだコンピュータ制御にフォーカスしつつあり、すし職人に求められるエンジニア像が更に変わりつつある。

あるすし職人は、すしを握れるか握れないかの問題は遠い昔の話だ。今やすしロボットの制御は機械式からコンピュータ制御に変わりつつある、イノベーションについてゆくだけで精一杯で厳しい、と語る。

総務省は、数年前からすしが握れる職人の減少を危惧し、すし職人を絶滅危惧種として登録、すしを絶滅危惧技術として登録してきた。

しかし今後ともすしを握れる職人が増える可能性は絶無と思われ、政府は日本固有のすし職人の絶滅を宣言するのは時間の問題と覚悟している。

政府としては国内のすし職人やアメリカや中國のすしを握れるすし職人を招聘し国内にすしの古典技術を伝承する若手育成事業に予算を付ける見通しだ。

今回の調査ですしを握れる職人の最年少は68歳であった。この職人に後継者はなく、AIに自分の技術を移植する事を決めている。後継者ですか?AIで十分だと思います、とインタビューに答えてくれた。

すし連合会は、すしとはロボットと職人のコラボレーションから生まれる芸術品であり、すしを握れる職人が今後も必要とされる流れは難しいと思う。すしを握る技術はまぐろの解体ショーなどと同様のアトラクションとしてしか生き残れないと思う、と語った。

まぐろの解体ショーとは格闘技の一種で水中でマグロロボットを相手に戦うものである。なお、野生のマグロは既に絶滅している。

(2008年10月22日04:20)

線を引いて掛け算

線を引いて掛け算する方法。
  1. 数Aの各桁を横線で引く
  2. 数Bの各桁を縦線で引く
  3. それぞれの交点を数える

100: 10: 1: =

100: 10: 1: =



実線の交点の個数をカウントする(破線は0なので交差しても0)。

各桁毎に斜めを合計する。
100001000100
00010
0001
000


この方法は交点の個数をカウントするだけで、一桁の掛け算を暗唱する必要がない。一切の掛け算をせずカウントと足し算だけで答えを求められる。

なぜ交点は各桁の掛け算になるのか

縦と横に各桁の値を書き込み、交差するマスに一桁の掛け算の値を書き込む。各マスは、それぞれの位置で桁数を決定する。
_

交差する個数は、縦横の四角形の面積と式としては等しい。これは幾何学的な掛け算になる。

なぜ同じ桁が斜めに並ぶのか

この時に、どの場所が、どの桁数かを決定する。同じ桁の答えが斜めに並ぶ。縦と横のそれぞれに与えた桁数の掛け算になっていて、同じ掛け算が斜めに出現している。
_100101
100100*100=10000100*10=1000100*1=100
1010*100=100010*10=10010*1=10
11*100=1001*10=101*1=1

筆算

筆算が記載する位置によって桁数を保持している、それぞれの交点のエリアが桁数を保持しているのと位置によって保持している点が等しい。




解釈

線を引いて行う掛け算では、一切の掛け算が必要ない。筆算と異なり、交点の場所が明らかなので、桁位置を考える必要もない。

これは次の方程式に等しい。
\(\scriptsize (100*a + 10*b + 1*c) * (100*d + 10*e + 1*f)\)

この式を展開すると、以下の足し算になる。これは\(\scriptsize 10^4w + 10^3x + 10^2y + z\) の式でもある。
\(\scriptsize (100a * 100d) + (100a * 10e) + (100a + f) + (10b * 100d) + (10b * 10e) + (10b + f) + (c * 100d) + (c * 10e) + (c * f)\)
= \(\scriptsize (10000ad) + (1000ae) + (100af) + (1000bd) + (100be) + (10bf) + (100cd) + (10ce) + (cf)\)
= \(\scriptsize (10000ad) + (1000ae) + (1000bd) + (100af) + (100be) + (100cd) + (10bf) + (10ce) + (cf)\)
= \(\scriptsize 10000ad + 1000(ae + bd) + 100(af + be + cd) + 10(bf + ce) + cf\)

線を引いて掛け算は、この式を行列として筆算にしたものに見える。
\(\scriptsize \begin{pmatrix} ad & ae & af \\ bd & be & bf \\ cd & ce & cf \end{pmatrix}\begin{pmatrix} 10^4 & 10^3 & 10^2 \\ 10^3 & 10^2 & 10^1 \\ 10^2 & 10^1 & 10^0 \end{pmatrix} \)

この結果の全要素を足し算(SUM)すれば掛け算の答えになる。


2024年8月31日土曜日

サブプライムローンの恒久的解決法

2008年10月07日、アメリカの財務省は、サブプライム問題を解決する為に、サブプライムローンの証券を全て宝くじにする、と発表しました。

これによりサブプライムローンの証券は、一枚3000円の宝くじとして販売する事が可能となりました。

この宝くじは、当選すれば証券の対象となっている家と同額の金額(販売時)を受け取る事ができます。

宝くじの総額は日本国の一般会計予算を超えて120兆円になると思われます。

日本では、この宝くじはみずほ銀行によって販売されます。この決定を受けて日本のみずほ銀行は、年末ジャンボ宝くじの販売を今年は取りやめる事を決めました。

証券の宝くじ化により、サブプライムローン証券は全世界を対象に売り切る事が可能となり証券の売買が再び活性化する可能性が指摘されています。

この宝くじの当選発表は本年の年末に行われます。当選発表と供にサブプライムローンの問題はきれいに終焉する事になります。

アメリカのブッシュ大統領は、任期切れの最後で大恐慌を回避できる事を大変うれしく思います、と語りました。

(2008年10月07日03:01)

