「風立ちぬ」予告を観て。
飛行機のエンジンが動く。そこに少年が乗り込む。
飛行機が飛ぶ、親指のない手袋みたいな翼。
絵を描いている少女。モネの日傘を差す女。
飛行機の羽、普通なら丸くする。なぜ指が4つもあるのか。
作るのも大変だし、空気抵抗も悪い。普通に考えれば。
もちろん知っている。
金属製の飛行機はナウシカでやった。
団扇で飛ぶ飛行機はラピュタでやった。
ほうきも飛ばした。
リアルな飛行機には豚を乗せた。
鳥に変身して飛ぶのも、龍が飛ぶのもやった。
アルバトロスもラムダもやった。
屋根から屋根に人も飛ばした。
翼の上を走るのもやった。
魚の上を走るのもやった。
彼は同じ事を二回もしない。
必ず何かを新しくしようとする。
常に新しいものを探しているのではないか。
この少年の凛とした顔はどうだ。
宮崎駿でよく見る顔だ。
男の子が一人前になる時の顔だ。
パズーが凧の上で見せたのと同じ顔だ。
人の演技は、昔から変わっていないのかな。
クラリスもナウシカもシータも辿ってゆけばラナになる。
クシャナもドーラも辿ってゆけばモンスリーになる。
だけれども、これほど見て来ても、物語は新しい。
人はその状況でどう動くか。
そう言いたいがようだ。
この映画も面白いに違いない。
何が面白いかではない、どう面白いかもでもない。
面白いか面白くないかと言えば必ず面白いに決まっている。
映画を見るという事は、ああ面白かった、と感動で終わる事ではない。
そこが出発点である。
一体、なぜ面白いと感じたのか、この面白さの源泉はどこにあるのか、と問う事である。
そうやって自分の中に何かを見つける。
映画を語るとは自分語りに違わない。
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