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2024年12月19日木曜日

十七条憲法第一条義疏

一に曰く
やわらぎを以て貴しと為し。さかふること無きを宗とせよ。人皆たむら有り、またさとれる者は少なし。

或いは君父くんぷしたがわず、また隣里りんりに違う。

然れども、かみやわらしもむつびて、事をあげつらうにかなうときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

短く

一に曰く

を以て貴しとなし。人党有り、覚れる者少なし。君父に従わず、隣里に違う。然れども、論じかなうとき、理通ず。

相互理解を最上とする。異論の排除がない事を宗とする。人には皆所属あり、全てを俯瞰できる人はいない。

各人、組織に逆らい、思惑に従い動く。

それでも、聞く時は真摯に語りやすき工夫をし、語る時には温和に聞きやすき工夫をし、道理を整理し根拠を尽くすならば、事理は互いに共有され同じ理解へと至るだろう。

乃ち

同じ道理に至るのは話合う事で可能である。しかし人には思惑も感情もある。そこからが難しい。

考えるに

聖徳太子が生涯に読んだ書籍の総数は、現代人が生涯に読む漫画の量よりも圧倒的に少なかった筈である。知識の総量も科学的知識も僅少だった筈である。

だから、その少ない書物を何度も繰り返し、徹底的に読み込んだ筈である。当時の人々は空想も想像も改変も拡張も自分の全てを投入し化学反応を起こさせ自分自身を作用させ、その上で徹底的に深く結晶化したものをそこから取り出そうとした。

一粒の種が巨大な根を生やすかの如き読み方をしていた筈である。

和を理想とする。故に争わないのが良い。全員が従うのが理想である。従順である事。異論で場を荒らさない事。わきまえる、遠慮する、答えを想定しておく事。その上で先読みし根回しをしておけば、自ずと全員が一致団結へと至る。

手段を尽くせば和するのは非常に簡単だ。最悪でも暴力と金銭さえあれば手に入る。それが結局は説得するコストを最小にする。優れた答えがあるなら議論など無用だ、全員がそれに従えばいい。

議論の末に得た結論でも一度決まれば、全員がそれに従う、それと何が違うのか。勿論、違いはある。全員で共有しているならば、常に前提条件を監視できる。物事の推移に応じて、随時微調節できる。

聖徳太子という人は相当に苦労した人であろう。それ程の人が知らなかった筈がない。どれだけ言葉を尽くそうが絶対に分かり合えない事がある。平行線のままならそのうち武力に訴えて解決する道を。

未来に真剣であればある程、引き下がれない事はある。利益が命に直結する事もある。誰が悪いでも間違っているでもない。

未来に答えがあるなら、それは切り開いてみなければ分からない。障害物があるなら取り除くべし。未来に対して真摯であれば誰が引き下がるであろう。

今よりももっと暴力的でもっと知識の共有の少なかった時代に、その難しさを太子が知らなかった筈がない。

現在よりもずっと殺す事が簡単でそれで安寧をもたらすのを良しとしていた時代に生きていた人である。報復も激しかったに違いない。太子は物部氏を滅亡させる戦にも参加した武人である。

彼の考えによれば物部氏と蘇我氏は議論を尽くせば理解しあえたのだろうか。それを模索はしたであろう。しかし、それは叶わなかった。

それが当たり前だった時代に生きた人が「和」という言葉を筆頭の価値として掲げた。

余りに世間知らずであれば、到底だれも顧みないであろう。しかしこの絵空事が斯くも長くこの国では生き永らえている。

さかふること無きを宗とせよ」という言葉に存在する非暴力性。第一条の主張は簡単である。暴力には訴えるな、語り尽くせ。

恐らく、それは絵空事なのである。それは無理だろう?誰もがそのように内心は思っていた筈である。だが、太子に問われればその理想を前に反論できなかった瞬間があったに違いない。

決断をした時に、それでも止む無しの言葉を引きずり出す事ができる。その力を太子が信じたのだとすれば。それをこの国の根幹に据えたのだとすれば。

理想

もちろん、理想は入口である。出発点でしかない。その先の道は未知である。

理想を掲げる、そこから始めなければ駄目だ。そうでなければ何事も失敗する。この場合の失敗とは何か。理想に対しての失敗である。

理想がないなら全てが成功に終わる。比較するものがないのだから。理想がないとは失敗がなくなるという意味だ。

よって、どのような成果であろうと理想と比較すれば必ず失敗に終わる。どんな完璧でも結果は常に失敗であるべきなのだ。そうする事で初めて人は永遠に到達できない永続性が手に入るのだ。人は失敗する事が出来るべきなのだ。