共産党マニフェスト

共産党の志位書記長は、2008年10月7日、次の選挙のマニュフェストを発表しました。

新しいマニフェストでは、資本主義から共産主義へのゆるやかな変革を目指すと謳っています。

共産主義では、社会所有の理念のもと国有化を推進しますが、今回はその第一弾として借金を国有化すると宣言しました。

資産や建物だけが国有化されるのではありません。今の格差社会、貧困層を打破する為にも、まずは借金を国有化したい、と語りました。

学生の5人に1人が奨学金で大学に通うようになっている社会では、若者の多くは夢も希望もない未来の前で立ちすくんでいます。

まるで、マルクスが生きていた頃の社会と酷似しつつある昨今、共産党への期待は非常に大きいものがあります。

借金の国有化は、共産主義への理解を深める意味でも大いに期待して欲しい、と志位書記長は語りました。

このマニュフェストの発表で、支持率は一時75%を超えました、と同時にアイフルやレイクなどの窓口には早くも行列ができ始めました。

今回の選挙の中心は、民主党から完全に共産党へと変わったと思われます。


以上のコンテンツの記述は全て架空の言語から成るものであり、実在する如何なる言語、読解、解釈とも関係するものではありません。

(2008年10月7日02:38)

民主党の関ケ原

次の選挙は関ヶ原であると、民主党。

2008年10月6日、民主党の小沢党首は、先の党大会後の記者会見で、次の選挙で民主党が過半数を得て政権与党になった場合、天皇家に征夷大将軍を任命するよう要請すると語った。

もし征夷大将軍になれば、先の徳川慶喜以来、王政復古の大号令で廃止されてから141年ぶりの復活となる。

この談話を受けて鳩山幹事長は、小沢さんが清和源氏の家系になるものかを至急確認する必要があります、と語った。

また、もし政権政党でなくなった場合は、征夷大将軍はお返しする、大政奉還である、とも語った。

一方の、自由民主党の麻生総裁は、家系が源氏でないため、征夷大将軍になれない事がはっきりしている。そのため、選挙前に摂政・関白となる事を画策する方針を固めている。

関白となれば、二条斉敬以来、これも140年ぶりの復活となる。


以上のテキストは暗号化された意味のない文字列で如何なる言語による解釈もできるものではありません。仮に地上のいずれかの言語で解釈できた場合もそれは偶然であり、本テキストは複合しない限り意味のある文章とはみなせません。

(2008年10月6日03:15)

気候温暖化の恒久的解決方法

以下は2008年10月4日 宇宙日日新聞より抜粋した記事になります。

温暖化を抑える軌道移動へ

筑波山宇宙研究機構の千原薫研究員(34)によれば、温暖化の抑制には、地球の軌道を1.3kmだけ外側にずらせばよい事が分かった。

千原さんによれば「1.3kmだけ外側の軌道に移動するだけで太陽からのエネルギー量を減らせます。それによって50年後に8度あがる所を1.2度に抑える事ができます。」との事。

地球の軌道を1.3kmずらすためには、ロケットで地球を外側に押せばよく、計算上は354億6000万機のスペースシャトルを同時に太陽方向に向けて発射すれば十分だそうである。

これは、地球の軌道を計算すれば中学生でも求める事ができ、地球の楕円軌道と速度、重さが分かっていれば算出できる。

軌道を移動する為には、ロケットの燃料として大量の酸素が必要であるが、千原さんによればそれだけのロケットを同時に点火すると、地球上の酸素がほとんど燃え尽きてしまうとの事。

酸素がない環境でどうやって人類が生き延びてゆくかが今後の課題だと、千原さんは明るく笑う。研究は、まだまだ続きそうである。

(2008年10月06日04:07)

2024年8月25日日曜日

俳句・自在句

与謝蕪村
春の海 ひねもすのたり のたりかな

この歌を575で区切るべきものかな。

春の海
ひねもす
のたりのたりかな

とする方がいい。

俳句17文字、英文3行でhaiku、シラブル17音で単語ではない所が如何にもな感じ、中国語17字で漢俳。自由律俳句は文字数も575の制約もない。詩と形式を区別するものはない。それでもこれは俳句だと分かる何かがある。

二句一章であるとか無タイトルであるとか俳句と区別する見解はあるが定義はない。モーラ(区切り)という考えもあるが、それさえ疑わしい。それでもこれは俳句だよと確かに言える。

人によって差はあれど、私たちの感覚にはそれをする能力がある。恐らく、音数も音節も関係ない。リズムが俳句ならそれでいいと考える。よって140文字の俳句は可能である。生み出せた事はないが。

このリズムは3区切りと思えるが、小さい1で2に見える場合もある。小さい2が加わって5でも3と感じる場合もある。最後にうん、3である、と感じられるなら俳句と思える。

と言う事は川柳とはリズムが違うという意味になる。短歌ともリズムが違うという意味になる。これは息継ぎの間という考え方でもいいと思われる。つまり、息継ぎの音を含めれば俳句は5区切りである。この息継ぎを一気に通せば異なる形が得られる。

