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2014年11月8日土曜日

風立ちぬ I - 宮崎駿

「風立ちぬ」予告を観て。



飛行機のエンジンが動く。そこに少年が乗り込む。

飛行機が飛ぶ、親指のない手袋みたいな翼。

絵を描いている少女。モネの日傘を差す女。


飛行機の羽、普通なら丸くする。なぜ指が4つもあるのか。

作るのも大変だし、空気抵抗も悪い。普通に考えれば。

もちろん知っている。

金属製の飛行機はナウシカでやった。

団扇で飛ぶ飛行機はラピュタでやった。

ほうきも飛ばした。

リアルな飛行機には豚を乗せた。

鳥に変身して飛ぶのも、龍が飛ぶのもやった。

アルバトロスもラムダもやった。

屋根から屋根に人も飛ばした。

翼の上を走るのもやった。

魚の上を走るのもやった。

彼は同じ事を二回もしない。

必ず何かを新しくしようとする。

常に新しいものを探しているのではないか。

この少年の凛とした顔はどうだ。

宮崎駿でよく見る顔だ。

男の子が一人前になる時の顔だ。

パズーが凧の上で見せたのと同じ顔だ。

人の演技は、昔から変わっていないのかな。

クラリスもナウシカもシータも辿ってゆけばラナになる。

クシャナもドーラも辿ってゆけばモンスリーになる。

だけれども、これほど見て来ても、物語は新しい。

人はその状況でどう動くか。

そう言いたいがようだ。

この映画も面白いに違いない。

何が面白いかではない、どう面白いかもでもない。

面白いか面白くないかと言えば必ず面白いに決まっている。

映画を見るという事は、ああ面白かった、と感動で終わる事ではない。

そこが出発点である。

一体、なぜ面白いと感じたのか、この面白さの源泉はどこにあるのか、と問う事である。

そうやって自分の中に何かを見つける。

映画を語るとは自分語りに違わない。



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