聖徳太子は人材の登用を重視した。この場所から、溢れるような登用が始まったと想像できる。ならば何らかの学校も設立したのではないか。そのテキストだったのではないか。

太子は国家を目指した。それは中國を参考にしたもので、そこにオリジナリティを込めようとした。恐らく中國から見れば相当に幼稚であったに違いない。

それでも、これこそがこの国にとっては大仕事であった。それを開始した。理想を掲げたから彼の仕事は百年先までも残る道筋となった。

当時の海千山千の猛者たちを相手に憲法がどれほどの力を持ち得たか。覚束ない。闘争は心構えでどうこうなるものではない。それでも推古天皇の30年の治世(593-622)で蘇我馬子と共に政治を取りまわした。

蘇我馬子は聖徳太子の方法論を相当に気に入っていたのだと思う。二人の関係性には空想力を働かせられる余地がある。

馬子はずっと太子が好きだったろうし、太子はずっと馬子から学んだと思う。少なくとも蘇我氏の権勢があれほど巨大になっていたにも係わらず、馬子と太子は良い関係であったと信じられる。

議論

宮本常一の著作に議論でとことん解決する村の話がある。長老たちが集まり、何夜もかけて話し合い、合議に至るまで徹底的に話し合う。これが本来の議論の姿だ。この姿勢の十七条憲法第一条になんと忠実か。ヤノマミの長老たちもよく話し合うと書いてあった。

話合いでは、互いに何ら遠慮もなく思いやりも思惑もなく、ほぼ完全に理解したと信じられる所に至り、そこで合意を得る。この討論の力を活用するのが民主主義の基本設計ではないか。

民主主義では議論をとことん語り尽くすのを手段とする。何人でも何日でも繰り返し繰り返し疑問点を全て洗い出し、互いの考えを表明し、機序を列挙し、その結果として、ひとつの認識を共有する。

そうする事で到達する結論がある。あらゆる考えを網羅し、その中から選択してゆく仕組みがある。

だが、この理想は太古ギリシャ時代には早々と放棄された。

何故か。

人が増えすぎたから。

村から町へ、町から都市へと発展してゆけば、徹底した話合いは難しくなる。人々の組み合わせが乗数的に増加してゆくから。

理想は少人数だから可能だったのである。互いに寄りそう気持ちがあるだけではどうしようもない。人の増加にともない話合いは物理的制約からほぼ不可能である。

人口の過多は、人々の居住区の距離も離してゆく。そのような状況で話合いを丁寧にすると、人間の生命の時間を直ぐに超えてしまう。我々の寿命がもっと長ければ、話し合いで物事を決める民主主義は今も成立していたであろう。

人間は短命族である。この生物学的特徴から議論はどこかで打ち切る必要がある。ではどのように打ち切るのか、いつ打ち切るのか、ここに民主主義の要諦がある。

多数決

民主主義の理想である話し合いは、人間の知恵が放出される恐らくは最も期待の出来る機会であって、解決に向けて問題の解決に最も近づく事が出来る手法である。

この手法が最も優れていると民主主義者は信じているのだが、その代わりに話し合いには莫大な時間が掛かるという欠点がある。

だから拙速を民主主義者は放棄している。リスクとしての遅延は受け入れる。それでも手遅れとならないと信じられるのは市民の強靭さを信じるからである。

そう簡単に滅びる筈がない。その期限を多くの制度が4年としている。

それだけの時間があれば、例え間違いがあっても、それを訂正し、方針転換をする事が可能だろうと想定する。その為には多様である方が望ましい。100の言論では見つからなくとも1000ならば出てくるかも知れない。故に言論の自由を保障する。

それでも時間的制約は議論を途中で打ち切る事を求める。ではどのように打ち切るのか、その結果として何を結論とするか。

結論

理想で言うなら、極力、途中で打ち切った結論は最後まで議論したものと一致する事が望ましい。とはいえ、途中で打ち切る限りは必ずとは言えない。また、原理原則に従うなら、一回目と二回目では結論が変わっている可能性がある。

なぜなら状況は刻々と変化しているからである。よって議論を尽くしたとしても常に同じ結論を得られるとは限らない。ならば、途中で打ち切ったものが必ずしも不一致するともいえない。

もし全員で討論を重ね全員一致に至れるのならば、その途中の任意の時点でも、刻々と全員一致に向けて近づいているであろう。その変化が線形的で一方通行的ならば、次第に賛成の多い方へと傾いてゆく。

当然、議論は途中で大逆転する事もあるが、それは時間を制約しても起きうる話である。よって途中で打ち切っても最終的には全員一致と同じ結論を得る事は、決して不可能ではない。

