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2010年8月23日月曜日

フェルマーの最終定理 - Simon Singh, 青木薫 訳

1993年6月23日の事である。

「その講演は、今世紀でもっとも意義深いものになった。」

フェルマーが余白に書いた定理は、有名な以下の理由から証明を知るものがいなかった。

「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことができない」

この余白はそれを書くには狭すぎる

人口に膾炙しているこのセリフは、数学史に永く書き留められるだろうが、これを使った上手い冗談は以外と難しいのである。

本書は、アンドリュー・ワイルズを中心に配した数学史であり数論史である。本書を読まれたら、本書に登場する数多の数学者の姿に感動されたい。そして、ここには登場しなかった多くの数学者に思いを馳せたし。

例えば、ポアンカレ予想を証明したペレルマンの話とか。

さて、著者が語るとおり、これは「冒険物語」だ。大海原の代わりに、数字の海が舞台だ。驚くなかれ、大海原と言えどもたかが数桁程度の有限だが、数は、無限の世界だ。

数学は宇宙よりも広い。

帆船に乗って剣を振るう変わりに、群論だの、楕円方程式だの第一不完全性定理だのが縦横無尽に飛び交う。どうせ、帆船の動かし方も知らない我々だ。

谷山-志村予想、コリヴァキン-フラッハ法がなんであろうが、冒険の面白さを感じるのにちっとも困らない。

数学の理解を求められても困る。しかし、作者が数学を語るのに苦心したそぶりは見えない。一つ一つの事例を丁寧に言葉にして語り、ピタゴラスの定理を知ろうが知るまいが、知識があやふやな人が読んでも十分に面白いように語る。何故なら面白いを伝えたいから。

数学以外の科学分野ではまず仮説を立てて、実験によってそれを検証する。そして仮説の誤りが示されれば、別の仮設がそれに取って変わる。しかし、数学においては、完全な証明こそがゴールである。一度証明されるということは、永久に証明されることなのだ。

これは序文にあるジョン・リンチの言葉である。

この言葉で僕は数学の正体が飲み込めたような気がした。

数学とは証明する学問なのだ。一度証明されたら、明日、宇宙人が来ようがその証明は揺るがない。

計算できるかどうかはあまり重要ではない、というのは素人の考えなんだろう。計算が先に進まなければ、証明もできない。

数は、新しい式に変化することで新しい姿を現す。だが、その変化が数の本質に新しいものを付け加えたわけではないだろう。数がもともと持っている性質が幾つもの違う顔を見せている。

虚数は、仮定の数として定義されたはずなのに、この世界を記述する物理学の公式に現れる。物理法則を示すのに、虚数を必要とするというのは何んとも不思議な気がする。虚数で示される世界は、本当にこの世界に存在しているのか。この問いは、実数は実際に存在する数で、虚数は実はありえない数だと理解している証左だろうか。

このような道を、2500年以上の長きに渡り生まれてきた人間が旅し次の世代へと引き継いできた。

不運により多くのものを失いながら続いてきたそれらの道程はじいさんやばあさんのまたじいさんやばあさん達の物語として積み重なり一つの結実した証明という実を食すに至る冒険劇となった。まるでギルガメシュ叙事詩のようだ、と言ったら言い過ぎだろうか。

数学を数学史で触れる事は楽しい。抜群に面白い数学者の物語であるから。その彼/彼女が何にもまして証明しようとしたものの面白さの輻射熱を遠くから感じるだけだとしても。補遺から数学の端緒に触れる事もできる。

古代ギリシアから始まる螺旋階段を上りながら下を見たり、上を見たりしながら数論を俯瞰してゆく。

サイモン・シンという人の人間の見方はとてもフェアで尊敬に溢れている。この尊敬する態度こそが本書を一貫して流れる本質であり本書の魅力だと思われる。

この物語には、主役はどこにもいない。最後はアンドリュー・ワイルズの活躍となるが、その偉大さを示す物語ではない。誰ひとりとして脇役たりえない偉大なる数学者たちの物語だ。

これまでの数学者の業績の力を借りながら、ワイルズが証明を成功させる過程を描く。一人の人が歩いている道は一つかもしれない。しかしその一つの道は、幾重にも別れ幾つもの未来への道へと変わってゆく。

それらの道の上をワイルズが歩み、証明への道を辿る。それは猟犬のようであり、迷路のようでもある。そこにあるのは数の本質に過ぎない。証明される前も、証明された後も数はその振る舞いをなにひとつ変える事がない。

また、本書を非常に面白く読めたのは、たぶん、この訳者の力に担う所が大きい。こういう訳は、名訳と褒めておけばいいのかしらん。

訳者のあとがきを読むまで訳者が女性とは夢にも思わなかった。著者が男だからだろうか、そのまま訳者あとがきも男だと思って読んでいたからびっくりした。

同時に訳者あとがきを読むまで、ワイルズが谷山-志村予想を完全に証明したものだと信じ込んでいた。ワイルズは自分の証明に必要な部分を証明しただけで、完全な証明はまた別の話らしい。

この訳者あとがきも、優れた作品というべきであろう。

ここで終わりにしたいと思います。

nが2より大きい自然数(n>2)であれば
Xn+Yn=Zn
を満たす自然数X,Y,Zは存在しない。

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