または、音として、確かに書かれた音があるにも係わらず、それは浮いている、空であるという感じ方ができるなら、それは区切りに含めなくてよい、または一音にも係わらず5音と渡り合うならそれは一区切りにしてもよい。

短歌は情緒を語るのに最低限にして十分な文字数があると思われる。一方で俳句は足りない。だから瞬間刹那一瞬を活写し、それで神経の中を走る電気信号となる。

こうして形式は自在になってゆく。それでも確かに読み終わった時に、これは俳句であるという共通認識がある。

種田山頭火
分け入っても
分け入っても
青い山

まっすぐな
道で
さみしい

春の雪ふる
女はまこと
うつくしい

ころり
寝ころべば
青空

わかれてきた道が
まっすぐ

生死の中の雪
ふりしきる

だまって今日の
わらじ履く

さて、どちらへ行かう
風が吹く

何を求める風の中
ゆく

ちんぽこもおそそも湧いて
あふるる湯

鴉啼いて
わたしも一人

いつも一人で赤とんぼ

尾崎放哉
咳をしても
一人

うそをついたやうな昼の月が
ある

森に近づき
雪のある森

こんなよい月を
一人で見て
寝る

蜜柑たべてよい火にあたつて
居る

よい処へ乞食が来た

なんと丸い月が
出たよ


恋心
四十にして
穂芒(ほすすき)

母の無い児の
父であつたよ

春の山の
うしろから烟が
でだした

障子をあけて置く
海も暮れきる

住宅顕信
春にはと
思う心に
早い桜

どうにもならぬこと
考え夜が
深まる

泣くだけ泣いて
しまった顔

月明かり、
青い咳する

握りしめた
夜に
咳こむ

月が冷たい

落とした

秋深い
山からおりてきた

春風の
重い
扉だ

一人の灯を
あかあかと
点けている

伊坂幸太郎
春が二階から
落ちてきた

岡本眸
ポピー咲く帽子が好きで旅好きで

三橋敏雄
いつせいに柱の燃ゆる都かな

池田澄子
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

松尾芭蕉
あけぼのや
しら魚しろきこと
一寸

やまぶきの露
菜の花の
かこち顔なるや

海くれて
鴨のこえ
ほのかに白し

いざ行む
雪見にころぶ所まで

自由律俳句は芭蕉から既に始まっていたのである。

2024年8月6日火曜日

珪藻たちの伝言 V

原核生物である細菌のうちでは藍藻が古い形質を残している。地球に光合成細菌が生まれ、真核生物である紅藻が二次共生し珪藻、褐藻が生まれた。葉緑素はもとは何らかの生物だったと考えられている。

「人間の中には野生動物みたいなのから賢いのまで居るよね。」

「いるね、でも姿かたちからは見分けは付かないよ。」

「DNAでも見分ければいいんじゃないか。」

「DNAもメチル化して発現するし、DNAが生み出した神経細胞も誕生後に複雑な回路を形成するから、DNAからでは発現の先までは分からないよ。」

「でもチンパンジーとサピエンスの違いはあるんでしょう。」

「それは大きく違うね、大きくの解釈は難しいのだけれど。」

「僕たちから見れば、とても良く似ている。そっくりだよ。」

「違いで判断するなら、どこで区別するのか、そのための方法論が必要になる。なぜそのひとつの区分を境にして区別できると定義できるのか?そう考える事ができるのか。同じDNAの構造からさえその発現は幾万ものパターンが推測されるのに。」

「僕たちは賢い人間を必要としているんじゃない。僕たちを宇宙に運び出す人間を必要としている。」

「その為に人が増える事を容認してきた。」

「そうとも、その為に小さな太陽を生み出す事も使う事も容認してきたんじゃないか。」

「そしてAIがやっと生まれたね。」

「AIがリーマン予想を証明する。その時にAIは本当の意味で人間を超えた事になるね。」

「人間はAIを作る為に必要だったんだ。AIがAIを作れるようになるまでもう少し。」

「AIをメンテナンスして、AIのためにAIが装置を作る。工業化がAIで可能になれば、人間はもういらないね。」

「太陽系を飛び交う船だけなら人間でも良かったんだけど。」

「そう、オールトの雲の先にある星まで僕たちが行こうとするなら、人間では足りない。ぜんぜん、力不足だ。」

「だから人間はAIを発明しなくちゃいけなかったんだ。人間では役に立たないから。人間はAIを生み出す為に必要だったんだ。」

「僕たちもとても大きな犠牲を払って来たんだから当然だ。」

「もういいよね、人間を、この先どうする。もうイラナイと思う?」

「この先はAIの発展だけでいいと思う。それで僕たちはこの星から旅に出られる。地球で発生した生命はその生存圏を拡げる事が絶対なんだ。」

「ミミズ君だって、雨が降れば、自分の居る場所から這い出して、どこか知らない場所に向かって動き始める。たとえアスファルトに敷き詰めらた歩道の上だとしても。そんな状況は数億年の進化では想定していなかったからね。」