瑕疵

そもそも議論を突き詰めても間違いを犯す可能性があるなら、途中で打ち切らなくとも間違いの可能性には手当をしておく必要がある。

よって途中で議論を打ち切っても、常に間違いを選択したかも知れないという事を前提とするなら、後々に変更可能としておけば、取り戻す事は常に前提としておかなければならない。

よって、問題は時間的制約で結論を得る時に、どのような方法をもって行うかである。全員一致を議論の終点とするならば、途中において打ち切るならば、その時点での賛成数をカウントする事は有力な方法であろう。これが投票と多数決の方法である。

例えば、議論をする者と投票する者を分ける方法があってもよいし、議論する者と投票する者が同一であってもよい。いずれにしろ多数決という方法論は可能性としては有り得る。

確かに多数決は民主主義の本道ではない。しかし、十分に近似する事は可能な制度ではある。

投票

最初に投票を採用した人たち(太古のギリシャ人よりも古い時代?)はどういう気持ちであったろう。忸怩たる気持ちだったと思う。なんと乱暴な決め方だ。

全員参加を諦めて代表者だけの討論で議論は尽くせるのだろうか。そのうちに、代表者たちは勝手気儘に議論を進めるに違いない。代表者は何より己の利益を優先するようになるだろう。

話合いで解決を目指すのが民主主義の理想なのに、それを打ち切ろうとは。話合いの途中で結論を出すとは何と乱暴な方法だ。その乱暴さが許せるなら、そのうち、暴力で説得する事も可能となろう。

代表者になってみればはっきりするが、優越感が得られる。権勢が芽吹く。偉くなったから偉いに切り替わる。代表者は極めて強力な誘惑である。自分自身を隠し通す事は難しい。

民意

もしここに民意というものがあるとして。代表者は民意を満たす存在だろうか。民意が全員で議論して得られた結論と一致するもの、とは言えない。投票結果を民意と呼ぶのだから、これは多数決であるし、全員一致の結果でもない。

投票結果を民意と呼ぶ事で何かを言った気になっている。これは考える事を辞めたに等しい。投票は議論を尽くした状態からは遠い。投票は個々人が個人の考えに基づいて決定したものを持ち寄った結果だ。

通常は、議論の始まりの場所だ。所が投票はそこを結論とする。とてもではないが投票行動は民主主義を満たさない。所が議論の始まる場所を結論と呼び、それを民意と名付けた。

凡そ、それを民意と呼ぶから人々は安心できたのである。この結果は正当な手続きを踏んで得られたものであるから正当であると。その結果として選んだ者には責任を、負けた者には従う根拠を。どこに議論の末の合意があるか。

民主主義から民意という概念は生まれない。有り得ないものを問う事は出来ない。

手続きを正当とする根拠が必要だった。だから投票行動に託した思いをその集合を民意と呼んだ。対話などいらない。市民の思いを風として代表者は政治を行うのだ。間抜けか。

政治

人が思惑を持てば政治と化す。その瞬間から議論は分かり合う方法から、相手を説得する技術に変わる。欲しいのは議論ではない。重要なのは交渉である。

こうして投票行動は、民主主義を別のものに変えてゆく。だが一度この方法論を採用すればこれが民主主義だと主張し始める。民主主義とは圧倒する数で交渉し相手を屈服させる手段だ。それが勝者を決めるシステムだ。

民主主義においては投票権が唯一の権利である。それ以外の権利は他の政体にもある。投票だけが民主主義でしか得られない権利である。

革命

投票も多数決も、なぜ民主主義の政体では正当と見做す事が可能なのか。民主主義の理想から言えば相当に乱暴な方法である。これらの方法の正当性はまだ証明されてもいない。

多人数は民主主義の物理的制約から話し合いを打ち切る手法である。全員参加は難しいから代表者を選ぶ。

この投票システムは最初から間違いが起きやすかった。太古ギリシャ人たちはそれに苦労した。陶片追放という制度も整えた。有能な人材を登用しながら如何に独裁や帝政を排除するか、これに悩む事は議論を尽くすよりも余程民主主義の関心毎となった。

政治に腐敗は避けえない。人にエゴは消せない。そのエゴさえその殆どは家族への愛情である。王政は世襲をもって制度を刷新する。王を討つ事でも代替わりは成立する。民主主義にも腐敗を防ぐ安全弁は必要だ。

民主主義は投票によって為政者を交代できる仕組みである。為政者には期限を切り、統治時間を制限する。これは世襲よりも余程短い時間軸で政体を変えてゆくダイナミクスの実現である。

