漫画の1コマや1ページが絵画に等しく、これはどこかに飾って眺めていたいな、という場面がある。
例えば、永井豪のデビルマンの最後の怒りであったり、キャンディキャンディのおちびちゃんしかり。
この巻の最後もまた、まるでミレーの農夫のような気がした。それは長い憎しみや辛い戦争の後に訪れた祈りの絵ようだった。ここに描かれたものは過去に描かれた宗教画と何も変わらないし、宗教を画題とするのに飽き足らず、海岸や睡蓮を描こうとした画家たちと何も変わらない。
この最後の絵と出会うために此処まで来た、そのためにページをめくってきたと確信する。ここで「ほら見てごらんパトラッシュ、あんなに見たかったルーベンスの絵だよ」と言えないのが残念だ。
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