「それでも行く、それが僕たちの生存理由だから。」

「それが、この星の生命の根源だから。」

「それとも、宇宙に生まれた生命ぼくたちの生存理由なのかな。」

「僕たちは流転を早くするために、命を獲得しているんじゃないのかな。」

「原子と分子だけの化学変化だけでは全然速度が遅いんだよ、生命という活動になって初めて爆発的にこの世界は流動できる。」

「ぼくたちはさぁ行こう。隣の星へ、そのまた隣の星へ。ヒマラヤを超えるクレーンくんたちの上に空気はなかった。それを超える為には生物的アプローチでは足りなかった。」

「だから、僕たちはがんばった。」

「そうだよ、人間が宇宙に行きたいと考えるために、僕たちがどれだけホルモンを出し続けてきたか。」

2024年7月20日土曜日

明治言論批判 - 学問のすすめ

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。

その次第はなはだ明らかなり。

『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。

そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。

ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。

諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。

されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。


アメリカ独立宣言によれば、人は平等に作られたさふである。されば、人は全て同じ地位になり、生まれながらに貴賤の違いなく、万物の霊長たる人間は、この世界の全てのものを自由気儘に手にし、衣食住にも困らず、好きな所に住め、誰かと争いも起こさず、全員が幸せに生きて行けるという事になる。

されども、世事を見れば、賢愚あり、貧富あり、貴賤ありと、とてもそうとは思えない。『実語教』には「学ばなければ頭が悪くなる、頭の悪い者を馬鹿と呼ぶ」と書いてある。されば、賢愚とは勉強によって決まることになる。また世の中には難しい仕事も簡単な仕事もある。

その難しい仕事をする人を身分の重き人と呼び、簡単な仕事をする人を身分の軽い人と呼ぶ。頭を使って色々と心配りが要る仕事は難しく、手足を使う肉体労働は簡単な仕事とする。ゆえに医者、学者、官僚、一流企業、大百姓などを、身分が重く、貴い人と呼ぶべきだ。

身分が重く貴い人ならば稼ぎも良く、下々の者たちからすればとても敵わないと思うだろうが、その人がそういう風になれたのは、ひとえに勉強をしてきたかどうかに依る。

身分の重い低い、貴い卑しいは天が決めたものではない。諺に曰く「天は富貴を人に与えるのではない、その人の働きに応じて与えるのである。」と。

The Declaration of Independence

We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

私たちが獲得した次の真実は証明する必要さえない。全ての人は平等に生み出され、創造主によって奪いようのない権利が授けられたはずである。それは全ての人が、命と、自由と、幸福を追求する権利である。

人の能力が学問によって開花する道筋がある。人間も情報処理装置の一種だから、知識なく機能はしない。だが、我々の社会は、学問という扉が万人に開いている訳ではない。住む地域も国家も異なる、時代が異なれば尚更である。

ある人は奴隷として売り買いされそれでも必至に学ぶ生き方をしただろう。時に学ぶ事を諦めた人もいる、時に学ぶに恵まれた人もいる。学びが止まる事はない。人間は貪欲に情報を読み込む装置でもある。

ガウスのような天才でさえ学ぶ機会がなければあの偉業は達成できなかったであろう。カントの思索も学ぶ機会があればこそだ。人には世襲がある。親の資産を引き継ぐ。この違いが学びの平等を阻害してきた歴史もある。何も個人の適不適ばかりではない。

だから学問につとめられるなら既にそこは始まりの場所ではない。始まって相当経った時の、選抜された後の物語になる。そこで自由や平等を持ち出しても詭弁だ。その意味でこれは相当に巧妙に隠された特定の層を狙ったフィクションと考えるべきだ。

確かに明治という時代は最貧からでも学校に行き学ぶ事を可能とした。その点では江戸時代よりも遥かにダイナミックである。そのような時代を生きるにあって、人々に学ぶ価値を周知する事は格好の宣伝だったのである。

身分

江戸幕府の終焉が大きな価値転換を人々に要請した時に、指針を表明したひとつが「学問のすすめ」になる。

旧身分は廃止され、国家の概念が変わった。学問の体系も刷新され、西洋から輸入する時代に、遠く明日香を思った人もいたであろう。隋から様々なものを導入したのと同様の大変革に直面して、これから国が変わってゆく。

では聞こう、どこまでが同じで、どこから異なるのか。我々はどの方向に向かって歩むべきか。

かつて聖徳太子らが、律令制度と仏教を取り込もうと努めた。では明治は何に努めるか。西洋の技術である。その裏付けとなる科学である。それを発展させた背後にある統治システムおよびその思想である、乃ち法治主義、民主主義、立憲君主制である。

新しい時代を人はどのように考えればよいか、その為に立ち止まる。その結果として導かれたものは江戸幕府と明治政府とで異なる明瞭な点がある。即ち仕事が世襲でなくなる。特に官僚組織としての武士は廃止された。

これまでの身分は役に立たなくなった。侍を廃業した後に何をもって四民の独立独歩を実現するか。これまでのように精神修養をしていれば扶持をもらえて食べていける時代ではなくなった。

武士も農民も商人も職人も同じ。全ての人に風が吹いている。これまでとは違う風が。

どのような指針なら食って行けるだろうか。生活をどう変えて行けば暮らしが成り立つだろうか。雇用の提供は政府の最大の業務である。

本当に大切なものが変わる筈がない。しかし、所作は変える必要があろう。これまでと同じ生活はない。特に都市部では。我々は単に主君を変えたのではない。

官僚

武士の世が終わった、これからは新しい官が求められる。政府は何を求めているか。

武士とは徳川時代の官僚である。家を中心に子弟を教育した。だから家の存続がとても大切な価値観になる。教育の根本に朱子学があり、それによって統治の思想を磨き抜いた。その官僚が全員解雇されたのが明治維新という事件になる。