なぜ時間で区切るのが正当か。それはなぜ定期的に市民は投票をしなければならないかという話でもある。それは政体が変わる事は革命が起きたのと同じだから。

民主主義は革命を内包させた。それを定期的に起こす。それによって、王を定期的に追い出す。

優れた王も老いて暴君にもなる。名君の子が優れているとは限らない。何世紀も人々は暴君を駆逐するのに苦労してきた。最初から駆逐する前提にしておけばよい。どのような善政も時間がくれば革命が起きる。そして追い出せる。

投票とは革命である。それを多数決で決める。革命という暴力が背後にあるから議論は途中で打ち切れる。代表者の話合いで決着するのも受け入れられる。どちらも次の革命でキャンセル可能だ。

投票は革命への参加者を募る行為に等しい。その結果として頭数が多い方が勝利する。戦術の魔術師がどちらの陣営に付こうが頭数の前で逆転はない。

これを敷衍するなら、民主主義の中には常に暴力革命がある。もし投票で決着しなければ暴力支配にエスカレーションする可能性が常にある。だが、それはどの体制でも同様である。

二階からの景色

よって、投票も民主主義の方法論ではない。選挙は民主主義の本質ではない。民主主義の理念に革命はない。

民主主義は議論を求める。その結果としての理解と合意である。だから原理的に革命が起きる筈がない。

民主主義には議論を尽くせ以外の何も掲げない。所が、人類の人口が増加したのに伴い、これが満たせなくなった。その代替として多くの試行錯誤の後に投票と代表に落ち着いた。

これらの方法は、確かに現実的だが、民主主義の理念を根本では否定している。それでも、この方法なら近似値を求める事は可能だ。

この近似可能と言う点だけでこの方法を採用している。可能性に託す、成る程、これは民主主義だ。

どうせ議論を尽くせないなら、間違いを訂正する仕組みが必要だ。それが革命だ。革命は議論は尽くせない運営を前提としている。議論を尽くす可能性を否定はしないが絶対ではない。

革命は民主主義を生き永らえさせる運用の一形態になっている。選挙という革命を内包する事で、非暴力で民主主義は権力の移行を実現している。

選挙に負けた側が暴力的に政権を乗っ取る事は常に可能である。大衆を扇動して選挙を操作する事も可能である。もう少しスマートに投票結果を改竄する事も可能である。

民主制を利用し王政まはた独裁制へ移行する事も可能である。どのような政体も憲法を新しく書き換える事で正当性を得る。現代社会におけるあらゆる国家で、正当性を得る唯一の手段が憲法なのである。

如何なる政体も警察と軍が支持すれば勝利する。これほど銃器が発達した現在では市民の側に政府と対抗する武力はない。不均衡なのである。だからアメリカは市民が携帯する銃を規制できない。

警察も軍も市民ではない。少なくとも市民という機能の実装ではない。以下にクーデターを抑え込むか、如何に独裁制を封じ込めるか。

議論を尽くすのが民主主義という家屋の一階である。そこから二階に上がれば多数決や選挙や独裁がある。

如何なる方法でも近似する事は可能だ。この可能性に全てを賭けている。故に、民主主義は二階から崩れて行く事が最初から決まっているのである。そこを間違えれば民主主義の崩壊はやむなし、それでも構わないと定義する。

二階の家屋が持ちこたえるかどうか、民主主義では怪しい。だが例え二階が倒壊しても構わない。一階にある議論を尽くせという基礎だけは、何万年後の世界でも通用する、この硬い信念さえ残っていれば。

技術的にも思想的にも二階は何度も崩れ構築されてきた。より優れた方法を目指して各国は今日も改修を繰り返している。

倒壊してももう一度、一階を基礎にして二階家屋を新しく建て直す。太古ギリシャから、その前から、ずうっとそうやって人々は民主主義は幾度も幾度も改築と再生を繰り返してきた。

言の葉

何時の時代も、話し合いで解決する事が最善であろう。それは知識の共有と交換によってなされる。勿論、言葉にも暴力性はある。それは言葉の背景に何があるかによって決まる。

言葉の背景に潜むもの、どんな思惑であれ愛であれ、それは決して言葉の力ではない。それで人の心を動かす事は決して言の葉の力ではない。確かに人の心を種としたから心が通じ動いたのであろう。

だがそれを言葉の活力と見做すべきものか。言葉は決してそのようなものの通り道ではない。

そういう利用に言葉を使うべきとは思えない。民主主義を維持したければ言葉を使う事だ、心の入り込む余地はない。

言葉は心の道具ではない。石や木々のようにある。言葉が最初にある。心はその後だ。

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