この漫画がいつ書かれたものであるかを僕は知らない。
教授の弟、次郎。幼いころ柳沢家に引き取られ、いまでも父が建てた家を守っている。
養子となった弟が合ったことのない異母兄弟の兄に会いにゆくだけの話し。
そこで交わされる会話が
ははっと笑いあうだけなのだ。
そうですよね
わかりませんよね
そうなんですよ
わかんないんですよ
あはは
あっはっはっ
わかりませんよねー
だが、この漫画はこの時期に描かれたものの中では最も意味があるように思う。
作者がどう考えて描いたかは関係ない。
わからないものを笑いあうというメッセージは、まるで今の状況に対する作者なりの答えの様でそこを面白く感じた。時代を捕まえ、そこに自分の思いを重ね、直接的にではなく、物語の形に仕上げて作品とした。
この作品の背景に、テレビで津波の映像を目の当たりにし、マスコミ報道を見続け、福島第一発電所事故、放射能汚染の混乱を見つめている作者の姿がある。わからないものはある、それをどうすればいいのか、お互いに非難しあっているだけでいいのか。
そんな作者に起きたストーリーを勝手に思い浮かべた。
古典作品の中からどのようなテーマや結論を汲み取っても構わないように、この作品を僕がどう受け取ろうともそれは作者には関係のない話だ。
それでも、誰にも分からないものがあるのだと言う事を目の前にしておきながら、隠蔽、捏造、偽証と連呼する報道や政治家、世論に対して、これは一つの想いなのだと思わずにはいられない。
そう受け取ったのは僕。
そしてこの時期にそれを送り出したのはモーニングのスタッフ。
32巻収録、第221話「悩み上手」
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