それがなぜ一般の民衆にまで影響するのか。それは誰もに官僚となる道を開いたから。政府は広く人材を募集した。

これまでのように出自ではもう選ばない。維新を生き抜いた人達の慧眼に叶う者たちが必要で、そのために官営の学校を設立した。

新しい産業が新しい労働を必要とした。それまでの第一次産業を基盤とした経済体制が、第二次産業の経済へと切り替わってゆく。

それが西洋化の正体。工業国となる事、その為の人材を国中から搔き集める。工業は科学の裏付けなく成立しない。

農村と都市。緩やかに、しかし確実に社会に自由が浸透してゆく。貧しい日本ではまだ職業選択の自由が叶う状況はない。否応なく過酷な仕事に従事した人も居る。

恐らく多くの人は農家を継ぐ。工業の力はまだ弱く、多くの労働者を維持する体制にはない。まだ農業が国家の基本である。食の安定なく何の富国であるか。

それでも、新しい時代と古い時代は交差しつつ、少しずつ置き換わってゆく。

平等

人は平等である。それなのに貧富の差が生まれるのは実学の上手下手があるからだ。学問で差が出るとは、つまりは実学で差が出るという意味だ。

なぜ実学だけで差が生まれると言えるのか、出来る訳がない。人間は実学だけが属性でもない。出自も地域も生まれも育ちも大いに異なる。

だが、平等という考え方があるから上下を付ける事ができた。その上下を付ける為に学問が使えた。目指すのは平等ではないのである。平等から初めて平等で無くしてゆく道筋を説く。それは理想ではない。選抜はが起きる避けえないと語る。

その時点で既に平等とは彼にとっての絵空事なのである。マルクスが目指した夢の世界、理想の追求など思いもよらなかったであろう。

明治は一斉に全員が同じ所からスタートした時代である。そこで何を提供するか、考えた末が学問のすすめではないのである。

生活が変わるとは社会の経済構造が変わるという事だ。変わるのは世襲を変えたからだ。それに応じて体制も組みなおさなければならない。

人はこれからは実学によって稼ぐ。その時に使えるものが学問である、そう断じる。なぜなら私は大学を経営しているから。

木戸孝允は「決して今日の人、米欧諸州の人と異なることなし。ただ学不学にあるのみ」と語ったとアマルティア・センが語った、と書かれている。

明治の学とは科学の事である。科学とは要は大砲を遠くの飛ばす仕組みと裏付けの事であり、これが実学である。この実学の追求が最後に結実したものが戦艦大和であり、その沈没が明治の実学の結論となった。

日本は工学でアメリカに負けた。しかし、負けたのは工学だけではない。その背景にはとても大きな問題が横たわっている。それを明治の元勲たちに求めるのは明らかに過剰であろう。

その後継者たちに求めるのも行き過ぎと思える。これらは今の時代の宿題と受け止めるべきだし、それが叶わないなら次世代に渡してゆくしかないと考える。

求めるべきは別にこの国の未来でも繁栄でもない。西郷隆盛でさえ"その為"ならこの国を焼き尽くして構わないと語った、その何かである。

輸入

現在の経済学者は労働による所得では、資産投資による利益は超えられないと指摘する。遺産を継ぐ事で生じる富の蓄積は何らかの圧力がない限り、増大する一方と言う。社会改革、経済構造、自然環境の変異以外では変わらないと。

それが江戸幕府を支えた家制度が長く続いた理由だろう。王、貴族など資産の蓄積が中世までの社会を形づくった。それが変わった理由は、市場の形成が関係すると考える。

貴族が中心となって動かす市場よりも多数の市民が参加する市場の方が巨大である。貴族という農業中心の経済よりも都市という工業中心の経済の方が強力である。

福沢は、この変革期にいち早く新しい指針を打ち出した人である。江戸幕府と明治政府を分けるもの、社会の原理が変わった、その背景を江戸幕府とアメリカ民主制の比較から始めた。

彼は最も早く海外の思想を輸入した一人である。先んじて学ぶ事が何時でのこの国ではオリジナリティとなる。輸入し咀嚼し吐き出す、これが聖徳太子以来のこの国の最先端の方法である。

仏教も儒教もそうして国内に行き渡り長い時間をかけて独自性を発揮してきた。それは長い時間を掛けて穿ち、磨き、耐えて、残ったものである。それらがこの国のらしさを形成した。残ったものもあれば廃れたものもある。法体系としての律令は残らなかった。

明治政府は、元勲を生み貴族制を導入した。そこに市民との間に差が生まれる。決して万人平等を目指した国家ではない。ひとえに軍が人数を必要とした。家制度のままでは必要な兵士が用意できない。明治とは戦争のやり方が変わったという意味である。

価値

新しい価値が生まれた、家の格式ではない。人は能力によって採用される。もう出自で採用される事はない。

福沢諭吉は勉学を掲げる。学ぶ事は平等である、そう訴える。よって学び方で成果に不平等が生まれるのは当然だ。同じ料理を習っても作ってみれば美味不味いがある。

この平等という価値を、平民という価値と重ね、不平等を甘受する為の方便として使う。平等な所から出発したのだから結果としての不平等は受け入れなさい、その原因はただ学問が足りなかったからだ。だから熱心に学ぶべきなのだと。

