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2017年6月30日金曜日
日本国憲法 はじめに
日本国憲法は昭和二十一年十一月三日に公布された。
日本国憲法
日本国憲法は非常に良くできていて、その条文を文字通りに理解するだけでは足りない。その背景に誰のどういう思想があるかを知る必要がある。それは義務教育で教えておくべきものだ。
戦後の 70 年間、憲法全文は教えられずに来た。その点ではこれ迄の世代に憲法を改正する権利はない。能力がそもそもない。まず今の子供たちに憲法を教え更にその子供たちに改正を託すべきである。
日本国憲法はとても良くできた思想の集合体であり、条文のそれぞれに起草者たちが託したアルゴリズムを内包している。本憲法を制定した目的は、ひとつには日本国民に向けて憲法とはこういうものだ、民主主義とはこういうものだと啓蒙・教育する意図があった。その次に、こうすれば同じ過ちは繰り返さないはずだという彼らの信条があった。
憲法は全文でひとつのプログラムである。憲法の条文がそれぞれの機能を実装したソースコードにあたる。日本国憲法というソースコードを読めばそれを作った人たちの顔が思い浮かべられる。さらにその背景にあるルソーだのジョン・ロックだのの思想家や独立宣言を起草した人々の顔までもが見えるように作ってある。もちろんバグだってある。これはプログラムだから。
日本国憲法と比べると、帝国憲法は伊藤博文の手作り感があっていいんだけど、プログラムとしては個々の関数はもちろん悪くないんだけど、全体は見えてなかっただろ、おまえ、って感じがある。実装力は凄いんだけど、構想力に不足を感じる。もちろん、最初に作ったものとしてはこれは天才のみに成しえる御業であって、とても良く出来ている。
だから、悪いのは帝国憲法であるとか伊藤博文であるとかよりも、それがまったく改定されなかったことだと思う。プロトタイプにどんな完全を求めていたんだ、という話だ。それを改修できなかった後に続いた者たちの責任が大きい。イデオロギーも社会構造も経済体制も科学技術も大転換する20世紀の初頭に憲法になんら改定が要求されないなど、憲法論がそもそも分かっていなかったと言わざるを得ない。それを語るのに憲法とは何かなど分かっている必要さえない。
我々は先人のその轍を踏まないようにしなければならない。改悪でも取り換えでもなく、憲法を正しく改正するとはどういう事かを知っておく必要がある。
もちろんこれからの話に特に必要な専門知識など不要だし、新しい概念も必要ない。ただ過去から未来に繋がる連綿とした流れの中にいる、という事だけを知っていればよろしい。過去はまだ流れ去っていないし、未来はまだ来ていないものではない。
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