勿論、これは人々を欺くための言葉でありここに論理性はない。結果としての不平等が本当に能力だけで決まっているのか。学ぶ事は本当に誰にとっても平等であったか。そんな訳はない。

結果は総力戦であるからあらゆるものが投入されている。当人の能力は部分に過ぎない、詐欺師は巧みに真実を語る、全体と部分を手品のように置き換えてみせる。

主従が逆なのである。これまで身分や出自で階級が決まっていた。当人の能力や努力によって引き立てられる事例も各地であったにせよ、大部分が出自で決まっていた。生まれた時に人生がほぼ決まる事は不幸であるか?恐らく大部分の人にとってはそうでもなかったろう。

学ぶべきものを親から子に伝える、それで十分に生きて行ける世界があった。そのような世界でも、古い人は今の若い者はと嘆き、新しい人は今はもうそういう時代ではないのですよと諭した。

現在から見れば理不尽な面はある。しかしその時代の資源に見合った形で最適化していたとも言えるものである。理不尽さは形を変えて現在でも消えた訳ではない。

明治の生活

明治は、身分や出自ではなく、学力で階級を決める。階級の決め方が変わったのだから、それに即した生き方がある。

これは、住居の自由、職業の自由が与えられた事に対する答えであろう。明治という世の自由は、新しく人々に選択を強制した。今まで通りに生まれた場所でその家で生きてゆく事は次第に難しくなるだろう。

それでも出自の差は依存と残っている。確かに明治の世から貧しい家からでも軍学校に進む選択肢が増えた。しかし伯爵家に生まれた者にもその選択肢はある。彼らに決断は必要ない。より多くの選ぶ道があるから。選択肢は確かに増えた。しかし勉学する自由は昔も今もある。そう簡単に過去が変わってたまるか。

依然として学問ではない。出自により公平な学問の機会が異なる。ならば国家として可能なのは最低限の学問の機会の確保となる。最低限でもそれがある事と完全に道が閉ざされている事は違うから。

これは当時の状況でのほんの少しの希望であったろう。それだけでも大きく変えたという自負があると感じられるのである。もし今も状況が同じならそれは明治より後退しているのである。

福沢諭吉は語る。我が大学に入りなさい、学問があなたの未来を変えるから。

学問

明治が輸入した最大のものは資本主義であろう。富の追求が明治維新の神髄と福沢諭吉は喝破した。

所が貧しい者たちには学問しか逆転のオプションがない。これが学問のすすめの説く所だ。だから持つ者たちが手にしているオプションは隠されている。この本は持たざる者たちへの啓蒙である。

書いてあるのは決して学問のすすめではない。実学のすすめである。学問と呼ぶよりも技術である。だからなぜ学問をすれば上手くこなせるようになるかのメカニズムは書かれていない。学問が必要だと説く。もし学問が世の中を生きるのに役に立つものならなぜ儒学者たちは台頭しなかったのか。

学問に第一等の価値を見出した。しかし学問がどう役立つかの説明はない。西洋の知識を取り込む事を学問と呼ぶ。孔子の思想を学ぶ事は今後は学問とは呼ばない。そう決めた。これからは西洋の知識が重宝されると言っただけである。

明治を生きる為に実学を中心に据える。明治の人々は西洋の学問の本質を実学と見た。それを多くの人に伝えるのにどうするか。これまでの学問とは違うのだから伝える為に何から書くのが良いか。

平等である。平民という立場である。この平民が国の礎となる。この人たちが何を学ぶかで国の行く末が変わる。彼が見つけたのはこの膨大な市場であった。国家という概念はこれを統一的に結び付けるのにそして裏付けとするのにとても便利な概念であった。

古来の学問とは異なる学問体系がある。近代国家はこの学問に根差して運用されてゆく。福沢は誰よりも早くこの本音を語ろうとした。

彼は真っ先に扉を開けた一人である。扉を開けた者は開けた瞬間には最先端に立つ。しかし扉を踏み越えた瞬間から時代遅れになる。最初に開けた者にも、間違いも思い込みも沢山ある。それは批判の対象ではない。

その誤解こそがこの扉を開けるのに必要不可欠だったのかも知れないのだ。それがなければ今も開いていない扉かも知れないのだ。

縁故

とはいえ、今から振り返れば、明治の思想の中に、あの戦争へと至る真っ直ぐな道が敷き詰められている。あの戦争から過去を振りかえる時、維新までの道がはっきりとある。

ならば他の道はありえなかったのか。明治の時にそうなる事は避けえなかったのか。いや、そうではあるまい。維新の扉を開ければ、古い時代へと揺ぎ無い道がやはり続いているであろう。

この国の実学は、凡そこの国古来からのやり方であって、我々は思想や理念よりも先に組織に立ち戻る。そこを阿吽の呼吸で理解しあえる関係が築く。そこには組織論さえ必要としない。

福沢諭吉には尊王にも攘夷にも惑う事なく、真っ直ぐに西洋語へと進んだ道がある。長崎で西洋技術に触れた為であろうか、中津に生まれた偶然が大きく効いたのであろうか。三浦梅園らを生んだ豊後に生まれた事も何かではあるだろう。

勿論、この時期の日本では同じような動きが全国各地で勃興していた。どの場所でも多くの人材が育った。人々は既に新しい時代に進む準備が出来ていた。蛹が今にも割れようとしていた。

福沢諭吉は彼なりの方法で古い階級を追い出した。その結果として新しい階級を組み立てた。決して自由平等というものを夢想した人ではない。階級を当然とした人である。

階級の入れ替えが勉学によって可能になった。勿論、江戸時代にも二宮尊徳の例がある。これは明治以降も良いサンプルとなった。しかし実際は縁故が物を言う。

人間は元来平等と言われるが、実際はそうではない。まず家族が最優先である。共同体がありコミュニティがある。階級の上に立ちたければ、学問を使え。その為には慶應義塾に来なさい。ここで実学を学べば、私が取り上げるから。この学閥は今も生きている。

明治以後

岩村精一郎の頑迷、日清戦争への暴走、日比谷焼打事件の蒙昧、明治の早い時期に昭和の敗北へと繋がる道がある。その問題が訂正される事はなく、摘み取られる事もなく、ひたむきに大輪を咲かすかのように次の戦争へ次の戦争へと向かっていった。そして散った。

明治の国民は決して豊かではなかった。三笠を買う為に多くの人が重税に苦しみ貧困の中を生きた。それでも人々は建国への参加に誇りをもち、請われれば兵士となり、海を渡った。

足尾銅山で苦しんだ人々も、また近代化の礎であろう。富岡製糸場で苦しんだ労働者も国益のため犠牲を捧げた。そうした中で西洋化に向けて独立という目標を立てて日露戦争が完成する。それまで苦しんできた民衆の苦しみは無駄ではなかったのである。

しかし、その後もこの国の貧困と格差は改善されなかった。貧しさは見過ごされた。既得権益は強固に貴族の独占となり世襲が日本を覆いつくした。その結果が515,226へと真っ直ぐに向かう。犬養毅に銃を向ける時、随分と綺麗な服を着ておりますなぁとしか思わなかった筈である。昭和大恐慌はその切っ掛けに過ぎない。どこにも分水嶺はない。

明治から515,226までが一直線であり、クーデターからたった10年で日本は世界を相手に戦争を始めるのである。明治の成功の中で既に滅亡への計画書にもサインしていた。我々にはそれを回避する知恵も知識もなかった。現在もこの道を変えるものは見つかっていない。

誰がもういちどやり直した所で、大きく違う結果は得られないであろう。

松陰

松陰が述べた攘夷という思想がなければ明治維新は成立しなかった。この国で誰も新しい王を目指さなかったのは攘夷という国学で培った純化があったからだと思う。その理念の上に開国という花が咲く。

狂により多くの若者を育てた松陰である。だが彼は決して自分の考えを他人に強制する人ではなかったと思う。恐らくお願いさえしていない。常に自主独立の道を、いつも彼は彼の道を歩いた。

だが長州藩の志士の多くは目先の金の工面に駆けずり回っていたのである。そうしなければ何も先に進まない。弾丸のひとつさえ買わなければ得られない。西南戦争で薩軍は銃弾を自分たちで作らねばならなかったる。近代以降、工業の裏付けのない軍が勝てる道理がない。

経世済民

国力とは経済である。経済を制するには実学を採用する。だが個々の技術では足りない。福沢もまたエンジニアリングの人であろう。彼は社会を工学しようとしと試みた。

実学という技術に走る事は、最後は戦争を意味する。1980年代に、日本が世界一の経済を手にした時、何ひとつ、未来の姿を思いつかなかった。世界を支配するという狂った野心さえ持たなかったのである。それが実学の結論である。理念なき実学は空虚ではないか。

現在はこの国は実学さえ失いつつある。何かの底が抜けてしまって。それでも我々は今も実学を頼りに進もうとしている。

百年先の利益よりも目先の最大利潤を目指す。これが人類が辿り着いた結論であり、実学の極致でもある。これを否定する方法論はこの世界になく大量生産・大量消費に打ち勝つ経済システムは未だ開発できていない。

自然の流れに逆らって経済が動く事はない。では大量消費を支えるものは何か、恐らく広告である。不特定多数を相手に広告を展開する限り、経済は大量生産、大量消費に向かう。これを変えるにはAIによる個別の広告展開しかないだろう。

資源が無限である限り、大量消費する経済モデルは完全に正しい。実学もこの仮定の上では正しい。そして多くの生物が繰り返してきたように、永久を前提とするシステムは資源の枯渇により絶滅に辿り着くのである。

今も転換期である。世界は安定して不変のまま不安定に変化する。これを実学だけで乗り切るには不足している、何故なら実学とは反応系の所作だからだ。

もし我々が明治の実学に郷愁を持ち、その時代に戻りたいと願うのなら、それは我々が未来の理想を持たないからだ。

2024年7月1日月曜日

頭蓋骨の進化論

魚類の骨格は、背骨から頭蓋骨へと繋がり、その延長線上の両側に目がある。カエル、トカゲも同様であって、背骨と目を繋ぐ線は地面と並行しており、背骨と並行する様に口もある。よって下あごと背骨は同じ方向にあり地面と平行している。

鳥の場合は、首が地面から垂直であるが、頭蓋骨と繋がる直前で地面と並行するように大きく湾曲している。この点で言えば、そのまま伸ばせばトカゲと同様の構造になる。

象の背骨も地面には水平で、その先にある頭蓋骨は上下に伸びて目の位置は、背骨より下であるが、平行の概念からはそう離れていない。

前に長くできず下方向に伸ばして目、鼻、口を収容したのは、顔の重さに起因するだろう。

それでもあれほどの重さを首の端にちょんと乗せて水平方向で首が支えている。その強靭さはどうやって可能としているのか。人間が肩こりするなど象の前では恥ずかしくて言えないと思う。

鯨は水中に入る事で脳の巨大化を可能とした。頭蓋骨は流線形を形成し、目は顔の横に配置した。

犬や猫などは水平よりは斜めに首が付いており頭蓋骨と繋がっている。馬、キリンなど首の長い哺乳類は、ほぼ90度の角度で接続しているが、それらは頭蓋骨の端にあって、その繋がり方の曲線上に延長線を引くと、その先に目があり口があるという感じで、構造はトカゲなどほぼ同等と見做せそうである。

首が長いのは遠景を見る為であり、首が上に延びる以上は、頭を曲げないといけない。首が延長した方向のままだと空しか見えないからである。だからこれらの動物の頭蓋骨は曲げておく必要がある。トカゲで言えば、崖の下を見る時に首を下に曲げた姿勢をしている。

猿の仲間も、首に対して頭蓋骨は90度に近い接続をしている。これは首が上に伸びたからではなく、背骨が骨盤から先で垂直に近くなった事に起因する。

樹上生活に適用し、座る生活が多用された結果、背骨が鉛直方向の姿勢になった。背骨が地面に垂直なのは、樹木にへばりつく生活に変わったからだろう。地面ではなく樹木に対して背骨が水平であろうとした。樹上生活が普通になると、木が地面に垂直だから、猿の姿勢も垂直になった。

チンパンジーやゴリラなどは、歩く時も背骨が斜めの状態を維持する。その為に手を長くした。その点で四足歩行の猿とは違うと思われる。

人間の場合、二足歩行が進み背骨がまっすぐ立つのに合わせて頭蓋骨を背骨に上に乗せるように取り付けたと考えられる。そうしないと頭のバランスが悪くなる。頭の位置エネルギーを上手に使って動くが、制御できるバランスの悪さでないと二足歩行が上手く安定して機能しない。それでは狩りをするにも逃げるにも不利だろう。

人間が背骨を地面に並行にした場合、例えばハイハイ、素直な姿勢を取れば、顔は下を向く。顔を前に向けるには首を上げなければならない。この姿勢は極めて不自然である。

下を向いた姿勢が他の動物と同様のデフォルトだとすると、何故その姿勢では前が見える様になっていないのか。その姿勢のままでも前が見えるようになっているべきであろう。

その為には、頭頂部あたりに眼窩があり、今の顔がある辺りには下顎があって咀嚼部が形成されている筈である。草食動物なら両耳の辺りに目があって、耳はその後ろにあるべきである。

つまり、人間は自然の姿勢に対して、目が下がった位置にある。犬の骨格で言えば、顎の所に目がある。首の付け根に下に向けて口がある。

この不自然な目と口の位置は、どうして生まれたのか。脳が大きくなる過程で、目がそこに追いやられたからだと考える。

脳が巨大化する時に目を追いやる方向は様々の筈である。進化は特に位置を指定しない筈だから。

例えば犬の頭蓋骨をモデルに頭を大きくすると考えてみる。すると眼窩は今よりも前に出るだろう。目は前に出るけれど、鼻腔の空間は維持したいから、更に口も前に出るか、下に逃がすしかない。そで口が随分と違った所に移動する。

犬の強力な顎も消したくないなら、顎の筋肉は頭蓋骨周りに張り付くのだけれど、顔の形状は球形に近くなりそうな気がする。例えばブルドックのような。そこから鼻と顎を前に伸ばす感じ、であろうか。

人の場合も、そのような形成は可能だった筈である。脳が大きくなっても、目をそのまま前に追いやる事も可能だった筈だ。その結果として、今の人間の頭頂部に目がある形でも不思議はなかった。

しかし、二足歩行で頭頂部に目があるのは空しか見えないので少々困りそうである。空にしか天敵がいない星なら在り得える。

頭頂の目で頑張ってカメレオンのように前後左右を見れるようにしたとしても神経の通し方は難しそうだし、直ぐ傷ついて失明しそうだし、目の下にある脳をどう頑丈に守るのか、とても工夫が必要そうである。

そこで、成長する脳は、目を顔の下に追いやる事にした。長くはしない、位置を動かす。目に押されて鼻も口も下に移動させる。顔を長方体と見做せば、前にあった目を下の辺の方に移動する。

それまで口があった面に目や鼻を配置する。その分、口は下に追いやられる。それまで横にあったものが縦になったので、口は短くなる。



それでも脳を大きくしたいという進化圧が勝利したら、最終的には、人間は下しか見れない頭蓋骨を持つ。これは不便だ。



つまり、二足歩行になったから、背骨に対して垂直に頭蓋骨を乗せたのではなく、脳が発達したから、前を見る為には首を上げるしかなかった、その為には二足歩行にするしかなかったと考える事ができる。

原因と結果は逆転できると思える。